そして、帰りの日。

 私とメリーは一通りの荷物をまとめる。服は咲夜さんが洗ってくれたらしく、どれも新品同然になっている。
「あんまり、お土産も買わなかったわね」
 苦笑に、私は頷く。
 けど、
「行きましょう」
 思い出は、たくさんもらえた。だから、それでいい。
 ええ、とメリーは頷く。
 と、控えめなノックの音。
「どうぞ」
 声に、扉が開く。
「メリーっ」
 たっ、と開いたと同時に、こいしちゃんが駆け寄ってきた。そのまま、メリーに抱きつく。
 とっ、と腰を落して受け止める。
 そして、そのまま、――――
「偉いわね、こいしちゃん」
「そうですね」
 さとりちゃんは俯いたまま、頷く。
 偉いな、と思う。だって、引き止めないのだから、もっと一緒にいよう、と我がままを言わないのだから。
「さとりちゃんは、無理しなくてもいいわよ?」
「妹の前では強がっていたい。
 姉の気持ちは、……まあ、」小さく、苦笑「わからない、ですか?」
「微妙かしらね、意地っ張りなら、どこにでもいるし」
 視線を向ける、抱きとめているメリーの肩も、小さく震えている。
 そして、笑った、――――と、思う。
 は、あ、と呼吸。
「そう、ですね」
 さとりちゃんも、たぶん、笑った。笑おうとした、と思う。
 でも、と。
「ちょっとだけ、甘えさせてください」
「うん」
 頷く、そして、近寄ってきたさとりちゃんの頭を撫でる。
 ふわふわの柔らかい髪、……これが最後、と思うと、
 さとりちゃんは微笑む、――微笑む、泣きそうな、不器用な、微笑みで、
「……やっぱり、寂しい、です、ね」
「うん」
「ありがとう、ござい、ました。
 私が、いうのも、変、かも、しれない、……です、けど」
 さとりちゃんは俯く。表情を隠すように、――その表情を見えないようにして、
「貴女に、会え、て、……幸せで、……す」
 そっと、その小さな体を抱き寄せた。
 あ、と。声。――そして、さとりちゃんの向こう。
 お燐とお空がいる。二人に、私は一つ、思いを込めて会釈をする。
 さとりちゃんを、よろしくね。
 伝えたかった言葉は、届かないかもしれない。けど、
 二人は頷く、伝わったように、……ちゃんと、届いた、と。お燐とお空は頷く。
 だから、
 手の中で、小さく震える小さな体。妹と、ペット、甘えられる人がいなかった彼女。
「今は、いいよ」
 強く、抱きしめられる。その中で、さとりちゃんは少し、ほんの、少しだけ、甘えてくれた。

 そして、部屋を出る。隣の部屋にいたお雛様が、深く、頭を下げる。
 彼女は言う、ぽつぽつ、と。
「出来れば、……貴女達の厄を受けてしまいたかった、わ。
 それが、人の形、として、在るべき事、だから」
 けど、と彼女は顔をあげる。
 けど、と。
「貴女達なら、その身にある厄さえ、食いつぶして進みそうね」
「かもしれないわね。だから、」
 だから、私とメリーはお雛様に視線を合わせて、
「私たちは大丈夫。
 だから、もっと別の、もっと辛い人のために、その、人の形としての意味を見せてあげて」
「……そう、ね。
 貴女たちに、がよかったけど、……ええ、そうするわ」
 だから、とお雛様は、
「ごめんね。あんまり、別れるの、得意じゃないの」
 さようなら、そういって、部屋の奥へ。
「「さようなら」」
 願わくば、貴女が誰か、一人でも幸いに導ける事を、……私とメリーは、揃って頭を下げ、歩き出した。

