予感はしていた。


 私が休日と決めた日に限ってやってくる、嫌な予感だ。


 そして嫌な予感だけに、大抵碌な事が起きない。


 これは毎回毎回、外れたことのない予知のようなもので、虫の知らせとも言うのだろう。



「……」


 朝。我が家の書斎で読書をしていたときだった。
 ソイツは騒々しくも家の玄関を砕くように入ってきたのである。
 誰よりもわかりやすい侵入者。
 破砕音と、階段をどすどすと昇る音が響いてきた。
 机の上に置いてあるカップとソーサーが、振動でぶつかり合う音がする。
 朝食の後のコーヒーをほとんど飲んでいて本当に良かった。でなければ辺りがコーヒー塗れになっていただろう。
 読んでいた本に栞を挟み、机の上に置く。
 書斎に設置してある本棚の一つに接近。本を退け、その奥からあるものを引っ張り出す。
 長さ30センチの細長い棒を、合計で八本。

 さて。これで準備は整った。

 何でこんなものが本棚の奥に置いてあるのかというと、何かにつけてこの家には様々な妖怪や人間がやってくるからだ。
 ……最新の幻想郷縁起にも、私の家の周辺は描いてあり、何故か危険度は『極高』になっている。
 それはまあ、一万歩ほど譲っても仕方ないと思えるレベルだろう。
 ここは鬼、天狗、吸血鬼、妖怪、魔法使いや巫女といった幻想郷メンバーのオールスターが訪れる。唯一例外は神くらいか。
 訪れる理由の大半が暇潰し。残りは依頼とか、稀に真面目な類のもの。

 早い話、妖怪や人間が遠慮もなくこの場所にやって来るのだ。

 依頼なら良い。だが例の来訪者の目的はひたすらに娯楽である。
 特に『今回の』奴はとびきり性質が悪い。
 何せ来ると早々に私を拉致って別の場所に行こうとしたり、悪質な依頼内容ばかり持ってきたりするからだ。
 そいつが、そろそろこの部屋に来る予兆が合った。
 無遠慮な態度。無作法といえる行儀の無さ。

 手にした棒は、そうした連中への対策を込めた悪あがきの道具である。

 直後、私の書斎を、ノックもせずに戸を叩き割る勢いで開け放たれた。


「クロマ! 遊びに―――」


 次いで、私も手にしたもの―――組み立て式の棒―――を振りかぶって、


 入ってきたソレ、霧雨魔理沙という少女へフルスイングで叩きつける。





「来たぁああぶねぇえええぇええ!?」






 む、箒で受け止めおった。
















 ※※※※※※ 東 方 黒 魔 録 ※※※※※※

















「い、き、な、り、危ないだろっ!?」

「うるさい黙れそして○ね」

「序盤からぶっ飛ばしてるなお前!」


 朝から騒がしいヤツだ。
 私も。貴様も。


「ぬぐぐぐぐっ、今日はえらく積極的じゃないかクロマ! なんか良いことでもあったのか!?」

「ないからこうしてるんだよ」

「意味が分からん!」

「なら問題ない」

「クロマの場合、問題ないというのが問題だな!」


 やかましい。


「つーかいい加減、ソイツを仕舞ってくれ」

「おとなしく貴様が帰ればな」

「嫌だね。お前、私に何か恨みでもあんのか?」


 毎度毎度、厄介な依頼を頼んでくる張本人が……おのれ。
 霧雨魔理沙がやってくるとき、彼女が持ってくる依頼の内容は『実験の手伝い』である。
 しかも依頼料と称して、わけのわからん薬を開発しては私のところに持ってくる。
 今までまともな薬を飲んだことがない。
 以前飲まされたモノは特にひどかった……具体的にはカエルになった位に。

 毒味役かよ。

 手伝った実験も、今のところ大半が失敗している。
 爆発したり、半径五メートル程度が吹っ飛んだり、何も起こらなかったり。


「お前、まさかあのときのこと恨んでるのかよ!」

「意図的にやっといて何をぬけぬけと……」

「飲ませたのは意図的だ。でも肝心の効果はわからない。つまり事故だ。
 たかだか幼児に戻った程度でみみっちいんだよお前!」

「そのせいで! 私がどれだけ苦労したと思っている!?」


 スカーレット姉妹に追い掛け回されただけではない。
 天狗や鬼、さらに永遠亭の兎にも追い回されたわ!
 私の姿を見た途端、残像が見えつつ高速で私の方まで迫ってきた吸血鬼ほど怖いものはない……。
 生涯で最も死を覚悟した時である。


「大体みみっちいと言うなら貴様が先に飲んで安全性の保証をしろ!」

「バカか!! 失敗したらどうすんだよ!?」

「やはりそれが本音かこのっ!」

「あだだだだだ……! ちょ、さすがにこれ以上は勘弁してくれ……!」


 ふん、このまま押し切ってくれる!


「………と、思うだろ?」

「何ィ?」

「言ったじゃないか、これ以上は勘弁してくれって!」



 見えたのは、それは「してやったり」という、彼女の不敵な笑みだった。
 咄嗟に弾かれた組立棍。箒ごと私の棍が宙を舞い、次の瞬間に彼女が構えていたものは――――臨界中の八卦炉。



「これ以上、魔力抑えるのが無理だったんだよ! マスタァアアアアアアアスパァアアアアアアク!」














 side ???











「ふぁああ……」


 眠たい。
 今は巳の刻。つまり朝。
 大きな木の枝の上に立ち、見張りをしなければならない。
 毎日毎日、朝早くから妖怪の山の警護。
 どうしてか、天狗の中でも私たち白狼天狗はこうした警備活動が役割である。


 白狼天狗。


 天狗の中でも、山の哨戒を生業としている天狗だ。
 平たくいえば山の自衛隊といったところか。
 不振な輩が入ってこないように常に目を光らせ、必要があれば自前の剣で実力行使を行わなければならない。
 とはいうものの、妖怪の山は広大だ。
 私以外にも哨戒天狗はいるものの、カバーしきれないところはある。
 それは範囲の広さというよりは、妖怪の山にやってくる「馬鹿者」の厄介さ加減が問題だ。

 どのくらいの馬鹿なのかは、具体的に後で説明しよう。

 さて。そういった不審人物が突破しようと試みる場所が、私の警備している―――この滝。
 ……とはいっても、天狗相手に挑んでくる者はほぼいない。
 妖怪の中でも種として上位にある天狗とは、他の妖怪とは一線を駕しているといっても過言ではない。
 並の妖怪相手すらもできない人間ならばなおさらだ。
 とりわけ優れているのは、その移動速度である。
 仮に侵入者が来ようとも、即座に仲間の天狗がやってくる。天狗の飛翔速度をもってすれば瞬きの間に侵入者を包囲できるだろう。
 まさに要塞。
 だが先ほども言った通り、極稀に、上級妖怪すらも一蹴する相手がやってくる。


 ソレもその筈。ソイツらは天魔様に直接目を付けられた厄介な者共だからだ。


 特に要注意とされているのは二人。
 一人は博麗の巫女。
 尋常ではないセンスと勘を持ち合わせており、弾幕ごっこはおろか通常の仕合ですら勝負にならない。
 妖怪より厄介な人間といえばこの巫女が挙げられる。
 もう一人は八雲紫。
 言わずと知れた妖怪の賢者にして最強の妖怪。勝つとか負けるとかいう次元ではない。むしろ関わりたくない。
 この妖怪は神出鬼没で有名で、滝にくることは滅多にない。

 天狗として共通の認識をされるのはこの二人。
 八雲紫の方は無視してよい。というより警戒するだけ無駄だ。気が付けば山にいるのだから。
 しかし個人的に、もう一人だけ重要視しているヤツがいる。
 いや、重要視というか、目の敵というか。


「……ん?」


 遠く離れた場所、なにやら空を飛んでいる二人の姿を発見。
 向かってくる先は、どうやら此方のようだ。
 私の能力、『千里先まで見通す程度の能力』なら、いくら離れていようと姿を視認することなど容易い。
 どれどれ。一体どんなヤツがこんなところに来たのだか。


 ―――一人は魔法使いの格好をした、白黒の女。
 いつぞやで見かけた魔法使い?。
 確かあの時は、山に神が移住してきたことで話題になっていたな。
 軍神である八坂様と、現人神の東風谷早苗、だったか。
 あの時は大変だった。 全く、一体何のつもりでまた妖怪の山に……。


 まあいい。もう一人は?


