博麗霊夢は不機嫌だった。

絶好の洗濯日和に溜まった衣類をまとめて干したと思いきや
それを嘲笑うかのような大雨に見舞われた。
巫女を支える天性の勘も、万能な予知能力という訳ではない。
外れる事はなくとも勘が発動しない時だってある。


おまけに、そんな日に限っての千客万来である。
一体どういう組み合わせなのか
八雲紫、上白沢慧音、土樹良也といった取り合わせ。
傘を持つ紫以外はずぶ濡れだ。
何やら神妙な空気を感じたが、おそらくはこの雨に関係しているのだろう。
そう、霊夢の勘が告げている。



「霊夢、貴女もこの雨を浴びたのよね?」

紫は良也の注いできたお茶を飲みながら不機嫌な巫女に向かって
質問を投げかける。
曰く、お茶の点数は66点との事。霊夢より辛口だった。

「そうよ。洗濯物干してる最中にね……」

雨による不快指数の上昇も相まって霊夢の眉間にはしわが寄っている。

「なら貴女も無関係じゃないわ。巫女としても、ね」

意味深に言い含む紫の言葉に答えることなくお茶を啜る。
そんな予感はしていた。
何しろ今まで自分の勘は外れた事がないのだから。
だが、悪い予感くらいは外れてくれても良いではないか。

口にするのも癪なので、心の中でぼやきながら良也のお茶に点数をつける。
本日の点数、72点。













「で、要は紫の不始末であの子が異変を起こしてるってワケね?」

ちゃぶ台に肘をつきながら、霊夢が乱暴に今までの経緯を要約した。
ある意味見事なくらいに大雑把なまとめ方である。
最期の1枚である煎餅を小気味よい音を立てて食べつくし、席を立つ。

同情しない訳でもない。大変だなぁ、くらいには思う。
それでも彼女のする事に変わりはない。
異変の起こし主を探して叩く。今までそうしてきた様に。


「じゃあ良也さん、お留守番お願い」

空を見上げる。
ため息が出た。なんで異変を起こす連中は天気関連が多いのか。

「待て!」

空を飛ぶために地面を蹴ろうとした瞬間に声をかけられる。
肩透かしを食らった気分だ。

「これは今までの異変とは違う。相手は人間の子供なんだぞ?
せめて、あの子と“鈴芽”を切り離す方法が分かるまで待ってくれないか?」

異変を前にして何を悠長な、そう思ったところで思い出す。
目の前の女性、上白沢慧音はたしか例の少女と共に暮らしていたと聞く。
元のまじめな性格も手伝っての事なのだろう。


「待てないわよ。巫女は異変を解決するものなの。
それに早くしないと私もアンタも記憶がなくなるんでしょ?」

強く霊夢を見つめる慧音に対して、あくまで冷静に切り捨てる。

思い入れがあるのは悪い事ではない。
けれど、その思い入れが判断を鈍らせる事もあるという事を
霊夢は本能的に知っていた。

慧音もまた悟った。
きっと霊夢は何を言っても止まらない。
異変解決に向かって真っすぐ突き進むのだろう。



「なら、私にこの異変を解決させてもらえないだろうか?」

「好きにすれば?私は私で動くし、別に誰が異変を解決しようと文句はないわ」

それだけ言うと、霊夢は一目散に飛び去ってしまう。
余りに淡白なその様に、残った者は思わず息を漏らしてしまう。
こうなる様な気は元々していたのだ。
生粋のソロリストである博麗霊夢に相手は子供だの、古河音を救う方法を考えろだの
言って聞く相手ではないのは分かり切った事だった。



「良也、お煎餅はもうないのかしら?」

「……まぁ、あるっちゃあるけど」

霊夢に負けず劣らずマイペースな紫の発言に呆れながらも
良也は渋々とバッグから煎餅を取り出した。
つい素直に従ってしまう。嫌な習性である。





「で、貴女はどうしたいの?」

その言葉は上白沢慧音へと投げかけられる。

「もちろん、古河音を取り戻……っ!」

言いかけて、自分の言葉の意味に気づいた。
今の古河音は彼女自身に前世の記憶が加えられている状態だ。
そこから彼女を救い出すとは
彼女の中から月詠鈴芽の記憶を、八雲紫の旧友の記憶を、消し去るという事。



