2005年12月03日 木曜日


「お〜い、起きてるか〜」

 その言葉と扉をノックする音で目が覚める。
 時計に目を向けると夜の七時を過ぎたあたりといったところで、ほぼ毎日この時間帯になるとこのようにドアをノックされる。
 それと同時にこれから何が始まるのかを色々と予想しながら立ち上がり扉を開けた。

「おっ、やっぱり起きてやがったな。それじゃ今日も勝負しようぜ!」

 面と向かっての挨拶がいきなり攻撃的な巨体の男の名前は森田土豪と言う。
 昔からの知り合いであり、今風の言い方で言えば幼馴染と言うやつに入るだろう。
 そのまま土豪の影に目を向けてもう一人の人間の存在を確認する。

「あ、すまねえな。土豪の奴がぜんぜん話を聞かなくてよ」

 そうさわやかな笑顔で話しかけてくるのは同じく昔からの知り合いである鳴海敬詑智だ。
 すらっとした体系とその容姿の良さ、そしてなにより学校ではその存在を知らないものがいないほどの有名人である。
 まぁ、それを言えば俺たち三人組はあることで学校の風紀委員や教職員から目の敵にされている人物である。

「それじゃ表に場所移すぞ!」
「ほら、京谷。いくぞ」

 先に走り出す二人に軽い返事を返し、俺、響京谷は後を追う。

 寮の廊下を走って移動する俺たちの姿を見ているのだろうか、ぞろぞろとドアを開けて他の生徒が飛び出してくる。
 もう気にすることもなくなったその異様な光景を眺めながら二人に追いつく。

「今日こそは俺が勝ってやるぜ」
「そうか、がんばれよ」
「おう、当たりめえだぜ。ってわけだから京谷!」

 にやけた顔で俺を見てくる。

「覚悟しとけってことだぜ覚悟しとけってな」
「おまえ覚悟しとけって二回言ってるっていうか、なんだその言葉遣い。おかしすぎるぞ」
「うっせ!」

 そしてたどり着く場所は決まっている。
 寮の前、夜静かになると思われていた寮の前はきらびやかに照らされており、今からここで俺と土豪が行うことがとても神聖なものに見える気がしてくる。
 そして極めつけは数多くのギャラリーたちの姿である。
 それぞれが手に小さな紙を握っているのが少しばかり気にかかる。

「おらっ!」

 そのギャラリーの視線に答えるように土豪は勢いをつけたまま玄関を飛び出し、そのまま玄関前の広場で片腕を突き出す。

「土豪! 勝てよ!」
「俺たちの今月の遊び金がかかってんだぞ!」

 周りから聞こえてくる言葉に耳を傾けながら、俺はのんびりと土豪の前に立つ。
 土豪からはすでに勝負を始められる雰囲気がかもし出されており、これからどのような勝負が行われるのかを考えるのは容易なことであった。

「京谷!京谷!京谷!」
「京谷はオッズが低いが安定型だ。これで勝つる!」

 どうやら周りのギャラリーが持っているのは賭け伝票らしい、見たところオッズの高い土豪を支持するものが多いようだ。
 しかし、そんなことは関係ないこと、これは俺と土豪の勝負だ。
 軽くこぶしを握り土豪へと構えを取る。

「へっ、今日はドッグファイトだぜ」
「それじゃ二人にルール説明をするぞ」

 そしてどこから出してきたのかマイク片手に司会者らしく現れる敬詑智、その格好はどこかの司会者を模範してかサングラスを掛けている。
 
「ルールは簡単、片方でも膝を地面に着くまたは倒れる、もしくはこの広場から外に出たら負けってルールだ。制限時間無しなんで大いにバトってくれ」
「そんなことは知ってるから早く始めようぜ」
「…………」

 やる気満々の土豪、そのやる気をちがうところに役立ててもいいのかもしれない。

「それじゃ、響京谷VS森田土豪。レディー………」

 拳に力を込める。

『ファイト!!!!』
 ゴ〜〜〜〜〜ン!!!

