クリスは自室でほっとため息をついた。
「これで、一安心だ」
以前、里帰りした時に唐突に告げられたリティの王位継承権放棄。フィレアに国王は無理だろうから、順当に行けば次期国王はクリスとなるはずだった。
冗談ではない。クリスは、自分が人の上に立つ器ではないと思っているし、そのような責任ある立場に着いたら、絶対に自分は潰れると感じている。
アレンが国王になることを、完全に混乱しつつも承諾してくれたので、国王にならなくて済む。アレンは以前のクーデターの際、アルヴィニア王国を救った英雄と見られているし、彼みたいな無神経――もとい肝の据わっている人間ならば、王としてのプレッシャーなんぞ感じはしないだろう。
つくづく適任である。
まぁ、次期国王候補として、帝王学や経済学、歴史学に礼儀作法その他諸々の勉強に加え、貴族連中のやっかみにも耐えなければならないが、そこはそれ、割を食ってもらうことにしよう。
「さて、と。それじゃあ」
はて、とクリスは首をかしげる。
卒業した後、すぐ国に帰る必要のない僕は、一体なにをすればいいんだろう?
第180話「それぞれの進路 ―クリスの場合―」
「というわけで、卒業したあとどうしようか悩んでるだけど」
「……それは、俺に対する嫌味か?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね」
一番身近な友人、ということで、クリスは次の日の昼休み、半端ない重責を押し付けたアレンに相談してみた。
アレンはいつもはフィレアが作った弁当を昼ご飯にしているのだが、どうやら今日は持って来ていないらしく、食堂で相変わらず大量のメニューを注文している。
「ったく。どうして俺に相談するかな。お前はしっかりしてんだから、そんくらい自分で考えろよ」
ちなみに、アレンは卒業式が終わったその日にフィレアに拉致られ、アルヴィニア王国での結婚式の準備をすることとなっている。ここに、アレン自身の意思は微塵も入っていない。いつのまにか、そういうことになってしまっていたのだ。
つまり、この手の相談に対して、有効なアドバイスなど望むべくもない。
ちなみに、結婚式が終わったその後は、地獄の勉強ロードが待ち構えていることはとりあえず伏せておくべきだろう、とクリスは友人ゆえの優しさから決心する。
「いやぁ、そんなことはないさ。僕だってかなり迷うよ。しばらくこっちに留まって外交官の仕事続けてもいいし、アルヴィニアに帰ったら帰ったで仕事あるだろうしね」
「そう言えば、お前一応外交官だったんだよな」
「留学生兼だから、あんまり仕事らしい仕事はしてないんだけどね」
「まあ、そうだろうな」
「アレンに言われるのはどうにも納得いかないけど……」
さて、本当にどうしようか、とクリスは思い悩む。
この国に残るか、帰るか。それとも、いっそのこと別の国々を巡って見聞を広めるのもいいかもしれない。
「ライルたちと一緒に冒険者でもやったらどうだ?」
「うえ゛っ?」
アレンの提案に、思わず変な声を出してしまう。
確かにライルとルナの二人はコンビで冒険者をやる、ということになっているらしいから、ついていくのは可能だろう。だが、あの二人は、暴走するであろうルナを抑えるために、ライルが渋々と一緒にいる、という構図である。そこに下手に首を突っ込んだら、どうなるかわかったものではない。
学校、という平和な空間ではなく、モンスター退治や遺跡探索等の危険領域でルナと一緒にいるなど、命がいくつあっても足りないだろう。実際、卒業後の事を語るライルの顔には死相が現れていた。
「……い、いや。それはちょっと」
「そっか。楽しいと思うんだが……」
あの二人の間に入って楽しいと思える感性を自分にも分けて欲しいとクリスは思う。同時にそんなもんを得たら得たで人としてなにか間違ってしまうような気もするが。
これはあかん、とクリスは話の転換を試みる。今更だが、やはりアレンに相談するのはちょっと間違っていたのかもしれない。
「と、ときにさ、アレン。君の結婚式のことなんだけど」
「……それを思い出させるな」
「なんでー?」
「いや、まさかマジでそんなことになるとは思っていなかったというか……リアルに考えられないんだよ」
「アレンちゃんは嫌なの?」
「嫌というわけじゃあないんだが……ほら、アイツって小さいだろ? なんつーか、いいのかなぁ、とか思ったり」
「そーゆーのが好きなくせにー」
「だからそういう根も葉もないことを言うのは止めろ!! ……って?」
ちなみに、クリスは口を開けておらず、ただヤレヤレと苦笑していた。
恐る恐る、アレンは後ろを見る。
「フィレア?」
「ごめーん。アレンちゃん。朝寝坊しちゃってお弁当作れなくて。と、ゆーわけで届けに来たよ」
と、弁当袋を掲げるフィレア。
「い、いや。もう昼飯は食っちまった……んだが、ありがたく頂かせてもらう」
流石に婚約者の悲しい顔は見たくないのか、アレンは弁当を受け取った。まぁ、最近はフィレアの料理の腕も向上してきているらしく、普通に食えるので問題はない。
作り立てらしい弁当をかきこむアレンを横目に見つつ、クリスはフィレアに話しかけた。
「フィレア姉さん」
「なに? クリスちゃん」
「姉さんは、僕がアルヴィニアに帰るのとこっちに残るのと、どっちが良いと思う?」
