「よぅ。クリス」
「……エイミ姉さん」
休日。朝八時。
規則正しい生活を尊ぶクリスは起きていたが、殆どの寮生は未だ休みという事で惰眠を貪っているであろう時間。
今日来るとは言ってはいたが、いきなり弟の部屋にアタックを敢行してきたエイミ。そして、従者よろしく付き従っているのは……
「……アラン? って、なにそれ」
そこにいたのは、夏休みにもこの国に来たアランだった。
「……なにも聞くな」
「ああ、こいつか? なんか、お前の知り合いだって聞いたからついでに連れてきた」
連れてきたって。学校もあるだろうに。
「なぁクリス」
「……うん。ごめんね、こんな姉で」
心底同情しながら、そんな事を言って慰めるクリスだった。
第90話「腹ペコ剣士危機一髪」
「ねぇ、エイミ姉さん。姉さんはなにしに来たんだっけ?」
「なにって、手紙で知らせただろ。ちょっとこっちの国との貿易がうまくいってないようだから、その調整に来たんだ」
なにを言ってるんだ、という顔でエイミは言う。
「そうだったよね……うん。ちょっと混乱してて」
「ダメだぞ、クリス。もうボケてんのか?」
カラカラと笑うエイミだが、立っているのはアレンの実家の前だ。
妹の婚約者に、一目会いたいらしい。一応、会ったことはあるとは言え『アレン? 誰そいつ。……ああ、あのフィレアにぶっ飛ばされてたヤツか。そんな名前だっけ?』ってなもんなのだ。
「……で、なんで真っ先にここに来てるの?」
ちなみに、アランはライルに任せてきた。異様に背が煤けて見えたのが印象的だった。
「会議の予定は明日だ。その前日にあたしがなにしようと勝手だろ」
「明日の会議に向けて色々することもあるんじゃないかなぁ」
「そっち関係は、文官どもに任せてある。あたしは、なんてゆーかお飾り担当だからな」
エイミは、黒魔術の達人である。逆に、それ以外のことはさっぱりだ。それを本人もわかっているので、あくまで代表者として来ているに過ぎないということをよくわきまえている。
それ自体、間違いとは思わないが、それでもこれはどうなんだろうとクリスは思った。
「たのもぉ〜」
ダンダンと、アレンの家の道場を叩くエイミ。返事を待つ前に、ガラッと入り口を開け、中に押し入る。
(……不法侵入に近くない?)
クリスがそう思ったのも無理はなかろう。
道場の中は、門下の者たちが大勢いた。……どうも、稽古時間中だったらしい。
「ええと……どちらさまでしょうか?」
一人の真面目そうな少年がエイミに尋ねる。
「アレンってヤツはどこだ?」
その質問には答えず、簡潔に自分の用件を伝えるエイミ。素敵に自己中心的だ。
「アレンさん……ですか? 休日のこの時間なら、母屋の方にいるかと思いますが……」
「そ、ありがと」
エイミはそれだけ聞くともう用はないとばかりにずんずんと道場を横切っていく。
外から見た感じ、どうも道場と母屋が繋がっているようだから、という彼女なりの理由はあったのだが、あまり知らない人の道場ですることじゃない。
「待ってくれ。君は誰なんだ?」
アレンの父、そしてこの道場の師範であるアムスが立ちふさがった。さりげなく、練習用の模擬剣を片手に携えている。
まあ、自分の城に不審者が来たのだから、当然と言えば当然の行動だ。
「あぁ、あたしは……「あ、エイミちゃんだ〜!」
バキッ、と後ろからアムスを蹴り飛ばして、フィレアが登場。久しぶりに会う姉、エイミに飛びついた。
「フィレア。久しぶりだな」
「うん!」
にこにこと笑いながら、エイミに甘える。
その様子を見て、見知らぬ来訪者に緊張していた門下生たちの態度も軟化した。
突然、師匠宅に住み着いたこの少女はいろいろな意味で慕われている。年嵩の者たちには娘のように、青年と呼べる者らにはマスコット――あるいはアイドルのように、そして年少の門下生には自分たちと同じ目線で会話できる姉貴分として。
着々と、クロウシード流道場の看板娘としての地位を確立しつつあるフィレアであった。
「ふぃ、フィレアちゃん? お義父さんに対して何か言う事は?」
「エイミちゃん、どのくらいこっちにいられるの?」
雄雄しく立ち上がったアムスの言う事は無論無視だ。
アムスが――というより、アムスとアレンがナチュラルに殴られたり蹴られたりするのも日常茶飯事と化しているので、気にする者はいない。
「そうだな。どうせシンフォニアにいてもすることないし。まぁ、一ヶ月くらいこっちで観光がてらのんびりするよ」
「……王女さまがそれでいいのかなぁ。ってか、アランも一応学校とかあるだろうに」
「あんだよ。フィレアだって、王女の癖に現職業は“家事手伝い”だろ」
「いやまぁ、そうだけどさ……」
この姉にそれ以上何か言っても無駄だということは、彼女の弟暦十七年のクリスはよくわかっている。特に深く突っ込むこともなく引き下がった。
まあ確かに。シンフォニア王国にとっては、この姉はいない方がスムーズに国政が執り行えるだろうが……
「あんた。弟の癖にこっち来てから反抗的になってない?」
「……なんのことさ」
「なんかそんな目してた」
クリスは深くため息をつく。
これだから、僕の周囲ではうかつな事を考えらんないんだ……と、その顔には苦悩の皺が刻まれている。
