雨の降る中
赤と白の巫女服に身を包んだ少女が重力を無視して空を駆ける。
行くアテなどない。それでも自分の行く先に答えあると信じている。
否、確信している。

何をするでなく、ただ空を飛んでいると思考も暇になってきた。
なので、色々と考える。
例えば自分の行く先で待っているであろう異変の起こし主についてだ。
古河音、たしかそんな名前だったはずだ。
会う頻度はさほど高くなかったが人懐っこい性格をした少女だった。
それ以上に変な奴だった。

好きか嫌いかで言えば嫌いな人種ではなかった。だから同情くらいはする。
けれど、ふと疑問に思った。
自分の前世の行いなのだからそれは自業自得ではなかろうか?
というか聞く限りでは相手は『前世の彼女』ではなく『前世の記憶を取り戻した彼女』らしい。
ならば全面的に悪いのは古河音だ。
そう結論づけた彼女の中のひと欠片の同情は、あっという間に消え失せてしまった。






くぅ〜…と霊夢の腹が可愛らしい音を立てる。
そういえば昼食をまだとっていなかった。

「帰ったら良也さんに何か作らせようかしら?」

異変で疲れたあとに料理をするのは身に堪える。
自分で作る方が味は良いが、楽して空腹が満たされるならそっちが良いに決まっている。
となると、問題は献立だ。
先日食べたものとメニューが被るのは極力避けたい。

「…………あれ?」

記憶を辿った先に昨夜の晩ご飯の献立が浮かんでこない。
これはマズい…。
自分の記憶力の低下に流石の霊夢も危機感を感じざるを得なかった。
だが、記憶という単語で霊夢には現状に心当たりがある。

降り続ける雨を手のひらでいくらか溜める。
三日で記憶を洗い流すという雨。
もし現状がその雨の影響ならこれは三日“で”記憶がなくなるのではなく、三日“掛けて”少しずつ記憶がなくなることになる。


「こりゃ急がないと…………っ!」

献立を考えている場合ではない。
霊力の放出量を更に上げ、加速しようとした……その時。
見慣れた光の束が轟音と共にまっすぐ霊夢へと向かってくる。

すぐさま身体を反転させ、光を回避する。
高密度で速い、その効率的で豪快なその光に霊夢は見覚えがあった。





「どういうつもり、魔理沙?」

見上げた先には先ほどの光同様に、見覚えのある姿があった。
その黒い衣装と雨雲とのコントラストがとても曖昧な組み合わせである。

台無しになった洗濯物に異変、更には空腹につけ加えて行く手を阻む霧雨魔理沙。
霊夢の不機嫌度は限界値まで達しようとしていた。


「へへっ、悪の魔法使い参上だぜ!」

「はぁ……!?」

いつもの霊夢ならば、何言ってるのよ? の一言で軽く流しそうな魔理沙の言動。
今は眉間にしわを寄せて思い切りケンカ腰だ。

「何よそれ、新しいキャッチフレーズ?
どうでも良いけど私はいま忙しいの。後にしてもらえる?」

なぜ異変を解決する際には毎回こうも邪魔者がはいるのか。
この鬱憤を魔理沙にぶつけても良いが、霊力の消費は避けたいところだ。

「そうはいかないな。悪の魔法使いは巫女を退治するもんだぜ」

これで二度目。
そのフレーズがそんなにも気に入っているのか。
そう思ったところで違和感に気づいた。
目だ。 今まで異変の際に彼女と弾幕ごっこを通じて戦った事は幾度となくあった。
しかし今の彼女の目はそのどれとも違う。



「それは初耳ね。でも知ってる?
悪の魔法使いは正義の巫女には絶対に勝てないのよ」

「それは嘘だな。巫女ってポジションは昔から悪の魔法使いに捕らわれて人質にされるっていうのが相場だぜ?」

「退治するんじゃなかったの?」



巫女は妖怪を退治するものだ。
そこに何の迷いも戸惑いもなく相手を『敵』として認識する。
魔理沙の目からはどことなくそれと同じような雰囲気が感じ取れた。
今の彼女は自分を博麗霊夢として見ていない。
言葉通り『悪の魔法使い』として『巫女』を敵として認識しているのだ。

