「ふにゅ?」
 目を開ける。時計を見る。……あー、やっぱりいつもより遅い。しかたないか。
 欠伸を一つ。
「阿呼?」

「あ、おはよー、にとり」
 開発室に行くと、阿呼は昨日渡した設計書を見ていた。
「ん、……もう少しで、読み終わる、から」
 えっと、……設計書の山は、もうない。手に取っているので最後。そして、
「ごめん、ね。
 朝ごはん、作ってない、の」
「いや、じゃなくて、……夜、ずっと読んでたの?」
「ん、……僕、今日から、にとりのお手伝い、頑張る、から」
 いや、そうじゃなくて、……阿呼は、最後の一枚を置いて、
「がんばる、から、……ね」
 そして、机に突っ伏すように倒れた。
「阿呼っ!」
 駆け寄る。大丈夫かな、と。……けど、
「はー、……もう、心配させないでよお」
 机に倒れて、そのまま眠る阿呼。その寝顔を見て、私はへたり込んだ。

 ぽつり、寝言が聞こえた。
「…………約束、守るから、ね」

「まったく、変な人間」
 寝室、私はぼんやりと座る。……はあ、どーしたもんだろ。
 解ってる。開発室に行って作業するべきだ、って。
 解ってる、……のに、なあ。
「なんだかなー」
 かたわらに視線を向ける。そこには眠る阿呼。
「なにやってるんだろうなー」
 はあ、と溜息一つ。……うわー、二時間もここに座ってる。
 客観的に、っていうか、普通に考えれば、もう、二時間も時間を無駄にしてるって事。
 けど、……どーしてなのかなあ。
「はー、あ」
 溜息一つ。どうしてなのかねえ。
 ここから、眠る阿呼の傍らから、離れたくないって思っちゃうのは、
「なんなんだろうねえ? ほんと」
 眠る彼の頭を撫でて問う、阿呼は答えず、ただ、すやすやと眠ってた。

「…………ごめんなさい」
 いや、そんな泣きそうにならんでも、
 しゅんと俯く阿呼。目の前には昼食。もう、お昼だからね。
 そして、その時間まで眠ってた阿呼。……はあ、あんまり得意じゃないんだよなあ。
 けど、言わないとね。
「いい、阿呼」
 ぴっ、と指を立てる。阿呼は恐る恐る顔を上げる。
「がんばるのは結構、大事さ。
 けど、無理をしちゃあいけないよ。その結果、何時間無駄にしたと思ってるんだい?」
「…………ごめん、なさい」
 ってっ?
「ごめん、今日、僕、……くっ、にとりの、お手伝い、したくて、…………うっ
 にとりの力に、……なりたく、くっ、て、…………それで、ひくっ」
「って、ちょ、ちょっと待ってっ」
 ぐしっ、と音。泣いちゃったって、嘘でしょっ?
 けど、目の前、阿呼はぽろぽろと涙を零し、それを拭うように瞳に手を当てる。
 ど、どうしよう? …………ああもうっ!
「もう、……阿呼は男の子なんだから、」
 そういえば、ずっと、ずっと、ずっと昔にも、こんなことしたっけ?
 少し、無理矢理抱き寄せる。言葉を届けるように、耳元に口を寄せて、
「泣いちゃ、だめ、だよ」

