どうにか修羅場も潜り抜け、待ちに待った修学旅行当日。
「和博君、顔が半分死んでるよ?」
「あんまり寝てないから。」
 あくびをかみ殺しながら、沙紀の質問にどうにか答える和博。もはや新幹線の中なので、眠ってしまっても問題ないのだが……。
「昨日ぎりぎりまで仕上げやってた……。」
「お疲れ様……。」
 和博が漫画のアシスタント的なことをやっていたらしいことは聞いている。それが、試験の日程とかぶったことも。後々のことを考えると赤点は最低回避しないといけないので、今まで以上に濃厚な修羅場だったようだ。
「和博より早く切り上げたとは言っても、セティは元気だよね。」
 窓の外を流れる景色を楽しそうに見ているセティ。その様子に奈緒が苦笑する。
「なんにしても、セティのおかげで助かった……。」
 心底そう思う和博。アシスタントとしてのセティは、和博に負けず劣らず優秀だった。やたら正確なベタ塗りトーン張り、異様に早い線引きなど、基本的に絵を描く類の作業以外は八面六臂の活躍だった。
「お役に立てて何よりです。」
 和博の言葉ににっこり微笑むセティ。この分だと、久住フェスタも安泰だ。
「和博さん、少し休まれてはいかがですか? しばらくは時間もあるようですし。」
「ん、悪いけどちょっと寝るわ。何かあったら起こして。」
「はい。」
 セティの返事を聞くや否や、寝息を立て始める。よほどぎりぎりだったらしい。
「和博がここまでへたってるなんて珍しい。」
「まあ、今回は仕方ないですよ。」
 試験のしわ寄せが思った以上にきつかった。早々に理系科目のいくつかをあきらめたセティが、出来るところを先につぶしてなければ、もっとやばいことになっていたに違いない。試験をそこまで捨てられない和博の立場のつらさだ。
「ま、結城がこの調子だし、トランプとかは帰りにやろ。」
 委員長が苦笑しながら言う。
「冷凍蜜柑も帰りまで取っておきますね。」
 セティが、それは大丈夫なのか、ということを言い出す。
「帰りまで持つの?」
「こんなこともあろうかと、リゼルの科学力で。」
 科学力の無駄遣いだ。数世紀進んだ技術が泣いている。
「……まあ、リゼル人だし……。」
 コメントに困りつつ、大石君がまとめてくれるのであった。


 修学旅行は京都と奈良がメインだ。初日は京都のもろもろをバスで巡り、二日目は朝から奈良で自由行動、という日程なのだが……。
「正直、高校で修学旅行が三都めぐりって珍しいよね。」
 沙紀の言うとおり、和博たちの住む某県は、大体小学校か中学校の修学旅行で済ませる。
「ん〜、僕と奈緒は、小学校が広島で中学が長崎だったから、実はこれが始めて。」
 バスの外を流れる、イメージとは裏腹の意外と近代的な風景を見ながら和博が答える。
「家族旅行とかでも行ってないしね。」
 和博の言葉を継いで奈緒も言う。因みに、バスガイドの解説なんて誰も聞いちゃ居ない。
「で、最初は金閣寺だっけ?」
 日程を確認する奈緒。
「金閣からいくつか回って映画村見て宿だって。」
 京都の寺社めぐりは、案外分散している都合上、一箇所に時間をとると意外と回れない。ここら辺が奈良公園を中心に、割と主要な観光名所が集中している奈良との最大の違いだろう。
「なんか、そのチョイスって……。」
 委員長がセティを見ながらつぶやく。
「多分、私に気を使ってくださったんでしょうね。」
 セティが苦笑する。まあ、高校生が地味な寺だの神社だのを見て喜ぶかというと微妙なので、むしろ正しいチョイスかもしれない。
「まあ、映画村は興味あるからいいかな?」
 沙紀が結論を出す。むしろ、ほとんどの人間にとって、映画村が初日のメインだろう。
「むしろ俺としては、清水寺や銀閣寺あたりの侘び寂や掃除のし応えが。」
「黙れ変態。」
 シバチュウの台詞は委員長によって完全につぶされたのであった。


 京都の寺社めぐりは、セティにはそれなりに気に入ってもらえたらしい。もっとも、金閣銀閣はセティに言わせれば
「金閣寺はなんかかえって地味で、銀閣寺のほうが趣があってよかったです。」
 とのことだが。
「因みにああいう木造の古い建築物って、ほかのところにはあるの?」
 大石君が、好奇心に負けて質問する。因みに今は昼食後の自由時間で、基本的に自由行動のグループ単位で食事するため、その流れで駄弁っている。
「木材を建築に生かす文化文明は結構あります。有名なところだとエルフィンの巨木文明とか、リズーの千年王朝あたりですね。」
 大石君の質問にすらすらと答えるセティ。
