「――――そうそう。そんな事もありましたわね……。全てがまるで昨日の事のようですわ」

古河音の姿をした少女は、まるで他人の思い出話を語るかのように
紫の話を聞き流す。
まるで、老婆の昔話を上の空で聞く孫の様に。



「確認しておきましょうか。貴女は“月詠鈴芽の生まれ変わり”と、認識して良いのよね?」

扇子で隠された口元とは裏腹に細めた視線が少女へと向けられる。
その視線だけで、並の人妖は怖れをなすだろう。

「流石は妖怪の賢者。老いて尚その理解の早さには感服致しますわ。それとも流石は歳の功と評するべきでしょうか?おほほほ」

パタンと扇子を閉じ、呆れた様にひとつため息。
良くも悪くも、月詠鈴芽という女を再認識させられる。





「記憶を操る貴女の事だもの。今回の事は“もしかして”程度には考えていたわ。
かつての貴女そっくりの古河音と名づけられた少女を見た時に、ね」

「そんな簡単な話でもありませんのよ?
色々ありましたわ。貴女に幻想郷を追い出されてから、……苦労しましたわ」

ほんの一瞬だけ、彼女の表情から笑みが消える。
静かに、それでも確かに語気に込められたその感情は、憎悪。














全ての能力を剥奪され、外界へ追放された鈴芽の生活は決して楽なものではなかった。
慣れぬ土地や生活に加え、霊力・能力に頼って生きてきた彼女ははまさに『貧困街に捨てられたご令嬢』だった。

右も左も分からない異世界の少女を優しい一家が助けてくれる、などという都合の良い話は物語の中だけだ。
極一部の貴族でないもない限り、当時はどこもその日を凌ぐので精一杯な者達ばかり。
記憶を操れないよそ者である彼女は貴族に成り上がる事も出来ない。
何不自由ない日々を過ごしてきた鈴芽にとっては、まさに屈辱としか言いようのない生活だった。

そんな生活の中、彼女に更なる不幸が続く。
流行り病。
ありがちといえばそこまでだが、それが文字通り彼女の命運を…命を奪い去る事になる。
病に伏せ、日々身体の弱っていく鈴芽はあっさりと自分の死期を悟った。
元々この世界に来る前から生きる気力など失くしていた彼女だ。
今の生活も辛いだけだし、生に未練はなかった。







その時だった。


“記憶を操る程度の能力”

たしかに紫に封じられたはずの能力が、再びその身に宿るのを感じた。
人は死に直面すると、その能力を開花するという。
つまりは、そういう事なのだろう。

ふと、自分の掌を見てみる。 随分と痩せ細ったものだ。

生きたい。

そんな衝動が沸いてきた。
失っていた頃はそんな事微塵も思わなかったものだが、逆に何かを得ると生きたくなってしまう。
我ながら浅はかで単純だと思ってしまう。
だからといって何ができるという訳でもない。身体はすでに動かない。
魔法で病を治す事も出来やしない。


やっぱり死ぬのか。
そう心の中で呟いて天井を見上げる。



やっぱり生きたい。
困った事に、一度込み上げたこの衝動は簡単には消えてくれないらしい。
幽々子も、こんな風に思えば良かったのに。
ぽつりと頭に浮かんだ考えに、自ら鼻で笑う。
らしくないにも程がある。 死に直面すると人はこんな風になるのかと少し感心する。

せっかく能力が戻ったのだ。
どうすれば生きられるだろう? ぼんやりと天井を見上げながら、そんな事を考える。
他人の記憶をまるまる自分の記憶で書き換えようか。
論外。
それではここにいる自分は結局死ぬだけ。
紫の言葉を借りるなら、それは自分の記憶を持っただけの人形だ。



「………そうか。“私”なら良いんだ」

“元気な自分”の記憶に“今の自分”の記憶を書き加えれば良い。
そう、“来世の自分”に――――……。

そうと決まれば後は簡単な話だった。
記憶を書き換える対象がいないから、自らの魂に“記憶の種”を植えつける。
その種は自分が転生した後に、年月をかけてゆっくりと芽吹く事だろう。
ついでに、蘇った能力のおまけ程度のわずかな魔力で簡単な術を施す。
『魔力を貯蓄する』という簡単な魔法だ。
その術は転生したと同時に発動し、記憶の種が咲くと同時に貯めた魔力が身体に宿る。
全盛期の鈴芽と同程度の力を得られるはずだ。



あらゆる準備を整え、思い残す事のなくなった彼女は
やっぱり死ぬのは嫌だな そんな風に思いながら命尽きた。









そして、千年後。
一人の少女がこの世に生を受ける。
それなりに霊力は高く、“魔法を把握する程度の能力”を持って生まれるも
そんな力の使い方など知る由もない、極々普通の少女だった。
少々人よりテンションが高く悪知恵が働き、ヲタクの道を爆進するという点を除けば恐らくは極々普通の少女だったかもしれない。

しかし、そんな少女に変化が現れる。
時折妙な夢を見て、時折別人の様な雰囲気を醸し出すようになった。
そうして魂に植えつけられた記憶の種は花開き、かけた。

同時に世界は彼女の記憶を異物と判断した。
異物とみなされた彼女の記憶は彼女ごと幻想郷へと飛ばされた。
いわゆる“幻想入り”である。
世界を跨いだショックで開きかけた記憶の扉は再び閉じられ、彼女自身の記憶もまた封が掛けられた。