 ドラの音が鳴ったと同時に左足に力を入れて一気に土豪の懐へと入り込む。
 腹に向かって勢いをつけた拳を放つ。
 少しばかり入ったが、異常なほど鍛えられた腹筋によってダメージはほとんど皆無である。
 そのまま土豪の鉄と言っても差し支えないほどのパンチを身を捻って避けて一気に距離を開ける。

「ふっ、俺の腹筋を舐めると痛い目見るぜ」
「腹筋じゃ攻撃できないがな」
「うっせぇ! 今度はこっちから行くぜぇぇぇぇぇぇ!!!」

 まるで猪か闘牛のような体格が猛スピードでタックルをかましてくる。
 これにあたれば骨の一本や二本は軽く折れてしまうだろう。しかしそれは当たったらの問題だ。
 迫りくる巨体の横へと体を突出させるが、ここで一気に跳躍する。

「もらったぁぁぁぁぁぁ!!!」

 その瞬間、土豪が一気にタックルの体制を解除し、勢いそのままに回し蹴りを放つ。
 それは跳躍していなかったらいるであろう俺の足元へと向かっていき、大きな粉塵をあげながら地面にぶつかった。
 跳躍を終えてすぐさま振り返り確認する。
 まるでそこに小型の爆弾でも仕掛けられていたかのように地面が大きく抉れていた。

「なんで避けんだよ」
「…………避けるためだ」

 地面が抉れるほどの威力を持った蹴りだ。それこそ当たるわけにはいかないだろう。

「さすが土豪。あの蹴りだけでこの町の不良全員を病院送りにしただけはあるな」
「黄金の足、ゴールデンキック、いやキックオブゴールデンだ」
「さすがキックオブゴールデン!」
「何だよそのあだ名! 意味わからねえし!」

 周りの観客に向けて吼えているところ悪いが攻撃させてもらおう。
 観客に注意が向いている土豪の背中に向けて捻りを加えた回し蹴りを浴びせる。
 土豪の筋肉質な体にはあまりダメージは無いだろうが、意識が観客に向いている今ならどうにかなる。

「いでっ! って、卑怯だろ!」
 
 一発目の蹴りでこちらに向き直った土豪は腕を前で組み、俺の繰り出す蹴りをすべて受け切っている。
 だが、俺はこの蹴りをずっと維持し続けるつもりだ。

「くそ、何発蹴るつもりだ」
「さすがは土豪の相手を唯一できる京谷だな。あの土豪が何もできずにいるぜ」
「まったくだ、響京谷ゴットスピード。いやゴッドスピード京谷だ」
「さすがはゴッドスピード京谷!」

 蹴りを続けることもう数十発目だろうか、土豪の腕をそろそろ弾けるくらいまでになった。
 あと一押し続ければ手は外れてそのまま顔面にでも数発蹴りをお見舞いできるだろう。後はそのまま場外に出すか、思いっきり踵落しで顔面から地面に倒れさせるか。
 だがその瞬間、顔を向けた先には余裕の表情を浮かべる土豪。

「甘いぜ京谷。この腕の筋肉が弱くなろうとも、足だけは生きてるんだよ!」

 その言葉とともに腕を組んだ状態から片方の膝を着きつつ屈みこんだ土豪はそのまま残った足で俺の腹にめがけて蹴りを―――

「!」

 大きく抉りこんだ蹴りの反動を吸収できず。そのまま体が後ろへと飛ばされる。
 視界が一変し、背中に痛みを感じながら夜の空が目に写った。
 どうやら蹴りを受けてそのまま倒れてしまったようだ。
 蹴りの威力もあり、負けてしまったようだ。

 そして、目線を戻すと蹴りを終えて仁王立ちをする土豪の姿があった。

「俺の勝ちのようだな。ってわけで夕飯のカツ丼をよろしくな!」
「ああ、わかった」

 すばやく立ち上がってから、俺は腹に受けた蹴りで点いた汚れを払った。



 ◇◆◇◆◇


 
 夜の食堂が開始する合図は今日のような俺と土豪の勝負事があった日は大抵、その後になる。
 しかし、そこからはもういつも通りの生活が始まり、誰しもが今さっきの勝負に関しての話をすることなく、それぞれの輪に入りながら夕食を楽しんでいる。
 そして俺たち三人は一番端にある指定席とも呼べる位置に陣取り腰を下ろしていた。

「すんません」

 席についてからの土豪の第一声はそれであり、それを聞いているのは敬詑智である。
 敬詑智は今さっきの勝負を仕切る上では神と呼べる存在である。
 なら、敗者である俺がその敬詑智から何か言われるべきなのかもしれないが、状況は少しばかり違う。

