「はっ」


 ふと、誠隆は目が覚めた。

 青空が見える。周囲を確認してみればそこは見慣れぬ森の中で。

 何でこんなところに。誠隆は首をかしげる。

 考え込むこと数秒。意識が戻って直ぐの脳がようやくフル回転をしはじめたと思ったら、色々と記憶が蘇って来る。

 思い返してみれば、とんでもなく非常識で馬鹿らしくて簡潔だった。

 職業安定所で出会った胡散臭い女に面接を半場無理やり受けさせられた挙句、監禁されて空から落とされた。終わり。

 小学生でも信じないレベルである。でも、妄想ではなく本当にあったことな訳で。

 正直、八雲紫を直ぐにでも見つけ出して拉致監禁で警察に突き出してやりたいところだが……今はそんなことよりも重要なことがあることに誠隆は気がついた。

 何で生きているんだろうとか、ここは地球の何処なんだろうとか、家に帰れるんだろうかとか、それよりも心配しないといけないことがあるのだから。


「オレ、ここから生きて出られるか……?」


 恐る恐る周囲を見回せば相変わらず、鬱蒼と覆い茂る森。

 昼間なのに何だか薄暗い。辺りから動物のものとは思えない変な声もする。もう嫌な予感しかしなかった。

 早く森を出た方がいい。しかし、何処にどう行けばいいのか。携帯も確認してみるが、圏外の表示がされている。

 闇雲に動くのは、あまり良い判断だとは思えない。

 だが、自分が何処に居るのかも分からず救助も呼べない以上、せめて水くらい探しておくべきかもしれない。

 とりあえず動こう。そう判断して誠隆が起き上がろうとしたときだった。

 体を起こしたらハラリと何かが落ちた。


「これは……」


 全く気がついていなかったが、恐らく誠隆にかけられていたであろう布があることに気がついた。

 誰かが助けてくれたのか。よくよく自分の体を確認してみれば包帯などが巻いてある。


「あ……き、気がついたんですか?」

「っ!?」


 不意に、背後からかけられた声に身構えながら振り向く。

 そこに居たのは、恐らく小学校中学年くらいの少女。何となくオドオドしているのを見る限り、人見知りする性格なのか。

 しかし、重要なのはそこではない。重要なのは――背中にある羽だった。


「えーっと……その、君はオレを助けてくれたのかな?」

「ひぅ!?……は、はい」


 声をかけただけでそんなに驚かなくても、と思いながら彼女の姿を見る。

 コスプレかと思いきや、その羽は時々動いている。

 虫の羽のような華奢で透明な羽。

 御伽噺に出てくる妖精の羽は、恐らくこんな感じなのだろう。

 いや、今の技術ならば動く作り物の羽くらい余裕で作れることは誠隆だって理解している。

 だが、その羽は明らかに生きているのがが分かった。作り物などではない。本物なのだと。

 ということは彼女は妖精なのだろうか。

 ありえない。だが、しかし目の前にいるわけで。

 それに、もはやありえないことなんてないのかもしれない。

 朝の体験を思い出して誠隆は頭痛がし始めた頭を手で労わりながら、少女に問いかけた。


「オレの名前は白南風誠隆。君は?」

「わたしはその……大妖精です」

「そっか……」


 そのまんまだった。




 …




「つまり、大ちゃんが友達と散歩してたらオレが突然、空から降ってきたと」

「は、はい、びっくりしました」


 それから何とかコミュニケーションをとるために試行錯誤しながら2時間ほど費やし、ようやく普通に話せるようになった大妖精から誠隆は色々話を聞いていた。

 ちなみに大妖精は特に名前はないらしく、友達から大ちゃんと呼ばれているので誠隆にも大妖精ではなく愛称の大ちゃんと呼んで欲しいとのことだった。


「それにしてもオレ、よく生きてたよな……」


 自分の姿を見ながら誠隆は、落ちる直前を思い出す。

 相当な高度だった覚えがあったのだが包帯を巻くくらいの傷ですんだのは果たして運が良かっただけなのか。


「えっと、その、ですね。私の友達が下敷きになってクッションの代わりになったんだと思います」

「ちょっと待って。下敷きって、それは潰れてスプラッタなことに……それに、あの高さからならどう頑張っても普通は死ぬ気が。いやいや落ち着けオレ、気にするところはそこじゃない。その子、無事なの?」

