博霊霊夢がお茶を啜る。 閉じた瞳が長いまつ毛を際立たせ、ゆっくりと湯呑を傾けるその所作は気取りがなく且つ上品なものだった。 そこでとどめておけば、まさに楽園の素敵な巫女だ。 肘をつき、バリバリと音を立ててながら煎餅をかじってさえいなければ。 その傍らで良也は黙々と読書に勤しんでいた。 2人きりの空間でお互いに一切干渉せず、唯々自分の時間を満喫するその姿は 逆にお互いの信頼関係を思わせる。 傍目から見ればそれは長年寄り添ったカップルか夫婦か…。そのような事実はございませんと、両者の口から語られる。 『………良也さん』 声はすれども姿は見えず。 どこからともなく聞こえる声が良也の名を呼ぶ。 『暇ですわ』 「それ、もう4回目…」 否、姿はあった。 良也の傍らに鞘に収められた日本刀を思わせる直剣。声の発生源はそこだった。 森近霧之助がヒヒイロカネを用いて作った彼の伝説の剣、草薙の剣のレプリカである。 だがそれも今は昔、現在では性質の悪い悪霊に取り憑かれた呪いの魔剣と化していた。 『暇ですわ…… 暇ですわ!暇ですわ!暇ですわ! 暇ですわっ!!』 「子供か!?」 淑女、という言葉をご存じだろうか。 文字通り淑やか女性の事を指す。 この魔剣、自らを淑女と称しているのだが、この駄々っ子が淑女に映る者は一体どれだけ存在するのだろうか。 「そんなに暇なら霊夢でも眺めてろよ。巫女好きなんだろ?」 良也の中で、霊夢を眺めるだけでご飯3杯は軽いと豪語していた古河音の言葉が思い出される。 その古河音の記憶を持つ鈴芽ならそれも実行可能と考えた。 「ちょっと良也さん……」 今まで関心のなかった霊夢が迷惑そうな顔で睨みつける。 流石の霊夢も、巫女以前に女として聞き逃せない内容だったらしい。 頬杖をついて煎餅を頬張る姿は、巫女以前に女として疑問の残るところではあるが。 「ご心配なく、何から何まであの子と同じという訳でもありませんのわ。記憶を共通していても前世と来世で感性も異なるみたいですわね」 あの子、とは古河音を指しているのだろう。 以前彼女は自らを『前世の記憶を思い出した古河音』と称していたが 身体の分かれた今、古河音と自分を別人として認識しているようだ。 いつの間にやら霊夢と鈴芽とで雑談に興じていた。 何か通じるものがあるのか、いずれにせよ意識が自分から逸れてくれてほっとする。 ほっとしたついでに、再び手にしていたラノベに意識を向けた。 悲痛な過去が明かされる少女。それを嘲笑う敵の男。 そんな光景に主人公が激昂して敵に立ち向かう。 なんともベタな展開ではあるが、良也的にこういう熱い展開は嫌いではない。 『また1本、フラグ立ちましたわね』 「そう言うなって…。こういうのも含めて醍醐味っていうか………って、えっ!?」 ラノベから再び鈴芽に向かって視線を送る。 魔剣は邪魔にならないよう壁に立て掛けられている。 当然その位置から良也の読んでいる本の内容など分かるはずもない。そもそも目のない剣の視界がどうなっているのか疑問ではあるが。 しかも今の発言は良也がどのシーンを読んでいるか把握していなければ出来ないものだ。 「え…?今更だけどお前の視界ってそれどうなってんの?」 「視界は上下左右見えますが、それ以外は普通の人間と変わりませんわ。 ただ、良也さんの思考と視界をを少し読ませて頂いただけで」 「待てやオイ」 視界よりもとんでもない情報が後半に含まれていた。 「何それ、どういう意味?怖いんだけど……」 「言葉通りですわ。今の私は以前の能力を使えません。 ただ、今の良也さんと私は一種の契約状態にありますわ。これは私が宿る前からの『草薙の剣(レプリカ)のマスター』としての剣との繋がりですわね」 元来、この剣は当初皇族の血を引いていなければその能力を引き出せない『頑丈なだけの剣』でしかなかった。 それをとある一件から守矢の神、八坂神奈子により所有権を移してもらい今に至る。 契約状態とはつまり、その時に発生したものなのだろう。 『それを利用して、良也さんの視界から考えてる事まで閲覧させて頂きました。『いかん、この巻温泉シーンが絵つきであるな…。