空を見上げると、遠く遠く、とても遠くに――真円の月が一つ。
 それを何とは無しに見上げながら、欠伸を一つ。
 咲夜さんに用意してもらった椅子に腰かけながら、ただただぼんやりと月を見上げる。
 しっかし、流石館一つ持ってる吸血鬼お嬢様。
 バルコニーでお茶会とか、現代日本じゃまずお目に掛れないんだが?
 これも、幻想郷ならではの体験……と言えるんだろうか?

「良也? 眠い?」

「ん? あー、別にそうでもないぞ?」

 嘘です。結構眠いです。
 今何時くらいなんだろう?
 そう思いはするけど、まぁ、思っても意味は無いので別に聞いたりはしない。
 ただぼんやりと、フランドールと一緒に夜のお茶会。
 いや、お茶会とも言えないのか。
 ……二人でぼーっと、月を見てるだけだし。
 きっと、用意してもらった紅茶も、お菓子も、冷めてしまってる。
 それを少し悪く思いながら――でも、膝の上にフランドールが居るのでそれに手を伸ばす事も出来ない。
 伸ばしても良いんだけど、それだと動かないといけない。
 動くとなると、折角のんびりと座っているフランドールに悪いし。
 まぁ、別にそうは思ってないんだけど。
 結局は、動くのが面倒なのだ。
 用意してもらったのが酒だったら、僕はきっと、膝の上にフランドールが座っていようが、動くだろうし。

「フランドールは、退屈じゃないか?」

「ううん、全然」

 そうか、と。
 それっきり。
 また、二人してのんびりと月を見上げる。
 どうしてこうなったんだっけ?

「良也は退屈?」

「んー……まぁ、偶にはこんな時間も良いんじゃないか?」

 そんな所だ。
 別に、幻想郷で“しなければならない”事なんてありはしない。
 毎日が暇だと言っても良い。
 ……そう思ったり、口にしたりすると、次の日には“異変”が起きてしまうんだが。
 それはここ数年で身に沁みた事である。

「ねぇ、良也?」

「んー?」

「明日も一緒に遊んでくれる?」

「……そうだなぁ」

 どうするかなぁ、と。
 別にそれでも良いし、白玉楼か永遠亭か妖怪の山か地底か天界か人里か。
 どっかに顔出ししても良いし。
 明後日には外界に帰るから、偶には顔出しした方が良いかもなぁ。
 読んでおきたい本はパチュリーから借りたし、明日も紅魔館に居る理由は無いし。

「明日は、一緒にどっか出かけるか?」

「へ?」

「そうだな……妖怪の山とか天界は景色も良いし」

 フランドールの情操教育にも、きっと役立つだろう。
 今でこそこうやって落ち着いているが、今朝紅魔館に来た時は、それはもう酷いもんだったし。
 魔理沙相手なら良いけどさ、僕相手だと……ねぇ?
 死んじゃうんだよ。
 あっさりと。
 そりゃ、少しは地力は上がったけどさ。
 それでも妖精に落とされない程度と言う所。
 フランドールなんて紅魔館の当主の妹相手は荷が重すぎるってもんだ。
 だがしかし、以前よりは随分と落ち着いたもんだ。
 今は死ぬ確率は3回に1回だし。
 以前は3回来たら、9回くらいは死んでたような気がする。
 ……スキンシップに抱き付かれただけでも死んでたからなぁ。
 今となっては良い思い出……でもないけどさ。
 やっぱり死ぬのは怖いよ、うん。

「でも、太陽に当たっちゃうと焦げちゃうんだけど?」

「あ、そっか」

 そういえば、そうだったな、と。
 ここ最近、パチュリーの大図書館とか夜にこうやって外に出たりとかだったから、忘れてた。
 いかんいかん、レミリアに殺される所だった。
 アイツも、フランドールが絡むと見境無いからなぁ。
 人が不老不死だからって、とりあえず殺す、と言う考えはどうかと思うんだ。

「どこいこっか?」

「だなぁ」

 そうなると、魔法の森か、地底か……どっちも景色が、というのはなぁ。
 地底は賑やかだけど、フランドールは人見知りが凄いし。
 ストレスで暴走されでもしたら、さとりさんに迷惑掛るしなぁ。
 うーん。
 足をぷらぷらさせるフランドールを落とさないように抱え直し、どうするかなぁ、と首を傾げる。