「おい土豪。ちゃんとルール説明を聞いとけよ」
「だってよぉ、あの時は夢中で全然気がつかなかったんだって」
「言っただろ、片方でも膝を着いたら負けだって。おまえあの蹴り出したとき完全に片方膝着いてただろ」
「仕方ねえだろ、これで京谷に一矢報えると思うと体が止まんなかったんだからよ!」

 興奮して話しているところ悪いが、そんなことでルールを破棄されてはたまったものではない。といった感じで敬詑智は話をしている。
 まぁ、実際の殺し合いになっていたらそんなこと関係ないのだろうが。
 俺にとってはそんなことはもうどうでもいい問題である。
 しかしこれ以上ここで言い合いをする意味など無く、食堂では食事をするべきであるので二人を諭す。
 
「そんなことより夕食を」
「おっ、そうだったな。はぁ〜、京谷もカツ丼で大丈夫だよな?」
「別にかまわない」

 一応勝者であるわけなので、土豪のおごりと言うことでカツ丼をご馳走してもらうことになっている。
 土豪の財布事情は一応耳にしているが、奢ってもらう事に躊躇はない。
 
「おっ、そうだな。それじゃちょっと行ってくる」
「そんじゃ少し待ってろよ。おばちゃんに頼んで、すっげぇぇぇデカイカツ丼にしてもらうからよ」

 あまり多く食べたいってわけではないのだが………
 少ししてから二人がそれぞれお盆に、買ってきた夕食を乗せてやってきた。

「最後ってことで肉一切れ追加してもらえたぜ。ラッキ〜!」
「俺は惣菜をこんなにもらえたぜ」

 残り物の天ぷらやハムなどの惣菜だけで埋め尽くされている丼を見る限り、これはいったい何なのかと考えるが、少しばかりはみ出しているから揚げを見る限り、もともとはから揚げ丼であったのだと理解できた。
 かなりのボリュームであるから本当に食べきることなどできるのだろうか?

「ほい、京谷」
「ああ、ありがとう」
 
 土豪からカツ丼を受け取る。
 そこには本当に大きなカツが乗っていた。切れてない状態で。
 なるほど、単純な土豪の扱い方をよくわかっている食堂のおばちゃんだ。大きなカツをくれと言われたからカツを切らずに乗せたわけだ。
 カツ丼と言うことは偽っていないし、これは見た目上とても大きく見える。
 どうやらそのことに敬詑智は気づいていたようだが、まったく知らん顔をしたらしい。
 すでに黙々と自分の夕食に手を付け始めている。
 
「いただま〜〜〜す」
「いただきます」
 
 無駄に大きいカツは少々食べづらいが、そんなことを気にしない土豪は次々にカツを飲み込んでいく。
 そして夕食が始まってからは決まって土豪が話を始める、それが俺たちの食事の風景だ。

「そういえば敬詑智は進路どうするんだ?」
「何も決めてない」
「え〜」

 まぁ、土豪の反応を理解できないわけでもない。
 何せ今は12月、そう敬詑智は今年で卒業を迎えるわけで、本来ならば進路を決めている。もしくは進路を決めるために遊ぶ暇も無いような状態にあるはずなのだから。
 それが毎度毎度のように夜の遊びに付き合い続けているわけだからおかしいはずである。
 最初は何かそういう関係で仕事を得られるのかと思っていたのだが、この頃になってそんなコネがあるわけないだろ〜、と笑顔で話してくれた。
 なら、もう少し慌てるべきなのかもしれないが。

「ちょっとまてよ。今年で卒業するのに進路が決まってないってどういうことだよ?」
「いいじゃないか別に、俺はすべての流れに身を任せることにしただけさ。不況、不採用、死ぬことだって全てさ」
「なんだよそれ」
「敬詑智らしいと言えば敬詑智らしいな」
「京谷もなに言ってんだよ」

 なんか珍しく土豪が慌てている。
 普段はこんなことを気にする性質でもないのだが。

「敬詑智には敬詑智なりに考えがある。土豪にも土豪なりの考えがある。俺は人の考えを否定する気も肯定する気も無いから同意しているだけだ」
「ちっ、あらためて京谷の性格を再認識されるような台詞だぜ」
「まぁ、進路の話はこれくらいにしてよ。鄭山祭りの日にどうするか考えようぜ」

