爽やかな風が吹く、若草が辺り一面を緑一色に染め上げる広大な土地。遥か遠くまで見渡せる丘。陽炎の様に三本の尖塔が遠くで揺れる。

 その緑一色の丘に、月下麗人という表現が一番に当てはまる一人の女性が大気の澄んだ青い大空を見上げている。
 若草の生い茂る絨毯の上に座り女性を見上げる少女が一人。

 少女の目には下腹部を重そうに細い両手で支えながら立っている女性が映る。
 お腹の大きさから察すると妊娠8ヶ月に相当する大きさか?

「この子が生まれたらあなたは、良いお姉ちゃんになってくれるのかしら?」

 月下麗人が少女の方に優しい微笑みを投げかけ問いかけた。 
 突然に月下麗人の顔が光だし、辺りの景色も白い闇に変換されていく。

 次に出てくる映像は異国の滅亡シーン。

 先ほどの月下麗人が祈りを捧げている一室。一つの大きな石板には文字がビッシリときざんであった。

「この国はもう……今の時代ではどうにもならない、わが子よ後の時代に貴方の力で……」

 祈りを捧げた月下麗人は足元に六角形の魔法陣と三角形を混合した魔法陣。そしてその二種を包み込む大きな円形の魔法陣を描き出し、自身の命をかけた大儀式魔法の行使を開始した。

「転写(てんしゃ)の棺(ひつぎ)……わが願いを叶えよ!」

 両腕を大きく開いた月下麗人を中心にして又も白い闇となる映像は徐々に白い闇が晴れていき、薄暗い部屋の景色を映し出した。

 ベッドの上で飛び起き見慣れた自分の部屋の景色が目に入ってくる。

「……今のは、夢…か…」

 少年の頬から冷たい汗が出ており、それを利き手である左手でぬぐう。

「暫くみなかったけど。又見るようになってきちゃったのか……」

 少年。速人は寝汗をびっちりとかいていた。

 ベッドの上で呟く少年は、この後に続く夢はけしていい物でないことを分かっていた。今見た夢は彼の辛い記憶をたどる序幕にしか過ぎない。
 過去の記憶を思い返す速人は自分の身体に眠る【力】に怯え。体を震わせた。

「こんなモノがあるから……僕はいつも……怯えないといけない」

 彼がこの【力】の存在を知ったのは高町家に預けられる事になった原因である黒部ダム決壊事故の数週間の事だった。速人の脳裏には思い出したくもない映像が映し出されてくる。

「……ちゃん。ハーちゃん」

 自分を呼ぶ女の子の声がする。ハーちゃんと呼ぶ女の子は自分が知る中で一人しかない。生まれた日が一緒である女の子、親同士親交があり、物心付く前から隣に居て当然の人物。

 自分も女の子の名前を呼んで返事とする。

「なに? なのちゃん」

 保育園での帰りの事。飛鳥速人と高町なのは二歳だが後一月で三歳になろうとしている。

 喫茶店経営で忙しい高町家ではなのはを除く家族は全員で夕方から夜にかけて店の業務に参加する。
 一人ぼっちになるなのは。彼女は平日、飛鳥の家に一時的に預けられる事がある。

「おばちゃん呼んでるよ? 帰らないの?」

 床に座っていた速人に対し中腰の姿勢で話しかけたなのはの指さす方向をみると母親である飛鳥鈴奈がなのはと自分に対しておいでおいでをしていた。

「なのはちゃん。速人、帰るわよ」

 飛鳥鈴奈(あすかれいな)。高町士郎と同じボディーガード職についていたが、最近は近くの剣道道場の講師をしている。

 速人の父親。飛鳥時人(あすかときと)も同職についていたが、長女エナが生まれ数年たった後に鈴奈と共に退職し、今は海鳴市役所の職員として働いていた。
 士郎とはよほどウマが合ったのであろう、引退後も個人的につながりを持っていた。
 