「……む」

 その姿を見て、一瞬思考が止まった気がした。
 黒一色の服装。
 暑苦しい袖の長い法衣を纏った季節外れの格好。
 そして、性別は男。

 これだけで十分だった。




 あのときと全く変わらない格好で、『個人的に気に入らないヤツ』が現れた。



「―――見つけた」


 反射的に背中の剣に手をかけていた。
 冷静に、確実にソイツの息の根を止めるために。
 徐々に近寄ってくるその姿に、剣を握る力が強くなっていく。
 そうして、彼らが妖怪の山の領域に入った瞬間、私は枝を蹴って空を駆けた。
 自慢の速度で、ぐんぐん彼らが目前に迫ってくる―――実際には此方が彼らに近づいているのだが―――のを確認。
 剣の届く範囲まで、加速して接近し、


「見つけたぞぉ!」



 渾身の力で、背中の剣を振り抜き、叩き付けた!













 side out


















「なあ、クロマ」

「……」

「クーローマー」

「……」

「クロちゃーん。おーい?」

「……」


 ……。


「悪かったって。いきなりマスパぶっ放すのはさすがにひどかったぜ」

「……」

「でも朝のアレはお前の方からやったんだぜ?」

「……」

「だ、だからさ、正当防衛ってことにならないか?」

「……」

「ほらほら! せっかく誘ってやったんだから少しくらいは嬉しがれって!」

「……」

「う、だ、その」

「……」

「……ごめん」

「わかればいい」


 全く本当に。

 恋符を至近距離で食らって、奇跡的に生き残った結果、目の前の黒白魔法使いに強制的に連れ出された。
 このクソ魔法使いの放った光がスペルカードじゃなかったら、今頃消し炭である。
 スペルカードとはいえゼロ距離。それも霧雨魔理沙の十八番を食らったので、しばらくは動くことも億劫だった。


(にも関わらずこの魔法使い、私の腕を掴んですたこらさっさと外に連れ出しおって)


 朝とはいえ、日が昇っている上に今日は嫌というほど良い天気だ。
 こんのクソ暑い中をだ。おかげで汗が止まらない。
 隣で併走する彼女の表情は、さっきとは打って変わってやや暗い。
 多少は罪悪感を感じているということか?
 それにしても……


「おい霧雨魔理沙」

「お、おう」

「さっきから一体どこに向かってるんだ? 目的地くらい教えろ」

「ん? いや、特にないぜ?」


 ……いつものパターンだな。


「帰りたい」

「そりゃ無理だぜ」

「おい」

「勝者の特権。敗者はおとなしく従えってね」


 さっきの暗い顔はどこにいった。
 ま、どの方向に飛んでいるのかくらいは予想が付く。
 特に決めてないとしても、いずれはどこかに付くだろう。

 行く方角に見えるのは、ほう、山か。
 幻想郷は山に囲まれている。適当に飛んでいれば、どこかの山に着くのは当然だ。
 しかして問題は、どこの山であるかということである。


「まさか、」

「どうした?」


 どうしたじゃない。

 貴様が向かおうとしているところがどうかしているんだ。

 まさか、よりにもよって『個人的に一番行きたくないところ』に向かおうとしてるらしい。
 ちなみに私の中の『個人的に一番行きたくないところ』場所は三つある。


 『妖怪の山』、『天界』、『夜の紅魔館』の三つだ。


 三つあって一番とはどういうことだとは思わないように。
 さて。現在視界に入ってるのは、その中の一つである妖怪の山である。

 幻想郷では、妖怪が多く住む土地として妖怪の山は有名。
 一般人はもちろん、下級の妖怪たちもあまり近寄ろうとはしない。
 ソレもその筈。
 妖怪の山に住む人外は、性質が悪すぎる。

 有名なところで言えば、天狗、鬼、そして神々。
 これらは幻想郷のパワーバランスを担う種族であり、そしてその遭遇率も幻想郷のどこの地域よりも高い。
 このうち神は割りと人間に対して好意的だが、天狗や鬼はそうでもない。
 天狗は数が多すぎて断定できないが、鴉天狗はともかく哨戒専門の白狼天狗は好戦的だ。
 鬼は今のところ一体しか存在が確認されてないものの、その鬼も、山の四天王と言われた豪傑の一人。下手に出会えば攫われかねない。
 かく言う私も、それらの存在とは一通り面識がある。
 鬼に至っては博麗神社にもちょくちょく出没するので、私の場合は天狗よりも遭遇率は高かったりする。

 ならば、妖怪の山で一番警戒しなければいけないのが天狗、特に白狼天狗という種族だ。

 妖怪らしい身体能力と、天狗固有の飛翔速度がウリの厄介な存在。
 弾幕ごっこなら数が多いだけで苦労はしない(博麗霊夢談)が、彼らの本業はあくまで山の哨戒と警護である。
 手早く言えば、肉体言語派の天狗といったところか。大きな剣と楯がトレードマークの妖怪である。

 私個人との仲は極悪。特に一匹、異様なまでに私を狙うバカがいる。

 出会い頭に斬りかかられなければいいが。


(ちょっと待て。霧雨魔理沙は特に行く場所は決まってないと言っていたな)


 ……それならそもそも、この暑い中外に出たがるなと言いたい所だが、敢えて言うまい。言っても無駄だ。
 まだ朝だから良いものの、時間が経つにつれて茹だる様な暑さになる。
 大人しく家にいたほうがよかったのではないだろうか。


「やっぱり帰らないか?」

「ダメだって。何でそんなに帰りたいんだよ」

「逆に聞こうか。どうして外に出たがる?」

「天気がいいから。お日様ポカポカで気持ちいいぜ?」

「季節を考えろ。今は夏だ。つーか暑いわ」

「風情のない奴だな。それならお前はどうしてだよ」

「暑いからだ」

「そんなクソ暑い格好してりゃ当たり前だぜ……お前こそ季節を考えろよ」

「む」


 と彼女が呆れているのだろうが、言うほど暑くはない服装である。
 私の服装は基本的に『法衣』と呼ばれているものだ。
 七色の魔法使いであるアリス・マーガトロイドに頼んで作ってもらった特性法衣で、手を覆うくらいの長い袖が特徴である。
 無論、ただ糸を編みこんだだけの法衣ではない。
 蜘蛛妖怪の頑丈な糸で編みこんであるため、ちょっとやそっとの弾幕では穴一つ空かない耐久性を有し、総重量5キロ程度のペイロードを誇る。
 袖や懐にはスリットが開けてあり、そこには様々な瓶や筒が入るようになっているのだ。
 また、このスリットは風通しを良くする為に必要であり、暑い夏は全部解放している。冬はほぼ全てを塞ぐことで快適な気分になるのだ。
 ……ま、色が黒い時点で熱をガンガン吸収していることだけはどうしようもないのだが。
 しかも大小さまざまな刃物や劇薬を所持しているため、重さが半端ない。今でこそ違和感がないものの、慣れない頃は本当に苦労した。

 私の服装についてはさておいて、問題は行き先なのだが、


「本気で行くのか?」

「あん? なんだよ、嫌なのか?」

「ああ」

「即答かよ……諦め―――その前に手にしたソレを仕舞えよ!?」


 ちっ。勘の良い奴。反射的に手にした鉈を目ざとく見つけつとは。


「いいじゃないか別に。季節的には一番涼しい場所だぜ?」

「まあそうかもだが……待て。涼しい場所というのは、まさか」

「滝だぜ」


 普通、川だろ!?

 しかも滝かよ!!

