その日、シルフィはものすっごく甘いものが食べたかった。

理由などない。強いて言うならば、散歩に出かけた時、美味しそうなお菓子屋さんを見つけたことか。それがどうしてここまで自分の脳を支配するのかわからないが、とにかく――

散歩から帰ってきたシルフィの頭は、生クリームと果物とスポンジと砂糖とミルクとその他諸々で占められていた。

「とゆーわけで、マスター。ケーキでも食べに行きましょう」

「却下だ」

そして、ライルが学校から帰ってくるなり、そんな要求を叩き付けた。無論、金銭的余裕が全くないライルは、即座に断る。一刀両断だ。

「えーーー」

「なんでそんな意外なこと言われたみたいに……駄目だよ、駄目駄目。ただでさえ、夏休みは散財しちゃったのに、そんな嗜好品を口にする余裕は我が家にはありません」

事実、学校で使う鉛筆すら、チビてしまったのに棒で補強して最後まで使うほどなのだ。このところ食事のメニューも貧弱なものになっていた。破れたりした服は、ちゃんと繕ってボロキレになるまで着潰している。……ただ、そんなでも、食事はなにげに美味しくて栄養バランスも取れてるし、服もぱっと見にはわからないくらい見事に繕っている。

どこの敏腕主婦だ、とシルフィは自らのマスターに問いかけたかった。そして、同時に思った。

「あ、じゃあうちで作ったら? 安く出来るし」

ナイスアイデア、とばかりに、自分で自分を褒めるシルフィであった

 

第147話「お菓子とシルフィとありがちなお話」

 

「あのな……」

さて、どこから突っ込んだものか、とライルは頭を抑えながら熟考する。

別に、シルフィはそこまで突飛な事を言っているわけではない。外で甘味を食べると高くつく→なら家で作っちゃおう。……なるほど、正しい。正しい、が、いくつか問題が。

「シルフィ、ウチには、菓子作りの道具もオーブンもないわけだが」

「きっと、これからも必要になるでしょうから、買っちゃいましょう!」

道具はともかく、オーブンをどこから買ってこいと? ついでに、買ってきたとして、この寮の平凡な一室のどこに据えつけろと? てか、そもそも必要じゃない。ということを言って聞かせる。

まぁ、別に特別な道具がなくても作れる菓子もあるわけだが……とりあえず、断る理由としては妥当なところだ。

「そうね。じゃあ、アレンの家、使わせてもらったら? 確か、フィレアが自作クッキーでアレンを撃沈したって言ってたわよ。道具くらい揃っているんじゃない?」

「撃沈って……いやいい。ルナよりはマシだろうから、別に大丈夫だろ」

ちなみに、そのお菓子を食べたから撃沈したわけではない。真相は、アレンに元気を出してもらおうと、なんか精がつきそうな材料をぶち込んだ結果、凄く不味く仕上がってアレンが『これ、凄い不味いんだが』と馬鹿正直に言った結果『も〜、こういうときは嘘でも美味しいって言うの! ううん、愛情がてんこ盛りだから、不味いってことは有り得ないの!』と、フィレアの絞め技を喰らったという話だ。

まぁ、ライルにとってはどうでもいい話には違いない。夫婦喧嘩は犬も食わないという。もちろん、ライルもんなもん食いたくなかった。絶対に腹を下す。

「これで、問題なしね!」

「いや待て。いきなりアレンの家に押しかけて『お菓子作りたいんですけどー』って頼むのか? 僕は御免だぞ」

恥ずかしいし、面倒くさい。大体、料理は人並み以上にできるが、菓子作りのノウハウは生憎と持ち合わせてはいない。

「いいじゃないー。たまには、従者をねぎらおーとは思わないの?」

「……良い意味でも悪い意味でも、お前は従者だとはぜんっぜん思えん。さー、ご飯作るぞー。今日はパスタだぞー。シルフィ、ペペロンチーノでいい?」

手をヒラヒラさせつつ、ライルは台所に向かう。

「うがぁ! 私はー、お菓子がー、食べたいです!」

シルフィは突如実体化し、更には人形サイズから人間サイズに拡大し、テーブルを見事にひっくり返す!

