先代魔王の慰霊は、滞りなく終了した。
儀式とは言っても、黙祷を捧げ、この地方の長フルカスが訓示を述べるだけの、ごくごく簡単なものだった。
そもそも、こういった式に、魔族や魔物がこれだけ集まること自体が珍しいので、仕方ないといえば仕方ない。下手に長引かせると、集まった連中が暴れだす危険もあった。
「じゃ、俺は帰るわ」
魔王の弟だったという、謎の青年は、シュタッと手を上げると、とっとと帰っていった。
精霊は、『門』とやらからしか帰ることができないらしいのに、あっさり自前で門を作り上げた彼を、ライルたちは不思議に思ったが、
「……あいつは特別なんだ」
と、フレイが目を伏せながら言ったことでことで、納得することにした。厳密に言えば、なんで魔王の弟が精霊なんだー、とか色々突っ込み所はあったのだが、なにやら複雑な事情があるらしいし、多分それはあまり愉快ではないことだろう。なにせ、魔王の弟である。
……ん、まあ全容を公開すれば大爆笑必至の愉快極まりないエピソードを彼は大量に持っているのだが、それは外伝を参照してもらいたい。
第171話「ハルファス」
そうして、一行は魔族領主フルカスの案内の元、人間界への『門』へ向かっていた。
「チッ、ルーファスの野郎、俺らも一緒に連れて帰ってくれりゃあよかったのに」
少し遅れて付いていくフレイは、どうやら先ほどの青年となにやら確執があるらしく、彼が登場してからずっと愚痴っぱなしである。
いつも付き合っているシルフィはもとより、あまりフレイと話したことのないライルたちですら、もうスルーの体勢だ。お陰で、ちょっとした有名人の名前が出ても、それに気が付かなかった。
「しかし、こんなとこでよく生きていけるなぁ……」
魔界の大地を踏みしめながら、ライルが素朴な感想を抱く。
乾燥しきった土。太陽など拝めるはずもない、灰色の空。ざっと見渡したところ、葉の一つもつけていない木が何本か生えているだけで、それ以外には生物どころか植物すらない。
「この辺りは、魔界でも特に貧しい土地だからな。……過去、勇者がこの地に攻め込んだ時、魔族の軍勢と戦った場所だ。その時の戦いの影響もある」
500年以上前の戦いの影響が残っている、というのも想像しがたいものがあるが、言われてみればなるほど、さっきよりもずっと小規模だがクレーターや何かが爆発した跡などがそこかしこに存在している。
「だから、他の魔物とかも殆どいないのよ。私たちが『門』をこの先に作ったのも、まあその辺りに理由があるって言うか」
「そも、その『門』も、当時勇者が使ったものを流用したのだろう」
「いやまぁ、そうなんだけどね」
あっはっは、と笑うシルフィ。
そのシルフィに、フルカスは真面目な声で尋ねた。
「そう言えば、風の精霊王よ」
「シルフィでいいわ。……なに?」
「いや……では、シルフィリア殿。貴方たち精霊王らは、なぜ魔界を放置したのだ? お陰で、我らはこうして、細々とではあるが社会を築きつつあるが……貴方たちにとっては、私たちは害にしかならぬであろう? 現に、貴方たちが此方に来る原因となった『穴』のように、魔界の瘴気がそちらに影響し始めているようだが?」
あ〜、そのこと、とシルフィは呟きながら、頬をぽりぽりかく。
「どうもこうもねぇよ。敵対してねぇ奴らまで、ねちねちいじめる趣味はねぇし。魔王が死んだことで、戦は終わったんだからな」
愚痴を言いながらも、その会話を聞いていたフレイが、その答えを口にする。
「それは……しかし」
「あんだ? お前らにとっても都合の良いことじゃねぇか。ま、瘴気は少しは浄化する必要があるけどよ。んなこと言うんだったら、お前らこそ、どうして俺らが好き勝手にこの世界に来るのを阻止しようとしない?」
「……今、無用に精霊界――ひいては、神界を刺激するのは、得策ではないと判断したからだ」
「俺らも似たようなもんだ。住み分けすりゃいいって話だろ。それに文句がある奴は、潰すけどな」
これで話は終わり、とばかりにフレイはひらひら手を振る。
フルカスは、複雑そうな、それでいて納得のいったような不思議な顔で、頷いた。
「……ねぇ、なに話してたの、あいつら」
「わからん。あいつら、きっと頭が良いに違いない」
ルナとアレンがぼそぼそ話し合う。
完全に蚊帳の外に置かれ、寂しがっているのだろうか。
「いや、あの。スケールが大きいってだけで、そんな複雑な話じゃなかったよ?」
「ふんっ! ならこっちはこっちで、面白い話をするまでよ。アレン、なにか芸をしなさい」
「なんで俺っ!?」
どこにいても、やかましい連中であった。
「着いた……が」
前方には、六つの石柱が円を描くように屹立していた。恐らく、あれが例の『門』とやらなのだろう。
しかし、存在していたのはそれだけではなかった。石柱の一つに腰掛け、肩に巨大で禍々しい鎌を背負った魔族が一匹。まるでハロウィンのジャック・オー・ランタンのような顔や、歪に伸びた角、枝のように細い身体は、全身で人外である事を主張していた。
「なぜ、貴様がここにいる?」
先ほどまでの穏やかな声とは一転して、厳しい声色で詰問するフルカス。
だが、それも当然だった。
その魔族からは、ライルたちが思わず全力で戦闘体勢に入ってしまうほど、明確な敵意が向けられていたのだ。