 妖怪の山だけならまだ千歩譲ってもよかったかもしれない。だが滝はダメだ。
 滝には『アレ』がいる。


「帰る」

「え? もう着いたけど」

「はっ!? 何時の間に!?」

「お前さんが考え込んでるうちにだ」

「ジーザス……」


 過程をふっとばし、結果だけが残った。


「本気で嫌そうだな。何でそんなに行きたくないんだよ? ただの滝だろ?」

「確かにな」


 そりゃ『滝』はな。
 確かにこの場所は涼しい。大量の水がフリーフォールしてるせいで、空気中に散布される水滴が多いからだろう。
 ここまで涼しければ、確かに来てよかった、と思わないでもない。

 さっきからビリビリと感じる視線と露骨な殺気がなけりゃな。

 霧雨魔理沙の様子からして、完全に私のみがロックオンされたと見て間違いないな……。
 ちっ。


「あの犬め」

「犬?」

「霧雨魔理沙。貴様、以前山の神に会いにここを登ったな」

「あー守矢神社のとき……そういやあったなそんなこと」

「そのとき、この場所で妖怪と出くわした筈だ」

「えーと、どんなヤツだったっけな。数が多いだけで、あんまし強くなかったから覚えてないぜ」

「弾幕ごっこだったからな。ソイツの本来の獲物は弾幕ではなく、剣だ」

「あ、そういや妖夢みたいなヤツがいたっけ。たくさん」


 箒に乗ったまま、考え込む姿勢をとる霧雨魔理沙。
 妖夢、とはきっと白玉楼の庭師のことか。
 庭師といいつつ剣を持ってる謎の少女で、しかも半人半霊という、これまた意味不明なキャラである。
 門番なのか召使なのか、少なくとも剣士ではないだろう。
 そのくせ剣の腕はかなりのモノ。弾幕ごっこでなければ、彼女に勝てる奴などそういるのだろうか?
 ……いや、割といるかもしれない。私の知り合いの人外共は皆揃いも揃って規格外だからな。
 それはさておき。



 ―――その奥。滝の向こう側で、何かが光るのが見えた。






「ほらきた―――っ!」


 反射的に法衣を捲り上げ、腰の鞘から取り出したのは二本の短刀。
 抜き放ち、霧雨魔理沙の前、滝の方へ。
 瞬間、滝を割って奥から一匹の妖怪が躍り出た。


「うお!?」


 霧雨魔理沙の声は、私とその妖怪が獲物をかち合わせた際に生じた衝撃音でほぼかき消された。
 頭上へ一直線に迫ってきた刃を、全力でいなす!


「づっ」

「っ! クロマ!」


 安心しろ。私も驚いたから。
 飛び散る飛沫。一瞬で抜け切る怠惰な心。
 剣をいなされた相手は、その遠心力のまま後方へ飛ぶ……訳がなかった。

 そのまま駒のように回転し、今度は横薙ぎの一閃。

 状況を把握しきれてない霧雨魔理沙の頭を掴み、しゃがんで回避。
 と、宙を斬るはずの斬撃が、途中で止まった。

 切っ先が変化……振り下ろし!

 これは素直に受け止めるしかない!


「ふっ!」


 交差した二刀に容赦なく打ち込まれる斬り下ろしの剣。
 剣が途中で方向転換しなければ、そのまま遠心力と体重の乗った一撃を受けていただろう。
 ギリギリだった。
 ―――視線の先には、肉厚の剣を持つ白狼天狗の姿。
 まさか滝の裏側にいるとは思わなかったが、既に捕捉されていたとは思っていた。


「やっぱりな。随分な挨拶じゃないか犬走椛」


 押され気味の短刀をなんとか持ち直す。
 咄嗟に展開したはいいが、此方はなんとか拮抗を保つのが精一杯。
 だが白狼天狗の犬走椛は余裕の笑みで、自前の犬歯をギラつかせて此方を睨みつけるように見ていた。


「久々だなクロマ。こうして五体満足で会えるとは思わなかった。それも私の陣地でな!」

「百年も経ってないはずだが……っ」


 拙い、徐々に押されてる。
 流石は天狗である。速度だけでなく、腕力も人間の比ではない。

 これが、私の会いたくなかった最大の宿敵。


 白狼天狗の、犬走椛。




 白狼天狗とは、天狗の中でも山の警備を行う種族だ。
 そのため彼らは山の中で自分の縄張りを決め、山に近づいてくる敵をいち早く味方に知らせる役目を担っている。
 天狗特有の飛翔速度はもちろん、彼らは荒事を専門としているためか、妖力の大きさよりも単騎の白兵戦に特化している。
 特に集団統率したときの白狼天狗は恐ろしい。まともに切り抜けられるのは上位の妖怪の中でもごく一部だろう。

 白狼天狗がそれぞれ縄張りを持っていることは先ほど言ったが、彼らは皆、その役目柄非常に遠くを見渡せる眼を持つ。

 私たちの姿を補足されるのは当たり前。その気になればこいつ、幻想郷中を視認できるのだ。
 『千里先まで見通す』程度の能力とはよく言ったものである。
 犬走椛の縄張りはこの滝だ。恐らく彼女は私と霧雨魔理沙の接近を察知した後、滝の裏側で奇襲の準備をしていたのだろう。
 用意周到なことだ。

 そしていい加減―――手が、疲れたっ!


「この!」

「おっ!?」


 その肉厚の剣を受け流し、崩れた体勢の相手に向かって魔法筒を投げつける。
 不意打ち気味のその攻撃に対して、やはり相手は自前の楯をかざして防御の体勢をとっていた。
 魔法筒が爆発。
 青色の爆風が彼女の姿を覆い隠す。その隙に、


「なあ」


 霧雨魔理沙に話しかけられた。


「お前、アイツになんか恨みでも持たれてるのか? なんか尋常じゃない様子だったぜ」

「知らん。多すぎて覚えがない」

「とりあえず挙げてみろ」

「妖怪の山に軍神がやってきたときに、相手をしてボコボコにした。
その後何度か手合いを申し込まれても無視したのが三十九回。あまりにしつこかったので魔法筒を投げつけたのが十三回。
誤まって滝に叩き落したのが九回。気に縛り付けてさらし者の刑に処したのが二回。あとは、」

「もういい。事情は理解した……おとなしく謝って来い」

「?」

「それでわからんのか!? お前どんだけ鈍いんだよ!」

「まあ恨まれているのはわかった。だが私の言い分も聞いてく」


 突如、ピィーという謎の音がした。
 それは笛の音に似ていて、辺りに轟くほど大きい音だった。
 途端に、山の方からいくつもの飛び出してきた白い影。

 白い影は、やはりというかなんというか、全て白狼天狗である。


「来た」

「お、おい。一体何が」

「事態を把握しろ。逃げる選択肢がなくなったというな」

「はぁ!? ちょ、なにこの超展開……」

「ぐずぐずしてると大変なことになる」


 戸惑う霧雨魔理沙に構っている暇はない。
 つかまったら最後。どうなるかわからない。
 飛ぶ速度は圧倒的に白狼天狗の方が上だ。私では逃げ切るのは不可能である。
 ……憎たらしいことに霧雨魔理沙なら逃げ切れる。こいつ、直線だけなら鴉天狗ほどではないが十分早い。
 幻想郷でも三指に入るだろう。ちなみにトップは射命丸文。次点でレミリア・スカーレットか。
 人の身でそこまで速度を極めたのは本当に凄い。もっともコイツ、本当に極めたのは速度ではなく破壊力だ。


「貴様はとっとと逃げろ。このまま私と一緒にいればどうなるかわからんぞ」

「……まぁ、お前がどうなろうが知ったこっちゃないが、降りかかる火の粉は払うのが礼儀だぜ」

「服が破れたり箒に傷がついたときに、後で私のせいにされても困るんだが」

「わかってるじゃないか」

「貴様も、私に謝るべきだ」

「冗談だろ」


 軽口の応酬。が、あいにくそんなヒマはなくなった。
 既に何体かの白狼天狗は射程範囲、三歩飛べば手の届く距離だ。弾幕ごっこなんて悠長なことにはなるまい。
 全員が全員、剣だの槍だの実戦用の武器を構えてる。

 横目に、やる気に満ちている霧雨魔理沙を見やる。

 弾幕ごっこにはすこぶる強い彼女でも、流石にこれだけの数の白狼天狗を相手にするのは厳しいだろう。私が相手を出来ると言えばそうでもないし。

 仕方ないな……。


「とりあえず逃げる選択肢はない。話し合いも無理だ」

「じゃあ正面突破しかないぜ。お前はさっきの天狗の相手でもしてな。寄ってくる奴らは私が薙ぎ払ってやろう」

「うむ。私は巻き込むなよ」

「射線に入り込むなら話は別だぜ」

「貴様は絶対に動くな!」


 実際、霧雨魔理沙の力添えは嬉しい。
 彼女の魔法は破壊に特化している。馬鹿みたいに威力のある魔法をホースから出る水のように吐き出すのが好きだからな。
 弾幕ごっこでもその威力は実証済みだ。主に実体験で。
 つまり広範囲にそれなりの弾幕をばら撒けて、おまけに妖怪を落とせる程度の破壊力を持つアイテムが手に入ったと考えればいい。
 私一人は、犬走椛だけに集中できる。



