「早いですね。はたて」 「ん、……あ、おはよ。椛」 ぱしゃぱしゃと顔を洗うはたて。「おはよ」と私は返すと大欠伸。 「ああ、ねむ」 「もう少し寝ていても大丈夫ですよ。 文はもうしばらく寝ていますから」 「んー」軽く、眠気を振り払うように頭を振り「あんまり、夜って好きじゃないのよねえ。っていうか、寝るの」 「そうなのですか?」 珍しい。……天狗だから眠気に強い、などということはなく普通に寝る時は寝ます。 「あっ、椛っ、はたてっ、おはよー」 「おは、朝から元気ねー」 眠そうにはたてが応じる。牛若丸は首をかしげて「眠いならもっと寝てればいいのに」 「夢見が悪くてね」 困ったようにつぶやくはたて。夢見? 「天狗も夢を見るんだ?」牛若丸はけらけらと笑って「夢が怖いって、はたても子供だねっ」 「うるさいなー 牛若丸より子供じゃないわよっ」 「僕だってもう子供じゃないよっ」 むー、と睨みあう二人。と、 「あらあら、朝早くから元気ねー」 おっとりと常盤が顔を出す。…………いいですけど、浴衣、ちゃんと着てください。牛若丸が気まずそうですよ。 「おはよ、常盤」「おはようございます。常盤」「母上、おはよ」 「はい、おはようございます。 文ちゃんは、まだお休み?」 「文はぐーすか寝るわ」 ひらひらと応じるはたて、…………まあ、熟睡していましたけどね。 「ふふ、寝る子は育つっていうし、ゆっくり寝かせてあげましょう」 「頼政が来られるのは?」 「確か、……正午位、と思うわ」 「頼政?」 はたては初めてですね。さて、なんといったものか、と思っていると牛若丸が手を上げて、 「源頼政のおじさんっ! すっごく偉くて格好いい人なんだよっ」 「そうなの?」 「もう初老ですけどね」 牛若丸の言う格好いい、というのはあくまでも武勇のことでしょう。 「ふーん、……椛は、どうするの?」 「会っておきます。 頼政は牛若丸のことを気にかけていますから」 会うたびに、頼政は牛若丸についていろいろと聞いてくる。刀の上達具合や、修練の方法について、 おじさん、と牛若丸が呼び常盤とも親しい。あるいは、血縁か、縁者なのかもしれない、……ただ、 「さて、と。 文ちゃんの分は取っておいて、先に朝ご飯食べましょう。牛若丸ちゃん、手伝ってね。 椛ちゃんとはたてちゃんは卓の用意をお願い」 「はーい」「ん、わかったわ」 っと、いけない。 「わかりました。常盤」 //.幕間 「朝も早くにご苦労様だねえ」 けろけろ、と声。洩矢諏訪子は岩に腰かけてけろけろと笑う。 「それ相応の要件と、判断されていますゆえ」 応じるのは三郎。八大天狗の一角は丁寧に応じる。相手は神。天狗である三郎よりもさらに上位に位置する。 それと、 「神奈子様は?」 「あんたが押し付けてきた駒王丸の世話さ。 あんにゃろ、最初は渋ってたくせに今じゃあ楽しそうに鍛えてる。そんなに武士が好きなのかねえ」 けろけろ、と諏訪子は笑う。それにしても、 「武士、……もの、か。 長髄彦や守屋、阿弖流為、道鏡が知ったらどんな顔をするか」 「諏訪子様?」 「ん、ああ、別に気にしないでいいよ。関係のない話だからね」 と、 「諏訪子様ー」 声、聞こえてきた方向に諏訪子は視線を向ける。「巴」 ぱたぱた、と駆け寄る少女。駒王丸を預けられた神奈子と、応じるのように諏訪子が預かった少女。 巴、彼女は鉈を抱えて駆け寄る。と、 「あ、三郎様」 「元気そうで何よりだ。巴」 「そりゃあねえ。 私が手塩にかけて育ててるんだ」諏訪子は手招きする、巴は駆け寄り撫でられて目を細める「元気でいてもらわないと、ね。