「あ、……メリー、蓮子」
 リビング、そこで遠慮がちにかけられた声に、私たちは足を止める。
「フランちゃん」
「う、うん」
 フランちゃんは、いつもの元気な様子もなく、ただ俯いて、頷く。
 だから、メリーは彼女と視線を合わせて、
「お別れだね、フランちゃん」
「う、……ん」
「楽しかったわ、ありがとう」
「う、ん」
 くしゃ、と俯いて顔をあげないフランちゃんの髪を、メリーが撫でる。
「会えて、よかったわ。ね、だから」
 さようなら、って、言って、メリーは、震える声で、それでも、笑顔で言う。
 だから、――ぐすっ、と音。そして、フランちゃんは勢いよく顔をあげる。
 その勢いに涙を弾いて、それでも、また涙が落ちる。
「あの、す、凄く楽しかったよっ
 二人に会えて、本当に、よかった」
 ぽろぽろと、涙が落ちる。精一杯の笑顔。
 うん、と私とメリーは頷く。だから、
「私も、フランちゃん。
 フランちゃんに会えてよかったわ。楽しかった」
「蓮子、も?」
「もちろんよ。フランちゃん。一緒に遊べて、凄く楽しかったわ」
 当然、と頷くと、フランちゃんは微笑む。
 泣き笑いの、じゃない、本当に、幸せそうな笑顔で、
「メリーっ、蓮子っ!」
 たんっ、とフランちゃんは勢いよく奥へと駆ける。
 中央の階段。そして、その奥にいる、レミィ、咲夜さん、美鈴さん。
「さようならっ!」
 大きく手を振る、その言葉、そして、その動きに合わせて、奥の三人は深く、頭を下げる。
 声が震えそうになる、目が潤む。ちゃんといいたいから、歯を噛みしめる。
 震えそうになるのを、必死で抑えて、
「ありがとうっ! 皆っ!」「さようならっ、楽しかったですっ!」
 声を、ちゃんと届けと、振り絞った。

「そういえば、帰るの今日だっけ」
 『博麗』の前、霊夢は箒を片手に問いかける。
「ええ、まあね」
 そ、と彼女は箒に視線を向ける。
「れ、蓮子?」
 そして、彼女を無視して私は歩き出す。メリーは後から追いかける。
 すれ違う。霊夢は止まりなにも言わない、私は歩きながら無言。
 と、がらっ、と音。
「おーいっ」
 上を見る、とルーミアちゃん、ミスティア、ヤマメ、リグル、パルスィ、と窓から身を乗り出して手を振る。
 さようならっ! と、声。
 メリーと頷く、そして、上を見る。
 手を振る子たち、精一杯に、全力で、だから、
「「さようならっ!」」
 その声に負けないように、手を振る。…………そして、ため息。
「あのさ」
「ん?」
 振り返る、霊夢は真っ直ぐ私を見て、
「蓮子の事、気に入らないわ」
「そ、気があうわね」
 視線がかわされる。メリーははらはらと私と霊夢を見る。
 霊夢は、相変わらずの無表情で、
「正直、蓮子。貴女の事、持てあましてたわ。
 友人も違う、他人、という割には気になるし、けど、それもわかった」
 そう、わかった。それは私も同じ、霊夢はここで笑う。それを見て、私も笑う。
 笑みを交わし、言葉を交わす。
「蓮子」「霊夢」
「「貴女は、私の、敵よ」」
 重なった言葉に、これは当然、と受け入れる。宣戦布告、そして、真っ向から相手を見据える。
 そう、敵。決して交わらない。対極に存在する。境界線をはさんだ向こうの、彼女。
 だからこそ、
「待ってるから、また、いつか会いに来なさい」「待ってなさい、いつか、また会いに行くから」
 へ? と、首をかしげるメリーの手をとって歩き出す。間違いなく、霊夢は背を向けているな、とそう思いながら、
「蓮子?」
「いいから、行くわよ」
「あ、うん」
 歩き出す、道を曲がり、霊夢の姿が見えなくなる。
「蓮子、……あの、」
「――。けど、……いや、だからこそ、かな」
「え?」
「なんでもない、メリー、気にしなくていいわよ。
 気に入らないけど、敵だって思ってるけど、嫌いじゃないから」
「そ、そう?」
 ええ、と頷く。