霊夢もいるし流石に読み飛ばさんと……』』 「ぎゃあぁ―――――――っ!!!」 もはや呪い以外の何物でもなかった。 下手なストーカーもびっくりなハイテク監視カメラ機能だ。 居た堪れない気持ちに負けて鈴芽の希望もあって、ただ今白玉桜までやって来ていた。 たとえ20代半ばを迎えてもその心は純情な10代の少年のまま。言いかえればヘタレだ。 来たからには屋敷の主に顔を見せる必要がある。 良也にとっては初めて幻想卿に流れ着いた際の場所でもあり、少し感傷に浸りながら辺りの風景を肴にゆっくりと歩いていた。 「あれ、良也さんじゃないですか」 そんな良也を見つけた一人の少女がトコトコと駆け寄ってきた。 彼女の名は魂魄妖夢。 代々半人半霊の珍しい体質を受け継ぐ白玉楼の庭師だ。 良也が幻想卿に流れ着いた頃、彼女にも色々と世話になっている。 この前の宴会以来ですねー、と雑談の最中に彼女の瞳に一振りの剣が目に入った。 「あっ!それを持ち歩いてるって事は今日は珍しく稽古に来たって事ですよねっ!?」 「いや、これには事情があって……」 突然、妖夢の瞳が爛々と輝きだす。 彼女は庭師であると同時に一人の剣士でもある。 弾幕ごっこが主な幻想卿において剣同士の試合はなかなかできない。 良也の腕を磨くという目的もあり、彼との稽古の際には普段よりテンションが高い。 『あらあら、可愛らしいお嬢さんですわね。 初めまして、私月詠鈴芽と申しますわ。以後お見知りおきを』 「…………………」 口をあんぐりとさせて、剣を見つめて固まった。 幻想卿なら、剣の一つや二つ喋り出してもおかしくはないかもしれない。 だが、妖夢にとってこの剣はただの剣ではない。 剣を扱う者にとって草薙の剣のレプリカはまさに喉から手が出る程希少な代物。 当然妖夢も例外ではない。 それが突然胡散臭い口調でペラペラと喋り出せば、固まらざるを得ない。 「どどど……どうしたんですかそれ!?」 「いや、なんて言えばいいのか………。 呪われた」 「それは残留思念ね」 白玉楼の主、西行寺幽々子は扇子で自らに風を送りながら答えた。 別に暑い訳ではなく、なんとなくその所作が最近のマイブームなのだそうだ。 「それってたしか物とかに宿った人の想いみたいなやつだよな?」 その辺りは霊能力者や魔法使い、はたまた超能力者の分野である。 物に宿った思念、つまりは感情。 例えば長年使ったアクセサリーなど、その人間と波長の合った代物にはその思念が宿る。 超能力者などがそれらを辿って物や人物を特定したりする。 あくまでそれは想いであり、幽霊ではない。 当然といえば当然だ。 幽霊とはこの世に残った魂の事であり、その魂は今転生しているのだから。 「そうね…。分かりやすく言うとご飯を食べた跡にお皿に残った汚れ、みたいな?」 『誰がしつこい油汚れですって!!?』 我ながら上手い事言った、そんな感じの幽々子に魔剣が一喝。 普段は余裕があるようで、案外打たれ弱かったりする。 『あぁ…そうでしたわね。貴女昔っから笑顔でさらっと結構毒吐いてましたものね……! 思い出しましたわ。そういう女でしたものね貴女は……!!』 過去の思い返してか、あの時もこの時も…とぶつぶつと呟き始める。 人にした事はすぐに忘れても、された事に関してはいつまでも根に持つタイプの様だ。 「あら……。 ひょっとして貴女、私の生前を知っているの?」 表情は一切変わらぬまま、声が、目が、先程までと一変した。 言葉のひとつひとつが、まるで相手の頭を掴んで離さないように。 視線が、まるで鋼鉄の檻のように。 その姿はまさに死を司る亡霊の姫君。 『ふふっ…。ご挨拶がまだでしたわね』 良也や妖夢が委縮する中、鈴芽もまた異様な雰囲気を纏いだした。 胡散臭く上品に、それでいてどんな圧力もものともしない。 それはまさに忘却異変を起こした時の記憶の魔女、月詠鈴芽そのものだ。 『私は月詠鈴芽。貴女とは……っ』 カキ―――――ンっ! 小気味良い金属音を立てて草薙の剣が飛んだ。 くるくると回りながら孤描き、そのまま地に落ちることなく異空間へと吸い込まれていった。 