「無事ではないですけど、たぶん大丈夫です。妖精ですから」

「え? そ、そうなのか?」

「はい、妖精は死んでもすぐに復活するんです」

「死んでも復活って。ちょっと待って不慮の事故とは言えオレ軽く殺人……いや、殺妖精してるよね?」

「しばらく復活するまで時間がかかるとは思いますけど、大丈夫ですよ」

「え? これ、普通なの? この辺りだと割りと普通? いや、大丈夫ならいいんだけども」


 それにしてもここは、一体どういう場所なのか。

 大ちゃんがいうにはここは"幻想郷"というらしい。

 人、妖怪、妖精、天狗、幽霊、鬼、神、その他もろもろ大勢の者たちが共に暮らす、まさしく幻想の里。

 普通なら信じられない。というか、そんなことを真面目にいう奴は精神科か脳外科に行くべきだ。

 だが、既に信じざるえないほどのことを体験しているのだ。諦めるしかないというのが今の誠隆の素直な感想だった。

 なお、大妖精には自分の知っている日本について質問してみたのだが何も分からないとのことだ。

 外国なのか。はたまた、異世界なのか。それにしては、言語は日本語で通じているのだが。

 それにしても、一番初めに大妖精に出会ったのは正直、運が良かったと言えるだろう。

 人見知りはされたが、温和で敵意を抱かれたりはしてない。

 大妖精曰く、危険な人食い妖怪もこの森に住んでいるらしいのでそんなのに遭遇していたら危なかった。


「まあでも、人が住んでるってことを聞けて安心したよ」


 幻想郷には人里という比較的、安全な場所もあるらしい。

 そこでは、妖怪も滅多なことがない限り暴れないとか。里の守護者もいるらしい。

 さらに言えば誠隆のような外来人を助けてくれたりする巫女がいる神社まであるそうな。

 とりあえず誠隆は、その辺りに行って落ち着いてからこれからどうするか決めるつもりでいた。

 もちろん最終目的は帰ることだが、恐らくそれを八雲紫は許さないだろう。

 料理人が欲しいとか言っていたが、何か目的があってこちらに呼んだ以上、逃がすつもりはないはず。

 たとえ帰ったとしても、連れ戻されるのは目に見えている。

 面倒なことだ。本当に面倒なことだ。しかし、あんな化け物じみた存在を前にしてはどうすることも出来ないのも、また事実。

 というか、連れてきたんだったら何故こんな場所に放置しているのか。

 誠隆は、もうため息しか出なかった。


「じゃあ、ここから一番近い人がいるところまで案内しますね」

「助かるよ。落ち着いたら、何かお礼しないとな」

「そんな、かまいません。たまたまですし」


 今時、こんな素直で良い子は人間の子供でも滅多にいないだろう。

 まあ、大妖精は恐らく誠隆とは天と地の差があるくらい長い年月を生きているはずなので子供扱いするのは失礼かもしれないが。


「大ちゃんはいい子だなぁ。きっと、いいお嫁さんになるね」

「そ、そんなことないです……」


 そう言って頬を染める大妖精は微笑ましかった。

 それにしても、妖精という種族は果たして結婚とか子供を作るとかいう概念はあるのだろうか。

 ふと、誠隆は疑問に思ったが……流石に目の前の少女に聞くのは躊躇われた。

 聞けば素直に答えてくれるかもしれないが、見た目的にいくらなんでも犯罪じみている気がする。

 いや、誠隆が気にしすぎているだけかもしれないが、何となく彼女は見た目よりも精神年齢もそれなりに高そうなので何か勘ぐられると色々気まずい。

 見つめる誠隆の視線に気がついた大妖精は、可愛らしく首をかしげる。

 年齢伝々ともかくとしても改めて絶対にヤバイと思った。何処からどう見ても、見た目は幼女なのだから。


「どうかしましたか?」

「いや……ロリコンには、なりたくないなーと」

「ろりこん、ですか? 外の世界の言葉なんです?」

「ああ、うん……まあ、意味は知らない方がいいよ、きっと」


 色んな意味で知らないほうがいい世界である。

 閑話休題。


「さてと、早く森の外に出ましょう。あまり一箇所にとどまっていると本当に危ない妖怪とかに遭遇しかねませんから」

「確かにそうだね……そろそろ日も落ちてきたし」

「はい、本来この森は同じ妖怪や妖精ならともかく人間は余程の理由がない限りこんな場所までは絶対に入りません。特に普通の人間なら妖怪に遭遇したら逃げられませんから」


 大妖精の言葉に誠隆も頷く。

 日は大分傾き始めていて、夕日に変わっていた。あと1時間もすれば日が暮れてしまうだろう。

 夕焼けの光が森に差し込みまるで世界が血で染まったみたいに見えて何となく不気味だ。

 こういうのを逢う魔が時とでもいうのだろうか。

 確かに何か出そうな気がするような妖しさが漂っている気がした。


「妖怪かー出会ったら洒落にならないな」

「そうなのかー?」

「ああ、だって勝てる気がしないだろ? 特に人食い妖怪なんてものに出会ったらオレなら速攻で逃げるね」

「そうなのかー」

「あの……誠隆さん?」

「ん? 何、大ちゃ……え?」


 ――今、オレは一体誰と会話していたんだ?