「そうですか、今日が帰り、でしたね」
 『観光案内所』そこに一人座る映姫さんが静かに頷く。
「小町さんは?」
「今日は寝坊するそうです」はあ、とため息一つ「まったく、……まあ、小町らしいというか、らしくない、というか」
 どうだろう、それは、――ただ、
「じゃあ、さようなら、と」
「ええ、伝えておきます」
 それと、
「さようなら、映姫さん。お世話になりました」
「さようなら」
 頭を下げる。と、
「蓮子、メリー」
「「はい」」
 顔をあげる、向けられる視線は、――――今までにないほど、真っ直ぐで、真摯な、瞳。
「貴女達は、そのままでいなさい。
 自らの意思を示して、進み続けなさい。それは、善行にはならないかもしれない、あるいは、貴女達自身の破滅へとなるかもしれない」
 けど、と映姫さんは言葉を続ける。
「進みなさい。
 例え、誰からも非難を受けても、お互いを認め、見つめて、進みなさい。この世界を、確かに見て歩きなさい」
 そして、微笑む。
「歩いていきなさい、歩き続けなさい。
 この世界は、素晴らしいのだから」
 この世界、それは、ここだけじゃなくて、……だから、
「はい、ありがとうございます」
「ええ、そうするわ」
 頷く、と映姫さんは優しく微笑む。
「二人に、幸いがある事を、どこかで祈っていますよ」

 そして、駅。
 私たちは駅にある椅子に座る。
 心に残っているのは、ただ、お祭りを終えた後みたいな、一抹の寂しさ。
「終わっちゃったね」
「うん」
 けど、……

「それでいいの?」

 え?
 気が付いたら、目の前、に、いる。
 九の尾をもつ狐。
 二の尾をもつ猫。

 猫と、狐。
 欠けた昔噺、――――『猫っ子と狐どん』

「その表情を見ると、思い浮かべたみたいだね」
 狐は呟く。そう、と。
「その昔噺に出てくる猫と狐さ、……まあ、どん、はいらないけどね」
 狐は、ぽん、と傍らの猫の頭に足を置く。
 撫でる、そんな動作で、
「とりあえず、名乗っておこうか。
 私は藍、こちらは橙だ」
 橙、と呼ばれた猫はこくん、と頷く。
 喋る、――というのは、もういいとして、それよりも、なぜ、と。
「で、その藍と橙が、何の用かしら?」
 問う。それともう一つ。
「それでいいの、って、どういう事?」
「お別れは、寂しいよね」
 橙がぽつりとつぶやいた。
 それは、
「失うのは辛いよね」
 幸せな時を、お別れ、失っていくのは、辛く、悲しい。
 橙は呟く。だからね、と。
「失うのは辛い、お別れは寂しい。
 だからね、妖怪様は、その祈りを、」
 叶えてくれたの。――その、祈り、つまり、

「ずっとずっと、このままで、
 みんなが、ずっと、このままでいられますように」

 橙は手を差し伸べる。

「お別れは、寂しいよね」
 思い出す、ここに来て出会った、みんなの笑顔を、
「失うのは、辛いよね」
 思い出す、そのみんなと過ごした一週間、楽しいと、全力で笑った毎日を、
「無くすのは、悲しいよね」
 思い出す、思い出す、楽しかったと、自信を持って言えるあの、時間を、
 だから、……橙は呟く。

「ずっと、ずっと、ここにいよう。
 このまま、ずっと、みんなと一緒にいよう」

「そんな事が、できる、の?」
 メリーは私の手を強く握り、問う。
「出来るよ。
 妖怪様はそれを叶えたからね」
 叶えた? 問いに、藍は遠野駅の向こう、遠野の町を示す。
「な、に?」
 その景色が、崩れる。砕ける。硝子が砕けるように、その景色が砕け、――――――――そして、その向こう側に、町がある。
 なにも変わらない、遠野の町。
「そうだよ。
 妖怪様が繋げたのさ、一週間の、最初と最後をね」
 繋げた、最初と最後を、――それってつまり、時刻を繰り返す、という事? なら、
 別れはない。出会いの時間に戻るのだから、
 変わらない。時間は繰り返すのだから。――そんなの、
「なにが、さびしくないよっ!
 時間が逆戻りするなら、忘れられるってことでしょっ! そんなの、ただ別れるより悲劇じゃないっ!」
「貴女は、記憶は時間と共にあるものだと、思っているの?」
「違うの?」
「違うよ。
 記憶はその存在に蓄積されるものだ。時間がどうなろうと、その蓄積は変わらない」
 だから、と橙が、
「戻ろう? そうすれば、また楽しい毎日があるよ」
 幸せな時間、楽しい友達との時間。
 永遠に繰り返す。そう、ここは過去を刻む町『遠野』。
 そして、思い出したのは、…………
「じゃあなに? ここに暮らしているみんなは、ずっと今を繰り返しているってわけ?」
「それは、ちょっと違うかな。
 ここに暮らしている連中は、幻想の世界に生きる者さ。
 幻想の世界に生きる者たちの夢を、ここに、現実に引き込んだ。だから、彼女たちは一夜の夢を見ているだけだよ」
 けど、と。
「夢とはいえ、彼女たちだ。
 ここは現実であり、現実は一つ、そう、君たちが遊んだ『遠野』は、まぎれもなく現実だよ。
 伝承の町、現実と幻想の狭間に存在する夢の箱庭、それがここ『遠野』という名の、――――だよ」
 うん、それさえ聞ければ十分。
 不安だったのは、ここにいるみんなが、繰り返しの世界にいるのか、という事。
 そう、と頷く。……思い浮かべた、気に入らない彼女の、その顔を、