「エルフィンの巨木文明の場合、ものによっては数万年ですが、建築というより樹木そのものといったほうが正しいですので、厳密に木造建築というと、数百年以上というのは珍しい部類です。」
 許可を得て、テスト中以外はいつも持ち歩いているアクセサリ型の端末。それを操作して、どんなものがあるか実例を見せながら話すセティ。
「なので、今回の日本の寺社についても、かなり珍しいものに入るのでとても楽しみにしてました。」
「奈良には地球最古のものもあるから、楽しみにしてて。」
 和博の言葉に頷く。
「そういえば、姫様の言う一年とこっちの一年って、同じ?」
「大体同じです。ネットワークを作ったのがリゼルなので、銀河ネットワークの標準暦はリゼルのものが使われていますが、地球との誤差はうるう年でも年3日程度、時間の最小単位もほぼ同じです。」
 つまり、歴史を語る上ではたいした差ではない、ということである。1000年前も1010年前も、普通の会話では1000年前とくくる。
「リゼルの暦が使われてるって言うのは、役得として?」
「というより、ほぼすべての暦に対する換算表が出来ていて、わざわざ新しい暦を作るのが面倒だったという事情が大きいです。」
 沙紀のちょっと意地悪な質問に、実も蓋もない事情をさっくり語るセティ。好奇心はあったが聞く機会のなかったことがいろいろ出てきたこともあり、いつのまにか周囲の生徒全員がこちらの会話に注目している。
「今回もそうですが、私たちは新しい文明と接するたびに、まずコミニュケーションの手段と暦を調べ、変換する作業からはじめます。」
 全部説明したほうがいいんだろうなあ、と察したセティがどういう経過で標準暦が決まったのかを話し始める。
「本格的に何かを始める前に、まずこの二つをきっちりやっておくと後々面倒が少ないので、誰かと接する前に必ず済ませておくんですよ。」
 最初から相手の惑星上で完結するならいいのだが、本国と連絡を取るとか言う場合、いついつ会うとかそう言う話がややこしくなる。なので、最初から換算して誤差補正まで済ませておかないと、段取りが非常に悪い。結局その蓄積があったため、ネットワークをリゼル王国が全部仕切ってもスムーズに行っているのである。
「でも、別に普段の生活をわざわざ標準暦で行え、とかそう言う話は一度もしてません。」
「どうして?」
 その話に奈緒が不思議そうにする。そのほうが面倒が少なそうに見える。
「その星の生活サイクルにあってるとは限らないし、そもそも暦も文化です。」
 そのほうが便利だから変わるのならともかく、強制するのはよろしくない。違うからこそ異なる物語があるのだから。
「あ〜、結局そこに落ち着くのね。」
 セティの演説に、実に納得のいった奈緒であった。


 太秦の映画村と聞くと、時代劇の扮装をして見学をするイメージが強いが、現実には結構な金額が必要で、扮装そのものにも割と時間がかかる。ゆえに北高では別料金で事前アンケートを取って、希望者のみという方針をとったわけだが。
「いまさらだけど、セティ、よかったの?」
「意外と回る時間がなさそうだったので、またの機会にします。」
 委員長と沙紀が扮装に行ったのを見送りながら、奈緒の質問に答える。テスト前のアンケートのときにも、日程表や施設内容なんかとにらめっこしながら、ずいぶん唸っていた。
「まあ、扮装して写真とって一時間ほど見て回ったら終わりだもんね。」
 メインとはいえ、二時間強しか見学時間がない。メイクを落として着替える時間も考えると、本当に案外時間がない。
「まあ、委員長たちとは後で合流で。」
 待っていては扮装するのと変わらない。二人が回りたいといっていた場所を除いて、さっさと見て回ることにする。中は自由見学だ。当然細かい出費も自己負担である。
「しかし、プ○キュアとか、妙なものもあるんだな。」
 シバチュウが感心したように言う。
「某ライダーとか、ちょっと予想外だった。」
 大石君も同意する。まあ、運営している映画会社が、そう言うものも配給しているというだけの話だが。
「折角だから、そう言うのも見ていく?」
「はい。」
 もちろん、といわんばかりのセティ。むしろ、そこを先に見ておくべきだろう。明らかにあの二人の興味の対象外だ。


 村娘への扮装を済ませた二人とも合流、記念写真も取った和博たちは、慣れない服装の二人に気を使いながら、さらに見学を続けていた。
「時代劇の撮影風景って、あんな感じだったんだね。」
「殺陣も、画面で見るよりかなり迫力がありました。」