 飛鳥家と高町家の親交は士郎の大怪我を起因にさらに深くなる。
 喫茶店経営の忙しさに加えてなのはが生まれた直後。
 士郎はボディーガードの職務中に発生したテロ事件に巻き込まれ、要人を守りきるものの自身は生死を彷徨う大怪我を追った。
 
 この頃の翠屋はまだ目玉商品であるシュークリームの開発をしたばかりであり、固定客をつかむ為に桃子は店を一人で守るしかない。
 乳飲み子であるなのはの世話もしながらは流石にきつくなる。
 
 桃子と同年代の鈴奈も同じ日に生まれた速人がいるため授乳等の世話を引き受け。
 時人も市役所務めの利を生かして経営関係のバックアップ等をし、長女のエナも翠屋のアルバイトを率先していれたりもしている。
 なのはにとっては第二の家族とも言える存在が飛鳥の家族だった。
 
 保育園に来て飛鳥の家にかえり鈴奈と速人と一緒にお風呂にはいる。この日常が高町なのはの生活パターンの一つでもある。

 なのはには兄恭也と姉である美由紀がいるが。士郎と桃子の間に生まれたのはなのはのみで第一子だ。この頃の彼女は聞き分けが良い女の子。
 速人は飛鳥家では第二子という事もあり俗に言う甘えん坊であった。性格の違いが出るのはその差なのかも知れない。
 まぁ、なのはは飛鳥の家から高町の家に戻り。家族を待つ間は一人寂しい思いをするわけだが。

 次の日の保育園での事。
 
 迎えを待つ為に庭で遊んでたなのはと速人が保育園に迷い込んだ子猫を見つけたのが事件の始まりだった。
 人懐こい子猫は二人にじゃれつく。

「ハーちゃんこの子猫かわいいね〜」

「そうだね……」

 迷い込んだ子猫の寂しさを察したのか、この子猫は自分と同じなんだと思ったなのはは子猫を抱いた。
 幼いながらも子猫の寂しさというか自分の寂しさをうめる為に抱いた感じではあった。子猫の頭を何回も撫でるなのは。
 
 速人も動物が大好きであるが、なのはの様に抱こうとはしなかった。
 父である時人に動物の話をよく聞いていた速人の頭の中に時人の言葉が思い出される。

『動物と言うのは人間が変にかまってはいけない。住む世界が違うんだ、もし飼うならその動物が死ぬまで面倒を見なければいけないんだぞ』

 父の言った事を素直に受け止めていた速人は、なのはに注意をする事にする。

「なのちゃん。あまりかまっちゃ駄目だよ……この子猫おうちで飼えるの?」

 速人の物言いに普段は合わせるなのはだが、この日は違った。
 子猫に自分を重ねた為に素直に彼の言葉を受け入れなかった。

「ハーちゃん酷いよ。この子寂しがってるじゃない、可哀想だよ」

「でも……このままじゃ駄目だよ?」

 二人の行動がいつもと違うので付近で遊んでいた男子グループが気がつき寄ってくる。
 なのはに抱かれた子猫を見つけた彼等、愛くるしい動物の子供。なのはでなくても触りたくなるというものだ。

「高町が子猫見つけた! 俺たちにも触らせてくれよ!」

「駄目、この子なのはが見つけたの!」

 自分自身を子猫に見ている彼女は男子達に渡すまいと声を出し逃げる。自分達の思い通りにさせてくれない女子に男子達は渡せよ! と後を追いかける。

「なのちゃん! みんなも駄目だよ……」

 家では親にわがままとかを言う速人であるが基本的に気が弱い、保育園では大人しくしている方である。
 逃げて走るなのはに注意をし男子達にも声をかけるが尻すぼみになりなのは達に声は届かない。

「高町捕まえて子猫奪うぞ!」

 運動があまり得意じゃない彼女である、速く走れない。男子達に直ぐに追いつかれてしまうのだ。
 追いつかれ抱いていた子猫を奪われるなのは。

「よこせよ!」

「あ……」

 短く声を発したなのはは子猫を奪われた反動で尻もちをつき地面にペタンと座った状態。男子達の一人が強引に子猫を奪っせいで彼女のほほには男子の肘が当たり痛みのせいでほほに手をあてた。
 