「良也、落ちそう」

「いやいや、そう思うならじっとしてろよ」

 僕が悪いの? 違うよね?
 ……そんな言い訳通用しないって判ってるけどさ。
 はいはい、と言いながら、もう少し強く抱き抱える。

「明日、どこ行くかなぁ」

「うんー」

 魔法の森か、地底か……それとも、また別の所か。
 むぅ。

「ごきげんよう、良也」

「あ、お姉様」

 二人してどこに行くかと頭を悩ませてたら、ふと背後から声。

「あ、レミリア」

「二人して、何を悩んでいるのかしら?」

 フランドールは僕の肩から、僕は天を仰ぐように首を後ろに向けてその姿を確認する。
 緋色の洋服を身に纏った少女。
 紅魔館の主、レミリア=スカーレット。
 フランドールの姉が、そこに居た。

「何時から居たんだ?」

「ついさっきよ」

 全然気配がしなかったんだけど……。
 そうやって後ろに立たれると、怖いんだけどさぁ。
 言っても聞いてもらえないだろうけどね。

「それで、二人して唸ってどうしたのかしら?」

 そう言い、僕の隣に在る椅子に腰かける。
 ……いや、その椅子もさっきまで無かったよね?
 そりゃ、僕の世界は今最小限しか展開してないけどさ。
 咲夜さん、あんた従者の鑑だよ。

「良也と、明日何処にお出かけしようか、って」

「あら、楽しそうね」

 そう言い、冷めてしまった紅茶を一口啜るレミリア。
 文句を言わないなんて、ずいぶん機嫌が良いんだな。

「でも、日傘から出ては駄目よ?」

「はーい」

 そして、レミリアが来てからフランドールの機嫌も、右肩上がり。
 ぷらぷら揺れてた足が、今は僕の足を軽く蹴るくらいの勢いである。
 仲が良いよなぁ、と。
 ま、そんなのはとうの昔に判ってるんだけどさ。

「それで、どこに行くかの案くらいはあるのかしら?」

「妖怪の山か天界か魔法の森か、地底?」

「貴方ねぇ……」

 呆れられた。
 そりゃそうか。
 僕自身だって、どうかなぁ、って思うし。
 妖怪の山と天界は明る過ぎる。天気的な意味で。
 魔法の森は景色はアレだし、地底は妖怪が多すぎる。
 うん。
 一番候補は魔法の森かなぁ。
 フランドールと一緒に素材集め……。

「折角のデートなのに、魔法の森で実験用の素材でも集める気かしら?」

 ですよねー。
 レミリアさん? 目が怖いですよ?

「別に、デートって訳でもないが……」

 確かに、フランドールの出掛け先にはちょっとなぁ。
 パチュリーとか魔理沙辺りは気にしなさそうだけど。
 折角だから、景色が良い所が良いよな。
 きっとその方が楽しめるだろうし。

「そうだなぁ……どこに行くかなぁ、フランドール?」

「……別に、どこでもいーよ」

「そうか?」

 まぁ、迂闊な所を候補にあげたら、お前の姉から文字通り殺されるんだけどな。
 たったこれだけで殺される僕ってどう思う?

「良也。貴方、星は見れるの?」

「星?」

「パチェは、その辺りは詳しいんだけれど」

 ああ、そっちのね。

「一応、基本は教えてもらってる」

 でも基本的に、夜はこっちに居ないからなぁ。
 ホントかを使って軽く教えては貰ってるけど、本当に軽くだ。
 基本中の基本。
 それこそ、見習い以下、と言った所。
 今度、教えてもらおうかなぁ。
 でもなぁ。
 夜って、吸血鬼の時間だからなぁ。
 ……ぶっちゃけると、怖いのだ。
 きっと、こんな時に血を吸われたら致死量逝くね。絶対。

「貴方、もう少し真面目に魔法を習う気は無いのかしら?」

「うーん……趣味みたいなもんだからなぁ」

 でも最近は、以前より魔法の勉強へ割く時間が増えてはきてると思う。
 何だかんだで、僕はもう半分以上人間じゃない訳だし。
 そうなると、どうしても“そっちの方”へ思考が向いてしまうのだ。
 何せここは幻想郷。
 強くなければ生き残れない、弱肉強食の世界なのである。
 でも、まだルーミアが怖いんで夜遅くになると帰れないんだけどなっ。
 パチュリーにも遅くなったら泊まっていけって言われるし。
 魔法使いとしてどーよ、と思わなくもないけどさ。

「いいんだよ。時間は沢山あるんだし」

 ぼちぼちやっていくさ、と。

「別に、今日明日、いきなり紅魔館が無くなる訳じゃないんだろ?」

「……それは、ずっとここに通うという事かしら?」

「そのつもりなんだけど……」

 やっぱり迷惑でしょうか?
 こんな最底辺の蓬莱人なんかお呼びじゃない?