 その言葉に土豪の体がピクリと反応する。
 あのような話をしたばかりなのにいきなりそんなことを提案する敬詑智に何か言ってやろうとしているらしい。

「敬詑智、お前の考えはよくわかった」
「おお、今年の祭りは盛り上がっていくつもりでいる」
「ほお〜、それは俺の心配を反故にするっていう――――」
「メインディッシュはカツだな」
「敬詑智、祭りを大いに盛り上げようぜ!」
「さすが土豪だ。よくわかってるじゃないか!」

 何も言う気は無い。
 この二人はいつもそんな感じだ。
 それと土豪のことだからあの存在を忘れているのではないかと声を掛ける。

「それよりも土豪。テスト勉強は進んでいるのか?」
「???」

 なんだそのテストなんてあったっけ?って表情は、実際土豪のことだから忘れているんじゃないかとはうすうす感じてはいたが。
 土豪の成績はある意味で姉御の悩みの種だ。ここで一言告げておくのがいいだろう。

「来週の金曜からテストのはずだが」
「あ〜、なんか頭痛い」
「留年しないようにな」
「お前に言われたくねぇ」

 復活した土豪の一言に俺はそれもそうかと静かに頷く。
 土豪はテストと言う存在を思い出してうなり声を上げている。

「テストなんてこの世に無くていいって」
「その考えには同感だが、一応卒業するためには通らなくちゃいけない試練ってものだろう」
「こういうときだけ敬詑智はまじめに話すよな」
「まぁ、前年のこともあるからな」
「たしかにな……」

 前年というのは俺が留年をしてしまったある事件のことだと思われる。
 約三日間を掛けて行われた山張り谷張り合戦。三日三晩の不眠不休が祟って風邪を引くことになった俺は、期末テストすべてを反故にすることになり全教科赤点という異例行為を達成することになった。
 つまり、二学期にして留年を確定させられたわけで、その夜姉御に殴られた。

「去年はひどかったからな土豪もそうならないようにしたほうがいいぞ」
「なんか、胸を抉られるようなリアリティー溢れる話だな」
「なんてったってノンフィクションストーリーだからな」
「ならしょうがねえ、京谷!」
「ん?」
「ノートを見せてくれ」
「別にかまわないが」
「よっしゃ〜、それじゃ先に部屋行ってノート写ししてくるぜ」

 そう言って残った丼の中身をすべて平らげ、空になった食器を預けて一目散に食堂を去っていった。
 残された俺たちはそのまま静かに夕食を時間を掛けて平らげてから食器を返却BOXに入れてから食堂を出た。

 ◇◆◇◆◇

 京谷が部屋に戻るとそこにはちゃぶ台の上に大量のノートを広げて猛勉している土豪の姿があり、感心した敬詑智を置いて荒らされた鞄を整理する。
 教科書が少々折り曲がっているのが少しばかり気に障る。
 
「結構な量だな。これを今日中に全部写すのは難しいだろ?」
「へっ、自分でやるんだったら一生無理だろうが写すことに関してなら誰にも負けねえ」
「せめて、鞄を荒らしてそのままにすることだけはやめてもらいたいな」
「へっ、そんな細かいこと気にするもんじゃねえぜ」

 悪びれた様子もないが、これで喧嘩するのも些か気が引ける。
 そんなことを思っている間に敬詑智は来る途中、給湯室から拝借してきたお茶の準備をしていた。
 給湯室は生徒の使用が禁止されているが、そんなことを気にする敬詑智ではなかった。

「ほれお茶」
「お、サンキュー、それにしても敬詑智はなんで給湯室の鍵なんて持ってんだよ」
「ふふふ、いい男には秘密は付き物なんだよ」
「こいつ自分でいい男っていってるぞ」
「敬詑智はいい男なんだろう」
「このままガチムチの世界にいくのも悪くないな」

