目を覚ます、むー、……まだ、ちょっと眠い。
 はあ、溜息。どーしたもんだろうね、と。どうしたものか、言うまでもなく。
「君が悪いんだよ。まったく」
 視線を向ける。隣には、すやすやと眠る阿呼。
 布団から抜け出して、さわさわと彼の頭を撫でる。むむ、と寝顔が少し緩む。私の頬もそれに合わせて緩んで、さわさわ、と。もう少し撫でてみる。……なんか、楽しいな。
 そんな思いのまま、もう少し阿呼の所へ、寝顔を見下ろし、呟く。
「本当に、」ぱちっ、と不意に阿呼が目を開く。…………あ、
 あー、見る見る顔が真っ赤になる。まあ、そうだよね。……いや、じゃなくて、
 視線を下げれば、下着同然の私。阿呼の視線を追えば、え、えっとお。いろいろ、危ない感じ、かも。
「あ、あ、」「あのー」
「にゃあああっぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「スクープの現場発見っ!」
「って、なんですとっ?」
 ざしゃっ、と現れたのは文。……って、ま、まずい。
 文が、あの、射命丸文がきょとん、とこっちを見ている。そこには下着同然な私と、その下にいる阿呼。
 ぎちぎちぎち、と文はぎこちなく動いてから。
「ご、ごめんなさいでしたーっ!」
「まてやこらーっ!」

 文も錯乱することがあるらしい。珍しい発見。
 あの後、混乱して飛び出そうとした文は、そのまま回れ右して壁に向かって飛翔し、至極当然のように壁に頭をぶつけて倒れた。
 というわけで捕獲完了。阿呼に朝食を頼んで、私は服を着る。
「で、なんであんたがここにいるのさ?
 いくら天狗様といえど、プライバシーを犯していい法なんて、ないよね?」
 必要なら縛り付けたまま家の外に放り出して魚雷掃射も厭わぬ。私の決意は表情に現れ、文は顔を青ざめさせながら「た、たまたまですよ。たまたま」
「たまたまぁ?」
「た、たまたま、です。
 たまたまこの近くを通りかかったら、にとりさんの家から聞きなれない悲鳴が聞こえたので、……これはいける、と思い来ました」
 悲鳴聞いていけると思うな、ばか。
「そ、そしたらにとりさんが男の子を下着姿で襲っていました」
「誤解だーっ!」
 文の肩を掴んでがくがく揺さぶる。文はがたがたと椅子に縛られたまま揺さぶられて「ご、誤解、って、あ、あの状況、で、なにを、どう、誤解、しろ、と?」
 …………まずい、反論できない。

「もうっ、にとりはああいう時に無防備すぎるのっ
 僕だって男なんだから、ちゃんとしなくちゃだめなの」
 ぷちぷちと文句を言う阿呼。けど、仕方ないじゃないか、そもそも一人暮らしだったのに、
「ほんと、びっくりしたんだから」
「ごめんよー」
 もう、なんていうか、全面的に私が悪い、と思う。
「っていうか、その男の子はどこのどちら様?
 天狗攫いなら聞いた事あるけど、河童攫いとか聞いた事ないわね」
 がたがたと椅子を揺らして文。とりあえず縛っておく。
「あ、僕はにとりの助手の阿呼って言います。はじめまして」
「阿呼、ね」
 ふぅむ、と文はまじまじと阿呼を見る。
「な、なに?」
「可愛らしいお子さんですね」
「か、可愛いっ? それ、えと、褒められてない、の?」
 わかんない。
 文はぐりん、と私を見て、真剣な表情で問う。
「美味しかったですか?」
 みずでっぽー
「あやっ?」
 水を発射、余計な事を言う文の顔面に水鉄砲直撃。
「どういう意味?」
 首を傾げる阿呼。うん。
「阿呼は知らなくていい事だよ。……あー、阿呼の作ってくれた朝食は美味しいなー」
「あ、えへへ、どういたしましてっ」
「これはもっと食べておこうかなー?」
 ちら、と文を見る。
「いいけど、……えっと、もう一人分しか作ってないよ?」
「あやっ、私にも食べさせてくださいっ!
 いやー、阿呼さんは気が利きますねー、私の分も用意してくれるなんてー」
「え、えっと? ど、どういたし、まして?」
 がたんがたん椅子を揺らして必死にアピールする文。床に悪いからやめて欲しい。
「で、阿呼。
 あっちの不法侵入者は烏天狗の射命丸文。ほら、前に椛来たでしょ? 同じ天狗様だよ」
「そうなんだ。……椛さんと、同じ、天狗さん、なんだあ」
「……すっごい意外そうね」
 当たり前。
「あのー、それよりそろそろ解いてもらえませんかー?
 お腹すきましたー」
「そこで腹の虫鳴らしてれば」
「女の子相手に酷な事言うわねっ?」
 知らないよーだ。…………はあ。
「絶対に逃げ出したりしないね?」
「むしろ話聞きたいくらいよ。
 ただでさえ警戒心の強い河童のにとりが、まさか人間の男の子を、…………」
 言葉を選ぶ文。選んだ言葉次第では相応の処置を考えよう。
 文は少し、言葉を選んで頷いた。
「美味しく、食べちゃうなんてっ」
 みずでっぽー
「あやっ?」
 最悪の選び方をした文。傍らで首を傾げる阿呼。
「え? 食べ、る?」
「阿呼は知らないでよろしい」
「う、……うん? …………いっ?」
 阿呼は慌てて視線を背ける。どうしたんだろ? ……って、
「文っ、なんて格好してんのさっ!」
「あやー? ……うわー、お子様には刺激強すぎますかね、これ」
 縛られた文はブラウスがびしょ濡れで、透けて、……ああ、おへそとか下着が見えてるっ!
「このえろ天狗っ、そんなところに座ってないでさっさと風呂場に行って乾かしてきてよっ!」
「理不尽極まるわねっ」