 ――――――ふと、梅の香りを感じた。

 それから午後はずっと作業。……うー、やっぱりなんていうか、ちょっと顔を合わせにくい。けど、
「にとり、これ、もっと小さいのがあれば性能落していいと思うよ?」
 阿呼が示したのはGPSの中にある音声出力装置。
「そうだねえ。これは、自前のの方がいいかな?」
 ちょっと大きすぎる。こっちの方が音質はいいかもしれないけど、情報が伝えられればいいでしょ。
「あ、僕外すよ。
 えっと、にとりは、代わりの持ってきて」
「うんっ」
 ぱたぱたと走り出す。視線で横をうかがう、阿呼はドライバーを手にくるくると手際よく螺子を外す。
 いくつか言葉を交わして、いくつか作業を共にして思ったこと、本当に、驚くほど、阿呼は頭がいい。
 設計書も、本来なら丸二日はかかると思ってたんだけどね。無理をしたとはいえ一日で頭に入れるなんて、……こりゃあ、手先が器用だからってあんまりのほほんとしてたら、河童も人に追いつかれるかもしれないね。
 一息、泣き止んで、照れた笑顔の阿呼を思い出す。…………はあ、ほんと、このにとりさんがどーしちゃったのかね。
 ともかく、代わりの部品をいくつか手に取る。これかな、と。元々入っていた音声出力装置は随分前に河童が提供した物、その規格は今も受け継がれている。
 互換性はある。大きさも、まあ、及第点かな。
 うむ、と頷いて手に取ってぱたぱたと作業台に戻る。そこには一息ついた阿呼。
「終わった?」
「うんっ」
「おお、偉い偉い」
 ぐしぐしと撫でてあげる、阿呼は「えへへー」と笑顔。
「けど、にとりより全然遅かった。
 もっと早くできるように頑張るねっ」
「うむっ、それでこそ私の助手だっ」
 懐かしいなー、私も、いろいろ教えてもらってた時は似たような事やってたっけ。
 どうしてこんなに遅いんだろうなー、って。やり方考えて、何度も練習して、少しずつ、少しずつ手際よくできるようになってきた。
 そう、絶対に作りたいのがあったから。……まあ、それも、千年近くかかっちゃったけどね。完成するまで、
「うんっ、僕もっと頑張るっ
 もっとにとりを助けてあげるからねっ」
「心強いね。けど、」ぴっ、と指を立てて「また無理したら駄目だぞー」
「も、もうあんなことしないよっ。大丈夫っ
 にとりに心配もかけないもんっ」
「どうかなー
 もう泣かないでよー」
 からかうつもりで、にやー、と笑って言ってみる。……って、
「…………う、ぅん」
 私から視線を背ける。その顔は、……ああもうっ、なに思い出してんのっ
 私まで、変な事、意識しちゃうじゃないか、ばか。

「にとり、そろそろおゆはん?」
「ん、……あー、もうそんな時間かー」
 いけないいけない、またやっちゃうところだった。時計を見る、午後六時半。作る事を考えればそろそろ、かな。
「僕、ご飯作ってくるねっ」
「ん? いいよ私やるよ」
 手も止めちゃったしね。けど、阿呼は首を横に振る。
「こういう事は助手さんの仕事なのっ
 にとりは休んでてっ」
「むぅ、強情なー、そんなににとりさんの手料理が食べたくないのかー」
 馬鹿にするなー
「え、……それは、食べて、みたい、けど、…………」
 食べてみたいんだ。……少し驚き。あ、けどそう言ってもらうのはちょっと嬉しいかも。
「で、でもっ、にとりはお仕事終わって疲れてるでしょっ
 そういう時は休んでなくちゃだめなのっ」
「そういう阿呼だって、今日の午前中疲れて寝てたでしょっ
 いいから、私が作るのっ」
「も、もう大丈夫だもんっ、あんな事しないもんっ」
「………………なに不思議な言い争いをしているのですか?」