そうして一年という年月をかけて、記憶の扉は再び開かれた。






















「そうして貴女はこの世に見事蘇ったという訳ね。“その子”を贄にして」

「人聞き悪い上に言いがかりも甚だしい。慧音お姉さまにも申し上げた通り私は前世の記憶を思い出しただけの、どこにでもいる普通の女の子ですわ」

女の子、の部分を強調しながら目を薄め紫の方へ目線を向けて嫌らしく笑う。
徹底的に若さを主張して、紫にを年齢でイジる気らしい。




「………ふざけるなっ!!」




そんな2人のやりとりの中に、慧音の怒声が割り込んでくる。
その性格はさておいて仮にも誰しもがその力を認める大妖怪・八雲紫。
彼女の会話に割り込める者もそうはいないだろう。

「じゃあお前が……っ、お前は………古河音、なのか!!?」

「その通りですわ慧音お姉さま。お姉さまにはこの1年大変お世話になり、この感謝の念はいくら尽くしても尽くしきれませんわ」


その言葉遣いが、その表情が、その雰囲気が、彼女の姿形以外の全てが、慧音にはどうしても受け入れられなかった。
大人しかった頃の彼女が暴走娘へと変貌した時とは訳が違う。
たしかにアレもまるで別人の様な変化ではあったが、たしかに彼女は自分を姉と慕う古河音だったのだ。

だが、目の前にいる“彼女”は明らかに別人としか思えなかった。
自分の事をお姉さまと呼ぶその少女の様が、慧音には“古河音の記憶を持っただけの別人”にしか見えないのだ。
何より、古河音であるはずの少女からまるで初対面の様な態度を取られる事が悲しかった。

実際、それに近いものはあるのだろう。
月詠鈴芽の“記憶”はただの情報とは訳が違う。
その時その時に抱いた感情・経験・人生観、それら全てが詰め込まれている。
“人格”ともいえるその記憶が、1人の少女の中に一度に入り込んのだ。
今“彼女”の人格の主導権を握っているのは、間違いなく月詠鈴芽だ。














「で、その前世の記憶を思い出した貴女はこれからどうしようというの?
まさか外の世界に戻って『普通の女の子になりたい』なんて言うつもりじゃないでしょうね?」

「それも良いのですけれど、そうですわね――――……」

紫の問いに対し、人差し指を顎に当てて考え込む様な仕草を見せる。
完全に楽しんでいた。
新たに手に入れた人生を、再び手に入れた命を。



「決めましたわ!」

何かを思いついたようにぽんっと手を叩く。

「異変を起こしてみる事にしましょう♪」

自らの案に嬉々とするその様は、まるで今夜の晩ご飯を思いついた母親の様な、はたまた悪戯を提案するガキ大将のようだった。
いずれにせよ問題なのは、その発案者が八雲紫に決して引けをとらない能力者だという事だ。
凶器を手にした子供ほど、恐ろしいものはないのだから。



「な……っ!?」

各々がその言葉に驚く中で、紫だけは呆れた様な顔をみせる。
ある程度の予測はしていたのだろう。

「最近の幻想郷では“異変”がブームらしいではないですか。ならば、ここは私もこの幻想郷の新参者として挨拶代わりに起こしてみなければ、失礼にあたるというもの」

うんうんと、1人頷き自らの提案に賛辞を送る。
その様が少しだけ、悪だくみを発案する時の古河音の姿に重なって、慧音には辛かった。







ぽつり

「…っ!」

雨粒がひとつ良也の鼻先に落ちた。
それをきっかけにひとつふたつと、雨粒が激しくなってゆく。

「……鈴芽、貴女また」

その雨が“何”なのか紫は真っ先に気づく。
数多の術に精通する永琳もそれがただの雨ではないと気づいたようだ。

人差し指。
中指・薬指の3本の指を無言で立てて、静かに微笑む。



「制限時間は3日。
私は今即興の術で全盛期の力を取り戻していますが、それももって3日。
それを過ぎれば紫、貴女はもちろん下手をすれば良也さんにすら負けかねないですわ

―――――ですが」

「この雨を浴びた者は3日でその記憶は洗い流される、でしょう?」

試験管に入れられた雨を手に興味深そうな表情で、八意永琳が一歩前に出る。
薬師としての好奇心がくすぐられたのかもしれない。

「ご明察。 面白いでしょう?
我ながら名案ですわ。多くの方々が忘却の海に溺れてBADエンドか
勇者様が魔王を倒してこの幻想郷に平和をもたらすのか。
ちなみに某魔王×勇者な展開をお望みなら、そのご期待には添いかねますわ」

言い回しが妙に漫画やゲーム関連だった。
少なくとも千年前の彼女ならこんな言い回しはしなかった。
当時はそんなもの存在すらしなかったため当たり前ではあるのだが。

少なからず現世の彼女、古河音の影響が介入しているのだろう。




ほんの些細な思いつき。 ちょっとしたゲーム感覚。

    無邪気な凶気。


それが、幻想郷に住まう多くの者を巻き込もうとしていた。
性質が悪い。
そう言わざるを得ない彼女の様が、良也の直感は的中していた事を現していた。
目の前の少女もまた、かつての異変の主犯と何ら遜色ないという事を。




「さぁ……」

少女の周りを大きな泡が包みこむ。
泡はシャボン玉の様にふわりふわりと浮かび上がる。














「忘却異変のはじまりですわ」


ぱんっと割れたシャボン玉は少女ごと跡形もなく消え去っていった。




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