「まずは服だな」 家を出てすぐにそう呟いた甲斐が向かったその先は、家からバスで三〇分ほどの位置にある大型デパートの中だった。 「甲斐様。わたくしのこのメイド服は自動洗浄機能がついておりますので、修繕不可能な破損でも負わない限りわたくしに着替えは必要ございません」 「あのなあ、おまえ前もそんな事言って自分の服は買わなくていいって言ってたけど、女の子なんだからもう少し身だしなみは気にしたほうがいいぞ。まあたしかにそのメイド服は似合いすぎるほど似合ってるしみ〜ことは冗談みたいな美人だから何着てても変じゃないけど、それにしたって外行きの服くらいはなんか買っとけ」 「しかし……」 み〜ことはそう呟いて困ったように眉尻を下げるが、 「しかしもだってもかってもない。俺が気にするの。お前はもう俺の妹みたいなもんなんだから、妹に服の一つも買ってやれない兄貴なんて情けなくて仕方ねえっての」 最後に甲斐はそう言ってみ〜ことの手を引き、適当に目についた女性服売り場に入っていく。そして丁度目の前を通りかかった店員に向かって話しかけた。 「あ、店員さん。ちょっといいですか」 「はい、何でしょうか?」 「いやあ、こいつ最近田舎から出てきた家の妹なんだけど、こっち来る時色々あって服が全滅しちゃったらしくて。だから上下合わせたの何着か、適当に見繕ってもらえますか」 「まあ、持ってきたもの全部ですか。それは災難でしたね……。わかりました、それでは……、……あら? 妹さんがいま着られているの……メイド服、ですか?」 心よく頷いてみ〜ことの方へ視線を移した後、一瞬動きを止めてそう口にした店員に甲斐はさらりと平然とした表情で事前に考えておいた理由を口にする。 「ああ、もともとこいつ、そういう関係のイベントに出るために来てたんですよ。それでその服だけは別にしてたからたまたま無事だったんで、仕方なくそれで」 「へえ……そうなんですか。分かりました。では、どうぞこちらへ。……それにしても妹さん、凄く綺麗な髪をしてますね。顔立ちも外国の方みたいですし、まるでお人形さんみたいに綺麗」 「ええまあ、一応ハーフですからね。妹は親父の再婚相手の連れ子だから、俺は違いますけど。……あれ? ほらみ〜こと、なにやってんだ。お前の服選ぶんだから、お前が着いて来ないと意味ないだろ。早く来いよ」 甲斐がそう言って後ろに振り向き名前を呼ぶと、 「あ、え……、はあ……」 とみ〜ことも、若干目を白黒させながらその背中についていった。 「お客様、少々よろしいでしょうか」 「はい? ……ああ、店員さんか。もう選び終わりました?」 おそらく服選びは長くなるだろうし、自分がいても女性の服は分からないからと途中で離れて店のすぐ側にあるベンチで待っていた甲斐に、先ほどの店員が話しかけてきた。 「ええ。先ほど何点か選ばせていただいて、今はご試着をしていただいております。それで一度、お兄さんにも是非見ていただきたいと思いまして」 「ん……オッケー、分かりました」 甲斐が頷いてベンチから立ち上がると、「それではこちらへ」と言って歩き始める。甲斐もそれに続いて歩いて行き、やがて店の奥にある仕切りの前で足を止めた。 「み〜こと?」 そして甲斐が声をかけると、 「あ……は、はい」 み〜ことはどこか恐る恐ると言った様子でカーテンを開けて出てきた。 「おお……、すげえ似合ってるなその服。まるでいいとこのお嬢様みたいだ」 「ですよね、ですよね! 妹さん髪も綺麗だしスタイルも良くて素材が凄くいいものですから、私もつい張り切って色々合わせちゃいましたっ」 何やらかなりテンションが上がってしまっている店員にうんうんと頷くと、甲斐はもう一度み〜ことに視線を戻す。 み〜ことの髪の色が映えるように上着は黒っぽい落ち着いた感じのトップスに、胸にはアクセントとして小さなリボン。更に色の近いカーディガンを上に羽織って、スカートは花をあしらった黒と白のシックなデザインのもの。 「今回は全体的に抑えめのデザインで揃えて、素材の良さを引き立てる方向でコーディネイトしてみました。妹さんは顔立ちがはっきりしていましたし、特に髪の色がよく映えるように全体的に色を暗色系で統一して、ワンポイントにリボンをつけて服が負けてしまわないようにしてみたのですが、いかがでしょうか?」 「いや、たいしたもんだ。さっきも言ったけど、すげえ似合ってますよこりゃ」 「ありがとうございますっ」 「あ、あの……恥ずかしいのであまり見ないでくださいませ……」 二人の手放しの賞賛にすっかり顔を赤くしてしまったみ〜ことは、小さくなってどこか小動物チックに抗議の言葉を口にする。 「いやいや、何が恥ずかしいのさ。すっげえ合ってるぞそれ。