「ったく、はたて凄いわねー」
「霹靂神だかはたてだか、……いえ、井上皇后、でしたっけ?」
「皇統で伊勢斎王をただの烏天狗と白狼天狗が相手できるものかしら?」
「さあ?」
 実際、今でも結構厳しいです。雷撃を操る霹靂神。なんとか私と文が相手できるのは、映姫の封印によるものが大きいでしょう。
 そして、確実に高くなっていた出力も、今は抑えられています。代わりにさとりを抱えて必死に逃げ回るこいし。……助力のおかげ、そのことを改めて思って、
「どっちにせよ」周囲に炸裂し、あたりを薙ぎ払う雷撃を見て「止めませんとね」
「ああ、住処が壊されていく」
 苦笑する文は、団扇を振り抜く。駆け抜ける風の刃が霹靂神に迫り、
「ふふ」
 身を回すように、踊るように回避。返す手で雷撃を放つ。
 文はそれを大きく回避。視線をそちらに向けて、
「っと」
 身を低く、私の振るう車太刀を回避。そして、
「椛っ!」
 蹴らないででください。ともかく、雷纏う手の打撃を回避。
「まったく、戦う気がないとか言いながらものすごく狙ってくるわね。はたたん」
「井上皇后の願いを叶えたいのですよ。私だって、あややん」
「…………友達になれそうですよね。貴女たち」
 挑発の笑みと余裕の笑み、重ねて笑うあややんとはたたん。
「遊んでないで真面目にやりなさいっ!」
「わお、怒られた」「私は真面目なんですけど」
 言葉を言い終えて私は走る。車太刀を握り、一気に突撃。
「同じことばっかりじゃ芸がないわよ?」
 手を振り上げる。雷撃の壁が前に立ちはだかる。……すごいですねこれ。けど、
「んっ!」
 ぐ、と腕を背に回し、一気に振り抜く。
「へえ」
 僧正坊様の持つ鉄扇と同様、鞍馬山の磐座で作られた刀は一閃、一刀で雷壁を切り裂いて、肉薄。
「っとっ」
 たんっ、と後ろに跳躍。けど、「文っ!」
 逃がしません。背後に、壁のように迫る風。疾走に、さらに速度を加えて私は霹靂神に迫り、けど。
「残念」ざっ、と後ろに跳躍、手さえついてその速度を止めて「ねっ!」
 蹴り? 迎撃するように突き出される足。「つっ!」
 身をよじるように回避、かろうじて、直撃は避けました、が。
 追撃の雷撃。大した威力はなくても、直撃して焼かれ「くっ!」
 霹靂神が私と同様に吹き飛ぶ。
「椛っ! ぼさっとしてるんじゃないわよっ!」
 団扇を持った文が飛翔し過ぎる。再度、霹靂神に団扇をふるおうとして、
「んっ」
 たんっ、と跳躍。振り抜いた団扇から繰り出される風の刃が地面を抉る。そして、
「おち、なさいっ!」
 直上からの雷撃。振り抜いて無防備な文に迫り、私は文の襟首をつかんで引きずり倒す。「ぐえっ」と声は無視。
「斬り、砕きますっ!」
 振り抜き、雷撃を破砕。
「ち、窒息するかと思ったわ」
 無視。そして、落下する霹靂神に跳躍。
「は、あぁああっ!」
 振り抜き、…………って、
「天狗?」「油断禁物よ」
「つっ」
 一瞬、その上の光景を見て鈍った私に容赦なく叩き落される雷撃。
 かろうじて、回避。真下にいた文は悲鳴を上げて雷撃を避けました。
「な、何やってるのよばか椛っ! もむわよっ!」
「涙目にならなくても、……っていうか、上、派手ですね」
 見上げる。おそらく、映姫はあそこも抑えているのでしょう。上、
「……なに、あの天狗の大群?」