 ……さて、と。



 さきほど魔法筒を投げつけた相手、犬走椛へ視線を向ける。
 爆煙の中現れた相手はやはり無傷。楯にも傷一つ入っていない。
 笛を吹いたのもコイツか。その笑みは、私を千回は切り刻もうというくらい殺気立っていた。


「ふ、ふふふふふ。これで逃げられんぞクロマ。おとなしく縄に付いてもらおうか」

「そこまで殺気立たれるのもきわめて心外だな。あまり恨みをもたれるようなことはしてないと思いたいんだが」

「それはお前が思いたいだけだろ!」

「当たり前だろ。ちなみに一番最近頭にきたことは?」

「もちろんこの間の決闘だ! よくも二日も木にぶら下げて放置してくれたな! あの後どれだけ大変だったことか……」

「腹は減るし風呂には入れないしな」

「おまけに文さんや他の鴉天狗のいい被写体になったぞ! 文々。新聞に載せられる前に、一体私がどれだけ苦労したと思ってるんだ!」

「載らなかったのか?」

「……なんだ、その残念そうな眼は」

「いや。載ったら資料代を請求できたかもしれないと」

「やっぱりお前は殺してやる!」

「貴様が「相手をしてくれ」と言ってきただけだろ。願いを叶えてやったというに……」

「そのさも当然とした表情がさらにむかつく……」

「さてね……前口上はもう十分か。準備はいいだろうな?」

「ふん? 今日は逃げないのか」

「この状況から逃げ切れると考えられるほど、楽観的じゃないつもりだ」

「抜かせ。今日こそこの剣の錆にしてくれる!」

「そりゃ結構。で、勝負の方式は?」

「弾幕を使わない純粋な仕合を。それ以上でも以下でもない」

「了解―――」


 手にした短刀。軽く振るい、感触を確かめ、両手を広げるように構えた。
 前衛は私。
 後衛が霧雨魔理沙。
 即席にしてはいいパーティーかもしれない

 背後にいる霧雨魔理沙へ話しかける。


「初撃は任せるよ」

「了解だぜ」


 そして彼女から急激に高まるプレッシャー。
 多分使われるのはスペルカードだ。数が多い上、破壊力を増した状態では弾幕が張りにくい。
 彼女の場合、ただの弾幕でも十二分に威力がある。
 それならこの場合使われるスペルカードは、きっとアレだろう。

 考えた後、犬走椛へ視線を向ける。
 対する相手は半身。剣の切っ先を此方へ向けたまま、切り込む体制で、


「負けんよ。前も、その前もそうだったろうに!」

「体術で人間が白狼天狗に敵うものか! 今度こそ地に伏せるのはお前の方だ!」


 吐いた台詞とほぼ同時に、動いた。
 かちあう大剣と短刀。
 鍔競合う暇などなかった。
 軽量の短刀と、肉厚の長剣では重さが違いすぎる。加えて向こうは両手持ちだ。ならば結論、


「つっ!」


 力負けするのは当然。
 だが相手は振り切った体勢で、隙だらけ。そこにもう一本を振るう。


「甘い!」

「楯!?」


 見事に防いだか。やるな。
 さらに楯が動き、思いも寄らない急激な動きに手から短刀が吹っ飛ばされた。
 力任せか。だが貴様が妖怪で、私が人間ならそれも通用する。
 生憎と、普通の人間ならそれの対策も講じてるんだがな!

 吹っ飛ばされた腕ごと、遠心力に利用。
 回転させて空中で蹴りを放つ。
 今度は見事に彼女の腹に命中。反動で、犬走椛との距離が若干開く。
 そして袖を振って新たな武器を『装填』。
 両手に現れたのは折りたたみ式の鉈。
 次いで号令。
 目の前まで迫ってきた何人かの白狼天狗の剣を受け、逸らし、空いた顔面と腹に裏拳と前蹴りで一蹴した後、


「撃て!」

「了解。星符『メテオニックシャワー』!」


 掃射される星屑の群れ。
 色とりどりの星たちが、白狼天狗の集団へ次々と降り注ぐ。

 星群を背に、既に体勢を立て直していた犬走椛へと突進した。









 side Kazehahuri















 それは、境内の掃き掃除をしていたときだった。


「ふう……こんなものかな」


 いつも通り、守矢神社内の掃除の後、やり足りないと思っていた境内の掃き掃除にとりかかっていた。
 夏場なので落ち葉などは滅多に見られないが、庭の砂が荒れていたり、折れた小枝が落ちていたりするので掃除はやらないと。


「それにしても、暑いわね」


 幻想郷の夏は暑い。
 外の世界にいた頃と違って、電気がないから冷房もつけられない。
 ……今頃、外の世界はどうだろう?



 守矢神社は元々外の世界にあった神社だ。
 それが八坂神奈子様と守矢諏訪子様の力により、この幻想郷に神社ごと引越しをしたのが一年ほど前だろうか。
 この幻想郷に住まうようになってからまだ日は浅いが、ある程度ここの暮らしにも慣れたと思っている。
 もちろん冷房や暖房も使えないので、夏は暑くて冬は寒い。
 でもお二人がこの世界で信仰を得るようになって、ずっとずっと元気になった。

 まあ未練がないかといえば、全くないわけではないが。


「……うん?」


 境内から少し離れた山の方、空の上できらきらと光る星空を見た。
 こんな昼間に星?


「違う。星に似せた弾幕だ――」


 縦横無尽に降り注ぐ星を、なにやら人型の何かが回避している。
 間違いなく弾幕ごっこだ。
 そういえば私も、ここに来た当初は博麗の巫女と弾幕ごっこをして戦った。

 幻想郷で、女性の間で流行っている遊び。

 それが弾幕ごっこ。

 人妖の間で何かしら問題が起こったときに使われるルールのようで、人と妖怪とが平等に争える唯一の手段とも言われている。

 単純な威力よりも数で圧倒する弾幕戦は、それはまさに夜空の星空のように綺麗だ。小さな花火が形を作り、様々な色合いで攻め立ててくる瞬間は―――本当に圧巻。その形質からして、ほとんど女性しか弾幕ごっこはやっていないみたいだけれど。
 そして先ほどの星をモチーフにした弾幕を使う人を、私は一人だけ知っている。

 霧雨魔理沙という、魔法使いの少女。
 人間の中でも特に弾幕ごっこをやっている姿が目に付く人物でもある。

 そして、一風変わった人物でもある。

 何故かというと―――


「さーなーえー」

「はい?」


 名前を呼ばれたので咄嗟に振り返った。
 そこにいたのは、この神社の二柱と言われる神のうちの片方、洩矢諏訪子様だった。


「どーしたんだい。さっきからぼーっと上を見上げてさ」

「いえ。なにやら妖怪の山の上で弾幕ごっこがされていたので、つい」

「弾幕ごっこ……あー、神遊びね! どれどれ……」


 私を同じ方向を見上げた諏訪子様は、驚いたように声を大きくした。


「おやおや。ずいぶんと派手にやってるじゃん。ありゃいつぞやの魔法使いかな?」

「ええ。あの弾幕は魔理沙さんしか使いませんし」

「そうだね。あいつの弾幕は綺麗だ。そんでもって相手は、アレは白狼天狗だね。かなり数は多いけど」

「え? そんなに大多数の方とやってるんですか?」

「や。基本的に神遊びは一対一じゃん。だからちょろっと違う気がするね。魔法使いはともかく、天狗はかなり殺気立ってるよ」

「え……それって弾幕ごっこじゃないのでは」

「かもだね。まああの娘っ子の弾幕は馬鹿みたいに威力あるし、通常弾幕でも十分あしらえるんだろ」


 そう。これがさっき言いかけていたこと。
 魔理沙さんの弾幕は異常な破壊力を持っているということだ。
 彼女曰く「弾幕はパワーだぜ」。普通に直撃したら、妖精なら簡単に消し飛ぶ程度の威力がある。
 弾幕ごっことしてそれはアリなのかと思うけれど、割と上級妖怪はわけのわからない威力の弾幕を使ってくるので多分ルール上は問題ないのかもしれない。
 ……無論当たったらただでは済まないけれど。


