足音……人里から博麗神社と呼ばれているその場所へ向かう道に、一人分の足音が響いていた。
しっかりと手入れされ、落ち葉一つ落ちていない境内へと登る為の石階段をまるで導かれる様に一段ずつ上がる一人の少女の姿があった。その背には一対の大きな翼が生えており、手に持った日傘はそれを護るかの様に影を少女に落としていた。
まるで時間を巻き戻したのではないかと錯覚する程に当時と同じ姿をしている木々を横目に上がり続ける。やがて階段を登りきると、当時の姿を完全に再現している境内が視界に広がり、何かを躊躇う様に一度身動ぎをしてから少女は社務所に向けて歩き出した。
境内を歩く度に靴が石畳を叩き、甲高い足音を鳴らす。そして中程まで進むと突然掌に乗る程度の大きさの人形が大量に飛び出し、腹から身体を二分させて剣を取り出したが少女はそれを知っている様な手つきで制し、人形もそれが合図かの様に武器をしまい、何処かへと身を潜めた。
そのまま少女は社務所へと歩き、勝手知ったる顔で玄関を開けて上り込んだ。その時に何体もの人形が玄関や廊下を掃除しており、少女が戸を開け放った部屋には三桁は下らないと思われる数の人形が未稼働状態で保存されていた。そしてその部屋の中央には一つの布団が敷かれており、中に一人寝ているのが見て取れた。
「…結良。寝てるの?」
少女が布団の傍へ座る。それに気付いたのか布団で寝ていた結良と呼ばれた少女が目を覚ました。渚結良、それが少女の名前である。
「…レミィ…」
「約束通り来てあげたわよ。これがあんたとの、最期のお喋りになるから」
レミィと呼ばれた少女が結良の額にかかった茶色の髪を退ける。レミリア・スカーレット、それが翼の少女の名前である。
アリスと同じアイスブルーの瞳がレミリアの顔を真っ直ぐ捉える。しかしその焦点がレミリアの顔に合っている様には見えず、老眼の酷い老人か、過度の近視の目を連想させた。
「そっか……私も…もう寿命か……」
「そうよ。また寂しくなるのは…やっぱり嫌だけど…」
「…そんな顔…しないで…レミィ…」
結良の右手がレミリアの頬を撫でる。しかし既に自力では動かせないのか、上で人形達が霊力の糸で吊るしているのがやけに痛々しかった。
「私は…もう、貴女を見る事が…出来なくなるけど……この子達が…貴女を、見守るから……」
結良の手がレミリアの手を撫で続ける。だがそれを何度か続けた時、突然霊力の糸が切れ、畳に結良の手が叩き付けられた。だがレミリアはそれに動じる事無く、結良の頭を撫で始めた。
「…結良。私はあんたに出会わなければ幻想郷はおろか、世界を取り戻す事も出来なかった。あんたが最初に付いて来なければ、多分柚咒もチルノも私に付いて来なかったと思う…心から言わせて、結良。ありがとう…」
撫でていた手が僅かに震え始める。そこから次々と伝播し、ついには肩まで震え始めていた。
「…本当に…ありがとう…この目が、また運命を視る事が出来る様になったのも…結良の…おかげだから…おかげ…だから…!」
紅い瞳から次々と涙が溢れ出る。それは正しく溢れ出る以外の表現が出来ない程であり、止めるのはいかな吸血鬼と言えども不可能であった。
「…でも!…一つだけ…あんたを!…恨ませて…!」
嗚咽を噛み殺しながらどうにか言葉を絞り出す。だが聞き手である筈の結良は何も言わず、ただ綺麗な寝顔を見せているだけだった。アイスブルーの瞳は、もう何も映さない。
「私の!…さよならぐらい…!聞いてから逝きなさいよ!!!」
盛大に叫び、完全に泣き崩れる。その姿は数年前、咲夜が逝った時と何も変わらず、レミリアはまた一人、大切な友人を亡くしたという事実だけが泣き声と共に響き渡っていた。だがその時、未稼働状態で飾られていた筈の人形が全て動き出し、あの時残ったアリスの最後の人形である上海と蓬莱がレミリアに手紙を手渡した。
「ぅぐ…これは…?」
手渡された手紙を開く。そこには結良が最期に書き遺したであろう願いが書かれており、その一つ目に目を通したレミリアは無意識に上海の瞳を覗き込んでいた。作り物の樹脂製の黒い瞳だけの目…だがその瞳が不思議な色を宿している事に気付き、そこに結良達の意思が受け継がれているのだろうかと思ってからレミリアは強引に涙を拭いて立ち上がり、声高に宣言した。

