※注意!!
この作品は、東方奇縁譚三次創作×フリーゲーム「ゆめにっき」のクロスオーバー作品です。両作品のネタバレが多分に含まれるため、閲覧の際には十分ご注意ください。
また、当作者の前作品である「mogero.txt」の内容を引き継いでおります。そのため、前作を読んでいない場合、不明な内容があります。本作を読む前に必ず「mogero.txt」をお読みください。
ご納得いただけましたら、スクロールして本文へどうぞ。


















































 真っ黒な大地と、真っ黒な空が続く。空には太陽一つ出ておらず、明かりとなるものは何一つない。
 それでいて、視界にちらりほらりと点在する建物は、それ自体が光っているわけでもないのに、くっきりと姿が見えた。
 建物にしても、窓や建材そのものの凹凸が存在せず、のったりとしたブロック状であったことから、これが夢であることは一目瞭然だった。

「あー……、まーた水穂の仕業か」

 夢を見ているとはっきり分かる夢。一般に明晰夢と呼ばれる現象だが、僕はこれがおそらくは同居人の悪戯だろうと当たりを付けていた。
 獏良水穂(ばくらみなほ)。人の夢の中に棲み、人の夢を喰らう妖怪、獏の少女だ。
 ちょっとした事件がきっかけで僕の家に居候することになった彼女は、時折こうやって僕に悪夢を見せて悪ふざけをする。
 今までに見せられた悪夢は、きっかけとなったアッーな夢に始まり、下着ドロの冤罪で追われる夢や、某生物災害ゲームさながらの街中をナイフ一本で切り抜ける夢などがある。どれも「これが夢だ」と気付いたときには、ホッとしたものだ。
 最近では僕も耐性が付いてきたらしく、夢だと気付くまでの時間が短くなっている。そのため、水穂の悪戯は失敗することが多くなっていた。
 気が付いたときにすぐに夢だと分かったのは初めてだが、正攻法では効かなくなった僕に、別の方法でも試す気だろうか。

「考えても仕方ないか。とりあえず、犯人でも探すか」

 やれやれと後ろ頭をかきながら、僕は明瞭な闇の中を歩き始めた。



 水穂を探す、とは言ったものの、夢の中において水穂は不定形だ。現実では手乗りサイズの幼女だが、ここではどんな姿を取っているか分からない。
 前述の夢の場合だと、僕を襲ってくる男になっていたり、警官の役だったり、お助けキャラの振りをしていたり。容姿も体格も性別も、彼女からは想像も出来ない姿になっていたりする。
 とにかく、怪しい人物を片っ端から調べる必要がある。これが結構骨なんだ。
 ……もっとも、この夢はどういうわけか人の気配がしない。辺りに広がるのは、黒い地面とブロックの建物だけ。まず人に出会うこと自体が大変だ。
 そもそも、ここに人の姿をしたものがいるんだろうか。今まで水穂は、基本的に人間の姿を取っていたから、「夢の中では人の姿になる」とばかり思っていたが、ひょっとしたらそれ以外にもなれるかもしれない。その可能性は多分にある。
 もしそうだとしたら、調査の対象範囲が一気に広がる。この無数に点在するブロックも調べなきゃいけないことになる。

「うへぇ、それは勘弁だなぁ……」

 想像しただけでやる気が萎える。それなら僕は向こうから仕掛けてくるのを待つぞ。
 とりあえず、今は不自然な場所だけを探そう。そう心の中で折り合いをつけ、この不自然しかない空間の中を歩き続けることにした。

「ん?」

 と、ふと視界の端に何かが映った気がした。黒い地平と青白のブロックの中に、暖色系の何かが。
 そちらを振り向くと、しかしそこには何もなかった。気のせいかなと思いつつも、そちらの方へ向かう。
 ある程度近くまで行くと、ブロックの建物の間に、小道のようなものがあることに気が付いた。
 短い思案。不自然な場所は他にはないわけだし、僕は小道の中に入って行くことにした。
 小道に入ってすぐ、左手にちょっとした空間を見つけた。そこに、この世界には不釣り合いな物があった。

「帽子……と、マフラー?」

 それは茶色のニット帽とマフラーだった。雪の中を歩くときに着けるような。
 何でこんなものがこんな場所に。しかも、地べたに無造作に置かれていた。
 夢に理由を求めること自体がナンセンスかもしれないが、あまりの関連性のなさに違和感を感じた。
 感じはしたが、だから何が違うかを言葉で説明できるわけじゃない。気持ち悪いモヤモヤがあった。
 まあとにかく、手がかりらしきものを見つけたわけだ。僕は帽子とマフラーを持ち上げ、代わる代わる眺めてみた。

「おーい、水穂。隠れてるなら出てこーい」

 声をかけてみる。が、応答は一切なかった。怪しいだけの外れだったようだ。
 肩を落とし、両手の物を元あった場所に戻す。



 カタン。

 その時だった。僕の背後の方――小道の先の方で、何かの音がした。
 帽子とマフラーを置くために屈んでいた僕は、そのまま首だけをそちらに向けた。だが、見えるものは一切なし。
 ……聞き間違いか? いや、そんなはずはない。あそこまではっきり聞こえたんだ、間違いなく何かがある、もしくはいるはずだ。
 確かめよう。そう思って、僕は立ち上がり、小道の先へと歩を進めた。
 小道は一本道ではあったが、折れ曲がりが多く、壁に遮られて先が見えなかった。そのため先に何があるのかは分からなかったが、僕が追っているものが移動しているということは確信できた。
 ひょっとしたら、それが水穂かもしれない。その考えが、僕の歩みを速まらせた。
 右に曲がり左に曲がり、また左に曲がって右に曲がり。ようやく小道の出口が見えた。
 さすがにあそこまで出れば、隠れる場所はないはず。僕は逃げる「何か」を視界に収めるべく、小道を抜け出した。

「あ、あれ?」

 しかし、そこには何もなかった。いや、相変わらずブロックの建物は点在しているが、不自然なものは一切存在しなかった。

「……おかしいなぁ」

 そんなはずはないのだが。物音を立てた何か、あるいは誰かがいるはず。けれど、実際目の前には何もない。
 ……やっぱり、気のせいだったのかなぁ。僕は困惑紛れに頬をかいた。
 と。

「ん? あれは……」

 それが目当てのものかどうかは分からないが、建物の端に何かがあった。
 近付くと、それはまたしても帽子とマフラーだった。……透明な何かが身に付けているかのように、宙に浮いてはいたが。
 本格的にこの夢の意味が分からなくなってきた。これは空飛ぶ帽子とマフラーなのか、それとも帽子とマフラーを身に付けた透明人間なのか。そもそも何でブロックだらけの世界に帽子とマフラーだけが存在するのか。

「とりあえず、調べてみよう」

 考えれば考えるほどどつぼにはまりそうなので、調査を優先することにした。結局のところ、透明人間なのかそうでないのか。僕は帽子に手を触れた。
 その瞬間だった。

「あ……れ?」

 ぐるりと視界が回転する。目の前の映像がにじみ、再び正常に戻ったときには、風景ががらりと変わっていた。
 ここは……ブロックの上?
 見れば、僕はいつの間にかブロック状の建物の上に移動していた。黒い大地とブロックの建物の群れが、遠くまで良く見えた。
 あの帽子とマフラーに触れたことで、ここまで移動したんだろうか。よく分からないが、とりあえずあれは透明人間だったような気がする。頭に触れた感触があった。
 となると、もう一度あの透明人間を探して、しっかりと調べなければ。ひょっとしたらあれが水穂かもしれない。
 僕は視界をぐるりと巡らせ……透明人間は僕のすぐ近くにいた。どうやら一緒に移動してきたようだ。

「……えー」

 探す手間が省けたのはいいんだけど。何なんだろう、この納得行かない感。
 と、とにかく、この透明人間を調べよう。それで、ひょっとしたら何かわかるかもしれない。
 ……どうやって調べよう。下手に触れて、また変なところに飛ばされるのも嫌だしなぁ。

「……出来るかどうか分からないけど」

 展開する『場』のイメージを広げ、透明人間を僕の領域の内側に入れる。
 そして、「透明が不透明になる」ように意識する。どうやらそれは上手く行ったようで、透明だった人物は徐々に輪郭を映し出して行った。
 それは、防寒具を身に付けた、見た目10歳前後の、ショートカットの女の子だった。
 彼女は、近くにいる僕には一切頓着せず、遠くを見ながらブロックの上をうろうろと歩いていた。
 それが無意識的な行動なのか、それとも意図的に僕を見ていないのかは分からない。だから、まず呼びかけてみることにした。