「それにしても、何であんなに天狗共が殺気立ててあの娘と遊んでるんだろ?」

「さあ……まああんまり良い印象を持たれてる方かと言われればNOですけどね」

「あっ」


 唐突に、諏訪子様の声が裏返った。


「どうされました?」

「原因発見したよ早苗。アイツがいる」

「アイツ?」


 アイツとは?
 はてさて。諏訪子様に渋面を作らせるほどの人物。どうやらその方が主犯で、その方を魔理沙さんが守っているような形ということか。
 しかしあんな大勢の白狼天狗に恨まれるような人物、いたかしら?
 そこでふと浮かんだのは、少し前に鴉天狗の射命丸文さんから頂いた新聞の記事の内容だった。
 新聞の一面には、デカデカと吊り下げられた白狼天狗の犬走椛さんの姿があって、悪いと知りつつちょっとだけ笑ってしまったのが印象的だった。
 ……まさか。その、アイツって。


「おー、魔法使いが思いっきりデカイの撃ったな。アレで大半が落ちたか」


 いやいやいや。
 でも有り得ない。
 その確証が私にはある。


「徐々にこっち側に動いてるな。今でも微妙にコッチの領域に干渉してきてるし。早苗?」

「は、はい」

「ちょいと追い払ってくれない? さすがにこの神社の上空でドンパチして欲しくないからさー」

「わ、わかりました!」

「でも気をつけな。相手は、白狼天狗はともかく『アイツ』がいるからな」


 また出た。『アイツ』という言葉。一体誰だろう?
 諏訪子様にも男性の知り合いがいたのだろうか?

 ここからでも既に、魔理沙さんの近くで激しく打ち合っている二人の姿が見える。
 一人は白狼天狗の犬走椛さんだろう。
 もう一人は、真っ黒な服装で、何故か鉈を手にした男の人。
 刃物と刃物同士がぶつかり合う光景。
 つまり、お互いに弾幕ごっこではない。純粋な人妖の戦いをしていることを意味していた。

 妖怪とはいえ、女の子と刃物を交えるとは。ちょっとダメな男ではないだろうか。

 男性といえば……。
 そういえば一寸前に噂になった男性がいたっけ。
 名はクロマ。姓はないという。
 いつも黒い服装に身を包み、その口からは無愛想な言葉が吐き出される。
 無表情というわけではないが、ちょっと近寄りがたい雰囲気を出しているらしい。
 職業は「何でも屋」といい、主に里の人たちに妖怪関連のことで依頼を受けることが多いと聞く。
 女の子に人気のある弾幕ごっこに参加することもある、男性にしては珍しい方だ。

 そのクロマさんが、先ほどから上空で妖怪相手に戦いを繰り広げている人かと思った。

 でもそんなわけはない。


 理由は一つ。



 弱い。



 神奈子様が言っていた。
 何度か立ち会ったことがあるというが、大半がスペルカードを一枚も敗れず落ちるという。
 神職に関わっていないにも関わらず霊力を持つ稀有な存在ではあるが、絶対量が少ないので弾幕にならないのが欠点。
 代わりに鉈や刀、槍を投げて弾幕にしてる姿はさすがにちょっと引いた……こほん。
 でもちょっと会ってみたい気がしないこともない―――それはともかく!


 だから、上空にいるのはそのクロマさんではなく別の人であると思った。

 弾幕ごっこで弱い人が、妖怪相手に互角の戦いが出来る筈がないのだから。



 ……そろそろいこう。
 私も大分この幻想郷に慣れてきた。
 多少の妖怪や人間相手なら簡単に追い払える。
 最初は説得で。できなかったら弾幕で。

 それで大丈夫だろう、と。



 けれどこの考えは全くのハズレで、





 もう少し警戒心を持っていくべきだと思ったときは後の祭りだった。
















side out


















「このっ!」

「ぬぅ」


 かち合う鉈と剣。
 といっても力任せには打ち付けない。
 最初の一撃で片手の短刀をぶっ飛ばされ、もう片手の短刀で斬り払ったものの、盾でそれを防がれた上に腕力で押し切られた。
 それでどの程度の腕力に差があるか思い知ったからだ。
 ……ま、比べるまでもない。腕相撲なんぞしようものなら即座に折られる程度の差だとわかった。
 多少霊力でカバーしてるものの、腕力と、オマケに遠心力まで斬撃に加えてくるものだから真っ向勝負はハナから捨てている。
 今度は袖から折りたたみ式の鉈を取り出して応戦中……なのだが、


 ばきり


 また一本、召されたか。


「ぬぁ! 貴様また叩き折ったな! これで何本目だコンチクショー!」

「知るかあ! っていうか一体何本持っているんだよ!? これで五本目だぞ!」

「さあ?」

「さあ、って! 自分の持ち物くらい把握しとけよ!」

「染み付いた習慣というやつだ。気付いたら私の持ち物はいつもこんな感じになっている!」

「さも自然現象的に言うなよ……ああもうまたなんか持ってるし!」

「わっはっはっは」

「笑って誤魔化すな! ……くぅおのぉおお!」

「ぬぅう!? 今度は中ほどからバッサリ斬り落とすだと!? この鬼畜天狗め!」

「私の愛剣にとって、そんなもん紙切れ同然だ!」

「紙同然の薄さしかない胸を持つ娘は流石言うことが恐ろしい」

「お前それはセクハラだ!」

「煩い黙れ貧乳犬耳ロリ生娘!」

「逆ギレ!? しかも暴言が的確なのがさらにイライラする!」

「……今貴様、自分で墓穴掘ったぞ」

「……」

「なんというか……すまん」

「なんだよその可愛そうな者を見る眼は!? そうだよ悪いかよこの野郎!
生まれてこの方彼氏とかいなかったし剣と将棋しかしなかったんだよ笑えよバカー!」

「あっはっはっは」

「って本当に笑うなぁぁぁぁああ!!」

「貴様どんなツンデレだ」

「デレてないわ!」


 ひゅんひゅん振り回される大剣。
 とまあ、いろいろ会話しながらだが、信じられんことにこの犬走椛、隙の一つも見せない。
 先の戦いだと、同じような会話で冷静さを失わせて勝ったのだが……この手はもう通じないか。

 なんだかんだでしっかり鍛錬してるのだろう。実は恐ろしい相手である。

 それでも、負ける気がしない。


「ふ」


 頭上を通り越した剣先。
 既に砕かれた鉈を相手に投擲し、盾で防がれるのを確認した時は、既に距離を空けた後だった。
 新しい鉈を取り出そうとして、いつまでも手にやってこない質量の訳に気付いた。
 ……ない。
 結局手持ちが全部砕かれた。呆れた奴だ。
 初めて距離を取った此方を見てか、犬走椛の顔にうっすらと笑みが浮かぶ。


「もう手持ち切れか? 思ったより早かったじゃないか」

「アレだけ壊しといてよく吼える。流石わんこだ」

「やかましい! とにかくお前にもう武器はない。これで勝負アリだな!」

「……」


 確かに、私は既に丸裸もいいところだ。
 折り畳みの鉈は全部砕かれた。短刀も最初の2本しか持ってない。
 魔法薬はまだ使い切ってないが、あの盾で防がれる以上、あまり効果的じゃない。
 袖に仕込んだ投矢は使ってない。それも補充用を持ってないので一回が限度。
 鋼線があるにはあるが、それでどうしろと?

 打ち止めだ。


「ふふふ。どうした渋面など作って。いつも不遜な態度でいる貴様らしくないな」

「……」


 どうやら心境が顔に出ていたようだ。
 それにしても、調子に乗りやがってこの犬め。

 全部折ったのはお前だぞ?

 一体いくらしたと思っている?


