「あら、御侍様」
「こんにちは、大過はないでしょうか?」
「ええ、御蔭さまで」
 娘様はころころ笑う。その手には、山菜、か?
 視線が気になったのか、娘様は手元の籠を見せて、
「あそこの山で採れたの。
 これからお昼にしようと思って」
 お昼、その言葉を聞いて、――――くう、と音。
 うぐっ、
 思わず固まる私と、娘様は、きょとんと、沈黙。
 やがて、
「ぷっ、……く、く、ふふ」
「…………笑いたければ好きなだけ笑ってください」
「あ、いえ、ごめんなさい」くつくつ、と娘様は一息「ごめんなさい。意外だったものだから」
「意外、ですか?」
「ええ、御侍様はもっとしっかりしているものと思っていたわ」
「そう、ですか?」
「ええ、おいくつかしら?」
「大体二十、です。
 頼政様に拾われて十年。それ以前はあいまいですが」
「そう。なら私より年上なのね」
「おいくつですか?」
「女性に年齢を問うものではないわ。
 御侍様」
 笑いながらそう言って娘様はこっちよ、と軽く声をかけて歩き始める。
 弘川寺の本坊。土蔵を右手に眺めて、目の前の部屋に上がる。
「じゃ、軽く料理してくるわ。
 そういえば、御侍様はたくさん食べるかしら?
 お米やお魚はあまりないけど、お野菜ならたくさんあるわよ」
「あ、いえ、娘様と同じで構いません」
 そう? と娘様は首をかしげてどこかへ。
 それにしても、食材か。
 山菜は取れるようだが、米は流石に無理だろう。備蓄はあるかもしれないが、……あまり娘様の逗留が長引くようなら、一度都から運び込んだほうがいいかもしれない。
 こちらの都合で母君より離されて独り暮らしているのだ。不便はかけたくない。
「それにしても、広いな」
 外から見た本坊は、独り暮らしには広すぎる。
 やはり手伝うための使用人を見繕ったほうがいいか? 掃除とかも大変だろうし、――と、つらつら考えていると、
「お待たせしました。お腹なっていません?」
「なっていませんっ!」
 あらあら、と娘様はころころ笑う。ふと、
「あ、とってきますよ?」
「いいわよ。せっかくのお客様? なんだし、楽にしてて」
 そういって、直ぐに背を向けて歩きだしてしまった。
 お客様、――っていうわけでもないのだが、ともかく、娘様はてきぱき、と配膳を済ませ、
 料理を並べて座る。いただきます、と手を合わせ、
「この場には慣れましたか?」
「ええ、……まあ、少し寂しいわね。
 母様と一緒に暮らしていたから」
 そして、ふと、首をかしげて、
「そういえば、御侍様はどういった用事なのかしら?
 まさか、忘れ物?」
 心当たりないけど、とおっとりと首をかしげる娘様。とりあえず私は告げる。
「娘様の護衛です」
 は? と娘様は箸を落とした。
「私、の?」
「はい」
「なぜかしら? 私は大丈夫よ」
 箸を拾い、努めて、押し殺した声で娘様は言う。とはいえ、
「今、都は荒れています。
 ここは都からは離れているとはいえ、いつ賊が来るかもわかりません。若い女性が一人、というのは危険です」
「ここはお寺よ?」
「ならばこそ、隠れ家になるでしょう」
 最後の言葉に、娘様はため息。
「頑固な方ね。……まあ、いいでしょう」
「ありがとうございます」
 言うと、きょとん、と娘様は呟く。
「護ってもらうのは私なのだし、なら、私が礼を言うべきじゃないかしら?」
「………………かもしれません」
 また、娘様がくすくす笑う。私はため息。
 どうも、調子が狂うな。
「いつまでかしら? ……というか、私はいつまでここにいればいいか、聞いてらっしゃる?」
「いえ、どちらも」
「そう、長くなるようなら一度家に戻って私物を持ち込まないとならないわね」
 頷く。ある程度の服は持ってきたが、足りなくなるものも出てくるかもしれない。
「その時に今後について確認はとりましょう」
「それがいいわね。
 私も、生活に不便はないけど、母様とも会いたいわ。たまには」
「母君も共に暮らしてよいか、それも聞いてみましょうか?」
「そうね、お願い」
 なら、と荷物を思い出しながら、
「来週にまた都に戻りましょう」
「それまでは護衛なのねえ」
 ため息交じりの言葉に、私は首をかしげて、
「何か不都合があるのですか?」
「だって、…………私と二人きりで一つ屋根の下なんて、……………………はしたない」
 っ! むぐっ、
「うぐっ、……げほっ、げほっ、げほっ」
「………………………………なんでそんなにむせるのかしら? 御侍様」
 半目の視線を向けられる。――そういえば、まったく考えてなかった。
「…………粗相するつもりはありません。……まあ、必要でしたら言ってください。
 都に戻り同性の護衛を改めて頼みますから」
「あら、冗談よ」また娘様はころころ笑って「貴方面白いわね。娯楽的に気に入ったわ」
「……出来れば護衛として気に入ってほしいのですが」
「それはこれから決めます」