「やあ。君が僕をここまで連れてきたのかい?」

 返事はなし。まるで僕の声が届いていないかのようだった。
 手を鳴らしてみる。目の前まで行って手を振ってみる。耳元で大きな声を出してみる。
 しかし、そのどれにも彼女は反応を示さなかった。まるでRPGのNPCのようだ。
 少なくとも、これが水穂でないことはわかった。もし彼女なら、これだけやれば何かしらの反応は隠しきれないはずだ。
 手がかりゼロ。本当にどうしたものかと、肩を竦めた。

「……つ……」
「……ん?」

 何処を探したものかと考えていると、透明人間の少女の口から、何かの音が漏れた。

「今、何か言った?」

 尋ねてみる。やはり無反応だったが、よく見れば彼女が何事か口を動かしていることが分かった。
 これは……何かをしゃべっている。その声があまりにも小さく、聞き取れないが。
 僕は彼女の口に耳を近付け、何を言っているのか聞き取ろうとした。
 か細く、途切れ途切れの言葉。しかし、繰り返し言っているそれが何なのか、かろうじて聞き取ることが出来た。

「まどつき……」

 「まどつき」と、そう言っていた。
 まどつき――「窓付き」だろうか? その言葉が意味するところが何なのかは分からないが、少女はしきりに「まどつき」という言葉を繰り返し、それ以外を言う気配を見せなかった。
 「窓付き」。その言葉が、この夢を解き明かす鍵かもしれないな。

「分かったよ、ありがとう」

 聞こえているとは思わなかったが、僕は彼女にお礼をした。当然、無反応だったが。



 一つの手がかりらしき物は手に入れたが、相変わらず水穂の行方は知れない。
 さっきの物音にしても、あの透明人間の子を見つけはしたが、彼女が立てた音とは限らない。あの様子からして、そうでない可能性の方が高いだろう。
 となれば、この右と左が分からなくなるような世界を探索し続けなければならない。……やる気が削がれるなぁ。

「まずは下に降りて――と」

 ブロックの上から下に降りようとして、ふとあるものに気付いた。
 下からだと見えないだろうが、このブロックの上にはモニュメントのようなものがあった。
 何かの顔をかたどっているような、白い針金のようなもので作られた奇妙なモニュメント。これもまた、ブロックだらけの世界の中では異質に見えた。
 周囲のブロックの上を見ても、同様のものはない。ここだけだ。

「これも、調べた方がいいかな」

 降りるのをやめ、再びブロックの中央に向かう。目の前に立つと、それは僕の身長の倍ぐらいの高さがあった。
 裏に回ったり、下から眺めてみたり、空を飛んで上から見てみたりしたが、この場所にあるということと、不可思議の造詣を除けば、特におかしな点はなかった。
 ――しかし、本当にこの夢は何なんだろう。抽象的なブロックだらけの不気味な世界だし、あるものは帽子とマフラーと透明人間、それからこの変な物体だけ。
 夢というのは、脳が見聞きした情報を整理する間に見る情報の断片だ。水穂が関与しているとは言え、少なくとも僕に因子があったということになる。
 一体何の情報がこの夢につながったのやら。思い当たる節を探しながら、僕はモニュメントに手を触れた。

 瞬間、またしてもぐるりと視界が回転する。これもか!
 まるでトラップだ。一体今度は何処に飛ばされるのか。

「……って、こりゃまた随分と」

 飛ばされた先は、僕の想像していたものとは大きくかけ離れていた。当然、あのブロックだらけのどこかに飛ばされるものだと思っていた。
 しかし、夢というのはそう容易く予想が付けられる内容にはなっていない。
 そこは、先ほどの黒い大地ではなく、真っ白な落書き帳のような世界だった。本物の落書き帳よろしく、当たりの風景はぐにゃぐにゃと歪んだ線で描かれている。
 随分と、理解不能で不気味な世界だと、そう思った。
 後ろを見る。そこにあったものを見て、思わずギョっとした。
 顔だけの怪物――某歌のお姉さんが生み出したクリーチャーのようなものが、そこに生えていた。こちらに向けて大口を開いて。
 思わず後ろに飛び退いたが、それは動く気配を見せなかった。……どうやら、ただの背景の一部のようだ。
 かと思うと、そのクリーチャーの横には手首が生えており、指をわきわきと動かしている。
 害はないと分かったが、生理的嫌悪を感じ、僕はそこから離れることにした。落書きのような、歪んだ地面を歩く。
 そうしているうちに、僕の中の違和感はどんどんと大きくなっていった。
 先にも述べたように、夢とは記憶の断片により構成されている。つまり、この世界が表現する「何か」は、僕の記憶に由来しているはずだ。
 なら、このわけのわからない世界を見て、僕は何かを思い起こさせられなければならないはずだ。ところが、そんなものは一切なく、僕の感想はただただ不気味だというばかり。
 そうだ、この夢はあまりにも僕の在り様からずれているんだ。それが違和感となって頭の中でくすぶっていた。
 水穂が見せる悪夢は、基本的に僕の記憶が元になっている。それは獏が「夢を喰う」妖怪であり、「夢を作る」妖怪ではないからだ。
 実際に夢を喰われたことは一度もないが、今までこのルールを外れたことはない。水穂の口から聞いたことだし、悪夢自体は僕の物であるということは絶対法則のはずだ。
 もう一つ。僕はこの夢を見始めてから、まだ襲われていない。
 これも獏の「夢を喰う」という性質に起因していることだが、その悪夢は襲われなければならない。
 襲い、追い詰め、心を折る。そうして初めて、獏の夢喰いは成立する。
 あくまで「まだ」なだけかもしれないが、少なくともここまでは「獏の悪夢」にはなっていない。これもまた、おかしな点だ。
 違和感はある。だけど、だから何だという結論は、今のところさっぱり見えてこない。
 今までの水穂の悪戯からは大きくずれていることは確かだけど、それでもやっぱり他の要因は思い浮かばない。だから僕は、相変わらず水穂を探して歩くことしかできなかった。

「ん?」

 そうやって、どれぐらい歩いただろうか。何処をどう歩いたかも覚えていないが、目の前に怪しげな洞窟が現れた。
 背景と同じく、子供の落書きのような歪んだ線で形作られた洞窟。けれど、白い大地の中で唯一と言っていいほどの建造物だった。
 他に怪しいものは見つけられていない。例によって例の如く、僕は入って確かめることにした。

 中は真っ暗だった。――いや、それは正しい表現ではないかもしれない。
 先のブロックの森のように、空も大地も真っ黒け。そして光源が存在しないにも関わらず、僕の姿ははっきりと映し出されていた。
 白に黒の線で描かれた世界から、黒一色の世界へと飛ばされた。洞窟のサイズからは想像も出来ないほど、広大な空間が広がっていたのだ。

 そして、その中で異彩を放つものが、そこにはあった。
 あった、というのは正しくない。それは物ではないのだから。
 思えば、人の姿をしたものに出会うのは、これでようやく二度目だ。もっとも、先に出会った少女は透明人間だったから、最初から人の姿を見せているのは、この子が初めてだ。
 それは、一人の少女だった。髪を二つ三つ編みにして両サイドから垂らした、桃色の服に茶色のスカートを着た少女。身長からして、歳は11、2と言ったところか。
 少女は、こちらに背を向けて立っていた。



 血に濡れた包丁を片手に、血の海に沈む白黒の少女を眺め下ろしながら。

「……ッ!!」

 目の前に広がる思わぬ光景に、僕は息を飲み、後ずさった。
 僕自身は何度も殺されており、不本意ながらそのことにもだいぶ慣れてきている。
 だが、人が殺されるのを見るのは――たとえこれが夢の中とは言え――恐怖を感じずにはいられなかった。
 思わず後ずさりをする。そのときにジャリという音が立ち、少女がこちらを振り向いた。
 彼女の目を見て、僕はゾッとした。
 見立て通り小学生ぐらいだろう、幼い顔立ち。少々失礼かもしれないが、決して美少女というわけではない、目立たなそうな顔をしている。
 目は非常に細く、よく見なければ閉じていると勘違いしそうなほどだ。
 そして、そのわずかに開かれた目から見える瞳は、絶望を映し出すかのように、ただひたすら黒く淀んでいた。
 彼女と目が合った瞬間、憎悪という憎悪が流れ込んでくる。そんな錯覚を覚えた。