“記憶を操る程度の能力”
その真意を霊夢は改めて認識した。
この雨の事にせよ、悪戯にしては少々度が過ぎている。


「だったら、試してみれば良いじゃない」

けれど問題はない。
いつもの事だ。いつもの通りに邪魔者はやっつければ良いのだ。


「忘れたのなら思い出させてあげる、この幻想郷で巫女がどれだけ恐いものなのかを」

そして首謀者を叩けば万事解決。魔理沙も元通りだ。
そう、霊夢の勘が告げている。





















「……おっと、ここからもう少し北西の方角ですね」

「分かった!」

良也の指示に慧音が従い方向転換。
慧音と良也とでは空を飛ぶ速度にかなりの差があるが、そこは彼女が良也に合わせている。
霊夢の様に不思議で素敵な勘がない以上、彼等は技術で補う他ない。
そこは仮にも魔法使い見習い。
雨に含まれるわずかな魔力を元に少しずつではあるがダウジングによって霊夢同様に鈴芽の下へと向かっていた。


「………すまない。こんな事に巻き込んでしまって」

不意に告げられたその謝罪の言葉は相当落ち込んでいる様に感じられた。
彼女の事だ。本来なら誰にも頼らず一人でこの異変を解決したかったと思っているであろう事は紫でなくとも察しはつく。
慧音にしても良也が争い事を好まない性格は知っている。
だからこそ彼を巻き込んでしまった事に責任を感じているのだろう。

「良いですって。異変に巻き込まれるのだって初めてじゃないし。それに今回は……っ…アイツとも知らない仲じゃないですし…」

『今回は他人事じゃない』
そう言おうとした言葉を寸でのところで飲み込んだ。
そんな事を言った日にはますます自分を責めてしまうだろう。








なんとなく気まずい空気の中、振り続けていた雨がぱたりと止んだ。
突然の事に2人が辺りを見渡すと雨が止んだのではなく、その空間だけに雨が降っていないのだとわかった。
辺り一面が淡く光っており、いくつもの泡がぷかぷかと浮かんでいる。

「これは……」

2人が幻想的な空間に呆気にとられる中、泡のひとつが良也の肩に触れる。
するとそれはシャボン玉の様にパンっという音を立てて割れてしまう。

次の瞬間。

「………っ!!」

割れた泡の中から突風が吹き荒れた。
吹き荒れる風は周りの泡を次々と割ってゆき、その泡からまた風が―――……
連鎖的に大きくなっていく突風は2人に襲いかかる。

「良也くんっ!」

風に耐えきれず吹き飛ばされそうになった良也の身体を慧音が手を掴むことでなんとか支えた。
その慧音ですら、少しでも油断すれば共に吹き飛ばされかねない突風だ。

徐々にその風は威力を弱めてゆき、頬を撫でるそよ風程度のものになる。







「―――泡符・『修羅場フラグの地雷』」

「古河音……っ!!」

2人の前に泡に包まれた月詠鈴芽がゆっくりと高度を下げて降り立った。
前回とは違い完全に敵として対立して初めて気づく、強者特有の風格の様なものが彼女を包んでいた。

「記憶を取り戻す前に作った新技ですわ。ですが、流石はお姉さま。
アレだけの突風の中チラリズムすら見せないとは、そのガードの堅さには感服いたしますわ」

わずかに顔を赤らめる慧音に対して、おほほほっ と楽しげな笑い声が響き渡る。
紫との会話の中でも時折見せていた古河音に似通った彼女の中の下種な部分。
現世の影響かはたまた前世の頃からの性格なのか、そういった部分がやはり生まれ変わりなのだという事を感じさせられる。


そんな嵐の前の静けさの様な他愛のない会話の間に、良也は辺りを見渡していた。
慧音が強い事など百も承知。
それでも千年前、あの八雲紫と渡り合ったという彼女だ。
正直、こういう時こそ異変の専門家が頼りだった。