 護衛、といっても基本的にやることはない。
 娘様は確かに家事全般が出来るらしく。好んでそれをやるため家事さえやることはない。
「御侍様は家事とかできるの?」
 洗い物を終えた娘様が問いかける。私は頷くと、意外そうな顔をした。
「御侍様はそういうことやらないものだと思っていたわ」
「位の高い侍でしたら従者を雇いそちらにやらせますが、私はそのような余裕もありません」
 どちらかといえば、私自身が従者のようなものだし、頼政様にやらされた事もある。
 おかげでいままで不便を感じたことはないけど、――まあ、同居している早太がいつも怠けているのはいただけないが。
「そう、……さて、御侍様の使う部屋とか決めちゃいましょうか」
 それとも、と笑って、
「護衛対象と同じ部屋がいいかしら?」
「……娘様、あまりからかうのはやめてください」
「いやよ、孫までからかってあげる」
「何の呪いですかっ!」
 思わず叫ぶ私に、娘様はころころ笑う。
「ま、とはいえあまり離れているのも難かもしれないわね」
 ふと、歩き出した娘様は「そうだ」と、こっちをみて、
「ついでだから本坊の中を案内しましょうか?」
「はい、お願いします」
 生活の場になるのなら、と私は頷く。
 本坊には全部で五室。門から入ったところに見える二室、その奥に二室。
 そして、左手、通路があり、その通路に添うように一室。
「これは?」
 左手、通路から見える庭園、そこに咲く、――まだ、咲き切れていない紅の花。
「かいどう、という花らしいわ。
 まだ満開じゃないわね」
 残念、と娘様は呟く。
 通路を抜ける、右、厠、それと、台所、浴場が奥にある。
 そして、奥へと続く回廊。それと、
「見事なものですね」
 向こうに広がる、庭園。そして、色づく山。
 思わず見とれる私に、くすっ、と微笑。
「どうしましたか?」
「あ、ううん。なんでもないわ。
 ただ、私と同じ感想だったなあって」
「そう、ですか?」
「ええっ」
 ぱっ、と楽しそうに笑う娘様。
 共感が得られた、ということは嬉しい、か。
 さらに奥へと歩く、――「おや?」
「なにかしら?」
「障子に、何かの絵が」
「唐獅子かしら?」
 ひょい、と覗き込む視線の向こう、障子に描かれた絵がある。
「住職の趣味、でしょうか?」
「かもしれないわね」くすくす、と笑いながら「ああいう、細やかなところに気を配る。粋な人ねえ」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
 そして、通路沿いに歩いて、奥。
「ここが最後よ」
 最後、広い一室に、見事な装飾が施された黒檀の机がある。
 広い部屋、恐らくは、宴か、あるいは会合か、なにかで使われていたのだろう。
「で、終わりよ。
 じゃあ戻りましょう。なにか気になるところとかある?」
「いえ、大丈夫です」
 ざっと見た限り、隠れらえそうな場所もない。頷く私を見て娘様は歩き出す。
 そして、食事を取った部屋へ。
「お侍様は、どうします? この部屋を使う?」
「そうですね。
 賊が来た場合も、ここなら早く抑えられますし、――では、この部屋を使わせていただきます」
「ええ」
「それと、娘様が使っている部屋は?」
「あら? 夜這いのための情報収集かしら?」
「だからっ!」
「冗談よ、そうかりかりしないでくださいな。
 私は隣の部屋にいるわ」す、と壁を示して「奥の部屋よ」
「わかりました。
 では、使わせていただきます。何かありましたら呼んでください」
「からかうために?」
「護衛として、御用がある場合は呼んでください」