「なんで椛が来るかなー?」
 もう私がやります、と言い合う私たちを横目にてきぱきとご飯作った我が友、椛。
「なんでもなにも、よく遊びに来るではないですか。なにをいまさら」
 うん、いまさらだよね。大将棋とか打つし、逆に私が椛の家に遊びに行ってご飯作ってたこともある。
 けど、
「にとり、この人は?」
「私も興味あります。
 比較的警戒心の強い河童が、人を家に置くというのも珍しいですね」
 ……こういう時、椛の真面目さには感謝。文とかだったら、……ぐわー、考えたくもない。
 こほん、ともかく、
「阿呼、彼女は犬走椛。千里見通す暇人だよ」
「白狼天狗の犬走椛。九天の滝近辺の哨戒を行っています。
 ここで会ったのも何かの縁でしょう。よろしくお願いします。阿呼」
「で、こっちはそこらに倒れてた男の子。を、拾って今は私の助手さ。
 名前は阿呼」
「はじめましてっ、えと、にとりの助手の阿呼、ですっ」
 落ち着いて、いいから。
「拾って、ですか?」
「うん、玄武の沢近くで倒れてたんだよね」
「…………にとり、言うまでもない事だと思いますが、一応言っておきます。
 人は人里で暮らすべきでしょう。人とは盟友と言っている貴女なので、いたずらに害する事はないと思いますし、助手というのも、……まあ、正直驚きましたが、解らなくもないです。
 とはいえ、いつまでもここに置くというのはあまり感心しません。彼のご両親もいるのでしょう?」
 椛の咎めるような口調。全部正論。やっぱり生真面目だね。
 それに、優しいと思う。彼女の言葉は阿呼を思っての事。初対面の、人の男の子に気を使ってあげるというだから流石というかなんというか。
「あ、あのっ、椛さんっ」
「なんですか?」
「あの、……僕、人里とか、知らなくて、両親も、解らない、んです。ほとんど、何も覚えてなくて、……だから、その、僕、にとりに、ここに置いてもらってすごく感謝していますっ、だから、にとりを咎めないでくださいっ」
 生真面目に、真っ直ぐに椛を見詰めて言う阿呼。……溜息。
「明日、阿呼を連れて人里に向かってはどうですか?
 何も覚えていないにせよ。それならばそれで人里で保護してもらえるでしょう。阿呼も、その上でにとりの助手としてここにいるというのなら、それはそれでいいと思います。
 けど、貴方が人であるならば、私はやはり人里で暮らすべきだと思います」
 溜息、椛は生真面目に続けた言葉から一息ついて、
「どっちにしても、一度人里に行った方がいいと思います」
 うーん、……まあ、そう、だよね。……本当に、椛は生真面目で優しい。彼女が友人であること、まあ、本人の前で言ったりしないけど、嬉しく思う。
 だけど、いや、だからこそ、かな。考えないようにしていた事をきっぱりと言ってのける。
 たしかに、………………仕方ない、か。
 言葉にされれば、理由もつけられれば、避けるわけにはいかない。
「じゃあ、しょうがない。
 明日人里に行ってみようか」
「え? ……あ、あの、僕、………………「阿呼」」
 不安そうに私と椛を見る阿呼。言葉をかけたのは椛。彼女は、……優しく彼を見て、
「私は、にとりの友人としてそれなりに長くにとりと付き合っていました。だから、断言できます。にとりは人里に阿呼を預けてさようなら、なんて事はしません。
 それに、覚えていなくとも、心配をしている両親が、あるいは縁者がいるかもしれません。せめて、その人たちを安心させるためにも、行ってみたほうがいいです。
 いないならいないで、それまで、ですが」
「う、……うん」
 阿呼は、恐る恐る頷く。椛も生真面目に頷き返す。そして、
「阿呼、私は貴方の事はあまり知りませんが、随分と真面目な性格のようですね。
 だから、頼みがあります」
「な、なに?」
 頼み事? 椛が、阿呼に?
「もし、両親がいても、そして、人里に残る事を選択しても、にとりに会いに来てあげてください。
 出来るなら、このまま暫くはにとりの助手として一緒にいてあげてください」
「う、うんっ、もちろんっ」
「って、なんで椛がそんな事を阿呼に頼むのさー」
 阿呼の返事を聞いて感じる安堵を押し隠して、ちょっと不貞腐れたように言ってみる。……なに? なんで私笑われるの? そんな変な事言った?
 椛はくすくすと笑う。とても心外、けど、笑いながら、
「阿呼は案の定でしたけどね。
 にとりまであんなに不安そうな表情をするとは思いませんでした。心配しなくて大丈夫そうですよ。にとり」
「ぐ、ぐぬぬ」
「ふふ、……来てみてよかったです。
 凄いです。今まで滅多に見れなかったにとりの表情が拝めました」
「うるせいっ、もー、用が済んだらさっさと帰ってよーっ」
「いえいえ、今日は泊まるつもりでしたよ」
「なんですとっ!」
「ふぇっ?」
「おや? ……ふふ、私がいる事が、阿呼には不満ですか?」
「え、へ? あ、そ、そんな事は、ない、よ」
「阿ー呼ー」
「だ、だって、椛さん、にとりの友達なんだし、……その、僕も、お話、聞いてみたいし」
「勉強熱心ですね。偉いです」
「えへへ」
 笑みを交わす二人。……ぐあー、なんなんだろうか、この、もやっと感。

「なんていうか、最初は我が目を疑いましたよ」
 ちゃぽん、と音とともに椛の声。
「そんなに意外かなー」
「前に来た霊夢たちを見て、ひゅいーって逃げ出したの、覚えていませんか?」
「…………忘れたい」
 私の隣に入る椛。一応、お風呂は二人なら何とか入れる。
「実際のところ、どんな酔狂ですか?」
「あー、椛が文みたいになってるー」
 がっくし、と肩を落とす。椛は「心外です」と唇を尖らせる。
 たしかに、まあ、そうかもしれないけどね。……ただ、
「ほんと、なんでだろうね」
「あまり意識していない、ですか?」
「そーだねー」
 隣に座る椛。そちらに視線を向けて頷く。
「助手とか、今まで考えたこともなかったよ」
「そうですね。というか、私も初めて聞きました。
 河童間でそういう事ってないのですか?」
「ないね」
 基本、河童は自分の技術に強いこだわりを持つ。子供の河童は基礎を親から受け継いで、あとは独立して一人でやっていく。大きな作業を天狗様や八坂様から依頼された時ならともかく、基本的に協力して、という事は少ない。
 ましてや、助手、……絶対にないね。少なくとも自分が誰かの助手になるところが想像もできない。
「本当に稀有な例ですね」
「というか前例がないかも」
「そうですか、……その」
「ん?」
「人がいる事で、河童間で、軋轢とかはないのですか?」
 心配そうな問い。私は首を横に振る。
「私たちは天狗様みたいにかっちりとした組織ってわけじゃないからね。
 家に子供が紛れ込んでても、まあ誰も気にしないさ」
「それならいいのです」
 ほう、と一息。
「ずいぶん気にしてくれてるね」
 ありがたいね、と思って呟く。椛は楽しそうに笑って、
「それはもう、友人の事ですからね」
「どういたしまして、っと」
 さて、それじゃ上がりますか。