「………」

「妙な事考えてない?」

言葉に詰まった絶妙のタイミングで紫の呆れた様な声がする。
まるで彼女の心を読んでいるかのようだ。
実際、読んでいるに等しいのだろう。
能力など使わずとも言葉の間隔・表情の硬直、あとは本人の性格を考慮すれば
相手の考えを読むなど八雲紫には造作もない。鈴芽曰く『歳の功』だ。



「霊夢の言う通り、たしかに彼女の事は私の不始末だわ。元々彼女を追放したのは私だしね
それに、躊躇なんてしていたらその間に霊夢が異変を解決しちゃうわよ?
いつもの通りに、相手をボコボコにしてね」

容易に想像できる光景だった。特に良也には。
彼女にかかれば、どんな異変も例外なく解決するだろう。
そこに相手の力量や相性などの干渉はなく、約束されたかの様な勝利をつかみ取ってくるのだ。
今回も例外ではない。
どんな異変であろうと、どんな相手であろうと、博麗霊夢が異変に関わって敗北するなど良也には想像もつかない。

そこまで考えて良也は気づいた。



「そういえば、そもそもなんでアイツは前世の能力が使えるんだ?
アイツの能力は“魔法を把握する程度の能力”のはずだろ。いくら前世の記憶が蘇ったからって……」

元をたどれば、“記憶を操る程度の能力”などという物騒な能力がなければ
今回の異変そのものが起きなかったのだ。
実際にあるものはあるのだから仕方がないが、理由くらい気になるものだ。

「そこは別に不思議でも何でもないわよ

そもそも超能力なんていうのは肉体ではなく魂に宿っているものだもの
同じ魂を持った転生者が前世の能力を扱えても何の不思議もないわ
まぁ、前世の記憶を昨日の事の様に鮮明に引き出せる彼女だからできる業だけどね」




























幻想郷を雨が包む中。
“そこ”だけが、まるで台風の目の様に雨を避けていた。
その代わりにシャボン玉の様な泡がいくつもふわふわと浮かんでいる。

その泡の中の一つに少女が包まれており、歌を唄っていた。
無数の泡に囲まれて歌声を響かす少女。なんとも幻想的なな光景である。




「イイカンジむぼうにススメ〜♪ イイカンジむちゅうにススメ〜♪
誕生席うれしい このまま天下をとれなイカ♪」

否、ファンシーでも幻想的でも何でもない。
唄っていたのはとあるアニメソングだった。
しかもお世辞にもあまり上手くはない。所々外している。



突如、轟音を立てながらその空間に何かが高速で飛来した。
衝撃で辺りに風が吹き荒れ周りの泡を散らしてゆく。

飛来した何かは箒に跨り、特徴的な黒く大きな帽子を被っている。
人間の身でありながらも幻想郷でも屈指の実力者。
魔法を使う程度の能力を持つ自称普通の魔法使い、霧雨魔理沙だ。


「ん?お前古河音、か? 何してんだこんな所で?」

「これはこれは。まさか魔理沙さんが一番乗りだとは、少々意外でしたわ」

あらぶる箒を乗りこなす魔理沙とは対照的に、少女は泡に包まれたままふわりと
彼女の前に降り立った。

「……んん?」

その時点で違和感ありまくりだった。
古河音がいつもの箒に乗っていない。
あの箒には相当愛着を持っていたのを覚えているし、彼女はたしか箒がないと空を飛べないはずだ。
更には雰囲気や口調がおかしすぎる。
敬語を使っていながらも全く品性の欠片もない、それが魔理沙の知る彼女だ。

今の彼女からは胡散臭くも得体の知れない何か―――……
そう、八雲紫に近い雰囲気を感じるのだ。




「どうした? まぁたキャラが変わってるぞ?」

「あら、自分ではそこまで変わったつもりはなかったのですが……。
そうですわね、少々前世の記憶を思い出しまして。そのせいかもしれませんわね」

「なんだ。記憶喪失とか言ってたけどそこまで思い出す事ないだろうに
にしても、コロコロとキャラの変わるやっちゃなぁ……。私的には前の方が良かったぜ?」





「まぁ、いいや。お前この辺で怪しい奴見なかったか?
いきなり大雨なんて降るもんだから本が痛んでいけないや。どうもこの雨、魔法で人工的に作られてるみたいだからソイツに一言文句に言いに来たんだ」