巴?」 「はいっ」 「それで、何の用?」 「はい、戸隠れの鬼に頼み事があります。 諏訪子様に、ぜひ仲介を」 「ふぅん、…………」 す、と諏訪子の視線が細くなる。値踏みするような、探るような視線。居心地の悪さを三郎は耐えてまっすぐに諏訪子を見返す。 「……ああ、また、あいつか、…………まあ、いいよ」 ぴょん、と諏訪子は腰かけた岩から飛び降りる。 「ちょうどいい。巴にもぼちぼち外を見せてやらないといけないからね。紅葉には話をつけたげるよ。 巴、紅葉と一緒に三郎の頼み事を聞いてやりなさいな」 「はいっ、諏訪子様っ」「ありがとうございます」 「なぁに、いいってことだよ。 売れる恩は売っておかないとね。あんたらにも、あいつにも、ね。……………………いや、三郎、場所は?」 「鞍馬山です」 応じられた言葉に、諏訪子はけろけろけろっ、と大笑する。唐突な笑い声に巴と三郎はきょとんとして、 「気が変わった。三郎、神奈子のやつに私はしばらく席を外すって言ってきて、 巴、行くよ。まずは伊吹山から、だ」 「諏訪子様とお出かけ?」「諏訪子様?」 「神奈子があいつの思惑に気づくとは思えないけど、神奈子には適当にはぐらかせておいてね」 「承知しました。諏訪子様」 三郎の言葉を聞いて、諏訪子は立ち上がる。その手には薙鎌。一閃、神器は一切の曇りなく振るわれる。 「あいつのことだ。どうせほかにも声を飛ばしてるだろうからね。 さて、この世はこれからどうなるか、面白いことになりそうだ」 //.幕間 「うおーす」 「あっ、おじさんっ」 声、庵が開く音と牛若丸が駆け寄る音。そして、 「おう、椛、文、久しぶりだな」 「ご無沙汰しております」「こんにちわ、頼政」 「おう」 初老ながら衰えを感じさせないその存在感。……けど、実は私はこの人のことをよく知らない。 牛若丸はすごい人、の一点張り、常盤は家長のようなもの、とよくわからない返事をしました。 後見人、と私と文の結論。そして、 「ん? なんだ、天狗か?」 文の後ろに隠れているはたて。彼女に向けて頼政は首をかしげる。 「うんっ、はたて、っていうのっ 文と椛の友達だよっ」 「あや? 牛若丸は友達じゃないんですか?」 にやー、と笑う文。からかう意図しかない言葉に牛若丸は律儀にうろたえて、 「ち、違うっ、僕だって友達だよっ、ねっ、はたてっ」 「え? あ、うんっ、もちろんよっ」 「そんなに必死にならなくていいっての。文。性格悪いぞ。 そんな文と椛とはたては罰として外の食い物取ってきてくれ」 「いいですけど、なんで私まで罰なんですか?」「私も罰?」 「連帯責任だ」 「そういう頼政さんも手伝ってくださいよー」 唇を尖らせる文に頼政はひらひらと手を振って「俺はもう年寄りなんだよ。おっさんを労われ小娘」 …………まあ、こんな人です。 常盤と話がある、とだけ言って庵の奥へ行った頼政。私と文、はたてと牛若丸で頼政の持ってきたものを並べる。 食料、ほかにも本や薪、鉈などの山での生活に必要なものまでそろっている。 こういうのを見ると、改めて牛若丸を天狗である私が預かる理由がわからないです。人とともにでも、何不自由なく生活できるはずなのに、 「うわあ、また難しそうな本だあ」 牛若丸は頼政の持ってきた荷物から本を拾ってため息。 「だめですよ。牛若丸。 きちんと勉強しなくては」 「わかってるよ。…………はあ、椛と訓練したいのに」 ぶつぶつと文句を言いながら本を抱えて奥へ。 「好かれてるわねー」 にやー、と笑うはたて。私は頷いて「牛若丸が、もっと小さな時から刀を教えています。