 勝手知ったる友の家、てきぱきと布団を敷く椛。
 ちなみに、三人でも眠れる。前に文と椛が押し掛けてきて三人で寝たこともある。狭いけど、
 とはいえ今回一人は小柄な阿呼。ならば問題なし。
 なのに、
「あ、あれっ?」
 風呂から上がった阿呼は、三人分敷いてある布団を見て素っ頓狂な声を上げた。
 どーこーでーねーよーおーかーなっ、と指さし決めていた私は顔を上げる。敷くの手伝って欲しそうな椛の視線は無視。
 ともかく、目の前にはおろおろとした阿呼。
「どうしたの?」
「え、えっと、みんなで、一緒に寝るの?」
「そうですよ。
 第一、ここ以外に寝れる部屋はありません」
「今日の午前中ぐっすり寝てたよな?
 何か問題あるの? 枕とか」
「午前中? 随分と遅くまで寝ていたのですね」
「あー、それはねー、阿呼が「わーわーわーっ」もぐっ?」
 口ふさがれた。
「に、にとりっ、いいのっ、そういう事は言わなくていいのっ!」
「…………まあ、大方遅くまで何か作業していて、午前中寝過ごしたのでしょう」
「ふぁいっ?」
 呆れた視線を向ける椛に素っ頓狂な声を上げる阿呼。椛はくすくすと笑って「図星ですか」
「う、うう、…………うん」
「体調管理には気を付けましょう。
 私たちならともかく、人の夜更かしは体によくありません」
「だいじょーぶ、不甲斐無い助手にはちゃーんと私がお説教したから、なっ?」
 むんっ、と胸を張る。椛がくすくすと笑う。阿呼は小さく頷く。……じゃなくて、
「でさ、阿呼。どうしたのさ?」
「ここで寝る事に何か問題でもあるのですか?
 寝る場所なら私は別にどこでも構いません。阿呼から決めていいですよ」
 その辺私もあんまりこだわりはない。だから頷く。
「じゃ、……そ、そうじゃ、なくて、…………その、お、お、女の子と、一緒の部屋に、寝るって、その、…………」
 …………ほんと、言わなくていいよぉ。聞かなきゃ、意識しなかったのに、
「? 別に襲って取って食ったりはしませんよ」
「そ、そうじゃなくてっ、にとりも椛さんもそんなことしないって思ってる、けど、……その、やっぱり、僕も、男、だし」
「あ、あの、椛。
 やっぱり、私、開発室で寝ようか、なあ?」
「だ、だめっ、にとりはここでゆっくり寝て、僕は開発室でいいからっ」
「だめっ
 椛も言ってたでしょっ、今度こそ体調崩しちゃうよっ!」
「二人とも、あんなところで寝たらちゃんと眠れません。
 阿呼、にとりも、変な事言ってないで寝る場所さっさと決めちゃってください」
「「はぁい」」
 うぐぅ、……け、けど、どうしよう?
 問題は阿呼の隣に行くか、それとも椛に阿呼の隣に行ってもらうか。……ちらり、椛の顔を見る。あんまり意識はしてなかったけど、きりっ、として整ってる。綺麗、と思う。
 ――ぐぬぬ。
「なんですか? 二人とも私の顔を見て、なにかついていますか?」
「ひゅいっ?」「ふぁいっ?」
「…………決められないなら私はここで寝ますね」
 そう言って、すとん、と近くの布団に腰を下ろす。あとはその隣、真ん中か、奥か。はあ、
「じゃ、じゃあ、僕は一番奥行くから、にとりは真ん中ね」
 ま、それしかないよねえ。と歩き出した私たちの後ろから、声。
「待ってください。阿呼」
「へ?」
「私の話も聞きたいと言っていたでしょう」椛は、あろうことか真ん中の布団を叩いて「わざわざ話をして、寝る前に場所入れ替わるのも面倒でしょう。ここにしなさい」
「え、……えっとお」
「それは、……そのお」
「何か問題でもあるのですか?」
「も、問題っていうか、」「ま、真ん中の布団は寝にくいかなあ、って」
「馬鹿な事言ってないでください」
 おずおずとした私と阿呼の進言は、椛にバッサリと切り落されましたとさ。

