//.幕間

 古明地さとりは贅沢なこと、とわかっていながら頭を抱えていた。
 ちらちらと視線を向ける先には一冊の書がある。
 付き添い会った藤原秀衡。彼から譲り受けた書。もちろん、書き写したものだが。
 それでも、…………「くっ」
 その内容を思い伸ばした手を引っ込める。書は手の届く範囲にはない。手の届く範囲にあれば自制できずに読み始めてしまうかもしれない。
 それだけの価値がある。なにせ、
「……中尊寺、建立の願書。……まさか、………………こんなものが手に入るなんて、…………」
 わざわざ付き添い奥州まで来たかいがあった。この書を秀衡から譲り受けたとき、周りの目を気にせず歓声を上げて書を抱きしめたことを覚えている。
 変な目をされたが気にしない。読書家のさとりにとって、この書にはそれ相応の価値がある。なにせ、坂上田村麻呂による阿弖流為たち蝦夷の征伐戦、源義家と安倍貞任、清原武則、藤原清衡たち奥州の有力者たちの合戦、前九年の役、後三年の役。それら戦乱を終えて作られた慰霊と鎮魂の寺、中尊寺。
 その願書。建立の願い。そこにどれだけの思いが込められているか、どれだけの意志が込められているか、それを思えば書に伸ばす手が震えるのも仕方がない。読後の感涙は想定の範囲、零れた涙が書に落ちない方法を真剣に考えたりもした。
 読みたい。そこに描かれた感情を触れたい。そこに込められた意志を、願いを、思う存分味わいたい。
 けど、……ふと、あたりを見て揺れる室内とがたがたと響く音に眉根を寄せる。
 正確には室内ではない、最高位の貴族が使う車の中。本来ならゆっくりと馬に引かれて移動するため、ここまで振動や音が響くことはないが今は事情が違う。
 何せ奥州藤原氏から朝廷に献上された最上質の馬が三頭。そして、それを手繰る者は貴族の車を引くような上品な馬術を繰る者ではない。傀儡師が速度を重視して引いているのだ。静謐など望むべくもない。
 できるのなら、そう、……もうすぐ四季映姫より地霊殿がもらえる。
 そこの一番奥。誰も来ない静謐、そして、柔らかな灯りの中で可愛い妹、古明地こいしと肩を寄せ合って読みたい。
 もちろん、そのためには我慢しなければならない。あといくつかの頼まれごとを終えて、もう一冊、楽しみな書をもらう。地霊殿に籠るのはそれから。書を楽しむための静謐と灯り、極上の思いに触れるのに相応しい環境は我慢の後に得られる。…………我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、…………無自覚に伸ばしていた手を慌てて引っ込める。
「うぅ、……まさに、生き地獄。
 ああ、読みたい。読みたい。……こいしを膝の上に乗せて撫で撫でしながら読みたい。こいしを撫でたい。読みたい。…………うぐぐ」
「…………なにやってるんだい、さとり」
「はっ、……小町、ですか」
 珍獣を見るような視線でさとりを見ている小野塚小町。
「小町、貴女にはこの私の葛藤がわかるでしょう」
 びしっ、と示した先には「なんだい、あの古臭い本?」
「中尊寺建立の願書です」
「ああ、寺建てた目的ね。
 そんなに面白いものかねえ?」
「このば、きゃっ?」
 無礼者を引っ叩こうと立ち上ったさとりはがくんっ、と大きな揺れに躓いて倒れる。
「ごめん、おもしろかった」
「…………指さして笑わなかっただけましです。
 ふんっ、いいですよ。小町には頼まれたって読ませてあげません」
「いやいい」
「で、なんですか?
 今忙しいんです。さっさとやる事やって地霊殿に引き籠って本を読みたいんです。こいしを撫で撫でしたいんです」
「それなんだが、ちぃと面倒なことがあってねえ」
「拒否します。
 私の読書を妨げる気ですか?」
「映姫様からの直々でね。
 地霊殿」
「ぐっ」
 へそを曲げられたらもらえないかもしれない。さとりの知る四季映姫はそんなことをするような閻魔ではないが、彼女の上には閻魔王がいる。
 閻魔王とは会ったことがないが、地霊殿の譲渡には閻魔王も関わっていると聞く。そちらも含めればもらえなくなるかもしれない。
 最上級の読書環境兼引籠り環境を手放さなければならない。なら、
「………なん、です……か」
「そんな涙を飲まんでも、…………」
「ほ、放っておいてくださいっ!」
「まあいいや、本題いくよ。
 ちぃと、篁の爺様の所に行ってねえ」
「爺様? ……ああ、あの妹を孕ませた挙句自殺した妹をおいかけて地獄まで追い回してそのまま閻魔王の補佐になった人ですか」
「……否定せんけど、それだけ聞くと爺様、救いようがない人だねえ」
「私は死んでも会いたくないです」
「はいはい、会って欲しいなんて誰も思ってないよ。
 さて、用件だが、今思い出すよ」
 小町は思い出し、さとりは読み解き、………………………………………………