「犬走椛。貴様、徒手空拳の男に刃物を持って戦うのか?」

「……おい、どういうことだ?」

「いやいや。別に貴様が卑怯者だとか罵るつもりは全くない。
だが考えてみろ。貴様の剣士としての誇りは、無手の男を斬ることを許してしまうのか?」

「むっ」


 ふっふっふ。多少なりとも考えたな犬走椛。
 生真面目な貴様のことだ。きっとこの状態の私を斬ることなどできん筈。
 情熱の塊のような犬だが、多少理性の利くところがある。事、自分の剣と誇りのことならば尚更だ。
 悪いが今日のところは引かせてもらうぞ!
 すると、犬走椛は頬を緩ませて口を開いた。


「そうだな。確かに純粋な仕合を望んだのは私の方だ。無手のお前を斬ったところで本筋からはズレてしまうかもしれん」

「うむ。ならばこの仕合、明日に持ち越しで構わんか?」














「―――とでも言うと思ったかこのクズめ」


 あっけなく作戦が崩壊した瞬間だった。


「私を相手にそんな強度の低い携帯式の刃物を持ったお前が悪い!
あらかじめ本数を確認してないお前の落ち度だソレは。言い訳などせず潔く散れ!」

「ぐっ。犬の癖に正論をかざしやがって」

「それに貴様のことだ。まだいろいろ隠し持ってるんだろ? そのくらいお見通しだ!」

「何を言ってる。刃物は確かにないぞ」

「『刃物は』な」

「………」


 バレてる。
 よし。決定。
 どうやら言葉では通じ合えぬらしいので『切り札』を使うことにしよう。
 尚も嬉々として剣を振りかぶる犬走椛、貴様にとっときをくれてやる!
 ……また金が飛んでいく。


「ああ安心しろクロマ。私は貴様と違って優しいからな! 特別に峰打ちで許してやろう!」

「優しいんだな」

「そうだろうそうだろう! ではこれで―――」

「ああ、」


 そう言って腰にある小型のポーチに手をやる。
 無論相手には見えないように、やや身体を傾けて。
 対して相手は刺突の構え。

 ……ん? 突き?



「まてまてまて。おかしいぞ」

「何だクロマ」

「先ほど峰打ちとか言ってなかったか?」

「ああ」

「じゃあ何で突きなんだ」


 峰ないだろ、その構え。


「ああ、勘違いするな。ちゃんと峰でも殴るから」

「峰で『も』……?」




 刺突 → 打撲



 
 何のコンボだ一体。
 殺す気満々ではないか。

 まあ、突っ込んでくれるなら大歓迎。

 犬走椛を煽るように、あえて手招きで迎えてやる。
 

「来い。できれば全力でな」

「当たり前だ! 死ねクロマァアアア!」


 直後、ドンと空気を叩く音がして、彼女が動いた。
 全力で空気を蹴ったのだろう。その加速は今までの比ではなく、速い。
 既に白い線と化した彼女を見て、しかし私は冷静に行動する。
 即座にポーチから切り札を取り出す。その名も―――


 アルコール飲料。所謂、酒。


 腐食しない金属でできたボトルに入れたソレを、突進する彼女をギリギリでかわす形でヤツにぶちかます。
 だが回避できるのか? その速度は霧雨魔理沙のブレイジングスターにすら匹敵しているかもしれないのに。
 普通なら無理だ。だが私にはできる。
 その可能性は、私の着ているこの法衣が持っている。

 この法衣は大きい。

 丈が長く、身長の低い連中が着たらマズ間違いなく地面を擦るだろう、夏場に着る服ではない。
 そして黒い。
 これらは、例えばちょっと後ろを振り向いた際に、完全に私を隠してしまう原因を作ってしまう。
 それを勢いよく、風を切る感じでばさっと広げれば、相手からは私の姿が全く見えない。

 だから、


 彼女が空気を蹴る、刹那に、


 私が後ろを振り向くように、法衣を翻したなら?


 そしてこの法衣。実は袖口が異様に広い。
 投矢を飛ばすためにわざとそうしたのだが、その効果は別のところでも発揮される。
 着衣。
 帯さえ緩めれば、この服はとても脱ぎやすくなるのだ。

 どんな奴でも、刹那ですら敵が消えたとなれば、無防備に動きが止まる。

 さらに相手が私を見失い、そして私自身服から身体を遊ばせた状態なら―――


「っ!?」

「かかったなアホめ」


 ―――どんなに速い突進でも、一撃は回避することは可能なのだ。
 まさか服を目隠しにするなど思いもよらなかったのか。
 犬走椛は咄嗟に剣に刺さった私の法衣を引っこ抜き、だが布の大きさに戸惑っている。
 無理もない。でかいだけでなく、あの法衣は切れ難い素材で出来ている。
 ソイツに穴を開けただけでも十分凄まじいが、だがそれまでだ。
 引き抜くか、そのまま引き切るか。いずれにせよ一瞬では無理だ。
 それだけの時間があれば、事足りる。

 即座に犬走椛の元へ転進、駆けた。
 此方に気付いたみたいだが、もう遅い。
 酒の入ったボトル。蓋を開けたソイツを、


「食らえ馬鹿」

「むがぽぉ!?」


 無理やり、彼女の口元へ。
 すると彼女はそれにむせたのか、堰をしながら中身を自身の服にぶちまけた。
 だが大半は飲んでいるだろう。


「げほっ、ごほ! 貴様よくも、よくも酒なんか飲ませてくれたな―――!」

「誰も降参するとは言ってない。それに、あまり動かない方が身の為だぞ?」

「馬鹿め。大方酔わせてフラフラにさせようとしたのだろうが甘い!
天狗はこの程度の量の酒では酔えん、私を酔わせたければ樽ごと―――お?」


 もう利いてきたきたか。流石だな。
 揺れる彼女の瞳。紅くなる頬。
 天狗は一様に酒に強い。それはもう酒豪である。
 が、だがしかし。

 アレだけ動き回って水分を出して、体温を上げて、腹を空かせて、

 コップ一杯以上の量を突然胃に流し込まれれば、当然どんな生物も多少でもガタが来ないとでも思ったのか?

 彼女は天狗だ。ただの酒ならそうはならないかもしれない。
 だが、飲ませた酒は生憎普通じゃなくてな。


「お、お前、一体、何を、飲ませた?」

「貴様がさっき自分で言ったろ。酒だ」

「ち、が、う。なんの―――げふ、酒だと、聞いて、るんだ!」

「外の世界の酒だ。気に入ったから香霖堂でいくつか買い取ったモノ。その名も―――」





『スピリタス』



 アルコール度96%という脅威の数字を誇る。
 勿論周囲は火気厳禁。火の付いた布を突っ込めば即席の火炎瓶の出来上がりだ。
 幻想郷の酒に慣れた者にとって、それは耐えられる数字じゃない。
 あの鬼でさえ、試飲の際に眼を回したのだ。


「勝負あったな犬。私の勝ちだぞ」

「ぐっ」


 事実、彼女は身体を動かすこともままならない状態である。
 そして次に取り出したものは、例の炸裂型魔法筒。
 威力は、それ一本でフラフラに飛んでいる天狗一匹程度楽勝で墜とせる。
 そんな筒を計三本。くっくっく、粉々にしてくれるわ!
 悪魔? 違うな、完璧主義だ。


「じゃあな犬。死なない程度にせいぜい足掻け」

「う、こ、この……」


 盾を構えようとしているが、遅すぎる。
 振りかぶり、投げようとした刹那―――


「いけません!」

「ぬ?」

「え?」


 犬走椛を庇うように出てきた人物がいた。その名も、


「誰だ?」

「東風谷早苗です!」

「ああ知っている」

「こ、この……」


 両肩を振るわせる彼女は、東風谷早苗という。

 守矢神社の風祝。博麗神社の博麗霊夢とは対となる緑色の巫女。
 幻想郷で文句なしに名を轟かせた八坂神奈子。そしてその相方の洩矢諏訪子(まあ本人は否定するかもだが)。
 あの二柱の秘蔵っ子が、目の前にいる少女というわけだ。

 ……噂には聞いていたが、話すのは初めてだな。

 以前、彼女たちがこの幻想郷にやってきたときの異変以来、顔を合わすことはなかった。
 守矢神社の風祝が、まさか偶然ここを通りかかったわけではあるまい。
 疑問を感じたまま彼女がやってきた方角を見ると、やはりというか、私たちのいる場所は既に守矢神社の真上だった。


「なるほど。神の領域に入ったというわけか」

「察しがよくて助かります。なるべく早く退去してください。じゃないと神奈子様が来られますから」

「それは拙いな」


 軍神、八坂神奈子。
 風を司る戦の神。この妖怪の山では、天狗の天魔にすら匹敵するほどのビッグネーム。
 外の世界から来た新参者。しかしその力は強力無比。
 異変を起こして、妖怪の山どころか幻想郷全体に自らの存在をアピールした。

 言うなれば大胆不敵。純粋に力のぶつかり合いをしたならば、鬼に匹敵しうる存在である。

 この様子も恐らくは見えているだろう。
 当然ここは守矢神社の制空権。でなくても、妖怪の山のどこで何が起こってるか位は把握していても可笑しくはない。
 彼女は風神。風がある場所は全て、彼女の支配下だ。
 あまり長居をすると八坂神奈子がやってくる。とっとと退散するのが賢い選択である。


「わかった。それでは別の場所で続きをしよう」

「ありがとうございます。それじゃ―――」

「……一寸待て」

「? どうしました?」

「ソイツをどうするつもりだ?」


 指差す先には、何時の間にやら東風谷早苗に抱えられた犬走椛の姿。
 気付かなかったが、何時の間にやら犬走椛はぐったりと死んだように動かない。
 アルコールが回って寝たのか? もしそうならそのまま地上に落下してたぞ。
 そうならないように、東風谷早苗が抱えたのか。まあそれは良い―――わけあるか!