 文をお風呂に放り込む。逃げられたら困るので監視付。文は溜息をつきながらずぶ濡れのブラウスを脱ぐ。
 風を送り乾かすかたわら、阿呼の事。
「まあ、玄武の沢で倒れていた子。
 身寄りがないみたいだし、とりあえず見つけた私が引き取ってるのだ」
「そういう事?
 で、彼自身は何か言ってるの?」
 問いに私は両手を上げて「名と、生活に必要な事は覚えているみたいだけど、素性については全然」
「人里には行ってみたの?」
「うん、……阿求に頼んで調べてもらったけど、なかった」
「………………まあ、大丈夫だと思うのだけど」
「なにが?」
 問いに文は溜息。
「記憶がないっての。
 たしかに人間にはそういう、……なんていうのかしら? 症状、って言い方があってるかわからないけど、まあ、そういう事もあるらしいの。
 けど、」
「けど?」
「何かの理由で封じられている、っていう可能性も、すっごく低いけど、ないわけじゃない、かもしれないわね。
 その場合、往々にして面倒事に巻き込まれるわよ」
 風を送りながら、ちらり、と私に視線を向ける。その視線の意味は、
「最悪の事を考えれば、人里においてきた方が賢明よ。二人の気持ちは、別にしてね」
 こういう時、私は文が友人だと強く意識する。
 視線の意味、それは心配。だから、
「んー、まあ、忠告ありがと。けど、」
 手に視線を落す。彼の手を取った、彼を撫でた、……彼と触れ合った、私の手。
「手、取ったんだ。だから、放り捨てるなんて、出来るわけないよな」
「…………ま、そういうと思ってたわ。馬鹿なにとり」

「あ、終わった?」
 むぅ、一人分のご飯が並べられてる。
「えっと、文さん。だよね。
 朝ごはん、置いといたから」
「ありがとうございますー
 いやー、阿呼さんは気が利きますねー、どうですか? 私の所に来ませんか?」
「え? それは、……ちょっと、疲れそうだし、いや、かな」
「なんですかその断る理由?」
「まあ、文と暮らすと疲れるよね。絶対」
 うむ、……ふと、文はにやぁり、と笑って、
「その体型貧相な河童娘より私の方がいいですよー」
 くねっ、と文。
「さっき見たでしょー?」
「ふぇ? あ、……あ、あれは、その」
「さーて、二食目はちょっとお腹重いかなー」
 どっこらしょっと、椅子に座る。「あ、阿呼も一緒に食べようよ」
「それ私のーっ?」
「ご飯食べたかったら変な事言わないでよっ!
 っていうか、誰が体型貧相だばかーっ!」
「あややー?
 ふふん、この私に勝てるなんて思ってるんですかあ?」
「ぐぬぬぬ」
 たしかに、私は文と比べると、…………その、もうちょっと、出るとこ出て欲しいなあ。って思うけど、
 けど、貧相って言われるほどじゃないっ!
「え、えっと、……に、にとりも、だめじゃない、と、思うよ。僕」
 顔を赤くして、視線を逸らして、ぽつぽつ、と阿呼。
 うわー、「おお、可愛いですね」……まずい、同感。
「うぅ、へ、変な事言わないで、よぉ」
「っていうか、阿呼は私の助手なのっ
 文なんかお呼びじゃないんだから、しっしっ」
「私も助手さん欲しいんですよねー
 こういう美味しそうなご飯を作ってくれる助手さんが特に。あ、では、いただきます」
「くぅ、こんな変な天狗娘のために食材が使われるなんてー」
 ぐぐっ、と拳を握る。文は嬉しそうにご飯を食べながら「けちけちしないでよ。あとで何か持ってくるから」
 言うなりかつかつと食べ始める。手の動きは早く咀嚼も相応、けど、美味しそうに食べてる。
 はあ、……今日、仕事できるかなあ。

「ごちそうさまでしたっ!
 ほんと美味しかったですっ、あやや感動ですっ! これから毎日私にご飯作ってくださいっ!」
「変な事言うなばかーっ!」
 ぐっ、と阿呼の手を握る文。私は思い切り引き剥がす。
「もう用はないでしょっ、さっさと帰ってよ」
「えー? いいじゃない別に。
 邪魔しないから」
「えっと、存在が、だな?」
 言葉を吟味していってみる。文はがくっ、と肩を落とす。「存在が邪魔って、凄いわね私」
「そんな凄い文、玄関はあっち」
 びしっ、と指さす。
「私、阿呼さんのお昼ご飯が食べたいです」
「じゃあ明日出直して来るんだね。お昼当番は私」
「へ? そうなの? い、もがっ」
 阿呼の口をふさぐ。余計な事は言わないでよろしい、特に文の前では、
「私、にとりさんの手作りご飯が食べたいです」
「気色悪ー」
「…………容赦ないわね」
「別にいいけどさ、ちょっといろいろ予定詰まってるから、言っておくけどあんまり相手できないよ。
 ぼちぼちバザーあるし」
「ああ、そうだったわね。
 今は二人で何か作ってるの?」
「そ、……あ、阿呼、お皿とか洗うのこの天狗様にやらせるから、先に開発室行ってて」
「ふぇ?」かちゃかちゃとお皿を片付けていた阿呼は変な声を上げて「あの、いい、ですか?」
 文はひらひらと手を振って了解を伝える。これでも文は律儀だから、この位は引き受けてくれる。
「っていうか、様とかつけてるのに扱いが雑ねー、この河童娘は」
「はいはい、ごめんなさいね天狗様」ぱたぱたと開発室に向かう阿呼を横目に「前に、あったでしょ? GPS、あれを小型化させようってね、阿呼といろいろやってる」
「ああ、あのごっついやつ、……あれ使いにくいのよねえ」
「…………あれさあ、なんであんなごっつくなったの?
 持ち運び大変じゃん」
 問いに文は肩をすくめて「現場知らない鼻高天狗が設計開発したんだから、そんなもんでしょ」
「っていうか、設計の段階で現場から意見聞かんのか」
 それどーなのよ? 文はけらけら笑って「現場は現場で忙しいのよ」
「……悪循環じゃない?」
「ま、そんな物でしょ」文は勝手知ったる友の家、エプロンを着て「お皿洗ってるわ。終わったら見物に行くから」
「はいよー、勝手に来なー
 邪魔したら叩き出すけどねー」
「肝に銘じておきます」