「はあ、調子が狂う」
 女性というものはああいうものなのか、
 改めて、女性と接する機会がないと生活を思い出す。
「なかなか難しいな」
 それに、今はやることもない。
 外でも走ってようか。庭先を走る程度なら問題はないだろう。
 体がなまるといざという時に対処も難しいし、そう追加で思い私は立ち上がる。
 部屋を出て迂回する。――――ここか、障子と、その奥に座る女性の影に、
「娘様」
「何かしら?」
「少し庭にいます。
 用がありましたらそちらに」
 す、と扉が開いて不思議そうに、
「庭に出て何やるの? 掃き清めてくれるのかしら? もうやったけど」
 なにやるのか? ――さて、なんというのか、
「訓練を」
 とりあえず思いついた言葉を告げてみる。あら、と娘様が、
「御侍様の? 私も見ていていいかしら?」
「面白いことなどありませんが」
「ここでぼーっとしているよりは面白いと思うわ。
 期待しているわよ」
「はあ、……いや、期待されても困るのですが」
 なぜだか娘様は不満そうに口を尖らせた。

 結局、娘様も縁側に腰を下ろす。
「そういえば、御侍様」
「はい?」
「刀とか持ってきているの? 弓矢とか」
「いえ、私は弓矢など扱えません。
 刀はありますが」
「そう?」
 弓矢は、頼政様が凄まじく巧い。
 正確無比な狙いはもちろんのこと、その一撃で確実に撃ち抜く威力は数多の戦場でも他に見たことがない。
 さて、と。軽く体をほぐして庭を走り始める。
 あれ? と、娘様の意外そうな声。
「御侍様、刀を振るうのではなくて?」
「基本は足腰です」
 と、庭先で走り回る。娘様の表情は一周回るごとにつまらなさそうになっているが、楽しませるためにやっているわけではないので無視。
「御侍様」
「はいっ?」
 聞いた事もない冷えた声に、思わずそっちを向くと、膨れた表情の娘様が、
「退屈よ」
「だから、たの「退屈」いえ、ですから「退屈」そもそもくん「退屈」最初からたの「退屈」……………………何かご要望はありますか? 娘様」
 項垂れる。ぱっ、と娘様が笑顔を見せて、
「なら、刀を使った訓練とかを見せていただける?」
「そんなに珍しいものでもありませんよ」
「それは御侍様が、でしょう?
 あ、見せてくださいますか? 本物の御侍様が持つ刀、見てみたいわー」
 危ないですよ、と私は一言告げて刀を娘様のところへ。
 手を伸ばそうとするのを引っ込めて避け、刀を抜く。
 鈍い、銀色の輝き。
 人を殺す、銀色。
 娘様はそれに見入る。――そして、一言。
「綺麗、ね」
「はあ?」
 見慣れたその輝きに、なにか面白いのだろうか? と首をかしげる。
「なによ、失礼な反応ね」
「あ、いえ、まさかそのような言葉が出るとは」
「そう思わない?」
「私には見慣れたものですから」
「私が持っているのより綺麗ね」
 へ?
「娘様も、刀を?」
 問いに、んー、と娘様は首をかしげて、とたとたと奥へ。
 なにか取りに行ったのだろうか? ほどなく戻ってきた。
 その手には、やや短めの刀が握られている。
「これ、銘とかはわからないんだけど、なんでも迷いを断つらしいわ」
「はあ? また、妙な刀ですね」
 迷いを断つ? か、
「父様が出家するのをさんざん迷ったみたいだけど、この刀で断ち切ったとか」
「…………自刃でもしたのですか?」
「さぁ? よくわからないわ。
 まあ、決心したのでしょう。どうやってかはわからないけど」
 それにしても、と改めて娘様は刀に視線を落として、
「これも、命を奪う輝きね」
 ぽつり、そんな言葉がこぼれた。
 そして、ふと、山を見上げる。
 桜の白がちりばめられた山。
「娘さ「あっ、そうだ」はい?」
 いい事を思い付いた、と、そんな表情で、
「御侍様は剣舞とか舞えます?
 母様が言っていたわ。武士は教養の一環として剣舞とい「出来ません」」
 興味津々、という言葉を私は叩き潰した。
 あ、膨れた。
「膨れられても無理なものは無理です。
 お見せできる訓練も面白味のない素振りのみ、とあらかじめ言っておきます」
「えーっ」
 膨れられても困るのですが、
 結局、私はいつも通り素振りと、それとしばらくの走り込みを続けた。
 退屈退屈駄々をこねていたが、結局娘様は飽きもせず私を見ていた。

