「東方紅執人」



「悠、お茶を」

早乙女 悠。
俺の名。女の子っぽい名前とよく言われる。

「かしこまりました」

高級な雰囲気を漂わせるティーカップに紅茶を注ぎ、吸血鬼レミリア・スカーレットの前に差し出す。

「ここに来た時と比べると、随分慣れたようね」

元々、俺は外の世界の住人だった。しかしいつの間にかこの世界、幻想郷にいた。
どうしてこの世界にいるのかは未だにわからない。しかし原因を知ったところでどうにもなることではないと割りきった。

「はい。それもお嬢様もとい、咲夜さんや美鈴のおかげです」

この館、「紅魔館」の主人レミリアを俺はお嬢様と呼ぶ。
わけがわからずにいた俺は、偶然この館にたどり着いた。そして初めて出会った幻想郷の住人がレミリアだった。
レミリアは俺をここに置いてくれた。当時、一人何がなんだかわからずこの世界に来て孤独だった俺には、悪魔であるレミリアが天使に見えた。
レミリアは言った。
「わたしのことはお嬢様と呼びなさい」、と。
その瞬間から、俺は彼女のことを「お嬢様」と呼ぶようになった。

「それに戦闘能力の方も、当初とは比べ物にならないぐらい上がったわ」

「それは、お嬢様の上手で厳しい指導のおかげです」

俺は軽くほくそえむ。お嬢様もふふっと微笑しながら紅茶をすする。

前の世界に未練は無い。

自分と共に過ごした家族も、親友と呼べる仲となった友達も、俗世間の流行や遊戯にも。

ここでの生活が未練を無くさせた。



紅魔館の執事となった俺のここでの役目は大きく分けて三つ。

食事の準備、掃除、その他もろもろの手伝い。
フランのお世話。
紅魔館への不法侵入者の殲滅。

これらが俺に与えられた仕事。いまや生活の一部になり、苦ではまったくない。

「ちょっと、悠」

背後から声をかけられる。

振り向くとそこには銀色の髪をしたメイド服の女性が立っていた。

「咲夜さん」

「そうよ。見ればわかるでしょう」

この女性の名は十六夜咲夜。
この館で俺以外の唯一の人間であり、メイド長でもある。
お嬢様に対しての忠誠心は俺以上で、時間を操って戦う瀟洒で完璧なメイド。年は俺と同じくらい。

「何の用で」

「これをフランお嬢様に」

渡されたのは小さな熊のぬいぐるみ。よく見ると体の数箇所に、糸で縫った後がある。

「ちょっと縫い目が目立っちゃったかしら」

「そんなことはないですよ。フランもきっと喜びます」

「そう、ならいいけど。じゃあよろしくね」

「はい」

優雅な足どりでその場を去る咲夜さん。

彼女にはここに住み始めたころ、本当にお世話になった。
家事的なことは元々得意だったのだが、なにしろ前の世界とは環境が違う。お嬢様やフランを初め、人間からしたら空想上の妖怪が住むここでの生活には戸惑った。
そんな俺を助けてくれたのは咲夜さん。
俺がここの執事になれたのはあの人のおかげが大きいと、今でも深く感じる。

(フランには注意してやらないと)

あいつ、フランドール・スカーレットは、俺がいないとすぐにぬいぐるみを壊してしまう。寂しさを物にぶつけるのだ。

いままで強大すぎる力のため、地下の一室に閉じ込められていたフラン。
そんなフランと初めて会ったとき、彼女は臆病になっていた。
他人との関わりに奥手になっていた。その生活のせいで。
俺はお嬢様に懇願した。
フランを外に出してやってくれと何度も頭を下げた。
姉妹の問題に首を出してはいけないのかもしれない。
俺がどうこう言ってどうにかなる問題ではないとは思う。
でもあいつを、フランを外に出してやりたいという気持ちが俺の心の奥底から湧き上がったのだ。
それがどうしてなのかは、自分でもわからない。

俺の必死の態度をじっと見つめていたお嬢様は、口を動かした。

「あなたが絶対に妹に辛い想いをさせない。それを約束するならばフランドールを地下の部屋から出してあげてもいいわ」

お嬢様が出した契約。

そんな約束を出してくれたこと自体が奇跡だった。お嬢様は本当は優しい人だとつくづく実感した。

俺は契約を交わした。その証として、俺の首にはお嬢様に噛まれた跡が紅く残っている。

それからフランは自由に外に出れるようになった。

でもまだ寂しさは残っている。俺が付いてないと駄目なようだ。

でも前よりはいいと思う。それは、確実に。



「ガチャリ」

「あっ、悠!」

俺が部屋のドアを開けると、フランが笑顔で迎えてくれる。

「咲夜さんが直してくれたぞ」

預かっていたくまのぬいぐるみを渡す。

フランは少し気落ちした様子で「今度、咲夜にお礼言わないとね」、とつぶやいた。

「……ぬいぐるみ、次は壊したりするなよ」

ぷいっ、と横にうつむくフランの表情からは、怒り、悲しみのどちらとも読み取れる。

「悠が、ずっと一緒に居てくれればだいじょうぶだもん……」

そんなこと言うなよとフランの頭を軽く撫でる。いまにも泣きそうなフランを見ていると、俺まで涙がこみ上げて来そうで困る。

撫でていた手を離し、また後で来るからと部屋のドアに手をかけると執事服の袖を掴まれる。

「……」

フランは無言のまま、袖を掴む手を離さんとする。

「フラン、俺も仕事があるんだ」

出来るだけ優しく言ったつもりだ。でもしっかりわかってもらえる程度に気持ちを込めて。

「……うん」

仕方なく、といった感じで手を離すフラン。

ごめんなフラン、ごめんな。

その言葉を心の中で何度も繰り返しながら、俺は部屋を後にした。



館を出て、門に続く紅い道を歩く。

すると前方から緑のチャイナ服を着た、咲夜さんより少し背が高い赤髪の女性がこちらに歩み寄ってくる。

「これからお遣いですか?」

「ああ、夕食の買出しだ」

彼女の名前は紅美鈴。紅魔館の門を守護する門番。
美鈴はお嬢様やフランとは違い、外見では判断しにくいがれっきとした妖怪である。

「いってらっしゃい!」

「……」

「無視しないでください!」

俺はぼりぼりと恥ずかしそうに頭をかく。こいつは、こういう性格なんだ。
元気で素直で人見知りしない、いわば性格の良い女の子。

「うん……」

「うん、じゃないですよ!ここはいってきます、でしょう!」

美鈴はおかしなところで俺に注意する。そんな美鈴に俺は度々ペースを崩される。

「……いってきます」

恥ずかしくて下げた顔を上げると、笑顔の美鈴がそこにいた。

「はい、よく言えました」

おまえは俺をなめてるのか?そんな言葉が喉まで出かかっている。

でも、そういうやつなんだってことを俺はよーく知っている。

そういうところがみんなに好かれるんだということも知っている。

だから少し、うらやましい。



買出しのため人里に向かう途中、俺はずっとフランのことを考えていた。
















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