古来から、自然災害を鎮めるには生贄が付き物だった。
死ぬ気になった時の人間の精霊との交渉力は、上位精霊にも匹敵するものだからだ。……まあ、昔と違い、精霊界にも余裕がある。生贄など使うほど切羽詰る前に、解決してくれる。
……が、精霊の活動が暴走したまま長期間放っておかれては、さすがの精霊王でも解決には時間がかかる。
そして、前述したとおり、死ぬ気になった人間(あるいは人間の霊)は、精霊との交渉力がとても大きい。それが相性のいい人間ならなおさらだ。
まあ、つまりなにが言いたいかというと、
「面倒くさいから、マスター。よろしく」
「よろしくって、オイ! シルフィ、これはないだろおおおお!!?」
氾濫している川の真ん中。そこに突き立てた丸太に括り付けられ、挙句、束縛封印の魔法までかけられたライルは絶叫するのだった。
第73話「生贄と風邪と見舞いに来た人」
「さあ、マスター! ここらへんの水の精霊たちを鎮めなさい!」
「無茶抜かすな!」
セントルイス中に降り続ける豪雨。その異変を収める仕事を請け負ったシルフィだが、面倒だと放っておいた。おかげで、本家・水の精霊王アクアリアスが出張ってきたのだが、『私に任された仕事なんだから、きっちり責任を取ってやるわ』と今までサボってた事を棚上げして宣言。だが、自分では解決は非常に困難なので、自分のマスターを生贄に差し出すと言う暴挙に及ぶ。
以上。こんな状態になった経緯でした。
「そもそも、なんで縛る必要があるんだよ!?」
「だってー。極限状態にならないと、いくらマスターでも暴走した精霊の声は聞けないよ?」
「うがぁ!」
ふざけるんじゃないですよとばかりに、ライルは暴れまくる。まあ、自分のすぐ下に、人魚でさえ溺れてしまいそうな激流があれば無理もなかろう。
……が、面倒くさがりやとは言え、現役の精霊王が本気で仕掛けた封印を解けるわけがない。主従関係が逆転してないか、というツッコミは却下だ。
「あの、シルフィ? やっぱり私が……」
シルフィの隣に浮かんでいるアクアリアスが、おずおずと進言する。
「ダメダメ。これは私の仕事なんだから、アクアリアスは下がってて」
「でも、元々は私がするはずだった仕事を、近くにいるって理由でシルフィに任せたわけですし。そもそも、私が来たのはこの仕事を引き継ぐためなんですが」
「まあ、黙って見てなさい!」
ぴしゃりとアクアリアスの台詞を遮るシルフィ。なにが彼女をそこまでさせるのか。しなくてもいい仕事を彼女にさせるものはなんなのか?
……ぶっちゃけ、悲鳴を上げるライルが面白かった。
「シルフィぃぃぃ! お前、絶対妙なこと考えてるだろ? てゆーか、面白がってるだろ、お前!!」
「あら。心外ねー。私は純粋に自分の仕事を完遂しようとしてるだけよ? まあ、そのためにマスターに協力してもらわないといけないのは心苦しいけど(ニヤッ)」
「ニヤッて笑った! 今、ニヤッて笑ったぁぁぁあ!!」
更なる絶叫。
アクアリアスは、さすがに助けた方がいいんじゃないだろーか、と思い始めた。なんか、川に突き立ててある丸太が傾き始めてるし。
「落ちる落ちる落ちる!」
「今よ、マスター! ここら辺の水精霊たちに干渉しなさい!」
「無理だ! この程度のピンチ、ルナの魔法に比べたら全然何てことないじゃないか!」
そう。この程度、ライルにとっては極限状態でもなんでもない。ルナの魔法一つの方がよっぽど危険である。
極限状態で精霊に干渉しやすいのは、心が開放されるからだ。慣れているライルは、心を開放なんぞしない。
まあ、だからと言って、怖いのに変わりはないが。
「あ〜、それもそっか」
「……いや、そこで納得されても」
自分で言っておいてなんだが、こんなこと言われて納得されるルナって一体……という気分になる。
「……ん?」
そのころ、部屋で読書をしていたルナが、ふと反応したが、今回の話にはたぶん関係ない。
「ええい、だったら気合よ、マスター! K・I・A・Iで頑張って」
「お前ねーー!」
シルフィとライルの言い合いはさらに(ライルが一方的に)ヒートアップ。解けないと知りつつも身を捩りまくる。
「あ、あの、あんまり暴れると……」
アクアリアスの忠告も遅く、
「あれっ?」
ぐらり、と来た。
「あれあれあれあれーーーっ」
着水。
どぼーん、という音がやけに空しく響く。
「……しまった」
「しまったじゃありません! シルフィ、さっさと追いかける!」
「わ、わかった!」
アクアリアスにせかされて、シルフィは慌てて下流に向けて飛び始めるのだった。
「がばばばばばばっ!?」
ライルは苦しんでいた。
元々、口を開いていたので、一気に肺の中の空気を持っていかれてしまった。
(し……死ぬっ!?)