「や、やぁ」
「……」

 苦し紛れに吐き出した言葉に、反応はなかった。少女は、ただ黙って僕の方を眺めていた。
 ただ見合っているだけなのに、睨み合いのような緊張感を感じていたのは、僕だけだろうか。

 やがて、少女の方が動いた。左手に持っていた包丁を右手に持ち替え、それに左手を添える。

「ちょっ!」

 それが意味するところを理解し、僕は硬直が解けた。すぐさま反転し、走り出す。
 少女は僕の後を追ってきた。そのスピードは、およそ小学生ぐらいの少女のものとは思えなかった。
 考えてみれば当然だ。ここは夢の中、現実の法則は適用されない。……何故か僕は、現実そのままの力しか出せないけど。
 僕が逃げ、彼女が襲う。違和感のうちの一つが解消されたようだ。

「み、水穂! もうネタは割れてるんだ、諦めろ!」

 逃げながら、僕は少女――恐らくは水穂が化けているであろう彼女に向けて、言葉を投げかける。
 少女は立ち止まった。それを確認し僕も止まり、彼女の方を振り返る。
 少女は狼狽して……はいなかった。包丁を片手に、可愛らしく小首を傾げていた。
 この反応は……水穂じゃ、ない?
 止まったのはほんの数秒だった。少女は一つ頷くと、再び包丁を構えた。

「だ、だからっ!」

 包丁はやめて! 叫び、僕も再び逃げ出した。そして繰り返される、夢の中のデッドヒート。
 別に包丁で刺されてもすぐに治るし、そもそもここは夢の中。別に逃げる必要はないのかもしれないけど、それと恐怖は別腹というものだ。
 そんなわけで、僕は大人気もなく全力疾走で逃げ回るのであった。



 走る間に風景が変わる。白黒の世界だったのが、いつの間にか樹海のような場所に出ていた。
 その中に一本、道路がある。僕達はその上を走っていた。
 少女が僕を刺そうとするのを止める気配は一向になかった。それどころか、僕に対する集中がより強まっているような気さえする。
 あの少女は、一体何なのか。彼女には、何らかの意志があるように感じられる。これが夢の中であるにも関わらず、だ。
 考えてみれば、今まで夢の中で意志を持って行動していたのは、基本的に僕自身と水穂が化けた存在だけだった。夢が僕の無意識で構成されている以上、それは当然のことだ。
 あの透明人間の子のように、無意識的であることの方が、夢の中の存在としては圧倒的多数だ。あれは顕著過ぎたが。
 もちろん、意志を感じる気がするだけで、あれが僕の無意識の産物である可能性もある。けれど、そう考えるのは腑に落ちないものがあった。
 じゃあ何なのかと聞かれたら、僕に答える術はない。そもそもが夢には理不尽な謎が多いものなんだから。
 逃げながら、今の状況を必死で整理する。打開策を講じるために考えていた。

 突然、見えない壁に阻まれたように何かに激突した。それで僕の動きが止まってしまう。
 な、なんだ!? 手で触れてみると、そこには何もないにも関わらず、曲面状の遮蔽物の感触があった。
 立ち止まってしまったということは、追いつかれるということ。慌てて後ろを振り返る。
 だが、すぐそこに迫る身の危険はなかったようだ。そこに広がっていた光景は、僕が予想していたのとは違っていた。
 まず僕を追っていた少女だが、いつの間にか信号機のような着ぐるみを身に纏っていた。それが、赤いランプを点灯している。
 そして少女もまた、見えない壁に阻まれていた。困惑気味にそれに触れている。
 見えない壁。赤信号。半円状の領域。
 もしかしてと、僕は自分自身の展開する世界に意識を集中してみた。すると、世界の中心が僕から離れた位置にあることに気が付いた。
 つまり、僕がぶつかったのは、本来僕が触れることは出来ないはずの、僕の世界の終端。ある瞬間から、僕の世界の動きが停止してしまったということだ。
 そしてその瞬間とは恐らく、少女が信号機の着ぐるみを着て、「赤信号」にした瞬間。その瞬間に、僕の世界の内側と外側の何かが食い違ったんだ。
 赤信号の意味から推察するに、それは多分「時間」。彼女は赤信号にすることで、夢の世界の時間を止めたんだ。
 だけど、僕の世界だけは僕に準拠する。赤信号で止まることはなく、しかし夢の世界自体は動けないから、僕の世界が動くことも出来ない。
 結果、僕の行動半径を制限するとともに、外からの侵入も不可能な壁が形成されたということだ。
 推察し、多分これだろうという答えを得た。そして、同時にあることに気付く。

「……なんてこった」

 その事実は想像だにしていなかった。けれど、これで僕が感じていた違和感の全てが解消されてしまう。

 この夢は僕のものじゃない。もちろん、水穂の夢でもないだろう。
 少女が信号機の着ぐるみを消す。そこで僕は初めて彼女の胸のところに刺繍されたマークに気が付いた。
 僕がこの夢を解き明かすヒントとしたあの言葉。それを表すマーク。
 彼女が、きっと――

「まど、つき?」

 その言葉を口にすると、少女はビクンと体を震わせた。その反応で、僕は確信した。
 この夢の主は彼女――窓付きだ。でなくて、どうしてこの夢を操ることが出来るだろうか。
 それに、この夢の世界に満ち溢れた狂気――ああ、狂気という言葉がしっくりくるな。それは、最初に見た彼女の瞳に通じるものがあった。
 つまり、何の因果か、僕は窓付きの夢の中に迷い込んでしまったということだ。そして、彼女からすれば、僕は心の中に侵入した外敵だ。
 だから彼女は僕を追い回していたのかと、合点が行った。
 しかし当の彼女は、既に時間の壁は消えているというのに、じっと立ち尽くしたままだった。心なし、包丁を持つ手が震えてる気がする。
 「窓付き」という言葉を出されたのが、そこまでショックだったんだろうか。
 彼女が追うのを止めたことで、僕も逃げるのを止めた。じっと少女を見つめ、僕もまた立ち尽くす。

 カランと、少女の手から包丁が滑り落ちた。その音で、ついビクっとしてしまう。
 窓付きはそのまましばらく佇んでいたかと思うと、ゆっくりとした動きで、その場に体育座りをしてしまった。
 ……えーっと、これはどういうこと?
 にじりにじりと、ゆっくり近づいてみる。それでも窓付きは動きを見せなかった。ただ体育座りをしているだけだ。
 本当に僕を刺そうとするのを止めたみたいだ。それを理解し、僕はようやく安堵のため息をついた。
 窓付きと1mぐらいの距離を置いて、僕もまた座った。目線が窓付きに近くなる。
 彼女は、顔をスカートにうずめていた。泣いているようにも見えたが、嗚咽も震えもない。
 僕はどうすればいいか分からなかったので、しばらくそのまま、窓付きを見ていた。



「あー、いたいた」

 どれくらいそうしていただろうか。それほど長い時間ではなかったかもしれない。
 後ろに降りてきた気配と、僕にかけられたその声に、僕が何を探していたのか思い出した。
 僕の夢を喰おうとしたわけじゃなかったみたいだけど、やっぱり何かしらの関与はしてたみたいだな。

「探したぞ、水穂」
「それ、こっちの台詞。全くもう、着いてくるなんて信じらんない」

 振り返ると、そこには通常の人の大きさとなった獏の少女がいた。
 暗い夢の中を歩き回った後だったからか、見慣れた明るい琥珀色の目を見るのも、何となく安心出来た。
 しかし、ちょっと聞き捨てならないこと言ったな。「着いてくる」ってことは、水穂は窓付きの夢を喰いに来たってことか?

「そりゃ、ボクは獏だからね」
「だからって、小学生ぐらいの子に手を出すなよ。お前の悪夢は僕でも怖いんだから。可哀そうだろ」
「あーら、良也はボクの夢で怖がってくれてたんだ。こりゃいいこと聞いちゃった♪」

 ……迂闊なこと言ったかもしんない。
 別にいいからな? 今後本気とか出さなくていいからな? フリじゃないからな?