//.幕間

 加勢したいのだけど、と僧正坊は鉄扇を両手に構えて舌打ち。眼前には、
「どういうこと、相模坊」
「大したことじゃないわ。
 井上皇后の復活を邪魔させたくない、っていうだけ」
「ずいぶん昔の人じゃないの?」
「それで死者の蘇生がかなうなら。
 それで、あの御方の蘇生が叶うなら、全霊を尽くすわ」
「いいけど、自分の山でやりなさいよ。
 あの雷が山砕いて大変なのよ」
「地元が壊れたらいやよ」
「ぶち殺すわよ。人の山で好き勝手やってくれやがって」
 僧正坊は鉄扇を握る「勘違いしないでよ」と、相模坊は御剣を握り、
「敬愛する、あの御方が眠る場所を砕かれるのが許せない、ってのよっ!」
 爆ぜた。高速の、まっすぐの突撃。その先端には御剣。
 相模坊もだが、その御剣も十分に厄介。すでに何度も鉄扇で打撃している。ひきつけ、寸前の回避を使い岩に突き立てさせもした。
 けど、その御剣には傷一つつかない。岩石を貫通してなお、刃毀れ一つしない。産鉄の民、鬼の鍛えた刀、と思うがそれでも限度がある。
 それに、声が響く。相模坊が引き連れてきた、彼女配下の天狗。それが鞍馬山の天狗と争っている。それで手一杯。
 文、椛、と僧正坊は年若い天狗を思い。そして、はたて、ともう一つ、名を思う。
 頼むわよ、と。だから、
「ま、なんにせよ。
 大事にしたわねえ」
「自分が小事で敵対される程度だってのなら嫌味よ。僧正坊」
「光栄ねっ!」
 飛翔し、鉄扇を握り突撃する。もちろん、ただの鉄扇ではない。
 護法魔王尊がまつられる最奥。魔王院周囲の磐座より作り出した鉄扇。僧正坊が全力で振り抜けば大木さえ叩き切る硬度と鋭利さを持つ。
 そして、飛翔の速度は全力。最速で駆け抜けて鉄扇を振り抜く、が。
「っと」
 相模坊は落下する。頭上を鉄扇が通り過ぎ回避。そして飛翔する僧正坊を相模坊は追撃する。
 その先端には御剣。貫き、そして、逃げたとしても振り抜き切り裂く。…………「へえ」
 止めた。鉄扇を広げ、楯のようにして、岩石さえ貫く御剣は、鉄扇に止められ、その突撃の力を僧正坊は力でねじ伏せる。そして、
「は、ああっ!」
 横へ回る。もう一つの鉄扇を抜き、その首を叩きとおすために振り抜く。必殺の攻撃、が。
 展開される菊花。それが鉄扇を受け止める。
「なに、これ」
「加護よ」
「っ!」
 言葉とともに、閃光のような刃の一閃。それが正確に僧正坊の手首を狙う。
 反射的に逸らす。手首が切り落とされるのを避ける、が。打撃の音が響く。鋭い音は片方の鉄扇を打撃し、回避故緩んだ握力は支えきれずに取り落とす。
「くっ!」
 さらに繰り出される御剣の太刀筋を距離を取り回避。まったく、
「こんな争い、久しぶりすぎて泣けてくるわっ!」
 追撃する相模坊を見据えて、僧正坊は鉄扇を強く握る。
「ずいぶんと会いたいのね、その人にっ!」
「当たり前よっ!」
 僧正坊の声に、相模坊は咆哮する。
「捨てられた私を拾ってくれたっ! 育ててくれたっ!
 私はその恩を返すっ! 二度とっ! 絶対にっ! あの御方、父に失意を与えないためにねっ!」

//.幕間

//.幕間

 姫海棠はたてはどこに、というわけでもなく歩いていた。
 夢である自覚がある。夢の中を歩いているという実感がある。……さて、
「なんなのかしらねえ、これ」
 あたりを見る。整った道、そして、その奥。
「あそこ、かな」
 小さな、古びた庵がある。目的地と思いそこに向かって歩を進める。

 あたりに張り巡らされた赤い糸。

 少し糸が気になるが、急かされるように歩を進める。そして、垣根を越える。玄関、庭、そして、
「誰?」
 縁側に、初老の男性。傍らに徳利を置き、手には御猪口。そして、傍らには盆と、御猪口がもう一つ。
 彼は、つまらなさそうに御猪口を傾け酒を飲む。そして、はたてを見て、
「お?」