ほら、自分でも鏡見てみろよ」 「うう、そういう意味ではないのですが……」 しかし甲斐はむしろみ〜ことにもそういう普通の感覚をあったのかと嬉しくなって店員と一緒にテンションが上がってしまい、その後もこのみ〜ことのファッションショーは続いてしまうのであった。 「うぅ……」 「いやあ、悪かったって。ついつい調子に乗って店員さんと一緒に着せ替えちまったのは謝るからさ、そろそろ機嫌直してくれよ」 「……別に怒っているわけではございません」 これが甲斐以外の人間なら、きっとみ〜ことは気にも留めていなかっただろう。しかし何故か甲斐に普段とは違う自分の姿を見られるのは、どうしても嫌だった。 ……否、嫌と言うわけではなかったのかもしれない。そこに不快感は存在せず、しかしなぜだか甲斐の目を正面から見ることのできない。……それはきっと人間で言うところの、羞恥と呼ばれる感情だったのかもしれない。 「え? そーなのか?」 「……はい、そうです。ですのでそのように、何度も謝って頂く必要はございません。どうかお気になさらないでくださいませ」 そもそもみ〜ことの中に、マスターに怒りを覚えるという感覚はない。己の身は機械であり、そして主人に全てを尽くすメイドである。故に粉骨砕身し、たとえ自らが砕けようとも主人に仕えるのが責務だった。それどころか主人から物を与えてもらって、それに怒ることなどありえない。 とはいえみ〜ことのその本質は、ただのプログラムで動くロボットなどではない。だからそうではない行動を取ることも、もちろん可能なことであった。しかしみ〜ことの中には、そうする理由が存在しない。彼女にとって己とはあくまで被造物であり、そしてただの物なのである。 「む……」 そこで突然黙りこみ、そしていつものまるで能面のような無表情に戻ってしまったみ〜ことを見て、甲斐は小さくうめきを漏らす。その後甲斐は気を取り直すようにパンと軽く手を鳴らすと、「よし」と呟きみ〜ことに視線を向けた。 「それじゃあこの話はもう終わりってことで、そろそろ次の目的地に向かうぞ」 「? 次の目的地、でございますか? それはいったいどちらに……」 「ああ、次は公園だな。ほら、家の近くに割とデカ目の所があっただろ。そこに行く」 「公園、でございますか。畏まりました。お供いたします」 「おう。んじゃ行くか。そうと決まったら、まずはバスに乗らないとな。えっと、次のバスの時間は……」 甲斐はそう言ってバスの時刻表を携帯端末で確認しようとポケットに手を入れたが、 「今から一五分後に到着の予定でございます」 とみ〜ことが代わりに答える。 「一五分か。なら少し急いだほうがいいな」 「はい」 最後に短くそう話して、二人はバス停へと向かうために足を早めるのであった。 「甲斐様」 「ん? どうした、み〜こと」 み〜ことはバスを降りて公園へと向かう道すがら、不意に甲斐に声をかけた 「今日はどうして、甲斐様はこちらに来られようと思われたのですか? それも、わたくしをお連れになって」 「ああ、そうだな……」 甲斐はしばらく沈黙して己の中で言葉を選んでいたが、やがて静かに口を開いた。 「み〜ことに少し教えて……いや、分かってもらいたいことがあったから。それで今日は、あちこち連れまわすことにしたんだ。もしかして、迷惑だったか?」 「いいえ、迷惑だなんてとんでもない。ただ、疑問に思っただけですので。それにしても……分かってもらいたいこと、ですか。それは一体、なんなのですか?」 「そりゃ俺の口からは言えないな。というよりも、誰かが口で言っても意味のないことだ……って言ったほうが正しいか」 「? それはどういう……」 「あ、見えたか。あそこが目的の公園だな。まあ、着いて来いよ」 み〜ことはさらに疑問を重ねようとしたが、甲斐はそれに答えずさっさと歩いて公園の中へと入っていってしまった。 「ああ、お待ちください甲斐様」 その背中を追いかけて、すぐにみ〜ことも公園へと足を踏み入れていった。 「あ、どうも荒見さん。お久しぶりです」 「あらまあ、門倉くんじゃないの。久しぶりねえ。どうしたの? 最近は来てなかったみたいだけど」 「いやまあ、最近色々とありましてね」 甲斐は今、公園の中で首輪をつけた犬にディスクを投げて一緒に遊んでいた、恰幅のいい四〇代前半ほどの女性と話しをしていた。 ここは近所の犬好きの集まる公園で、その散歩コースに使われたり遊び場に使われたりと、周りを見ればいくらでも犬のいる犬好きの天国なのである。甲斐は犬や猫が昔から好きだったので、時折ここに来て触ったり遊ばせてもらったりしていたのだ。 「あら、そうなの。……ところでさっきから気になってたんだけど、そちらの綺麗なお嬢さんはどちらさま? もしかして、門倉くんの彼女さんか何かかしら?」 