とある晴れた春の日、太陽が頂点を少し過ぎた頃の博麗神社。

 神社の巫女である博麗霊夢が、毎度の如く湯気の立ち昇る茶を啜って寛いでいる。

「はぁ……、暇ねぇ」

 博麗神社が倒壊した地震以降、これと言った事件もなく、彼女は暇を持て余していた。
 別に、事件が起こって欲しいと思っている訳ではない。
 しかし、巫女として行う神事なども暫くは皆無で、日課の掃除が終わってしまえば、後は出掛けるか茶を飲む程度しか、やる事がなかった。

 霊夢はその暇をどう潰そうかと考えていたとき、彼女は自分の方へと向かってくる人影を空に見つけた。
 その人影は余程急いでいるのか、結構な速度で近づいてくる。
 頭部に見える大きなウサギ耳のシルエットを見て、十中八九は永遠亭のウサギだろうと彼女は見当をつけた。
 そして、ふと思い出す。

「そういえば良也さんをお使いに出したんだっけ。また何かやったのかしら」

 彼自身は何の害も無いが、何かあるとすぐ厄介ごとに巻き込まれる運命だ。……と霊夢は思っている。
 もうはっきり見える距離まで近づいてきた人影──鈴仙に、脱力した様子で背負われている彼を見つけて、彼女は益々その考えを確信した。

「生もの一つお届けよ」
「食べても減らない夢の食料ね」
「貴女が人間を食料にするとは知らなかったわ。もしかすると私も危ないの?」
「失礼ね。そこまで飢えてないわ」

 適当な会話をしつつ、背負っていた良也を縁側に横たえる鈴仙に、霊夢は尋ねた。

「確か良也さんには、永遠亭まで置き薬を取りに行ってもらった筈なんだけど。何をどうしたら無言の帰宅をする破目になるのかしら」
「どうも、てゐに薬を盛られたみたいで……」
「良也さんって不老不死なんでしょう? 一体どんな薬を盛ったのよ」

 不老不死である彼の安否より、そちらの方に興味がでたらしい。不憫だ。

「師匠が言うには、惚れ薬らしいわ」
「……なんでまた、そんなもの作ったのよ」
「なんでも、他の薬を作る過程で出来るらしいわね」
「捨てなさいよ、そんなもの」

 外の世界で売りに出せば一財産築き上げられる程の薬だろう。しかし幻想郷に住み、惚れ薬なんて必要の無い霊夢からすれば、まったく関係ない事だった。
 気を取り直して、霊夢は鈴仙に続きを促す。

「で、どういう効果なの?」
「よくそこらにあるような惚れ薬は、大概が媚薬なんだけど、師匠が作った薬は本当に惚れさせてしまう薬よ。服用すると、まず意識を失って眠る。そして次に目が覚めたとき、最初に認識した人に惚れるわ」
「認識っていうのは?」
「見たり、触ったり、会話したりね。いつ目覚めるか判らないけど、2〜3時間もすればもう一度眠りについて、起きたら効果は切れてるわ」

 意外と短い効果時間に霊夢は安堵した。
(もしも永続だったりしたら、薬を作った赤青、もう一度しばき倒して解毒薬を作らせなきゃいけなくなる所だったわ)
 そんな面倒は、いくら暇だと言っても無い方が良かった。

「永遠亭には住人が多いから、人の少ないこちらでッ!……」

 言葉を途中で切って、大きな耳ごと頭を抑えて突然しゃがみこむ鈴仙。何事かと驚く霊夢。
 鈴仙の行動理由に思い当たった霊夢は、次の瞬間背後からかけられた声に戦慄する。

「霊夢……好きだ」
「きゃあ! ちょっと、良也さん!?」

 いつの間にか起き上がっていた良也が、鎖骨の前で腕を交差させる形で、霊夢を背後から抱き寄せる。普段からは想像もできないような甘い声色で、霊夢の耳元に囁きかけながら。

