「娘様、私は一度都に戻ります」
 平穏に続いた一週間、私の言葉に娘様は頷く。
「ええ、えと、頼んだものは持ってきてもらえる?」
 頼んだもの、――まだ備蓄があるとはいえ、米や魚などが減ってきている。
「それは間違いなく手配します」
「それと、母様の事も」
「はい、確認します」
「あと、いつまで私がここにいていいのとか」
「大丈夫です」
「そうそう、それと、私はいつごろ都に行けるのとか」
「…………確認してみます」
「それと「ちょっと待ってください、娘様」なにかしら?」
 不作法、と思いつつも遮った私を娘様は不思議そうに見る。
「なにもそこまで確認しなくても」
「あら、だって御侍様たまに抜けているんだもの。
 見ている分には面白いのだけど、忘れ物されたら困るわあ」
 …………ぐっ、
「ふふ、楽しみだわあ。
 御侍様、お子様が生まれたらぜひ私に教えてくださいな。きっと、楽し……可愛い子よねえ」
「私の子孫までからかい続けるおつもりですか?」
「ふふ、夢が膨らむわあ」
 今からわけのわからない未来を想像しているのか、娘様は楽しそうに笑っていた。

「遅いぞっ!」
「…………いや、遅いもなにも、戻ってくるのは今日だと伝えたぞ」
 なにやらばたばたと家を出る早太。さて、
「なにがあった?」
「帝様がたおられたっ!」
「はあ? 病か?」
「陰陽師の話だと、呪いの類らしい」
「…………本当、か?」
「これから、総出で術者の狩りだしを始めるところだ。
 清涼殿に行くぞっ!」
「頼政様は?」
「もう向かっているっ!」
 なら、娘様のことは向こうで話せばいいか。
 早太の服装を見る、清涼殿に行くための正装ではなく、いつでも戦場に飛び出せるような格好。おそらく、なりふり構っていられないのだろう。
 だから、
「早太、後ろに乗れ、旅装束だが、文句はいわれないだろ?」
「わざわざ着替えてきたら張り倒されるだろうがな」
 そして、私は馬を手繰り向きを変える。そして、後ろを見ずに、
「落ちるなよ?」
「馬鹿にするな」
 駆け出した。

 普段は静かな清涼殿が、今は慌ただしい音と喧騒に満ちていた。
「何者だ? と、お前たちか」
 顔なじみの守衛に一礼して馬を預ける。
「頼政様が探していたぞ。急ぎ合流しろ」
「承知」「わかった」
 そして、走り出す。
 いつもは整えられた玉砂利も今は荒れている。おそらくは伝令などで走り回った者がいるからだろう。
 だから、私と早太も気にせず玉砂利を蹴立てて疾走。
 あ、という声。みると清涼殿の女官がこちらを見ている。
 ざんっ、と蹴り、着地。
「あ、床が」
「気にするな」
 跳躍、そして、着地のために叩きつけた足がものの見事に床を陥没させていた。
「頼政様はどこだ?」
 早太の言葉に、唐突な登場に目を白黒させていた女官がはっ、と視線を戻して、
「奥です。
 佐藤中納言が全体指揮をとっていますので、今は話の最中です」
「帝様のご容態は?」
 問いに、彼女は視線を伏せ、
「陰陽の頭の見立てですが、死に誘う強力な呪いが掛けられているそうです。
 陰陽師が総出で結界を張り防いでいますが、結界から出れば一日持たず命を落とす、と」
 死に誘う。――――か。
「呆けているな、早く行くぞっ」
「ああ」

 佐藤中納言範清、――そういえば、娘様の事を命じたのは彼か、
 勇猛果敢かどうかはしらないが、確かに鍛えられている、という印象はある。
「何者、だ」
「わしの部下です。
 わしの両腕として働いてもらうため、参加の許可を願いたい」
「言うまでも、ない」
 喉を患っているのか? どこか、不明瞭に声が響く。
 そして、と佐藤中納言は一つ頷いて、
「帝様のことは、聞いているな?」
 視線が向かう先は私と早太。
「死に誘う呪いが掛けられている、と」
「今は陰陽師たちが総出で防護の結界を張っているが、徐々に強力になっているらしい。
 一刻を争う事態だ」
 それと、と佐藤中納言は淡々と、
「今は、帝様のみを狙っているが、もし、その呪いの対象が都全体に及んだら、――あるいは、全滅する」
 は?
「都が、ですか?」
「過去、醍醐陛下に振りかかった病の呪い。
 それと同等であろう」
「聖命蓮はもう没してしまいましたか、泰親といってもあの聖には及ばぬか」
 頼政様が深刻に呟く。そうだな、と佐藤中納言は頷いて、
「頼政、それと、配下二人は原因を探し、討伐してもらう。
 三人で動き回ってもらうが、手が足らぬということはないか?」
「動きやすいが、広大な都すべてでは無理だ」
「動きやすければよい。
 広域の探索は清盛にやらせている。報告が入ったらそちらに駆けつけろ」
「承知」
「それと、この混乱に乗じて賊が清涼殿に忍び込む。ということが何度かあった。
 そちらも見つけたら討伐せよ」

