二風谷雛菊が西行庵に身を寄せて三週間という時間が過ぎた。季節はもう春になる。
 彼女の一日は朝早く出かけ測量を行い。夕方には庵に戻り、二人分の夕餉を作るという過ごし方をしていた。

 測量(そくりょう)とは。

 地球表面上の点の関係位置を決めるための技術・作業の総称。地図の作成、土地の位置・状態調査などを行う。
 西行庵を拠点にしての地図作成も順調に行われ、雛菊の測量士としての腕前も確実にあがっていた。
 此処での測量も、もう少しで完了する。ただ、一箇所だけ西行老人に立ち入りを禁止された区域を除けばだが。

「此処さえ測量できれば、一度白玉楼に戻れるのに……」

 雛菊の持つ、伊能忠敬作成地図には黒海荘と名前だけが書かれ、詳細は記されていない。
 彼女が作り出している地図の方には骨灰荘と新しく名前が書かれていた。






 黄金の光を放つ稲は陸田から姿を消し、庵の周囲は夜が支配できる領域となった。
 優しい闇が支配する空間。西行と雛菊が居る小さな庵の板戸の隙間から僅かに明かりが漏れている。

 明かりの先には西行老人が一人で酒盛りをしており、徳利を手に持ちどぶろくを煽る。
 つまみは雛菊が作った団子だ。



 団子を口に運び、徳利を口につけ喉を大きく一つ鳴らす西行老人。

「しかし、縁は奇なりとは、いうたものじゃのう」

 西行が此処に庵を建てたのは数季前。それまでは冥界をフラフラとあてもなく彷徨っていた。
いや、違う。

 怨霊を探し冥界を巡っていたという方が正確か。

 胡座をかく彼の脇には妖夢の持つ楼観剣の倍はある、太刀と呼べる程に刃渡りの長い刀が置かれている。
 西行は数季前にであった神達の事を思い出していた。

 西行と彼等の出会いもまた、雛菊と同じく冬の季節であった。

 アイヌのカムイ達が酒盛りをしている所に偶然に行き合った西行。
 
 冥界に入り初めて出会ったアイヌではない存在に、カムイ達は彼を歓迎したのである。
 その中でも、話が合ったのがアペフチカムイとワリウネクルだった。

「そなた、実に興味深い体質を持っているな」

 西行の半人半霊という体質を見た男神が発した声。
 アイヌでは人を作り出した神と言われるワリウネクルでさえ、西行の体質は非常に興味をそそられるものだったようだ。

 この一件があって以来。初めての邂逅の後も二柱とは付き合いがあったのである。
 慎ましい酒盛りをするだけの関係ではあったが、西行にとっては心地の良いモノでもあった。

「西行殿、ここで朽ち果てるかもしれない我等に、希望の種が残っていたのだ」

「ほう? 希望の種とな」

 西行の持ってきたどぶろくを、ぐいっと飲みワリウネクルが陽気に話しだした事があった。

「この間、白峯凌で亡霊姫と出会ったのだ、そなたが話す通りの美人であったわ」

「ほほう、姫と会いなさったか」

 西行寺幽々子に出会った事が希望の種。そうではないだろうな。と西行の考えとアペフチカムイの声が出たのは同時だった。

「西行殿には申し訳ないが、亡霊姫の連れていた幼子が我等の希望なのです」

「貴殿の体質を使った肉体を幼子に与えた、これを許して欲しい。あの子はアイヌカムイの囁かな希望なのだ」

 幻想郷につながる冥界でひっそりと存在を無くしていこうとするカムイ達に頭を下げられては、駄目だとは言えない西行だった。

「アペフチにワリウネクルか……その時、彼等が発した名前が……雛菊だったな」

 フフッと思いだし笑いをし徳利をもう一度口につけ喉を鳴らした。

「そなたらが見守る娘は確実に成長をしているぞ、この儂が保証しよう」



 数日後、西行庵での朝餉の時だった。

 雛菊と西行、いただきますをしてからお互い無言で食事をする。
 岩魚の塩焼きを口に運び、咀嚼を終えて味噌汁を一口啜り、ごくんと喉を鳴らす雛菊。
 正面で食事をする西行に意を決して呼びかける。