「白壁王?」
「おう」
 縁側にいた酒飲み、白壁王というらしい。真っ先に思ったこと。
「王、……見えないなあ」
「だろうなあ」
 けらけらと男性、白壁王は嬉しそうに笑う。
「見ての通り、だたの酒飲みさ。
 生まれでつけられた王の文字なんてどの程度のもんだか」
「なに、いいところの生まれなの?」
 胡散臭そうなはたての視線に白壁王はけらけらと笑う。
「おう、すっごく高貴な家柄だ」
「……うさんくさ」

「それ、美味しいの?」
 くい、と酒を飲む白壁王にはたては問いかける。彼はにやあ、と笑って、
「なんだ、小娘。酒の味を知らんのか」
「うっさいな。悪かったわね」
 知るはずがない、思い出なんて、数日程度しかない。
 文、椛、牛若丸、常盤、……ただその数日で、どれだけ大切といえる人に出会えたか、友達に出会えたか。
 ゆえに悲嘆するつもりはない。幸運とさえ思っている。
 けど、
「ちょっとちょうだいよ」
 お盆に乗ったもう一つの御猪口に手を伸ばす。が、ぺし、と手を叩かれる。
「いたっ?」
 反射的な打撃、痛いというよりは驚きで声を上げ、
「これはだめだ」白壁王は庵の奥を示して「どうせその辺にあるからあ、適当に一個持ってこい」
「けちー」
 いう、が。白壁王の視線は有無を言わせない。まあいいかあ、とはたては立ち上がり、歩き出した。

「まず」
 と、第一の感想。率直に告げられた感想に白壁王はおおらかに笑う。
「この味がわからないとは、子供だなー」
「うるさいっ」
 思い出と、それに連なる経験がないのは自覚している。それでも子ども扱いが嬉しいわけ、が、ない。…………ない、と思う。
「よくこんなもの飲めるわね」
「まあなあ。昔は酔いに逃げてたんだけどな」
「現実逃避?」
「違いない」
 白壁王は苦笑。それしかない、諦観が混じった苦笑。……なんだろう「むかつく」
「あ?」
「その諦めきったようなのがすっごい腹立つ」
「…………山部王みたいなこと言いやがる、この小娘」
「誰?」
「子供、息子。」くい、と白壁王は酒を飲み「そいつも言ってたよ。お前がさっき言ったこと」
「はっ、いい子供じゃない。
 父親のそんな顔誰だって見たくないわよ」
 言って、はたては首を傾げた。父親、とその言葉が思いの外すんなりと出て、
「違いない」
 白壁王は困ったように笑う。ああ、たしかに、
「いい子だったのか、……わしが不甲斐無かったのか。
 よく怒られていたなあ」
「私がさっき言ったことで?」
「まあなあ。だいぶ、肩身の狭い思いもさせていたし、……けどまあ、」
 そして、にやあ、と白壁王は意地悪く笑う。
「あいつにゃあ最後に欲しがってたものくれてやった。
 少しは見直してくれればいいんだけどな」
「そうなんだ」
「うだつの上がらない親父からの最後の贈り物だ。
 喜んではくれたみたいだったな」
「なら、よかったじゃない」
「そうだな」はは、と白壁王は笑う。力なく、けど、自嘲ではなく「担ぎ上げられた地位でも、まあ最後に子供に欲しがってたものくれてやれた。それで良しとする、か」
「喜んでくれたなら何よりよ」
 言いながら、思う。
 自分は、恩人、大切な友達に、なにか、喜ばれるようなことをしたのだろうか、と。
 文や椛には心配をかけた。そして、相談した牛若丸にも、
 常盤はいつも笑いかけてくれたけど、散々我が侭を言った気もする。……反省しないとなあ、とはたては思う。
 だから、
「誰かに喜ばれるようなことをしたなら、幸せじゃない」