 何かの時代劇の撮影が入っていたらしく、丁度見学が出来たのだ。かなり興味深いそれに、みんなそれなりの感動はあったようだ。
「まるで本物のような殺気だったな。」
「それぐらいでないと、うそ臭くなるんじゃない?」
 実際に踏み込んだら、一緒くたに斬られそうな迫力。さすがにプロは違う。
「あ、もうそろそろ戻って着替えてこないと。」
 奈緒の時計で時間を確認した沙紀が、少し慌てた様子で言う。
「あ、そだね。結構着替えがカツカツだもんね。」
 が、このかすかな焦りがよろしくなかったらしい。普段縁のない服装がたたり、沙紀がバランスを崩す。
「あっ。」
 なんとなく予想していた和博が、支えようと動く。和博の手を借りて、特に問題なく姿勢を立て直した沙紀。
「大丈夫ですか!?」
 セティたちが心配そうによって来る。普段なら何てことない、これで終わる程度の状況だったのに、運が悪いときはとことん悪いもので。
「えっ?」
 こちらに来る途中に、セティのバランスが崩れる。どうも、足元に妙な轍のようなものがあったらしい。反射的に無理にバランスを取り直そうとして、足首が妙な方向に動く。
「セティ!?」
 さすがに、なんとなくの正体が実はこれだったところまでは想定外だった和博が、慌てて支えようとする。
「ひゃん!!」
 半ば冷静にパニックを起こしていたセティが、無意識に姿勢を戻そうとした結果、和博に予想外の形で支えられる羽目になる。
「あ、ごめん!!」
 肩をつかんで支えようとしてタイミングと位置が狂い、思いっきり両手で胸をつかむ形で支える羽目になったのだ。因みに、服を着ているとそう言うイメージはないが、何気にわりと掌に余るサイズだったりとか。
「あ、ん、ま、まだ離さないで!」
 慌てて離そうとする和博を、赤い顔で制止するセティ。今離されるとそのまま地面に激突しかねない。
「え、あ、うん。」
 とはいえ、つかんだままはまずい。空回りしそうな思考を何とか立て直し、左右の手を順に肩に移して、何とかセクハラと呼ばれないラインでセティの体勢を整える。
「セティ、足は大丈夫?」
 不可抗力とはいえ、すさまじい粗相をしでかした和博をつるし上げる前に、明らかにおかしな感じでひねっていたセティの足首を心配する奈緒。
「え、あ、はい。挫くまでは行ってません。」
 さすがに、赤い顔で反応に困った感じのまま、セティが答える。
「で、結城。何か言い訳は?」
「ごめん、未熟だった。」
 ほかに言いようがない和博。自分のなんとなくが万能でも完璧でもないことを証明したわけだが、それで許されるわけではない。
「ほほう、それで済ませるわけか……。」
「もちろん、それで済むわけがないぐらい、分かってるわよねえ……?」
 先ほどの殺陣に勝るとも劣らない殺気を放ちつつ、シバチュウと委員長がにじり寄ってくる。
「ちょ、待った! この位置と角度だとセティと奈緒を巻き込む!!」
「その上人質を盾に取ろうとするその曲がった根性、矯正してやる!!」
 説得は無駄と悟った和博は、せめて被害が自分ひとりに集中するように動くことにする。それならまだ自業自得ですむ。
「これが友情だ! 死ねぇ!!」
 必殺のシバチュウブリーカーの体勢に入った瞬間、なんとなく最適のタイミングを見切り、和博が動く。
「天誅!!」
 それにあわせて委員長の黄金の右が炸裂しようとした瞬間、絶妙の軌道でシバチュウが間に割り込む。
『あ。』
 シバチュウと委員長以外の声がハモる。委員長の右は、シバチュウを真芯で捕らえていた。
「何で俺が〜〜〜〜〜!!!」
 車田調ですっ飛ばされるシバチュウ。
「ちっ、反射神経のいい奴め。」
 不発に終わった黄金の右を、残念そうに見る委員長。
「あ、あのあの、今回のことは私の不注意もありますし、それぐらいで……。」
「被害者がそう言うんだったらしょうがない。結城、今回はこれで勘弁したげる。」
「ごめん……。」
 結局、今回一番割を食ったのはシバチュウで、一番役得だったのは和博だったようだ。


 初日の宿は、奈良までのアクセスもよい立地条件の温泉宿であった。料理も、修学旅行で出てくるにしては、いいものが出てきていた気がする。
「むぅ。」
 割り当てられた部屋を見て、シバチュウが唸る。古びた宿の外観からかなり期待していたのに、部屋は手を出すまでもなくしっかり手入れが行き届いている。
「あのさ、普通宿が客室の掃除に手を抜いてるわけがないって。」
 シバチュウの唸り声に苦笑しながら、カバンからトランプを二組取り出す和博。
「おいお前ら何のんびりしてんだよ。」
 大和が句読点もつかない勢いでまくし立てる。