 で、当たり前だが、
 今の治世に不満をもつもの、とりあえず暴れたいもの、政治的な反対勢力、その他。帝様が倒れられ、混乱しているところに乗り込んできた。
 まったく、
「頼政様」
「とりあえずわしは中納言に伝令に行く。お前たちは適当に蹴散らしておけ」
 はい、と頷いた。
 面倒くさそうに去っていく頼政様、そして、不安そうにこちらを見る守衛。
「お前やれよ」
「私一人でか? せめて半分は片付けてくれ」
 しょうがないなあ、と早太はため息。そして、
 だんっ、と音がはじけた。
 踏み出しの一音が地面をえぐる。数間、――普通の武士なら間合いの外。――だが、
「おそい」
 私や早太にしてみれば、十分に間合いの範囲内。
 斬っ、と一閃。そして、さらに地面を穿ち移動。
「消え? た?」
 否、
「目が追いついていないだけだ」
 逆袈裟に斬り捨て、その死体を慌てて迫ってきた男に向かって蹴飛ばす。
「んなっ!」
 ぶつかった。だんっ、と一歩、死体ごと串刺しにする。
「貴様、それでも人かっ!」
 賊が、
「舐めるな。
 私たちは武士、人殺の専門家だぞ」
 手に持っていた刀を手放し、死体の脇にある刀を抜く。
 そして、後ろから迫ってくる男の首を刎ね飛ばし、頭を下げた。
 放っておけば私の頭を叩き斬る軌跡で放たれた早太の居合は、死体ごしに刀を突き刺された男の首を刎ねる。
 とん、と早太と背を合わせる。
「どうだ?」
「武士には見えないし、賊の類だろう」
「同感だ。
 頼政様の手を煩わせるわけにはいかないな」
「な、なめるなあっ!」
 一気呵成、突っ込んできた。
 が、遅すぎる。
 だんっ、と音。
 そして、手前の男を蹴り飛ばす。
「ごっ」
 真正面からの、腹への蹴りに男は吹き飛び、後ろにいる男たちをついでに薙ぎ払う。
 だんっ、とさらに音。
 倒れた最初に蹴飛ばした男の首を踏み砕き、体勢を意識しながら刀を抜く。
 斬、と二人目を切り、後ろに跳ぶ。
 横から放たれた刀が、今度こそ二人目の命を刈り取り、私は旋回して同士討ちに目を見開く男の首を刎ねる。
 斬首の死体は紅い血を噴き出し、その下を駆け抜けて赤に目を奪われた男の足を叩き斬る。
 崩れた、無理に致命の一撃を狙う必要ない、ただの賊なら四肢を落とせば戦意など残らないだろう。
 駆け抜ける。
 刀を手の中で回して持ち替え、四肢、首、そのどれか、最も狙いやすい個所を叩き落とす。
 そして、
「終わったか」
 早太が呟く。振り向くと、守衛が真っ青な顔で立っている。
 数十の賊は、全て血の海に沈んでいた。
 即死を免れた男はいるが。構っている暇はない。
「来たが、……わしの出番はないな」
「ただの賊でした。私たちで十分です」
「ふむ」頼政様は周囲の惨状を見て一息「中納言はまずは賊を討伐せよ。とのことだ。探索の結果が出たら、急ぎそちらに駆けつけることになるだろうがな」
 と、ずぶずぶ、と。
「? 頼政様、これはなにかの術ですか?」
 見ると、地面にまき散らされた血が地面に吸い込まれている。
「さあ? わしが知るか。清涼殿を汚したくないのだろう。
 中納言は呪術の心得もあるとか」
「勇猛果敢だったり呪術の心得があったり、なかなか立派な人ですね」
「わしが知るか。
 それよりさっさと動くぞ。清涼殿が賊に落とされたら面倒だ」



