僕が博麗神社に居候を始めてから……、一週間が経った。
精神的にも大分落ち着いてきたんじゃないかなって思う。
ここでの暮らしにもそれなりに慣れてきた。毎日の炊事洗濯とか。それに伴う筋肉痛とか。
あと、今日は一月七日だから七草粥を食べた。初めて食べたけど、結構美味しかった。


最初はそりゃあ、神社に居候。女の子と一つ屋根の下。男の夢。むふふ。なんて思っていた。
……いや、思っていたかった。もっと夢を見させて欲しかった。薄い本みたいに。あぁ……。

こっちへ来て実際に知り合ってみて、思っていた以上に霊夢は明るくて呑気で普通の女の子で、でも今まで会ったことないタイプの人間で。
そんな霊夢相手に、所謂そっち系のゲーム的な好感度関係のイベントは起きる気配が無い。
毎日のご飯だけが唯一の心の安らぎだ。ただし練習で作る僕の黒焦げ料理は除く。

そして、こっちへ来て新しく出来た楽しみがある。
それが……

弾幕ごっこの練習だ。







「うっわ、気持ちいい〜」

ずばばばばばば、とスクリーンを張る霊弾。
博麗神社の境内上空から誰もいない方向へ向けて撃ってるつもりだけど、撃った方向の木とか枝に当たってべきばきと音が聞こえてくる。

何をしてるかというと、前に取り寄せたM4A1電動ガンの霊力入りフルオート射撃練習だ。
本日の家事練習も一息ついたから、弾幕ごっこの練習をしている。

この電動ガン、僕の日頃の管理のお蔭でバッテリーとBB弾は満タンだった。
バッテリーは能力で回復できるし、弾も時間が経てば風雨やバクテリアとかで自然分解されるバイオBB弾だから、幻想郷の環境汚染の心配も無い。使い切らないよう節約しなきゃいけないのは確かだけど。


この数日間、暇と余裕さえあれば僕は能力の練習をして、思いつく限りの事を試してきた。
ありったけのBB弾を家から取り寄せて、神社上空で射撃訓練。
東方のゲームみたいな綺麗な弾幕はまだ張れそうにないけど、霊力の弾をただ撃つことに関しては結構慣れてきた。

他の所属を変える程度の能力に関しては良也が神社へ来た時に練習を手伝ってもらってた。
良也が常時発生させてる「世界」と幻想郷の所属とを行ったり来たりする練習だ。
お蔭で所属替えする時の疲れが少し和らいだような気がする。やっぱり慣れって重要なんだな。

そして今撃っている弾。
通常のBB弾一発の威力はデコピンより少し痛いくらいだ。
だけど秒間十五〜二十発くらいの連射ができるし、弾に霊力を込めれば多分弾幕ごっこにも充分な威力になる。
もっと本気で霊力を込めれば実銃にも劣らない、いやきっとそれ以上の威力に……

ふはは、圧倒的じゃないか、我が軍は!


……なんていかないか。むしろ圧倒されまくりだ。
前の紫さんの弾幕だって手加減されてたのに避けるの大変だったし。あのまま続いてれば、きっと被弾していた。正直やばかったと思う。当たらなかったのがラッキーみたいなもんだ。



もし、あれに当たっていたら?

…想像もしたくない。
あの一発がどんな威力かは知らない。けど、目に見えて分かる。
何の防御手段も持っていないただの人間があれを喰らっていたら。
もしかしたら大怪我を、いやもっと、それ以上だったかもしれない。

そんなのがスクリーン状になって飛んでくる。
恐怖だ。怖すぎる。

それに向こうは全方位に、花火みたいに綺麗な弾幕を張ってたけど、僕のは普通の銃と変わらない線状の弾幕だし……てか銃だし。
僕の独力じゃないんだよな。電動ガンという補助器具を使わないとまともな弾幕も張れない。



……でもいいや。

このくらいできれば、きっと十分だろう。僕、相当頑張ったし。
だってこんなに色んな事出来るようになったんだよ? 見事、びっくり人間の仲間入りだ。
空を飛べて弾幕が張れて、他にも小技が色々出来て。
消えかかっていた僕の中二スピリッツに火が点いたぜ。
気落ちしてる場合じゃない。楽しもう、今を。