 我慢の時間追加確定。さとりは崩れ落ちた。

//.幕間

「いやあっ、美味しいねっ」
 諏訪子の太鼓判に常盤は嬉しそうに微笑んで「ありがとうございます。諏訪子、様」
「あーもうっ、諏訪子でいいってば。
 別にこの土地の神じゃないんだし、なんなら諏訪ちゃん、でもいいよ?」
「はあ、えっと、……じゃあ、諏訪子ちゃん」
「うんっ」
 にこっ、と笑う諏訪子。それはともかく、
「でーだ、その信濃の神様がどうしてこんなところにいるんだ?」
 頼政の問いは同感。どうして遠路はるばるここまで来たのでしょうか?
「なんか三郎がこっちに用あるみたいなこと言ってたんだけどね」諏訪子は傍らに座る巴の頭を撫でて「巴もそろそろ外を見させてやろうと思ってね」
 なるほど、
「そうですね。
 牛若丸も、たまには鞍馬山から出て見聞を広めるのもいいかもしれません」
「えっ?」
 はじかれたように私を見る牛若丸。……そんなに不安でしょうか?
 と、にやー、と笑う文が、
「それはいいですね。
 私と、牛若丸と、椛と、はたてと、常盤と、一緒にいろいろと見て回りましょう」
「あ、う、うんっ」
 なるほど、
「大丈夫ですよ。牛若丸。
 一人で放り出したりはしません。一緒、ですよ」
「う、……うん」
 ころころ変わる牛若丸の表情は、本当に見ていて飽きませんね。
「旅行かあ」
「いやあいいものだよ。いろいろと見て歩くのは、…………それとも、閉鎖的な天狗にはあまり縁がないかな?」
「かもしれませんね」
 僧正坊様は、どこか警戒しているみたいです。どうしたのでしょうか?
「けろけろ、そんなに警戒しなくてもねえ」
「子供とは違うってことだろ」
 苦笑する頼政、諏訪子はそっちに視線を向けて「じゃあ、大人は?」
「歳とるとその辺どうでもよくなってなあ」
「単なる駄目な大人じゃ」
 ぽつり呟く巴には同感です。
「うるせ、黙れ小娘」
「ふふ、でも賑やかでいいわねえ」
 にこにことする常盤。
「なんていうか、いつもお世話になります」
「いやあ、美味しいご飯も食べさせてもらったし。
 うーん、もっと近所なら私もちょくちょく遊びに来たいけどねえ。三郎にでもなにか土産手配させようかな」
「あら、ありがと、諏訪子ちゃん」
「これ美味しいっ。
 常盤っ、これどうやって作るのっ?」
「巴ちゃんはお料理できるようになりたい?」
「う、うん。
 駒王丸に作ってあげるのっ」
「あら、いい子ね」
「巴ー、私にはー?」
「も、もちろん諏訪子様にもっ」
「料理って作れたほうがいいのかな?」
 うーん、と首を傾げるはたて。笑って応じるのは文で「私たちには絶対に必要じゃないけど、美味しいものは美味しいからねえ」
「椛ちゃん。私に手料理作って?」
「はあ、捌いて火であぶったのでよければ」
「それだけっ?」
「生肉じゃないだけましだろ。
 にしても、これじゃあまた何か食い物持ってくるか」
「あ、ありがとうございます。頼政様」
「そうですね。
 結構押しかけてしまいましたし、僧正坊様。少し狩りでもしておきましょうか」
「そうねえ。牛若丸が立派な狩人になるために、訓練も必要ね」
「へ? 牛若丸って狩人になるんだったの?」
 きょとん、と巴。
「ち、違うのっ!
 僕は武士になるのっ! 僧正坊っ、変なこと言わないでっ」
「あらごめんなさい」
「巴も結構強いよね。
 訓練とかしているの?」
「うんっ、諏訪子様にいろいろと教えてもらってるの」
「最近の子供は大変だなあ」
「どうなんだろうね」諏訪子は牛若丸に視線を向けて「巴は、三郎が世話頼んだんだけど、牛若丸も、見た感じそうかな?」
「ええ、私が椛に刀の使い方をね」
「そういえば、僧正坊様。誰に頼まれたのですか?」
「それは「聞くな椛」」
 言い難そうに言葉を濁す僧正坊様と、遮るように声を上げる頼政。
「それはこちら、人の世の。都の話だ。
 本来ならお前たち天狗とは分かたれた世界の話だ。必要以上に首を突っ込むな」
「あ、はい」
「けろけろ、じゃあ、巴もそんな感じかねえ?」
 ぐしゃぐしゃと巴の髪を撫でながら諏訪子。僧正坊様は言い難そうに「おそらくは」
「そういいながら干渉してきたのはそっちなんじゃないの?」
「そういうやつもいるんだよ」
「あ、あの、おじさん」
 つい、と手を引く牛若丸。不安そうに、
「僕と椛って会っちゃ、だめ、だったの?」
「…………えっと、……」
 真摯な視線に頼政は言葉を飲み込む。……沈黙、ただ、不安そうに牛若丸の瞳が揺れる。
 まったく、この子は、
「牛若丸」
 心配そうに声をかけた私に視線を向ける。私は彼の髪に触れて、
「たとえ、誰が駄目と言おうとも、それでも、私は牛若丸と会えてよかったと思っています。
 誰を敵に回したとしても、どんな災いを呼ぶとしても、この思いだけは絶対に変わりません。だから、」
 くしゃ、と少し乱暴に撫でて、
「牛若丸。そんな顔をしないでください。
 もし、私と同じ気持ちなら、胸を張って笑ってください」
「う、んっ」
 よくできました。丁寧に髪を梳いてあげる。心地よさそうに目を細めてくれる。
「…………ったく、……椛、文とはたても、どっちにせよ。いらん厄介事背負いたくなければ人の世に変な興味持つんじゃないぞ」
「人人、けろけろ、人の世にはまだ化け物が跋扈しているのかね。
 椛、可愛い天狗さん。頼政の言うことは肝に銘じておきなよ? 神様よりよほど怖い人なんて、いくらでもいるんだから」
「はい」
 もちろん、牛若丸に告げたことに一欠けらの偽りもありません。けど、
「まあ、椛のことはともかく、厄介事はごめんですからね。
 こっちはこっちでそっと暮らしていましょう」
「さんせー、平穏が一番よ」
 くすくすと笑って文、そしてはたても頷きました。
「諏訪子様、怖い人とかいるの?」
「んー、そうだねえ。
 人はいろいろと考えるからねえ。あの守屋も布都とかいう妹に謀られて滅んじゃったし。
 生き物として弱い割にはやたらと強いんだよねえ。人って」
「こちとら生き物として弱いから生きるのに必死なんだよ」
 そんなものでしょうか? と、
「そういえば、諏訪子ちゃん。巴ちゃん。
 今日は泊まっていくの?」
「んー、どうしようかな?
 巴、お世話になるかい?」
「うんっ、常盤にお料理習いたいっ」
「あら、じゃあ一緒に御夕食を作りましょうか。
 作り方、いろいろと教えてあげるね」
「やったあっ」
 両手を上げて喜ぶ巴。諏訪子はけろけろと笑って「短い間かもしれないけどね。お世話になるよ。……家主は、常盤でいいのかな?」