「馬鹿言ってるんじゃないわよ」「馬鹿なこと、言わないでよ」

 へえ、と藍が声をあげ。橙が不思議そうに私とメリーを見る。
 確かにね、それは魅力的よね。
 楽しかったから、みんなと出会えて、嬉しかったから、……けど、
「魅力的なのは認めるわ。
 ええ、認める。ここで会えたみんな、凄くいい子で、出会えて嬉しかったから。一緒に遊んでて、楽しかったから」
 けど、と言葉を紡ぎメリーは昔噺の二人を見る。
 その、気持ちの悪い眼は、何を見ているのか。そして、メリーの意志は、何を見ているのか。
「けど、これをずっと繰り返すのはごめんね。
 私たちは秘封倶楽部。……彼女たちが幻想の存在なら、その幻想を見つけて、こちらから乗り込むわ。
 私たちは前に進む。立ち止まりの幸を否定する。
 先に見えるのが無駄であっても、ただの徒労でも、それでも、進むわ」
 だから、私はメリーと一度だけ視線を交わし、
「一応言っておくわ。気遣いありがとう。でも、ごめんね。
 秘封倶楽部を止めるのは、それじゃあ足りないわ。待ってなさい。私たちは、いえ、秘封倶楽部は、絶対に、その幻想に会いに行くから」
 そう、と藍は頷き、橙は問う。藍様? と、
「いいんだよ。橙。
 帰ろうか。私たちにも待っている御方がいるからね」
「それ、妖怪様?」
「そうだよ。
 あの昔噺は、……うん、まあ、結構適当なんだ。間違えてはいないけどね」
 でしょうね、と頷く。そして、列車が来る。
「その妖怪様に言っておいて、
 楽しかったわ、って」
「心得た」
 藍は短くそう言って駅を出る、『遠野』へと。
「蓮子、メリー」
「なに?」
 橙は、ひょい、とどこからか二枚の切符を咥えて、差し出す。
「これ、帰り、京都までの切符。
 封筒にも入ってるんだけどね。改めて、私から渡してあげる。
 貴女達の言った事は、その意味があるからね」
「ええ、ありがと」「使わせてもらうわ」
 その切符を受け取る、橙はたしん、と尻尾で床を叩いて、
「藍様ー、待ってー」
 駆け寄る、足を止めた藍の尻尾に飛びつく。
 藍は、狐の顔だけど、それでもわかる微笑で、また歩き出した。
「行きましょう」「ええ」
 切符を受け取り、改札へ。
「楽しかったかい?」
 駅員さんは問いかける。私たちは頷く。
「そう、それはよかった」

 ――――そして、『遠野』の旅は終わる。

 釜石線に揺られる。乗っているのは私とメリーの二人だけ、
 二人きり、か。
 あそこにいた時は、大抵は誰かと一緒にいたな、と。そう思う。思い、けど、……
「あの、……蓮子」
 俯いていたメリーが、小さく呟く。
 うん、と私は似たような声で返す。――似たような、かすかに震えた声で、
「いま、二人しか、いない、よね」
 うん、
「あの、だからさ、」
 メリーは俯く、顔を隠すように、だから、ともう一度呟いて、

 甘えて、いい?