「それはともかくとして、早くこの子を解放してやれよ。すっかり怯えちゃってるじゃないか」

 水穂が現れたというにも関わらず、相変わらず顔を上げない窓付きを見やり、訴えた。
 だが、水穂は神妙な顔つきになり、首を横に振った。

「違うんだよ、良也。今回ボクは、夢に忍び込んだこと以外、何もしてない」

 何もしてない、って……こんなに不気味で奇怪な夢なのに? こんな小さな女の子が見たら、一生もののトラウマになりかねない夢が、窓付き自身の見ている夢だっていうのか?

「正直、ね。素でこんな悪夢見られてたら、獏も商売上がったりだよ」
「マジかよ……」

 一体この子は、どんな経験をしてきたっていうんだ。
 夢診断というのがあるが、これもある意味そうか。窓付きの将来が心配になってきた。
 そして当の窓付きは、目の前で会話する僕たちには一切関せず、ただ顔を伏せるばかりだった。
 最初は泣いているのかとも思ったが、その姿は眠っているようにも見えた。夢の中でさらに眠ることは出来ないというのに。
 ……ひょっとしたら、これは窓付きなりの防衛反応なのだろうか。これ以上眠ることの出来ない夢の中で、何も考えることなく、ただじっとしている。そうやって、嫌なことが過ぎ去るのを待っているんだろうか。
 とりあえず分かったことは、僕も水穂も、彼女にとって快い存在ではないということだ。

「とりあえず、この夢から出よう。案内頼めるか?」
「これじゃ食事どころじゃないから、しょうがないね」

 彼女を一人にすることに、多少の不安はあるものの、他に取れる手段はない。僕は水穂の案内に従い、空を飛んで樹海を抜けた。

 最後に、窓付きが顔を上げて、こっちを見たような気がした。





 空の抜け穴から夢を出て、僕は目を覚ました。外は暗く、時計を見たら午前2時を差していた。
 長い時間を過ごした気がしたが、それはあくまで夢の話。現実では眠ってから3時間も経っていなかったようだ。

「水穂」
「ほいさ」

 呼びかけると、テーブルの上のかごの中から、手乗りサイズの水穂が飛び出してきた。一応、あれが本当の意味でただの夢でなかったことを確認しなきゃ。

「今の夢は……」
「間違いなく、あの子の夢だよ」

 やっぱり、他人の夢に入り込んでいたのか。ただの夢だった方が気楽だったかもしれないな。
 あの子――窓付きの夢は、小学生ぐらいの子が見る夢にしては、あまりにも不気味だった。僕にとって、悪夢と呼ぶに十分相応しいものだ。
 そんな夢を見る窓付きの心の中は、一体どういうことになっているのか。何もなかったことにするには、少々事が重すぎた。

「そういえば、僕を見つけるまで、お前何処に行ってたんだ? 窓付きの側にいたわけじゃなかったみたいだし」

 ふと、あの夢を振り返って気になったことを尋ねてみた。
 窓付きの夢を喰おうとしていたのなら、窓付きの側にいなくてはならないはずなのに、水穂は何処へ行っていたのだろう。

「最初は、あの子の近くにいたよ。どうやって怖がらせてやろうかと思って観察してたんだ。けどさ……」

 水穂が逆に驚かされてしまったのは、あの樹海での出来事だったという。
 あの道路の一角で、窓付きは交通事故にでもあったような死体に出くわした。
 それを見た窓付きは、年頃の少女らしく恐怖におののく、というようなことはなかった。ただ風景を眺めるかのように、死体を眺め下ろしていた。
 その反応を訝しく思って、水穂は少し窓付きに近づいた。
 次の瞬間、窓付きが突然包丁を取り出し、死体を滅多刺しにし始めたのだそうだ。

「何がなんなのか分からなかったよ。悪夢とは言え、自分の夢の一部を凌辱するなんて、狂ってるとしか思えなかった」

 夢の持つ意味については、僕よりも水穂の方がはるかに知っている。その行為は、彼女からすればあり得ない行為だったそうだ。

「それからボクは、あの子の夢を探索することにしたんだ。……ところで、良也はあの子の夢、何処まで見た?」
「え? えーっと、最初に気が付いたのはブロックがいっぱいあるところ、それから白黒の落書きみたいな世界に飛ばされて、そこであの子に会ったんだ。で、その後は追われて樹海へ……」
「そっか。まだマシなところだけを見たんだね」

 ……あれでマシだったのか? 少なくとも、白黒の世界に関しては狂気を感じたぞ。

「あの子の夢は広かったよ。色んな世界があって、それぞれがつながってた。全部行けたかは分からないけど、20ぐらいの世界に行ってきた」

 20って……とんでもない数だな。一人の人間が見る夢の中に、一度にそれだけの世界が存在してるなんて。
 それとも、あの子は人間じゃなかったのか?

「間違いなく人間だよ。ちょっと調べたところ、多分小学五年生だと思う」
「今時の小学生はハイスペックだな……」

 この場合、廃スペックかもしれないが。何せ夢の中だからなぁ。

「まあ、ただの人間ではないかもしれないけど。ボクの食指が動いたんだから、ひょっとしたら霊能力の素質はあるのかもね」
「なるほどな。で?」

 少し脱線した話を元に戻す。今は水穂があの夢の中で見たものの話だ。
 その時のことを思い出しているのか、水穂は表情を暗くした。

「中には明るい夢もあったけど、全体的に陰惨だったよ。大量の目玉が転がってる世界とか、ギロチンだらけの世界とかね」

 それは、確かに気分が悪くなりそうだ。そんな世界を見ないで済んでよかった。
 水穂は話を続けた。

「その中で一番酷かったのが、『原初の絶対恐怖』と『悪意の無間地獄』」
「それって一体?」
「ボク自身、そうとしか言い表せないんだよ。……思い出しただけでも怖気がする」

 言う水穂の顔は青かった。これ以上聞くのは酷だな。僕は「もういいから」と、水穂の想起を中断させた。
 とりあえず、水穂がここまで恐怖するぐらいのものが、窓付きの夢の中にはあったということだ。
 だから水穂は、窓付きの夢を喰うことを諦めた。自分の与える悪夢程度じゃ、窓付きは恐怖しないから。
 それからしばらくして、彼女の夢の中にいるはずのない僕の気配を感知し、あの場へ現れたのだそうだ。
 これで水穂の話はおしまい。

「それで、良也はなんであの子と一緒にいたの?」

 今度は僕が説明する番だ。僕は、あの夢の中で起きたこと、水穂を探していたこと、その過程で窓付きに出会ったことを説明した。
 窓付きに追われたことを話したあたりで、水穂が一言差し挟んだ。

「何て言うか、間抜けだねぇ」

 呆れたように、水穂は首を横に振った。……どういう意味だよ。

「良也は空飛べるじゃん。人は夢の中だからって自由に空を飛べるものじゃないんだから、空に逃げちゃえば楽だったのに」
「む……それはそうだけど」

 あの時はそれどころじゃなくてすっかり忘れてたんだよ。そう言ったら、「だから良也は良也なんだよ」と言われた。
 僕の名前を「バカ」と同じような意味で使わないでいただきたい。

「それで、僕が「窓付き」って言ったら、ああなっちゃったんだ」
「窓付き? 何それ」
「ブロックの世界で透明人間の子が言ってた。多分、あの子のあだ名かなんかじゃないかな」

 そこまで言って、ふと思った。何故あの子は、自分のあだ名(恐らくだけど)を言われただけで、あそこまで過剰な反応を示したんだろう。
 そのおかげで「窓付き」という言葉の意味は推察できたんだけど、裏の意味は分からなかった。

「服に窓の刺繍があったから、多分そこからついたあだ名なんだろうけど」
「窓付き、まどつき、マドツキ……うーん、何なんだろうね」

 水穂も窓付きの反応の理由は分からないようだ。しょうがない、このことは一旦置いておくことにしよう。
 とりあえず、お互いが出せる情報は出尽くしたかな。



「それで、良也はあの子――窓付きをどうしたいの?」

 話が一区切りし、一息ついたところで、今度は水穂から僕に切り出された。

「どう、って、何が?」

 突然問いかけられたため、僕は水穂の言わんとするところがよく分からなかった。
 僕自身としては、他人の夢の中に放り出されて、あまりに異質な内容だったために、同じ夢の中にいた水穂の話を聞きたかっただけだ。
 僕はそう思っていたんだが、水穂の目にはそうは映らなかったようだ。

「何て言ったらいいのかな。ボクには、良也が窓付きにシンパシーを感じてるように見えるんだよ」
「窓付きに、シンパシー? おいおい、僕はそんなに悩んでることなんかないぞ」
「そういう意味じゃないよ。窓付きは、良也と同じ臭いがしたんだ」

 僕と同じ臭い?

