狂死した。……今でも、目に焼き付いている。記憶に刻み込まれている。

 大好きな父だった。どんな問題でもあっという間に解決し、詩歌や歴史にも詳しい、頭のいい父。ずっと、尊敬していた。
 褒められたことよりも怒られたことの方が多いけど、頑張ればいつも褒めてくれた。怒られて俯いた時も、元気づけるように撫でてくれた。
 珍しい都の話を聞くのは楽しかった。膝に座って、何度もお話をお願いした。そのたびに、いろいろな話を聞かせてくれた。触れ合う感触が嬉しくて、語られる物語が楽しくて、一晩中聞いていても飽きることはなかった。
 尊敬する、大好きな父。いつか、もっと勉強して父を助けたい。そう胸を張ったことを思い出す。…………その時の、父の困ったような微笑も、

 穏やかな、静かな日常に、ある日、宴席が設けられた。都から文箱が送られてきた。父の親族からのものらしい。
 不仲だった親族から和解のために送られてきためでたい文箱。嬉しそうにそういっていた。父も、見たこともないほど上機嫌だった。
 父が上機嫌で、周りの皆もめでたいと騒いでいて、お祭りみたいで、すっごく楽しかった。
 自分には、その文箱の意味は解らないけど、そんな事はどうでもよかった。父の嬉しそうな表情があれば、それだけでよかった。
 そして、お祭りが一段落、父は周りのみんなが見守る中、その箱を開けた。

 …………怖かった。

 中にはぼろぼろになった巻物が入っていた。それを見て、父は自分の手を振り払って、その文箱を手に取って、走り出した。
 その表情が怖くて、大好きだったのに、……怖くて、凄く、怖くて、……幼心に刻み込まれた尊敬する父の狂死。それは、決して忘れることなく今の私を形作っている。

 家を出る前、修験者として、山に籠る前に父に関することをすべて聞き出した。
 狂死の理由も、いつかの乱の敗北も、……だから、私は、――――――

//.終宴

 かんっ、かんっ、と鞍馬山に音が響く。
 木刀を打ち合わせる音は静かな山に響いてかすかな反響を残して消える。そして、消える前にさらに響く。
 私はこの音が好き。その音を奏でる一つは私が手に持つ木刀。そして、もう一つは、
「やぁああっ!」
 山肌を走る。もう一本の木刀の担い手。人であり、まだ幼いながら面白いくらいに上達する少年。人から見れば悪い足場も姿勢を崩すことなくまっすぐに迫る。
 速い、太刀筋もいい。…………けどね。「甘いですっ!」
 私は後ろに軽く一歩跳ぶ。けど、その程度じゃあ拍子は崩せない。彼はまっすぐにこっちを見据えてさらに一歩。
 そして、一気に突撃する私に目を見開いた。近い、木刀は振るえない、けど、
「あだっ」
 振るうつもりはない、戸惑う彼の胸に木刀の柄をぶつけて倒す。
「あーもー、また負けたーっ!」
 倒れて、倒れたまま彼は悔しそうに叫ぶ。苦笑。
「仕方ないですよ。
 それに、」
 むくれる彼に私は手を伸ばして、
「ずいぶんと上達しました。この意気です。
 牛若丸」
 彼、牛若丸は素直に私の手を取る。そして、立ち上る。褒められたからかな? 照れた表情で、けど、
「けど、勝てなかった。
 えっと、……武家の男子たる者、女子に負けるようじゃだめなのっ」
 女子、その言葉に私は苦笑する。それは同じ、人に対して使うべき言葉では、と。
 私は人ではない、白狼天狗。
「だからっ、椛にだって負けないのっ、……って、笑わないでよっ」
「ふふ、ああ、ごめんなさい。牛若丸」