「全員聞け!私は、先代マスターの遺言に従い、お前達の新しいマスターとなった吸血鬼である!名は、レミリア・スカーレット!」


   ***


随分と軽くなった身体をふよふよと漂わせ、一人の死神を求めて彷徨う。いや、明確な記憶があるので彷徨うという表現は正しくない。真っ直ぐに三途の川を目指し、彼女の元へと辿り着く。
「お?いよいよお前さんも死ん…いや、幽霊違いか…?」
赤い髪の死神が巨大な儀礼用の大鎌を担ぎ、見た目お先真っ暗にしかなりそうにない古ぼけた舟に乗る。それに迷わず同乗すると何の推力も無しに舟が動き出した。
「あんた随分と貧乏な暮らしをしてたのかい?渡し賃がギリギリだよ」
そう言いながらも死神は舟を進める。だが死神への渡し賃がぎりぎりという事は向こう岸まで辿り着くのに丸一日は覚悟しなければならない。するとそんな思考を読み取ったのか、死神がこんな事を口走った。
「でも、お前さんの為に奔走した人間の数があり得ないぐらい多いね。まるで二人、いや三人分の生を生きてきたみたいだ…何か訳有りみたいだし、特別に短くしてあげるよ」
そう言うが早いか、死神が船頭を務める舟が対岸に辿り着く。すると仕事はここまでだと言わんばかりに死神は後を押し、自動で開け放たれた裁判所の扉を自らくぐった。その端から幽霊の姿からかつての姿に身体が戻り、裁判所に入る頃には元の姿に戻っていた。
「貴女が次の被告ですね。生前の氏名…渚結良…では、貴女の東方裁判を始めましょう」
浄玻璃の鏡と悔悟棒を携えた裁判長が席に着く。机には四季映姫・ヤマザナドゥという名札が立てられている。そして即座に映姫は浄玻璃の鏡を一心に覗き込み、一刻程の時間を掛けてから結良に問うた。
「渚結良。貴女に発言権を与えますので、私の質問に嘘偽り無く答えてください。貴女は、博麗霊夢ですか?それとも、アリス・マーガトロイド?」
映姫の相手を射抜かんとする視線。だがそれを問われた結良はそんな事聞くなとでも言いそうな剣幕で即答した。
「どちらでもありません。確かに、私は博麗霊夢の脳を利用して造られた人形です。そして、マスター…アリス・マーガトロイドの全てを引き継いだ存在でもあります」
答える度に霊夢として過ごした時代と、結良として過ごした時代のアリスの姿が脳裏に過ぎる。その姿はとても大きく、父親の様な絶対性を醸し出しながら母親の様な包容性を見せていた。
「私は人の手によって生み出されました。今こうして幽霊という姿でいられるのも、博麗霊夢の脳を利用したからに過ぎないかもしれません。ですが、マスターは決して彼女の代わり、ましてや自分の代わりに私を造り出した訳ではありません。人形として造り出したにしても、マスターはまるで自分の子供の様に私を愛してくれました。友人も、その事を打ち明けても私の事を変わらず渚結良として接してくれました。私は渚結良です。博麗霊夢の模造品でも、アリス・マーガトロイドの実験台でもありません!」
胸に手を当て、そう宣言する。そして結良は胸中共に戦ったメンバーの顔を思い出し、それに気付かせてくれたのは間違い無く彼女達だと強く思った。
その宣言を聞いて映姫が一息吐く。それが同情のものか、あるいは哀れみなのかは全く判断がつかなかった。
「…分かりました。渚結良。貴女への判決を下します。あなたは―――」



―――霊夢ー!アリスー!早く来ないと置いてくぞー!