「ヨォ、フルカス。クソッたれな精霊王の旦那。んで、オマケの人間ども」
ゲヒャヒャ、と下品に笑いながら、魔族は全員に挨拶をする。挨拶、などというには、随分と礼に欠いた態度であったが。
「誰が、誰のオマケだって!?」
「いや、待ったルナ。今、シリアスなシーンだからさ」
背後でなにやらぎゃいぎゃいやっている人間たちはキッパリと無視して、フルカスは重ねて尋ねた。
「なぜ、貴様がここにいるのか、と聞いているのだっ。ハルファス!」
いつでも飛びかかれるように、虚空から黒塗りの剣を取り出し、腰を低く構えながらフルカスが叫ぶ。
「なぜ? なぜだって!? こいつぁ、たまげた。そりゃ、こっちの台詞だってのによぉ!」
ハルファス、と呼ばれた魔族は、狂ったように身体を捻じ曲げ、笑う。
「なんでー、フルカス! テメェは、そいつらを生かしてんだぁ!?」
節くれ立った指をライルたち……正確には、シルフィとフレイに向けて、ハルファスは言った。
「お前も承知の通り、我々魔界の魔族は、精霊に対して基本的には不干渉を……」
「んな建前はどうでもいいんだよぉ! そりゃ、魔界で、つったって六人揃った精霊王とやるのは無謀だがな。そっちにゃ、二人しかいねぇ! しかも、お荷物付き。おまけに、だ! そいつらがこっちに来たのは、あくまで『事故』!」
愉快でたまらない、といった風に、ハルファスが両手を広げる。
「つまり、だっ! 簡単に殺れる上に、殺しても『事故』っつーことで、神の連中も手出しできねぇだろぉ!」
「馬鹿な。そんな言い分、通るわけが……」
「ない、なぁ? だけど、俺に取っちゃあどーでもいいわけよ。精霊王の正式な『訪問』だと、お前ら穏健派に睨まれてなーんもできなかったが」
くるくると鎌を回転させ、ハルファスはにやりと亀裂のような笑みを浮かべる。
「どけよ、フルカス。お前一人で、俺を止められんのか?」
ハルファスが喋るだけで、キチガイじみた魔力が叩きつけられる。
「なによ、コイツ。半端じゃないわね」
ライルを守るように立ちふさがるシルフィが、その力をモロに受けて顔を緊張させる。
「ちょ、ちょっと、洒落にならない……かな」
あのハルファスとか言う奴は、同じ上位魔族であるフルカスの力も大きく凌駕していた。
「やつは戦闘狂ではあるが、単独での力は、現在の魔界でなら五指に入る。我らが纏めてかかっても、勝てるかどうか……」
「確かに、並じゃねぇな。下手したら『魔王』クラスに片足踏み込んでねぇか?」
フルカスの説明に、フレイが珍しく冷や汗を流しながら、そう評価する。通常世界でなら、なんとか勝てるだろうが、ことこの世界では一人では到底無理だろう。
「フレイ、だっけかぁ。火の精霊王! お前とは、一度やりあいたかったんだよなぁ!」
「ああ、そうかよ」
右腕に炎の帯を纏わせながら、フレイがいつでも戦えるように構える。それに並ぶように、シルフィとフルカスも構えた。
「私が前に出よう。貴方たちは、援護を」
「わかった。……けど、いいの? 同族でしょ、あれ」
一歩前に出るフルカスに、シルフィがそう尋ねた。
「今、精霊界や神界との間に無用の諍いを起こすわけにはいかない。……それに、私はアイツが大嫌いだ」
「……あっそ。じゃ、遠慮なく、よろしくしちゃうわ」
呆れたように、シルフィが笑う。フルカスは、それに頷く。
「いいねぇ! いいねいいねいいねいいねぇ! サイッコーだよ。久々に、面白いことになりそうだっ!」
「その前に、後悔することになるぞ」
そうフルカスが宣告して飛び掛ろうとしたまさにその時、
「私たちをーーーっ、無視するんじゃーーないっ!!!!」
まったく無警戒だった第三者から、魔力弾がハルファスに飛んだ。
「なっ、んだぁ?」
まともに喰らったのだが、当然のように無傷だったハルファスは、怒るよりまず困惑した。
魔力弾を飛ばしたルナは、後ろのライルやアレンやクリスの制止を振り切って、そのハルファスに指を突きつける。
「さっきから聞いてりゃアンタッ! 私たちをオマケ扱いしてっ! ちゃんとこっちも見なさい!」
「はぁ。悪いかったな、そりゃ」
「誠意が篭ってないっ!」
次は、火球が飛んだ。
これも、当然のように片手で払いのけるハルファスだが、
「わっけわかんねぇ……が」
指に、少しだけだが火傷を負う。
「……カッ、おもしれぇ。良いぜ、人間ども。一緒に、かかってき……」
「ええーーっ!? そ、そんな、もう、僕らなんか無視しちゃってくれていいっすからっ!」
「ライル! アンタ、ほんっとーに情けないわねぇ!?」
いきなりハルファスの台詞を遮ったライルを、ルナがどつく。
「ハァ、もう諦めろよ」
「往生際が悪いよ、ライル」
それを眺めていたアレンとクリスが、ため息をつきながら構える。
「あのさぁ、お前等、なんなんだよ」
気勢を削がれて、苦々しくライルたちを睨みつけるハルファス。ある意味、この魔族の調子を乱すことには成功しているようだった。
呆然と、その様子を見ていたフルカスの肩に、シルフィがぽんっと手を置いた。
「気にしないで。あれで、腕は確かだから」
言ったシルフィ自身『大丈夫かな〜?』とか思っているのは秘密であった。