       ひょー
     ひょー
 ひょー
   ひょー



//.開幕

 妖怪はぼんやりと、その桜を眺める。
「あら、妖怪さん。今日はお昼からいるのね」
「こんにちは、娘さん。
 妖怪は夜にしか活動しない、なんて信じちゃだめよ」
「ええ、気をつけるわ。そう今まで信じていたし」
 それにしても、と妖怪は微笑んで、
「綺麗な桜ね」
「…………ええ、…………そう、ね」
「綺麗ね、白い桜の花も」
 西行が眠る地に咲く桜。――それは美しいほどに白い。
 数多の血を吸ったにも、関わらず。
 数多の血を吸っているにも、関わらず、
「この桜、貴女は嫌いかしら?」
 問いに、ゆっくりと首を横に振る。
「よく、わからないわ。
 人がたくさん死んだところに咲く花、そして、ここでは父様も死んでいる。
 でも、…………おぞましい、と思うべき、なのだけど」
 そう、と妖怪は微笑んで、
「場所を変えましょう? せっかくお互いが起きている時に会えたのだもの。
 もっと気楽に飲める所に行きたいわ」
「…………ええ、……そうね」
 強引に、注視していた桜から視線を外す。

「そういえば、妖怪さん」
「何かしら?」
「あの桜って妖怪になったりするのかしら?」
「うーん」妖怪は首をかしげて「どうかしらねえ。人の血を吸えば妖怪になる、なんてあるけど」
「あら、じゃああれは危ないわ。
 私の知っているだけで、三人もあの桜の根元で自害しているのよ」
「あの桜なら問題はないわ。
 百、とその血を吸えば話は別だけど、十に満たないのなら問題ありません」
「そう、よかったわ」
 と、くすっ、と妖怪は微笑んで、
「そういえば、一緒にいた殿方はどうしたのかしら?」
「都に行っちゃったわ。
 面白い人だったのに、残念ねー」
「あら、そんなに?」
「ええ」頷いて、がっくりと肩を落とし「なんで殿方なのかしら、女性なら、思いっきり可愛がったのに〜」
「あらあら、それは残念ねえ。
 私も可愛がりたいわ。面白い女性なら」
「面白い殿方は?」
 冗談じゃない、と妖怪は肩をすくめた。
 ただ、と小さな声で、
「死にたくない、と言っていたわ」
「それは人なら当たり前じゃないかしら?
 私たちも、……いえ、妖怪よりも儚く脆い人なら、生に対する執着は強い、と思うわ」
 妖怪の言葉に、死霊を操る少女は困ったように微笑む。
「私はね、妖怪さん」
「ええ」
「私は、死霊を操り、そして、死を見てきたわ。
 だから、よくわからないの。死が怖い、っていうことが」
「死に近いのね。貴女自身が」
 そうね、と頷く。
「もちろん、言葉ではわかるわ。
 死とは怖い、忌避すべきものだって、だけど、実感がわかないの。あまりにも、近くて」
 だから、怖い、と苦笑する。
「なんとなく、ふらふらー、っと、死んじゃいそうなのよ。
 だからね、ああいう、死にたくないって、強く言ってくれる人が心強いわ」
 そして、ぽつり、呟く。
「風になびく富士の煙の空に消えて」「行方も知らぬ我が思ひかな。かしら?」
 え? と意外そうに妖怪を見る少女、妖怪は悪戯っぽく微笑んで、
「意外? 妖怪が歌を知っているなんて。
 感動も教養も人間の特権じゃないのよ?」
「ええ、ごめんなさい。少し意外だったわ」
 困ったように謝る人間に、妖怪は肩をすくめる。
「ちゃんと見据えなさい。雲散しそうな貴女の命を、その指針として、そうね。
 生きることに強く執着する人を見据えるのは、悪くないわよ」

 二人の少女が去った広場。
 桜が、とくとくとく、と死色の花を咲かせる。

//.閉幕



 ひょー
     ひょー
   ひょー
       ひょー



「賊は一掃しました。……まあ、意味は薄かったみたいですけど」
 帝様はまだ病に臥せているようだ。
 頼政様は佐藤中納言に報告し、佐藤中納言は応じ頷く。
「まあ、とはいえ警備の手を抜くわけにも、いかぬ。
 清盛も、妙なものはいなかったと言っていた」
「はげの餓鬼どもがちゃんと調査したんですかね?」
 頼政様の言葉に佐藤中納言は苦笑し、
「事が帝様の御命にかかわる。
 清盛も専門のものを調査にあてていた」
「原因は、まだ不明ですか」
「そうなる、な」
 はあ、――案外長丁場になりそうだ。
 だから、
「佐藤中納言」
「どうした?」
「あの、命じられた娘様ですが」
「……ああ、お前か、護衛は」
 聞いていなかったのですか。――と、ため息。
「今回の件、長丁場になりそうですし、どうか私以外の護衛を、あと、可能なら手伝いの人を、
 それと、野菜の類は山で採れるそうですが、米や魚の備蓄には限界があります」
「…………仕方がないか、わかった。すべて手配しよう」
「娘様の母君は弘川寺にて一緒に暮らすことは?」
「許可できぬ」
「では、娘様はいつまで弘川寺で暮らすのでしょうか?
 都に来てみたい、とも言っておりました」
 問いに、佐藤中納言は謹直に頷いて、
「しばらくは無理だ。
 目処が立ったら伝えることとしよう。それまでは護衛を頼むぞ」
「はい」