「はっははー、もっと撃てぇーっ!」
適当な方向に銃を向けて引き金を絞る。

連射速度こそ変わらないけど、威力とか精度とか、そういったものは大体精神力で決まるっぽい。
多少はトリガーハッピー気味でいかないとね。練習にならない。

木や地面に当たる音が聞こえる。
その音から察するに、一発の威力はそれなりに高いだろう。

べきっと、丈夫そうな木々が音を立てる。
男なら誰しも強さに憧れるものだ。
そんな強い弾撃ってる? へへへ。

しかも特殊能力なんてのも使ってる。
空だって飛べるし消費した弾だって取り寄せられる。
最高だね、なんだか夢みたいだ。

なんてことを考えていると、段々とまたテンションが上がっていく。
いやぁ、爽快だ。ホント最高のストレス解消方法だよ、これは。



「それなりに撃てるようになったじゃない、弾幕」
この声は、霊夢だ。下の神社の方から聞こえてくる。

「いやぁ、ただ撃ってるだけだよ」
もう大分聞きなれた声って感じだ。なんだか不思議。
丁度一段落ついたところだったので地面まで降りる。

……よっ、と。着地。

「それでも十分。一週間でこれなら上出来なんじゃないの? 私はよく分からないけど」
初めて霊夢に褒められた気がする。これは素直に嬉しい。
最後の一言が無ければだけど。天才めぇ……。

「じゃあ、ついて行ってもいいよね?」
「それは自分で決めなさい。自分の事なんだから」

僕はこの幻想郷に来てから、博麗神社以外の何処へも行っていない。
あの世へ逝きかけたりはしたけど、なんとか戻ってきている。
そりゃ、折角こんな状況になったんだから色々と見学して回りたいんだけれどさ、家事は面倒で忙しいし、お腹だって満足には満たせてないし、それに、能力の練習をしないといけなかった。

単純に、強くなりたいっていう願望もあるけど、それだけじゃない。
強くならなきゃいけないんだ。
三日前、霊夢が香霖堂まで出かけるのについて行こうとした時こう言われた。
別にいいけど、もし途中ではぐれてその辺の妖怪に襲われたりしても保証はしないわよ。

つまり……自分の身は最低限自分で守れ、ということらしい。


でも、今の僕には自信がある。
流石にその辺の野良妖怪相手なら怯ませてその間に逃げるくらいの事は出来る。ハズ。
ライフルは持ち歩けないけど、必要な時に取り寄せるくらい出来る。世界線を飛び越える必要がないから霊力消費も少ないはずだ。
霊力の扱いにも慣れてきたし、取り寄せをしても大丈夫な量の霊力の余裕は作ってある。

そして今日、人間の里まで食べ物とか色々買い出しへ行くと聞いて、急いで練習の仕上げにかかったという訳だ。


「それじゃ今日はついてく」
自分の能力が使えるようになった時くらいドキドキしている。
今まで知ることが出来なかった幻想郷の事を、生で実際に見て回って体験する事が出来るんだから。
こっちへ来てから本当、ドキドキしてばっかりだ。

「そ。荷物持ちがいるのは助かるわね」
と、霊夢はニッコリと笑いかけてくれた。
こういう対応にも大分慣れたなぁ……。以前はいちいちムッとしてたけど。
今じゃそれが逆に心地良い。なんか霊夢っぽくて。いや、マゾではないぜ僕は。

「それじゃあ、そろそろ出かけるから支度なさい」
「はーい」
取り敢えず自分の部屋に銃を置きに行こう。重くて嵩張って邪魔だし。

いやぁ、楽しみだなぁ、初めての幻想郷。人間の里。


















「後は……、お米買って最後ね」
「……は、はい」

人間の里は、僕が思っていた以上に大きくて広くて活気に溢れていた。
時代劇で見るような街並みが少し進化したような雰囲気だ。
賑やかだし、お店の人達も優しかった。
当然、僕は物珍しい目で見られた。外の人間かい?とか博麗の神社に住んでいるのか?とか。
僕だけじゃなくて霊夢も珍しそうな目で見られてたのが印象的だった。なんか不思議だ。

