橙子さんに呼び出されたのはそれから数日の事だった。
やはり書類の山と格闘していると畑中先生から来客を知らせられた。
───最近、僕が書類仕事をしようとすると来客があるのはなぜだろうか?


応接室へと向かうと、眼鏡をかけた人当たりの良さそうな女性が僕が出迎えた。
彼女──青崎橙子は魔術師だ。

魔術師とは、根源……つまりは魔法へ至ることを渇望し、そのための手段として魔術を用いる者であるらしい。

どうも現代の、外の世界の魔法使いと魔術師は少し違うとのこと、色々言われた気もするが、ぶっちゃけ難しいことは覚えていない。
簡単に言うと科学で再現可能な事を魔術、科学で再現できない事を魔法と言うらしい。


前者を火を起こしたり雷を起こしたり、後者を時間操作だったり不老不死だったり

────そう言った事に心当たりがある連中が多すぎる気がしないでも無いけど……


とにかくそういう事を目指して、魔術を極めんと日々研究をする集団であり、人にもよるが表向きに問題無ければ──それこそどんなに非合法でも──手段を選ばない。

橙子さん曰わく「生きたまま人体模型顔負けに解剖する」なんてことも有り得る、と言われた………これからは魔法とか解呪とかする時は気を付けることにしよう──意外と外の世界も物騒だな。

そして、その「外の世界の魔術師」が、僕の働く学校に来たのだ、警戒の一つや二つするに越したことはない──まあ、橙子さんは魔術師でも、根源への興味があんまり無いらしいが。

「で、何の用ですか橙子さん」
「あら、随分なご挨拶ね。私としてはあなたの腕を見込んでの依頼なのに」
先日会った時と全く態度が違う、あたたかで、やわらかな物腰だ。

───黒桐曰くこの女性は眼鏡をかけるかかけないかで性格が変わるらしい。

もっとも、記憶の断裂や齟齬を起こすようなものではなく普通の人間が立場や状況に応じて敬語を使ったり、粗雑な言葉使いをするのを眼鏡の有無で意図的にスイッチするようにしただけで、価値観や思考はどちらに置いても同一らしい。

ふと、思った事だがどこがと言うわけでは無いが、どことなくあのスキマに性格が似てるような気がしないでもない。

──閑話休題
つまるところ態度が変わろうが目の前の女性が「外の世界の魔術師」であるという事は変わらないと言うことだ。


「依頼……ですか?」
「ええ、貴方も知っているでしょう? 二年の昏睡から両儀 式が目を覚ました、と言うのは。
彼女、ちょっと厄介そうなものに目を付けられたみたいで、亡霊とか魑魅魍魎の退治なら貴方の領分でしょ?」
一応結界の類は仕掛けて置いたんだけど……
そう言って上目遣いに此方の様子を窺う橙子さん。

幻想郷じゃこういう風に頼られる機会は少ない訳で──
そう言う意味ではこういう耐性が少ない僕は、ついつい「はい」と頷きそうになるのだが必死に言葉を飲み込んだ。

「報酬、と言うにはなんですけれど、私が見れる範囲で魔術に関しての指導と、この手の件の依頼の仲介をさせて貰います」

確かに、外の世界で独自発展した《魔術》と言うのは魅力的だ、しかしその代償がそう言う連中から狙われるというのはリスクが大き過ぎる。
──それとも、貴方には知人を見捨てる事が出来るのかしら。


その一言が決定的だった、直接被害があるのは両儀であるし、黒桐だって少なからず関わっている。

──少なくとも僕は、知り合いを見捨てられるほど人間をやめてはない。

「わかりました、で……僕はどうすればいいんですか──────」
そして、僕は夜の街を病院目指す車の中にいた。

ハンドルを握るのは勤務が終わった後、再び僕を出迎えに来た橙子さんだ、その美人と言っていい貌(かお)には眼鏡がなく、魔術師としての思考が全面にでているのがよくわかった。
車内には会話は無く、重苦しい雰囲気が漂う。

何か会話を、と思うが話題が見つからない。
そうこうしているうちに、病院が見えてくる、なぜか職員用の駐車場に車を止めた橙子さんは、入口とは違う方向に歩いて行く。

「あ、あの橙子さん?」
無言で歩いていく背中に問いかけると
「状況が変わった、ついて来い」
足を止めず、背中を向けたまま冷たく答える橙子さん。
不気味に思いながらも、黙ってその後ろをついて行くしかなかった。

ついたのは病院の裏手、そこには二年前と全く変わらない両儀 式と……幻想郷では割とレアな存在の動死体がいた。

───いやほんと、異変なんかでは怨霊の類よか、妖精の方がはるかに多いし、死体なんかは白蓮さんたちが手厚く弔うからあんまり見かけない。

そう言った人達の手の届かない死体と言うと、無縁塚辺りで外から迷い込んだ人の死体だがそれだって基本的に霖之助さんが弔ってたり、そこらの魑魅魍魎が持って行くから本当に時々だし。