「そう、天性の引きこもりの」

 おいこらてめえ。
 いや確かに僕の能力は「自分だけの世界に引き篭もる程度の能力」だよ? だけど、天性の引きこもりと言われるのはお門違いだ。さすがにそこまで外部との交流を遮断してはいない。

「自覚がないんだもんなぁ、良也は。夢の中にまでパーソナルスペースを持ち込んでる良也が、自分の世界の外に出たことあるわけないじゃん」
「いやいや、この能力に目覚める前はそんなことなかったはずだぞ」
「だとしても、潜在的には持ってたはずだよ。だったら、結局同じことじゃない?」

 ……否定は出来ないかもしれないけど、何か納得行かなかった。

「窓付きは、きっと良也と同じだよ。良也が自分の世界に引き篭もっているように、あの子は夢という自分の世界に引きこもってるんだと思う」

 水穂は、そのことを確信しているように断言した。
 実際のところどうなのかは分からない。今は夜だから、普通なら眠っている時間だ。なら、夢を見ていることだって、別に不思議なことではない。
 だけど、何故だか水穂の言っていることが、真実を射ているような気がする。本当に理由は分からないけど、直感的にそう思った。
 ――ああ、だから水穂が「僕が窓付きにシンパシーを感じてる」って解釈するのか。なるほど、道理だ。
 そうは言うけれど。

「それが真実だったとして、どうしたいって言われても。僕に当てはめたって、「能力を捨てろ」なんて言われたくないし、そっとしておくのが一番なんじゃないかな?」
「……これだから良也は良也なんだよ」

 だから僕の名前をバカと同義に扱うなと。

「さっきも言ったけど、窓付きは自分の夢を凌辱――言い換えれば、自分の世界を自分から壊してたんだよ? まともな精神状態だと思う?」
「それは……。けど、それも深く考えすぎなんじゃないのか? 僕だって、悪夢で襲われたら抵抗するぞ」
「そんな普通のことと比較しないで。去り際に見たあの子の姿を思い出して」

 あの時、窓付きは……顔を伏せていた。だから、彼女がどう感じていたか、それを判断することは難しい。

 だけど。
 何を感じていたかは分からないけど、少なくとも窓付きが全てから目を背けていたということは分かる。それこそ、自分自身の世界からも。
 何故かは分からない。そして、今それは重要なことではない。
 大事なのは、窓付きが自分の世界――もし水穂の言葉が真実だったとすれば、自分の落ち着ける場所であるはずの夢の中さえ捨てようとしているということ。
 そして思い出す。僕たちが空へと去ったとき、窓付きがこちらを向いたような気がしたことを。
 既に遠く離れていたため、顔は分からなかった。けれど、窓付きは確かに動いていた。
 もし、彼女がこちらを向いていたとしたら。

 それはひょっとしたら、見ず知らずの僕達への、窓付きなりのSOSだったのかもしれない。

「……水穂。窓付きの家の場所分かる?」
「え? えーっと、うん、多分。方角と距離だけなら」

 よし、行こう。

「行こうって……まさか」

 水穂が驚いて声を上げる。そのときには、僕は既にジャージに着替え始めていた。
 行先は勿論。

「現実の、窓付きのところだ」





 水穂に案内されて着いたところは、二つ隣の町だった。この近所ではそれなりに発達している、高層住宅群が乱立しているところだ。
 その中の一つの高層マンション。恐らく20階ぐらいはある建物が、窓付きの家だろうということだった。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 後ろから着いてくる水穂が、息を切らせながら声をかけてきた。どうやら、自分でも知らず知らずのうちに速度を上げていたようだ。
 いや、そもそも空を飛んでやってきた時点で、僕は急いでいたか。けど、じっとしてはいられなかったんだ。
 水穂に言われ、僕はしばらく停止する。数秒あって、ひぃひぃと荒い息をしながら水穂が追い付いてきた。

「案内しちゃったけどさ……、本気で乗り込む気?」
「乗り込むって。別に妖怪の本拠地とかに入るわけじゃないんだから、そんな大げさな」
「こんな時間に人様の家に入ろうっていうんだから、乗り込むで合ってるよ」

 まあ、そうかもしれない。勢い任せに出てきちゃったけど、実はどうやって窓付きの家に入ろうか考えていなかった。

「全くもう……。別にこんなところまで来なくても、もう一度窓付きの夢の中に行けばよかったじゃん」
「けど、それだと何かあったときに対処できないだろ?」
「何かって何よ」

 そりゃまあ、何もないに越したことはないけどさ。けど、もし水穂の言う通りだったとしたら、そんな甘い考えは通用しない。
 水穂は、夢の分析には強いかもしれないけど、人間というものを理解しているわけじゃない。人間の脆さを、理解していない。
 だから、たとえ直接窓付きと話が出来なかったとしても、ここに来る意味はあった。
 目的のマンションの前に着き、僕達は地上に降りた。そして適当な段差に腰掛ける。
 これで準備はOKだ。

「? 窓付きの家に行くんじゃないの?」
「入り込む方法が思いついたらそのつもりだったけど、結局いい手が浮かばなかったからさ」

 僕の考えが読めなかったらしく、水穂は怪訝な表情をした。まあ、説明は後でしてやる。

「とりあえず、窓付きの夢まで案内よろしく」
「結局夢の中に行くだけ? わけわかんない……」

 「まあいいや」と考えることを放棄し、水穂は幻のような緑色の炎に包まれた。やがて、炎は水穂そのものとなる。
 そして、それは僕の胸の中に吸い込まれた。すぐさま強烈な眠気がやってくる。
 そのまま、水穂に案内されるままに、僕は意識を手放した――。



 次に僕が意識を認識したのは、暗く狭い部屋の中だった。13個の扉が円状に並んでいる、まるで何かの中心を思わせる風景。
 そして、扉に取り囲まれるように、何かの卵がこれまた円状に並ぶ。数は24個で、それぞれ形や模様が違う。
 異なる扉と異なる卵に囲まれる中央。そこに、二つ三つ編みの少女がこちらに背を向けて座っていた。

「……窓付き」

 音のない、僕達以外誰も存在しない世界の中で、少女に向けて静かに呼びかけた。
 彼女は振り向かなかった。けれどピクリとは動いたので、ちゃんと僕の声は届いたようだ。
 この扉は何を意味するのか。扉は、内と外を隔てる壁であり、入口である。
 水穂が言っていた。窓付きの夢は広く、中には複数の世界が存在していたと。
 ではきっと、この扉がその世界への入り口なのだろう。色々な世界に通じる扉があるここは、きっと窓付きの夢の始まりにして中心。
 原点に戻り、彼女は一体何をしていたのだろう。

「窓付き、って呼んでも、大丈夫かな? さっき会ったときは、そう呼んだらびっくりしてたから、さ」

 返事はない。最初会ったときから何一つしゃべらない、無口な少女のままだった。
 否定的な意思は感じなかったので、それを勝手に無言の肯定とみなすことにした。
 では、この卵は一体何なのか。どれも模様が違い、中には大きい物や小さい物、奇妙な形をしたものもある。色もまちまちだ。
 扉のように、卵の意味を解釈する。卵は、生まれてくる命が命になる前の姿。転じて、希望や可能性の象徴となる。
 つまり、この24の卵は、窓付きの希望であり、未来の可能性である。この子は、数多くの可能性に溢れていたということだ。
 過去形なのは、卵が窓付きを取り囲むようにぐるりと存在しているから。そして、希望を前にして、窓付きは座して動かないから。
 きっとこの子は、手放してしまったんだ。自分の可能性を、自らの手で。
 そうすることで、彼女は一体何を示したのだろう。