//.幕間

「ここが、鞍馬山」
 聖白蓮は錫杖を手に見上げる。その先、鞍馬山の威容がある。
 まだ、少し時間はある。とはいえ入るなら早いほうがいい。
 と、
「そこの尼僧。ここから先は立ち入り禁止だ」
 刀を持つ武士が立ちはだかる。
「立ち入り禁止、ですか?」
「そういうことだ。
 まあ、」
 刀を抜き、向けて笑う。好色な瞳を白蓮に向けて、
「どうしても、というのなら、話は別だが、それ相応の支払いはしてもらう」
「そうですね。
 どうしても、行かなければならないのです」
 その好色に染まった瞳を見返して、白蓮は頷く。
 そうか、と男は笑い、そうです、と白蓮は手を振る。ぎんっ、と音。
「行かなければならないのです」
 突き付けられた錫杖。武士は一度首を傾げる。なぜ、と。
 なぜ、目の前に錫杖があるのか、そして、目を向ける。
「へ?」
 そこには、錫杖により切り飛ばされた刀。
「なああっ?」
 悲鳴、錫杖に寄り切り飛ばされた。その信じられない事実に腰を抜かしてへたり込む。そして、
「剣鎧童子」
 呟かれた声とともに向けられたもの。それに、目を見張る。
「あ、……ひっ」
 眼前には刀の群れ。白蓮の細腕は十数の剣を纏い、突き付ける。その向こうで、楚々とした微笑み。
 白蓮は数多の刃を突き付けて優しく微笑む。
「言ったでしょう? 私には、言わなければならないことがあるのです。だから、行かなければならないのです。
 絶対に、なので、通りますね」