んー、とフィレアは指を口に当てて考える。
「どっちかというと、クリスちゃんにはお城に帰ってきて欲しいかな」
そりゃ、フィレア姉さんに聞けばこうなるよな、とクリスは自分の発言を後悔する。
フィレアは、自分の親しい人には、なるべく傍にいて欲しいと思う人だから。
「あのね、アレンちゃん、うちに来てくれることになったのはいいんだけど、生まれも育ちもこの国でしょ? アルヴィニアに他に知り合いがいるわけないし、やっぱり友達が近くにいたほうが良いと思うんだ」
「あ……」
そりゃあ、アレンだって騎士団に見習いとして入っていた関係上、知り合いがいないわけではない。アルヴィニア王国の民からは人気があるし、不自由を感じることはないだろう。ただ、『友人』となると、アルヴィニア王国にはいない。
「そうだね……。責任を押し付けるだけ押し付けて、友達もいない国に放り出すのは、ちょっと薄情すぎる」
「ま〜、わたしがいるから、アレンちゃんが寂しがることはないと思うけど」
「……寂しいっていう感情があるかどうかも怪しいけど、一応、お目付け役がいたほうが良いと思うしね」
ルナたちに付いていくほどではないが、アレンと父カリスの間を取り持つのもかなり苦労しそうではある。まぁ、そのくらいは王族の責任の放り投げた代償として甘んじて受け入れよう。
結婚式の日取りが決まった途端、王としての仕事を放り投げてアレンを殺そうとした父親を思い出して、クリスはそっとため息をつく。
「まあ、それはそれで面白そう、かな」
いかん、アレンの考え方が移ったかもしれない、とクリスは自分の頭を叩いた。
「それで、アルヴィニア王国に帰ることにしたんだ。へー」
「……ライル、君もたいがい薄情だね。友人が遠くに旅立つってのに、それだけ?」
「はは……まぁ、僕らもアレンの結婚式には参列するつもりだし、その後アルヴィニアで冒険者として活動始めるのもいいかな、ってルナと話してたんだ」
「あ、そうなんだ」
一応、自分がアルヴィニアに帰ると言う事をライルに伝えに来たのだが、どうやらライルはライルで自分の国に来るつもりらしい。
「しかし、ルナともちゃんと話し合ってるんだね」
「そりゃそうだよ。一応、パートナーになるわけだし」
「……その、怖くない?」
「怖い?」
「ほら、今以上にルナが暴走する危険があるじゃないか」
ライルは、フッ、とニヒルに笑った。それは、なにやら全てを達観した賢者のようで、なんかやたらカッコイイ。
「ここ、こ怖いに決まっているるるるじゃないかかかか」
体がガクガク震えまくって、声がどもりまくっていなければだが。
「ま、まあきっと大丈夫だよ。ルナだって成長しているんだ。きっと無茶はしないさ」
「ほ、本当に? 本当に?」
「いや、多分……」
「あの、初仕事どんなのがいい、って聞いたら、いきなりドラゴン退治とか言われたんだけど」
「……………」
なにかフォローをしようと思うクリスだが、どうやっても言葉が出てこない。以前ドラゴンと戦って、一歩間違えれば死ぬような目にあったのを覚えていないのだろうか、ルナは。
「しかも、理由を聞いたら、ドラゴンの血液が今研究している魔法に必要だから、って言われたんだけど」
高度な魔法の研究に、その手の高位生物の体組織が必要だというのはよくあることだ。そして、市場で買うとべらぼうに高いし、自らの目で見定めた方がより適切なものを集められる。自然な流れとして、実力ある魔法使いは、自力でそれらの材料を採取しに行く。
のだが、ドラゴン、グリフォン、バジリスク、ヴァンパイア等等の最高位のモンスターは、通常人間が立ち向かえるような存在ではない。まあ、そこまで高位の材料が必要とする魔法使いなんぞ、ほとんどいないのだが……どうやらルナはそのレベルに達してしまっているらしい。
……ドラゴン退治は一回や二回では終わらない気がする。
「これぞ、趣味と実益を兼ねた最高の仕事ね、とか言われたし。あと、学生はやっぱ自由が利かなくていけないわ、とか」
「……充分、好き勝手やってたよね」
「うん……。どうしよう、そのうちもう一回魔界行くなんて言い出しそうなんだけど。あの世界には色々役に立つ植物とかがあるって後悔してたし」
もはや、クリスにはなにも言う事は出来なかった。
強いて言うならば、ライルの冥福を祈ることくらいだろうか。
「ハハハ、マアダイジョウブダヨ」
「片言になってるよ、クリス……」
「香典はいくらくらいがいい?」
「洒落になってないから!」
ジョークとしてはタチが悪すぎる。クリスはゴメンゴメンと謝る。
「まあ、シルフィもいるから大丈夫でしょ」
「……よく僕を無視して散歩に出かけたりしてるあいつが?」
「そういえば、今もいないね」
「……今日は仕事だっつって、精霊界」
沈黙が流れる。
「と、とりあえず。これで僕の身の振り方も決まったし、あとは卒業式だけだねー」
「そ、そうだね。とりあえず、その後のことはあまり考えないでおこう」
ライルは現実逃避をした。
ふと、二人の間に沈黙が流れる。
「……考えてみれば、あと二ヶ月ないんだよね、卒業式まで」
「そっか……」
しんみりする。
なんだかんだで、騒がしくも楽しい……楽しい? ……多分、楽しい学園生活であった。
一抹の寂しさを感じるのは否めない。
「ま、あと一ヶ月ちょっと。頑張ろうか」
「うん」
そして、二人は頷きあった。