 開発室に行く。……おお、必要な物が全部準備されてる。有難いねえ。
「あっ、にとりっ、準備しておいたね」
 ぱたぱたと駆け寄る阿呼。私は彼の頭を撫でて「ありがとな」
「えへへ」
 よし、
「さあ、今日から頑張っていくよっ!」
 なんだかんだで結構あけちゃったからね。私の言葉に阿呼は謹直に頷く。
「よろしくお願いしますっ!」
「うむっ、こちらこそよろしく」

 こっちの設計書は出来ている、あとは必要な部品を探しての開発。
 選択が難しそうなのは自分が行くけど、基本的に必要な部品とかは阿呼に取って来て貰う。
 あとは、改めて設計書の確認とか、図面の摺合せとか、で、
「螺子、3から6番の型の四つずつ」
「うんっ、ドライバーも?」
「お願いっ」
 ぱたぱたぱた、
「定規っ」
「精度は?」
「一番細かいやつっ」
「うんっ、待ってて」
 ぱたぱたぱた、
「にとりっ、大きさ、危なさそうなところある。
 測り直すね」
「お願いっ、終わったら言って、私も見るから、誤差分の余裕忘れるなー」
「うんっ」
 かりかりかり、
「あー、針金が足りないー」
「お買い物の一覧作るねっ」
「お願いねー、あ、誤差計測後っ」
「はいっ、じゃあメモだけしておく、長さとか太さは?」
「結束用、長さは、切って使うから、とりあえず十メートル以上であるの、太さは1ミリくらいかな」
 かりかりかり、
「…………すげー、息合ってるわね」
「あっ、文居たの?」
 声に視線を向ければそこには呆れた表情の文。
「どんだけ以心伝心なのよ。
 なるほど、さすがにとりが見込んだ助手ね」
「えへへ」
 嬉しそうに阿呼。
「お、褒められて嬉しい?」
「えっと、にとりと以心伝心って、嬉しいな、って」
「ぎゃーっ?」
「な。なに?」
「あ、阿呼っ、文の前でそうい事言うなーっ」
「ふふん、ばっちり聞いちゃいましたよー
 いやー、「せいっ」あやっ」
 みずでっぽー
「ぐぐ、額をピンポイントで狙うとか、にとりん鉄砲精度上がってるわね」
「なんだよにとりん鉄砲って」
 阿呼も笑わない。けど、と文は真顔で、
「まあそれはそれとして、阿呼さんも結構優秀ですね。
 冗談抜きで私の助手になりませんか? 別に外飛び回るのだけが仕事じゃないですし、住込み、いやいや、衣食住全部込みで全然歓迎ですよ」
「天狗様が人を助手とか、それこそ問題あるでしょ? 周りに怒られるんじゃない?」
「阿呼さんみたいな優秀な助手が手に入るなら、怒る連中を薙ぎ払うなんて安いですよ」
「どっちにせよ助手はだめ、阿呼は私の助手なんだから、絶対に渡さないよ」
「むぅ、強情な河童娘め。……………………はっ、「黙れ、口を開かないで」」
 いい事思いついた。とそんな表情をする文はたいてい地雷なので先に黙らせる。文は土下座。阿呼びっくり、私もびっくり、何やり出すんだこの天狗様。
「にとりさんっ、阿呼さんを私のお婿さんに下さい。
 私、幸せになりますっ」
「やるかばかーっ!」

 居座らせてもらってるお礼です、と文はお昼ご飯作ってくれた。つくづく、律義なので邪険にしにくい。
「っていうかさ、真面目な話、文って暇なの?」
 ぱくぱくとご飯を口に運びながら問う。思い出すのは「椛さん。朝一番で哨戒の仕事って言って飛び出していったよね」
 うん、……まあ、椛こそ暇としか思えないんだけど、
「椛とも会ったの?」
「うん、遊びに来たよ」
「そうですか、むぅ、椛のやつ、こんな面白いネ、……出会いがあるなら言ってくれればいいのに」
「ネ、なんだ?」
「ネタですっ」
 正直だなこいつ。
「まあ、冗談抜きで阿呼って凄いわね。
 にとりから聞いたけど、拾われてまだ数日でしょ?」
「えへへ、ありがと。
 あ、けど、にとりにいろいろと教えてもらえたから」
 そうでもない、と思うんだけど、うむ。
「こーら、謙遜しないでよろしい」くしゃっ、と阿呼を撫でて「阿呼は凄いよ。阿呼みたいな助手がいて、私、すっごく嬉しい」
「わっ、……あ、ありがと、にとり」
「阿呼さん、私、阿呼さんみたいな助手がいてくれれば、すっごく嬉しいです」
「え、……えっとお」
 真顔で、「って、手ぇ握るなーっ!」
 びしっ、と阿呼の手を握って言う文の額を打撃。
「ぐぎぎ、痛い。
 いーじゃないですかー、手くらい。阿呼さんも嫌じゃないですよねー」
「阿呼ー」
「え、……えっと、あの」
 私と文の間でおろおろする阿呼。
「うー、……えっと、文さんに優秀とか言ってもらえるのは、その、……嬉しい、けど。
 僕、にとりの助手さんだから、……その、ごめん、なさい」
 そう言って律義に立って頭を下げる。苦笑。ぽん、と文は阿呼を優しく撫でて、
「ま、そこまで言うなら仕方ないですね。
 とりあえず今回は諦めますよ。けど、本音、攫ってでも、って思うところもあるので、いつでも声をかけてくださいね。歓迎しますから」
「うん」