師として慕われているのは本望です」 「………………ああ、うん、そうね。けど、さ」 不意にはたてが声を落とす。 「なんかさ、……私の気のせいかもしれないけど、頼政。変な顔してなかった? 牛若丸見るとき、だけど」 「はたてもそう思う?」 文の言葉には私も頷く。なんていうか、違和感がある。 警戒と、期待。それが混じった視線。向けられる牛若丸にはわからなくても、人に比べて感覚の鋭い天狗である私たちなら、なんとなくわかる。 それが何を意味するかは分かりませんけど、 「うん、……なんていうかさ、育ってほしいけど育ってほしくない、っていうのかな? 矛盾してるような、感じ」 同感です。と文と私は頷いた。 //.幕間 熊野の山。その最奥。 死の国、その名にふさわしい熊野の、もっとも深い場所。 普通の参詣者は決して近寄れない。もし無理に入れば、餓死か、衰弱死か、獣に食われて死ぬか、足を踏み外して死ぬか、…………死の国、その意味が厳然と実現される。 山に慣れた山伏なら話は別かもしれない。それでも、相応の人数で、万全の装備を持って臨まなければならない。油断すれば、死ぬ。その事実は変えられない。 ゆえに、 「相変わらず、無茶苦茶するわね」 八大天狗、相模坊は呆れと驚嘆を始めた視線を向ける。その先、 「このくらいのことは、大した事はありません」 否、大した事がないではない。一般的にはこう思う、ありえない。と、 彼女が着ているものは山歩きでぼろぼろになった白装束のみ。あたりを見ても水や食料を入れる容器も、山歩きで足を保護する草履も杖もない。 けど、大したことがない。その言葉を裏付けるように彼女の声にも表情にも憔悴の色はない。白装束から覗く繊細な肌には傷一つない。その、裸足にさえも、 「そう、……流石というべきかしら。 けど、そろそろ山を下りてもらうわ。準備が整い始めたから」 だから、 「手伝ってもらうわよ。聖白蓮」 「わかりました」 す、と立ち上がる。その動きに一切の疲弊はない。その姿を見て相模坊はため息。さすが、と思い。 「先に行くわ。 準備は、いくらしても足りないのだし」 「そうでしょうね。 では、私もできるだけ急いで下山します」 聖白蓮の言葉に相模坊は頷き、その翼を翻す。いくら八大天狗とはいえ、死の国の最奥を歩いて行こうとは思わない。そうする時間もない。 飛び立った相模坊を見送って、白蓮は、ここに持ち込んだたった一つの持ち物、小さなお守りを握りしめて、 「参りましょう。 浅ましきこの望みをかなえるために、…………たとえ、仏敵と、呼ばれようとも」 悲壮な、壮絶な、凄絶な、決意をこめて呟いた。 //.幕間 「あーっ、うめ。 常盤の作る飯は美味いなあ」 「相変わらず、頼政様は健啖家ですね」 「ん、まあな。 飯は食えるときに食っておかねぇとな」 「単純に意地汚いだけじゃ、いたっ?」 ぼやくはたては額を打撃されて俯く。打撃したのは頼政の箸。視線は一切はたてにむけられていない。 「まったく、最近の小娘は口のきき方をしらねぇな」 「相変わらず、正確ですねえ」 「おじさんは強いんだよねっ」 「おう、強いぞー」 ぐりぐりと牛若丸を撫でる頼政。確か、 「妖怪を退治した、っていう話もありましたよね?」 「ぬえとかいう変な小娘だったなあ」 「う、私たちも退治されるの?」 最初に話を聞いたときに私と文がした警戒をはたてもする。頼政はひらひらと手を振って、 「別にしないよ。 俺は、都を騒がせるような妖怪を退治する、………………ように命じる」 「自分でやりなよ」 最後は余計です。