//.幕間

「姫海棠はたて」
 ぽつり、と聞きなれない声。
「ん? って、誰?」
「はたて、友達ですか?」
「ううん、知らないけど」
 首を傾げるはたて。そして、彼女の声をかけた少女。
 白い髪の、なんていうか、存在感が希薄な女の子。
「貴女は、誰ですか?」
「古明地こいし」
「天狗?」
「いえ、見たことないです」
 山の外から来たのでしょうか? 対して、こいしは首を横に振りました。
「違うの、……ねえ、はたて」
「ん、私に用?」
「貴女は、だれ?」
「へ?」
「ねえ、教えて、
 貴女の思いの中にいるのはだれ?」
 中? ですか。
 私には不可解な言葉、けど、こいしの表情にからかう色はない。
 ただ純粋に、彼女は問いかける。切実に、でさえある。
 けど、
「ちょ、ちょっと待って、な、なによ、それ」
「はたて?」
 応じるはたてにも戯言を言われた、という感じがしない。
「そんなの、ない、わよっ」
「うそ、あるよ。
 私っ、夢で見たのっ! ねえ、教えてっ」
「ないっ! 私は私っ! 天狗のっ! 姫海棠はたてっ!
 文や椛の、牛若丸の友達なのっ!」
「はたて?」
 いやっ、と否定するはたてに、うそ、と応じるこいし。
 はたてはそれでも否定する。必死に、……どうして、そんなに?
 子供の戯言と笑い飛ばせばいい。なのに、
 うそ、とこいしは問う。

「貴女は、誰?」

「文っ!」
 いるかもわからない相手に呼びかけ、そして、私は前に跳躍する。
 理由は反射的な危機感。きょとん、とするこいしを私は突き飛ばすように押し倒す。そして、
「まったくっ! 烏使いの荒い犬ねっ!」
 いました、か。頭上を薙ぎ払う紫電、間に合った。安堵、そして、友達の声を聴く。
「はたてっ!」
 打撃の音、……………………結構、いい音したけど大丈夫ですか?
 顔を上げる。やっちゃった、という表情の文と、ぐったりとしたはたて。
「文?」
「き、緊急回避よ。
 それより、どうしたの?」
「さあ、私にもよくは」
 わからない。だから、私と文の視線はこいしに、こいしは困ったように、
「ごめん、こんな風になるなんて思わなかったの」
 呟きました。