「あはは、違います、妹ですよこいつは。家のおやじの再婚相手の連れ子なんで、全く顔は似てませんけどね」 「あらあら、そうだったの。こんにちは、門倉くんの妹さん。私は荒見っていいます。お兄さんとは時々ここで会うことのある……まあ、犬好き仲間のようなものかしら」 その言葉を聞いて、み〜こともペコリと頭を下げる。 「こんにちは、荒見さん。わたくしの名前はみ〜ことと申します。いつもか――、ごほん。兄がお世話になっているようで、ありがとうございます」 「やだわ、お世話だなんてそんな事してないわよ。むしろ私のほうこそこうして若い子と話す機会が持てて楽しんでるもの。おかげでなんだか若返っちゃった気分にさせてもらってるくらい。感謝してるのは私の方だわ」 「なにいってるんですか、まだまだ若いのに」 「もー、こんなおばさん捕まえてそんな事言うなんて、女泣かせねえ門倉くんは」 「はは、まさか」 朗らかにそんな事を話している甲斐に、み〜ことはちょんと服の裾を掴んで注意をひくと、 「あの、それで結局こちらには何をしに来られたのでしょうか?」 と疑問をぶつける。 「ああ、そうだったな。悪いけどちょっと待っててくれ。……荒見さん、今から少しカイくん借りても大丈夫ですか?」 「ええ、いいですよ。あの子もあなたにはよくなついてるし、きっと久しぶりにあえて喜ぶわ」 「なら、嬉しいんですけどね」 そう言って甲斐が向かったのは、ちょうどさっき投げたディスクを取って戻ってきた―― 「犬?」 「ふふ、そうよ。あの子の名前、カイっていうんだけど……私があの子を呼んだら偶然通りがかった門倉くんが返事をしてね。それがきっかけで、今のように話すようになったの」 「カイくん……」 み〜ことの脳裏に、大きな声で「カイちゃーん」と呼ぶ荒見の姿と、それに反射的に返事をしてしまう甲斐の姿が思い浮かんで、ついくすりと笑みを漏らしてしまう。 「ん? どした? なにか面白いものでもあったか?」 とちょうどその時小さな犬――ミニチュアダックスフンドを胸に抱いた甲斐が戻ってきて、み〜ことは慌てて首を横に振りながら、 「い、いえ……なんでもございません」 と否定した。 「そうか? んー、まあいいか。やっとみ〜ことの初の笑顔も見られたことだし、細かいことは置いておこう。それよりみ〜こと、ちょっとこっち来いよ」 「? なんでしょうか?」 甲斐の言葉に首をかしげてみ〜ことが近づくと、「はい」と言って甲斐が胸に抱いていたカイくんを差し出してきた。 「……え?」 「ちょっとお前も抱っこしてみろよ。大丈夫、カイくんは大人しい上に人懐っこいから、変に力を入れすぎたりしなければいい」 「ですが、あの、わたくしは……」 み〜ことがもごもごと喋りながら視線を彷徨わせるが、少し離れたところでその光景を眺めていた荒見はニコニコとするだけで止めてくれない。 やがてみ〜ことは一向に引く様子の見えない甲斐の顔を見て肩を落として諦めると、おずおずと腕を伸ばして恐る恐るカイくんを胸に抱き寄せた。 『わんっ』 するとカイくんは一度小さくみ〜ことに向かって一鳴きすると、ふるふると尻尾を振ってぺろりと顔を舐めてきた。 「あ、え、あ……ちょっと待ってください、あの、あう……」 そして初めみ〜ことははあわあわと戸惑っていたが、しばらくするとカイくんのその行動にも慣れたのか、やがて小さく「ふふ」と笑顔を漏らした。それを見て甲斐は大丈夫そうだと安心すると、自分も荒見の横まで移動してその姿を見守る。 「どうやら妹さん、カイちゃんに好かれたみたいね」 「ええ、そうみたいですね。いや、よかったですよ。実はあいつ最近までかなりの田舎にいた箱入りだったもんで、あんまり人とも動物とも触れ合ったことがなかったんです。だから今日は助かりました。ありがとうございます、荒見さん」 「あら、いいのよ。カイちゃんも喜んでるみたいだし、気にしないで。ほら、あの子ったらあんなに嬉しそうにして。よっぽど妹さんのことが気に入ったのね」 くすりと笑を漏らした荒見に続いて視線を戻すと、そこにはさっきにも増してぶんぶんと尻尾を振るカイくんの姿と、それに嬉しそうに満面の笑みを見せるみ〜ことの姿だった。その光景は午後のやわらかな日差しとあいまって、凄く優しい光景で……ついついいつまでも眺めていたくなるような、そんな穏やかさを感じさせられた。 その様子を見た甲斐は一瞬どこか眩しげに眉尻を下げ目を細めると、その場に静かに座ってそんなみ〜ことの姿を見守り続けるのであった。 |
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