 誠隆は、今の声が大妖精の声じゃないことに気がつく。

 何だか嫌な予感がして、額を汗が伝った。

 ゆっくり声が聞こえた方を振り向く。

 そこには、満面の笑みを浮かべて口の端から涎を垂らす金髪の少女が居た。


「……どなた?」

「ルーミアよ」


 見た目は幼い少女。

 ルーミアと名乗った彼女は赤い瞳を爛々と輝かせている。

 これは、普通じゃない。

 誠隆は、感情ではなく本能がそう警告していることを悟った。


「えーと……つかぬ事をお聞きしますが、あなた様のご職業は何でございましょうか?」

「しょくぎょう? んー人食い妖怪って呼ばれてることなのかしら?」

「へぇ、人食い妖怪とは変わったご職業で」

「ところで、アナタは食べていい人類?」

「……ねぇ、大ちゃん」

「誠隆さん、逃げてください!」


 誠隆は、一瞬で血の気が引いた。

 大妖精のいうとおり逃げなくては。それは分かっているのだが、誠隆は頭の何処かで逃げても無駄なんだということも理解していた。

 そして、逃げれば決定的に何かが終わるということも。

 ――考えろ。

 朝から色んなことがありすぎて多少、慣れたのか。

 こんな状況であるにもかかわらず、誠隆は不思議と落ち着いていた。

 とは言え、この距離、この状況で何をどうすればいいのか。

 誠隆はとりあえず、なんでもいいから何かないかとポケットに手を突っ込んでみる。

 あるのは朝、家を出るときにポケットに入れたハンカチと財布、いつも持ってるお守りにコンビニに寄ったときに新商品だったので何となく買ったガムくらい。

 所持品を見て、誠隆はふと思いついた。


「なぁ、お腹減ってるの?」

「凄く減ってる。もう、1週間も水と木の実だけなの」

「そっか、大変だ」

「大変だったわ。でも、獲物を見つけたからこれでお腹一杯ね」

「それは良かった」

「うん、良かったわ。いつもなら、わざわざ探したりしないんだけど今回は結構危なかったから探しちゃった。それじゃあ、早速いただきまーす」

「ちょっと待ってくれ。その前にいいものをあげるから」


 そういうと誠隆は口を大きく開けるルーミアの前にガムを出した

 ルーミアは口を開けたまま目の前にあるガムをマジマジと見つめる。

 誠隆はガムの包装を剥いやるとルーミアに一つ差し出した。


「これは、噛むと味がずっと続く食べ物なんだ」

「くれるの?」

「うん。だから、とりあえずこれを食べてくれ。あーん」

「あーん」


 ひょいっ誠隆はルーミアの口の中にガムを放り込む。

 しばらく真顔のまま口を動かしていたルーミアだったが、次第に驚きの表情に変わっていった。

 ちなみにガムのパッケージには、ジャーキー味と書いてある。

 ベーコン味のガムがあることは知っていたが、まさかジャーキー味とは。

 大して変わらないところも含めて製菓会社の意図は確実にネタ。明らかに売れると思っていないことは明白。

 ならば乗るしかあるまいと思わず購入した誠隆だったがある意味、運が良かったのか。

 ルーミアにはそれなりに好評のようだった。


「んー……確かにー噛んでるとお肉の味がしてきておいしいかも」

「じゃあそのうち味がなくなるからいくつかあげるよ」

「ホント? ありがと」