 夕刻、私は一息つく、と。
「御侍様、私はちょっと裏の山に行ってくるわ」
「どうしましたか?」
「いえ、山菜と、
 それと、前の住職のかしら? 小さな菜園もあるから野菜をとってくるわ」
「同行します」
 護衛として、というと娘様は助かるわあ、と笑って、
「重たいのよね、野菜」
「…………もちますよ。もちます」
 護衛ってこれでいいのだろうか、慣れないことはやるものじゃないな。と私はため息をついた。

 籠を担いで――当たり前だが私が――裏の山へ。
 思い出すのは、あの、桜の木。
 結局、なぜ住職は自害をしたのだろうか?

 零れた血はまだ乾ききっていない。自害したのはそう昔ではない。
 確かに都からは離れており、その分不便があるかもしれないが、そんな理由で自害するなど考えられない。
 そして、
 なぜ、人は自ら死のうとするのか、か。
 さく、さく、と娘様と私は山道を歩く。
 刀を腰に、籠は右肩のみに担い一挙動で捨てられるように、
 さく、さく、さく、さく、山道を歩く。
 ふわり、空気に混じる桜の香り。
 足元に散らばる、白い花弁。
「満開、ですね」
「そうでもないわ。
 まだ七分咲き、というところね」
 ひらひらひら、と花弁が舞う。
 さく、さく、さく、さく、――――「娘様」
「血の匂いかしら? よくわかるわね」
「へ?」
 幽かに、桜の匂いにまぎれて感じる血の匂い。
「あの桜よ」
「わかるの、ですか?」
「ええ、数少ない経験則で」
 す、――と、視界が広がる。

 桜の花に、血を捧げ、桜の木に、屍を捧げ、
 ――――さあ、死色の桜を、咲かせましょう。

「……また、…………ですか」
 ぞくり、とするほど、美しい光景。
 真っ赤に染まった地面と、桜の樹に背を預けた屍。
 手には鉈、貫かれた腹部は大きな穴があいている。
 とくとくとくとく、――零れおちる血。桜の捧げられる紅い生命の水。
「ええ、また、…………昨日もだけど」
 娘様は、無言でその桜のところへ。
「御侍様、この方を弔いましょう。
 このまま放っておくのも可哀想だわ」
「そう、…………ですね」