荷物が重くて筋肉痛に響いてあんまりよく見れなかったし、用がある店のところしか見てないから、後でまた来ようかな。



しかし、重い……。軽く一週間分以上はあるだろ、荷物。体が痛い……、どれだけ買い溜めするんだよ……。
買った荷物の殆どは僕が抱えている。申し訳程度に霊夢も持っているけど、何の助けにもなってない。

「…因みにお米って、どのくらいの量?」
恐る恐る訊いてみる。どうせ僕が持つ事になるんだろうから。
「取り敢えず一俵くらいかしら」

「はい?」
一俵って、確か六十キロくらいするよね?
そんなさらっと取り敢えずなんて言わないで下さい……。
「そんな量、どうするのさ」

「どうって、ひなたくんが住むことになったから、食べ物が足りないのよ。それと次の宴会用に取っておくのに要るの」
……あいあい。非常に分かり易い理由で。
「いつもは紫とかがくれる分で十分足りてるんだけど、一人増えたし足りなくなると困るじゃない」

つまり自分で食べる分は自分で持てと、そういう事かぁ…。
「了解です。しっかり持ちますです」
食いっぱぐれたくはないからね。仕方ない。
……しかし一俵なんて持てるんだろうか。いや、這いつくばってでも持たなきゃ僕のご飯がなくなる。いや、でも……。


なんて考えてる内に米屋に着いた。どうしよう。
「お米を一俵頂戴」
「お、博麗んとこの、珍しいねぇ。そっちの奴は見ない顔だけど外の人間かい?」
やっぱり優しい。日本の社会は排他的とは言うけど、優しいもんは優しいんだね。
「そうよ。ウチに住み込みで働いてもらってるの」
「そうかい、そうかい。そいつぁ大変だなぁ」
感心したような目で見られる僕。まぁ、はい。凄く大変です。凄く。

だけどこれからこっちでの生活に慣れていかなくちゃいけない。こういう店の人と仲良くなるのも重要な事だろう。
先ずは取り敢えず挨拶しよう。

「僕、琴川ひなたっていいます。よろしくお願いします」
「おう、よろしくな。頑張れよ。で、米一俵なら……こんなもんでどうだい?」
なんか軽い感じで済まされた。……でも、まぁこんなもんだろ。
指を立てて値段を示す店主さん。僕にはまだそれが高いのか安いのか分からないんだけれど。

「高いわねぇ、もうちょっとまけてくれないかしら」
おお、高いのか?この値段は。しっかりとここでの金銭感覚を身に着けなければ。
「これでも頑張って安くしてるんだよ」
困った顔になる店主さん。安いのか?

「これなら買うわ」
と、霊夢は示された価格より大分低い金額を示した。半額近いぞ、それ。
「いや、それじゃあ……」
「買うわ」

……物凄いプレッシャーだ。
「ま、まいどっ」
店主さんも諦めたようだ。というより、霊夢が怖すぎたのか。隣にいる僕でさえ身がすくむような感じがしたもんな。

「じゃ、貰ってくわ。お代ね」
霊夢が店主さんにお金を手渡す。
「ひなたくん、それ、しっかり持ってね」
やっぱり。僕が持つのか。
いや、覚悟はしてたけどさ。実際に一俵の米俵を目前にすると気が引けるもんだ。

はぁ……。仕方ない。
荷物の袋を肩やベルトに無理やり回して、米俵に手をかける。

せーの、
んんっ!