 頷く代わりに、肩を抱き寄せる。ん、と声。
 メリーは私の胸に顔を押し付けるようにしがみついて、そのまま、――そのまま、小さく泣いた。
 そうすれば、メリーからは私の顔が見えない。
 だから、――――

 あの時の、藍と橙の、『遠野』から出た選択を後悔するつもりはない。
 けど、……それでも、

「う、……くっ、うっ」
 メリーの柔らかな髪に顔を押し付けるようにして、少しだけ、泣いた。

 楽しかったから、お別れは、寂しい。
 だから、今は泣こう。泣いて、そして、また、笑って思い出噺をするために、………………

 思い出す、彼女たちの笑顔、一緒に遊んだ、楽しい時を、
 楽しかったです。会えて、嬉しかったです。
 一緒にいられて、幸せ、でした。
 だから、――――ね、また、…………

 文字が躍る。この旅路の幕引き。最後の言葉。

『Designed by Yakumo Yukari』
 そして、その文字を最後に、――――暗転。

 ――――そして、京都。

 遠野とは違う、灼熱、という言葉が似合う夏。私とメリーは喫茶店の一角を陣取る。
 フォークでつつくサラダ、これも合成よね、と思い苦笑。天然物の野菜をたくさん食べたからか、少し気になる。
 すぐ慣れる、とは思うけど、
「あのさ、メリー」
「なぁに? 蓮子」
「何となく思ったの。ほら、最後に橙と藍が言ってたでしょ?
 あの『遠野』そのものが、一種のマヨヒガ、なんじゃないかなって」
「現実と幻想の狭間に存在する夢の箱庭、か。……そうね。確かに、その響き考えるとマヨヒガよね」
「夢、なわけないわよねー」
 そうね、と視線を落とす先、『聴耳草子』がある。
 さすがに、メリーじゃないんだから夢の世界から物を持ってくる、なんて事もなく、至極当然と、普通のお土産物としてある。
「『遠野』そのものが異界。か。
 秘封倶楽部として、非常に興味深い旅行だったわね」
「そうね」
 頷く、本当に、
「いろいろ、勉強にもなったわ」
「覚えているわよ。
 星さんと話した宗教問答」
「うぐ、…………」はあ、とため息一つ「まあ、いいわ。あれもあれで私の考え方だから」
「ふふ、立派立派」
「ああもうっ、頭撫でるなっ」
 振り払う、ごめんね、とメリーは一つ舌を出す。
「あ、そうだ。
 蓮子、頭撫でて」
「はあ?」
 往来で何を言い出すのかしら? 私のパートナーは、
 呆れてぼやく、が。メリーは苦笑して、
「なんていうか、頭撫でてもらうのって、心地いいなあって」
「…………魔理沙風ね」
 告げた言葉にメリーは身を引く、が。おそい。
 捕まえた、ぐしゃぐしゃとかきまわすように頭を撫でる。
「やーめーてーっ」
 一通り、そして、手をどける。メリーは唇を尖らせて髪を直す。
 そんな様子に笑う、笑う私を見てメリーは抗議の声をあげ、――でも、結局私たちは一緒に笑う。
 笑って、……さて、時計を見る。今から出れば夜、目的の場所にはつくわね。
 メリーと相談して決めた、今夜はそこで酒でも飲もうって、だから、
「さて、メリー、そろそろ行くわよ」
「ええ、……でさ、蓮子。
 偶然だと思う?」
「さあ、そんな事知らないわ。
 ただ、全手を尽くしていきいましょう。後悔しないようにね」

 偶然? それとも、必然? ――ただ、どちらでもいい。
 違うなら違うで別の道を探せばいい。是なら、まあ、やってやりましょうか。
 酒を手に向かう。一度行った場所。そう、