 外に出る。
「さっさと帰るぞ」早太は空を見上げて「曇ってきた。雨が降らねばいいのだが」
「そうだな」



     ひょー
       ひょー
   ひょー
 ひょー



「――――まったく、埒が明かないな」
 早太が刀を納めて苛立たしげにつぶやく。
 賊は減らず帝様の容体は回復しない。
 それも、もう三日目だ。
「娘様も、問題がなければいいが」
 頼んだものは持ち込まれているはずだ。行列、という人数で人が米などをもって弘川寺に向かっていた。
 とはいえ、やはり不安はある。
「なんだ」早太はにや、と笑って「やはりあの娘が気になるのか?」
「当たり前だ。言伝は頼んであるとはいえ、まだ護衛の最中だぞ」
「惚れたか?」
 まさか、と私は肩をすくめる。
 ともにいれば、楽しいとは思う。からかわれることも、不快ではない。
 あるいは、護衛という任がなくても、力になりたいとは思う。
 とはいえ、そういう関係になるつもりはない。というか、なるところが想像さえできない。
「そろそろ下種、と呼ぶぞ」
「それは勘弁だ。お前にそう言われると物凄くへこむ」
 お手上げ、と早太は両手を上げた。
 さて、と休憩に入ろうか、といったところで、
「お前たちはもう帰れ」
「よろしいのですか? 頼政様」
 ああ、と頼政様はため息。
「泰親が夜闇にまぎれて妖怪がいる、と断定した。
 呪いの主かどうかはわからんが、わしらは夜、清涼殿の警護に当たる」
「「承知しました」」



 ひょー
     ひょー
   ひょー
       ひょー



 空を覆うは暗い黒い雲。
 星明り、月明り一つ見えない夜。

「で、なにがどこにいるんですか?」
 真っ暗だ。
 理由は一つで、空を覆い尽くす黒雲。
「雨が降らなければいいのだがな」
 早太に私は頷く。雨の中での戦は避けたい。
「この雲は雨を降らせん」
 頼政様、――って、
「それは、雷上動?」
 うむ、と頷く頼政様がもつものは、文殊菩薩由縁の弓。戦でも滅多に持ち出さない、頼政様の持つ切り札。
 そして、取り出した矢筒は二つ。
 一つは普通のものだが、もう一つは、――丁寧な装飾を施された、一目で特別なものとわかる代物。
 その中にあるものは、
「まさか、水破と兵破を?」
「当たり前だ」
「また、随分な重装備ですね」
「それだけ、今回の妖怪は厄介なのだそうだ」
 それと、と頼政様は懐に手を入れて、
「お前たちも、これを使え」
 ぽいぽい、と無造作に放り投げられたのは、鉈のような分厚い短刀。
「並みの刀では刃が通らぬかもしれないからな。
 骨食、とかいう刀だ。相手が硬かったら使え」
「「ありがとうございます」」
 早太と礼をいい。その短刀をニ、三度振るう。
 肉厚の刃は重い。
「刀を構えろ。――――行くぞ」
 刀に手を添える。
 そして、ぎり、と、音。
「落とすぞ」
 ぎり、ぎり、ぎりぎりぎりぎり、

 ひょー、と。音が鳴る。

「構えろっ!」
 ぼっ、と、閃光のごとき水破の一撃が黒雲が消し飛ばし、虚空を穿ち、――「行くぞっ!」
「おうっ」
 だんっ、と屋根を疾走。
「妖怪か、大物だな」
 早太の言葉が緊張に歪む。
 見たこともない妖怪。
「お前には何に見える?」
 早太の言葉に、私は頷いて、
「噛みつくのには向かぬな。
 警戒するなら、四肢と、尾の蛇か」
 だんっ、と屋根を踏み砕いて疾走。そして、私たちをみてその妖怪は顔を上げる。
「先行する」
 だんっ、とさらに加速。早太は一歩速度を落とす。そして、
「ふっ」
 一閃、その顔めがけて刀を振る。
 一歩、退くだけで回避。
 そして、居合を外した私めがけて、鋭い爪をもつ一撃が打ち込まれる。「早太っ!」
 だんっ、と屋根を踏み砕いて大跳躍。爪の一撃を回避。そして、
「せっ!」
 後ろから来た早太がその腕を叩き斬る。――否。
「ちっ」
 ぎんっ、と音。
 そして、跳躍した私めがけて迫る。尾の蛇。
 喰らいついてくる。
「舐めるなっ」
 刀を前へ、喰らいつく蛇の口を押さえる、――が。
「く」
 突き飛ばされる。だん、と着地、同時に私は右へ。早太は左へ爆ぜる。
 その中央を、妖怪がその巨体が突撃。その激突を受けた屋根が粉砕する。
「まともに食らったら死ぬな」
「まったくだ」
 死ぬわけには、いかない。
 その、猿のような顔がこちらへ。尾の蛇は向こうにいる早太を睨んでいる。
 そして、突撃。
「刀では切れんぞっ」
「まったく」
 頼政様にいただいた骨食を抜き、右手に持ち、左手に刀をもつ。
「せっ」
 喰らいついてくる猿の顔。――その右目めがけて、左手の刀を突く。
 反射的に、左に避けた。刀は硬質な顔に弾かれる。
 横に抜ける? 否、と私はさらに後ろに跳ぶ。駆け抜けざまの爪の一撃を回避。
 そして、さらに伸びる蛇、――が。
「舐めるなっ!」
 その尾を、骨食が斬り落とした。