 彼女の瞳には頬の痛み、子猫を取られたショック。両方の感情が入った涙が湧き出てくる。子猫を奪った男子がなのはを見て言う。

「お前が逃げるからこうなるんだ、素直に子猫渡せば良かったんだ!」

 一人の女の子に怪我をさせておいて、謝る事もしない。得てしてこの時期の子供の発言というのはこんな物であろう。
 自分達は悪くない、悪いのは言うことを聞かなかった相手なんだ。彼等の言い分はこんな所か。

 この諍いを見ていた速人の中で何かが切れた。
 
 理由はどうであれ人を傷つけると言う事は悪い事、悪い事をしたら……気がつくと速人は男子達の前に立ちふさがっていた。
 彼等と目を合す訳じゃなく俯いたままでボソリと声を出す。

「……は?」

 小さい声で全部は聞き取れなかった男子達は速人をみていう。

「飛鳥、お前なんでそこにいるんだよ? 邪魔だ! どけよ」

「ごめんなさいは?」

 もう一度声を出して男子達に聞く速人。
 男子達は速人の言ったごめんなさいの言葉に納得がいかない。
 子猫を手に入れたものの、なのはに暴力を振るった事に対しては先の感情からか素直にはならない。
 ましてや目の前の速人は普段はおとなしい、自分達にたて突くこと自体がいままでに無い。
 ここはもう無視して子猫をおもちゃにしたほうが楽しい。
 
 こんな感じで速人を無視して何処かに行こうとする男子達。速人の脇を通り過ぎる男子達にもう一度速人は声に出して言う。

「悪い事をしたらごめんなさいでしょ? なのちゃん……怪我してるよ?」

 二歳児とは思えない低い声で男子達に言う速人。

 背中越しに声を聞いた男子達と違い真正面にペタンと地面に座ったなのはは本気で怒った速人の表情を見た。
 いつも一緒にいることが多いなのはでさえ見た事も無い表情。

 速人の綺麗な『鳥羽色』の髪の毛は肩までかかる長さだが、風も無いのに逆立っていた。
 はのはの瞳には白金色の光を身体に纏った彼の姿が映しだされ尚もその光は強くなっていく。速人の変身を見て小さく震えたなのはの一言。

「ハーちゃん……こわい……」

 背中越しに速人の低い声を聞いた男子達も速人の異変に気がつき速人の方に振り向いた。
 男子達の手に抱かれた子猫は恐怖で男子達の手の中でもがき逃げ出す。
 
 振り向いた速人を見た男子達の表情もなのはと同じく恐怖に引きつる。白金の光が人の形を取っているのだ。

 今の速人の身体は瞳だけをギラつかせている。殺人者のような瞳は見たものを恐怖に陥れるには十分過ぎる効力なのか?
 男子達もその場にペタンと座り込みしきりにごめんなさい、ごめんなさいを繰り返し大声で泣き出した。

「速人! もういいのよ!」

 保育園の正門から大声が聞こえた。ちょうど迎えに来た鈴奈の声だった。
 急いで速人の元に向かう鈴奈の声を聞いた速人は白金色の光を止めて普段の姿に戻り、気を失ってその場に崩れる様に倒れこんだ。





 数時間後。速人は自室で寝かされており、飛鳥家のリビングでは時人と鈴奈の二人で話し合いをしていた。

「そうか、速人が【力】に目覚めたのか……」

「ええ、幸い発見が早かったので、その場にいた子供達には私の【力】で記憶を消したけど……なのはちゃんだけには何故か効かなかったわ」

 鳳凰院(ほうおういん)の一流派のひとつである鳳凰の太刀という武術を使う飛鳥一族には、異形の能力とも取れる【力】(ちから)という存在がある。
 鈴奈の持つ【力】は記憶の操作が可能というものであり、夕方速人が起こした事柄を当事者達の記憶から抹消させる事に使ったのだ。