 最初は戸惑いだった。八大天狗、僧正坊様から少年、牛若丸を預かって刀の使い方を教えてあげてほしい、と頼まれた時に感じたものは、
 どうして、とは思ったけど八大天狗の一角から直々の頼み、断れるわけがない。そして、刀の使い方もろくに知らない彼に一から教えて、……そろそろ三年程度。
 驚くような速度で上達していった。私にはまだまだ及ばないけど、それでも五回に一回は白狼天狗である私に木刀を当てるくらいにはなってきた。
 天才、というのかもしれない。……まあ、人間の練度なんて知らないですけど、
「午後こそ絶対に僕が勝つんだからっ」
「はいはい、がんばってくださいね」
「うー、……絶対「ああ、そうだ」」
 牛若丸との訓練は楽しい、午後もやってもいいけど、
「ごめんなさい。午後はちょっと用事があるのです」
「あ、……そう、なの」
 途端にしゅんとなる牛若丸。私はその頭を撫でながら「たまには休憩も必要です。午後はお休みしてください」
「…………はぁい。
 けど、明日も一緒に訓練だよっ、絶対に僕はもっと強くなるんだからっ」
「はいはい、がんばりましょうね」
「子ども扱いしないでよーっ」
 十分子供ですよ。

「お帰りなさい。牛若丸ちゃん、椛ちゃん」
「ただいまっ」「お邪魔します」
 鞍馬山の小さな庵。戸を叩くと出てきた女性と挨拶を交わす。
 彼女、常盤は首をかしげて「文ちゃんは、今日は一緒じゃないの?」
「はい、文は別件です。
 常盤、私も午後は文と一緒に行きます」
「そう? じゃあ、牛若丸ちゃんはお勉強ね。
 椛ちゃんもお昼は一緒に食べましょう?」
「えー、山で遊びたいっ」
「牛若丸。我が侭を言って常盤を困らせてはいけません」
 ぽんぽん、と頭を軽くたたきながら言う。「はぁい」
「ふふ、ありがと、椛ちゃん」
「どういたしまして、常盤。
 それと、お昼はよろしくお願いします」
「ふふ、じゃあ、今日は三人でね。
 牛若丸ちゃん、椛ちゃん、手を洗っておいてね」

//.幕間

 ひらひらと、金色の蝶が舞う。

「こんにちわ、清盛くん」
「ん、……ああ、娘君、…………と、妖怪、か?」
 平清盛は首をかしげる。目の前には『歌聖』西行法師の娘。顔見知りの女性。富士見の娘。
 そして、その傍らに線の細い小柄な影。富士見の娘より一回り小柄で華奢な体型。その顔は面で隠されている。見た限りでは少年か少女かもわからない。ただ、人でないことはわかる。
 ふわり、とその周囲に魂のようなものが舞う。富士見の娘は扇子で口元を覆ってくすくす笑う。
「ええ、父様が高野山で捨てた子なの。…………を、拾って、今は私の付き人よ」
「そうか、」
 付き人、と気楽に言うが彼の腰には二本の刀がある。護衛、とその意味を思う。
「それで、どうしたのかな? 娘君。わざわざこんなところに」
「ええ、清盛くんに折り入って頼みたいことがあるの。
 あ、あの御方には内緒、ね?」
「……それはなかなか難しいなあ。
 まあ、善処するよ。それで、何の用かな?」
 ええ、と富士見の娘はくすくすと微笑んで、
「これから、しばらくの間、民が鞍馬山への立ち入るのを禁止して、ね?」