//.幕間

//.幕間

「おお、きたな」
 小野塚小町は気楽に言う。彼女の構築した木船に乗った牛若丸は来た、その意味を一瞬疑問し、すぐに、
「天狗っ?」
 鞍馬山を流れ降りる牛若丸たちに、天狗は襲撃する。
 襲撃だ。牛若丸は確信する。その目を見ればわかる。そして、
「小町っ! 来たっ!」
 巴の声、そして、天狗は団扇をふるう。
 風の刃が振り抜かれる。が、「あら、よっと」
 距離を操る。天狗の繰り出す風の刃は遠大な距離に阻まれて吹き散らされる。
 防がれた。天狗はその事実を認識し、直接叩き潰そうと飛翔開始。
「ありゃ、やっぱりそう来たか」
 小町は舌打ち、風の刃なら距離があれば拡散して消えるが、天狗そのものはいくら距離があっても消えない。
 もちろん、距離を伸長し続けることで足止めはできる。が、それは自分たちの移動が妨げられることに直結する。その状態で増援されれば、天狗の速度だ。追いつかれる。
 どうするか、と思ったところで、
「小町っ! 僕が守るから、進んでっ」
 牛若丸は木刀を持って木船の端に立つ。小町は牛若丸、人の子供が迎撃を買って出たことに不安を覚え、けど、
「任せたよ少年っ!」
 言葉に牛若丸は巴と、常盤を見る。巴は頷く。常盤は守る、と。だから、
「やああっ!」
 牛若丸は木船の上をかける。かけて、木刀を振り抜く。
 打撃の音、高速で突撃した天狗は木刀の打撃を受けて吹き飛ばされる。木船は小町の距離を操る能力により高速で鞍馬山を駆け下りる。そして、
「こっちっ!」
 高速の木船に追いすがる天狗を牛若丸は打撃により迎撃する。高速の飛翔はわずかな打撃で大きく逸れ、山肌に激突する。
 だから牛若丸は木刀を当てる事だけを考えて木船の上を駆け回る。足場は高速で駆け降りるが、悪い足場での移動は犬走椛と散々訓練をしている。ゆえに、牛若丸は危なげなく木船の上を駆け回り「巴っ!」
「このへたくそっ!」
 牛若丸の迎撃を避けた天狗は改めて団扇を振るおうとし、けど、巴の迎撃を受ける。
 飛び回り、跳ねまわる牛若丸と違い。常盤のそばから離れず、全身の力をもって打撃する。
 少女とはいえ、体全身の力を余す事なく叩きつけられれば、いくら天狗とはいえ弾き飛ばされ、山肌に激突する。
 もちろん、それで死ぬはずもないが巴と牛若丸に迎撃を任せた小町の繰る木船の疾駆は一度倒れた天狗の追撃を許さない。一気に引き離す、が。
「この、人間風情がっ!」
 天狗の怒声が聞こえる。牛若丸も巴も怒声程度で退くことはない。牛若丸は無視して木刀をふるう、が。
「え?」
 打撃する。その直前に別の天狗が割り込む。打撃の音が響く、それは狙った天狗のものではなく、
 仲間の犠牲をもって天狗は突撃する。まずは、牛若丸を叩き潰すために、
 逃がすつもりはない。その意志で天狗は迫り、その意志を受けて、牛若丸は迎撃に振り抜いた木刀を戻し、けど、
 間に合わない。確信する。巴が駆け出すが、それでも、間に合わない。
 天狗は隣接距離で団扇をふるう。小町が慌てて振り返るが、…………それよりも、なによりも、速く。「穿て、水破」

「あんまり年寄り働かせんじゃねぇよ。小僧」
「おじさんっ」
 天狗を迎撃する矢。それを肩に受けて団扇を取り落とし、直後の伐採の音。
 獅子王は天狗の首を叩き落す。同時、老いを感じさせない動きで源頼政が木船に着地。
 援軍、それを知った天狗は歯ぎしり、舌打ち交じりに吼える。
「人間風情がっ! 我ら天狗をなめるなっ!」
 天狗たちは集まる。迎撃の戦力は船を操る小町と常盤を除き三人、対して、集まった天狗は十を越える。数をもって押しつぶす。
 天狗たちは一斉に飛翔、突撃する。速度は天狗自身の飛翔を用いた高速、迎撃する牛若丸と巴は木刀を握り、小町は己の能力を防衛に使うために振り返り、頼政は手を上げる。それを合図に、――――
「――――迎撃せよ」
 平清盛は源氏、平氏、両武士に命じる。直後に、数十の天狗を迎撃する数百の矢。清盛と頼政の号令で集まった源氏と平氏の武士は突撃する天狗に一斉に矢を叩き込む。
 その数は数十の天狗をさらに数倍上回る。不意に現れた鉄の迎撃に天狗は回避をとれるはずもなく、全身を穿たれて傷だらけになり矢の一陣を突き抜ける。
 突き抜ける。天狗を待っていたのは数多の槍。槍衾。その言葉通りの密度が、――――
「巴ちゃんっ、牛若丸ちゃんっ」
 常盤は慌てて二人を抱き寄せる。彼女はわかる。これからの惨状が、そして、小町は眉根を寄せる。
 敵対したのなら仕方ない、とは思う。見ればわかる。迎撃を行ったのは完全武装の武士。なのだ。
 矢を抜けて傷だらけの天狗は、槍に手を切り落とされ足を貫かれ首を叩き落され胴を抉られ、ばらばらに散り落ちる。半死半生で着地した天狗は生き延びた安堵と同時に刀で斬殺。突撃開始数秒で全滅という戦果を叩き出す。
「未熟な山伏の分際で、人間風情を侮られても困るんだよね」
 その惨状を清盛は苦笑して見送る。そして、
「総員、あの船を出迎え。
 乗っているのが女子供であれ、誰であれ、貴人として応じよ。……………………いや、源氏の人は睨まないでよ。頼政から話聞いてるでしょ」
 頼政の名を出され、清盛の命にしぶしぶと従う源氏に、難しいなあ、と清盛は苦笑した。