「西行翁(さいぎょうおう)」

 雛菊は彼のことをこう呼ぶ。

「今日こそ私は骨灰荘(こっかいそう)の測量をしたいと思います」

 椀を持ち白米を口に運んでいた西行の箸が止まる。
 西行が立ち入りを禁止した区域が骨灰荘と呼ばれる建物がある周辺区域であった。

「雛菊や、前にも言うたであろう、骨灰荘の測量を行ってはいかん」

「どうしてですか! 私は測量を行うために冥界を回っています。ここだけに留まる訳にはいかないんです!」

「ならば言うてやろう、骨灰荘は危険な怨霊の巣なのじゃ」

 雛菊と西行が初めて出会った時に対峙した数多の怨霊は骨灰荘から来たのである。
 二人がかりで一刻という時間を使ってやっと退治出来たのだ。雛菊一人では取り殺されるのが目に見えている。
 そんな場所に行かせられる訳がない。

「急がば回れと言う言葉もあろう。急いては事を仕損じるとも言える」
「旧地図には乗ってはいない、測量をしておらぬ北西部があろう、其処を先に済ませれば良い」

 骨灰荘の話は此処までだ、と言う感じで西行は再び箸を動かした。
 雛菊は西行老人を睨んでいたが、これ以上の問答は無意味と知り、ため息をついて食事を再開した。

 食事を済ませた西行は出かけ、雛菊も北西部に向かう準備をしていたところ、隣にコロが舞い降りて餌をクレとひと鳴きした。

「コロ、何処に行ってたの? 一緒に食事を取りなさいと何度もいってるのに……」

 コロの食事を用意しながら雛菊は西行とのやり取りを思い返す。
 行ってはならない、そうは言われたが骨灰荘の測量を終え、早めに白玉楼に戻りたい。

 白玉楼を離れ早くも三月と言う時間が流れた。
 大好きな幽々子と妖夢に会いたい、測量を頑張った事を褒めてもらいたい。
 そんな思いが日々増していっているのだ。

 今の雛菊は、軽いホームシックにかかっている様子。

(やっぱり骨灰荘を測量しないと……)

『行きたいのか? あの地に』

 頭の中に男の声が響いた。

「誰?!」

『お主の目の前に居る』

 頭の中の声は雛菊にそう呼びかけた、彼女の目の前にはコロだけが居るが。ワタリガラスのコロは雛菊をジッと見つめていた。

 ペンタチコロオヤシは何時もの雰囲気とは違い、何か神ががった様な姿に見て取れる。
 雛菊はコロの雰囲気にのまれかかった。

「コロ……お前なの?」

 雛菊を見つめるコロは彼女の頭に直接言葉を送る。

『もう一度問う、何があっても、あの地に行たいのか?』

 コロの問いかけにゴクリと唾を飲み込んだ雛菊は小さく、だがはっきりと頷いた。
 コロが翼を広げると黒いはずの翼の内側は七色の光で満たされていた。

『ならば、私が食ったお主の記憶を全て返そう、目覚めよ雛菊。我が主、トゥスとして!』

「コロ、どういうこと?!」

 雛菊は七色の光を受け目の前が真っ白になった。





















 雛菊がコロの光を浴びた頃。西行は骨灰荘に続く一本道の入口で佇んでいた。

「時間をかけて蛍丸を此処まで追い込んだのはいい、だがしかし……惟澄よ、これがお主の願いなのか?」

 骨灰荘には行くなと雛菊には言った。その理由とは?

 西行は骨灰荘に巣食う怨霊の親玉である蛍丸を滅する為に冥界を歩き回っていた。
 蛍丸と西行の最初の邂逅は数季前になる。

 その時は痛み分けという形で終わったが、度重なる衝突の末にやっと骨灰荘まで追い込んだのだ。
 蛍丸は現在、西行の結界にて骨灰荘に閉じ込められている。

 西行でさえ手を焼く蛍丸の尋常ではない強さ。
 雛菊を一人で向かわせたなら蛍丸により絶対に取り込まれてしまう。
 それが分かっているからこそ、少女を向かわせることを良しとしなかったのだ。
 