 誰とも知らぬ亡き人を無縁塚に葬る。
 先日もあった、という言葉は事実なのか、無縁塚には農具や、大きな布が用意してあった。
 かすかに付着した紅と、やはりかすかに漂う血の匂いは、それが少し前に使われていた、と物語る。
「これ?」白い大きな布を見ていた私に娘様が「お寺にあったのよ。勝手に使わせてもらっているわ」
「そう、ですね。仕方がありません」
 無縁塚に私と娘様は小さく手を合わせて祈り。――――目を開ける。
「御侍様、お野菜をとってきましょう。
 大丈夫、かしら?」
「娘様こそ、先に戻られてはいかがですか?」
「気遣いだけもらうわ。
 私は大丈夫よ」
 はい、と頷く、とはいえ、
「とはいえ、……その、どういった理由なのでしょうか?
 娘様がいらしてから、これでは立て続けに人死にが出ている、ということですよね」
「ええ、加えて皆自害ね。
 まあ、誰かが手に掛けた後に自害に見えるように、……というのもあると思う、けど」
「いえ、それはないと思います」
 それはない、文字通り桜の木の下に広がる血の池。そこに誰かが踏みいった形跡はない。
 住職も先の男も、凶器は手に持って腹の上に置かれていた。あれだけの血だまりに跡をつけないであんな細工をするなど、不可能だ。
「なにか、悪い気でもあるのでしょうか?」
「妖怪、とか?」
「妖怪が自害に見せかける必要性はないでしょう」
「そうねえ。…………うーん、もう私には考えつかないわ。
 悪い気、って何とかなるものかしら?」
 そうですね、――と思い出し、
「この近く、信貴山というところに高名な聖がおりました。
 帝の病魔をその場に居ずに、山に居ながらに祓った、というので相当の腕前でしょう」
「おりました、かしら?」
「はい、……元々が伝説のような人でしたが、もう亡くなっています。
 あとは、陰陽の頭でしたら、話は出来ると思います」
「あら、陰陽の頭なんて言ったら相当高い位じゃない?
 そんな人ともお知合いなの? 凄いわあ」
 どこかからかう感じで娘様。
 よかった、と思う。
 知らぬ者とはいえ、何日も連続で人死にに立ち会い、その埋葬を行った。
 体力的にも大変だろうし、なにより、精神的にもきついだろう。
 だが、ころころ笑う娘様には、そう言ったところは見えない。
「いえ、私が直接、ではなく、頼政様のお知り合いです」
「ああ、御侍様の養父の、……とすると、その御父上、……といっていいかしら?」
「光栄です」
「その御父上は、よほどの人物なのでしょうね」
「はい、かの酒呑童子を打ち滅ぼした源頼光に勝るとも劣らぬ武士であると、私は思っています」
「あら、それはすごいわ。
 なら、例え鬼が来ても平気ね」
「頼政様ならば、必ずや打ち払ってくれるでしょう」
 言うと、とん、と娘様は私の額を押す。
「娘様?」
「貴方に言ったのよ。
 そんな強いお方のもとで育ったのなら、貴方がいれば鬼が来ても平気ね、と」
 それは、――――――「ど、努力します」
「期待しているわよ。護衛さん」
 くすくす笑って覗き込む娘様、その瞳にある期待と、信頼と、悪戯と、――私はため息。
「……………………はい」

 その後、娘様の作った夕餉をいただき、湯浴みを済ませる。
 湯浴みの時になって娘様がやたら騒ぐのでさんざん気疲れしたが、ともかく、私は床へ。
「まあ、なにもなくて良し、と考えるか」
 どうも時間が無駄になっているような気もするが、問題が起きることを護衛が期待しては本末転倒どころではないが、
 寝よう、――――私は目を閉じた。