「何をそんなにあせっている?」
「お前のクラスの女子がこれから風呂なんだよ。」
「だから?」
 大和の性格から、何を考えているかは大体分かるが、話を進めるために一応聞いておく。
「ベストスポットを見つけた!」
 その大和の台詞に、和博とシバチュウを除いた男子一同がざわめく。
「やめとけって。どうせろくなことにならない。」
 妙に人数が集まったクラスメイトたちのために、とりあえず取り出したトランプからジョーカーを抜きながら大和に答える。
「んだよお前付くもん付いてんのかよ?」
 下品なことを言ってあおるが、和博は取り合わない。ちゃんと年頃の男子相応には女体に興味はあるが、覗きとか痴漢とか、そう言うのには興味がない。そうでなくてもさっき派手に粗相をかまして、現状では必要十分なぐらいは女体への興味は満たしているし。
「よしお前ら! この精神的不能はほっといて突撃するぞ!!」
 などと一人で盛り上がって出て行く大和。
「ん? 行かないの?」
 誰も出て行かないのを見て、怪訝な顔をする。
「ん? ああ。あの馬鹿、肝心なこと確認せずに出て行きやがったからさ。」
「肝心なこと?」
 和博の問いかけに、発言したクラスメイトがシバチュウを見る。意図を察したらしいシバチュウが、代表して質問をする。
「ろくなことにならないってのは、一般論か? それともなんとなくのほうか?」
「両方。」
 和博の言葉に、苦笑しながら携帯を取り出すクラスメイトたち。どうやら伝令をするらしい。
「まあ、馬鹿は放置プレイで。」
 誰かが言いながら、和博が混ぜ合わせた二組のトランプをさらにシャッフルし、全員に配る。
「だな。」
 特にどのゲームとか決めずに配ったのだが、なんとなく流れがババ抜きになる。最初のゲームが順当に終わったあたりで、窓の外を車田調に流れ星が駆け上がる。
「愚か者に黙祷。」
 誰かの言葉に、場が少しの間静まり返る。十秒ほどして、またババ抜きが再開される。十数分後、何ゲーム目かの半ばで、委員長が眉を吊り上げながらやってくる。風呂はまだらしく、制服のままだ。
「ちょっと結城、何であの馬鹿フリーにしてんのよ!」
 結局文句を言われるのは和博らしい。苦笑しながら自分の手札をさっくり始末して、委員長に対応する。
「一応、ろくなことにならないからやめとけ、とは言ったんだよ?」
「どうだか。」
「つうか、結城がそれを言ったからこの場にこの人数が残ってんだけど?」
 和博に対し、誰かの援護が入る。
「まあ、確かに納得できなくはないわね。」
 ぐるっと部屋の中を見渡して、言葉どおり納得した様子を見せる委員長。
「ほかの部屋の連中は?」
「伝令しといたから、たぶん生贄はあの馬鹿一匹だけだと思うが?」
 シバチュウが最後の一組を始末しつつ答える。
「……まあ、そこのとこの功績は認めたげるわ、結城。」
「そりゃどうも。」
 などとごちゃごちゃやってると、その様子を見咎めたらしいセティが、声を掛けてくる。
「お二人で、何のお話ですか?」
「ん? ああ、姫さまお風呂終わったん……。」
 返事をしながらセティのほうを向いて、思わず絶句する委員長。
「どうしたのさ?」
 動きが止まった委員長の視線を追って、理由を理解、納得する和博。
「……セティ、ジャージとか持ってきてなかったっけ?」
 そう、セティは修学旅行だというのに、風呂上りに旅館の浴衣を着るという荒業をやってのけたのだ。しかも、手にはしっかり牛乳瓶。ラベルから、フルーツ牛乳らしい。
「あ〜、温泉といえば浴衣だと思いまして。」
 間違いではない、間違いではないのだが……。
「委員長、あの危険物がほかの男子の目に止まる前に……。」
「そうね……。」
 正直、このセティは特級の危険物だ。まだ湿り気を帯びた髪がやばい。ほんのり上気した肌がやばい。着慣れていないためか、微妙に着崩れている意外と豊かな胸元がやばい。
 だが何よりやばいのは、妙な色気を発散しているその姿でも、清楚さと気品をひとかけらも失っていないことかもしれない。
「あ、ババ抜きですか?」
 和博と委員長の懸念をよそに、セティが部屋の中を覗き込みながら問いかける。好奇心はあるが、委員長の手前直視も出来ないほかの男子生徒は、必死になって意識を手元のトランプに向けている。
「げ、また負けた。」
「つうか、結城が全勝だよ……。」
 その台詞を聞いた委員長が、思わずポツリと突っ込む。
「何で結城を混ぜてババ抜きなんかやってんの?」
『あ。』