 どうも、文の高下駄で後頭部を打撃されたらしい。ぐったりするはたてを膝の上に乗せる文。
 興味深そうにその様子を見るこいしは、私の視線に気づいてため息。
「私ね、人の意識に触れられるの」
「そうなのですか?」
「妖怪?」
 文の問いにこいしは頷き「覚り、なの」
「へえ、珍しい」
「そうですね」
 基本、覚りは滅多に人前に姿を見せません。嫌われる自覚があるからでしょうか。…………けど、
 彼女は覚り、その事実を示すようにこいしの胸元にある三つ目の瞳、覚りの瞳、それは、閉ざされています。
「うん」文と私の視線を受けて、こいしは頷き「詳しいこと言うと長くなるけど、閉ざしちゃったの、だから、私は心を読めないの」
 そんなことができるのですか、……ただ、それはまたあとでいいです。長くなる、と、それに、
 こいしの、その表情を見る。触れられたくない。そんな思いを、
「それで、意識に触れられる、ですか?」
「うん、」こいしはそっと閉じた瞳を撫でて「考えていることはわからない、けど、…………なんていうの、かな。意識、とか。そういうのに触れて、干渉できるの」
 それはまた、すごい能力ですね。
「だから、ね。
 彼女の、はたての夢に触れたの。私自身の意識に触れて、私の意識をなくしてふらふらしてたから、どうしてか、はわからない。
 たぶん、無意識に引かれたんだと思うけど」
「無意識に引き寄せるなんて、この子も大した夢を見るわねえ」
 文は困ったように目を閉じるはたてを撫でる。けど、
「彼女の、中?」
「うん、……あのね。夢の中の、はたて、じゃないと思うの」
「はたては登場しない、っていうこと? 自分の夢なのに?」
 文の問いにこいしは頷く。
「わからないの。
 女の人の夢。……人の年齢で、四十歳くらい、かなあ。よくわからないけど。
 けど、綺麗な人の夢。髪も長くて、はたてとは別の人」
「知らない人の夢、ですか?」
 あるいは、……文と視線を合わせる。文はうなづく。
 はたてには数日前の記憶しかない。それ以前の、記憶でしょうか? だから、
「どんな人ですか?」
 もしかしたら、手掛かりがあるかもしれません。問いに、こいしは頷いて、
「何かを、すっごく怒ってた。し、憎んでた。
 すごく、怖い思いを持ってた、の」
「怖い、ですか」
 確かに、憎しみや怒り、それは怖い感情ですよね。……ただ、
「はたてが」
 文は困ったように目を閉じているはたてを撫でる。普段の彼女は、そんな感情はないのですから。
「私も、はたてをみててわからなかったの」
 こいしは困ったようにはたてを見ました。
「意識の奥底には、確かにすっごく、綺麗な憎悪と憤怒があるの。
 けど、いつものはたてはそんなこと全然なくて、……けど、…………知りたくて、だから、……」
 こうなった、とは言いませんでした。
「綺麗な憎悪と憤怒って、また不思議な言葉ねえ」
「そうですね」
 あまり、綺麗という感情ではないと思います。だからこいしも頷いて、
「意識に触れると、その意識の形が浮かぶの。
 綺麗っていうのも私が思ったこと。なんでそう思ったのかまでは、わからないけど」
 ぽつぽつ、と呟くこいしは黙り、沈黙。……………………そして、ため息。
「またはたての謎が増えたわねえ。
 まったく、変な友達持ったわ」
 苦笑してはたてを撫でる文。くすぐったいのかはたては身をよじる。目覚めも、近いでしょうか?
「それにしても、天狗ってすごいわね。
 まさか、雷が出るとは思わなかったわ」
「ほんと、初めて見たわ。重ね重ね変な天狗ね」
 変な天狗、はたては身をよじって薄く目を開けました。こいしが謝るため口を開くのを横目に、思うのは一つの名前。
 相模坊様、貴女はなぜ彼女を預けたのですか? と、

//.幕間

 打撃の音が響く。
「来たのね。為朝」「来たとも、相模坊」
 言葉を交わすのは二人、源為朝と、相模坊。
 相模坊の手には御剣、刃はまっすぐに突き入れられる。
 為朝の手には頑強な刀、……否、それを見た者は馬鹿げた鉈だ、というかもしれない。
 突き入れられる御剣を二本の刀で受け止める。視線が交わされる。その色は戦意。
 その戦意を遮るように差し出される扇子。そして、楽しそうな声。
「相変らず、仲悪いわねー」
「…………気にするな」「やるべきことはやるわよ」
 二人はそっぽを向く。同志という意識はある。同類という自覚もある。
 ただ、……妬ましいのだ。大切な人の大切な時に自分がいなかったという現実と、その時に相手がいた、という事実が。
 そして、そのことを知る富士見の娘は扇子を引っ込める。大切なことがわかっていれば、それでいい。
「さて、と。
 富士見の娘、こっちの地元は静かよ。あいつの影響も、全部払ったわ。
 だから、さっさと行きなさい」
「…………よくできたわね」
「面倒なだけよ。
 鞍馬山のほうはもう終わったのでしょ?」
「ええ、そっちは大丈夫よ。
 じゃあ、私は行くわね。為朝くん、相模坊ちゃん、仲良く、ね?」
 念を押すように言って富士見の娘は歩き出す。そして、付き人は無言で従う。金色の蝶はひらひらと舞う。
 為朝は嫌そうな表情で相模坊を見る、が。そこには誰もいない。ひらり、と一枚の紙。
「先に行く、か。
 まあ、それでいいか」
 そして、為朝は鞍馬山に向かって歩き出した。

//.幕間



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