 それでは帰ります。と、見送りとして私を家の外に引っ張り出す。それは見送りとは言わない。
「阿呼、いい子ね」
「そうだね」
 いや、ほんとそう思うよ。文は、けど、静かな視線を私の家、……おそらく、そこにいる阿呼に向けて、
「けど、不思議な子。
 にとり、彼から目を離さないほうがいいと思うわ。とりあえず、ここしばらくは」
「やっぱり、記憶が気になる?」
「そうね。……阿呼が演技とか、嘘ついているようには見えないけど、だから、やっぱりそこ引っかかるのよ。
 それに、人里に縁者がないって、ひょっとしたら外の世界の人かもしれない、んだけど」
 文はあたりを見る。山の麓、沢のせせらぎを聞いて、
「結界が緩んで、とかそういう場所でもないし、八雲紫が食料用に攫ってきた、か、…………いや、なんでこんなところにいるのかしらね、ほんと」
「食料用、って」
 一瞬、阿呼が妖怪に食べられるところを想像し、慌ててその想像を振り払う。それは、凄く、嫌だ。
 けど、もし、八雲紫がそれを目的として攫ってきたなら。彼を保護することが、紫の意志に反する事だというのなら、……それでも、私は絶対にそんな事は認めない。どれだけ絶望的な実力差が開いてても、絶対に、刃向ってやるんだ。
 ぽん、と音。文は困った表情で私を撫でてる。
「不安になるような事言ってごめん。けど、それもないと思うわ。
 食料用の人間って、生きていても仕方がない、って自分を見限っているような連中なの。阿呼がそんなつまらない連中に見える?」
 私は首を横に振る。全力で、……もし、阿呼がそう思っているなら、打ん殴ってやる。生きていても仕方ないなんて、阿呼自身にも、認めさせたくない。
「だからわからないって事。
 ま、今のところ何も問題なさそうだけどね」
 撫でていた手を降ろす。一息。
「椛にも気にかけるように言っておくわ。なにもないとは思うけど、何かあったら呼びなさい」
「うん、……ありがと、文」
 本当に、有難い。文が友達であること、嬉しく思う。彼女は、にっ、と笑って、
「問題起きたら、解決後に阿呼は一か月間私の所で住込み助手ね。
 はい決定っ、やったーっ!」
「ひゅいーっ!」
 言いながら一気に飛翔して空へ。ちゃっ、と手で別れの挨拶。そのまま飛び去っていく。
「まったく、……もう、」
 はあ、と溜息一つ。ああ、けど、
「ありがとな、文」
 もう一度呟いて私は開発室に戻る。阿呼、ちゃんとやってるかな?

//.道場

「においますね」
「なんだとっ!」
 くわっ、と目を見開く物部布都を、蘇我屠自古は手を振ってやり過ごす。
「そう思いますか? 屠自古」
「た、太子様までっ?」
 縋るような視線を神子は無視。もちろん、布都ではない。
「違うわよ。布都じゃなくて、そう、血のにおいよ」
「どこかで流血沙汰でも?」
 血、その言葉を聞いて布都は意識を切り替える。もし、それが妖怪なら、……そう、かつての、最強最大の大豪族、物部連の威を叩き込んでやろうと意志を固める。
 が、
「違うわよ。……ただ、懐かしい血のにおいがね。
 さて、と。これは霊夢には相談できないわねえ」
「そりゃあそうでしょう」屠自古は最近神子が愛読している幻想郷縁起を手に取って「霊夢が楽園の守護者なら、認められるわけないでしょう」
 手に取り、けど、視線は別の所にある。その視線の先には北野天神縁起絵巻。
「……まったく、何がどうなってるのやら」
「あるいは、それが人の意志なのかもしれませんね」
 くすくすと、神子は信貴山縁起に触れる。
「思いの力は幻想さえ超える。
 例の、八雲紫の境界とやらも、あるいは超えるでしょう。ふふ、霊夢が苛立っている姿が目に浮かぶわ」
 だから、
「布都、準備をしなさい。……ええ、結界や封印、防御のね。
 あるだけ持ってきなさい。もちろん、可能な限り強化もしなさい」
「攻撃ではないのですか? 害成す妖怪は打ち滅ぼさなければ」
「話聞けよ」
 むんっ、と胸を張る布都に屠自古が小さく呟く。神子はそんな二人にくすくす笑って、
「私は、害成したくないのですよ。絶対にね」
 だって、
「可愛い、愛おしい、私たちの後継なのですから」