 もとより、蛍丸を滅した後に測量をさせるつもりではいたのだが。


「惟澄よ……あの子の……いや冥界の為だ、お主の愛刀、この儂が責任をもって滅しよう、許せよ」


 西行は迷いを捨てる様に背中の太刀に手をかけ、自分自身しか入れない結界を張った入口を一歩踏み込んだ。

 骨灰荘とは黒海荘であり、日本と言う国が二つの天皇を有した時代、南北朝時代に建てられた。
 つまりは白峯凌と対をなす、冥界における南朝側の御所である。

 南朝の中でも、阿蘇惟澄(あそこれずみ)という人物は南北朝時代を語るに必要不可欠な存在である。

 だが、阿蘇惟澄が蛍丸という刀を愛用していたという事を知る者は少ないだろう。
 数々の戦の中でも惟澄の寵愛を受け、彼と共に戦場を駆け抜け、数多の武士を屠りさった蛍丸。

 いつしか蛍丸は自我に目覚めた、主人を助けるために主人の想いを果たす為に。

 だが、歴史の通りに阿蘇一族を有した南朝は敗北を喫した、南朝の敗北は冥界にも影響を与える。
 黒海荘と呼ばれ、美しい湖畔に建てられた黒塗り館は廃れていき、やがて怨念を持った者たちの巣窟となり果てる。

 恨みを持つ霊や、霊体を維持できない者などは骸骨のままで存在し、黒海荘はいつしか骨灰荘と呼ばれるようになったのだ。

 蛍丸も例外ではなく骨灰荘の住人となる、元は刀であるが自我を持って冥界に来たのだ。
 付喪神という存在になった蛍丸は、全身黒ずくめの忍者の様な姿で冥界に存在している。


 骨灰荘の本丸で座した忍者姿の蛍丸は西行の結界が動いた事に気がついた。

「西行よ、我を滅しに領内に立ち入ったか……だがもう遅い、返り討ちにしてやるわ」

 黒頭巾で顔が隠されている蛍丸。分かるのは狂気の色。一色に染まった瞳だけである。












 白玉楼はすっかりと日が落ち、夜の闇一色に染まっていた。

 白玉楼の主である西行寺幽々子の自室。
 普段はもう明かりが落とされ寝ているであろう。だが行灯の灯は消えてはいなかった。

 障子に映る幽々子の影。読書をしている格好が写し出されている。
 夜の見回りに出ていた妖夢は遠くからそれを確認する。

「最近の幽々子様は、この時間になると一人でお篭りになられる」

 幽々子はこの時間。妖夢でさえ寄せ付けないのだ。
 誰にも邪魔されず過ごしたいということなのであろうか。

「今夜も遅くなりそうですね、もう一度見回りをしましょう」

 幽々子が寝るまで妖夢は寝ない、読書の邪魔をせぬよう半人半霊の少女はもう一度、白玉楼の見回りに出るのであった。

 幽々子は自室で黒塗りの本。富士見の娘を読んでいた。

 本の内容は、西行妖という妖怪桜と、歌聖の一人娘である富士見の娘に関係する物。
 幻想郷にまつわる史実物である。

 富士見の娘、西行妖満開の時、幽明境を分かつ、その魂、白玉楼中で安らむ様、西行妖の花を封印しこれを持って結界とする。

 本の最後にはこう書かれており、今でも富士見の娘が西行妖の元に埋められている事を示唆していた。
 本を閉じ立ち上がり、障子をあけ西行妖が在る方向に視線を向ける亡霊姫。

(長いこと冥界にいるけど、こんな内容の事は知らなかったわ……)

 西行妖の方から緩やかな風が流れはじめ。幽々子の頬を桜の花びらが一枚かすめる様に飛んでくる。

 妖怪桜を見つめる幽々子の瞳は、好奇の色。一色に染まっていた。








――東方神威譚 六話 西行のお話――


遅くなりましたが、あけましておめでとう御座います。
此処まで読んで下さり誠に有難う御座います。

神威譚も後半部分に入りました、今回は西行翁視点での話です。
後半部の序章といった内容となっております。


今後、雛菊が幽々子がどういった行動を見せるのか、書いて行きたいと思います。

では次回でお会いいたしましょう。




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