はたての言葉に「俺ももう歳でなー」という駄目な人。牛若丸はこうならないようにしないといけません。 「その時は僕がやるっ」 むん、と気合を入れる牛若丸。 「じゃあ、相手が椛ならどうする?」 「へ?」 意気込む牛若丸は頼政の言葉に素っ頓狂な声を上げる。どうするか、それは、 「え、……あ、そ、…………椛は、そんなこと、しない、よね」 縋るような視線。祈るような、不安に揺れる言葉。 「頼政様」 「ん、すまんな」 常盤の咎める声に頼政は困ったように牛若丸を撫でる。 「すまん、変なこと聞いたな」 「う、ん」 否、と私は思う。あるいは、そうなるかもしれないから。 いつかそのことも教えないといけません。……できれば、もっと先ならいいですが。 「で、椛。どうだ? 小僧は?」 興味深そうに問いかける頼政。これもいつもの問い。子供の成長は気になりますよね。 そして、問いにいつも心配そうに私を見る牛若丸。評価は気になるらしい。 私は特にうそを言うつもりはなく、 「順調に上達しています。 刀の扱いもずいぶん上達しましたし、山を駆けるのも、私の知る人の中では誰よりも巧いです。 最近は弓矢の扱いも慣れてきて、獲物を捌く方法は教えていないので狩猟はできませんが、野生の鹿や鳥を仕留めることもできるようになってきました」 「ほう、」にやー、と頼政は笑って隣に座る牛若丸を乱暴に撫で「すごいじゃないか、小僧。褒められたぞ」 「えへへ」 嬉しそうに笑う牛若丸。そんな笑顔が見れて私も嬉しいです。 だから、自信を込めて続ける。 「牛若丸は立派な狩人になれます」 「うんっ、僕っ、立派な狩人にな、………………あれ?」 言いかけて、沈黙。………………………………「あやや、よかったですねえ。牛若丸。椛が立派な狩人になれるって保障してくれましたよ」 「あらあら、そうなれば家計も楽になるわね」 おっとりと頬に手を当てて微笑む常盤。そして、はたては心底意外そうに、 「牛若丸って、狩人になりたかったんだ」 「って、ちーがーうーっ! 違うのっ! 僕は立派な武士になるのっ! 椛っ! 僕は武士になるんだからねっ! 狩人じゃないんだからねっ!」 あ、そういえばそうでした。 「いいっ、椛っ、武士っていうのはねっ! ――――――」 それから、懸命に武士の素晴らしさとか格好良さとかを語る牛若丸。微笑ましそうにそんな彼を見つめる常盤と、はたてによって順調になくなっていく牛若丸の食事。 武士へのこだわりを知っている私は「はいはい」と笑顔で聞き流す。賑やかな食事風景。 「立派な、か」 ぽつりとつぶやかれた言葉に、どこか不安そうな色が混じっていた。 //.幕間 「相変わらず多忙そうですね」 食事を終えて、一通りの話をしてさっさと帰路につく源頼政はかけられた声に振り返る。同時に肩をすくめて、 「俺は小僧やお前たち小娘とは違うんだよ。 大人ってのは忙しいんだ。覚えておけ子供」 「あやや、いえいえ、天狗の大人は大体忙しそうなので、大体わかっていますよ」 「……お前も椛くらいに素直になればなあ」 「ああはなれませんよ」それに、と射命丸文は苦笑する。珍しい、困ったような苦笑で「私は椛のようにはなれませんよ。私は、優しくありません」 「あいつは優しさが行き過ぎて小僧が面白いがまあいいや。 で、なんだ?」 「牛若丸について、どう思ってます?」 溜息を一つ。 「まっとうに答えたら面倒なことになるるから、教えてやらね。 ただ、……気をつけな」 「あや?」 まっすぐに頼政は文を見据える。ひたり、と。 「あいつの後ろには化け物がいる。 