「じゃあ、良也はずっと弱いままで良いよっ」

「それだけは嫌だなぁ」

 出来れば、幻想郷内を昼夜問わずに自由に移動できるくらいには強くなりたいなぁ、と。
 流石に妖怪が怖くて夜移動が出来ない魔法使いというのは……そのうちパチュリーに怒られそうだ。
 というか、怒られるで済めばいいけど。
 下手したら……うぅ、考えないでおこう。

「いっそ、ここに住んだら? 部屋なら余ってるわよ?」

「勘弁してくれ」

 ここには咲夜さんが居るのだ。
 彼女と一緒に生活なんて……そんな桃色展開は無いだろうけどさぁ。
 霊夢ならまだしも、咲夜さんとかぁ……。

「ま、それも良いんじゃない?」

「勝手に心の中を読まないで下さいますか!?」

「顔に出す貴方が悪いのよ」

 そんなに顔に出やすい……んだろうなぁ。
 今じゃ、そう面識のない命蓮寺の皆さんからも言われるし。
 ……悲しくなんかないけどねっ。

「あら、フラン? どうしたのかしら?」

「ううん、別にー」

「どうしたんだ、フランドール?」

「ふんっ」

 ……何でレミリアが聞いたら普通に答えて、僕が聞いたら腕を抓られるんだろうか?
 納得がいかないなぁ。
 でも、しょうがないかと思う辺り、僕もどうかしてると思う。
 幻想郷では、常識に囚われてはいけない。
 悲しいかな、それが現実なのだ。
 ま、以前は噛まれてたのに、今は抓られる。
 このランクダウンを素直に喜ぼう。
 それに、ちゃんと手加減してくれてるし。

「それで、紅魔館で暮らすのはどうかしら、良也?」

「うーん……」

「それにきっと、そうなればパチェも美鈴も喜ぶと思うのだけれど?」

「そ、そうかな……?」

「ええ。貴方を思う存分鍛えられるものね」

「……僕の淡い期待は木端微塵だよ」

 ですよねー。どうせそんなオチでしょうよ。
 パチュリーは僕を弟子としか見てないし、美鈴は運動不足解消に丁度良いだろうし。
 僕、泣いて良いと思うんだけど、どうだろう?
 あと、フランドール? そろそろ肉が千切れそうなくらい痛いんだけど?
 それ抓ってるって言わないよね? きっと違う言い方だよね?

「あら、何を想像していたのかしら?」

「何も想像なんかしてないぞー」

 別に、桃色の想像なんかしてませんよー、だ。
 何か怒ってるフランドールの頭を、抓られてるのとは逆の手で撫でる。
 怒ってる時は、コレが一番効果的だし。
 しかし、コレは絶対内出血じゃ済まないレベルじゃないだろうか?
 流石夜の吸血鬼、別に痺れも憧れもしないけどな。

「そんなだから、いまだに彼女が――」

「それ今関係無いよね!?」

 やめてよ、人のガラス製のハートを割るの。
 脆いんだからね? 僕の心は。

「……良也、彼女居な――」

「わーっ、わーっ」

「五月蠅いわねぇ」

 誰の所為だよっ。
 まったく……。

「フランドールには、まだ早い話だと思うんだ」

 うん。
 そういう事にしておく。
 決して、逃げる口実にフランドールを使った訳じゃないからな?
 この子はまだ子供だ。
 彼女? 彼氏? 恋愛話?
 まだまだ早いだろ。
 そう心中で言い訳をすると、さっき抓っていた所とは別の所を抓られてしまった。

「ふ、フランドール?」

 痛い、痛いよ?
 めっちゃ痛いんですけどっ!?
 助けを求めるように隣に視線を向けると、レミリアが紅茶を優雅に啜っていた。

「しょうがないんじゃない?」

「せめてこっちを見て言えよっ」

 目茶苦茶投げ遣りじゃねーか!?
 何がしょうがないの?
 って言うか、一思いに殺されるより地味にきつい!?
 ……いや、殺されるのも嫌だけどさ。

「フランドールー? ほら、落ち着こうなー?」

「……良也のバカ」

 噛まれました。
 しかも、今回は割と思いっきり。

「こらっ。晩飯後にすったばかりだろうがっ」

「……ぢゅー」

 うおっ、音立てて吸ってやがる!?
 今までそんな不作法はしなかったのにっ!?
 吸血の作法とか、何で僕が知ってるの、というのは気にするな。
 レミリアが言うには、吸血鬼が生きていくには、そういう知識も必要らしいのだ。
 いやそれは判るけどさ。何かフランドールの教育が僕の仕事になってるのがどうにも不思議でならん。
 吸血鬼の作法とか、僕関係無いよね?
 レミリアとか咲夜さんが教えればいいと思うよ?
 それを小悪魔さんに言ったら……すっごい深い溜息を吐かれたのを、今でも覚えている。