 博麗神社へ。

現実→幻想

 そして、私は手の中にある本を閉じる。

「彼女たちからの伝言ならいいわ。
 内容もわかってるから」
「聴かれていましたか」
「ええ、一通り」
 そうですか、と藍は頷く。
「それで、紫様。その、なぜ、あのような事を」
「ん、まあ、いろいろよ。
 妖怪の賢者としては、そうね。箱庭の世界を作ってみたかったの。
 昔噺、いえ、」
 視線を向ける、そこにあるのは箱庭のベースとなる『遠野物語』と参考資料としての外の本。
 そして、手の中にある本。現実の遠野を散策して得た情報、参考資料をもとに作った、登場人物と舞台の構想を書き連ねた私の手書きの本。そのタイトルは異国の文字。私のお気に入りの言葉、とある老人の最期の言葉。
「この、書物の中にね」
 実在と架空を共通の名前、という境界を通じて重ね作り上げた。物語の中の世界。
 それを作った理由はいくらでもある。神隠し、として外の人間を攫う手段の一つとして、あるいは幻想郷でも生き難い妖怪を一時保護、必要なら教育する場所、等。
 そして、個人的には、…………誰か、二人の顔を思い浮かべて、苦笑。
「いえ、それは以前にも聞いています」
 そう、この計画を作った時に、藍と橙には話した。
「なぜ、外の人間を解放したのですか?
 それも、隠そうと思えば、隠せたのに」
「外の、情報化は進み過ぎている。二人も人が隠されたら大騒ぎになるわ。
 すぐに解除はするけど、とはいえ私たちが介入した遠野に外の世界の人間が関わってくるのは避けたいもの。
 たった二人の人間を隠す、それだけのためにこのリスクを冒すのは賢明かしら?」
 問いに、藍は目を見開いて、一つ頷く。
「いえ、その、申し訳ございません」
「いいわよ。気にしなくて」
「…………はい」
 気付かなかった事が恥ずかしいのか、藍は俯き頷く。
 私は改めて、適当なページをめくる。
 人物設定には外の世界の書物などを参考に、その中の生活を想像し、必要な設定を思いつく限りの書き込みがある。霊夢が聞いたら意外に思うかもしれないけど、結構悩んだ事を思い出し苦笑。
「それ、傍から見てて焦りましたよ。
 依姫と豊姫ならともかく、妖夢なんて当り前のように幽々子様、じゃないですか」
「それは、うーん、難しいのよねえ」
 確かに店員が店主に様、というのはないと思うけど、
 とはいえ、あまりこうやって余計な書き込みを加えれば、それは登場人物たちに違和感という形で影響を与え、最悪物語そのものを歪ませる。
 それは、避けたい。……まあ、変に思われなかったのは幸運、と思っておきましょう。
「私も作家の勉強が必要かしら?
 今度、稗田阿求の所に勉強に行こうかしらね」
「彼女はそんな物語なんて書いていましたっけ?」
 知らないわ、と応じる。そして、さて、と。
 外に目を向ける。私には珍しい、太陽が昇る時間。
「藍、博麗神社に行きましょう。
 たぶん、宴会をやっているから」
「わかりました」
「と、まずは橙を呼んできて」
 準備にか、部屋を出ようとする藍に告げる。
 藍は立ち止まり、一度首をかしげて、
「わかりました、が。
 少々時間がかかりますよ? この時間は橙も適当に遊んでいますから」
「放任ねえ」「主に似て」
 言い返す言葉に苦笑を返す、頷いて、
「のんびり戻ってきなさい。
 そうね、正午、その時間まで探して見つからなかったら戻りなさい。私も一緒に探すわ。
 見つけたら、三人揃って、一緒に行きましょう」
「わかりました。
 では、それまでは私一人で探してみます」
「行ってらっしゃいな」
 ひらり、手を振って式を送りだす。
 そして、一人、改めて、
「宴会、あんまりしんみりしてなければいいのだけど」
 萃香がいればそんな事にはならないと思うけどね。と、私はゆっくり準備を始めた。

 賑やかな神社、よかった。と私は内心でため息を一つ。
 しめやかな雰囲気で宴会なんてしたくない。
「あら、あんたも来たんだ。
 真昼間から、珍しいわね」
「ええ、気まぐれですわ」
 ぼんやりと本殿の階段に座って宴を見る霊夢。――とはいえ、
「微妙に違和感あるわねえ」
「そうね」霊夢はため息「夢見が悪かったんじゃない」
「あら、珍しい。霊夢が夢見ねえ」
「名前の言葉遊びには乗らないわよ」
 もちろん、そんなつもりはない、素敵な淡い夢はそれで終わってこそ、美しいのだから。
 けど、――私は改めて宴席を見る。
 珍しい光景がいくつか、こいしに甘えるように抱きつくさとりとか、照れくさそうに天子に膝枕をされている衣玖とか、文と笑いながら酒を酌み交わすぬえとか、妖夢に熱心に何かを聞いて、――おそらく、夢の中で約束でもしたのか、そして忘れたのでしょう――お互いに首をかしげる早苗とか。
 そう、夢に見た思い出は、忘れても覚えている。その記憶に、刻まれている。
 だから、私は何も言わない、それは、美しいままで、そのままであってほしい。それぞれ忘却に刻まれた美しい夢を、わざわざ引き上げて汚したくない。
「どうしましたか? 紫様」
 橙が不思議そうに見上げる、いいのよ、とその髪を撫でる。
 そして、呟く。
「ずっとずっと、このままで、
 みんなが、ずっと、このままでいられますように」
「ん? 何か言った?」
「なんでもないわ。
 霊夢、飲み比べでもしない?」
 ためしに誘って見ると、霊夢は心底いやそうな顔で。
「冗談じゃないわよ、なんであんたなんかと」
 はいはい、とため息。私がダメなら、誰とならいいのかしらね?
 さて、……私は、彼女の事を思い出して笑う。