 平時は飄々としている所のある霊夢も、流石に親しい知り合いから愛を囁かれた事などない。
 彼女なら、霊弾で良也を吹き飛ばす事も投げ飛ばす事もできる筈だ。
 しかしそうはせずに、珍しく顔を紅潮させて、狼狽しながら良也に静止の声をかけた。

「良也さん待って! 膝枕ぐらいならしてもいいから、それで我慢して!」
「あ……ごめん、霊夢。困らせるつもりは無かったんだ。急にこんな感情になって我慢できなかった」

 色欲より霊夢の感情を優先させられるあたり、確かに媚薬の類ではなく惚れ薬と呼んでいい効果だった。しかし、ちゃっかり膝枕はして貰う抜け目無い良也。

 いつの間にか鈴仙は消えていた。脱兎の如くとはよく言ったもの、見事な逃げ足の速さだった。


 神社に二人きりになった霊夢と良也は、膝枕の体勢を維持したまま会話をしていた。
 霊夢も慣れたのか、自分のペースを取り戻している。
 良也は彼女の膝枕にご満悦で、実に幸せそうだった。

「良也さんの気持ちは薬のせいよ」
「わかってる。でも好きなんだ」
「後で後悔するに決まってるわ。あと1時間もすれば薬の効果も切れるし」

 霊夢は会話をしながら、自分の気持ちに戸惑っていた。
 ──確かに普段から良也とは仲がいい。賽銭も入れてくれるし、掃除なども偶にやってくれる。
 ──けれど、恋愛感情は持っていなかった筈だ。しかし今、彼が薬を飲んで自分に好意を持ったのを、ほんの少しだけ不満に思っている自分が居る。

「じゃあ、薬の効果が終わってからでも、まだ霊夢の事が好きだったら、答えてくれるのか?」
「解毒薬を作らせるわ」
「全否定か。酷いな」

 霊夢の即答に、良也は苦笑して答えた。
 惚れ薬のせいか、はたまた元々なのか、良也は彼女のそっけない所にも好感を感じていた。

「別に良也さんが嫌いな訳じゃないわ。いつも色々してもらっているし、むしろ男の人で一番近い所に居るわね」
「そりゃ光栄だ。でも、だったら何故ダメなんだ?」
「今の良也さんは惚れ薬のせいで普段と違うだけだもの。素面の時に言われたら考えなくもないわ」
「わかった。つまり後で言えばオッケーって事だな」
「はいはい。そうね……一度寝て、起きてからまだ気持ちが変わってなければオッケーね」
「じゃあ今から寝る事にする。霊夢の膝枕で寝れるなんて、これから先あるか分からないからな」

 めったに無いことなら、普通はできるだけ起きてようとするんじゃないか。
 などと思いつつ、会話が無くなって手持ち無沙汰になった霊夢。何とはなしに良也の頭を撫でたりしている。

「……って、何で足の上に手を置くのかしら」
「僕は寝る時、いつもこの体勢なんだ」
「はいはい、もう好きにして」

 処置なしと、良也には好きにさせておいて、意外と手触りのいい彼の毛髪を撫でながら夕餉の献立を考え始める霊夢。
 寝つきがいい方なのか、それとも膝枕が余程心地よかったのか。彼は数分もしない内に寝息を立て始めた。

「寝るのが早いわね。疲れてたのかしら」

 呟きつつ、寝入った彼の頬をつついたりしている。
 少し楽しそうに頬をつついていた霊夢は、不意に少し不満そうな表情をした。

「それにしてもいくら寝ようとしていたって、仮にも好きな女の子の膝枕なんだから、もう少しドキドキしたりしないのかしら」

 ポツリと呟いて、起こさない程度に彼の鼻をつまんだりつっついたりして呻らせる作業に没頭する霊夢だった。










 ──日暮れ前。
 目を覚ました良也が最初に目にしたのは、自分を覗き込むように俯いた体勢で眠る、穏やかな霊夢の顔だった。
 何故か彼女の両手は、彼の顎と頭を抑えている。