//.幕間

「文っ」
「椛、遅いわよ」
「ん、ごめんなさい」
 とんっ、と岩肌に着地。文は腰に手を当てて軽く睨む。
「それで、どうしたのですか?」
「大天狗様から呼び出し」
「また? 続きますね」
「貴女の時ほど突飛じゃない、……と、思う。
 ともかく行くわ。呼び出し元は相模坊様よ」
 相模坊、八大天狗の一角。
「まあ、私の時は驚きましたからね」
「捨て子ならともかく、人を山に招くなんてね。……あれ、結構反対も多かったらしいんだけど、あと、三郎様も肯定したんだっけ?」
「はい、最後は太郎坊様も肯定して、ですね。
 なんで私が預かる事になったかはわかりませんが」
「刀の腕じゃない?
 刀の扱いなら椛、結構できるでしょ?」
 確かに、比較的時間のある私や文のような年若い天狗のうちなら、刀の扱いは一番の自負がある。…………もちろん、天狗としての強さなら、文をはじめ私より上はいくらでもいるけど、
「どっちにせよ不思議ですね。
 刀を学ぶなら人から学べばいいのに」
 そもそも山を根城にする天狗が刀を使うことは少ない。最大の理由は邪魔だから。第二の理由は刀では天狗を含めて妖怪を斬り殺すことは難しい、ほとんど打撃の武器としてしか機能しないから。……つまり、有用性が低いのです。
「そうね。……と、あそこね」
 見つけた。私と文はまっすぐに降りる。
「来たわね」
 振り返る。凛とした。……正直、少し怖いくらいに鋭い視線の天狗。
 八大天狗。相模坊様。
 私と文は彼女の前に降りる。……相模坊様と、もう一人、天狗の、少女?
 見た目、同じ年くらいの天狗がいる。相模坊様は彼女を示して、
「文、……それと、椛もね。二人に頼みがあるわ。
 彼女の面倒を見てやってくれない?」
「「はい?」」
 ……また、予想外ですね。
 おどおどと、不安そうに私と文を見る彼女。
「相模坊様、彼女は?」
「姫海棠はたて、っていう天狗よ」
「あ、……あ、あの、は、はじめましてっ」
 ぺこり、っと頭を下げる。見た目、烏天狗ですね。
「それは構いませんけど、……えっと、彼女は?」
「ここで、天狗としてやっていけるようにしばらく預かって」
「……はあ、わかりました」
 また意外ですね。……もちろん、断る理由はない。八大天狗直々の命令なら、理由がない限り断ることは出来ません。
 ただ、
「相模坊様、私は僧正坊様からも指示を受けていますが。ともに、ということでよろしいでしょうか?」
「…………………………そ、貴女が。牛若丸、だっけ?」
「はい」
 知っていたのですか? まあ、別に不思議でもないですけど。
「いいわ、それで、
 じゃあ、頼んだわよ」
 言い捨てて相模坊様は空へ。取り残される私と文、それと、
「よろしくお願いします」
「……はあ、よろしく」「よろしくお願いします」

 思ったより早く終わった。だから、私と文ははたてと一緒に常盤の庵へ。
「ねえ、これからどこに行くの?」
 はたての問いに文は苦笑。
「椛だけど、さっき話に出た僧正坊様から人の子の世話を任されているのよ。
 向かっているのはその家、寝心地いいのよね。ご飯出るし」
「文、それが理由でいかないでください」
「常盤、行くと喜んでくれるのよねえ」
 確かに、牛若丸の世話を頼まれた私と、私の友人である文はちょくちょく顔を出す。そして、そのたびに歓迎してくれている。
 山には珍しい話も聞けて実はよく入り浸っていますけど、……
「そうなの? 人間もよくいるの?」
「ううん、椛のところが例外。
 っていうかいまだによく目的わからないんだけどね。椛、僧正坊様に聞いてみた?」
「太郎坊様も三郎様も含めて教えてはくれなかったです」
 ただ、その時の表情は今でもよく覚えている。……形容できない。なんともいえない、嫌そうな表情を、
 従いたくないけど仕方なく従う。……そんな印象だけど、八大天狗、太郎坊様や三郎様に強要できる者など、いるのでしょうか?
「ふぅん? 何かの例外なのね。……と、あれ?」
「はい」
 眼下、常盤がきょとんとしていました。
「あら、椛ちゃん、文ちゃんもいらっしゃい」
「こんにちわっ」「すいません、思ったより早くなって」
「ううん、いいの。
 文ちゃん、ご飯食べる? お昼残っているのよ」
「それはもういただきますっ」
「文っ」
 意地汚い、と咎める私に常盤は微笑んで「いいのよ椛ちゃん。……それと、こっちの子は天狗のお友達?」
 なの、でしょうか? 文の陰に隠れるはたて。
 その警戒の表情に常盤は優しく微笑みかける。
「はじめまして、文ちゃんと椛ちゃんの友達の、常盤よ。
 あなたのお名前は?」
「は、はたて、……です」
「はたてちゃんね。
 よろしく」
「う、うん、よろしく」
「あっ、椛っ」
 話し声が聞こえたのか、牛若丸が飛び出してた。それと、
「文もっ、こんにちわっ」
「こんにちわ、相変わらず元気ですねー」
「うんっ」と、牛若丸ははたてに視線を向けて「えっと、天狗?」
「うわ、ちっちゃ」
 …………まあ、そうですよね。
「ち、小っちゃいって言わないでよっ」
「あ、ごめん」
 ひそかに気にしているらしい。文曰く、男の子ねえ、とのこと。そういうものなのかな?
「はいはい、喧嘩はあと。
 文ちゃん、はたてちゃんも、お昼ご飯食べましょう。椛ちゃんと牛若丸ちゃんはちょっと待っててね」
「ごはん?」
「常盤の作るご飯は美味しいわよ。
 では、またあとでね」
「ふふ、ありがと、文ちゃん。
 さ、はたてちゃんも、こっちよ」
「行こう、はたて」
 文はそういってはたてに手を差し伸べる。はたては、少し、きょとんとその手を見返して、
「う、うん」
 手を握った。