「やあ、こんにちわ。常盤君」
「清盛、君?」
「母上、知ってるの?」
 牛若丸の問いに常盤は困ったように言いよどみ、清盛は苦笑。
「いやあ、綺麗だから手を出そうとしたんだけど、時子に殺されかけてね。
 若気の至りだよ」
「殺されかけたのか?」
 茶化すような頼政の言葉に清盛は真顔で俯き、
「僕は、ここに生きてる。それは奇跡といってもいいと思う」
「……………………散るなら武士らしく散れ、んな事で殺されたとなったらかなり恥だぞ」
「若気の至りって怖いよね」
「年寄りに言うなそんな事。覚えてねぇよ」
 ちなみに、しんみりとした雰囲気の清盛を羨望交じりに睨みつける平氏の武士。頼政は追及が面倒になって配下の武士に手を上げて、
「常盤、鞍馬山の状況は見ての通りだ。
 避難しておけ、安宿だけど構わないな?」
「それは、いいわ」
「よし、総員護送しろ。
 平氏の連中? 用はすんだから帰れ、清盛は時子に土産でも帰ってご機嫌伺いでもしてろ。………………ああ? 護衛したい? 知るか、失せろっ!」
 頼政の怒鳴り声に平氏の武士は愚痴り、勝ち誇った源氏の武士を睨みつけながら去っていく。
 けど、
「牛若丸ちゃん」
 牛若丸はひとり、動かない。ひたり、と鞍馬山を見据える。
「小町」
「ん?」
「戻るんだよ、ね?
 僕も、一緒に行く」
「あのねえ。確かにあんたはよくやってくれたけど、上で暴れてるのはあんな木端の天狗じゃないよ」
 小町も聞いている。井上皇后の怨霊の形。単純な格でいえば先の天狗とは比較にもならない。自分よりも、さらに上。人にできる事なんて、なにもない。けど、
「わかってるっ、けど、……僕は、」
 大切な人がいる。守りたい人がいる。一緒にいたい人がいる。その意志を込めて小町を見据える。駄目だなこれは、と小町はため息をつきかけたところで、
「牛若丸ちゃん」
 常盤の声が困ったように揺れる。鞍馬山の現状は見てきた。そこに戻ると愛する子が言うなら、心配しないはずがない。
 けど、牛若丸の言うこともわかる。彼は男の子、なのだから。
「……母、上」
 はあ、と溜息。常盤は牛若丸を抱き寄せる。
「椛ちゃんは、大切?」
「う、……うん」
 なら、常盤は牛若丸から離れて、厳しい視線を向ける。
「武士の男子なら、大切な人の危難に駆けつけないことは許されません。
 命を懸けてでも、無事に連れて戻りなさい」
「は、はいっ」
「小町さん。私からも重ねてお願いします。
 その過程で、――――」
 常盤は言いよどむ。言いたくない。…………けど、
「――――死したと、しても、何もせずにおめおめと生き恥をさらすよりは、遥かにましです」
 まっすぐに見つめる二人。そのよく似た意志を見て、小町はがしがしと頭をかく。
「あたいの仕事増やさんでくれよ。……………………ああもうっ、わかったっ!
 ったく、これだから人はわけわからんっ! 少年っ、賽の河原で石積むことになってもあたいを恨むなよっ!」