―――はいはい…全くいつまで経っても子供ね…

―――諦めなさい、アイツはそういう奴よ。同じ魔法使いならよく分かってるでしょ?

―――そうね。さ、貴女も一緒に来なさい。ゴタゴタ抜かしても聞く気は無いわよ。貴女は貴女でしか無いんでしょう…?

「…はい。お母さん…!」




     哭き王女の為のセプテット 〜 revenge After




レミリアがぽかんと口を開ける。無理も無い。門番を担当しているゴリアテ二号機、タイガーモスから一報を受けて門まで下りてきた彼女の目に映っていたのは―――
「よ…よう、レミリア。久しぶりだな」
あの時別れ、今は外の世界で暮らしている筈の竹内柚咒の姿であった。
「…生気が全く感じれない…あんた、死んだの?」
「まあ、な。でも、誰かに殺された訳でも自分で死んだ訳でも無いぜ?ただの病死だし、最期はチルノが看取ってくれたからそう悪い気分じゃない」
銀の髪を掻き回し、昔の白黒魔法使いの様な軽い喋り方で話す柚咒。ただの幽霊か、それとも亡霊なのかは定かではないが今はそんな事はどうでもいいと思い、レミリアは柚咒が手に持っている物を指さして訊いた。
「それで、本当に返しに来たわけね」
「ああ。お前との約束だからな」
左手に持つ、白楼剣を少しだけ持ち上げて答える。
「確かこいつは冥界にあったやつなんだろ?どうやって行けばいいか教えてくれよ」
そんな柚咒の言葉に一度溜息を吐いてからレミリアは冥界への行き方を教える。するとすぐに柚咒は冥界へと飛び、レミリアはやはりあいつにそっくりだと内心思っていた。


   ***


紅魔館を離れてから暫く、妖精より幽霊の方が目立つ様になってきた頃に巨大な門が眼前に広がった。

桜花結界。

レミリアから聞いた情報に合致する事を確認し、更に上まで柚咒は高度を上げて奥へと進んだ。するとまるで別世界に紛れ込んだのではないかと思わせる程唐突に景色が変わり、長い石階段が更に上へと続いているのを見てようやく冥界とやらに入り込んだかと柚咒は思った。
長い石階段を臆する事無く突き進む。その度に何か不思議な感覚が自身の身体を駆け巡っていたが、この先に答えがあるかもしれないと結論づけて柚咒は更に足を速め、いよいよ石階段を上りきった。
「…すげぇ…」
見渡す限りの桜。しかもあらゆる品種の桜が植えてあるのか、それぞれがそれぞれの特徴を持ち、白から紅までの色とりどりの花を咲かせていた。そしてこれもレミリアの情報に合致する事を確かめ、柚咒は更に奥へと進み、そして目的の場所と人物を見つけた。
「…あら、お客さん?」
冥界にある大屋敷、白玉楼の主にして最高位の亡霊。西行寺幽々子。青い特徴的な和服に身を包み、常に団子やら饅頭やらを食べている姿はその人に間違い無いと思い、柚咒は幽々子に近づいて白楼剣を差し出した。
「レミリア・スカーレットから話は聞いた。この白楼剣はあんたの部下の物なんだろ?私は竹内柚咒。この剣を返しに来た」
柚咒の真っ直ぐで、最小限の言葉。幽々子もようやく白楼剣を見つけた事に一度安堵したが、もう一つの探し物も柚咒の身体から感じ取って左手を差し出していた。
「?何のつもりだよ?」
「そのまま動かないで…ほら…」
その言葉に反応して柚咒の身体から何かが飛び出てくる。それは人の大きさ程の真っ白な幽霊であった。そして幽霊が柚咒の手元から白楼剣を取って離れていき、幽々子がその頭と思しき部分を撫でて呟いた。
「…おかえり…妖夢…」
妖夢と呼ばれた幽霊が照れくさそうに笑った気がし、その光景を見て柚咒は突然自分に備わった超人的な能力は全てその幽霊のおかげであるという事を悟った。そうして呆けている柚咒に向かって幽々子は先に口を開いた。
「貴女…柚咒と言ったかしら?この先行くあてがあるの?」
「へ!?あ、いや…無い訳では無いんだが…素直に受け入れてくれるかどうか…」
突然聞かれ、レミリアの顔を思い出しながらたじたじと言った口調で答える。すると幽々子が意外な事をすんなりと口にした。
「なら貴女、ここで暮らさない?」
「え!?」
その言葉に驚きを隠せない柚咒。だが幽々子の言葉が明確な厚意から来ている事に気付くとすぐに答えを返した。
「…分かった。末永く、宜しく頼むぜ」
「そうこなくちゃ」
幽々子の言葉に合わせて幽霊が柚咒の周りに憑りつく。それはまるでかつて此処にいた庭師の姿の様であり、幽々子は自身の瞳から涙が流れそうになっている事に気付いて慌ててそれを拭ってから白楼剣を改めて柚咒に託した。