…………持ちあがる気配がしない。筋肉痛で痛いし、ていうか腰を痛めそうだ。この歳でぎっくり腰を持病にはしたくない。
「やっぱり無理だって、霊夢」
膝に手をついて息を整える。
「軟弱ね、ひなたくん」
「うるせっ」
普通の人間にこんなの無理だわい。
大丈夫かい?なんて店主さんも心配してくれてるし。

ん? 普通の人間?
そういえば僕はもう普通の人間じゃなかったんだっけ。未だに慣れないけど。
霊力使えばいけるのか? これ。

もう一度手をかけて、ついでに霊力を、全身に込める。
この時点で軽い手ごたえを感じた。これはいけそうだ。
いくぞ……

「ん……どっこいしょぉ!!」

も、持ち上がった!
けど重い物は重い。長くは持っていられないかもしれない。
「おお、やるな!」と店主さん。相当驚いている様子だ。
「米俵、持てたわね。それじゃ帰るわよ」
霊夢はノーリアクション。悲しいから何か言ってくれよ……。

っていうか。重い。
これで神社まで帰れるだろうか。歩くだけでも精一杯だというのに。筋肉痛が痛い痛い。
「何してるの? 早く来なさい」
空から聞こえる声。霊夢は既に宙に浮かんで帰る気満々だ。

こんな重いの抱えて飛べるだろうか。
でも結局は神社まで飛ばなくちゃ帰れないから、やらなくちゃいけないんだよな。
……ええい、霊力の余裕なんて知るか、飛んで行ってしまえ。

「せー…ぇのっ」
重い物を持ってるから、ジャンプするつもりで浮かび上がる。
重くてあんまり上手く飛べないだろうな、と思っていたけど……、

あれ? 軽いぞ。米俵。
宙に浮かんだ途端、あれだけ重かった米俵がそれほど重く感じなくなった。
人ひとり浮かせてるんだし、米俵くらい当然なのかも知れないけれど。

……もう少し早く知りたかった。出来れば買い物前に。
米俵ほどじゃないけど、他の荷物も大分重かったし。

でも、まあいいや。最後に楽が出来て。ポジティブに行こう。
そうしなきゃやってられない、というのもあるけど。
「それじゃ、帰るわよひなたくん」
「へーい」

霊夢に連れられて、神社へ向けて飛ぶ。
行く時にも思ったけど、神社と人里って直線距離でも結構離れてるのな。博麗神社の参拝客が少ない理由もよく分かる。歩いて遠回りしてまで行きたくはない距離だ。

見通しが良い木々の上に沿ってしばらく飛ぶと、最近見慣れた赤い鳥居が見えて来た。

「で、霊夢、この荷物は何処に置いとけばいい?」
「お勝手のとこにお願い」
さて、僕の仕事はこれで終了だ。さっさと終わらせよう。
まだ昼前、好きな事に時間が使える。

どうしようか?
今度は一人でじっくり人間の里見学する?
いい加減、何処かへ出掛けたい欲が出て来た。

「ねぇ霊夢、これ置いたらまた里行っていい? もう少し色々と見て回りたいんだけど」
「馬鹿ねアンタは」
あからさまに呆れる霊夢。

「物珍しいのは分かるけど、なんて言うか物好きね」
「いいじゃんか。僕は勉強熱心なんだ、もっと学びたいのさ」
「はぁ……好きにしなさい。けど、妖怪に喰われない程度の時間には帰って来なさいよ」
やった。許可ゲット。
急いでこれを置いてUターンだ。

ひゃっほい。















さて、里まで戻ってきたはいいものの、どうしよう。
意外に人間の里は広くて何処から見ればいいのか分からない。
時間は丁度正午を過ぎたあたりだ。お腹が空いた。神社で何か食べてくれば良かったかもしれない。

取り敢えずご飯処でも探そうか……、と考えたところで気付いた。
どうしよう。こっちのお金なんて持ってないぞ。

しかし、こうして見に来た以上、神社に戻る訳にもいかない。
今日は昼ごはん抜きか? はぁ…………、


……歩こう。折角だ、こんな状況でも楽しもうじゃないか。
お腹がぐーぐー鳴りそうなのを我慢して街並みを見て歩く。



明治の頃に外の世界から隔離されたという幻想郷の街並みは、和洋折衷された時代劇みたいに見える。
でも、どこか今風な雰囲気も感じ取れる。不思議だ。

人通りも結構多いし、賑わってる店には人だかりも出来てる。

あと気にかかった事といえば、すれ違う人みんな歩く速度が遅い。
僕としては普通の速度で歩いてるつもりなんだけど、歩いてる人みんな追い抜いてしまう。
何故だろう。僕が外の人間だからかな? せかせかせこせこ社会に強いられてきたから? と考えるとなんだか悲しくなる。