//.道場

「おお、やってるねー」
「うんっ」
 かちゃかちゃと、手際よく部品を並べる阿呼。うむ、優秀な助手だ。
「んー、阿呼。今のところの状況解るか?
 現状と予定と摺合せして欲しいんだけど」
「はいっ」
 一段落、阿呼は立ち上がってスケジュールを覗き込む。……いくつか、これは直そうかな。
 並べ直す。ちょっと変なところがあった。こういうの、地味に大事だからな。
 えっと、…………「あ、にとりー」
「おーう?」
 視線を向ける。阿呼はぱたぱたとスケジュールを持ってきて「結構進んだよ。これなら、うーん、……明日くらいには、取り返せそう」
 うわー、びっくり。
「そうだね」ぐしっ、と阿呼を撫でて「がんばったからねー」
「えへへー、……あ、でも、にとりもたくさん頑張ったからね」
「そうかなあ」
 結構文と遊んでたような、……まあ、いいか。と、
「あ、そうだ。あの、にとり」
「んー?」
「えっとね。
 こんなのあったらいいな、っていうの、思いついたの。聞いてくれる?」
 不安そうに、期待を込めて見上げる阿呼。それはもちろん、
「もちろん、アイディア大歓迎だぞっ
 っていうか、どんどん言ってくれた方がありがたいね。せっかく阿呼と一緒に作ってるんだもん。いい物作りたいからなっ」
「うんっ、あ、それでね。」阿呼はえっと、とあたりを見て「その、ボタンくらいの大きさの機械で、登録された場所だけじゃなくて、その機械がある場所も表示できたら、便利じゃないかな、って」
「発信機か」
 うーん、…………まあ、あったほうが便利、かな。
 バザーには、ごくまれに人も来る。天狗や河童じゃあないけど、こう、迷子になった子を見つけるの、とか。
 人を攫う事がある天狗様にゃあ迷惑かもしれないけど、ま、べつに私たち河童にゃあ関係ないか。
「よしっ、それじゃあ、それも作ろうかっ」
「うんっ、……えっと、ごめんね。お仕事、増やしちゃったみたいで」
 ぱーんち。
「あいた?」
 軽く阿呼を叩く。それはもちろん、
「もうっ、阿呼っ、そんなんじゃあ技術屋失格だぞ。
 いい物を作るっ! これが重要なのさ、それに比べれば仕事が多くなって多少大変な思いをするのくらい、全然どうって事ないぞっ」
 それに、……一息。思い出すだけで、ちょっと恥ずかしい、けど、だからこそ言いたい言葉がある。覚悟を決める、普段通り、茶化すように、うむ、と指を立てて、
「あ、阿呼が、それに言ってた、じゃないか。
 わ、私と、その、一緒なら、どんな大変なのも、が、頑張れる、って」
 ぐぁ、やっぱりすっごい照れるぞー
「う、……うん」
 赤くなるなら最初からいうなよ、ばか、…………けど、言ってくれて、嬉しかった、からいいかな?

 今日の作業は滞りなく終了。最後に、阿呼が提案した発信機の設計書に視線を落とす。阿呼にはおゆはんを頼んで、……「たのもーっ」
「……え? なんで来るの?」
「いえいえ、その後どうしてるかなーって」
 ひょい、と阿求がなぜか顔を出す。溜息。
 もともと、阿求は幻想郷縁起に記される危険区域も、月とかの一部例外を除いて自分の足で直接乗り込んでいる。
 危険度高の所は誰かが護衛につくけど、比較的低めなここなら一人で乗り込んでくる。……問題は、「何しに来たのさ?」
「いえいえ、阿呼さんの様子を見にですね」ひょい、と阿求は覗き込む「ほほう、さすが私が目をつけているだけあって優秀ですね」
「……これ、私が描いたんだけどー」
 と、言っても無駄。ふふん、と阿求は胸を張って、
「甘いっ、甘いですよっ、にとりさんっ
 この、阿礼乙女。にとりさんが以前描いた図面は頭に叩き込まれています。癖の違いを見抜く程度、朝飯前ですっ」
「…………ぐぅ」
 確かにねー、記憶力は言うまでもなく、実はかなり頭もいい阿求。
「けど、描いたの初めてなんですよね。……確かに、にとりさんのに比べると粗もありますけど、なかなかどうして、立派に描けているじゃないですか」
「そうだけどさー、渡さないよ」
「むっ、けち」
「けちで結構「にとりー、おゆはん出来たよー」はーい」
「じゃあ、私も同伴しましょうか」
 ……やっぱり来るんだね、この娘。