   ***


「暇だなぁ〜…」
学校敷地内にある割と大き目の寮。その一室に氷の大妖精、チルノの姿があり、今日も今日とて暇を持て余していた。今は夏休み真っ只中。氷精にしてみれば部屋から一歩も出れず退屈しかしないのも頷ける時期である。
「柚咒はもう居ないし…皆はどっか遊びに行っちゃうし…出たら溶けるだろうし…ほんと、夏ってやだなぁ…」
ちなみにチルノは現在大学三年生。柚咒と共に入学を果たし、特にこれと言った大事を起こす事無く現在に至っている。更に戦いの後各地で妖精が再び姿を現す様になり、非常に少数ではあるが妖精という種族は既に現代に馴染みつつあった。チルノの友人はその内の三人で、それぞれ太陽、月、星といった光の三妖精である。
「ん〜………そうだ!」
ベッドに寝転がっていたチルノが突然上体を起こす。その顔にはいい事を思いついたと書いてあり、すぐに最小限の荷物を用意し、今タンクトップと短パンのみである事を思い出してから懐かしい服装を箪笥から引っ張り出した。
「お?いってきまーっす!」
玄関を開けた拍子に出会った寮母に挨拶をしてから軽い足取りで電車の駅へと向かう。彼女が目指している先。それは現代の裏側にひっそりと存在する、彼女の故郷であった。



「それで、なんで家に来るのかしら?」
やや憂鬱気味の声でチルノに問うレミリア。二人の元には露西亜人形が淹れた紅茶とアイスココアが置かれており、チルノはそれを一気飲みしてから答えた。ちなみに既に三杯目である。
「ぷはぁ…暑い…で、なんの話だっけ…?」
「出来れば私がそれを言いたいわよ…」
こいつは自分の話した内容すらも覚えられないのかと半ば本気で思う。だがそれを吹き飛ばす様に突然チルノが叫んでいるのかどうか聞き分けがつかない程の大声で話し出した。
「そうよそうよ!最近あまりにも暇だったから久々にこっちに遊びに来たんだった!」
「それは分かってる。だから、何でわざわざ家に遊びに来たのかしら?」
「この時期あんたの事だから何か暇潰し的な物を考えてそうだったから来たのよ!あたい言わなかった?」
「言ってない言ってない…」
向い合せの状態で一気に身を乗り出すチルノを引き気味に見返す。しかし、こうして妖精とも時間を共にする様になるとは一度も思った事が無いとレミリアは無意味に考え、この夏の予定の一つを話した。
「でもまぁ、確かに今日の夜、リリカが新しく創設した音楽団を招いてのパーティはあるわね。それに参加するぐらいなら別に構わないけど…」
「ほんと!?じゃああたいまた夜に来るから!」
と、完全に話をぶった切ってからチルノはテラスから直接外へと出て行った。