「あらあら。大変ね、良也」

「そう思うなら、助けてくれよ……」

「嫌よ」

 そうきっぱり言わなくてもさぁ。
 まぁ、レミリアが僕に冷たいのは今に始まった事じゃないけどね。
 という訳で、失血死させられる前に、何とかフランドールを宥めるとするか。

「フランドール? どうしたんだ?」

「そこから聞くの……」

 うっさい、外野は黙ってろ。

「ぢゅー」

 聞く耳無しですか、そうですか。
 あ、あかん。
 過去最多の吸血量じゃね?
 ……殆ど零れてるけどさ。
 吸うならせめて、飲んでくれ。

「まったく、レディがはしたないわねぇ」

 お前もほとんど同じだけどなー。

「何?」

「なんでも」

 そんなに顔に出るんだろうか?
 これでも、ババ抜きには自信があるんだがなぁ。

「それで、明日はどこかに出掛けるのかしら?」

「え、今その話?」

 今はもっと大事な事があるんだけど?
 このままじゃ僕死んじゃうよ?
 ……生き返るけどさ。

「大事な事よ?」

「僕の命は明日のお出かけ以下!?」

「だって死なないじゃない」

 酷くない?
 この姉酷くない?
 僕、そろそろ泣いても良いと思うんだけど、どうだろう?

「いや、このままじゃ明日貧血で動けないし……図書館で本読んでちゃ駄目?」

「あら、そうなの?」

「いや、フランドールには悪いけどさ」

 流石に、この出血じゃなぁ。
 ま、明日には治るんだろうけどさ。
 ……って。

「ご、ごめんなさい」

「ん?」

 あ、やっと吸血終わってくれた。
 僕の下半身血塗れだけどね?
 フランドールに返り血があんまり掛ってないのが唯一の救いだ。
 これでフランドールまで血塗れだったら……僕は槍で貫かれるね、絶対。

「もう血は吸わないから……」

「どうしたんだ、フランドール?」

「……お出掛け」

 ああ。
 フランドールは、僕の膝に座るような体勢だから、その表情は判らない。
 でも、その肩が下がってるのは……多分気のせいじゃない、と思う。
 そんなに出掛けるのが……楽しみなんだろうな。
 いつも紅魔館の中だって言ってたし。
 外に出るのはいつも制限があるっぽいし。
 というか、

「レミリア、フランドールってお出掛けして大丈夫なのか?」

 そう言えば、一番大事な許可を貰ってなかったな。
 という訳で、隣に居るレミリアに聞く事にする。
 駄目だったら……まぁ、諦めてくれ。

「貴方が一緒なら良いわよ」

「あ、いいんだ」

「貴方の“能力”の中なら、フランも大丈夫でしょうし」

 僕の能力の中?
 でも……博霊神社とか図書館ならともかく、外だとそう広くは展開できないんだけど?
 今だと――どれくらいかな?

「別に、今みたいにのんびりするんでしょう? フランは小さいんだし、抱きかかえてたら?」

「お、お、お姉様っ!?」

「あら? 良也の腕の中は嫌かしら?」

「そりゃそうだろ」

 フランドールは天真爛漫だ。というか、元気だ。
 そうやって行動を制限されるのは好きじゃないだろうし。
 ま、そこは紅魔館から出ればどうにでもなるだろう。
 レミリアも、そこは判ってて言ってるんだろうけど。

「へ!? あ、いや……」

 何かフランドールが後にごにょごにょ言ってるけど、多分レミリアへの悪口だろう。
 しかし、僕は駄目でフランドールは大丈夫なのか。
 姉妹愛、という事にしておこう。うん。

「なにかしら?」

「いえ、なにも」

 だから、どうして幻想郷の女性陣はこんなに勘が鋭いんだ?
 僕も顔に出やすいってのもあるだろうけど、鋭すぎるだろう。
 僕の能力で、さとりさんでさえ心は読めないはずだから、その鋭さは異常と言えるのかもしれない。

「うー……」

「フランドール?」

 こ、こしょばゆいんですけど!?
 さっき牙を立てていた所を、今度は舐められてしまう。
 でも、血が足りてないから、あんまし感覚とか判んねーや。

「仲良いわね、貴方達」

「そうか?」

 仲が良いなら、殺されたりとかしないと思うんだけどなぁ。
 でも、フランドールはその答えに不満らしく。

「ぢゅー」

「はう」

 致死量逝きました。
 失血で朦朧とする意識の中で、明日どこ行くかなぁ、と。
 ……僕って、相当お人好しだよねぇ。





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