「うわー、美味しそうですねー」
「…………え? なんで阿求ちゃんがいるの?」
 至極当然の阿呼の問い、対して阿求は真面目な顔で頷く。
「いいですか、阿呼さん。河童というのは危険な妖怪なのです」
 真顔、いまさら何言ってるのこの娘。
 その言葉の底意を察しを付けて呆れる私。けど、
「にとりは危険じゃないっ!
 今までも、一緒にいたけど全然危ない事なんてなかったよっ!」
「…………ほほう、……にとりさん」
 必死な感じの阿呼を横目に、にやー、と嫌な笑み。私の印象、阿求って文と似ているところがある。すごく。
「それについては二人きりで話しましょう」
「え? すっごい嫌なんだけど」
「阿求ちゃんが変な事言いそうだからだめ」
 むんっ、と阿呼。けど、阿求はいやぁな感じで笑って、
「お風呂でお話しようと思っていたのですが、じゃあ、三人で入りますか?」
 阿呼は、最初何言っているのかわからない、とそんな表情。……そして、
「え、え? さ、……お、…………ふぇ?」
「…………うわー」
「阿求、感心してないで何か言ってよ」
 顔を真っ赤にしてがちがちになった阿呼。阿求はそんな彼に感心と好奇の視線を向ける。
「にとりさん、私、男の子が可愛いって初めて思いました」
「…………それ、フォローになってないぞ」
「まあ、そういう一般論なので、せめてちゃんと無事にやっているのか確認が必要なのですよ。
 万が一にとりさんが阿呼さんを食べちゃうような。…………美味しく、食べちゃうような」
「……繰り返すな、こっちみんな」
 阿呼は不思議そうに首を傾げる。私は阿求にチョップ。
「こほん。阿呼さんに特定の危険が迫るような、」
 ちらり、こっちに視線を向ける。無視。阿求は残念そうに肩を落とす。
「事になれば、無理矢理にでも人里に連れ行く必要があります」
「むぅ、にとりはそんなことしないよ。絶対に」
 頑なに言い張る阿呼。ふむ、と阿求が「なんていうか、頭いいのでしょうけど、にとりさんが絡むと、……ですねー」
「うるせい」
「どういう事?」
 むぅ、と馬鹿にされて面白くなさそうな、そんな表情で阿呼。
「阿呼、もし本当に、私が凶暴な妖怪だったら」阿求の頭をぽん、と撫でて「こんなちみっこい娘が一人で来るわけないでしょ」
「あ、……そうだよね」
「まあ、私が言ったこと、前例がないわけじゃないですけどね。
 人里で仙人が弟子の募集をして、仙人の弟子になった子の所に妖怪退治の専門家が様子を見に行ったとか。そういう事もありますから。
 けどまあ、にとりさんなら万一の事もないでしょう」
「あ、じゃあ、僕、にとりと一緒にいていいんだね」
 一転、ぱぁっ、と笑顔。うん、そういってくれると私も嬉しいぞ。……目の前に厄介な人がいなければ。
「…………なに?」
「いえいえ、なんでもありませんよー」
 はぁ、溜息一つ。ま、何はともあれ、
「それじゃあ食べようか。……阿求が来たせいでちょっと少なくなったけど」
「まあいいじゃないですか」
「もうちょっと作ろうか?」
 阿呼は首を傾げて問う。
「んー、……じゃあ、あとでお夜食ね。
 今から作り始めたら冷めちゃうし」
「はーい」
「ふふ、ありがとうございます。にとりさん、阿呼さん」
 くすくす、と楽しそうに阿求は笑った。だから、
「「「いただきます」」」

「っていうかさ、結局のところ何しに来たの? 阿求」
 ちゃぽん、と音。私は傍らにいる阿求に問いかける。
 お風呂、体を洗い終わった阿求は私の隣に腰を降ろして「いえ、ただ興味があってきたのです。あの子に」
「……絶対に渡さないからな」
「無理矢理引き離すのは私の趣味でもないですよ」阿求は両手をお手上げ、という感じで上げて「なんか、すっごい懐いていますねえ」
「有難い、っていう事なのかねえ」
 というか、人との付き合いはよくわからん。……目の前の娘はなんか、性格が変だと思う。
「まあ、正真正銘それだけです。もちろん、本当に稗田家、いえ、人里でも、ですね。
 人里でも優秀な人材になりそうっていうのはありますけど、さっきも言った通り無理矢理引き摺って行くのも気分悪いですしね」
「当たり前だ、ばか」
 そんなの、絶対に認めてやるか。
「それと、やっぱり身元不明っていうのは気になるんですよ。
 人里って、ほら、人もそんなに多くないでしょ? 誰かが生まれたとか、話題にならない事なんてないはずなんですよね。そう簡単に隠し通せるような事でもないですし、
 あれから、改めて慧音さんとかに聞いて回りましたけど、やっぱりそういう話は全然ないって」
「そう、なんだ。…………」
 一息、阿求の顔をまっすぐに見つめる。阿求は、性格は変だけど、悪いやつじゃない。
 だから、文が抱いていた懸念を、聞いてみようと、そう思った。
「あのさ、阿求。
 ここだけの話、にしてくれる?」
「もちろんです」
 即答に心強さを感じる。
「阿呼、なんだけど、記憶がない、らしいんだ」
「記憶が?」阿求は一度眉根を寄せて「料理とかできてましたよね。……っていう事は、素性、っていう事ですか?」
「うん、自分の事、名前しか覚えていなかったの」
「そんな彼とはどこで出会ったのですか?」
 ざぱっ、と阿求は立ち上がり、お風呂の縁に腰掛けて問う。
「玄武の沢」縁に背を預ける、阿求を見上げて「なんでそんなところで倒れていたのか、それも解らないんだよねえ」
「玄武の沢、…………んー、……あんまり人が立ち寄るような場所でもないですよね。
 無縁塚のように境界が緩んでいるようなところでもないですし」
「そういう事」
 だから、
「文、言ってたんだ。
 あの、八雲紫が、食料用に攫ってきたんじゃないか、って」
 そうだとしたら、嫌だな。……阿呼の笑顔。それが、妖怪に食べられるなんて、そんなの、絶対に、
「それはありえません」
 きっぱりと、阿求が断言する。
「幻想郷縁起の関係で、私は、いえ、稗田家は紫さんとそこそこの付き合いがあります。
 その蓄積をもって断言します。にとりさん、そのような事は絶対にありえません」
「そうなの?」
「紫さんの、幻想郷に対する愛情はやや過剰なところがありますからね。
 ゆえに、紫さんがやる事は基本的に、定めたやり方から逸脱するような事はしません。外界と関係ある事ならなおさら、慎重になるでしょう。
 食料用に攫う人の条件、ってご存知ですか?」
「生きる価値を、見いだせない人?」
「私はね。笑わない人、と思っています。
 自分にも、他者にも、価値を見いだせず、だから笑う事も、泣く事もない人、…………」阿求は苦笑「そういう人がいる、というか、人がそうなってしまうのだから、私はたまに外の世界が怖くなるのですけどね」
「そうだね。……けど、うん」
「納得してくれましたか?
 一応言っておきます、善し悪しはともかく、私の方がにとりさんより紫さんとの接触は多いのです。なので、とりあえず信じてください」
「うん、信じるよ。阿求」
 だから、
「阿呼は、絶対にそんなやつじゃない」
「そんな人だって思っているなら、ふふ、にとりさんを殴ってあげますよ。
 目ぇ覚ませ、ってね」
「それは怖いねえ」
 くすくす、と私と阿求で顔を見合わせて笑う。
「記憶についてですけど、これはさすがにお手上げですね。
 さとりさんも、考えていないことは読めないでしょうし、……こいしさんか、あるいは、永琳さんなら、解決の糸口も見つかるかもしれません」
「文は、封印されているかもって言ってた」
「それは私にはわからないですねえ」お手上げ、と阿求は両手を上げて「パチュリーさんとかなら、記憶を封じ込めるような魔法とか知っているかもしれませんけど、そもそもなんでそんな必要があるのか」
「うーん、……文はそれで、すっごい厄介事引き寄せるかも、だって」
「なぜ記憶を封印したか、っていう事だと思いますよ。
 けど、……どうなんでしょうねえ。身元が確実な人なら、人里内の利害関係とか、その辺から考えられるのでしょうけど、…………まさか、妖怪がただの人間の子供の記憶を封じるだけで捨てておくなんて、そんな事するとは思えませんし」
「だよねえ。……けど、永琳かあ」
 あんまり会ったことないなあ。くすくす、と笑顔。
「何なら紹介しましょうか?
 いえいえ、お礼は、とりあえず阿呼さんを一日貸してくれればそれでいいですよ」
「阿求も、文みたいなこと言うなあ」
 肩を落とす。阿求はそんな私を見てけらけら笑ってた。