「僕の頭は湯呑みじゃないんだけど」

 良也の声で目が覚めたのか、霊夢はゆっくり目を開けると上体を起こし、腕を上に向けて大きく伸びをした。

「暇すぎて、私まで眠ってしまったわ」
「ごめん霊夢。もう薬の影響も抜けたみたいだ」

 良也も腕を上に向けて大きく伸びをした。

「で、いつまで膝の上に居るの?」
「いや、思ってたより居心地が良くて」
「はぁ……、薬の効果がまだ残ってるんじゃない?」
「確かにさっきまでの、不自然に高揚した気持ちは消えたよ」

 霊夢からの疑惑を否定して、徐に彼女の横に座り直す良也。
 彼女の方を向いて、問いかける。

「僕が眠る直前に話してたことなんだけど、覚えてるか?」
「良也さん、やっぱりまだ薬の影響が……」
「いや、薬は自覚する切欠に過ぎなかったんだ。僕の気持ちは──────」




 ……その日、彼の想いが通じたのかはさておき。
 彼にとって、この日が大きな分岐点だったのは間違いない。
 この後、幻想郷が幻想郷でなくなるその瞬間まで、彼は代々の博麗の巫女を側で見守り続けて行くことになる──。

















 ──永遠亭、謎の地下室。

「ごめんなさいごめんなさい! もうしないから許してーーーっ!」

 暗い部屋の中拘束台に固定されて、手術台の補助ランプの様なモノにライトアップされた、哀れな悪戯ウサギが半泣きで謝っていた。

「ふふ……、少し悪戯が過ぎたわね……てゐ。博麗の巫女にまで迷惑をかけて。また今度お詫びに行かないといけなくなってしまったわ?」

 部屋の隅に立つ人影がそう言って指を鳴らすと、無数の影が彼女……てゐの周りを取り囲んだ。
 人間の脛あたりまでの高さをした影は各々、口らしき場所に細長い何かを咥えている。

「ひっ」

 寝台に固定されて居るので、てゐからは自分が何をされようとしているのかはわからない。
 しかし、周囲を取り囲む異様な気配に堪えきれず悲鳴をあげた。

「怖がらなくてもいいのよ? もしかしたら、途中で気持ちよくなる可能性も、無くはないわ。……さぁ、やってしまいなさい!」

 人影の号令で、蠢いていた影が一斉に寝台の上で動けないてゐに群がっていく。
 明かりに照らされた影の正体は……、無数のウサギ!

 ウサギはそれぞれ口には猫じゃらしや羽毛、丸みを帯びた木の棒など、様々な凶器を咥えている。
 そして、てゐの首筋や脇、わき腹に膝に足の裏、腕や手の甲や指の先まで、寄って集ってくすぐりだしたのだ!
 突っついたり触れたり撫でたり、それぞれ一番効果的な方法でてゐを攻める。

「あはははあははあはっ! こ、こら! お前達やっやめっははあははは!」

 ……もうなんか、涙とか鼻水とかでまくりである。てゐにとっては死ぬほどキツいお仕置きだが、傍から見ると何かもう、アレである。
 シリアスの欠片もない。

 ウサギ達の狂宴を尻目に、人影は別の部屋へと歩みだす。

「さて、次は薬品庫の鍵を閉め忘れたウドンゲね……」


 その晩、永遠亭ではウサギたちの笑い声が耐えなかったと言う──。






 あとがき

 どうも、三作目は三人称に挑戦してみた、エーテルはりねずみです。
 自分で書いておきながら、真面目なのかふざけてるのかよく分からない出来ですね。
 実はこの話、考えた当初は射命丸か霊夢が惚れ薬を飲んでデレる話でした。
 しかし完成してみたら、良也が惚れ薬を飲んでデレる話になっていました。どこで間違えたんだろうw
 一応三人称の書き方など調べながら書きましたが、習作とも呼べない様な実験作なので、自分で気付いていないおかしな所が多々あるかと思います。
 そんな所のご指摘や、作品の感想など頂けたら嬉しいです。



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