 罪人は箱庭での幸いではなく、強欲を選んだ。
 なら、道化は道化らしく愛おしい箱庭で笑いながら、罪人の行方を見守ることとしましょう。

現実←幻想

 お酒を持って、つまみをもって、私とメリーは博麗神社への道を上る。
 月と星に照らされた神社、暗い石段をメリーと手を取り合って慎重に上る
 そして、到着。寂れた神社、崩れかけた鳥居を抜け、誰もいない境内と、その奥、神寂びた本殿を見る。
「うわ、ぼろぼろ、座ったら崩れないかしら?」
「蓮子って、そんなに重いの?」
 殴ってやろうかと思った。けど、ここは事実を告げるに限る。
「それがさー、遠野から戻ってきてためしに体重計に乗ったら、むしろ体重減ってたのよねえ」
 いや驚いたわ。さすが自転車で駆けまわっただけの事はある。さすが遠野、観光旅行で痩せるってのも珍しい気がする。それも結構食べて、
「れーんーこーっ!」
「え? な、なにっ? なにっ?」
 メリーが物凄い形相で迫ってきた。
 彼女はびしっ、と私を指して、
「妬ましいわっ!」「うるさい羨めっ!」
 ぐぬぬ、と睨みあい、……そして、顔を見合わせて笑う。
「まったく、ま、いいわ」
「そうそう」
 月を見る、博麗神社、と解りきったこの場所が解る。
「メリー、その気持ちの悪い眼は何か見える?」
「なにも、みえないわ。
 残念ね」
「そうね」
 とはいえまあ、せっかくなんだし、ここから改めて始めましょうか。
 誰もいない、二人きりの神社、そこで改めて、酒の封を切り、杯に注ぐ。
 それを小さく重ねる。音、そして、月を映し出す。
 改めて、……私はメリーと視線を交わす。メリーは頷く。
「さて、メリー。
 藍が言ってたわよね。彼女たちは、幻想の住人だって」
「ええ、もちろん」
 だからさ、
「だから、行こう。
 そう、」
 誰もいない博麗神社、ここで、秘封倶楽部は改めて、その意志を固める。
 立ち止まりの幸より、自ら進みその先で得た幸いを、そして、その時にまた一緒に笑うために、
 とんっ、と本殿から降りる。目の前には静かに笑うメリー。

 境内に立ち、月光が映る盃を本殿に掲げる。

 行こう。私たちは秘封倶楽部なのだから、

「夢を、現に変えましょう。幻想を、現実にね、その時は、」

現実→幻想

 紫が賑やかな境内へ遊びに行ったのを見計らって、霊夢は小さく呟く。
 見せてもらおうじゃない。と。気に食わない、生まれて初めて、敵意を感じた。あの少女の笑顔を思い出す。
 忘れない、忘れるつもりはない、忘れるわけがない。敵、と。初めて認めた彼女の事を、絶対に、もう一度会って決着をつける。
 手段も方法も考えてないけどね、と苦笑。
 ここは幻想郷、忘れられたもの、失われたものが集う楽園。幻想の世界。
 その秩序を守護する少女は、手元の、杯にある酒を見る。口元がゆがむ。誰にも感じた事のない意思。それを意外、とも当然、とも思って笑う。
 小さく笑う。そして、

 本殿に座り、陽光が映る盃を境内に掲げる。

 来なさい。ここは幻想の世界なのだから、

「幻想を、現実に変えるのね。夢を、現にね、その時は、」

現実=幻想



 また、一緒に遊ぼうね。





戻る?