「そうですかあ。……みんなで一緒の部屋で寝るんですねえ」
 しんみりとした表情の阿求。
「えっと、……やっぱり、僕、開発室で寝てるね。
 あの、にとりと阿求ちゃんはここで、ゆっくり寝てて、ね」
 じりじりと後退する阿呼。
 が、
「だーめですっ
 そんなところで寝たら風邪ひきますよ」
「って、阿求っ! 阿呼から離れてよっ!」
 右手に抱きつく阿求。慌てて引き剥がす。
「もうっ、阿呼だって無防備だから、すぐ、ああいう事やられるんだよっ」
「あぅ、……ごめんなさい」
 まったく、人にばっかりお説教して、阿呼だって警戒心が足りないよ。
「けど、実際どうします?
 開発室、寝るような場所ないでしょ?」
「そうだけど、……っていうか、阿求ちゃんは、その、……き、気にしないの、僕がいる事」
 恐る恐るの問い、まあ、それもそうだよね。
 椛は、まあ、その辺鈍いけど、阿求はそんな事ないと思うんだけど、
 阿求は真顔で頷く。
「阿呼さん、私、寝るときって結構猫抱えて寝てるんですよね。
 こう、布団に潜り込んできたのとか」
「あ、温かそうだね」
「その猫ってオスなんですね。
 けど、私は気にしません」
「…………その心は?」
 何言ってるの? と、そんな表情で首を傾げる阿呼。代わりに問うてみる。答え、見当つくけどね、それも同感。
「阿呼さんの、そういう面での危険性って、猫と大差ないかなあって」
「ね、猫っ? 僕そうなのっ?」
「すっごい無害そうじゃないですかっ!」
「まあね」
 何度か、……まあ、ちょっと、私が無防備さらした時を思い出す。なんか、見てて面白いくらいに真っ赤になって固まる阿呼。「猫かあ」
「猫じゃないよっ!」
「まあいいじゃないですか。
 それに、人里の話とか興味ありません? 阿呼さんの素性云々を抜きにして」
「そうだな、私もちょっと聞きたいぞー」
 ちょっと興味ある。阿求の言うとおり人里にはそもそも人はそんなに多くない。あまり大きな変化があるとは思えない。
 けど、それでも、人の、ちょっとした事件は結構面白い。
「ぼ、……僕も、聞きたい」
「ふふ」阿求は悪戯っぽく指を唇に当てて「では、決定ですねっ」