 ひょー、と声。

 斬り落とされた蛇は屋根の上でのたうち動きを止める。そして、妖怪は屋根を踏み砕きながら止まる。
 その、猿の顔に浮かぶのは、憤怒か。苦痛か。
 だんっ、と妖怪が跳躍する。
「逃げろっ!」
 たんっ、と屋根の上を疾走。――直後、その妖怪は巨体をもって家を踏み砕く。
「ここ、避難出来ているのか?」
「妖怪が戦う場に残る馬鹿がいるのか?」
 知らん、と私は応じる。
「降りる。早太、上は頼む」
「おう」
 たん、と路地に降りる。
 目の前には、家を粉砕した妖怪がいる。
「まったく、面倒だな」
 どんっ、と瓦礫を蹴散らして妖怪が突進してきた。
 たんっ、と右へ避ける。妖怪の突撃は家をたやすく粉砕する。
 が、
「単調だ」
 家を粉砕した妖怪はすぐにこっちへ向く。――が、そのころには私は横を駆け抜けて、
「せっ」
 その足を、骨食で斬りつける。
 斬り落とすには、流石に行かないか。
 切り傷から噴き出すのは、何かの粉。
 そして、――咆哮。突撃。
 大質量の突撃と、その破壊力を回避して、笑う。
 さあ、来い。