 その発言と共に実際に土豪の座る位置が敬詑智から一番離れた場所に変わる。しかも無言でだ。
 その行動に敬詑智は少しばかりの笑みを含めて―――

「そんなにやら「うぜぇ、消えろ」
「土豪、敬詑智に悪気は「京谷もさり気無く距離開けてるじゃねえか」

 危機を回避する権利は誰にでもある権利だからな。逆に危機に向かう権利もある。
 それはすべての命あるものに与えられてる権利であろう。

「まぁ、冗談はこれくらいにしておいてと、これからの活動計画を立てなくちゃならねえわけだ」
「活動計画ね。いったいどんな活動計画のことなんだかな」
「無論、今さっきみたいなガチムチ的な話じゃねえ、薔薇じゃねえぜ?」

 なんだろう、自然と敬詑智との心の距離が離れていく気がする。
 それに土豪も同意しているらしく、自然とその鉛筆に向かう力が強くなっている。
 一種の現実逃避とも思えるその行為に俺も混ざろうかなと思った瞬間、敬詑智の手がちゃぶ台の上に乗っかっているノート類をすべて払う。
 突然の出来事に土豪は思考停止していたがすぐさま何が行われたのか気づく。

「なぁにしやがんだてめぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「あらよっと」
 
 土豪の講義に耳を貸すことなく、敬詑智はどこからか取り出した封筒を置く。
 そこには大きく文字が書かれており―――

『遺言状』
「遺言状、あっ、そうか!」
「そういうことさ」
「………」

 明日は京谷たちにとって特別な日である。一年に一度の特別な日だ。

「琥零の命日………」
「そうさ、それで裏に書いてあるとおり、これは琥零が死んでから10年後に開くよう言われて、俺がずっと預かってきたわけだ」
「っで、開けるわけか?」

 顔をきらきらと輝かせる土豪。今まで開けることの許されなかった遺言状の内容に興味津々といったところだろう。
 それは敬詑智も同じようで少しばかり興奮すらしているようで、その二人を京谷は黒ずみ濁った瞳で眺めている。
 京谷は、その遺言状の内容がどんなことであろうとも興味を持つには至らない。

「それじゃ開くぜ!」
「おうっ!」
「ああ」

 全員の返事を聞いて敬詑智は静かにその封筒を開き、中から紙を取り出し、同時にその顔を傾げる事になる。
 その顔はどういう意味かを理解できていないといった感じだった。
 固まっている敬詑智から中の紙を奪って土豪も目を通すが、同じように首をかしげて俺に紙を渡す。
 静かな沈黙の中、俺はその紙を受け取りその内容に目を通す。

『明日の墓参りは京谷だけで来ること…………」

 達筆で書かれたその文字以外に何のメッセージも無い。だが、その文字は確かにここにいる三人が知っている琥零のものであるのは間違いなかった。
 この内容はつまり言えば京谷だけに宛てられた遺言状というわけになるわけで、残りの二人はなんともいえない声を出した。
 残念そうに溜息を吐く敬詑智と、それにあわせて難しい顔をする土豪、こういう顔をするときは足りない頭をどうにか動かしているときだ。
 部屋の中に漂うのは明日が特別な日であるということと、それに対する謎だけであった。
 例年ならば京谷達ともう一人で墓参りに行くのだが、この遺言状はそれをさせないようにするためのものにさえ感じる

「おっちゃんもおかしな遺言状を残したもんだな」
「ああ、今回の墓参りを京谷だけなんていうんだからな。親父なりに考えがあるんだと思うが………」
「わからないぜ、なんたってあのおっちゃんだからな、よくわからないことを考えたりするかもしれねえしよ」
「たしかに琥零のことだ。なにかあるのかもしれないな」

 遺言状の内容がどんな内容であろうとも、琥零から遺言状の内容を放棄する意味も無い、放棄したことによって何かが変なことが起きることすらありえる。
 彼らにとって琥零とはそのような存在なのだ。
 琥零、本名なのかそれとも仮名なのかはわからない。それはここにいる三人と、今ここにいないもう一人にとって親のような存在だった。
 その琥零は10年前に死亡している。そして死んでから10年後に開くように言われていた遺言状、なにか琥零が仕掛けを施していることが感じられるこの状況に、二人は少しばかりの期待をし、そして一人はただ黙々と静かにその文章を見つめていた。
 まるでこの数日のうちに書かれたようなその真新しい達筆を……………
 そして、その夜。墓参りは京谷一人だけに行かせるという決定を持って、その夜は解散となった。


 
 

 今宵の始まりは最初の始まり………… 
 



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