   ***


「にしても…まさかあの時のメンバーが揃うとはね…」
夜の自室。パーティが始まり、音楽団リリカ・オーケストラの演奏開始まであと少しという時、レミリアはいつもの羽織を脱いで昼夜兼用の間着一枚になっていた。
腕や腰のリボンも外し、裸足に間着一枚という格好はこれから就寝する姫君という表現が相応しかったが、彼女はその間着すらも脱ぎ、下着姿になってから懐かしき黒い服に手を掛けた。
「リリカ・オーケストラ…何かラテン語の合唱に定評があるみたいだけど、まだ結成したばかりじゃない…それに、ラテン語なんて分からないわよ…」
黒と灰のシャツに腕を通し、青いスカートを穿く。そして茶のブーツに細い足を入れ、愛用の帽子を被ってから黒いロングコートを着込む。更に付属のベルトを締めてから萃の鎖を下げたその姿は、あの時のレミリア・スカーレットの姿そのものであった。
「蓬莱、付いてきなさい」
勢い良く窓を開け、庭にいる客人全員の注目を引いてから一気に飛び出す。そして満月を背にして大きな翼を開くその姿は、正しく吸血鬼に相応しい禍々しさのある登場の仕方であった。
「待たせたわね、リリカ。さ、早速演奏を始めて頂戴」
「分かったわ。皆!始めるから準備して!」
降り立った先に立っていたリリカに演奏の開始を促す。リリカを含め、全員がモーニングの様な正装に身を包む姿は正しく音楽団という雰囲気が漂っており、姉二人を亡くしてから強くなったとレミリアは思った。
「ようレミリア。私達の席はもう指定済みらしいから、こっち来いよ」
パーティに主人の幽々子と共に参加していた柚咒が指で示す。緑の和装に身を包み、銀の髪と半霊は妖夢の姿を思い出さずにはいられなかったが、幽々子にとってはその師匠の魂魄妖忌を思い出す格好らしい。大方、妖忌の服が丁度良かったから着せているだけだろう。白楼剣は紐で太刀の様に帯から下げている。
「へぇ…あの子もちゃんと分かってるじゃない」
「当然!だってあたい達だもん!」
事情を知らない者が聞いたら意味が分からない事をのたまるチルノにその通りだと内心思いながら席に着く。そして準備が終わったらしいオーケストラの一同が一斉に指揮者のリリカを見つめる。だがリリカはそれに応えず、一度真後ろに居るレミリアを見てから一言呟いた。
「…特等席だよ…」
言い終わってからオーケストラ一同に向き直る。その言葉がレミリアの服―――ルナサの服に向けて言われたという事に気付いた頃にリリカは指揮棒を持つ手を動かしはじめ、それに合わせて演奏が開始された。
『―――Respice post te,mortalem te esse memento.Quid rides?Mutato nomine de te fabula narratur.―――』
壮大な導入から始まった演奏。そして聖歌隊の歌声が会場に広く響き、自然と周りの音が消えていく。
『―――Scire tuum nihil est,nisi te scire hoc sciat alter.―――Initium sapientiae cognitiosuiipsius.―――』
そして荘厳なメロディのまま聖歌隊が歌を歌い続ける。そして最後の盛り上がりを徐々に、しかし大きく盛り上げて演奏は終了した。そのまま二曲目に入る。
『―――Alea jacta est, Mors certa, hora incerta.Nosce te ipsum. Vive hodie.―――』
先程とは違う荘厳さを持った曲が演奏され始め、聖歌隊の歌も最初は小さく、だが突如大きく声を上げて歌う。
『―――Petite et accipietis.Pulsate et aperietur vobis.Forsan et haec olim meminisse iuvabit, Disce gaudere.―――』
「―――求めよ、そうすれば貴方がたは求めたものを受け取るでしょう。叩け、そうすれば叩いた扉が貴方がたのために開かれるでしょう。いつかこれらのことを思い出すことも、喜びとなるだろう。楽しむことを学べ。―――」
隣に座っていた柚咒が歌詞を翻訳し始める。それに驚きながらレミリアは柚咒に訊いた。
「あんた、ラテン語分かるの?」
「いや、この歌詞どっかで聞いた事があるだけだ」
短く答えて再び曲を聞き入る柚咒。そして演奏も間奏を終え、ラストスパートをかけていた。
『―――Ignoranti quem portum petat, Nullus suus ventus est.―――Nemo ante mortem beatus,Anteoccupatio.Alea jacta est, Mors certa, hora incerta.Nosce te ipsum. Vive hodie.Natura duce, Nunquam aberrablmus.―――』
曲が終わり、異様な静けさが会場を支配する。だがリリカが客席に向かって一礼すると同時に満場の拍手喝采が巻き起こった。皆、壮大な曲の余韻に浸っていたのだ。
「ありがとうございました。私達、Lyrica・orchestraはまだ結成して半年程度しか経っていません。ですので、私達が演奏できる曲はこの二曲だけです。そこに関してはお詫び申し上げます。ですが、私リリカ・プリズムリバーが最後にもう一曲演奏したいと思います」
最後の台詞を聞いて会場がもう一度拍手で盛り上がる。そして脇に置いてあったキーボードが自らリリカの手元まで浮き上がり、演奏の準備をした。
「これは、私の大切な友人をイメージして作曲した曲です。本来は七人で行う演奏を一人で行わなければならないのでとても難しいのですが、これは私一人で演奏しないと意味が無いので…では、お聴きください。曲名は『亡き王女の為のセプテット』です」
その曲名を聞いて直感的に自分の事だと思い当たり、レミリアは思わず吹き出しそうになった。大切な友人…二人の姉を殺しておきながら友人と言ってくれるリリカを優しい目つきで見ながら、レミリアは大衆の一部となって演奏が始まるのを待った。そしてリリカの指もそれに応え、最初の音を奏でた………