「なのはちゃんは、お前の母乳を飲んで育っているからな【力】に対しある程度の耐性を持っているのかもしれないな」

 時人がなのはに鈴奈の【力】が通じなかった要因となるものをあげてから呟いた。

「本家に連絡して対策を立てることになるな……目覚めるのが早すぎる」

「そう…ですね」

 リビングで話す時人と鈴奈の表情は暗いものであった。

 この後、時人が言った本家(ほんけ)と呼ばれる鳳凰院流派の宗家と連絡をとった飛鳥家は、三月十五日に黒部ダムに来いという指示を受ける事になる。

 三月十五日なのはと速人の三回目の誕生日である日。その年の十一月十五日に七五三という日本の風習からこの年齢に達した子供達はおめかし等をして家族で祝い事をするのであろう。
 男の子は三歳と五歳。女の子は三歳と七歳にこの行事を執り行う。本来なら数え年でやるのだが現在では満年齢でやるのが通例だ。

 だが、鳳凰院ではこの七五三に別の意味がある。それは【力】の方向性を見定める為の儀式が行われるのである。
 旧暦の十五日。かつては二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり何事をするにも吉であるとされた。

 本家が指定したこの日(三月十五日)はその鬼宿日にあたる日であった。鳳凰院ではこの儀式を星詠み(ほしよみ)と呼んでいる。

 本来は星詠みを行わない限り【力】の発現はありえないのである。方向性を見出さないと発現させるための修行もできないのだ。
 時人も鈴奈も娘であるエナも星詠みを行い【力】の方向性を見出してから修行を行っている。

 もっともエナは未だに【力】の発現をしていないのである。速人の力の発現が早すぎると言う時人の言葉が分かると言う物だ。















 暗い自室の壁を見つめる少年。飛鳥速人。ベッドの上に座りタオルケットを腰から下に掛け幼少期の記憶をたどる。
 壁を見つめ、しばらく夢を見なかった事に対する謝罪なのか?

「お父さん……お母さん……僕はあなた達にとって不幸を招く存在でしかなかったよね?」

 速人はそんな事を口走る。














 



 栃木県日光市黒部。利根川水系鬼怒川に設置された重力式コンクリートダムが存在する場所。
 一般に黒部ダムと言うと日本で最も堤高の高い富山県の黒部ダム(黒四ダム)を想像するが、栃木にも黒部ダムは存在する。

 知名度から言えば低いこの黒部ダムではあるが、日本初の発電用コンクリートダムという歴史あるダムでありそのため来訪する観光客もいる。
 黒部ダムに程近い庵(いおり)で飛鳥一家は鳳凰院での正装である和服を全員が着込み和室で宗家の主の登場を待っていた。

 庵の障子が音も無く横に開き、宗家の主、鳳凰院を統べる人物が現われる。現在の鳳凰院宗家の主は女性。名を飛神御角(ひかみみかど)という。
 既に八十は超える年齢であるが、容姿が三十台後半を保っているのは鳳凰院の【力】故の物なのか。

 上座に御角、下座に飛鳥一家という配置で庵の風景は落ち着いた。端正な顔立ちの女性に速人は見とれた。綺麗な人……だけど厳しそう、と言うのが彼の第一印象だった。

 母である鈴奈も綺麗で厳しさを内包している人物であるが、速人にとっては甘えさせてくれる人物である為に彼の脳内からは除外されている。

 御角が正座をすると、時人が頭を下げるそれに続いて母と姉も頭を下げる。速人も子供心に同じ事をしなければいけないと思い家族と同じ様に頭を下げた。

 そんな速人を見た御角は厳しい表情を少し崩し時人に声を掛ける。

「時人、その子が速人か?」

 頭を下げたままの時人がはい、そうです。お方様と答える。時人はそのままの姿勢を崩さずに話し出す。

「本来なら此方から本山に出向かねばならんのですが。このような配慮をしていただき、真にありがたき幸せです」

 御角は時人に頭を上げなさいと一言いい、障子に向かって誰か茶菓子をと声を出した。

「よいのですよ、鳳凰院一の太刀の使い手である貴方達の願いです。私に頼みごと等……今までに無かったのですから」

 星詠みは本来、鳳凰院の本拠である京都で十一月十五日に行われるのであるが、速人の早すぎる【力】の発現に対し時人は直接宗家の主である御角に星詠みを依頼したのだ。
 御角はそれを聞き入れ本山と風水関係が同じであるこの黒部ダムの庵を星詠みの場所として指定したのであった。