「……霊夢さんなら、もう少し到着に時間がかかるかと」

「………っ!!?」

その発言に記憶を読まれたのかと驚きを隠せない良也だったが、そのはずはない。
土樹良也の能力“自分だけの世界に引き籠る程度の能力”はあらゆる概念に作用する能力を無効化する。
時間や心、今回で言えば記憶といった概念に作用する能力に対しては強力な能力だ。
あの十六夜咲夜や古明地さとりの能力ですら遮断する程に。

故に、今回は単純に良也の考えを読んだのだと考えるべきだろう。
そうでなくては、紫の見出した解決策も成功率が格段に下がってしまう。




「今頃、魔理沙さんが霊夢さんを足止めしてくださっているはずですわ。
流石の彼女といえども、魔理沙さん相手では素通りは難しいでしょう」

もう少し取り乱してくれると期待していた鈴芽はがっかりした様にタネ明かし。
このタネ明かしで今度こそ取り乱してくれるよう期待する。

「……は!?なんで魔理沙が……!?」

なかなかのリアクションにすっかりご満悦だ。



「なんでも何も、敵に挑んで負けた仲間キャラが洗脳されて主人公に襲いかかるというのは王道中の王道ではありませんの。
苦戦しつつも魔理沙さんに呼びかける霊夢さん!そこを愛のパワーで魔理沙さんを元通りに!!……というのが理想ではありますが、霊夢さんなら普通に倒してここに来てしまうでしょうね☆」

洗脳……つまりは記憶を操ったのだろう。
本当に物騒この上ない能力だ。
人は、認識することでその相手を敵か味方かの区別をつける。
だが、この能力はそんな当たり前の根底を覆してしまう。

加えて今の話が本当なら魔理沙は鈴芽に負けて霊夢に襲いかかっているという事になる。
あの魔理沙を相手に弾幕ごっこで勝利して、今涼しい顔をして目の前に立っているのだ。





「いい加減にしないか古河音っ!!」

叫ぶような慧音の声が一面に響き渡った。
今の彼女を、古河音だとは認めたくない。
けれど、認めなければ前には進めない。だからこそ呼ぶ。
彼女の名を。自らの妹の名を。


「異変を起こす!?結構だ!今まで妖怪や人もこの幻想郷でやってきた事だ!
弾幕ごっこがしたいならすれば良い!それでたくさんの友人を作れば良い!
だが、人の紡いできた歴史とも呼べる記憶を、努力を弄ぶ事は決してやって良い事じゃない!!
人のそれまで歩んで来た道を誰かが勝手に手を出して良い訳がないんだっ!!」

歴史を食い、歴史を創る彼女だからこそ言える言葉なのかもしれない。
彼女を古河音であると認めたからこその、初めての説教だった。











『貴女自分の言ってる事を理解してる!?それはもう幽々子じゃない!私の記憶から作られた幽々子の形をしただけの人形よっ!!そんな事が許される訳ないでしょ!?いや……私が許さないッ!!!』









「…………くすっ」

そんな彼女の姿に鈴芽の脳裏に浮かんだのはかつての旧友が初めて感情を露わにして見せた姿。
既視感、デジャヴという言葉がある。
見た事もない、聞いた事もない、そんな出来事を前にどこかで出くわした様な感覚におそわれる事をいう。
案外それは前世で見聞きした光景がどこかで見た様な感覚にさせているのかもしれない。
ふと、そんな風に思った。



「面白いものですわね。人生というものは……。けれどそうではないでしょう?
異変を解決するにあたって、起こし主に出会った時どうすれば解決できるのでしたかしら?

止めたいのであれば、どうぞ止めて見せてくださいまし。…お姉さま。…良也さん」

話し合いの場は、消え失せた。
ラスボスを前に戦闘を回避する事など不可能なのだ。
相手は、あの魔理沙をも退けた大妖怪にも匹敵する存在。



「良いだろう。お前と弾幕ごっこをするのは、これが初めてだったな」

「…………………」

そして、この異変の鍵を握るのは――――……。











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