「平安の夜は、――これからだ」

//.開幕

 だん、だんっ、と頼政は屋根の上を疾走。そして、
「んっ」
 矢を射る、――それが、弾かれる。
 急がねばな。
 頼政はそのことを念頭に置いて、さらに追いすがる。
 相手は、屋根の上を疾走する一人の少女。
 ひゅんっ、と音。
「このっ」
 逃げる少女が持つ三又の槍。それが矢をはじき返す。
 妖怪、か。
 頼政が射るの矢を弾き逃げる。外見通りの少女はもちろん、熟練の武士でも難しい。
「ああもうっ、追いかけてこないでよっ」
「悪いが、仕事でなっ」
 走りながら矢を番え、射る。
「鬱陶しいっ!」
 ぎんっ、と音。
 そして、少女はその異能を開放。
 ふわり、黒雲が辺りを包み、その姿を「させるかっ!」
 ぼっ、と水破が大気を切り裂く音。
 そして、黒雲が祓われる。
「ああもうっ!」
 苛立ったように声を上げる少女が、一転して疾走。
 む、と眉根を寄せる頼政。そして、真っ直ぐに繰り出される槍。
「死ねっ!」「貴様がなっ!」
 ぎんっ、と三又の槍と、刀が激突する。
「うそ?」
 妖怪の槍を受けた一刀。――頼政は凄絶に笑う。
「光栄に思えよ。
 帝様よりお借りした宝刀など、滅多に見れぬぞ?」
 そして、
「吼えろっ! 獅子王っ!」
 獅子の威が、解き放たれる。
「うそっ!」
 ごっ、と、放たれる咆哮が少女を弾き飛ばす。
 がぎんっ、と獅子王を鞘に叩きこみ、頼政は再度矢を番える。
「堕ちろ」
 正確無比の三連射。曲芸にも近い速射は頼政の技巧をもってそのすべてが必殺。
「なめるなっ!」
 ぎぎぎんっ、と人より外れた動体視力が高速の矢を見極め一閃、振り抜かれた槍が矢を叩き落とす。そして、少女は吼える。
「人間っ!」
 その手に絡みつく蛇が、頼政に食らいつく。
「なめるなよ」
 高速で迫る蛇に、番えた矢――水破を向けて、
「妖怪っ!」
 真っ直ぐ迫る蛇を、真っ向から貫く。
「つっ」
 少女は転がるように矢を回避、そして、水破は屋根を貫通。
 たんっ、と頼政は疾走開始。それを見て少女は跳ね起きて疾走。
 人と妖、お互いの疾走によりその距離は瞬く間に縮まり、――――
 その瞬く間に、頼政は五の矢を放ち、少女はすべて槍で弾き飛ばして蛇を振るう。
 振るわれた蛇を獅子王で叩き斬り、突きいれられる槍を首皮一枚かすらせ回避。
 ぱっ、と血が舞う。
 ぐんっ、と人は旋回、妖は身構えて、
「吼えろっ!」
 獅子王の咆哮が身構えた防御の上から打撃して吹きとばす。
「なんなのよ、その刀」
「帝様から借り受けたものだ。――わしもよくわからんが」
「わけのわからないものなんか使わないでよ」
 はっ、と頼政は笑う。
「貴様を討てれば、なんでもよい」
 ひゅんっ、と音。
 少女は槍の一閃で矢を弾き飛ばす、が。
「ん?」
 いない、と視界を巡らせて、
「わしもな、まだあの餓鬼二人に速度で劣るつもりはない」
 ふわり、と。人よりはるかに高い動体視力をもつ妖怪さえ見逃す、神速をもって頼政は妖怪に迫る。
「あんた本当に人なのっ?」
 信じられない、と妖怪は悲鳴を上げて跳躍、その足元、胴があった場所を銀閃が切り払う。
「知るかっ!」
 跳躍、そして、着地。同時に槍を振り射られた三の矢を叩き落とす。
 だんっ、と音。頼政は再度の疾走。
 が、
「二度も、食わないわよっ!」
 槍の石突きを突き出す。そして、
「んっ」
 無理な体勢から旋回、力任せに穂先を自分の横に繰り出す。
 横、つまり、
「くっ」
 唐突に目の前に現れた三又の槍に、頼政は反射的に獅子王で受ける。
 ぎんっ、と音。
「あはっ」
 噛んだ、――三又の槍が刀を抑える。
「ちっ」
 ぎりぎりと、力比べは妖怪である少女が余裕で頼政を追いつめて、
「え?」
 ふと、抵抗が無くなる。
 手を離し、妖怪が弾いた方向に、真上に飛んでいく獅子王。そして、振り下ろされる手。
「っ!」
 刀を跳ねあげられ、振り上げた手は、背負う矢筒から矢を抜いて、そのまま振り降ろす。
 ぶんっ、と振り下ろされる鏃を少女は回避。が、頼政は止まらない。
 振り下ろした矢を振り上げ、片手には雷上動、振り上げる手と、振り下ろした手が交錯同時に番えて射撃。
 精緻にて精密を極めた連動から放たれる射撃が、今度こそ少女を貫いた。
「がっ!」
 そして、それでも頼政は止まらない。弓は転がる少女の動きと連動して狙い継続。もう片方の手は即座に矢を番えて、
「ぐっ」
 次のうめき声をあげたのは、頼政。そして、かかった、と笑う少女。
 屋根を食い破った蛇が、その手に喰らいつく。
 反射的に退いて蛇の牙を回避、――が、それならば、と蛇は腕に巻き付く。
「むっ?」
 腕を締め付け、圧し折ろうとする蛇。少女は突き刺さった矢を引き抜き、その痛みに眉根を寄せて笑う。
 面倒なやつがいなくなった、と、その笑みを見て、頼政は凄絶に笑う。
「なめるなよ」空いている手を振り上げる「妖怪っ!」
「ちっ!」
 反射的に駆け出す少女。が、それより早く、振り上げた手に落ちてくるもの。
 獅子王を手に、頼政は刀を振り下ろす。
 斬っ、と蛇を切り裂き、
「ちっ」「せっ!」
 刀をとるより早く殺す、と繰り出された槍を、真っ向から叩き落とす。
 ぎんっ、と音が響き、槍と刀は屋根を穿つ。
 毒づき槍を構えなおそうとする少女。――は、目を見張った。
 屋根を切り裂いた刀をそのままに、苛烈な踏みこみとともに跳躍、その速度すべてを乗せた蹴りが腹に突き刺さる。
「ぐっ」
 たまらず吹き飛ぶ、それを、頼政は追撃。
 超至近距離、そして、屋根が終わり、少女は落ちる。頼政はそれを追い。弓に矢を番える。
 跳躍、目を見開く少女の腹に矢――兵破を押し付け、閉幕を告げる。一言。