「さて、久しぶりに会ったのです。お茶でも飲みながら話でもしましょう」

 庵の室内に茶菓子が用意されると御角は飛鳥一家にお茶を点て始めた。

 暫くは他愛の無い世間話をした後に、御角は速人の方に身体を向け、優しく語りかける。

「さて、速人や。私と少しお話しましょうか?」

 御角に優しく見つめられると、彼女の黒い瞳の中には僅かに金色の点が光っておりその光の点に速人は引き込まれていった。
 その様子を見た時人、鈴奈とエナは庵から静かに出て行った。御角による星詠みが始まったのである。

(速人にとってこの星読みがどういう結果になるとしても……私は)

 母である鈴奈は庵から出る際にそのような事を考えていた。

 御角は速人の深層意識に入り込み、前世がどうだったのかを覗き込む、鳳凰院の【力】というのは前世がどうだったかで左右される事が大きい。
 仮に前世が獣であればその者は身体に関係する【力】に目覚めやすい。御角の星詠みというのはそういうものなのである。

 記憶の壁を突破して御角は速人の前世部分の記憶にたどりついた。それと同時に速人の中にも前世の記憶映像が映しだされた。

 ある世界に一人だけ存在する自分。

 自分以外は誰も存在しない時が止まった空間。そこで唯一人だけで突っ立っていた。分かっていること、それは……又自分が世界を破壊した事だけである。

 本来なら力を使った後に自分自身すらも無に帰すはずなのであるが、自分は何故か存在していた。
 作り出した者が言うには失敗作という者も居れば、奇跡の産物と言うものも居た。自分から言わせればどっちでもいい。唯、今の扱いから抜け出たい、それだけだった。

 すでに幾つもの世界を破壊した、いつからそうしていたのか記憶が無い。でも破壊するたびに思うことがある。

「私は、悲しいのか?」

 世界に住む人々の色々な想いが力を使う度に自分に流れ込んでくる。悲しみ怒り……時の止まった世界の中、光輝く身体を自分で抱きかかえ嗚咽する。

(これは……今までに見た経験が無いものだ……人でも獣でも物の怪でもない……だが、余りにも禍々しく強大な力)

 長い事生きてきた彼女をもってしても見た事が無い映像に御角は焦り、速人の持つ力の強大さと脆さに恐れを感じる。






 二時間後、御角は時人と鈴奈を呼び出した。
 速人は姉のエナと一緒にダム付近の広場にて星詠みの疲れを回復しに行っていた。
 御角の表情はかなり疲れている感じであった。此処まで疲労している彼女を時人も鈴奈も見たことが無い。

「お方様……それほどまでに速人の力は……」

 鈴奈が御角の身体の心配と我が子の力の強大さを感じ取り発した言葉だった。

 御角は暫く両目を閉じて考え込んでいたが、纏まったのか二人に正対して話し始めた。

「あの子の力は鳳凰院にとって、災いをもたらす存在です。術に関連するものでも技に関連するものでもない」

 いうなれば圧倒的な力による破壊。
 大きな津波で漁村を一気に水没させる様な力。御角は速人の力をこう表現した。

「あとは、発現の起因となるのが感情に依存している所……これが危険過ぎる。感情の封印をして力そのものの封印も考えないといけない」
「もし、その力が最大限で発揮されればあの子の命も尽きる……これから先、あの子には未来があると言うのに。なんと悲しい事でしょう」

 時人達が庵で話している頃。そよそよと僅かに風が流れる心地よい空間で飛鳥姉弟は二人で話をしていた。姉弟といっても、三歳の速人に対しエナは十六歳である十三も離れている姉と弟である会話などは親子のような感じになってしまう。