   ***


誰も居ない空間。この部屋に専属で仕事をさせている人形と自分を除けば六つの墓標しか存在しない部屋で椅子に座り一冊の本を読む。それが彼女、レミリア・スカーレットの今の日課の一つだった。
「―――『しかし、Remyには決定的な弱点があった。それは銀を受けると立ちどころに身体を内側から焼かれ、死んでしまうのだ』―――」
紅い表紙の御伽噺。『Remilia Septet』と黒い字で書かれた題名で、レミリアの友人、パチュリー・ノーレッジが書いたものである。今はこの一冊しか無いが、時が経てば出版物として広めるつもりらしい。そしてレミリアが朗読しているところに音も無く一人の妖怪が侵入した。
「……あんたか……」
一度溜息を吐いてから喋り出すレミリア。その背後には彼女が予想した通りの人物が宙に腰かけていた。幻想郷の賢者、八雲紫である。
「こんばんわ、お久しぶり」
「わざわざこんなところに来るなんてね。上海、客人よ。もてなしてあげなさい」
本を閉じて専属の人形、上海に命令する。しかし紫は扇子を開いて上海を制し、陣羽織の様な服をなびかせて降り立った。
「いいえ、結構よ。ところで、訊く必要は無いと思うけど、それは…?」
紫が目の前にある六つの墓標を示して問う。ヴァイオリン、トランペット、龍と書かれた星飾り、厳かな装飾の銀のナイフ、宝具として発現させたままのレーヴァテイン、そして一枚の御札がそれぞれ十字架の墓標に付けられていた。
「答える必要は無いと思うけど、私の…大切な家族が、ここに永眠っているわ…」
「大切な、家族、か…」
それを聞いてそれぞれの持ち主の顔を即座に思い出す。オーケストラ指揮者の姉二人と紅い髪をした門番に完全なるメイド、狂気を孕んだ悪魔の妹に一番のお気に入りの娘…彼女はそれを家族というただ一言でまとめ、ここに永眠っている六人も彼女にそう言われれば本望だろうと紫は思い、スキマから心ばかりの手土産を出した。
「こんな物しか無いけど、受け取ってくれたら嬉しいわ」
六つの墓標に合わせて花束を置く。その表情は純粋に六人の冥福を祈るものであり、背中越しに紫の表情を窺ったレミリアも自然と笑みをこぼしていた。
「…さて、そろそろお暇させて頂くわ。元々お墓詣りしかするつもりは無かったし」
レミリアへ振り向いてからもう一度スキマを開く。それを見ながらレミリアは再度本を開いて朗読の準備をした。
「ええ。新しい博麗の巫女によろしくね、もしかしたらもう一度紅霧異変を起こすかもしれないからって」
「あらあら?それは面倒な事」
扇子で口元を隠しながら紫が笑う。何度見ても美しいとしか言葉が出てこないその表情を見てからレミリアは本に目を落とした。紫は、既に音も無く消えていた。