//.開幕

 葬られた無縁塚。……そこに、一人の少女。
 名前を剥奪され、富士見、と名付けられた少女は埋めたばかりの無縁塚に立つ、そして、

 ふわり、光の蝶が舞う。

 屍に宿る霊が、少女の手に導かれて空へと変える。
 空へと返した死霊を見て、ほう、と一息。
「せめてこのくらいは、……かしら?」
「誰っ?」
 念のために持ってきた、迷いを断つという刀を意識して振り返る、そこには、まばゆい金色の髪の少女。
 富士見の娘と同じ年くらいの少女。――彼女は優雅に微笑んで、
「はじめまして、あまりに雅な光景に誘われた妖怪です」
 一息。一息、――そして、改めて彼女を見る。
「楽しんでもらえたなら、…………まあ、あんまりよくないわ」
「楽しめる光景でもないですわ。
 それは、死霊、貴女はそれを操れる、のね?」
「…………あら、御慧眼ね」
「屍は地に、魂は空に、かくして死者は輪廻へ還る。……そういうことかしら?」
「そういうことならいいなあ、と思ってたけど、貴女がそう言うのなら正しいのかしら? よかったわ」
 あら? と妖怪は首をかしげて、
「貴女は私が怖くないのかしら? 妖怪ですよ?」
「私に害成すことが目的なら、なぜ今私を襲わないの?
 そして、お話をしているのかしら? まさか遺言でも聞いてくれる?」
 少女の問いに、妖怪は、ぱっ、と笑う。
「いえいえ、そんなことはしませんわ。
 本当に他意はないのよ。あの、光の蝶が綺麗だったから見に来た。……それと、」妖怪はぐるり、とあたりを見て「桜も綺麗ね。お花見していこうかしら?」
「付き合うわ。…………と言いたいところだけど」富士見の娘は欠伸を一つ「眠いわ。妖怪はともかく、人はもう眠る時間よ」
「そう? ならおやすみなさい。
 次はちゃんとお昼に寝て一緒にお花見しましょうか? 不思議な娘さん」
「なんか、貴女に不思議って言われるのは不本意ね」
 そういって、ため息。そして、それと、と無縁塚を示す。
 そこにあるのは、黄色い花。
「死者には花を、妖怪さん。偶さかとはいえ、これも何かの縁。
 花さえ供える者がいない無縁の仏に、どうかお花を添えてあげてくださらない? 私一人じゃこれ一輪しか見つからなかったのよ」
「ええ、そうするわ」

//.閉幕

 目を開ける。
「ん、……と、朝か」
 見慣れない天井。ここは、弘川寺。
「平穏、を祈る、か」
 私にとってはいつも通りの時間だが、娘様はどうだろうか?
 耳を澄ますが、音は聞こえない。まだ寝ているのかもしれない。
 さて、
「軽く外を走っているか」

「…………呆れた、朝から外を走り回るなんて、武士というのも大変ね」
「あ、いえ、大体私と友人くらいです」
 刀を振るうのなら足腰を鍛えろ、――とか酔っ払った頼政様に言われ、それ以降朝の走り込みは日課となっている。
「あら、御友人?」
「はい、猪早太、という。私とともに頼政様に仕えている者です」
「そう、お友達。……ふふ、今度会ってみてもいいかしら?」
「いえ、申し訳ございません。公卿よりの命で、私以外には誰も会わせるな、と言われています。
 母君は聞いていませんが」
「つまらないわー」
 だから、駄々をこねられても困ります。
 じゃなくて、
「それより、娘様。
 例の桜ですが、少し調査しようと思います」
 もしかしたら、何かあるかもしれない。
 素人である私には何もわからなくても、それを子細に観察し、陰陽の頭である泰親様に報告すれば、あるいは的確な助言が得られるかもしれない。
「私も行っていいかしら?」
「「危険ではないでしょうか?」」
 ………………えと、
「ふふ、御侍様ならそう言うと思ったわ。…………ふふふ、その、きょとんとした顔も予想通り、く、ふふふ」
「…………笑いたければ好きなだけ笑ってください」
 はあ、前にも似たようなことを言った気がする。
「ふふ、……ああ、ごめんなさい。からかうつもりだったのよ」
「それは単純にたちが悪いような」
「まあ、いいじゃない。
 それより、私も気になるわ。一人より二人だし、それで危険が取り除けるならそうするべきじゃないかしら?
 今のところ私と御侍様は平気だけど、……ううん、平気なうちに子細を調査していざという時に備えておくべきだと思うわ。
 何か原因があるのなら、早めに解決しないと、また犠牲者が出てしまうかもしれないわ」
「…………わかりました」
「……その、意外そうな顔の理由を聞いていいかしら?」
「いえ、思ったよりまっとうに論じられましたので、驚きました」
「…………私の評価がどんなものなのか、よくわかりました」
「失礼」
 と、いうわけで、私と娘様は朝餉を食べて、そのまま山へ登る。
 さく、さく、さく、と。
「ただの桜ならよかったのに」娘様はあたりをぐるり、と見て「御花見とかよさそうよね」
「そうですね。
 流石にあのような凶事のあった場所では気が退けますが」
「桜は関係ない、とはわかっているんだけどね」
「娘様はそう思われますか、桜は無関係、と?」
 問いに、娘様はきょとん、として、ぱっ、と笑った。
「あら、ふふ。御侍様は桜の木が人を殺した、とでも思っているのかしら?」
「柳は幽霊が居、古椿は妖の意思をもつといいます。
 草木も油断はならないでしょう」
「なら、桜はどんなものが宿るのかしら?」
「聞いたことはありません。
 まあ、調査すれば何か見つかるかもしまれません」
「そうねえ、
 あ、幽霊とか出たら私のこと、守ってくださる?」
「当たり前です」
 それも護衛の職責なら、と頷く。
 ふっ、と娘様は微笑んで、
「ありがとう。
 なら、……あっ、そうだ。御侍様」
「はい?」
「都も、桜は咲いているかしら?」
「そうですね」ここに来る途中見えた桜の木を思い出して「ちょうど、満開です」
「なら、来年になってしまうかもしれないけど、
 私も都にいっていいようになったら、一緒にお花見しない?
 さっきの言葉のお礼に、お酌してあげるわ」
「酒は飲みませんが」
「あら、なら花見酒が初めてね。
 ふふ、羨ましいわ」
「……飲むことは確定ですか」
「ええっ、もちろん」
 楽しそうに笑う娘様。まあ、と私は苦笑して、
「そうですね。その時を楽しみにしています」
 なら、と娘様は小指を立てて目の前に、
「娘様?」
「指切りしましょう?
 御存じ?」
「知ってはいますが」
 また、何とも子供っぽい。――苦笑する私の手を、娘様は無理矢理取って指をからませる。
「ゆーびきーりげんま、うそついたらはりせんぼんのーます、ゆびきった」
 ぱっ、と離れて、娘様は笑う。
「約束よ? 御侍様?」
「はい、確かに、娘様」
 その笑顔は、どう贔屓目に見ても魅力的で、…………だから、余計に―――なった。