 二日目は、朝から自由行動だった。奈良公園を基点に、終日グループで自由行動である。予定では十時解散だったのだが、朝の集合とバスの移動がスムーズだったため、一時間近く浮いている。
「集合時間は厳守、羽目をはずし過ぎないようにな。では解散!」
 引率の菅野先生の言葉を合図に、三々五々散っていく。
「さて、どこから見るか。」
「まずは東大寺からでいいと思う。」
 シバチュウの言葉に、奈緒が提案する。
「春日大社から法隆寺行きのバスも出てるみたいだし、東大寺から順番に回っていいと思うよ。」
 和博も同じ意見らしい。
「まあ、折角きたんだし、大仏様は見ないとね。」
 取り立てて反対する理由もない、と言うことでみんな東大寺に向かって歩こうとして……。
「あ〜、セティ、そっちじゃないから。」
 和博がいち早くセティを捕獲する。
「え?」
 お約束のごとく、明後日の方向に歩き出そうとしていたセティ。
「セティは地図見て行動しない。」
 昨日の映画村では和博と奈緒がナビゲートしたので問題なかったが、セティは地図を見ると、どこであろうと迷う。
「ねえ、和博君……。」
「ん?」
「今の、もしかして素?」
「うん。」
 というか、和博たちとセティも、これが縁だったといっていい。
「……ごめんなさい。」
「と言う訳で、みんな油断しないように。」
 本日の自由行動は、先行きが実に不安そうだ。
「……あら?」
 ごまかすように周囲を見ていたセティが、名前だけは知っていたものに目を留める。
「これがうわさの鹿せんべいですか。」
 一組百円。観光地では基本といってもいい値段だ。物は試し、買ってみる。
「……。」
 買ったそれをじっと見る。妙な空気の中、なぜか固唾を呑んで見守る一同。鹿がよって来る。
「これがほしいのですか?」
 セティの質問に答えるように、頂戴とお辞儀する鹿。
「どうぞ。」
 一枚差し出す。むしゃむしゃと食べる鹿。その様子を見て、首をかしげる。好奇心が湧いてきたのか、端をほんの少し割ってかじってみる。
「……人間には、微妙な味と食感です。」
「セティもやっぱり、それやるのね……。」
 多分、奈良に来た人間が一度はやっているであろう行為。だが、セティはそこからが一味違った。
「たくさん食べるようですが、おいしいですか?」
 鹿に質問を始めた。鹿がなく。
「まあ、そうですよね。おいしくないなら食べませんよね。」
 鹿がもう一度なく。
「あ〜、どうも味覚が違うようなので、私にはちょっと微妙でした。食べられなくはなさそうですが。」
 さらに鹿がなく。
「ですよね。違う生き物なのでしょうがないです。」
 なんとも珍妙な光景。
「セティ……、言葉が通じてるの……?」
 微妙な空気の中、奈緒が代表して質問する。
「まあ、言葉なので。」
 なんともいえない回答が帰ってくる。
「猫とかの言葉も……?」
「まあ、大体は。ご飯がほしい以外はたいてい、人間ほど一貫した内容は話していませんけど。」
 さすがはリゼル人、としか言いようがない。
「あ、そろそろ行きますね。」
 ちょっと時間をとりすぎたと思ったらしい。鹿に挨拶をする。鹿が一礼。
「それでは、また縁がありましたら。」
 鹿に丁寧に挨拶をし、姫君は今度こそちゃんと東大寺のほうに歩き始める。やはり、一筋縄ではいかない。
「……やっぱ先行きが不安……。」
 委員長の台詞が、その場の空気のすべてだった。


 東大寺から春日大社にかけてをそれなりの時間をかけて見学し、バスに乗って法隆寺へ。地球最古の木造建築を堪能した後、帰りのバスのルート上にある薬師寺と、そのそばにある唐招提寺を見学し、最後に興福寺を回って一応の見学を終える。大体回れそうな世界遺産を見終わった時点で、近鉄奈良駅付近で少々遅めの昼食を取る。
「思ったよりバスが早かったよね。」
「連休の中日の割には道もすいてたしね。」
 和博と奈緒が、時間を見ながら今までの行程の感想を言う。まあ、奈良公園はともかく、近場の人間がわざわざ博物館だの世界遺産だのを車で見て回ることはあまりなかろうから、その都合ですいていたのかもしれない。
「とはいえ、半端な時間だな。」
「さすがに、橿原神宮方面はきついね。」
 残り時間から、いけそうな場所について話し合う。
「セティは、どっか行って見たいとこある?」
 奈緒がセティに振る。とりあえず、この場合一番優先すべきは彼女の希望だろう。自分たちはまだしも、セティは次に来る機会はないかもしれないのだから。
「ん〜、そうですね……。」
 折角関西に来たのだし、ということで少し考え込み、正直な希望を言う。
「吉本新喜劇を生で見てみたいと思うんですけど……。」