 私はのんびり、と牛若丸と庵の縁側に並んで腰を下ろす。
 庵の中からはたてのはしゃいだ声。おいしいみたい。気持ちはわかる。同感です。
 と、
「なんですか? 牛若丸」
 隣に座る牛若丸がちらちらと私に視線を向ける。さて、どうしたのでしょう?
「えっと、さっきの天狗。はたて、だよね?
 どんな天狗なの?」
 どんな、と問われても少しだけ困ります。私も会って間もないし。だから、
「正直言えばあまりよくはわからないです。
 会って、まだあまり時間もたってない、……っていうか、私と文も今日初めて会ったのです」
「そうなの?」
 きょとん、と意外そうな視線。私は頷いて「相模坊様の紹介です」
「相模坊、……」えっと、と牛若丸は少し、考えて「偉い天狗?」
「はい、八大天狗、……私たち天狗の中でも、天魔様に次いで力ある、八の天狗です。
 ここは鞍馬山、僧正坊様を長としている場所です」
「椛はここで生まれたの?」
「いえ、違います。
 私たちのこと、興味がありますか?」
 軽く身を乗り出して問いかける牛若丸。故の問いに牛若丸ははっ、として、少し、迷い。
「う、……うん」
「照れることはありません。
 何かを知りたいということはいいことです」
 いいことと言われたからか、牛若丸は照れくさそうに微笑む。私は彼の髪を撫で「では、少し天狗について語りましょう」

//.幕間

 とんっ、とんっ、とんっ、とんっ、と音が連続する。そして、
「ふふっ、すごいわ。
 ほんと、」
 彼女を知る者が聞いたら目を見開くかもしれない。楽しそうな声。
 古明地さとりは上機嫌に三十三の通路を歩く。飛び跳ねるように軽やかに、あたりを示すように手を広げて、
 上機嫌な彼女とともに歩くのは一人の男性。ほかには誰もいない。いつもは誰かがいるが、今は誰もいない。さとりのためにここには誰もいない。さとりと、一人の人と、そして、