「どうって、帰って怪我の手当てをするに決まってるじゃないですか」

「いや、まだ決闘が済んでないんだが」

「ダメです」

「つーか怪我といっても掠り傷だろ」

「ダメです」

「それに元々ソイツが言い出したことだ。明確な白黒付けずに決着を勝手に付けられては、ヤツも目覚めが悪かろう」


 そしてそのしわ寄せが私になるので是非ともやめてほしい。
 まあ単純にトドメを刺させろという訳なのだが……どうやら目の前の少女はそれが気に食わないらしい。


「ダメったらダメです! それは単なる弱い者虐めですよ!」

「さり気に犬走椛が弱いと言っているぞ」

「何で弾幕ごっこでやらないんですか? せっかく幻想郷で流行ってる正式なルールだというのに」

「だから、ソイツが言ってきたんだ」

「どんなマゾですか。ある訳ないじゃないですかそんなの」


 不憫だな犬走椛。
 あらぬところで貴様はMに認定されかかってる。
 そこでふと、少女の顔が驚きに変わった。


「……思い出しました。
十年位前に吸血鬼を半殺しにして、その次に太陽の畑の妖怪と殺しあって生き残って、あの妖怪の賢者とも戦ったことのあるバカみたいな人間がいるって噂を。服装と喋り方からすると、多分貴方のことですね!?」


 バカて、オイ……。
 なんとなく話を聞かなさそうな雰囲気が出ている少女だったが、まさかここまでとは。
 それと変な曰く付きの人間になってるぞ私。




 発信源はどこのどいつだ!



 十中八九、射命丸文の仕業だ!!






 あのカラス、ところ構わず自前の新聞ばら撒いてるからな。
 私自身、割と人里と交流があると自負していたが、まさか本人の知らない間にそんな噂が立っていたとは……知らなんぞ。
 そして私の思考を遮るかのように、東風谷早苗は止まらなかった。


「いくら自分が強いからって女の子相手に決闘するなんて、それもまさか白狼天狗と!
過去、それだけ強い妖怪と戦った人が急に格の低い妖怪を相手にするなんて紳士の男性のすることじゃないですよ!」

「強いとは言うが、所詮敗戦ばかりだぞ?
吸血鬼はともかくとして、風見幽香や八雲紫相手は瀕死寸前だったからな。未だに生きてるのが不思議なくらいだ」


 噂にはされていないみたいだが、伊吹萃香とも戦ったことがある。アレは化物の極地だった。正直言って二度とやりたくない。
 まあそんな過去話はどうでもいい。
 問題は、今の状況をどうやって妥協するかだ。
 思ったより話を聞かない彼女、東風谷早苗には、私がどう言ったところで無駄だと思われる。
 かといってせっかくのチャンスを棒に振りたくもない。

 タイトルが上がって二言目の台詞にあっただろうに。私の休日を邪魔したヤツは絶対に許さん。
 いくら「非人道的だ!」だの「粘着質で根暗だな」だの「この変態め!」だの罵られようが知ったことか。
 せめて灰にさせろ。
 いや……博麗の巫女と違って、まだ良識溢れる年頃の娘だ。過剰な台詞は慎むべきか?


―――そんな殊勝なことを思っていても無駄だと、どうして思わなかったんだろうな、このときの私ってヤツは。




「あ、それとも……」


 彼女の浮かべたその笑みは、にやりと、まるで意地の悪い猫のような笑みで、
 とても嫌な予感がした。


「彼女のこと、好きなんですか? あれですか、好きな子に意地悪しちゃいたいっていうツンデレですか?」

「ありえねぇよ!」

「え、あ、あれ? さっきと空気が違いません?」


 ぽろっと素が出た。危ない危ない。
 とにかく!


「そんなわけの分からん犬耳娘を誰が好きになるかぁ!! 私は人間だぞ!」

「む。人だからって妖怪を好きにならないってわけじゃないですよ! 愛さえあれば何でもできるんですから!!」

「確かに昔はそういう話もちらほらあったがな。私の知る限り、その手の話は全部バッドエンドだ。
つーか明らかに殺し合い一歩手前の男女間でどうして恋愛に目覚めるんだ」

「いや、さっきも言ったとおりツンデレとか?」


 なんだそりゃ。


「大体、私はきちんとした人間の女性が好みだ。犬紛いの天狗なんぞ眼中にあらず!」

「必死に否定するところが怪しいですね……」

「本当だとも。そこの犬を選ぶくらいなら貴様を選ぶわ」

「え?」

「ん?」


 おや、何やら地雷を踏んだような気がする。


「そんな、まさか、クロマさんが私の事を……どうしましょう。告白なんてされたの初めてですし……」

「顔を赤らめて何を言ってるんだねオイコラ。
 私が口にしたのは「妖怪より人間を選ぶ」という意であって、貴様のことが気になるとかそんな意味では決してない」

「一応神奈子様と諏訪子様に報告しておかなきゃ!」

「それだけはするな」


 馬鹿がいるぞオイ。


「あれ? でもクロマさんって、確か紅魔館の吸血鬼と恋仲じゃありませんでした?」

「待て待て待て待て待て! 誰がそれを言った!?」

「魔理沙さんと霊夢さんと文さん」

「何だ、意外と少数だな」

「と里のみんなです」

「不特定多数で多いな!?」


 情報のソースは一体どいつだ!?
 誰があんな吸血鬼共なぞ相手にするか!
 断っておくが、私は人外フェチでもロリコンでもない。
 人間が大好きである。ここ重要。


「隙アリィイイィイィイイ!」

「ぬぁ!?」

「きゃぁ!」


 意識がなかった筈の犬走椛の叫び声が聞こえた。
 振り向く直前、まっすぐに顔面を掠める巨大な剣。
 下手に動いていたら顔面がザクロと化していた。危ない危ない。
 仕返しに裏拳を見舞ってやった。


「っ!?」


 さっさと寝ろ……ん?

 なにやら随分と可愛らしい悲鳴が聞こえたような……?

 恐る恐る、殴った相手を見てみる。
 どうやら犬走椛は東風谷早苗ごと引っ張って突進してきたらしい。
 確実に眉間を打ち抜いた私の裏拳は、犬走椛と『間違えて』東風谷早苗の意識を刈り取ってしまったようだ。

 さて。

 ここで問題。


 剣を構えて突進してきた犬走椛は、今度こそ本当に力尽きたように意識を失った。

 そして彼女を支えていた東風谷早苗も気絶中。

 これから導き出される結論は?


「落ちたな」


 そのまま重力に従って仲良く落下していく二人。
 下は湖か。となると死にはしまい。季節は夏だし、丁度いい納涼になるだろう。
 ……ん? 助けんよ?
 私の馬力では二人も持ち上げるのは難しい。

 できないわけではないが。

 本当に。
 本当に!!

 いろいろとハプニングがあったが、ま、一件落ちゃ、く?