 鞍馬山に駆け戻る牛若丸と小町。巴はその後ろ姿を見て、ため息。
「巴ちゃん?」
「ふんだ、よわっちそうな椛と違って諏訪子様は強いから、私が心配するようなことはないの」
 だから、巴は強く手を握る。不安に震える常盤の手を、
「いこ、常盤」
「え、ええ」

「やれやれ、大変なことになったね」
 護衛と歩き出す武士たちを見送って、清盛は呟く。頼政は鞍馬山を見据えて、
「いいのか? あの小僧。放っておいて。
 わかってんだろうな? あの小僧がなんなのか、平氏に対する最悪の刃になりかねねぇぞ」
「あれだけ天狗に追い回されて、なお山に戻ろうって思うなんて相当頭悪いよね」
 若いなあ、と清盛は苦笑する。そして、
「その最悪の刃に、たいそうな土産を持たせたね。
 頼政、君も期待しているの?」
「…………あいつと一緒にするな。
 第一、牛若丸はこっちだ。お前らとは違うんだよ。平氏。……で、どうするんだ?」
 頼政の言葉に、清盛は笑う。楽しそうに、その目が見据えるのはどこか、ただ、呟く。
「沙羅双樹の花の色は変わり続けるものだよ」

//.幕間

//.幕間

「まさかここまで来ることになるとは、……はあ、こいし、大丈夫かしら?」
 おそらく、涙目で雷撃から逃げ回っているであろう可愛い妹を思う。……その表情が見れない現実に溜息を一つ。
 自分の意識はもうないと思う。想起が思ったよりも深く、速い。
「どれだけ、顕界に執着しているのかしら、ね」
 古明地さとりは夢の中を歩く。姫海棠はたて、霹靂神、そして、……「井上、皇后」
 綺麗な憎悪、そして、憤怒、と古明地こいしは言った。子供ねえ、とさとりは微笑ましく思う。
 そんなわけがない。憎悪、憤怒、怨霊の源泉。怨霊となる者が抱く感情。けど、
「井上皇后。
 貴女は、本当に憎んでいたのですか? 怒っていたのですか?」
 彼女自身がそうなのか、それは、分からない。
 怨霊は人が作る。怨霊は遺された人が形作る。……井上皇后が怨霊となることを望んだかさえ、分からない。
 けど、
「霹靂神は、たしかに井上皇后を顕界に呼び戻すことを祈ってる。
 おそらく、井上皇后がそれを祈っているのでしょうね。…………本当に、」

 綺麗な憎悪。そして、憤怒。
 こいしは怨霊の意味に触れて違えている。その綺麗な思いを、怨霊が抱くであろう憎悪、あるいは憤怒と見違えた。
 文字に惑わされるのだから子供ねえ、とさとりは小さく笑う。
「好きなのね」
 さとりは記憶を手繰る赤い糸をあたりに張り巡らせて呟く。
 この糸は結界。想起とは逆に、井上皇后の記憶を封殺するために忘却を張り巡らせる。
 ゆえに見える。記憶、井上皇后の思い出。……否、思い。
 思い出は当人が形作る。大切な思い出はそれだけ深く、強く刻まれる。……そう、井上皇后の思い出は、三十を過ぎてから急激に増えている。