 そんなルーミアを確認してから、誠隆は意を決して一つの嘘を吐いた。


「実は、まだ色々あるんだけど欲しい?」


 そう、あえて誠隆は切り出した。

 無論、持ち物は他に何もない。

 これはもはや賭けだ。生きるか死ぬかの結果しかない簡単な賭け。

 他にも方法は沢山あるのかもしれないが、誠隆にはもうこれくらいしか思いつかなかった。

 誠隆は、緊張しながらルーミアの出方を伺う。

 ルーミアは周囲を見渡してから首を傾げた。


「欲しいけど、何処?」

「ちょっと、向こうに置いたままにしてるんだ。持ってくるから少し待っててくれる?」

「分かった。なら、待ってる」

「うん、ごめん。じゃあ、ちょっと行って来るから――大ちゃん」

「は、はい」


 ルーミアの期待を込めた視線に笑顔で返しながら、誠隆は平静を装いつつ大妖精に目配せをして共にその場を後にした。

 それから10分くらい歩いただろうか。


「はぁー……良かった」

「あはは……」


 無言のまま歩いていた誠隆は、不意に大きく息を吐いて地面に座り込んだ。

 大妖精は、誠隆のそんな姿を見て苦笑している。

 生まれて初めて感じた、本当に死ぬかも知れないという極限状態だったのだ。誠隆は、身も心も疲労困憊だった。

 だが、事は思った以上に上手くいったようだ。

 誠隆が思いついた実に簡単な作戦。

 とはいえ、誠隆には成功する確信もあった。

 最初にルーミアは1週間も、ものをまともに食べていない極度の飢餓状態だと教えてくれた。

 そんな状態のときに腹は膨れないとはいえ、珍しいそれも味のあるものを渡しておくことでルーミアに食べ物をくれる良い人と信じ込ませる。

 その上で適当な理由をつけて余裕をかましつつ逃げる。

 我ながら馬鹿みたいに単純だと誠隆は思ったが、相手が極限状態だったからこそ実行したし成功したと言えるだろう。

 予想以上に思った通りに成功したので、何か作為的なものすら感じてしまうほどだ。


「よーし、さっそく森を抜けようか」

「でも、大丈夫でしょうか? こんな騙すようなことをして、後で復讐とか……食べ物の恨みは恐ろしいですよ?」

「ああ。まあ、そのときは『森で迷った』とか適当に理由をつけて用意していたものを渡すだけだよ。ちゃんと食べられない対策もしておけば問題ない……と思う、恐らく、たぶん、きっと」


 誠隆自身、心が痛まないと言えばそんなことはないがこっちは命がかかっているのだ。

 多少の嘘を付いただけで、生き残れるのなら誰だって喜んで嘘くらいつくだろう。

 力のない人間は、方法を吟味している余裕はないのだ。

 ルーミアには悪いが、そのまま騙されてもらうことにした。


「とりあえず人が居るところまで連れて行ってくれるかい?」

「分かりました。では、ご案内します」


 先行する大妖精の後に誠隆も続く。

 ようやく落ち着けるところまでいける。

 それがあと少しだと思うと、誠隆は心躍らずには居られなかった。








 とはいえ、これはまだ単純な始まりに過ぎず。

 この後、誠隆は更なる幻想郷の恐怖の片鱗を味わうことになるのであった。



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