 千を超える仏の姿が、ここにある。

「すごいわねっ
 よくこんなものを作ったわ、本当に、……ふふ、ねえ、どれだけのお金を使ったの? ……ああ、ごめんなさいね。無粋? そうよね。
 けど、興味があるのよ。どれだけの負担を得てこれを作ったのか」
 そう、これを作ったのだ。莫大な金がかかっただろう。膨大な労がかかっただろう。それを成し遂げるだけの力があるにしても、
 とんっ、とんっ、とんっ、……とっ、
 さとりは足を止める。足を止めてもう一人を見上げる。まっすぐに、いたずらっぽい微笑を浮かべて、
「ふふ、勘違いしないでね。本当に、感心しているのよ。
 聖武帝もすごいものを作ってたけど、ねえ、あの、大厄に等しい災いが起きると、そう思っているの?
 それとも、集合の詔、かしら? そうは見えないのだけど」
 答えはない。言葉は必要としない。彼女はさとりなのだから。
 それがわかっていて、それを知っていて、なお声をかけた彼。
「そう、……そうなの? ふふ、それは大変ねえ。
 ああ、ごめんなさい。他人事みたいな言い方になったわね。けど、重ねて謝るけど私にはどうしようもないほどに他人事なのよ。
 ふふ、ええ、もちろん協力はしないわ。これで最後、……言っておくけど、貴方だから特別よ? ………………なに? もうっ、変なことを考えないの。貴方もいい年なんだから。
 …………ううん、いいわ、怒ってないわ。ただ、私、見た目幼い女の子でしょ? それで劣情を抱く男なんていくらでもいるもの。いちいち気にしてたら気が狂ってしまうわ。嫌なことは目をつぶる。……ふふ、私が言っても意味のない言葉? ええ、そうね。本格的に目をつぶる事なんて、したくないわ。私のささやかな意地にかけてね。…………誇り? あら、そうね、そっちのほうが格好いいかもしれないわね。流石、言葉の選び方は上手ね。
 けど、見て見ぬふりはできるのよ? 器用でしょ? さとりとしての必要な技術ね。……わからない? ええ、もちろん、わかってもらおうなんて思っていません。
 特別っていうのはそういう意味じゃないわ。私にとって、貴方みたいな人が一番恐ろしいの。
 ほら、心を読めるでしょ? それを喧伝することで九割の人は私を忌避して去っていくの。さびしい? 優しいところもあるのね? ……ああ、失礼。そうね。貴方はそういう人よね。けど、気遣い不要よ。私は人じゃないもの。煩わしくなくて快適よ?
 でね、残りの九分九厘の人は私に劣情を叩きつけるの。私、見た目が幼いでしょ? 可愛い? あら、ありがと、お上手ね。嬉しくないわ。
 そういう相手には過去の記憶にある傷を抉り出して遠ざけるの。嫌なやりかた? …………心外ね。それしかできないわ。私はそんなに大した事はできないのよ。あんまり器用でもないしね。てゐとは違うわ。……あら? 彼女にも会いに行ったの、本当に忙しいわね。
 で、残りの稀有で希少で奇特なの一厘が貴方みたいな人、ええ、貴方よ? 怒った? ……それはもちろん、誰かがいるときには言ったりしないわ。怖いもの。臆病? ええ、かもしれないわね。
 純粋に、混じり気なく、何の打算もなく、一切の虚飾もなく、私の、心を読むさとりを利用する。……ふふ、ああ恐ろしいわ。……源義家? あまり思い浮かべないで、私はものと違って血腥いのは嫌いなのよ。……………あら、そう、気が合うわね。だからこうして言葉を交わしているのだけどね。
 そう、私は貴方みたいな人が恐ろしいわ。気持ちはわかるけどね。……ねえ、それより教えてくださらない? これだけの物を作って何を救いたいの? 誰を救いたいの? どれだけの者を救いたいの? 秘密? ………………まあ、いいです。わかりました。……言われなくてもわかっているわ。ちゃんとお手伝いしてあげます。
 けど、本当にこれきりよ。それと、そうね」
 くすっ、とさとりは笑う。期待するような視線で、
「ちゃぁんと、御代、くださいね。
 あら? 隠さなくてもいいわよ。好きなのよね。貴方も」