 嫌悪、不安、恐怖、……伊勢斎王の任を解かれ、初めて白壁王に会ったとき、
 愛情、思慕、安堵、……心を許し、穏やかに、静かに夫婦として生活したとき、

 …………そして、立后。

「幸か不幸か、誰にもわからないわよね。そんな事。……ただ、」
 役目は果たさないと、さとりは想起させる時よりなお、慎重に、記憶を繰り始めた。

「――――残念、ではあるわ。もっと、貴女の心に触れてみたかったのよ」

//.幕間

//.幕間

 古明地こいしは、自分が臆病なことを自覚している。

「あうぅう」
 疲れたあ、こいしは足を引きずるように動き回る。
 疲労の原因は自分にもたれかかる姉。古明地さとり。
 さとりは小柄な少女で決して重いわけではないが、それでも力なくもたれかかる自分と同じ程度の体格の少女を運ぶのは結構厳しい。
 こいしの体力はもともとあまりない。けど、動きを止めることはできない。
 文と椛と相対する霹靂神は、ふと思いついたようにこいしめがけて雷撃を放つ。
 それがなくても霹靂神、怨霊は祟り、無差別の破壊がそもそもの存在意義。暇を見つけては周辺に無差別に雷撃をばらまきあたりを破壊する。
 四季映姫が必死にそれを抑えているが、それでも、
「わっ」
 転びそうになるのを慌てて立て直し、走る。直後、すぐ後ろから雷撃が地面を砕く音が響く。
 もし転んだら、直撃していた。そう思うと怖くて、さとりを支える手に力がこもる。
 冷たい汗が流れて、瞳には涙が浮かぶ。怖い。怖い、すごく、怖い。
 必死に無意識を操り、霹靂神の意識から自分たちの存在を消す。けど、井上皇后の想起を望む霹靂神にとって、それを抑え込むさとりの存在が一番邪魔で、ゆえにその存在位置を意識したら即座に攻撃を繰り出す。
 怖い、走る足は震えっぱなしで、もしさとりに意識があったら籠りすぎた手の力に痛い、と呟くかもしれない。
 怖い、怖くて怖くて、こいしは必死に逃げる。足を止めたら恐怖で動けなくなるかもしれない、疲労で倒れるかもしれない。
 怖い、自分の意識を繰ることはできない。危機回避という本能で無意識でも回避動作は可能かもしれないけど、そうなれば、無防備なさとりは刹那に雷撃で焼き殺される。
 怖い、 ………………………………けど、
「お姉ちゃんの、ばか」
 霹靂神に意識されるかもしれない。その危険を考えながら、呟くのを止めない。
 さとりの意識はない。井上皇后を抑え込むために想起の逆、忘却に全力をかけている。
 意識はない、つまり、
「お姉ちゃんの、おおばか」
 あわてて足を止める。眼前を雷撃が薙ぎ払う。その光に目がちかちかする。
 そして、反転して後ろに逃げる。無意識を繰るのは間にあったらしい。こいしがいた場所を雷撃が連続で叩く。
 視線を向ける。こいしのいた場所に雷撃していた霹靂神は犬走椛の一刀を回避している。
 助けられた、と思う。こいしが走る速度は決して速くない。さらに広範囲に雷撃をばらまかれたら巻き込まれていた。
 下手に動きを止めたら動けなく自信がある。自分に根性があるとは思えない。
 心臓は恐怖と疲労で高鳴りっぱなし、だらしなく開いた口からは信じられないほど荒い息が漏れる。
 そんな無様な姿をさらしてやっていることは逃げ回ることだけ、格好悪い、情けない、疲れた、足が痛い、怖い、もう、嫌。逃げ出したい、…………………………………………のに、
「おねえ、ちゃん、の、ばか」
 体にかかる重さは負担とは思えない。体に押し当てられた鼓動と、温かさがある。
 自分を信頼し、全力で抗っている姉がいる。
 怨霊で、皇統で、伊勢斎王、自分たちより遥かに格上の存在を抑え込んでいる姉がいる。

 いつもそうだ、ばか。
 いつだって、どうして、こんなに、格好いいんだ。

「ああもうっ」
 ぐっ、と力を込める。臆病で怖がりな自分は、逃げ回る事しかできないけど、
「つまらない本なんて持って来たら、たくさん嫌味言ってやるんだから」
 もう、これが終わったら散々愚痴ることは確定、決定、大決定、ずっと、ずっとそばにいて話してやるんだ。
 だから、