「眠れない?」
 夜、結局何時間も話し込んでて遅くなった時間。暗い部屋の中でぽつり、聞いてみる。
 返事がないなら寝ちゃったかな? と思うけど、応じる、声。
「うー、…………うん、ごめん」
 たぶん、
「椛は、なんていうか、その辺適当だからな」
 言うまでもなく椛は夢の中。常夜灯の下、無防備な寝顔を見せているだろうな。
 たはは、と音に出さず小さく笑う。
「椛みたいな綺麗な子が近くにいたら、意識しちゃうか。
 当たり前だよな、だから、阿呼も変に気を使わなくていいぞ。明日も、少し遅くなってもいいからさ」
「………………………………にとりも、だよ」
「へ?」
「椛さんも、その、綺麗だけど、…………僕、にとりも、……綺麗、だと思う、よ」
「……そ、そうかなあ?」
 そう言ってくれると、とても、
「あ、ありがと、阿呼。
 その、……そういってくれると、う、嬉しい、ぞ」
「…………う、うん」
 はぁー、…………手を出して、肘を目の上に、意識して視界を暗くする。
 明日、寝坊確定だわこりゃ。

「おはようございます。お寝坊さん二人」
「おはおー」「おはよーございまーす」
 ぽけーっとした表情の私と阿呼。椛はくすくすと笑って「朝食、そろそろできるので顔洗ってきてください」
「はいー」「ひゅいー」
 ざぶざぶと顔を洗う。……あー、目、覚めてきた。っていうか、私昨日寝たのかなあ?
「阿呼、使っていいぞ」
「うんー」
 阿呼はまだふらふらしてる。顔を洗っている音を聞きながら居間に戻ると。おお、朝食の準備できてる。椛はエプロンを外してる。
 程なく阿呼も戻ってきて、三人座る。では、
「「「いただきます」」」
 手を合わせて声を重ねる。うむ、やっぱりご飯の前はこれだな。
 早速食べ始めると、苦笑。
「まったく、二人とも、寝坊ですよ。
 ちゃんと早く寝ましたか?」
「あ、あはは、……その、ちょっと遅かった、かも」
「私もー」
「確かに、昨日初めて会った私がいては阿呼は緊張する事もあるでしょう。
 とはいえ、どうしてにとりまで」
 阿呼が変な事言うからだよお。……とはいえ、それは言えないよなあ。
「あの、夜、また僕、ちょっとにとりとお話付き合ってもらっちゃって、それで寝る時間が遅くなっちゃったの。
 ごめんなさい」
「そうでしたか、けど、謝る事でもないですよ。ねえ、にとり」
「うん」
 たしかに、謝る事じゃない。寝坊の原因にはなっちゃったけど、……その、やっぱりそういってくれると嬉しい、から。

 椛は哨戒――どの程度意味があるのかは不明――に戻って、さて。
「それじゃあ、阿呼。
 人里に行こうか」
「う、うんっ」
 阿呼には緊張が見える。うん、その手を、ぎゅっと握る。
「阿呼。なんだったら私も頭下げるからさ、また、私の事手伝ってな」
「…………だ、大丈夫っ」
 ぎゅっと、強く、私の手が握り返される。
「僕、絶対ににとりを助けるから、最後まで頑張るから。
 僕、にとりの助手なんだから」
 うむ、では行こう。

「………………止まりなさいな、そこな河童」
「雛?」
 人里に到着する前。呼びとめられた。
 見上げる、厄神様、鍵山雛。
「だ、誰?」
「厄神様、大丈夫だよ」
 大丈夫、と言いながら私は阿呼と雛の間に立ちふさがる。大丈夫、能力としてはとても危険だけど、彼女自身は悪いやつじゃない。
 悪いやつじゃない、んだけど。
 彼女の視線は、警戒をもって、…………どうしてか、阿呼に向けられていた。
「何か用?」
「これからどこに行くの?」
「ちょっと人里にね。ほら、人の子だから、ちゃんと返してあげないと」
「……そう、…………なら、いいわ」
 そういって、ふい、と雛は飛び降りて、いなくなっちゃった。
「な、なんだった、の?」
「わからん」
 なんだろう? 一体。