三つめの曲がり角に差し掛かったところで足を止める。
道が分かれてる。今度はどこへ進もうか。
えーっと、どーれーにーしーよーおーかーなー……


「見慣れない顔だな。君が外の人間か?」
僕に向かってかけられた声。こういうのって、何故か自分へ向けられたものだって分かるんだよね。
完全に自分の世界に閉じ籠ってたせいか、今の今まで目の前の人に気付けなかった。

「……慧音、先生?」
「ああ、私の事をもう知っているのか、なら話が早くて助かる」

ついつい慧音さんのことは先生呼びしてしまう。東方やってた頃からの癖だ。
僕が誰だか言い当てた事にさほど驚いた様子もなく、話を続ける慧音先生。
「さっきそこで、博麗神社に外の人間の住み込みが出来たという話を聞いたばかりだったが、まさかこんなに早く出会えるとはな」
どうやら慧音先生も僕の事を聞いていたらしい。流石というか、噂が広まるのが早いねぇ。

そしてやっぱり慧音先生も美人さんだ。こうも美人ラッシュが続くと精神に悪い。気が持たないというか。
「えーっと、僕、幻想郷を見て回りたくて、まずは里からかなと思って」
「そうか。それでまた里へ戻って来たのか」
「はい…そうなりますね」
ぐうぅー……。

しまった、お腹の虫が鳴いてしまった。なんてタイミングの悪い……。

「昼ごはんも食べずにか?」
慧音先生が呆れたように笑う。
「ははは……お昼代貰ってくるの忘れちゃいまして」
僕も笑って誤魔化す。こういう時は笑うのが一番だ。

「はは…そうか、このまま立ち話もなんだし、君の腹具合もなんだから、そこの蕎麦屋にでも入らないか? お代は私が出しておくよ」
嬉しい提案。これでお腹が満たせる。
「いいんですか!?」
「構わないよ。私も君に色々と訊きたい事があるからな」

全然、何でも聞いてくれて構いませんよ。ありがとうございます慧音先生。ごちそうさまです。
僕も里の事とか色々聞きたいですし。願ったり叶ったりだ。

そのまま並んで目の前にあった蕎麦屋ののれんをくぐる。

あれ、これってデートじゃね?


















…………訂正。デートにはならなかった。
最初、ざるそばを注文して、軽い世間話をした。
僕が博麗神社で何をしているのかとか、慧音先生の寺子屋の事とか。
話をしながら食べたざるそばはとても美味しかった。風味が豊かでのど越しもしっかりしてて。
その美味しさやこの状況に浮かれて、軽い気持ちで幻想郷の事について全部、教えて下さい!
なんて言ってしまったのが運の尽き。

幻想郷の成り立ちや歴史から、ひいては江戸や明治からの文化についても細かく詳しく授業をしてくれた。
最初の内こそ面白くて聞き入っていたものの、あまりの長さに段々と集中力が切れていき、最終的には殆ど聞き流し状態になってしまった。居眠りしなかった自分を褒めたい。


その時間、おおよそ四時間強。

話が終わった頃に暗くなっていたのではなく、暗くなったから話が終わったという。
恐るべし、慧音先生。
あー、すまん。熱が入ってしまって……とは本人の談。

流石に本人も悪いと思ったのか申し訳なさそうな表情で、神社まで送ろうか? と聞かれたが、いえ僕は大丈夫ですよ、と断った。
こういう誘いを蹴るなんて勿体無いと自分でも思うけど、一人で帰れる自信はあったし、何よりさっきの長講義がトラウマになりかけていた僕は早く帰りたかった。