「お姉ちゃんの、おおばか」

 こいしは足を引きずるように、必死に逃げ回った。

//.幕間

//.幕間

「はあ、……ほんと、強いわねえ」
 僧正坊は鉄扇を片手にぼやく。全身には切り裂かれた痕がある。
「腹立つわ、ほんと」
 相模坊は御剣を片手にぼやく。全身には打撃の痕がある。
 伯仲、八大天狗として同位にいるとはいえ、古くからあり、霊場として名高い鞍馬山に居を構える僧正坊のほうが実力は上、のはずだった。
 それに相模坊は食らいつく。狂信、と恐れられたその意志で、けど、
 当たり前よ、と御剣を握る手に力を込める。
 昔、拾ってくれたのだ。山に捨てられていた自分を、拾い、育ててくれた。
 泣いてばかりだった自分を、何もできない自分を、拾ってくれた。いろいろなお話を聞かせてくれた。たくさんのことを教えてくれた。
「そこまで会いたいって、恋人かなんか?」
「父、のような人よ」
「……天狗?」
「違うわ。人よ。
 私も生粋の天狗じゃない、修験者だもの」
「………………化け物、ただの修験者がなんでその短期間で八大天狗まで駆け上がれるのよ」
「当たり前」ぎり、と御剣を握る「私は、自分に敗北を許していない。二度と父様に失意を与えない。ただそれだけ」
「で、この騒動?
 まったく、いい迷惑よ」
「それで結構。
 父様にお会いできるなら、僧正坊、あんたの首くらい安いものよ」
「いい覚悟、たしかに、相模坊。貴女の実力ならそれも叶うでしょうね。けど、」
 僧正坊は鉄扇を握り、向ける。
「なめるな、そして、私の山から出ていけ」
「実力行使でねっ!」「望むところっ!」

 鉄扇と御剣が激突する。火花を上げる。
 思う言葉はただ一つ、負けない。とそれだけを思う。
 高速の飛翔を積み重ねる。負けない、と。また、父に、会うのだ。と、
 父の無念を知らなかった。父の絶望を知らなかった。
 大好きだった。捨てられた自分を拾ってくれたこと、厳しくて、けど、たしかに慈しんでくれた。
 菊花の加護を隕鉄の鉄扇が打撃する。弾かれた。体勢が崩れたのを見計らって御剣を差し入れる、が。敵は八大天狗の一角、そう簡単にはいかない。
 けど、自分とて勝利以外を自分に許していない。御剣を片手に追撃する。
 そう、負けない。もう、負けることは許さない。そうして、父を支える。
 かつての乱で敗北して流された。幼い自分は、そんなことも知らなかった。
 愛してくれていた、と思っている。慈しんでくれた、とも、
 自分にとって大切な父だった。優しくて、厳しくて、頭のいい、自慢の父だった。

 知らなかった、子供の頃から疎まれていたということを、
 知らなかった、敗戦し、流刑に処されていたということを、
 …………自分は、何も知らずに育てられていた。

 子供心に、まだ刻まれている。父の、大好きな人の、狂死した姿が、
 あれから、いろいろな話を聞いた。綾高遠が口止めされていた事を、自分の父の姿を、疎まれ、そして、敗北し、流された過去を、だから、
 二度と、そんな思いはさせない。……絶対に、
「私は、負けるわけにはいかないのよっ!
 勝ってっ! 父様に育ててもらった恩を返すっ! 私が支えるっ! 絶対に、邪魔はさせないっ!」
 壮絶な決意を絶叫に乗せて、御剣に乗せて、叩きつける。それを、
「知ったことかぁああっ!」
 僧正坊は真っ向から御剣を打撃して逸らし、
「貴女の決意は聞いた。けど、私は鞍馬山を治める八大天狗っ!
 たとえ誰であれ、どんな理由と決意を持っているのであれ、荒らすことは許さないっ!」
 打撃の音。なりふりを構う余裕など、ない。
 膝を腹に叩き込む。そして、
「吹き飛べっ!」
 炸裂の音、八大天狗の操る風は、刹那に爆風となって相模坊を打撃する。
「ぐっ」
 叩き込まれる風に吹き飛ばされる。その質量を腹に受けて血を零す。赤い、赤い血。
「ただの人ならそれで終わり、けど、「ええもちろん、この程度で敗北なんて、認めない」でしょうねっ!」
 腹が痛む。鈍痛がする。打撃は、深刻な傷を与えた。だろう。
 けど、止まるつもりはない。御剣を持つ手に力を込める。
 そして、突撃した。絶対に、
「絶対に、邪魔はさせないっ!」
 御剣を構えて突撃する相模坊に、僧正坊は笑って、
「来なさい。人の山に手を出したこと、後悔させてあげるわ」
 その決意も意志も、知ったことではない、と笑った。

//.幕間



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