//.幕間

「すいません、常盤」
 はしゃぎながら布団を敷く文とはたて、二人を横目に私は小さく頭を下げる。
 寝床に戻る予定だったのだけど、
「はたて邪魔ーっ」
「う、うるさいわよ牛若丸っ。
 って、あたっ」
「ああもう、はたては間抜けねえ」
「うぐー」
 枕に躓いたらしい、転んだはたてをため息交じりに手を貸して起き上がらせる文。
 そんな二人の周りをちょろちょろと駆け回って布団を敷く牛若丸。……まあ、泊まることになりました。
 騒がしい三人に視線を向け、常盤は穏やかに微笑む。
「いいのよ、賑やかなのも好きだし。
 ふふ、じゃあ今夜は腕によりをかけて料理を作らないと、ね」
「やったっ」
 はたての喝采。…………私も嬉しいです。けど、
「常盤、食材足ります?
 また山菜か何か持ってきましょうか?」
 文もそこが気になったのか問いかける。山中の庵に牛若丸と常盤の二人。私たちがよく遊びに来て、僧正坊様も気を配っておられ安全ではあるけど、だからと言っていつも食料が十分とは言えません。
 さすがに二人に狩りなんて期待できるはずもないですよね。はたても気になったのか心配そうな視線を向ける。
 集まる注目に常盤は微笑んで「大丈夫よ、文ちゃん。明日、頼政様が来てくれるから」
「わっ、おじさん来るのっ?」
 牛若丸は両手を上げて歓迎。だから、と常盤は微笑んで、
「食料とかは頼政様が持ってきてくれるから、ふふ、今日は奮発しちゃうわ。
 はたてちゃんの歓迎も、ね?」
「え?」
 優しい微笑にはたてはきょとん、とする。歓迎、と言葉を繰り返して、
「あ、……い、いい、の?」
「おやおやー、照れてるんですかー
 はたてちゃん可愛いですねー」
 そんなはたてを文がつつく。
「う、うるさいっ! 別に、……ただ、…………えっと、そういうの、なれてなくて」
 そうなのですか? けど、なら。
「それでは、盛大に歓迎しましょうか。
 せっかくなのですから」
「宴会っ?」
 やった、と牛若丸が手を上げる。どうも、憧れている節があります。
「そうと決まればさっそくごちそうを作りましょう。
 牛若丸ちゃん、卓の準備をお願いね。椛ちゃん、手伝ってくれる?」
「はい、喜んで」「では、私は牛若丸を手伝いましょうか」
 途端に賑やかになる。例外は、一人おろおろとしているはたて。
「あ、あの、私も、手伝おうか?」
「だめっ、はたては歓迎されるんだから、そこでゆっくりしててっ」
「そうですよー
 はたてちゃんはそこでのっしりとしていればいいんですよー」
 生真面目に応じる牛若丸と、によによ笑う文。……性格、でますね。
 常盤も似たようなことを考えたのか、くすくすと笑って、けど、
「行きましょう。椛ちゃん」
「はい」

「わ、わっ、すごいっ」
 はたて、目が輝いています。
 焼き魚や山菜など、卓の上には私と常盤が作った料理が並んでいます。
「相変わらず見事ですねー」
 文も感心して頷く。常盤は嬉しそうに、けど、
「椛ちゃんにもいろいろと手伝ってもらったからね」
「椛も料理、ってできるの?」
「…………ええと、まあ、切ることは」
 実は、できないです。そもそも天狗は食料をほとんど必要としない。…………ですけどね?
「見事な包丁捌きだったわ」
「椛は刀の使い方は上手ですからね。
 ねえ、牛若丸」
「うんっ、僕も早く椛みたいに強くなりたいっ」
「椛って強いの?」
 …………視線が痛いです。にやー、と笑う文、尊敬のまなざしの牛若丸、首をかしげるはたて。
 あとで文には報復を、と頭の隅で考えながら、
「天狗としては、それほどでもないです。
 ただ、刀の使い方に関してなら、それなりには、」
「そうなの?」
「それなりって、……むう、椛強いのに」
 不貞腐れても困ります。仕方ないので撫でてみる。牛若丸は目を細める。
「ふふ、まあいいじゃない。
 それより早く食べましょう。せっかくの料理、冷めてしまうわ」
 と、いけない。せっかく作ってもらったのに、
 では、……私たちは箸を取る。声が唱和する。
「「「「「いただきます」」」」」

 食事は静かに食べるのが礼儀正しい。と、そう思っている。けど、
「あーっ、それ僕が食べようとしてたのーっ!」
「甘いわっ、歓迎される方に優先権があるのよっ!
 って、ああっ、文っ、私が確保してたお刺身っ!」
「ふっ、そこに食べ物があれば食べる。
 至極当然のことですっ、……って、牛若丸っ! 箸二組は卑怯っ! っていうか器用ですねっ!」
「このっ、……うわ、防がれた」
「く、さすが椛から刀の使い方を習っているだけのことはありますね」
「こんなことにために習っているんじゃないよっ」
 ……私も、箸を振り回すために刀の使い方を教えているつもりはありません。悪しからず。
「ふふ、たまには賑やかなのもいいわねー」
「そういうものでしょうか?」
 にこにこと微笑む常盤、これでいいのでしょうか? って、
「ああっ、牛若丸っ」
「へへー、早い者勝ちだよー
 って、あっ?」
「ふふ、油断大敵よ。牛若丸ちゃん」
 にこ、と微笑む常盤。彼女の持つ箸には私が確保し牛若丸に奪われた魚の切り身。ひょい、と口に放り込んで美味しそうに目を細める。
 歓迎される側の権利を主張するはたてと情け無用の原理で否定する文。……はたてはともかく、文は何か違う気がします。
 ともかく、
「牛若丸。
 これからは、本気でいきますよ」
 食事は静かに食べるべき、なのですけど、
「負けないよっ」
 …………まあ、たまにはこういうのもいいですね。