「行方不明の子、ですか?」
「うん」
 不安だけど、けど、だからこそ、真っ先にはっきりとさせたい事。
 阿呼の事、……私に人里の知り合いなんてほとんどいない。数少ない知り合い、阿求に問いかける。
 が、阿求は眉根を寄せて「いえ、聞いた事はないです」
「そう」
 ちょっと、安心しちゃったぞ。
「うーん、慧音さんに聞けばはっきりする、と思うんですけど、……えっと、名前は?」
 阿求が阿呼に問いかける。「阿呼、です」
「あこ、……阿呼ですね。
 解りました。慧音さんに確認してきます」阿求はそういって手招き「上がってください」
「うん、お邪魔します」「お邪魔します」

 阿求の部屋には本が多い。そして、阿求はそれらの本を快く読ませてくれる。
 だから、本を読んで待っている、んだけど。
「阿呼って、凄いよね」
「へっ? そ、そう?」
 いや、ほんと感心。阿呼が呼んでいるのは結構難しい本。それなりの厚さはあるけどそれもだいぶ読み進められている。
 読むのが、ほんとに速い。適当に流し読みしているようには見えないけどね。
「面白い?」
「うーん、……面白い、っていうか」
 その手には、日本書紀。
「なんか、変な記載がたまにあるよね。……今もね、壬申の乱の人だけど、東宮とか、皇大弟の宮とか、大皇弟とか色々な呼び方されてるの。
 すっごい活躍している人なんだけど、表記が一致しないと解りにくいよね。……なにか意図があるのかな?」
 ちゃんと読んでるんだ。凄いなー
「読むの速いんだね」
「へ? そ、そうかな?」
 自覚ないんだ、と。
「ただ今戻りました。
 慧音さんも心当たりない、……って」
「お帰りー」「あ、お帰りなさい」
 きょとん、とした阿求。
「……嘘でしょ? 日本書紀って、どうすればこの短時間に、そこまで読めるんですか?」
「え、解んない? けど、変、かな?」
「これちゃんと読んでるんですよね。凄いですっ」ぎゅっと、阿求は阿呼の手を握って「是非私の所に来てくださいっ!」
「ふぇっ?」「だ、だめーっ!」
 割って入る、っていうか、近いっ! 阿求近いからっ!
 阿呼の手を取って抱き寄せて阿求から引き離す。むーっ、と威嚇。
「阿呼は私の助手なのっ! いくら阿求でも絶対に渡さないんだからっ!」
「いいじゃないですかっ! 阿呼さんは人なんでしょっ!
 人里で暮らしていた方がいいんですっ!」
「でもだめっ! 阿呼は私の助手がいいって言ったんだからっ!」
「私のところ、稗田家に来ればにとりさんのところより、ずっと恵まれた生活を送らせてあげますっ」
「なにをーっ、私の生活が貧しいというかー」
「人里の名家である稗田家に勝るとでも思っているのですかっ!」
 むぐぐー、…………「あ、あの、……に、にとりぃ」
 はれ?
 声の方、視線を向けると、顔を赤くしておろおろしている阿呼。「ひゅいーっ」
 も、物凄く近くにいた。慌てて離れる。はぁー、と一息。私と阿呼から、
「あ、あの、阿求ちゃん。
 ごめんね。僕、にとりの助手さんなの。……その、言ってくれることは嬉しい、けど、ごめんなさい」
「むぅ、そういう事でしたか」阿求はがっくりと肩を落として「いいです。なら仕方ないです」
 ほう、よかった。…………「ただしっ!」
 びしっ、と阿求は阿呼を力強く指さし、
「絶対に人里に戻ってきてくださいっ!
 貴方の、その才、この私が絶対に活かしてあげますっ!」
「ふんだっ、私の助手として、すっごい優秀な開発者になってもらうんだからっ!」
 むーっ、と睨みあう。
「え、…………えっと、……」
 その中央、阿呼は困ったように笑ってた。

 妙に鼻息の荒い阿求に見送られて、私たちは稗田家を出る。
「いなかったみたいだな。阿呼」
「うん」
 静かな口調で頷く阿呼。けど、と私に微笑みかけて、
「ちょっと、安心した、かな。
 阿求ちゃんの言う事は、解らなくもないけど、やっぱり僕、にとりのところにいたい」
 静かな口調と、真っ直ぐな視線。うん。
「私も、そうしてくれると嬉しいよ」
 自然と、そんな言葉が出た。
「じゃあ、お買い物しよっ、にとりっ
 今日は僕がご飯作るからね」
「なにいってるの、お財布にぎってるのは私だよ?
 自分で買った食材は自分で料理するのさ」
「えーっ、こういう雑用こそ助手がするんじゃないの?」
 言い争いをしながら二人、人里の道を歩く。なに食べようかな、とか。人里は初めてっていうから、うーん、阿求が紹介してくれた範囲だけど、甘味処とか一緒に寄ろうかな、とか。
 そんな事を考えるのが、なんでか、とても楽しかった。