「さっきはまともに話出来なかったからね。自己紹介するよ。僕は土樹良也。ちょっと離れた町で教師をやってる、見習い魔法使いさ」

 僕の言葉に、窓付きは反応を返さなかった。こちらを振り向かせるために手札を切ったのに、一切動かなかった。
 信用してるしていない以前の問題だ。窓付きは僕に興味を示していない。夢の中であり得ないはずの部外者に対して、考えられる反応じゃない。
 自分の夢を自分で壊す。水穂の言った言葉が、窓付きが手放した希望により現実味を増す。
 自分の未来を手放すなど、余程の理由がない限り、出来ることではないだろう。そしてその余程の理由によって、二つの行動は結び付けて考えられる。
 窓付きはきっと、絶望したんだ。何にかは分からない。だけど間違いなく、世界の全てに絶望した。
 その全てには、きっと自分自身も含まれていた。窓付きはこの夢の殻である自分にすらも嫌悪を感じている。
 そうして自分さえも捨ててしまえば、残るものは何もない。
 ――ああ、だから彼女は、全てをここに置いたのか。自分に何も残さないために。

「……ダメだよ、窓付き。それじゃきっと、誰も喜ばない」

 かける言葉に窮し、僕は早くも本音をしゃべってしまった。子供の扱いには自信あったつもりなんだけど。
 けれど、ごまかしなしの言葉は、窓付きに届くことには届いたようだ。再び窓付きがピクリと反応する。
 窓付きが何をしようとしているのか。それ自体は、この風景を見て確信した。
 一応これでも、僕は弱い人間の側の存在だ。心が折れた人間の行動を読めなくはない。
 全く、ただ寝て明日の授業に備えるだけのはずが、どうしてこんな大事に巻き込まれてしまったのか。内心で苦笑するしかなかった。
 窓付きは、少し反応を見せはしたが、やはり振り返ることはなかった。

「自分に自信を持てとか、そんな僕にも出来ないことは言えないけどさ。それはやっぱり、間違ってると思う」

 再び窓付きの反応。やはり振り向くことはなかったが、彼女はちゃんと僕の言葉を聞いてくれている。
 ありがたいことだ。これで僕の言葉にも耳を傾けなかったら、打つ手なしだった。
 けれど聞いてくれるなら、まだ思いとどまらせられる。

「皆、人それぞれ嫌なこととか苦労とかが色々あって、その中で生きてるんだ。僕にだってある。なのに、窓付きだけ逃げるなんて、それはずるいことだよ」

 「ずるい」、か。我ながら変な表現が出てきたと思う。その行動を「ずるい」と思う人間は、健常人にはまずいないだろう。
 僕は健常人だと思うけど、人とは決定的に違うことがある。言うなれば、健常過ぎることが問題だ。
 僕が決して到達することのない境地だから、「ずるい」なんて表現が出てきたのかもな。
 そして、この変な言葉は、窓付きに今までより大きな反応を取らせた。少し、首がこちらを向いた。
 もう一押しだ。

「……僕さ。大学生のときに交通事故に逢って、生死の境を彷徨ったことがあるんだ」

 窓付きがさらにこちらを向く。話に興味を持ったようだ。

「僕も、自分がそんな目に逢うなんて思ったことなかったよ。それで、それから僕の生活は激変した。魔法使いになったのも、これがきっかけだね」

 話が脱線しかけた。戻そう。

「僕は運が良かったから、こうして生きている。だけど運が悪かったら、死んでた。僕は今もまだ生きたいと思ってる。だけど、運が悪かったら、ただそれだけで終わってたんだ」

 あの事故の後は本当に色々あった。そのせいで、あの事故で僕が「死にかけた」という意識は薄くなっている。
 だけど、考えなかったわけじゃない。僕の運が悪くて、打ちどころが悪かったら。生霊として幻想郷に行った後、もしも帰れないでいたら。
 それで終わり。幻想郷と外を行き来することもなく、大学を卒業することもなく、教師になることもなく、水穂と出会うこともなく、今こうして窓付きと会話をすることもない。
 そう考えると、ゾッとした。同時に、運良く生き残ったことに、心底感謝した。
 そして、現実にはそうなってしまう人が確実に存在している。本当に、ただ運が悪くて。
 だからさ、窓付き。

「辛いときに泣いてしまうのはいい。こんな風に夢の中で安息を得るのも悪くない。だけど、全てを終わらせるには、まだ早いよ」

 窓付きは、まだ生きてるじゃないか。本当に、ただ運が良くて。

「まだ窓付きの運は尽きてない。こうして、夢の中で引きこもり仲間に出会えたんだから」

 その言葉で、ようやく窓付きはこちらを見た。相変わらず、よく見なければ目を閉じていると錯覚してしまうような細目で。
 「自分だけの世界に引き篭もる程度の能力」。こんな変な名前を与えたスキマに、多分初めて感謝した。
 そして僕は、こちらを向いた窓付きに向けて、右手を伸ばした。

「僕は、君とは結構歳が離れてる。けど、引きこもり同士、きっと上手くやっていけるはずだ。僕は窓付きと友達になりたい」

 差し出した手とともに、そう告げた。
 窓付きは、初めて黒目がはっきりわかるほど目を見開いた。
 そして、ゆっくりと、僕の手を取ろうと右手を上げた。

 けれど彼女が僕の手を取ることはなかった。その手は、中空でキュッと握りしめられた。
 窓付きの顔を見ると、もう彼女はこちらを向いていなかった。下を向き、上げた手も力なく地に落ちる。
 僕は諦めず手を差し伸べた。窓付きがその手を取ることは、なかった。
 やがて窓付きは立ち上がり、僕の方を向いた。



――あ



――り



――が



――と



――う



 決して音はなく、口の動きだけで、彼女はそう言った。
 その直後、窓付きは自分の右頬をつねった。それとともに、彼女の姿が、まるで夢幻であるかのように霞み、消えて行った。
 ……いや、違う。夢幻はこの世界。なら、彼女が消えた理由は――!

「水穂ッ!」
「あいさ、こっち!」

 空を見上げ、叫ぶ。そこに水穂の姿が現れ、僕達を現実へと誘う空色の穴が出現した。
 僕は脇目も振らず、一直線に現実へと向かった。



 暗闇の中から、一瞬で明るいところに飛び出すような感覚。それとともに、僕の意識は現実へと戻った。

「水穂、窓付きの居場所は!?」
「良也の真上、20mぐらいだよ。それで、あの子は何を……って、ちょっと良也!?」

 水穂から窓付きの居場所を聞いてすぐ、僕は空へと向かった。水穂が抗議の声を上げるが、それに構っている余裕はなかった。
 窓付きは、僕の手を取らなかった。僕の言葉は、窓付きの考えを変えるに至らなかったということだ。
 だとすれば、彼女が取る行動はただ一つ。……頼む、間に合ってくれ!!

 そして、僕が空に浮かんだ直後だった。暗い夜空に、月の光を遮る点が現れた。
 点はみるみるうちに大きくなる。僕が上昇するよりも速く、彼女は地面へと落下していた。

「ッ! 窓付きッ!」

 その輪郭が徐々にはっきりする。夢の中で見たそのままの、窓付きの姿を映し出す。
 下から大声で呼びかけたが、彼女はぐったりとしたまま動かなかった。たとえ動けたとしても、空を飛べない普通の人間は、このまま地面に叩き付けられて死ぬだけだ。
 だから僕は、地上8mほどの高さまで上がったところで停止した。上昇を続けたままキャッチしたら、地上に叩き付けられる以上の衝撃を与えてしまうことになる。
 タイミングが命だ。展開する世界を極限まで狭くし、体感時間を普段のさらに倍である6倍まで加速する。そうすることで、既に秒速10mを超した窓付きの体が、コマ送りに見える。
 その体が僕から数十cm上まで到達したところで、僕が彼女に合わせて自由落下を始める。僕の時間にして2秒後、僕の腕が彼女の体に接触する。
 ある程度自由落下したところで、再び上昇方向に力を加えて減速。そうして地面に降り立つ瞬間には、速度を0にした。
 これで、窓付きに外傷はなかったはずだ。

「大丈夫かい、窓付き」

 腕の中に収まった少女に向けて、呼びかける。だが窓付きは、落下中と同じように、ぐったりとしたまま動かなかった。
 窓付きの体を地面に下ろし、脈を取る。ドクンドクンと、ちゃんと命が脈打つ音がした。呼吸も正常だ。
 落下のショックで一時的に気を失っているだけか。僕はほうとため息をつき、胸を撫で下ろした。
 とりあえず、目下の性急な問題は何とかなったか。とはいえ、根本的な問題解決は出来ていない。