だけど、
「はぁ……、やっぱ断らなきゃ良かったかなぁ……」
辺りはもう大分薄暗くなっている。所謂、黄昏時だ。
お化けが苦手な僕はこういう薄暗いのも苦手だ。
薄ぼんやりした奥の方から、何か得体の知れないものが出てきそうな不気味な暗さがどうにも好きになれない。

昔の人も同じ事を考えていたようで、この時間に誰かと道ですれ違う時に、もしかしたら人間じゃないかもしれないと疑いを持って、確認のために「たそ、かれ」と声をかけたのが黄昏の語源なのだという。
誰そ彼、と書いて誰ですか貴方は、という意味になるんだとか。


気を紛らわせるためにそんなような事を考えながら飛ぶ。
まだ神社までは半分以上道程がある。
まだぎりぎり辺りの様子は見えるけど、目を凝らさないとよく見えない。

こんな時間になっちゃって、霊夢に怒られるかなぁ……。
間違いなく僕の夕飯は無いだろうな。今晩も自炊だ。

「……はぁ、たそかれ、たそかれ…………」
どうしようもないような気持ちになって、無意味に呟く。
こんな独り言したって何も解決しないんだけれど。

「たそかれ……、たそかれ……」



「私? 私は妖怪よ?」
「たそか……」
薄暗い中でもハッキリと見える真っ黒な球体。
それがゆらっ、と急に下の森の中から上がって来た。

ルーミアだ。


「……ルーミア?」
僕が声をかけると、黒い球体が薄くなっていって段々とルーミアの姿が見えて来た。

「あ。お久しぶりね、日向の人間」
どうやら色々間違って覚えられていたらしい。
「久しぶり。だけど違うよ、ひなたは僕の名前。二つ名とかそういうのじゃない」
でもやっぱりこう、会えると嬉しいもんだ。特にお気に入りだった人物とだと。

「そうみたいね」
「そうなの!」
流石に名前はちゃんと覚えてもらいたい。
「僕の名前はひなただ」
「私は日向苦手よ」

「だからぁ……」
脱力。思わず溜息もつきたくなる。
どうしたらいいものか。
……取り敢えず深く考えずに話題変更。
「この前の宴会の時はありがとうね。お酌とか、色々してくれて」

「どういたしましてー」
と、にこりと笑って軽いお辞儀をするルーミア。
なんて可愛いんだ。

身悶えしたいくらい萌えるけど今はその気持ちを抑えつけておく。
「また機会があったら一緒に呑もうよ」

「そうねー。機会があったらね」
ん? なんか言い方が引っ掛かる。
「機会なんてこれからいくらでもあるじゃんか」

幻想郷で宴会は日常茶飯事に行われてる。
そして僕は今、博麗神社に住んでいる。
大抵の宴会には参加できるはずだけど?

「ねえ、日向の人。あんた本当に人間よね?」





背筋にぞっ、と嫌な感じの悪寒が走る。
その向けられている表情は、さっきと変わらない笑顔のままなのに。
いや、まさか。そんなこと……

「あ…、ああ、そうだよ。それと……」
負けないように精一杯の虚勢を張る。退いたら負ける。
「日向の人じゃない、僕の名前がひなただ」

「分かってるわよ。ただ空を飛べる人間に良い思い出が無いから聞いてみただけ」
笑ってるのに、笑顔なのに、本当にごく自然に嫌な感覚を感じる。

少しずつ悪寒が圧力に変わっていく。刺すように鋭い圧力に。

「空を飛べる人間って、霊夢とか、魔理沙とか?」
「そう、紅白に白黒に、それとあの死なない人間。いつももう少しで食べれるのに逃げられちゃうのよ」

多分良也の事だ。
そういや言ってたな、何度も喰われかけたって。

……僕もこれ逃げた方がいいかな?
親睦は確かにもっと深めたいけど、血肉の一部にされるのは流石に嫌だ。

逃げよう。
「ところでだ、僕は晩御飯までに神社に戻らにゃならんからこれでサヨナラということで」
今の自分が出せる最高速度で神社へ向かって飛ぶ。

「私もまだ晩御飯食べてないのよねぇ。そんなところに現れた久々のご馳走」
後ろで何か言ってるのが聞こえる。けど無視無視! 全速前進!