 咲き誇る桜の大樹。
 昨日、血の池に沈んでいた根本は乾き、今は味気のない地面をさらしている。
「みたところ幽霊はいなさそうね。
 まあ、見えるものかわからないけど、……御侍様、幽霊って見えるのかしら?」
「強い怨念をもった怨霊ならば、その姿を現します。
 あとは、特別な資質をもったものならば、娘様はどうでしょう?」
「うーん、今まで見たことないし、多分見れないわ。
 御侍様は?」
「私も無理です。
 まあ、先に話した怨霊でしたら何度か祓ったことはありますが」
 へえ、と娘様は、目を見張り、
「最近の御侍様はそんなこともやるの? 凄いわね」
 それは、私の場合は少し事情が違う。
 というか、私が仕えている頼政様の事情だ。
 ただでさえ源、の姓をもつがためか、厄介な仕事を押し付けられることが多い、おまけにかの英雄、源頼光の子孫、という触れ込みが、さらに魑魅魍魎への対処を押し付ける後押しとなる。
 となれば当然、私は早太を巻き込んでの盛大な化生退治は多くなる。
「まあ、役柄上」
 と、そんな説明をするのも面倒なので私はとりあえず、そういった。
 武士にもいろいろあるのね、と娘様は納得してくれた。
 それより、
「あの石は、何でしょうか?」
 桜の舞う開けた場所。そこに、ぽつん、とある小さな石。
 なにか、彫り込まれている。
 調査を、そう思った私はそちらに向かおうとし、立ち止まりその石を見たままの娘様の言葉に足を止めた。
「訪ね来つる 宿は木の葉に埋もれて 煙を立つる 弘川の里」
 ぽつり、つぶやかれる言葉。
「娘様?」
「ここは、弘川。……その、埋葬地」
 娘様は動かない。
 ただ、その、小さな石を見る。
「『歌聖』西行の眠る。終焉の地」
「西行?」
 ええ、と娘様は頷いて、
「私の父様の、墓なのよ」
 娘様は、花を供えようとせず、手を合わせようとせず、――――ただ、黙って、その、小さな石を見ていた。