「水穂、どうやって窓付きを説得しようか」

 僕は、すぐ上に浮かんでいる獏の少女にアイデアを求めた。しかし、水穂は驚いたように硬直したままだった。
 まあ、無理もないか。こんなこと予想だにしてなかったんだろうから。
 弱小の妖怪と言っても、妖怪は妖怪。心が折れた人間の行動を理解することはできない。
 だから水穂は驚いたんだと、そう思っていた。

「……良也、せっかく窓付きを助けたのに、バッドニュースだよ」

 だが、彼女が停止していた理由は、僕が考えていることとは違った。

「この子、心が死んでる。体は助かったけど、このままじゃ廃人だ」
「……は?」

 それは、緊急の事態を回避した僕には、寝耳に水の情報だった。間抜けにも聞き返してしまう。
 冗談はよせよと乾いた笑いを浮かべたが、水穂の表情は予断を許さないと真剣なものだった。

「な、何とかならないのかよ!?」
「だからそれを今考えてるの。気が散るから、良也は黙ってて」

 そう言われ、僕は何も言えず口を噤んだ。死んだ心を蘇らせることは、僕の魔法では出来ない。
 それが出来るとしたら、今この場にいる存在では、夢のエキスパートである水穂のみ。彼女に任せる他ない。
 だから僕も精一杯の協力として、黙って水穂が考えをまとめるのを見守った。

 時間にして十数分、水穂は考えていた。そうしているうちに、彼女の顔には逡巡の色が見え始めた。
 何か方法を見つけたのだろう。けれど、その方法に何らかの問題がある。そんな表情だ。

「水穂」

 だから僕は、彼女に声をかけた。水穂は思考を中断し、こちらを見た。

「今、窓付きを何とか出来るのは、お前しかいないんだ。だから、何を決めたとしても、僕は何も文句を言わない。お前の思った通りに行動してくれ」

 僕はじっと水穂の琥珀色の瞳を見た。彼女もまた、僕の目を見ていた。
 やがて、彼女は決意したように頷いた。

「良也。ボクはこれから、もう一度窓付きの夢に潜り込む。そして、今度こそ窓付きの夢を食べてくる」
「なッ!?」

 水穂のとんでもない発言に、文句を言わないという前言を撤回して抗議の声を上げようとした。そんなことをしたら、窓付きはどうなっちゃうんだ!?
 そうは思ったが、それよりも先に水穂が僕に制止をかけてきた。

「話は最後まで聞いて! 夢って言っても、窓付きを苦しめてる悪夢を食べるんだ。そうすれば、多分だけど、これ以上状況が悪化することはないはず」

 「回復するかは本人次第だけど……」と、水穂は説明をした。
 理屈は、何となくわかった。
 夢の中ですら安寧を得られなかったことが窓付きの心を折ったなら、それを取り除けば、これ以上窓付きが苦しむことはなくなるだろう。
 だが、それでも窓付きの心を癒せるわけではない。窓付き自身が立ち上がることを選ばなかったら、きっと窓付きの心は二度と蘇らない。
 それに、不安もある。

「そんなこと、出来るのか?」

 水穂――獏は、人の夢を喰らう。その結果として夢が悪夢に変わることから、獏はその落差からエネルギーを得ていることになる。
 だとすれば、悪夢を喰らって取り除くとすれば、逆にエネルギーを持っていかれることになる。人が毒を喰らうようなものだ。
 そして僕の考えが正しいことを裏付けるように、水穂の表情はこわばっている。下手をすれば、水穂の命が危ない。

「ダメだ、そんな危ない真似させるわけには……」
「ボクの思った通りに行動していいんでしょ?」

 言葉を返され、呻いて言葉に詰まる。確かに、そうは言ったけど……。

「……別にさ。冷静になって考えてみれば、ボクがここで窓付きを体張って助ける必要なんて、何処にもないんだよね」

 水穂の言葉は、僕が思っても言えなかったことだ。確かに、僕も水穂も窓付きとは無関係だ。
 自殺のきっかけにはなったかもしれない。だけどあの様子じゃ、遅かれ早かれ、窓付きは行動に移っただろう。だから僕達は、直接的には窓付きと何の関係もない。
 僕が窓付きを助けたいのは、僕の勝手なお節介だ。そして、ただ同居人というだけである水穂が、そこまで付き合う必要はない。
 「だから」と、水穂は続けた。

「ボクが勝手に窓付きを助けようとしても、良也が止める権利は何処にもない」
「それは、そうだけど……。せめて理由を説明してくれ。妖怪のお前が、窓付きを助けなきゃいけない理由を」

 「それもそうだね」と、水穂は笑って窓付きを見た。

「ボク達獏はね、本来夢の中に棲んでるんだ。別に夢の外で生きていけないってわけじゃないけど、一番居心地がいいのは夢の中なんだ。
 夢はボクにとって、ただの食事じゃない。暖かい家でもあり、落ち着ける場所なんだ。
 だからね、これはボクの勝手な都合。優良物件を見つけて、何もしないで引き下がれるほど、良也に飼いならされてはいないんだよ」

 最後の一言は、僕に向かって毅然と言い放った。
 ――ああ、そうだったな。こいつも、幻想郷の奴らと同じ、人を食い物にする妖怪だったことを忘れていた。
 確かに、僕が引き留める理由はどこにもないな。

「分かったよ。じゃあ、……頼んだぞ、水穂」
「良也に頼まれるまでもないよ」

 言うや否や、水穂は再び緑色の炎の塊となった。
 最後に彼女は、言葉を残した。

「じゃあね、良也。君と過ごした時間、それなりに楽しかったよ」

 そして緑の炎は、窓付きの胸の中に吸い込まれていった。
 ……何今生の別れみたいな台詞を残してるんだ。そんなの、僕達には似合わないだろ。
 別れの挨拶は、こうやるんだ。

「またな、水穂。たまには僕の夢にも、化けて出て来いよ」



 とある夏の日。
 僕は夢を見る少女と出会い、友達になった。
 そして同居人の獏の少女に、別れを告げた――。





 窓付きは、その日は朝まで目を覚まさなかった。そのまま道路に寝かせておくのも気が引けたし、かと言って窓付きの家に侵入するのも好ましくはない。
 結局、事実をでっち上げて救急車を呼んだ。
 窓付きを病院のベッドに寝かせ、授業のある僕は一旦家に戻り、身支度を整えてから学校に出勤した。もっとも、この日は眠気と疲れが酷くて、授業にも身が入らなかったんだが。
 翌日。就業時間を終え、帰る途中に窓付きのいる病院に向かった。
 窓付きがいる病室に入ると、そこには若い男女がいた。どうやら窓付きの両親らしい。
 娘の病室にやってきた僕の姿に、最初怪訝な顔をされた。その後事情を話すと、一転して二人は米つきバッタのように頭を下げた。
 見るからに普通の夫婦。だけど、僕はこの二人の姿に、違和感を感じた。
 二人の話は「娘は迷惑をかけなかったか」だとか「入院費はどうしようか」などと、窓付きの身を案じるよりも、自分達の世間体を気にしているようだった。
 さすがに社会に出て数年経っている僕だ。世間体が大事だということは分かる。
 だけど、目の前で娘が目を覚まさないんだ。なんでその心配をしてやれない。
 窓付きが何であんな行動に出ざるを得なかったのか、それは分からない。だけど、きっとこの二人も、その理由の内に入っていたんだろう。
 二人の口から僕に対する謝礼の話が出たとき、僕はこれ以上この人達と関わり合いたくなくて、「明日の授業の準備があるから」と席を立った。
 この日も窓付きが目を覚ますことはなかった。

 次の日も、また次の日も、僕は窓付きの病室に通った。窓付きは、まだ目を覚まさない。
 窓付きの悪夢を喰らいに行った水穂はどうなったんだろうか。窓付きの夢の中で、まだ戦っているんだろうか。
 夢見の術を習得していない僕に、知る術はなかった。だから、水穂は悪夢に勝ったと、今は疲れて窓付きの中で眠っているだけだと、自分に言い聞かせた。
 一週間、二週間、そして一月が経った。
 僕も、窓付きが目を覚ますように色々と奔走した。幻想郷で有力な情報を得ようとした。
 だけど、結果は芳しくなかった。折れてしまった心が再び立ち直るのは、結局自分の力しかないと。
 僕に出来ることは、ただ窓付きと水穂を信じて待つことだけだと理解させられた。
 そうして今日も窓付きの病室に通い、家に帰り、夕食を食べて風呂に入り、明日の準備をして床に就く。同じことの繰り返しだった。