真面目に命の危険を感じた。
頭が真っ白になっていく。
意識の片隅で、この地を騒がせている精霊たちの声を聞きながら。
「で、見事解決ってワケね」
「……なぁ、シルフィ。僕はお前に言いたいことがごほっ……たっくさんあるんだ」
「なによ。恩知らずね。マスターが溺れ死ぬ前に引き上げてあげたのに」
「当たり前だろうが! ……ごふっ」
思いっきりむせる。
隣で様子を見ていたアクアリアスは、慌ててライルの背中をさすってあげた。
ライルは、結局あの後、精霊たちを鎮めることに成功。とりあえず、直ぐにシルフィたちが助けたので、死ぬことはなかったが……まあ、秋も深まり、そろそろ寒くなってきている。当然の帰結として風邪を引いた。
「鍛え方がなってないわね〜」
「し、シルフィ……」
もはや突っ込む気力もないらしい。
「待ってなさい。風邪に効く薬草取ってきたげるから」
と、シルフィは窓を開けて外に出て行く。すでに雨は上がっていて、気持ちのよい風が部屋に入ってくる。
ほっと、ライルは一息つく。
なんにせよ、体調を回復させねばシルフィに仕返しすることもままならない。とりあえず、復讐プランを数十個ほど頭の中で思い浮かべながら目を閉じた。
ふと、額に冷たい感触。
「アクアリアスさん?」
見ると、アクアリアスが絞ったタオルをライルの頭に乗せていた。
「病人を一人置いて帰るわけにもいきませんから。シルフィが帰ってくるまで看病してますね」
「……いや、別にいいですよ。色々忙しいんでしょう?」
「まあまあ」
微笑みながら頭を撫でてくるアクアリアスに、ライルはされるがままになる。振り払うのが億劫なこともあるのだが、なんとなく雰囲気的に逆らえない。
「……シルフィのこと、許してあげてくださいね? すぐ悪ノリする子ですけど、根はいい子なんです。あれでも、けっこう責任感じてるんですよ?」
「はあ、まあそうでしょうね。僕も、あいつとの付き合いはそれなりに長いですし、それくらいはわかります」
「そうでしたね。ここ数年の付き合いは、あなたの方が深いんでした」
ふっと穏やかな空気が流れる。
アクアリアスの手は、ライルの頭を撫でたままだ。如何なる癒し効果か、ライルは体が軽くなるのを感じていた。それと同時に、眠気が襲ってくる。
なんてゆーか、もう諸々のことがどうでもよくなってきた。
ライルはそのまま深い眠りの世界に、
「やっほーー! 見舞いに来てやったわよ」
潜れなかった。
「る、ルナ?」
突如部屋に押しかけてきた面々を呆然と眺める。ルナを筆頭に、いつものメンバーだ。なぜか、部屋に入ってきた時点で硬直している。
そういえば、アクアリアスもルナたちを凝視したまま動かない。
やがて、真っ先に回答したアレンが心底驚いたように叫んだ。
「ら、ライルが女を連れ込んでる!!?」
「違う!」
叫びながらライルは頭を抱えた。
言われて見れば、この状況。アレンたちからすれば、見知らぬ女性と自室に二人きり。あらぬ誤解を受けても仕方がないような気がする。
そして、アクアリアスからすれば、人間との遭遇は望ましくないだろう。なにせ、彼女も精霊だ。シルフィとの契約者であるライルは例外としても、余人の目には触れたくない。
まあ、幸いにも訪れているのはルナとアレンとクリス――シルフィの事を知っているメンバーだ。なんとか誤魔化しようは……
「男子寮・寮則第十一条! 特に理由のない限り、学園関係者以外の女性の立ち入りを禁ず!」
ルナが叫ぶ。いかなる想像をしたのか、その顔は真っ赤だ。
ばちばちと帯電するルナの右手を見て、ライルは顔色を変えた。
「ま、待ったルナ! 今、僕すんごい体調悪くてさ……! そんなもん受けたら死n……」
「問答無用!」
ルナの手から一条の閃光がライルに伸びる。ライルに直撃する直前、水の膜がライルを守った。
「なっ!」
ルナの驚愕の声が響く。
ルナのツッコミが当たるのは、太陽が東から昇るように当然のことである。お約束に介入してくるとは、こやつ何者!? とルナの顔に書いてあった。
「全く、乱暴ですね。……噂どおり」
(だから、その噂ってどこから来てるんだ?)
シルフィか? と勘ぐるライルだが、それは違う。この噂とは、現在、精霊に転生し悠々自適の毎日を送るルーファス・セイムリート(享年十七歳)がこちらにやって来(以下略)
「うっ……」
正論すぎる正論に、ルナは後ずさる。こういうまともな人種には、ルナは強く出れない。心のどこかで、自分のやっていることはちょっとアレだなーと自覚しているからであろう。
「うっさい!」
「む……病人相手に攻撃魔法を放っておいてそれですか?」
「あ、いやそうじゃなくて……」
きょろきょろとルナは周りを見渡す。ナレーションに反応するとは、いつもながらすごい感覚である。
「あの、アクアリアスさん? 姿隠さなくてもいいんですか?」
「……今更でしょう。今から隠れるのも間抜けですし、この三人のことは色々聞いてます。色々と、ね……」
(だから色々って何なんだー!?)
戦慄を隠し切れないライル。戸惑った様子のルナ。呆然としているアレン。何気に台詞一つなく忘れられようとしているクリス。
ライルの部屋は、今日も賑やかだった。