 予想通りというか予想外というか、そんな感じの希望に一同沈黙。
「さすがにそれは、時間的に無理があるんじゃないかな?」
「後、チケットの問題も。」
 和博の苦笑交じりの台詞に、大石君が補足する。さすがに、映画と違って、今この時間から当日券が買えるのかどうか、よく分からない。そもそも、上演時間はどうなのか、そういった情報が手元に一切ない。
「ですよね。」
 セティも無理だと分かっていて、言うだけ言ってみたらしい。
「ほかには?」
「後は、男はつらいよのロケ地の信貴山も、興味はありますが……。」
 関西に詳しくない面子には、判断できない場所が出てくる。
「でも、これも朝から動くぐらいでないと集合時間に間に合わない感じなので、今回はパス、ですね。」
 一応下調べはしていたらしい。
「現実的なところでは?」
「石切剣箭神社という、おできの神様の神社が近鉄奈良駅から急行で五つぐらいの駅のところにあるそうです。」
 電車で5駅なら30分少々だろう。
「行って見る?」
 和博の問いかけに、全員これといって反対意見は出さない。
「で、そのマイナーそうな神社は、どういう経緯で?」
「深夜番組で特集みたいなのがあったんですよ。後、やっぱり男はつらいよでもチラッと。」
 結局そのラインだったらしい。まあ、そう言う知名度のあるようでないような、ローカルな名所もありだろう。
「じゃ、近鉄の駅まで行こうか。」


 石切神社は、いろんな意味で想像の斜め上をいっていた。観光名所と呼ぶかどうかはともかく、時間つぶしには十分な場所であった。
「何、この店の数……。」
 どこの温泉街だ、といいたくなるほどの数の、こまごました店がびっちりと道の両隣に密集している。
「すさまじく統一性がないラインナップね……。」
 委員長がつぶやく。ほかに感想を抱く気も起こらない。漢方薬の店があったかと思えば甘味処があり、服屋(ブティックと言うのもおこがましい)があり、占いの店があり、おもちゃ屋があり、食堂があり……。
「これ、どこまで続いてるんだ?」
 なんともいえない空間がだらだら続く坂に、さしものシバチュウもそうとしかコメントできない。統一性はないが、極端に多い占いの店を除けば、傾向としては土産物屋ではなくごく普通の店が多い。もっとも、良くも悪くもこてこてだが……。
「そもそも、何で神社の参道筋に大仏が?」
 大石君も突っ込みを入れる。日本で三番目と書かれている大仏。それがなぜか神社の参道筋にあった。他にも店と店の間の辻という辻に、ありとあらゆる神像の類が設置されている。多いのは地蔵だ。
「あら?」
 セティが、何か好奇心を惹かれるものを発見したらしい。
「……。」
 怪しい漢方薬の店。人体模型だの何だのが大量に展示されている中、セティが発見したのはサナダムシの標本だった。いわゆる寄生虫である。
「……。」
「こういうのを飾ってるお店というのも、珍しいですよね。」
 平然と言うセティ。さすがに奇怪な外見の種族とも交流がある国の姫君だ。少々気持ち悪いぐらいでは動じない。
「セティ、さすがにこれは……。」
 奈緒がなんとも言えない顔で袖を引く。
「あ〜、ごめんなさい。」
 標本の前を離れ、とてとてと和博たちのそばに戻ってくる。
「ま、とりあえずふもとまで降りよう。」
 もともとメインはそっちだ。とはいえ、この分だと普通に山道を降りる何倍もかかりそうだが……。
「なにあれ?」
「あ、ちょっと綺麗かも……。」
 などという感じで、怪しげな漢方薬だの、怪しげなクリスタルだの、少しおいしそうな団子だのに惹かれながら、たっぷり時間をかけて降りる。徒歩10分とか言う話だが、この怪しげな空間を、一見さんが左右の店に誘惑されずに10分で降りるのは至難の業だ。もっとも、これはこれで楽しいかもしれない。ところどころにある地蔵やら大黒やらも、それでいいといっているようだ。
「これはまた凄いなあ……。」
 坂と同じようにだらだら店を冷やかしながら、残り時間の半分ほどをかけて麓の神社まで降りてきて、思わずつぶやく和博。
「凄いですね……。」
 セティも同意する。神社そのものはありふれたものだ。凄いのはお百度を踏む人の数である。
「人の渦、だな……。」
 敬虔な表情で、何十人もの人が、ぐるぐるぐるぐるお百度を踏む。これには、事前に少しばかりは情報を仕入れていたセティも、ビックリしたようだ。そもそも、お百度を踏む光景自体、あまり見かけるものではない。
「全部地元の人なのかな?」
 奈緒が誰に聞くともなしにつぶやく。お百度参りの渦にいるのは、年齢も性別もさまざまだ。中には、自分たちとそう変わらない年の人もいる。