「おねえちゃん、僕はこれからどうなっちゃうんだろ?」

 速人の言葉にエナはどう返えそうか迷っていた。星詠みの結果を聞かなければ判断もつきかねる。
 自分の時は短時間で済んでいたこの儀式、二時間もかかった速人の星詠みに得体の知れないものを感じ取る。迂闊な事は言えない。

 だけど血を分けた弟である。不安は取り除いておきたいという想いもあった。

「そうね……速人はどうなりたいの?」

 エナが出した声は速人の質問に質問で返すと言うものだった。
 これからどうなるではなくどうしたいか? 速人の意識を受動的から能動的に切り替えさせようと考えたのだ。

 姉の質問に暫く考えた速人はう〜んと唸ってから答えを言う。

「僕はね、お父さんお母さん、お姉ちゃんやなのちゃん達とずっと一緒に暮らしたい」

「そっか」

 うん! と言いニコニコと笑いながら応える速人に先の言葉で返すエナは弟の綺麗な鳥羽色の髪をなでた。

 弟の出した平凡な答えに彼女は少し安心した。楽しい事を考えさせれば不安も取れるであろう、そう考えたエナは高町の家族の事を考えさせた方がいい、そう考えた。
 
 だが結果的にこの後エナが発した言葉が速人の【力】を呼び覚ます事となってしまった。

「なのはちゃんも、今頃は恭也君や美由紀ちゃんと一緒にお出かけしてる頃かな?」

 なのは。というキーワードで速人は先日の事柄を思い出す。速人の脳裏には怪我を負わされた彼女の泣き顔が映し出されてくる。

「なのちゃん……この間ね、泣いてたよ……子猫取られて、きっと悲しい想いをしたんだ」

 顔を下に向けてなのはの心の痛みを共有するように震えだす速人。それに呼応するかのように周りの気候が変化し始めた。僅かに流れていた優しい風が止まり、速人を中心として張り詰めた空気が二人の居場所を包み込みはじめる。

 張り詰めた空気は勢力を増して行き、黒部ダム全体を急速に包み込む。

「僕はね……好きな人たちが傷つくのを見たくないよ……」

 速人の頭の中に声が響き渡る。自分でも聞いた事が無い不気味な声。

(お前は破壊する為に生まれてきたのだ……全てを破壊してしまえ)

 この声を速人は自然と受け入れてしまう。受け入れると言うより命令された為に反抗できなかったと言うべきか。

「傷つくのを見るのは嫌だから! ダカラ……ボクハ……スベテヲムニカエス」

「速人……どうしちゃったの?」

 エナが急に立ち上がった速人に声を掛けた時。ダムのコンクリート部分にひびが急速に入り、ダムが崩壊を始めた。

 大地を揺るがす振動、天を貫く轟音。重力式の水門が全部破壊され、黒部湖に溜め込んであった水が一気に鬼怒川下流に流れ込む。

 速人達が居る広場は黒部ダムの下流域である、暴れ狂う濁流に飲み込まれるのは火を見るより明らかだった。

 白金の光の身体になりはじめた速人を抱きしめて必死に元に戻るように懇願するエナ。だが彼の耳には実姉の声は届かない。

「だれか……弟を助けて……父さん母さん!」

 速人を抱きしめながら力の無い自分を悔やみ天空を見上げる飛鳥エナ。彼女の瞳に黒い光の点がどこからとも無く舞い降り速人の身体に入るのが映った。

 その刹那に濁流が迫る。エナは両目を閉じ身体を強張らせる。このまま自分は死ぬのだろうか? そう考えた。

 しかしエナが想像していた濁流の衝撃はこなかった、耳元で濁流の轟音は確かに聞こえているのだが……そっと目を開くと其処には野太刀を両手にしっかりと握り濁流を切っている父が居た。