妖怪じゃねぇ。妖怪よりも、化け物が、だから、気をつけな」 「その化け物に殺されないように、ですか?」 問いに、いや、と。 「殺しやしねぇよ。あいつはそんなことを望まない。武力も暴力も振るわない。 あいつに危険はねぇよ。けど、気を付けな」 「何に気を付けたらいいかくらい教えてくださいよ」 目をつけられないように、だ。とは答えず背を向けて歩き出す、答えないことに対する憤りの声と、牛若丸の、楽しそうな笑い声を背にして、人の世に向かって歩き出した。 //.幕間 牛若丸はきり、と弓を構える。 見据える先には一頭の鹿がいる。――――狙うのは、 「んっ」 声とともに矢を放つ。甲高い音を残してまっすぐに、――――突き刺さる。音がする。 どっ、と鈍い音。鹿は悲鳴を上げて逃げようとする、が。 がくん、と体を崩す。矢が射た場所は腿。走り駆け回ることになれた鹿もその足に近い場所を射られれば姿勢を崩し、倒れた。 「ふ、う、「牛若丸っ」あ、はいっ」 一息ついた牛若丸。けど、私はそれを許さない、叱責に反射的に声を上げて刀を抜く。 そして、走る。岩を跳躍し、木を足場にして一気に山を駆け抜ける。そして、 「や、ああっ!」 一刀、一閃を持って鹿の首を落とす。……さて、これはあとで狩猟の成果としてどこかに持っていきましょう。 手伝ってくれそうな天狗の顔をいくつか頭に思い浮かべながら、しゅんとした牛若丸の前に、 「牛若丸。 貴方が志すのは、芸能の弓道なのですか?」 「う、……ち、違います」 「では、射た後に一息つく暇がどこにあるのですか? 文なら、その一息の間に、あの距離から牛若丸の首を落とすことは簡単です。その文も、天狗の中では若年であり、まだ決して上位にいるわけではありません。 ただの一射のみで気を抜く暇などないのです」 「…………はい」 武士なら、戦うのは人でしょうけどそれが理由で油断していいわけがない。 「さて、それで、足を狙った理由はわかりますか?」 「逃がさないようにする、ため?」 「半分は正解です。 もう一つの理由は反撃を避けるため、特に、集団を相手にする場合は指揮官に次いで、移動を執り行う者を狙うのが上策です」 「えっと、逃がさないようにするため、と。反撃、をさせなくするため?」 「もちろん、足がなくても手があれば刀は振るえるでしょう。 とはいえ移動が行えなければ取れる手段は限られます」 「う、うん、わかった。 えっと、移動の手段をできるだけ潰すようにする、だね」 生真面目に頷く牛若丸。彼の成長の速さはこの真面目さと呑み込みの速さにある。教える甲斐があります。 「もちろん、」私は手を伸ばす、牛若丸の額に指を当てて「可能ならば急所を狙うべきです。それで仕留められるのなら、ただ、障害物があるなどで狙えない場合、まずは移動手段を奪い、確実に相手を仕留められるようにすることが肝要です」 「はいっ」 「じゃあ、今日はもうしばらく弓の使い方を学びましょう。 牛若丸、」私は愛用の車太刀を向けて「私が、刀を振り上げたらすぐに矢を射て、」ぐるり、と回す。そこにある「木に矢を射なさい。木に当たれば場所は問いません。けど、すぐに、射るようにしなさい」 「はいっ」 頷くのを確認して私は車太刀を握る。牛若丸はじっとして、………………………………車太刀を振り上げた。 「っ!」 右手で弓を握り前に、そして、同時に左手で矢をつかんで前に、そして、番えるとほぼ同時に、射る。…………「あー」 射た。矢はけど力が足らず木まで届かない。 「…………あ、」 失敗、とその成果を見て呆然と牛若丸が声を上げる。 