ああいう怨霊にあてられて動き出した死体は、青娥さんの連れているキョンシーの子と違って知能や痛覚も無く、食欲やら破壊衝動に身をまかせて暴れてる事が多い。

今だって橙子さんのルーン文字で発火させられているがそれも意に介さず、両足が折れたままずるずると両儀に向けて動き出している。


その動きは、漫画やゲームで見るゾンビそのものだ。
「ちっ──手持ちのアンサズじゃ火力が足りんな」
炎はみるみる弱くなり、程なくして消える。

「何だ、無理じゃないか、詐欺師め」
疎むような、咎めるような口調で、橙子さんを睨む両儀、もっともその双眸は包帯に覆われたままだが。



「そう睨むな、ああなってしまったものは始末が難しいんだ。生きているなら、頭なり心臓なりをぶっ飛ばせば終わりだがアレはそうは行かん。
拳銃で人は殺せても肉体を消去できんのと同じだ、徳の高い坊主か、人間一人を丸ごと灰に出来る火力を持ってくるしか方法がない、逃げるより他はないな」

そう言ってゆっくりと後ずさりをする橙子さん。

僕も死者相手にどうこうできる術は持っていない。
精々、聖さんや霊夢たちに、それに対抗するための呪符を譲って貰うくらいだ。

僕も、地面を這い寄るように蠢く死体に注意を向けつつ遠ざかろうとしたとき、首に激痛が迸った。


痛みに驚き、慌てて振り払おうとするが相手は物凄い馬鹿力で此方を離さない。
やがてゴキリと言う音と共に拘束が緩み、その隙に渾身の力を込めて肘をぶつけるとようやく“それ”が離れた。



────両儀に襲いかかった死体とは別の死体が、そこにはいた。

長い髪を派手な金に染めた、若い女の死体。

不健康そうに日焼けした肌は血の気を失い瞳は白く濁り、焦点を得ない。
それでも必死に獲物を探さんと忙しなく動き回り、頬はビクビクと不気味に揺れる。

腕と言えば、もとより右腕が二の腕辺りで有り得ない方向にねじ曲がり足首からは折れた骨が覗いていた。

温かさの欠片もない冷たい吐息が、暴走する蒸気機関車のようにごうごうと吹き出し、腐臭ともつかない奇妙な匂いが鼻を付く。

口角を釣り上げ、“あ”とも“お”ともつかない低い呻き声をあげる口のまわりが赤いのは、僕の頸元に噛み付いて来たからだろう、余程の力を込めて噛み付いたのか、顎の骨が折れている。




そうなるとそんな力で噛み付かれた僕の首が気になるが、首がちょっとぐらぐらするくらいで血管はすでにちゃんと繋がってるし、グロテスクな歯形のついた首など怖くて見れる気がしない。

冷静に表現しているが、そんな状態の死体が真後ろに、そしてこちらを食い殺さんと迫り来るわけで…………







―――――次にした事と言えば恐怖にまかせて手当たり次第に弾幕を放つ事くらいだった。

…………拳銃で人を消せないと言うならば、恐怖に任せて彼の放つそれは弾切れの知らず機関砲だ、次々と撃ち出される魔弾はとどまることを知らず、死者の肉を裂き、血をまき散らす。


――正気に戻り撃つのを止める頃には、死体は真っ当に歩けないほど、各部が破壊しつくされていた。


そこで、僕はようやく落ち着きを取り戻し、一字一句はっきりと聞えるようにそれを唱えた。


観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時

どこぞの山彦妖怪と言うわけでは無いが、門前の何とやら、何度か命蓮時に出入りしているうちに覚えたお経だ。


――――行深般若波羅蜜多時――――

僕は正式に仏門に入った訳ではないので効果はそれなりだ。
今だって、妖怪退治用の塩を撒きながらの読経だ


羯諦
羯諦
波羅羯諦
しかし、効いているのか確実に死体の動きは鈍って……



――そして動きは止まった。
今度こそ、物言わぬ骸に戻った遺体の傍に貰い物のお札を置く、これで少なくともこの遺体が再び動き出すと言う事は無い。


――――ぞくり、とした。
背中に、背骨に沿って極限まで冷やされた鉄串が刺されたような。
鋭く、そして魂魄ごと凍り付かんばかりの  悪寒――――

両儀が、自らに取り憑かせた雑念に向け、包帯と言う縛めから解き放たれた目を向ける。


その仄暗い、吸い込まれそうなまでに、深い蒼い瞳に―――

これまで幾度か経験した“死”を、鮮烈なまでにイメージしてしまったのは――――気のせいだろうか…………?



戻る?