「せめて、状況報告ぐらいしてくれよ」

 居候がいなくなり、空っぽになったテーブルの上のかごに向けて言い、部屋の電気を消した。



 その日は、ちょっと変わった夢を見た。
 そこは何処かのビルの上だった。高くそびえ、周りの建物が眼下にしか広がらない、一本杉のようなビル。
 空は青く晴れて、太陽が眩しいほどだ。
 光を隔てて、僕の対面には一人の少女がいた。
 光のせいで顔は見えない。胸元の窓のような刺繍が特徴的な、二つ三つ編みの女の子。
 彼女は僕を見て、口を笑みの形にした。
 そして彼女は僕に歩み寄り、僕のお腹のところに文字を書いた。



――ま



――っ



――て



――る



――よ



 それだけすると、彼女は踵を返し、ビルの際まで走って行った。そこまで着くと、こちらにくるりと振り返る。
 光に遮られて、よくは見えないが。

「君は……」

 僕が声をかけるよりも早く、彼女は何処から取り出したのか、箒で空を飛んでいた。
 そのまま、ビルの屋上から飛び去って行った。眩しい光に目を閉じている間に、少女の姿は見えなくなった。
 最後に見えた彼女の顔。それは、今まで見た中でとびっきり輝かしい顔をしていた。

「……笑えば可愛いじゃないかよ。ねえ、窓付き」

 心の中に、何か暖かい物を感じ、僕は夢から覚めた。



 次の日。病院から窓付きの姿が消えた。
 退院したというわけじゃない。看護師が定期見回りに行くと、病室がもぬけの殻だったのだ。
 実家に帰ったというわけでもないらしく、病院に慌ててやってくる窓付きの両親の姿があった。
 病院の関係者、それから窓付きの両親にも、窓付きの行方を知らないかと尋ねられた。僕は知らないと答えておいた。
 真実を答えたところで、どうせ彼らには信じられない。妄言を吐いていると思われるのがオチだ。
 だから僕は誰にも何も告げず、一人そっと病院を出た。明日が休日で良かったな。
 僕は一旦家に帰り、私服に着替えて買い溜めた菓子を用意し、いつも休日を過ごす場所へと向かった。
 久方ぶりに、気分が軽い出発だった。

 彼女は夢の中で言っていた。「まってるよ」と。
 人の夢に入り込むなど、人間に出来ることじゃない。だからあれが誰の仕業か、容易に想像が付く。
 そしてあいつは知っている。人ならざる者が住む、僕の行きつけを。
 だったら、病院を抜けて待ってる場所なんて、一つしかないじゃないか。

 夜の神社というのは不気味だ。特に、こんな人が全くいないような神社は。
 だけどここの境界を越えれば、慣れ親しんだ人気に溢れた神社が現れる。そう考えれば、不気味さは幾分か和らいだ。
 こんな時間に来るのは久々だから、ひょっとしたら霊夢から文句を言われるかもしれない。まあ、今日はそれも悪くはないか。
 そう思い、僕は意識を反転させた。常識と非常識の境を、僕と同化させるようにして。
 そうして、風景ががらりと変わったところで。

 月明かりを受けて、一人の少女が立っていた。
 胸のところに窓の刺繍。ピンクの洋服に、茶色のスカート。二つ三つ編みの、細目の少女。
 夢で、そして現実で見た、新しい幻想郷の住人が。
 彼女は僕を見て、ややぎこちなく笑みを向けた。その仕草がおかしくて、僕はついプッと吹き出してしまった。

「女の子を笑うなんて、良也は相変わらず良也だね」

 と、彼女の後ろから手乗りサイズの幼女が飛び出してきて、相も変わらず聞き捨てならないことを言う。僕の名前をバカと同義で使うなと、何度言えばわかるのやら。
 まあけど、今日のところは聞いておいてやるか。

「いや、悪かった」

 そんなことより大事なことが、今日はある。
 僕は前に出て、右手を出した。そういえば、現実で言葉を交わすのは、これが初めてか。
 だから僕はこう言った。

「初めまして。僕は土樹良也。幻想郷と外の世界を行き来する、本職教師の魔法使い、時々菓子売りだ。ところで、僕は君を何て呼べばいいかな?」

 差し伸べられた手に、やはり彼女は少々躊躇いを見せた。
 だが、彼女は一歩前に出て、今度こそ、僕の手を取った。
 そして彼女は、変わらず声には出さず、口の動きだけでそう言った。

「……うん、わかった。それじゃあ、これからよろしくね」

 「窓付き」と。





 幻想郷の住人が一人――いや、二人増えたときのエピソードだ。





〜あとがき〜



 お久しぶりです。ロベルト東雲@投稿作者です。本作品はこれにて終了と相成ります。
 冒頭でもお伝えしました通り、この作品は自分の前作「mogero.txt」の設定を引き継いだ奇縁譚と、フリーゲーム「ゆめにっき」のクロスオーバーとなります。
 前に設定解釈ミスって個人的に黒歴史化してしまった(久櫛さんすいませんでした)「今昔星天鈴」以上に、幻想郷勢がほとんどどころか名前しか出てきません。まあ、外の世界の話だからしょうがないんだけども。
 この作品が出来たのは、以下のような経緯があります。

 ここまでお読みいただいた方ならご存知とは思いますが、ゆめにっき本編で窓付きは悲劇的な結末を迎えてしまいます。
 それを良しとしない多くの二次創作者達によって、彼女を救おうという試みがなされています。海外版ゆめにっきでは、窓付きが生存するルートもあります。
 最近ゆめにっきを知った俺も、彼らのように窓付きを救いたいと思ったわけです。
 そこでふと思いついたのが、前作「mogero.txt」で出てきた獏という種族。彼らは夢を喰う存在で、ゆめにっきとの相性は抜群です。
 もちろん、東方奇縁譚の主人公は我らがミスターツチキなので、良也君にも七転八倒してもらいました。彼の活躍なしには、本作品における窓付きの救済はありえませんでした。
 まあ、それは書きあがった後の結果論でしかないわけですが。とにかく、経緯を要約するとこんな感じです。

 ゆめにっきウマー(゚Д゚)
 ↓
 あれ、mogero.txtの水穂なら窓付きに干渉出来るんじゃね?
 ↓
 水穂が窓付き救うとは思えないから、ここは良也に頑張ってもらおう

 作中で出てきた設定で、あまり語らなかった点について触れたいと思います。

・窓付きの幻想入りについて

 細かな説明全部端折って幻想入りさせちゃいましたが、一応理由があります。
 実はこの窓付き、水穂の宿主になっちゃってます。以前水穂が幻想郷に受け入れ拒否されたのは、良也が半ば宿主となっている状態だったことによるものでした。
 それが今回の一件で、悪夢を喰って弱った水穂は、窓付きを宿主とすることで事なきを得ることとなりました。良也は正式な宿主ではなかったので、水穂の一存で移譲出来たわけです。
 そして、妖怪の宿主となった窓付きは、非常識の存在として博麗大結界に選択を迫られました。外に残るか、幻想郷へ行くか。
 窓付きは外で傷付いたこと、そして友達になってくれると言った良也が幻想郷にやってくることを知り、幻想入りする道を選びました。
 その後、水穂の力を使い良也の夢に介入し、彼に幻想郷で待っていることを告げ、幻想郷へと旅立ったのでした。

・窓付きの能力について

 水穂が言ったように、この窓付きには霊能力の素質があります。
 物語中では開花していませんが、もし開花したとしたら、霊夢と並んで異変に立ち向かえるレベルとお考えください。
 物語終盤で水穂を宿した窓付きは、自身の能力こそないものの、水穂の力を使ってある程度妖怪に対抗できます。★しんごう★と★ほうちょう★とかで。

 こんなもんですかね。今回もちゃんと作中で説明とかしたし、隠し設定とかもないし。
 もし何か分からないところがありましたら、掲示板などでお知らせください。その点について、あとがきに加筆させていただきます。

 とりあえず、窓付きを救えて僕満足! 相変わらず続き書けるように仕込んでおいたし、もし書きたくなったら続けられるしね。
 まあ、大変だから多分続きは書かないけど。久櫛さん、毎度毎度容量多くてすいません。

 あんまり長くなってもアレですし、今回はこの辺で。
 それではまた次回、ロベルト東雲@投稿作者でした〜。(←気に入った)



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