「ちょっと、時間かけすぎちゃったね」
「あはは、遊びすぎちゃったなー」
 阿呼と買った物が入った袋を分けて持ちながら苦笑。うーん、ちょっと調子に乗りすぎたか。
「ちょっと失敗しちゃったねえ」
 困ったな、と阿呼に笑いかける。と、阿呼も笑顔で、
「うん、でも、僕にとりと一緒にいろいろ見て回れてすっごい楽しかったっ」
「私も楽しかったよー」
 今日は仕事できないけど、……まあ、いいかな。
 明日から余計に頑張らなくちゃならないけど、うん、今日はこのまま帰って、楽しい一日の余韻を楽しみながら寝ちゃおう。
 阿呼にはなんて言って仕事を諦めさせて、早く寝るように言おうか。……文じゃないから気の利いた言葉が出る自信はないけど、椛じゃないから、すぱっ、とした正論は出ないと思うけど、
 今はそれでもいいと思う。帰り道は長い。ゆっくりと考えながら帰るもよし、その時間をかけて阿呼を説得するもよし、なんにせよ、帰り道も楽しみだな。
 だから、阿呼と一緒に歩き出して、

 ――――――――死んだ、と確信した。

「っ!」
 凄まじい寒気を感じながら、振り返る。
 死の確信。……今、生きていることが信じられない。なんで、自分が生きているのかわからない。
 ばかげた事。なにもされてないのに、死ぬわけない、のに、…………いや、
「…………霊、夢」
 いた、人里の道路。少しずつ人の減っている道、それでも人はそれなりにいる道。けど、しん、と音の亡い道。
 その理由は解る、賑わいはない、賑わえるわけがない。そこに、霊夢がいるのだから。
 いつもの、春度満載のお気楽な巫女じゃない。
 殺意、慈悲、害意、容赦、敵意、躊躇、……本来なら持ち得るはずの感情というものさえない。ただ、幻想郷に害成すという理由だけで問答無用に蹂躙し、殲滅し、滅殺する絶対存在。崇りを形にしたような彼女、楽園の巫女。
 その存在がこちらを見ている。……否。
「君は、誰?」
 見られている相手、阿呼は私の前に立つ。真正面から、巫女を見返す。
 問いに、霊夢は答えず、――――――――視線を逸らす、踵を返した。
 とたん、辺りから人のざわめき、子供の泣く声、へたり込み、倒れる音がする。そして、
「っと、にとり、大丈夫?」
「あ、……う、うん」
 倒れそうになる私を阿呼が支えてくれた。
 いけない、しっかりしないと、
「だ、大丈夫っ
 にとりさんは河童だよ。そう簡単に倒れてたまりますかいっ」
 強いて、意識しておどけて笑う。……ああもうっ、だめだ。弱々しい笑顔、自覚できる。
 けど、ごめん、今、君の前では強がっていたいんだ。大丈夫、だって。
 ぐっ、と足元を、地面を意識する。うん、大丈夫。
「全然、私は大丈夫。
 さ、阿呼。帰ろう。美味しいの作ってあげるからねっ」
「…………むー、じゃあ、うん、お願い。けど、」
 ひょい、と阿呼は、私が持っていた袋を拾う。いつの間にか、落しちゃってたか。
「僕が持っていくから、それが条件だよ」
「もー、助手の分際で取引するとはー」
 なんて言ってみたけど、本音は有難い。まだ、ちょっと感覚が変な気がする。
 だから甘えちゃおう。うん、そうしよう。…………代わりに、頑張って美味しいご飯を作るんだ。
「取引とか、……え、あ、………………」ふと、何か思いついた表情「荷物は男が持つのっ、女の子は持っちゃだめなのっ」
「そんなルール幻想郷にはないっ
 差別はんたーいっ」
「さ、差別とかそういうのじゃなくて」
 おろおろする阿呼。うん、いつも通り。だから、
「ありがと、阿呼。お願いな」
 不意に零れる言葉に、言いかえす言葉を探していた阿呼は、少し、きょとん、として、
「うんっ、任せて」
 笑顔で頷いた。