「む」


 なんかいつもより体が涼しいな。それに軽い。
 はて? 何か忘れているような気が。
 眼下の光景をもう一度確認。
 先ほど落下を始めた二人は、既に眼下に広がる洩矢湖に落水する寸前。

 東風谷早苗。

 犬走椛。

 ……と、黒い布のようなもの。






 やはり気のせいなんかじゃなかった。






「服ぅううぅうううう!!」






 落ちていく二人……に付随する自前の法衣が、巨大な水飛沫とともに湖へと沈んだ。




































「はっはっはっは! それでびしょびしょなのかお前!」

「うるさい蛙。いい加減笑うな」

「そりゃ笑うさね! 全く、下んないことしてるからさ」

「下らないとか言うな。あのまま捕まってたらどうなっていたことか……」

「多分生皮剥がされて達磨さん状態かな」

「うげぇ」


 想像しただけで気持ち悪い。

 只今、守矢神社内。

 湖に突っ込んだ私は、剣に絡まった自前の法衣を取り外し、どうにかして乾かそうかと思ったところで神に出会った。
 一応、守矢神社の敷地内だからな。しかも彼女の湖となれば、必然だろう。
 洩矢諏訪子。守矢神社の二柱のうちの一人である。
 外見は幼い少女だが、その実彼女は祟り神だ。怒らせるととんでもないことになる。
 よって、風祝だけは彼女に預け、その後自然に守矢神社へお邪魔することに。
 犬走椛は、まあ、勝者の特権というか流れで雑用を頼もうと思う。
 未だに酒を食らって眠っている白狼天狗の彼女。
 そのまま湖に放置してもよかったが、ここで借りを作っておくのも悪くないかなと思ったのである。
 普段酒に強い筈の天狗を一撃で昏倒させるとは……外の世界の酒はもはや武器だな。


「全くお前は、いっつもいっつも迷惑ばかりかけてやがって」

「うるさいな。っていうか何で貴様がさも当然のようにここにいるんだよ」

「お前のせいだろこのバカ!」


 全員で囲うように座っている卓袱台。
 そのメンバーは、私と洩矢諏訪子と東風谷早苗と、あと霧雨魔理沙。
 私が湖に落下したのち、上空で馬鹿笑いしていた霧雨魔理沙と合流した。
 別に気が向いたとか、ちょっとむかつくなとか思ったわけではない。

 ただ、私がずぶ濡れでコイツだけ傷一つ負ってないのが癪だっただけだ。

 そう思えば後は簡単。鋼線を箒に絡ませて力一杯此方に引き寄せた。
 霧雨魔理沙の一本釣りである。


「くっそ、心配して見に行くんじゃなかったぜ」

「その割りに此方を見て馬鹿笑いしてなかったか?」

「そりゃ笑うだろ」

「心配という言葉をもう一度学習して来い」


 このアホ魔法使いめ。
 いつもの癖で袖を振るったつもりが、借りた毛布で空気を叩くだけで終わってしまった。
 服が乾くまで、毛布一枚しか羽織っていないため、装備もなにもあったものではない。
 夏場とはいえさすがに冷える。正直この毛布は助かるのだが、一つ疑問が。


「何故、霧雨魔理沙と私とで毛布が一枚なんだ?」

「……しょうがないだろ! 一枚しかないってんだから!」


 肩を触れさせる程度に並んで毛布に包まる私と霧雨魔理沙。鴉天狗や吸血鬼に見られたくない類のモノだと思う。
 畳を連打しながら、終始笑い転げている洩矢諏訪子を睨みつけた。さすがに笑いすぎだ。


「どうして一枚しかないんだ。ここは三人住んでる筈だろ」

「しょーがないだろ。今は夏だし、残った毛布は押入れの奥の奥だ。一枚出すだけでも面倒だったんだからさ」

「もう一枚くらい出せ!」

「いいじゃん。それに人肌で温めた方が早いだろ。別に十も歳は離れてないんだし、照れることないじゃん」


 洩矢諏訪子のにやついた顔つき。な、殴りたい。
 隣に目を走らせれば、呆けた顔で此方を見ている東風谷早苗の姿があった。


「どうした?」

「へ、え……何でもありません。ただ、話に聞いてた人物と少し違ってたので」

「そういえば、まともに会話をしたのはこれが最初か。一応、貴様の同居人とは顔見知りではあるのだが……」


 このクソ疫病神とは、彼女たちがこの幻想郷にやってきたときの異変のときに出会った。
 霧雨魔理沙と興味半分で妖怪の山を登ったときに彼女に出会った。
 弾幕ごっこも体験したが……反則的強さだ。正直ボロクソにやられて終わった。
 しかし隣の霧雨魔理沙は、それはもう鮮やかに弾を避けて避けて、勝利しやがった。
 そういえばあの時も、あの湖に落とされて負けたな。 
 今回もそうだったし、あの時以来何かしらの呪いでもかかったのだろうか?


「くっくっく。相変わらず弾幕ごっこ以外は常識外だねアンタ。白狼天狗を生身でボコれるのアンタくらいだよ」

「うるさい……肝心の弾幕ごっこが弱けりゃそれこそ問題だろ」


 ようやく笑い終えた洩矢諏訪子の苦笑じみた台詞に、そりゃそうだと私自身も思う。
 つーかゲーム全般に対して弱い。
 チェス、将棋、囲碁、双六、オセロ、ポーカー、ブラックジャック、ババ抜き、ダウト、UNO、弾幕ごっこ……おおよそ遊びと呼ばれるものやゲーム類で勝った事がない。
 
 昨今、幻想郷で常識となっている弾幕ごっこでの問題解決方法。 
 
 基本的に女性を中心に広がってるものではあるが、男性が全くやっていないというわけではない。
 里にいる退魔を専門とする人間たちと、やったこともある。
 結果はボロ負けだがな!
 商売柄、妖怪を相手にすることは多々あるので、この欠点をなんとか克服したいものだ。
 おまけに知り合いの妖怪たちは何故かこの遊びが強い。
 異常な魔力で物量に物を言わせる奴もいれば、芸術的な弾幕を使って正面から打ち破ってくる者もいる。
 そうでなくても、博麗の巫女のように神業的回避で弾幕を潜り抜け、スペルブレイクする者もいる。弾幕ごっこは避け続ければ勝ちだ。 その点では、確かに妖怪と人間が楽しく(?)平和的に問題を解決していく良い方法だと思う。
 私の場合、霊力も避けるスキルも低いらしく、とてもじゃないが太刀打ちできない。


「だけどクロマ、お前、妖怪退治だと普通に強いぜ? どうして弾幕ごっこができないんだよ」


 ……まあ、誰にでも得手不得手がある。
 霧雨魔理沙の今の言葉には、私のちょっとした悪い癖が関係してるのだ。

 ま、分かりやすく言えば『喧嘩は強いけど遊びに弱い』。

 能力らしく例えるなら『喧嘩に負けないが遊びに勝てない』程度の能力だろう。
 クロマという人間は、本当にただの妖怪退治なら負けない程度に強いのである。
 弾幕ごっことは違う回路を使うのか、弾は避けれなくても斬撃や刺突は回避できるのに。

 あれこれ悩んでいると、突然洩矢諏訪子が立ち上がった。


「それよりもお二人さん。そろそろ夕方だし、夕飯でも一緒に食べて帰りなよ。神奈子も最近飲みの相手がいなくて寂しそうだったからさ」

「八坂のがか。奴はどこにいる?」

「ちょいと天魔のところまで。なあに、すぐ帰ってくるさ。それで、どうする?」

「……馳走になる。正直今日は疲れたからな。帰ってもすぐ寝るだけだ」

「ぬ。勿論私も馳走になるぜ」

「じゃあ決まりだね! 早苗、悪いけど今日のおゆはんは二人ほど追加でよろしく☆」

「あ、はい!」


 立ち上がった風祝の少女。
 その後を付いて行く小さな祟神。忙しないな。
 ……ぬ?
 肩を突かれた感触がした。
 霧雨魔理沙か。


「クロマ。寒いぜ」

「日が落ちてきたからな。だがそこまで寒くないだろ」

「いや。寒い。お前はきっと寒い筈だ。そうに違いない」

「私がかよ……待て、どうして近寄る?」

「お前が寒いからだ」

「理由がおかしい。む」


 引っ付くな暑苦しい。
 肩にべったりと顔を引っ付けた霧雨魔理沙は、しばらくして小さくいびきをかき始めた。
 ……寝たか。
 あれだけ魔法を使えば、確かに疲れるだろう。
 邪険にするのも、流石にやめとこう。
 一応功労者だ。肩を枕にするくらいは……許してやる。









 こんな休日。本当に、私は苦労してると思う。


























 ……それにしても、里に行き辛くなったぞ。
 
 こうなったら情報源となった犯人を突き止めるか。























 −あとがき−




 短編です。夜行列車です。
 近頃色々なモノが重なって、やることなすこと多いです。
 
 さてさて。今回はちょっと文の形を少しだけ弄りました。

 とは言っても、空白を作っただけなんですが。以前より多少は見やすくなったと思います。
 
 次は長編……できればいいな。







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