「そうじゃないの?」
「だよね?」
 委員長と沙紀も、自信なさげに同意する。ローカルな神社とは言えど、その権威は地元では十分らしい。いや、地元以外にも少なからず名が届いているからこそ、セティの耳にも入ったのだろうが。
「折角だから、お参りしていきましょう。」
 セティの提案に、やはり誰も異を唱えなかった。


 二日目の夜。やはり修学旅行にしては豪華な食事の後、今日こそみんなで一緒にお風呂に入る女性陣。初日は馬鹿の駆逐と監視その他で、セティだけを先に入らせていたのだ。
「なんか、今日はいろいろ見たはずなのに、最後の神社で全部飛んだ気がする……。」
 湯船につかりながら、奈緒が吐息と一緒に感想を漏らす。一日歩き回った足に、温泉がじんわり染み渡る。
「凄かったですよね。」
 少し遅れてかけ湯を済ませたセティが、奈緒の隣につかる。
「神社って?」
 ほかのグループの女の子が、興味を引かれたようによって来る。セティとカラオケにいった子だ。
「最後に石切神社って所にいったの。」
「いわゆる観光地って感じじゃなかったけど、観光地より面白かったよね。」
 奈緒の言葉に、沙紀が相槌を打つ。
「ふ〜ん?」
「あ、いろいろ写真とか取ってきてますので、後でお部屋で。」
 言葉ではどうにも伝えきれないと思ったらしい。セティがそう告げる。
「そだね。あれは写真とか見せたほうがよさそう。」
 委員長も同意する。
「じゃあ、後で……。」
 といって自分たちのグループに戻ろうとして、ふと気になったことを確認することにするクラスメイトA。
「あ〜、奈緒っちに姫様、ちょっと立ってもらっていいかな?」
「ん?」
「はあ……?」
 よくわからないと思いながら、そのまま立ち上がる二人。
「……姫様着替えとか早いからちゃんと見てなかったけど、バスト奈緒っちとそんなに変わんないじゃん……。」
 自分とどっこいか、やや小さいぐらいだと思っていたのに、とんだ誤算だ。最低でも一つは上じゃないか。
「はあ、そうでしょうか……?」
「カップいくつ?」
 気になる話題が出てきたと見てか、ほかのクラスメイトも混ざる。
「一応Cですけど……。」
「丁度境界線ぐらいだから、別にDでもいいんじゃないかな?」
 セティの自己申告に、奈緒がそんな助言をする。
「そのあたりだと、一個上げないといい加減きつくない?」
「きついのはきついんですけど、Dだと微妙にゆるい気がして。」
「まあ、わかんなくはないけどね。」
 奈緒も、半年前はそうだった。一応Eにあげたが、実際のところそれから大きくなった感じもしないので、考えようによってはセティと奈緒は同じカップになる。
「なんかさ、姫様のボディラインって反則だよね。」
「そうですか?」
「ん。なんていうかさ。胸もそれ以上だと単なるエロ体型なんだけど、そのぐらいだとね。」
 クラスメイトAの言葉にほかの人間も頷く。
「なんかさ、色っぽいのに清楚とか無垢とかそんな感じ?」
「華奢で腰なんかしんじらんないほど細いのに、不健康だったり弱々しかったりしないし。」
 などと口々に言いながら、にじり寄ってくる。
「ひゃん!?」
 いきなりわき腹あたりをつかまれ、思わず悲鳴を上げるセティ。
「うわ、贅肉すくな!!」
「腹の肉がこれとは信じられませんな。」
 いい機会だとばかりに、セティの体をいじくりまわすクラスメイト一同。同性でクラスメイトで、それなりにお互い気を許しているからこそ許される狼藉だろう。
「程々にしときなさいよ……。」
 どうせ最後にはコンプレックスで落ち込むだけだと分かっている委員長は、それだけ釘を刺して体を洗いに行く。5分ほどいじられ、のぼせる手前になったあたりでセティは開放され、クラスメイトのほとんどを絶望の淵に叩き落したのであった。


 二日目の夜、乙女たちはいい機会だとばかりに、いろいろ気になっていたことをひそひそやり始める。
「そー言えばさ、姫様っていわゆるお姫さまなのよね?」
 布団の上にうつぶせに寝転がりながら、委員長がセティに振る。
「まあ、そうですね。」
 微妙な言い回しだが、言いたいことをなんとなく察する。因みに今日も浴衣だ。女子の中では彼女だけである。
「婚約者とか、いるの?」
「ただいま選定中、です。」
 セティの言葉に、微妙にどよめく。
「選定中って、候補者とかいるんだ。」
「当然何人かはいます。」
 なんとなく、場が沈黙する。
「その中に好きな人とか、いる?」
「今まで一目惚れをしたことはありませんので。」