「エナ、よく速人を放さなかった! それでこそ俺の娘だ!」

 父、飛鳥時人の【力】は全ての存在を斬る事ができる力、水の様な流体にもその効果は発揮される。

 後ろには母である鈴奈がエナと速人の二人を抱きかかえた。

「あなた達を此処からつれだすわ、お方様のところまで一気に飛ぶわよ」

 鈴奈は人間とは思えない跳躍力をもって娘と息子を安全な所まで運んだ。
 速人の身体は元に戻り意識を失っていた。

 この後、御角に二人を預け母は父と共に黒部ダムに観光に来ていた全員を救出する行動に出る。
 でるのであるが、最後の一人を救出する際に今までの【力】の開放が祟り最後の鉄砲水に飲み込まれ命を落とす結果となった。

 黒部ダムの決壊は事故として全国に報道される。
 ニュースを見た海鳴市にある高町家では、事故により死亡した二名の名前をみて動揺が隠せなかった。






 飛鳥夫妻の葬儀を行った時の事である。高町士郎はエナに呼び止められた。
 親友の為に葬儀委員長を買って出た士郎は親友の娘が話す事を真面目に聞き入れる。

 それは、速人の強大な力の封印の儀式に立ち会って欲しいと言う事。
 それと力ない自分を悔やんだ結果。修行の間、翠屋の手伝いを休ませてくれと言う物だった。

「それなら一年間。速人君は家で預かろう、その間に君は力の発現に集中するといい」

 士郎の申し出はエナにとって心強い物となった。

「まずは速人君の力の封印の立会いだね? そちらも心得たよ」

 封印とは速人の感情の起伏を極力抑える自己暗示をかけ、尚且つ強大な力を抑えるための術が背中に掘り込まれた。
 速人の髪色はこの時から銀髪に瞳の色は青眼に変化してしまう。

 封印が終了して高町の家で暮らす事となった速人は前にも増して口数が少なくなったが、なのはと接する時だけは以前と同じ感じに話せる様であった。
 この時から速人は絵を描くという行為をする様になった。
 感情の起伏が平坦になった事による口数の減少に反比例するかのように絵を描く事に没頭していくのだ。

 なのはをモデルに絵を描いた時は、其処になのは自身が居るかのような精密な描写をするまでになっていたのである。

「はーちゃんの絵は凄いね、まるでなのはが居るみたいだよ」

「ありがとう……なのは……」

 なのはの感心した声に対しての速人の反応は嬉しさを表す言葉は使ってはいるが、抑揚は平坦でありとても嬉しいと表記できる物ではなかった。
 また、なのはをなのちゃんと呼ばなくなっていた。




 速人は鳳凰院から封印を施された後に決まった夢を見るようになった、
 名も知らぬ世界の月下麗人の姿の映像から始まり、麗人が居た世界の崩壊。
 一人終わった世界でたたずむ自分だと思う存在、そしてその後で確実にみる父と母の死の映像であった。

 封印を施された直後。御角に言われた事は【力】を使えば自分は命を落とすと言う事だった。
 エナとも約束をした。できるだけ大人しく人生を生きると。

 速人が再びこの海鳴市に戻ってきた時の事。

「おかえり、速人君」

 小学四年になり、はーちゃんから呼び方を速人君に変えはしたが幼い時と同じ笑顔で速人を迎えたなのは。

「た、ただいま……なのは」

 一緒に住んでいた時のままになのはと呼ぶ速人も又彼女の変わっていない部屋を見て懐かしむ。
 二人で居た時によく遊んだ部屋。そのときの情景が速人の頭の中に再生されていくのだが一つだけ違うものがあった。

 それは一つの写真立て。なのはと一緒に笑顔で写る少女の写真。

 速人はその写真に写る少女の姿に見入った。綺麗な紅い瞳と長い金髪をツインテールに纏めた少女に。

 その事に気がついたなのはが、速人に話す。

「その子、私の大切な友達でフェイトちゃんって言うんだよ」

「そう、なんだ……綺麗な子だね……」

 久しく忘れていた感情の高ぶりを速人はフェイトに持った。多分それは。一目惚れと言う奴だった。


――魔法少女リリカルなのは 星の道光の翼 Distant Worlds ――
          第八話 力の記憶 



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