「終われ」

 聞こえる。聞こえる。――――陰陽の術が、
「っ!」
 少女は跳ね起きる。自分を中心に展開された五芒星。
「な、なにする気っ!」
「まあ、とりあえず妖怪は封印する。
 悪く思ってもいいが、抵抗はするな」
 五人の陰陽師。そして、目の前で油断なく弓を構える頼政。
 抵抗するな、これから封印されるものが、それを受け入れるわけがない。
「このっ!」
 走る、――が、即座に射撃。弾こうにも、槍は離れたところに突き刺さっている。
「ぐっ」
 右、避けたところに射撃。それも転がるように回避、が、立ち上がる。それを見越しての射撃。
 頼政は苦笑する。倒す、ではなく時間稼ぎ。それならひたすら動きを封じるために射撃を繰り返す。
 光は強くなる、逃げる、――――は、間に合わない。
 だから、妖怪は問う、殺意に満ちた視線を叩きつけて、
「貴様、――名前は? 地獄の土産に教えてくれる?」
「源三位頼政。
 貴様を射た矢をもつ者の名。地獄まで持っていけ」
「源三位頼政」少女は、完成する封印の向こうで、嗤う「覚えておくよ」

 そして、妖怪は地下に封じられた。

「さて、あの餓鬼どもはなにやってるかな」
 頼政は、それを見届けて走り出した。

//.閉幕

「…………強いというよりは、面倒なやつだったな」
「そうだな」
 はー、と道にへたり込んだままの早太。そして、私もため息をついて壁に背を預ける。
 その先、骨食でばらばらに解体した妖怪がいる。
 切り裂いた四肢はいきなり蛇になったり鳥になったりで、後半は何と戦っているのかよくわからなくなってきたが、ともかく、退治した。
「終わったか」
「頼政様? ――って、どうしたのですか?」
「ん?」なぜだかところどころぼろぼろになった装束を面倒くさそうに見て「屋根から落ちた」
「なわけないでしょっ!」
「ああもううるさいっ!
 わしが問題ないといえば問題ないっ! さっさと清涼殿に行って飯食って帰って寝るぞっ」
 そういってずんずん歩きだしてしまった。
 はあ、と、ため息が重なる。
「まったく、頼政様は、平気なわけないのに、いつだって強がる」
「心配かけさせまいとしているんだろうな。まったく、少しぐらい心配させてほしいんだけど」
 そろってため息。こういう時の頼政様の無茶無鉄砲は、頼もしくある以上に心配になる。
「…………無駄口叩いてないでさっさと歩け、餓鬼ども」

「くそっ、中納言はいない。か。――――しょうがない。
 二人は帰って明日に備えろ。わしは「頼政」と、泰親か?」
 ちょうどいい、と頼政様が振り向いて、泰親様の顔を見て、私と早太も眉根を寄せる。
「どうした?」
「呪いの出所がわかった。
 地脈を通じて呪いをかけていたらしい」
「地脈? ――わしはよくわからんが、確かよくある方法、ではないのか?」
「そうだ。
 問題は、場所だ」
 そして、泰親様は私を見て、
「場所は、弘川寺」
 その言葉を聞いて、思い浮かんだのは、桜の木の下の死体と、
「娘、様?」
 まさ、か。
「話は、陰陽の頭から聞いている」
 続く声に、私や早太だけでなく、頼政様まで肩を跳ね上げた。
 その声、病により衰え、それでも、覇気を失わない。
「帝様っ!
 早く寝所に御戻りをっ!」
 頼政様が声を上げる、が、帝様は無視して、
「お前か、例の、姫の護衛は」
「は、「そのままでいい」い?」
 そして、有無を言わさず私に一枚の紙を押し付けた。
「勅命だ。弘川寺に急げ」それと、と視線を向け「頼政、それと、お前はここに残り、敵を滅ぼせ」
 敵? という疑問。そして、気付いた。
 帝様のその手には、剣が握られている。
「帝様っ!」
「案ずるな頼政。
 とりあえず、今の呪いに特化した結界を張った。清涼殿だけならしばらくは持つだろう」
 ただ、と泰親様が告げる前に帝様が頷いて、
「頼政、獅子王はくれてやる。
 伏見や土御門が残した鬼どもが暴れ始めている。今は押さえているが、時間の問題だ。
 恐らくは、誰かが呪いに対する結界の構築を見て暴走させたのだろう。お前たち二人は、その掃討をしろ」
「「はっ」」
「それと、富士見の名だが」
「はい」
「死な不の身ではない、と思う。恐らくは、死を見不、の不死見だ。
 その娘は、死に近い何かの力を持っているのかもしれぬ。そして、それを封じるため、その名を与えられたのだろう」
 え?
「ま、――さか、娘様、が、帝様、を?」
 あの、笑顔を思い出し、問う。――その答えは、
「わからぬ。そもそも、その娘を弘川寺に送った佐藤中納言が見当たらぬ。
 ともかく、急ぎ弘川寺へ行けっ! 行って、この呪いを終わらせろっ!」
「はいっ」