「逃がさないわよ!」

ばしゅしゅっ!、という音が聞こえて、真っ赤な光弾が回り込むように飛んで来た。
「うわっ!」
急旋回。弾は躱せたけど速度が落ちる。
まずい……、

「いただきまーす」
声のした方へ目を向けると、噛みつこうとしてるのか口を開けたまま迫ってくるルーミアが。
逃げきれそうにない。

くそ、仕方がない……、やりたくはなかったけど……、
咄嗟に右手で指鉄砲を作って弾幕を撃ち込む。

東方で言うと二面道中の妖精程度の薄い弾幕だけど、何発かは命中し……た。
「いたたっ! やったわねー…!」
効果ほぼ無し。むしろ逆効果。そのまま真っ直ぐ突っ込んで来る。
やばいっ!? 避けなきゃっ!

すんでのところで重力に従って真下に避ける。
ほんの一瞬前僕がいた空間にルーミアがぶつかる。

妖怪の腕力は前の宴会で体験済みだ、一度でも捕まったらもう逃げられないだろう。
これはまずい。どうにかして逃げ切らなきゃ……

……! そうだよ、こんな時のための能力だよ!
神社にある電動ガンを取り寄せて戦うんだよ。

「とっ、取り寄せ……」
所属の能力を…、ダメだ、また弾が飛んでくる。
かわしながら、くっそ、…………見つけた! 来い!

銃が手の中に来るのと同時に引き金を引く。
ズババババ、と弾幕が張られる。……けど、見事にかわされた。

「もう! ちょこまかと鬱陶しいわね! 闇符『ディマーケイション』!」
ルーミアが一枚のカードを取り出してスペルカード宣言。ヤバい…っ

「うわわっ、わっ!」
今までとは桁違いの弾数。視界いっぱいに広がる弾幕。
上下左右斜め、全方向から球状に弾が襲ってくる。
必死で避ける。そしてがむしゃらに銃を撃ちまくる。

この……っ、諦めてどっか行ってよ!
あんまり当てられないけど、確かに少しずつは命中してる。
思い出せ、東方を思い出せ……大ぶりで無理に避けるな……

東方のゲームは得意だったし、例によってドッジボールは最後まで残るタイプだったせいもあってか意外と避けられる。
避けるのは大変だけど、何とかなりそうだし……
このまま削り切れれば……、



フッ、とルーミアの弾幕が消える。
よし、やった!?

「時間切れ、よく粘るわねあんた」
やってない。悲しいかな火力が足りてないらしい。
でも時間切れまで避け切れたのは十分やったと言えると思う。

やった、突破したぜ。
スペルカード取得は出来なかったけどな。
急に嬉しさが込み上げてくる。ゲームのあの感覚を感じる。

次はスペカを……って喜んでる場合じゃ

















熱い。
体の左半分が熱い。

スペルカードの後の通常弾幕だ。すっかり忘れていた。
なんとか直前で躱したけれど、腕と脚に、何発か喰らったみたいだ。

馬鹿だな僕は。本当に馬鹿だ。

まだ痛みは感じない。多分、アドレナリンとかのお蔭だろう。
血が滴るのを感じる。

馬鹿だ。馬鹿野郎。

「惜しいなー、もう少しで落とせたのにー」
ルーミアの声が聞こえる。



どうしようもないドス黒い感情が湧き上がってきそうになる、けど、それを全力で押し込める。
ルーミアに、そんな感情を向けたくない。一瞬でも向けようとした自分がもっと憎くなる。