 結局、めぼしいものは見つからなかった。
 強いて言えば、娘様の父君。――かの、『歌聖』西行の墓石があるくらい。そして、それも特になにがある、というわけでもなかった。
 娘様はあれから、割りきったようにあたりをなにかないか探し、しばらくして苦笑して肩をすくめた。
「戻りましょう」
「そうねえ。籠とか持ってくればよかったわ。
 ついでにお野菜も取ってきたのに」
「そうですね。
 場所は解ります。私がとってきますよ」
「あら、せっかくの楽しいお散歩の機会を奪うのかしら?」
 つれないわあ、とうそくさい泣き声を上げる娘様。
「では、娘様が行かれますか?」
「私が行く理由はただのお散歩。
 殿方は頑張って働いてくださいな」
「…………別に、散歩するなら畑に行く必要はないのでは?」
「護衛の任を放棄するのかしら? 評価を改めようかしら」
「……………………はあ」
 この人は勝てない、――私はため息をついた。
 そして、そんな私を見て、娘様はくすくす笑っていた。

「ねえ、御侍様」
 山から下りる途中。ぽつり、声。
「はい?」
「御侍様は、生きるために人を殺す、といったわよね?」
「はい」
 頷く、と娘様は、ふと、視線をそらす。
「どうぞ、なんでも聞いてください。
 私でよければ、いくらでも話しにつきあいます」
 その表情が、困ったように揺れたのを見て、反射的にそんなことを言った。
 そして、改めて思う。
 聞きたいことがあれば、なんでも聞こうと。
「死ぬことは、怖い?」
「はい」
 即座に頷く、考える必要もない、――――強いて言えば、
「武士としては、臆病、と思われるかもしれませんが」
「なんで、怖いか、教えてくれるかしら?」
 それは、――
「私は、たくさんの人死にを見てきました。
 戦場で、町で、山で、……平安、と名付けられたこの時代さえ、人は簡単に死に、殺されます。
 戦場で、首を刎ね落とされて死んだ者がいます。
 山で、獣に、人であることをわからぬほどに蹂躙され、死んだ者がいます。
 町で、たべることさえかなわず、飢えて骨と皮だけになり、打ち捨てられるように死んだ者がいます。
 どれも、…………どの死に様も悲惨でした」
「だから、怖い?」
「はい」
 頷く、素直に、
「私は頼政様に拾われた時も、そんなことを言っていました」
「死ぬのが怖いって?」
「何時飢えて死ぬとも限らぬ貧しい村が戦場になっていましたから」
 あれは、――今でもまぶたに焼き付いている。地獄。
 飢えて骨と皮だけになり死んでいく人、刀に首を落とされ、血をまき散らして死んで行く人。
 馬に潰されて死んだ、矢に射られて、――様々な理由で、ありとあらゆる理由で、誰も彼も、死んでいった。
 人死に溢れる地獄。それが、戦場。
「そう、……ごめんなさい。
 変なことを聞いてしまって」
「いえ、御気になさらずに」
 苦笑。
「こんな臆病な護衛を、娘様が見限らないか、そちらの方が不安です」
「私は、――」
「娘様?」
「死ぬことが怖いと、生きていたいと、そう言える貴方が心強いです」
 だから大丈夫よ。と娘様は微笑んだ。


 そんな、なんでもない日常が続いた。


//.開幕

 無音で流れる三途。
 稚児が石を積み、鬼が崩し、老夫婦が罪を計り、渡守が魂を運ぶ、無音の世界。

 そこに、閻魔がいる。

「自ら死ぬ、――自死。
 自ら殺す、――自殺。
 ――――それは、自らが存在した全てを否定する。が故に、生前、その者が積んだ、徳を、罪を、無に帰す」
 閻魔は呟く、
「地獄には、堕ちない。――罪は、ないのだから」
 閻魔は呟く、
「天界には、昇れない。――徳は、ないのだから」

 だから、

「ただ、ただ三途を彷徨え。――――幽明の境界、その狭間に、その魂が消え、滅び、無へと還る。
 その終焉まで」

 そして、閻魔は歩き出す。

//.閉幕



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