//.開幕

「見るも憂しいかにかすべき我が心――――――」

 ぽつり、十数の割腹死体により真っ赤に染まった桜の下で、富士見の娘は呟く。
 真っ赤に染まった大地。
 ぽつん、とその中で、人として唯一の生ある少女は呟く。
 その死体がだれなのか、わかっている。
 わかっている。都より荷物を届けてくれた人たち。
 運ぶのを手伝おうか? その問いに笑顔で少女を働かせるなんて、運び屋の名折れだ、と笑った人たち。
 代わりにと振るまったお茶を笑顔で飲み、容姿を讃えて囃し立て、同じように荷運びをした女性が怒って、
「こんなに綺麗な娘さんなら、もっと上等な着物をもってくればよかった。…………ええ、着てみたかったわ」
 ぽつり、呟いた言葉に、そして、俯く。
「……また、お話、したかった、な」
 弔おう、と。少女はその死霊を見る。蝶の形で浮かび上がる死霊を、空へと還すために操る。
 空を見上げる、空にはちょうど満月。美しい、と思った。から、
「せめて、綺麗な世界に還れますように」
 そう、祈り、死霊を操る。――――操ろうとして、

「――――――かかる報いの罪やありける」

 ぽつり、そんな声を聞いた。

「貴方、は?」
 問う先に、一人の少女がいる。
 悔悟の棒をもつ、小柄な少女。
「閻魔です」
 死者を裁く、――その、絶大な権力の行使者は、感情の交えぬ声でそう名乗る。
 その名、――伝え聞く少女は問う。
「閻魔、様?」
 震える言葉を、閻魔は当然、と内心で思い。その思いを表に出さず、悔悟の棒を向ける。
「貴方は、これから罪を犯します」
「罪?」
「貴方も感じているでしょう。
 その、貴方に宿る、死を」
 とくん、――と。
 誰にも話さなかった。だれにも知られようとしていなかった。――それこそ、あの妖怪以外には、
「な、なんの、こと、ですか?」
 意味のない、そのことを自覚しながらの言葉に、閻魔は頷いて、
「嘘は罪、……まあ」閻魔は苦笑「認めたくない、その気持ちはわかるので、咎めません。が、――」
 す、と悔悟の棒を向ける。
「自覚しなさい。……罪を、とはいいません。
 ですが、貴方の持つ、その異能は、あまりにも強力すぎる。目をそらすことさえ、罪となるほどに」
 そして、と閻魔は目を伏せる。その口元がつらそうに歪む。
 それを見て、少女は思う。
 この人は、真面目な人なんだな、と。
 真面目で、言うことさえつらいのに、それでも、閻魔、という名が、――否、それに向き合う自分が、口を閉ざすことを許さない。
「そして、今は、貴方の名。
 不死見の名に守られているとはいえ、もし、貴方が、元の、死穢の名を思い出したのなら、貴方は、存在するだけで死をばら撒く」
 そう、と、少女は頷いた。
 閻魔は、その諦観の行動にもう一度、目を伏せる。
 わかっていた。わかっている。
 その身に宿す死が、ただ、見えなくしただけでは、膨れ上がることを抑えられないことを、
 なら、
「私は、死んでしまったほうがいいのかしら?」
 ぱぁんっ! と、音が鳴った。
 一瞬遅れて、叩かれた頬に触れる。
 痛みはない。その棒は、驚くほど軽い。――けど、
 重かった。どうにもならないほど、重かった。
 その、無罪を宿す悔悟の棒を振るった閻魔の表情が、
「自死は」
 ぎり、と、音。
「自ら、死ぬことは、生を、生きてきた今までを、すべて否定すること、
 そして、貴方の世界も、すべて否定する。三途を渡る六文を払うものは、その意を否定され、三途を渡ることさえ、……否、船に乗ることさえ、出来ない。
 徳も罪も否定し、天界へも地獄へも行けない。永遠に、その魂が消え果てるまで、三途を彷徨う」
 それは、と閻魔は呟く。
「生前も死後も、すべてが無為となる結末など、私は認めない。
 罪はなくとも、それでも、私は許さない」
 だから、と閻魔は呟く。
「貴方の、その、死を招く力を、封じる術を探しなさい。
 そう、自らの異能に向き合い、それを克服すること、……それこそ、貴方の積むべき善行です」
 と、
「娘様あっ!」
 だんっ、と音が聞こえた。その声を聞いて、閻魔は微笑む。
「貴方一人なら無理でも、彼は、手伝ってくれますよ」
 そうね、と呟いた。


「手遅れだよ。西行、妖」


//.閉幕



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