「ま、いいか。それで、フィレア。あんたの婚約者のアレンのことなんだけど……って、聞いてんのか?」
「婚約者……」
なにやら、言葉の響きに陶酔しておられる様子だ。
「おい」
ぱかり、とエイミはフィレアの頭を叩く。
「な、なにするのエイミちゃん」
再起動、完了。
「なんか、お前変わったな。……まあ、いいけどさ」
そう言うあなたはシンフォニアの王子と結婚したくせにさっぱり変わっていませんね。
クリスはそう突っ込みたいのを抑え、とりあえず迷惑をかけた道場の人たちに頭を下げるのだった。
そして、アレンの部屋。
彼は、寝ていた。……もう、思いっきり。
「ぐぉごおお……すぴゅるるるる。う〜ん、もう食えねぇって……」
ベタベタな寝言である。しかし、このアレンをして『もう食えない』と言わしめるとは、一体どのような夢を見ているのか。
「待て……フィレア。お前はもう少し練習してから……やめっ、もう食えない」
やけに鮮明な寝言であるが、これでおおよその事情はわかってもらえただろう。
先日見せられたフィレアの料理を思い出し、クリスはそっとアレンに手を合わせた。……夢に見るほど食べさせられたんだね、アレン。
「寝言でもフィレアの事を呼ぶとは。ラブラブじゃないか。なぁ、フィレア」
エイミのからかいに、フィレアは顔を赤くする。
唯一、アレンの寝言の真意を察することの出来たクリスは『違う違う』と、そっと心の中で突っ込みを入れた。
「でも、フィレアにばっか働かせて、なにコイツは寝てんだ?」
「あ、エイミちゃん。アレンちゃんは、休みの朝はいつも早起きして特訓してるから、あんまり……」
「にしても、もう太陽は真上なんだぞ? ったく。おい、起きろ!」
かなり乱暴に、アレンを揺するエイミ。……が、アレンがその程度のことで起きるはずもなく、だんだん揺すぶり方が震度7以上に達していく。
それでも起きないアレン。
業を煮やしたエイミは、凶悪な笑みを浮かべて両手を天に掲げた。
「え、エイミ姉さん?」
「安心しろ。ちゃんと加減はしておく」
両の手に集うのは魔力の迸り。ただ、加減すると言った言葉に偽りはないのか、その魔力は普段のルナの突っ込みの十分の一以下。これでは、犬も殺せまい。
まぁ、寝起きには少々キツイのに変わりはない……が、
「『ファイヤーボール!』」
火球を振り下ろすエイミ。ベッドに燃え移ったら火事にくらいなるかもしれない。
……だが、そんな小火程度の炎に、今更どうこうなるアレンではない。寝ていても反射で腕を振り、ファイヤーボールをかき消した。
あっけに取られたのはエイミである。
寝ている人間に、ここまでコケにされるとは思ってはいなかった。
額に青筋を浮かべながら、もう一度魔力を集中させる。
「ちょ、ちょっとエイミ姉さん?」
「『サンダーボルト!』」
今度は、いささか強い魔力で放たれる。しかも、今度は電撃。防御しようにも確実に感電はする……はずなのだが、アレンは慌てず騒がず(寝ているので当然だが)枕元の剣を抜いて放る。
お前本当は起きているだろうと言いたいクリスの目の前で、雷は剣に引き寄せられてしまう。
高位の魔法ならばともかく、この程度の魔法が起こす雷など、自然のものと変わりない。剣を避雷針代わりにすれば、こうなるのは当然だ。
……だが、そんな判断は寝ている人間がすることではない。ルナの丸二年以上にも及ぶ暴虐は、アレンにすら学習させたようだ。
青筋を更に浮かべるエイミの口が、笑みの形に歪んだ。
「なるほど……さすがは、アルヴィニア王国を救った英雄、ってとこか。うふふ……寝ているとは言え、手加減するのは失礼だったみたいだね」
「姉さん。目的変わってる」
既にフィレアを連れて避難済みのクリスがそっと忠告するが、姉の耳には届かない。
「『凍結の力よ。集い、破裂し、思うがままに暴れろ』」
それは、本来エイミが得意とする氷結系の魔法。
こりゃダメだ。と、クリスが諦め風味で結界を張る。
「『フリージン・バースト!』」
そして、氷と冷気を撒き散らす爆発がアレンの部屋で炸裂した。
「ん?」
「どうしたの、ルナ?」
アランと一緒に連れてこられたアリスの相手をしているライルとルナ。
「なんか今、私のキャラを取られたような」
「……なんの話さ」
「いや、私の第六感がこうビビッと。新たなライバルの出現を察知したっつうか」
首をひねるルナに、ライルはこの前クリスから話された話を震えと共に思い出すのだった。
「ってか、今回出番これだけ?」
「なんだ。ルナかと思ったら、フィレアとクリスの姉ちゃんだったのか。はじめましてー」
はっはっは、と割と本気目の魔法を喰らったくせにピンピンしているアレンがエイミに握手を求める。
その元気な様子にエイミはまたしても青筋を立てつつ、なんとか握手に応じた。
「アレンアレン。姉さんとは会ったことあるだろ」
「そうだっけ? 覚えてねぇぞ」
しかも、自分を覚えていないと来た。
コイツしばいてやろうか? と、自分の事を棚に上げて考えるエイミ。
そんな険悪な空気を察することもなく、
「よかった。アレンちゃん、エイミちゃんとも仲良くやれそうだね」
なんにもわかってないような顔で、フィレアがそんな事を言ったりしていた。