   ***


「…大切な家族…今程この言葉を重く受け止めた事は無いわね…」
博麗神社の瓦屋根に腰かけながら紫が呟く。ここから見える幻想郷の景色は美しい。以前よりも幾らか文明は発達したものの、その根幹は決して変わる事は無く、未だに何処かの片田舎を思わせる日本の原風景を形作っている。一度は壊れ去った夢の世界…全てを受け入れる幻想郷は、一人の吸血鬼を始めとした四人の働きによって再建された。彼女達には感謝をし切れない。それ程までに紫は幻想郷を愛しており、こうして再び同じ景色が見れる事に密かな感動を覚えていた。そうして感慨に耽っていると突然下から声が聞こえ始めた。
「…ふふふ、どうやらまた数百年は確実に平和そうね…」
声の元を見る。そこには紫の髪をした今代の博麗の巫女と朱い髪の魔法使いが何やら話をしており、何を喋っているのかまでは分からなかったが、どうやらまた魔法使いが問題を持ち込んでいる様だった。
その様子をひとしきり楽しんでからスキマに潜り込んで人里の上空に出る。ようやく昔と同じ程度の人間が戻り、寺子屋も再び繁盛し始めた、人間の世界。その寺子屋も、半身不随となってしまった半獣とその友人の蓬莱人によって以前よりも活気に満ちており、丁度そこに永遠亭の兎達が薬箱の中身の補充に訪れていた。以前は詐欺兎と罵られていた筈だが、どういう心境の変化であろうか…?
更にスキマを通って冥界、白玉楼の上空に出る。すると今度は縁側で足を投げ出して座っている友人の姿があり、そこに茶菓子とお茶を運んできた新しい従者の姿もあった。
「…また、幸せそうな顔が見れて嬉しいわ…幽々子…」
生前の最期と、前の従者が死んだ時の顔を思い出す。生きていながら死んでいるとしか言い様が無い表情と、亡霊とはいえ精神の生気すら感じられない表情が見事に重なり、その時の影が今は全く見られない事に紫は千年以来の友人としての満足感を覚え、一度スキマを介してから二人の目の前に降り立った。


そして、その夜は完全なる満月であり、どういう訳か真っ赤に染まっていた。


紫なら大気がどうこうとすぐにその理屈を並べて分析するだろうが、吸血鬼である自分には全く興味の無い事だ。彼女はそう思いながら紅魔館の時計台から飛び立ち、月に左手を伸ばして盛大に叫んだ。



「こんなに月も紅いから、本気で遊ぶわよ!」



                 哭き王女の為のセプテット 〜 revenge After

                                      −完−

                        ...and To be continued

                                  『戦闘妖精東方』



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