「阿呼ー、出来たよー」
「はーいっ」
 ぱたぱたと布団を敷いていた阿呼が駆け寄ってくる。そして、
「わっ、凄いっ」
「へへーっ、どんなもんだいっ」
 ちょっと豪勢にしてみました。
「すごーいっ、にとりって料理も上手なんだねっ」
「まあね」手先の器用さは自信あるし。
 それに、
「荷物持ってもらっちゃったからね。
 そのお礼、……実は結構助かっちゃったよ。ほんと、ありがとな。阿呼」
「えと、気に、……うん、えと、どういたしまして、にとり。
 それに美味しそうな料理ありがとね」
「うむっ、さあっ、にとりさんの手料理、とくと食べるがよい」
 向けられる笑顔が嬉しくて、また、変に意識する前におどけて言う。そんな私の言葉に阿呼はくすくす笑って椅子に座る。
「「いただきます」」

 そしてお風呂に入る。シャワーが全身を温めるのを感じる。そして、
「あの巫女、なんなの、かな」
 湯船にへたり込みながら呟く。あの時の事を思い出して、悪寒が全身を駆け巡り、湯の温かさを強く意識する。
 いつもの、宴会とか、たまに人里でもあう霊夢とは違う。間違いなく、阿呼を見てた。
 どうしてだろうね。阿呼は、ただの人、のはずなのに、…………けど、
「阿呼、凄いなあ」
 あそこの道、あの巫女の存在にあてられて泣き出した子供もいたし、大の大人でもへたり込んでた。それだけの存在感があった。
 その視線を真っ向から受け止めるなんて、そうそうできる事じゃない。……その、ちょっと、
「か、格好、よ、良かったかな、……な、なん、て」
 ざぼんっ、と音。
 自分の言った言葉が恥ずかしくて、私は湯船に沈んだ。せめて、余計な熱が引くまではこうしていよ。

「はーふー、いい湯だったー」
「お、上がったね」
「うんっ」
 阿呼もお風呂から出る。そして、寝室へ。さて、
「いい、阿呼」
「うんっ」
 ぴっ、と人差し指を立てて「今日、私と阿呼は人里でたくさん遊んじゃったので、作業が遅れちゃった」
「う、うん」
「阿呼が悪いってわけじゃないけど、……ああ、じゃなくて、えと、一緒に遊んだ阿呼も半分悪いのっ」
「え、……あ、ご、ごめんなさい?」
「うむ。……っていう私も、楽しく遊んじゃったから、もう半分は私が悪いんだけど。……こらそこ、何笑ってるんだい」
 お説教、のつもりなんだけど、なぜだかくすくす笑う阿呼。
「あ、ごめんね。
 その、にとりと半分こ、って思って」
 あー、……まあ、それなら笑うのも仕方ない。……ないの? そういう問題、だっけ?
 こほん、ともかく、
「そういうわけだから、作業予定が詰まってきた。
 食べ物とか、必要な物は買い込んだから、明日からもっと頑張っていくよ。じゃないと終わらないかもしれないんだからな」
「むっ、それは困るね」
「そう、とても困るの。
 もう、阿呼にもたくさん頼りたくなるくらい。……だから、そこ、笑わないのっ」
「ごめんなさい。……ただ、にとりに頼ってもらえるって思うと、嬉しくて」
 むぐ、確かに、阿呼は結構頼りに、……「むがーっ、こっちは真面目な話をしてるのっ、笑わないで聞くっ」
「はぁい、ごめんなさい」
 まったく、
「だから、今日は早く寝て、明日からがんがん行くよっ
 覚悟しなっ」
「はいっ」
「よし、ならば就寝っ」
「就寝っ」
 ぼふっ、と布団にもぐりこむ阿呼。私も空いてる布団に潜り込み、灯りを消す。
 目を閉じる。明日から頑張らないといけない。だから早く寝ないと、目を閉じる。だから聞こえた。ぽつり、小さな声。

「けど、にとりがいてくれるなら、僕、どんな大変な事でも、頑張れるよ」

 ………………ばか、そんな事言われたら、また眠れなくなっちゃうっての。

//.博霊神社

「おーうっ、霊夢ー、遊びに来た、ぜ?」
 いつもの気安い言葉は徐々に消えていく。その理由は、霧雨魔理沙にもわからない。
 いつもと変わらない、はずだ。博麗霊夢は境内に立っている。ただそれだけ、
 それだけ、なのに、
「れ、霊夢、どうしたんだ?」
「紫、か。あの御人好しの甘ちゃんが、人の意志を甘く見すぎだっての」
 鋭い舌打ち。そして、視線を向ける。親友の魔理沙でさえ寒気が走る。透明な、……まるで、祟りのような、神罰のような、視線。
「ちょっと準備したいことがあるのよ。
 遊んでる暇はないわ」
「お、……おう、悪い、な」
 かろうじて、それだけ言葉にして、魔理沙は帰路についた。

//.博霊神社



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