 沙紀の質問に、実も蓋もない答えを返す。顔は知っているが面識はないらしい。
「それでいいの?」
「いいも悪いも、そう言うものですよ?」
 奈緒の、気遣いと文句が半々に混ざった質問に、苦笑しながら答える。
「お姫様、恋とかしたことある?」
 その質問に考え込んだ後、セティが苦笑を深めつつ口を開く。
「日本で言うところの、幼稚園とか小学校の低学年の時、先生のお嫁さんになってあげる、とか口走る種類のものは。」
 なんともまあ、寒い回答である。思った以上にセティは、己の立場をわきまえている感じだ。
「……本当にそれでいいの?」
「こればかりは、そう簡単な話でもありませんし。」
 再度の奈緒の問いかけに、少しまじめな顔をして答えを返す。
「他の国との交渉をする手前、私たちは割と大きな権力と権威を与えられています。多分、天皇が単なる象徴である日本の方が、想像できないぐらいにはその権限は強い。」
「……。」
「なので、恋愛は物語で堪能します。」
 と、小さく苦笑しながらしめる。納得行っていない様子の奈緒。
「それより、奈緒さんのほうはいいんですか?」
「え?」
「和博さんはああ見えて、結構人気がおありのようです。いつ誰に取られるか、分かりませんよ?」
 自分の振ったネタに、きつい反撃が来る。
「あ〜……。」
 分かっている。分かっているのだが……。
「奈緒も臆病だしねえ。」
「和博君、普段むちゃくちゃ鋭いくせに、この手のことだと分かってんだかどうなんだかいまいち手ごたえないしね。」
 鋭いだけに、どこまで察しているのか、そこが逆に分からない。ポーカーフェイスも上手いので、どう考えているのかも分からない。
「和博さんは結構いろいろ一杯一杯みたいなので、こちらから正面突破でないと、まず進展しないと思います。」
「……だよね。」
 セティの言葉に、ため息が漏れる。
「ただ、どうにもこうにも、ね。」
「まあ、分かるのは分かるのですが……。」
 実際のところ、奈緒が告白して和博が否というとは、セティにはどうしても思えない。今友達でとまってるのは、和博が奈緒に対する自分の気持ちを考えないからではないか。そう言う気がしてならない。
「和博さんは多分、告白か何かがないと自身の気持ちを確かめようとはしない気がします。」
 一杯一杯なので、告白も何もないのをいいことに、まず目先のことに意識とかを割り振っている。そんな印象だ。
「うん……。」
 基本ボケ役の癖に、セティの分析とツッコミは実に鋭い。
「応援はしますが、奈緒さんが自分で動いてくれないと、私は何も出来ませんよ?」
「うん、がんばって努力はしてみる……。」
 とは言えど、何をどうしていいか、わからない奈緒。その様子にため息をつきつつ、どうしたもんかなあ、と考え込んでしまうその他の一同であった。


 最終日は、ほとんど帰るだけに近い。一応日程としては関空の見学後、新大阪駅から新幹線と普通電車を乗り継いで最寄り駅で解散、という手はずである。
「割とあっという間だったなあ……。」
 デジカメの写真を確認しながら、和博がつぶやく。
「姫様、楽しかった?」
「はい。」
 にっこり上品に微笑みながら答える。
「もう一度、もう少し余裕のある日程で来たいです。」
 修学旅行ゆえ、京都なんかは少々詰め込みすぎた感がなくもない。奈良も、自由行動ゆえいろいろ見て回ったが、少々駆け足だった感はぬぐえない。
「今度こそ吉本新喜劇?」
「ですね。」
 あんなコテコテでベタなものを新幹線で移動してまで見たいとか、変わった姫君である。
「まあ、一度来てるあたしたちとしては、石切神社がいろいろな意味で収穫だったかも。」
 怪しげな大仏だの、胡散臭い謎の建物だのがあった参道筋の写真を見ながら、委員長が言う。日本全国、埋もれている観光名所はいくらでもあるものだ。もっとも地理的に、ルートに組み込むのも割と難しそうだが。
「あれは凄かった。」
 アメリカとかでの信仰ってのは、あんな感じなのかもしれない。まあ、あそこの人たちは良くも悪くも、おおらかに信心しているようだが。
「まだもうちょっとあるから、帰るまで一杯楽しもう。」
 その後、関空でセティの予想外のトラブルで和博がおいしい目にあったり(因みに今度は大和が身代わりだった)、行きの宣言どおりリゼルの超科学であれで何して保存してあった冷凍みかんを新幹線内で堪能したりして、割と盛りだくさんの修学旅行は終わったのであった。



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