「牛若丸」 「う、……ご、ごめん、なさい」 ぐ、と歯をかみしめて俯く。それは、とても「悔しいですか?」 悔しそうに、呟く。牛若丸はきっ、と私を見据えて、 「当たり前、だよっ! 失敗して、次の矢を番えるまでに、文とか、なら、そんな時間はないんだよねっ! それじゃあ、僕、負けちゃうよ」 「そうですね」 頷く、肯定する。否定する材料など何もない。……だから、 「そのために、今、訓練をするのです。 牛若丸、」 私は俯く牛若丸と視線を合わせる、悔しいからか、薄く涙さえ浮かべる彼に笑顔を、大丈夫です。と安心してくれればいいのですけど。 「今は、たくさん失敗していいのです。 たくさん失敗して、少しずつ、少しずつできるようになって、本番は、もし、必要となったときは確実に成功できるように、 そのために、今は何度でも失敗していいのです。……だから、」 そっと手を伸ばす。牛若丸を撫でて、 「顔を上げて、また、がんばりましょう?」 「う、……ん」 顔を上げた。だから、私は立ち上がり牛若丸の肩をたたく。元気づけるように、 「あ、あの、……椛」 「どうしましたか?」 「へ、下手なところ見ても、笑わな、い?」 男の子ですね。しんみりと思う。だから、 「じゃあ、約束しましょう」 「え? なぁに?」 「どんな下手なところを見ても、格好悪いところを見ても、私は絶対に笑いません。 けど、最後には、十分に訓練ができたら、私に格好いいところを見せてください。牛若丸」 指きりです。と私は小指を差し出す。 「う、……うん、僕、がんばる」 牛若丸は顔を赤くして、そっと、私の小指に指を絡めました。 //.幕間 「伊豆行きはー、……ここ、ね」 富士見の娘は覚書に視線を落としながら呟く。向かう先は伊豆大島。 遠いわねえ、としんみりと思い、けど、思いを改める。必要なことなのだから、……そう、絶対に、必要な、―― 「一応言っておきます。 あなたたちのやろうとしていること、それは決していいことじゃないわ」 不意に聞こえてきた声に、富士見の娘は視線を向け「いいわよ」 楼観剣を抜こうとした付き人を手で制する。その先、 「どちら様、かしら?」 「はじめまして、古明地さとり、といいます。 以後お見知りおきを」 ぺこり、会釈をする古明地さとりに富士見の娘は微笑み会釈を返す。 「そして、そのさとりちゃんが、どうしたのかしら?」 「警告よ。 あなたたちがなそうとしていること、それは間違いなく、災厄となるわ。 もし、善意でやろうとしているのならやめておきなさい」 三つの瞳でまっすぐに見据え、淡々と、感情を交えずに言葉を紡ぐ。 虚飾のない言葉、まっすぐ向けられた警句に富士見の娘はくすくすと笑って、 「警告をありがとう、かしら? けど、ごめんなさい。善意でやるわけではないの。私も、……ううん、私たちは、自分たちの我が侭でやるのよ。 それを、悪意というならそれでいいわ。だから、――――やめるつもりも、ないの」 富士見の娘の言葉に、再度、付き人は刀を構える。富士見の娘も今度は止めない。実力で止めるなら相手になる。その意志を見てさとりは苦笑。 「それならそれでいいわ」 そういって、争う意思はない。そう言いたげに一歩退く。そのあっさりとした態度に富士見の娘は肩を落とす。苦笑。 「私に戦う力なんてないもの。 ただ、そうね、」 くすっ、と笑う。ひらひらと舞う金色の蝶に視線を向けながら、 「ただの、善意の忠告よ」 //.幕間 |
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