「これはこれは失礼。まさか私の起こした雨がそのようなご迷惑をかけてしまうだなんて」

「なんだ。お前だったのか」 「ええ、私でしたの」

あははっ おほほっ と、2人でひとしきり笑い合う。
しばらくの後笑い声が収まると、辺りの空気がピリピリと緊張したものへと変わってゆく。

いつかの時の様に、魔理沙の身体から絶大な魔力が迸る。
魔理沙はこの雨の効能など知る由もない。せいぜい雨のせいで本が痛んでしまった程度の認識だ。
けれど、魔理沙が怒る理由などそれで十分だった。
幻想郷とはそういう処なのだ。


「言っとくが、私のお仕置きはちょっと痛いぜ?」



「残念ですわ。魔理沙さんとの弾幕ごっこはもう少し後に取っておきたかったのですが」


























「上白沢慧音」

突然のフルネームで呼ばれた事に身体をわずかに硬直させてしまう。
八雲紫から発せられる特有のオーラも相まっての事だろう。

「貴女は“月詠鈴芽”から貴女の妹“古河音”を救いたいのだったわね?」

「あ、あぁ……」

未だに慧音の中に月詠鈴芽と八雲紫の関係に対する懸念は残っているが
それを口にしても無駄だという事は既に分かっている。

「なら、席を外しなさい」

「…………は??」

唐突な紫の発言に混乱せざるを得ない慧音だったが
紫の有無を言わせないその視線が彼女を部屋から追い出した。
悔しいながらも慧音は誰よりも自分の無力を自覚している。この場で解決策を見いだせるのは恐らく巫女ではなく紫なのであろう事も。

まさかの形で紫と良也のマンツーマン。
過去にも何度かあった事だ。
この流れはいけない。これは紫が良也に何かとんでもない無茶振りをする時の流れだ。






「知っての通り、今の彼女は相手の記憶を読みとる…相手の心を読む事が出来るわ。
今ここで解決策を彼女に語ってもそれを読まれては意味がない。
だから良也、この異変は貴方が解決なさい」

「………………………………は?」









「はあああぁぁぁぁぁ!!!!??」


紫の言葉に、良也の頭が一人時間差。
人とはあまりに理解の範疇を超えた言葉を耳にした時、とっさに反応できない生き物である。
何か無茶ぶりをされるだろう程度には構えていたが、それどころの話ではない。
死ねと言われているようなものだ。死ねないのだが。


「は!? 俺が異変を解決!? できる訳ないだろ!!?」

「できないでしょうねぇ」

「〜〜〜〜〜っ!!」

話が通じない。
言語は通じているはずなのに会話のキャッチボールがとんでもないノ―コンだ。


「貴方1人では、という話よ。
言っておくけど記憶という分野に関しては向こうが一枚上手。私でも彼女の記憶をどうこうするなんて出来ないわ」

「それを俺ならどうこう出来る、と?」

「どうしたの?今日はいやに察しが良いわね」

会話の流れでなんとなく言ってみただけだ。
目を瞑ってバットを振り回していたらたまたまヒットしただけなのだ。
正直当たってほしくなかった。
ヒットした飛球はそのまま相手に拾われアウト必至なのだから。






「あぁ……なんだ。いいのかそれで?」

無粋、そんな2文字の言葉が良也の頭に浮かんだ。
頭の良い紫の事だ。言葉足らずのこの発言でも何を尋ねているかくらい察しているだろう。

どういう理屈かは理解しかねるが、良也には鈴芽の記憶を“どうこう”できるらしい。
しかしそれは、今や記憶という形だけでこの世に存在する彼女を手にかけるという事。
あまりに目覚めが悪い。
しかもそれは、目の前にいる女性の旧友を手にかけると言っても過言ではない。

紫と鈴芽の経緯は聞いての通りだ。
お世辞にもハッピーエンドとは言い難い。
良也は霊夢のようにドライにはなり切れない。慧音のように古河音に執着できもしない。
古河音にも鈴芽にも、紫にも同情してしまっている自分がここにいる。

「………幻想興は全てを受け入れるわ」

「……よく聞くセリフ、だな」





「彼女が、貴方達が、どんな選択をしどんな結末を迎えようとも、私はそれを受け入れましょう」







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