「うー」
「何か不満ですか?」
 不思議そうな阿求の声は阿呼の向こうから聞こえる。
「なんで阿呼が真ん中なのさー」
「だって、にとりさんは妖怪ですよ」怖い怖い、と阿求は笑って「寝込みを襲われたら大変じゃないですか、そういう時こそ、か弱い女の子を護るのが男の子の役目、ですよねっ」
「…………えー、と?」
「……なんで少し不満そうなんですか?」
「えと、ごめん」
「はー、……謝られても、……ま、いいです。
 ちなみに、にとりさん、阿呼さんに何か話されていますか? 人里について」
「んー、阿求の所に行ったときに少し案内したくらい、かな」
「ふむ、……そういえば、阿呼さんは幻想郷ってご存知ですか?」
 そう言えば、阿呼は首を横に振る。やっぱり知らないんだ。
「幻想郷とはまさしく、ここです。
 博霊大結界で外と乖離された。外では忘れ去られた者たちの集う楽園」
「忘れ去られた?」
「妖怪はもう、外にはいないんだよねえ」
 最近例外的な狸が来たらしいけど、あれは例外。
 ここは、忘れられた者たち、幻想となった者たち、……私たち妖怪の集まる場所。
「えと、にとりとか、阿求ちゃん、も?」
 問いに、私は頷く。……まあ、私はもともと外にいたんだけどね。いろいろ、暮らすのに難儀したから流れ着いただけで、
「人間はちょっと事情が異なります。
 さっき言った博霊大結界で外と乖離される前から、この辺で暮らしている人間です。……まあ、正確にはその末裔、というべきでしょうけど。
 阿呼さんには実感わかないかもしれないですけど、ここは地形的な理由で閉ざされていた場所なんですね。だから妖怪とかも根付きやすくて、この辺に根付いている妖怪を退治するために派遣された人、そして、その人たちが作った拠点が、今の人里の原点です。
 もちろん、閉ざされた場所としてだんだんと外の人からも忘れ去られ、ここに暮らしていた人は、外の人たちに忘れられながらも、独自に妖怪と妥協や闘争を繰り返していました。
 そして、外の世界では妖怪が忘れ去られ、消えて行き、それを憂いだ妖怪の賢者がこの地に目を付け、この地に忘れられた妖怪たちを集め、消させないようにしよう、という事で妖怪たちに人の必要性を説き、人里の代表者である巫女と人里のある程度の安定を約束し、巫女は外の世界から妖怪と人間の均衡を砕かれないように博霊大結界を構築、妖怪の賢者は忘れ去られ、消え逝く者たち、妖怪を集めるために、現実と幻想の境界を使い、外と乖離した。
 それが、この幻想郷です」
 すらすらと紡がれる阿求の昔語り。
「ふぁー、……凄いんだね」
「ふふ、阿呼さんはこういう昔語り、好きですか?」
「好き、だし、それに、すっごい勉強になる。
 そっか、だから人里には妖怪もいたんだね。共存、してるんだ」
「その通りです。
 何の危険もないわけではありませんが、それでも、共存は果たせています。楽しかったですか?」
「うんっ、阿求ちゃんって凄いんだね。
 物知りなんだ」
 …………なんだろう、こう、なんとなく、面白くない。むぅ。
「ふふ、もっといろいろなお話が聞きたければ、稗田家に遊びに来てください。
 いろーんな本がありますよ。その一部、見ましたよね?」
 にやー、と猫みたいに笑う阿求の表情を思い。そして、こちらに背を向けて阿求の話を聞く阿呼の事を思い。反射的に、
「に、にとりっ?」
 驚いた声、けど、振り向けない。振り向けないよね。
 阿呼を、後ろから抱きしめる私。その体温を、線の細い、幼い体を感じ、けど、
「だめ、絶対に、離さないんだから」
 たしかに、阿求の所の方がいいのは解る。同じ人だし、頭のいい阿呼は人里をより良い方向に導いてくれる。勉強熱心な阿呼にとって阿求の所にあるたくさんの本は有難い、と思う。
 けど、それでも、……それでも、腕に、少し力を込める。それでも、私は、いや、離したく、ない。

 向こうから苦笑。困ったような声、けど、微笑ましそうな、小さな笑みを含んだ声。
「仕方ないですねえ、ほんと」

「…………ごめんな、阿呼」
 阿求が眠って、夜。小さく呟く。
 返ってくる言葉はない。阿呼も、寝ちゃったのかな?
 あるいは、意図的に言葉を返さないのかもしれない。あんなことした後だもん。気まずいよな。
 明日から、またちゃんとできるか、……ちょっと不安、けど、自業自得だし。
 けど、なにより、
「解ってるんだ」
 小さく呟く。ぎゅっと、シーツを握る。
「阿求の所にいたほうが、阿呼にとって幸せだって、…………けど、」
 けど、手の中にある感触が、耳に残る言葉が、瞳に映る笑顔が、
 それが、どうしても、離したくなくて、ずっと、傍にいて欲しくて、
「ごめん、……阿呼、ごめん、なさい。
 全部、私の我が侭で、…………ごめん、な」
「もう、謝らないでよ」
 声、それよりも、驚いた。
 私の布団の中に温かい感触。阿呼の手が、私の手を握る。
 月明かりに照らされる。照れくさそうな表情。
「えへへ、さっきのお返し、もう、ほんとにびっくりしたんだからね」
「う、……うん」
「にとりは女の子だから、もう、あんな事、やっちゃだめだよ」
「……うー」
 阿呼以外にやらないよ、あんな事。……って、もうちょっと気楽に言えたらなあ。
 それに、
「それにね。にとり。
 僕、にとりと一緒に暮らせて、幸せだからね。阿求ちゃんの所も、いいと思うけど、けど、僕、ここから出ていこうなんて思ってないから。……だから、にとり」
 まっすぐに、阿呼は私の目を見詰める。目を、逸らせない。
「そんな、不安そうな顔しないで、笑って、……あの、…………僕、にとりの笑顔が、大好き、だから」
「ふぁ、…………あ、……あぅ」
 そ、そんな事、そんな風に言うなんてぇ、……あぅ。
 あ、明日から、どうしよう、……い、いつも通りに、出来る、かな。
 眠気なんて当然吹き飛んで、けど、
「だから、……笑顔でいてね、にとり」
「う、……うん」
 嬉しい、な。

//.阿呼の夢

 笑顔が大好きだった。

 必要かもわからない、辛い勉強で、凄く怒られて沈んでいたときも、もう、全部嫌になった時も、
 その笑顔を見れば、また頑張ろうって、そう思えた。
 大好きな笑顔。一緒にいると、自分まで嬉しくなるような笑顔。……どんなにつらい事があっても、乗り越えていける。そう思わせてくれる笑顔。

 僕は、そんな友達が大好きだった。

//.阿呼の夢



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