 お風呂はそれなりに広い。私と文、はたての三人で入ってもまだ十分。
 ちなみに、常盤の最近牛若丸が一緒にお風呂に入ってくれなくなった。と定例の嘆きを聴き流し、敷かれた布団へ。
「あー、……なんかいいわ、こいうの」
 ころん、とはたてが寝転がる。鞍馬山の夜は暗い。あたりはすでに夜闇に包まれている。
 出会って間もなくのころ、牛若丸は闇が怖くて泣いていた。……何度か、手を握って寝たことがある。最近は牛若丸も慣れたようですけど、
「楽しい?」
 文の問い、はたては照れくさそうに頷く。そして、
「あのさ、……二人とも、私のこと、聞かないの?」
 どこか、不安そうな言葉。
「いろいろ聞きましたよ?」
「それは、……なんていうか、生活とか、そういうこと、じゃない」
「過去話は、あまり聞かないことにしているのよ。私たちは」
「そうなの?」
 不思議そうなはたての声。あまり聞かない。あまり探らない。深入りしない。
 山に根付く、山に生きる私たちは、当然。
「天狗にもいろいろいるのよ。
 烏天狗の私や、白狼天狗の椛、みたいな、正当な天狗以外にも、ね」
「正当?」
「攫われた子供や、捨てられた子供も、たまに引き取ります」
 まれに、そういう子供もいる。牛若丸が例外なのは親がいること、ちゃんとした、人であるという事でしかない。
 捨てられた子。間引かれた子。隠され、攫われた子。……そういった者たちを山伏として育てることもある。
 だから、
「あまり、捨てられた過去を詮索するのも難だしね」
「牛若丸が例外かと思ってた」
「牛若丸は例外です。庵付きで親までいるなんて初めてです。
 普通は捨て子です」
 だから、
「はたても、話したければ話してください。
 けど、決して私たちから強要はしません」
「思い出すだけで泣き出す子供もいたからねえ」
 しんみりと文が呟く。捨てられた記憶はそれだけ鮮明に幼心に刻まれる。人の成長として大人になっても、一人、夜の暗闇を恐れる男もいる。笑う事などできない。心に刻まれた夜闇に捨てられる恐怖など、天狗である私には理解などできない。
「そう、……じゃあ、もしかしたら、話したくなった時は、聞いてくれる?」
「お好きな時にどうぞ。
 聞いてて楽しくなるような話なら、」くい、と文は笑顔で「酒の肴にお願いね? それまで取っておいて」
「…………あんまり、期待しないでよ」

//.幕間

 姫海棠はたては夢を見る。
 自分に残っているわずか数日間の記憶、その毎夜に見る夢。

 最初は嫌悪だった。恐怖だった。不安だった。
 三十歳を過ぎるまで続いた清浄を極めた生活。政治的な理由にせよ、与えられた役割は決して手抜かりなく実行される。
 異性は言うまでもなく、同性とさえ滅多に会わない毎日。ひたすら続く、清浄にて平穏な日常。
 この役を与えられた五歳からそんな生活だった。異性など知識でしかない。普通の生活から完全乖離された毎日。自由など、普通など、血統と政情が許すはずがない。
 だから、いきなりその役を解かれ、さらには嫁ぐ事になったという現実に、感じたのは不安だった。
 相手は八歳年上の酒飲み、初めて見る男性の赤ら顔と酒の臭い、吐き気がするほどの嫌悪と、これからこの人と一緒にいなければならない恐怖。

 最初は嫌悪だった。恐怖だった。不安だった。

 信じていいでしょうか? 愛しいあなた。
 むっつりと不機嫌顔で黙り込む私を、何も知らない盛りを過ぎた私を、怯えて遠ざけ避けていた私を、愛してくれたあなた。
 一目惚れだった。と、困ったように告げられた言葉を、避けていた私に、それでも、何度も、言葉をかけてくれたあなたの、その思いを、…………信じて、いいですか?

 ――――――――なら、なぜ、捨てた?

//.幕間



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