「ふぅ、良い距離出たわ☆」 突如として現れたのは八雲紫だった。 その手には金属製のバットが握られていた。剣を飛ばしたのはどうもソレらしい。 「〜〜〜っ!何すんだよスキマ!?」 良也が怒るのも無理はない。 突如手にしていた剣がバットで思い切り吹き飛ばされたのだ。 当然剣を持っていた剣にも衝撃は伝わる。 「あら、いたの?打ち頃の剣がちょうどあったからつい…ね」 「打ち頃の剣ってなんだよ……」 手を摩る良也を余所に、紫は尚もスイングを続ける。 意外とフォームもしっかりしていて、これならば夏の甲子園も怖くない。 「相変わらず意地悪ねぇ…紫は」 扇子を傍らに置いて、妖夢の持ってきた饅頭を食べていた幽々子の言葉に 紫はスイングを止めてそのままバットをスキマに入れた。 代わりに取り出したのはいつもの扇子だ。 「あら、私はいつだって親切よ?」 そう言ってそのまま幽々子の隣に腰掛ける。 饅頭を手にしようとすると、幽々子が脹れっ面で睨んできた。 「私が生前の事を知ろうとすると、いつもそうやってはぐらかすんだから」 「偶然よ。他意はなかったんだけど気を悪くしたのなら謝るわ」 「そうですわ……。 今すぐ土下座してこの私に謝りなさいこのスキマ女っ!!」 場の空気が、一瞬にして凍りついた。 その場にいる全ての者が言葉を失った。 「どうされましたの?まさか今さら私にしでかした事の重大さに気がつきましたの? 愚鈍にも程がありますわ。おっほっほっほ」 土樹良也が突然奇妙な喋り方で高笑いをするその姿に、誰しもがどう反応すれば良いか分からず困っている。 その間にも止む事なくペラペラと珍妙な口上は続いていく。 正直、気持ち悪すぎる。 「貴方……まさか鈴…芽?」 流石の妖怪の賢者も顔が引きつっている。 いくら紫といえどもこれ以上知人の醜態を見続けるのは耐えられなかった。 「その通り、恐れ入りました? 私ほどの天才ともなれば残留思念といえどこの程度造作もありませんわ!」 博霊神社で見せた、剣との契約を利用して良也の思考を読み取ったアレ。 恐らくはそれの応用なのだろう。 周りが自分の凄さに言葉が出ないと思っているのか、物凄く得意げな顔だ。 紫も、幽々子も、妖夢も、これ以上良也のこんな姿を見ていたくなかった。 「さぁ、跪きなさい。許しを乞いなさい!『鈴芽様、数々のご無礼大変申し訳ありませんでした』と素直に謝れば今回の件は特別に水に流して差し上げますわ!」 「……………………いい加減に しなさいよこの寄生虫エセお嬢様があぁぁっ!!」 ここまで聞き流していた紫も、限界を迎えてしまった。 良也(IN鈴芽)の胸倉を掴んで大声で叫ぶ。 いつもの胡散臭さも妖怪の賢者の威厳もあったものではない。 「聞き捨てなりませんわねっ!誰が寄生虫エセお嬢様ですって!?」 「貴女以外にそんな奇特な女いないでしょ!?来世の次は剣!?立派な寄生虫じゃない!引き籠りの金食い虫じゃないっ!!」 「そういう貴女は無駄に長生きの若作り覗き魔じゃありませんこと!?転生した先でまだご存命だったなんて驚きでしたわっ!!」 「若作りに関して貴女がそれを言う!?『私今日からしがない村娘』!?アレは傑作だったわ!おほほほっ!」 「その笑い方は私のアイデンティティでしてよっ!!」 「ふふふっ」 「笑い事じゃないですよ……」 そんな不毛な光景を遠目で見ていた幽々子が裾で口元を隠しながら笑っていた。 妖夢に関しては未だに良也のアレを受け入れきれていないらしい。 「えぇ〜…だっておかしいじゃない。長いつき合いだけど、あんな紫初めて見るもの」 「まぁ……たしかに」 それは主に友人である幽々子に会いに来た際に客人としてもてなす形ではあるが、妖夢が八雲紫と接する数は幻想卿でいえば決して少なくはない。 そんな妖夢でも、幽々子と話している際にあんな感情をむき出しにした紫を見た事はない。 「それなのに、どうしてでしょうね? あんな風に2人が言い合って。こんな風にそれを遠目で眺めてると なんだか懐かしいって、思えるの」 |
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