「へへ……、残念でした」
強がらなきゃ。目の前の大好きな人にそんな気持ちをぶつけたくない。

しかし、まずいな。
もうこれ以上弾幕ごっこ、出来そうにない。
もう一度何か弾幕を張られたら終わりだ。


「それじゃあもう一回、月符『ムーンライトレイ』!」

ルーミアがカードを構える。




あ。

終わったな。
折角幻想入り出来たのに。

折角、ああ、
こんな状況になってまで、生きることを諦められそうにない。




……でもルーミアに食べられるなら本望、かな。
そんな考えが頭をよぎる。

未練たらたらでお化けにはなりたくないからな。
そう考えよう。それで、いいや。


目の前が真っ白に染まった。

「光符『スタンライト』おぉぉぉぉ!!!!!!」
















パァッ! と、急に辺りが眩いほどに明るくなった。

何が起こったのか全く理解できなかった。

と、僕の体が強い力で引っ張られていくのを感じた。

ルーミア? 捕まったの? 僕。

「逃げるぞ! ひなたくん!」
誰の声? ……良也?

力が抜けて体が動かない。頭も回らない。

少しの間、空を飛んだ感覚がして、気が付いたら、神社にいた。






「ひなたくん、大丈夫!? うわ、凄い怪我!? ちょっと待ってて!」

「……良、也?」
まだうまく理解が出来てない。
どうなってるの、これ。

「何? ひなたくん、今治癒魔法掛けるから!」
良也が僕の左腕に手をかざすと、今まで熱かっただけだったのが急に痛み出した。
「良也? …痛っ」
「ああっごめん! 僕、治癒魔法は苦手なんだ、ちょっと我慢してて!」

痛い。
段々と頭が回転し始めてきた。

僕は、助かったの?
ふと自分の体を見る。

服が破れて、ふくらはぎの肉が腫れていて、二の腕が少し裂けてて血が筋になって垂れていた。
うわぁ、これは痛いわけだ。
でもそれも魔法のお蔭だろうか、血の流れ出すのが徐々に止まっていくのが分かる。
あと、銃を手放していなかったらしい。まだ右手の中に握りしめられている。


「ほら見なさい。私はちゃんと忠告したわよ、晩御飯には帰りなさいって」
後ろから声が聞こえる。
霊夢が救急箱を持って来てくれたらしい。

「霊夢、軟膏とガーゼと包帯取って」
「それと当て木もでしょ? 脚折れてるわよこれ」
「そうだけど、まずは止血が先だ」

軟膏を塗りガーゼが当てられて、真っ白な包帯が巻かれていく。
脚も当て木をして包帯がしっかりと巻かれる。
「……よし、取り敢えず応急処置だけはしたけど、これは永琳さんに見てもらう必要があるな」
「全く、喰われなくて良かったわね。」




「………………ごめん」
ようやっと言葉が出た。
何と言おうか迷いに迷って、結局この言葉が口から出て来た。

一言喋ってしまえば、その後はスラスラと言葉が出てくる。
「全部自業自得だけど、霊夢に注意されてた事だし、良也にも助けてもらっちゃったし……」


「何言ってんのよ。食べられてないなら何も言う事は無いでしょう?」
へ?
思わぬ言葉にきょとん、としてしまう。
てっきり怒られるものだと思っていたけど。

「本当だよ、ひなたくんは能力持ちと言ってもまだ日が浅いから……、命が助かって本当に良かった」
良也もそんな風に言ってくれた。

「……ありがとう」
何て言うか。言葉が見つからない。
これ以上何も言いようがない。
何か言っても蛇足にしかならないような気がする。

申し訳ない気持ちで一杯だけど、今の僕にはどうする事も出来なくて、凄く悔しい。

ルーミアの事だって、宴会の時散々言われてたのに。
全く僕は理解していなかった。僕は人間で、ルーミアは妖怪だって事も。
まだどこか、妖怪とか神様とか、そういうものの存在を信じ切れていないのかもしれない。

でも……、ルーミアは……









今晩はそのまま寝て安静にして、明日永遠亭に行くことになった。
昼間の方が安全だから、という理由だそうだ。

痛む体を宙に浮かし、布団の中に入り込む。
一応痛み止めは飲んだし、治癒の魔法も掛けてもらった。

それでも痛くて痛くて仕方がないけど、我慢するしかない。
良也たちが部屋を出たのを見送ってから、目を閉じる。



今日の事は、絶対忘れないだろう。














戻る?