ぱたむ、と本来はモノを乗せる側が地面に接触。テーブルの四本の足が、天井に向けて雄雄しく聳え立った。

「……なにがしたいんだ、お前は」

「え? だって、これは食生活に不満があった場合の、伝統的な『ツッコミ』じゃないの?」

「食べ物が口に合わなかった場合だし、ツッコミじゃないし、そもそもそれは壮年以上の男性が配偶者に向けてしか許されていない必殺技だよ」

「必殺?」

「それに、食べ物を粗末にするから、僕は嫌いだ」

どーでもいいことを熱弁するライルは、なにかちゃぶ台返しにトラウマでもあるのかもしれない。

ともあれ、

「なんと言っても駄目なものは駄目。大体、お前の分の食事を用意するのも、最近はやめようかって思ってるんだぞ。ほら、お前食う必要ないだろう?」

「んなっ!? そ、それは差別よ! 精霊にも人権を!」

「人権ってのは、人の権利と書くんだぞ」

人じゃないじゃん、と事も無げに言う。

「い、イレーナに言いつけてやる!」

「へ?」

イレーナ。

極度の人間嫌いにして、それ以上の男嫌い。そして、彼女の言うところの『裏表のない、純粋な』精霊をこよなく愛している女性である。現在、セントルイス近郊の森に生息中。

その彼女へ、シルフィが己の窮状を訴えれば……ライルは、それはもお凄い睨まれるだろう。だからどうしたという話だが、彼女ではそのくらいが精一杯だ。

「……それで?」

「それで、えーと、えーと」

それもシルフィはわかっているのか、悩み始める。

しかし、他に適当な協力者に心当たりがない彼女は、次第に口を尖らせ、ライルがこれ以上の反論は聞かないとばかりに夕飯の支度を進めた辺りでキレた。

「ううう〜〜〜!!」

ばたん、と仰向けに床に転がる。

「? なにして……」

「いいじゃないいいじゃないいいじゃない〜〜」

手足をじたばたさせ『いいじゃない』を繰り返す。まるで駄々っ子……いや、ちゃぶ台返しの次は駄々っ子アタックというわけか?

「あのね。シルフィ、お前下の部屋の人に迷惑だろう?」

今回、やけに子供な行動をとるシルフィに辟易しながら、ライルは腰に手を当て宥めようとする。

エプロンをキッチリ着こなし、お玉を手に持つその姿は、まさに古きよきお母さんを連想させた。

「っはぁ〜〜、仕方ない。果物くらい、買ってきてやるから」

「や!」

一言。シルフィはライルの妥協を鋭く否定した。

「私は、もっとこー、お菓子お菓子したのを食べたいの。ケーキとかクッキーとかプリンかっ。そーゆーのを“お腹いっぱい”食べたいわけよ」

「お、お腹いっぱい?」

「はちきれんばかりに!」

「……却下だ」

不満そうな声をさらに上げるシルフィに、ライルは呆れる。

放っておいても良いのだが、いい加減、近所から苦情が来そうだったし、なにより少女の悲鳴(?)が自分の部屋から聞こえると、あらぬ噂を立てられそうだ。男子寮という閉鎖空間は、その手の噂が広まるのが光の速度より早い。

というわけで、ライルは間違いなく大人しくなるであろう台詞でシルフィの要求を遮った。

「あのなぁ……そんな風に料理関係の話をしていると……ルナがどっかから聞きつけて、喜んで作ってくれるぞ?」

ピシリ、とシルフィが石化したように止まる。

いや、こんなことはライルも言いたくはなかった。しかし、ルナは魔法の次に得意なのは料理だと公言している。普段は面倒がって作ったりはしないのだが、ルナの料理の実態を知らない哀れな子羊に、『へ〜、ルナちゃん料理得意なんだー。食べさせてよ』などと頼まれたら、カラカラと喜びながら手料理をご馳走する。きっと、人に振舞うのが好きなのだろう。逆に、たまに頼まれてもいないのに強引に押しかけて作っちゃうことがある。

今が、ちょうどそんな時だ。

そして、ルナの場合、半々くらいの確率でライルに夕飯をたかりに来る。そして、統計によると、この手の話をした時に彼女が登場しない確率はきわめて低い。いい加減、そういうパターン戦略から脱却しなくては、とライルが危機感を抱くほどに。

まぁ、そんなことを考えている時点で負けている。なにせ、

「ほっほう。リクエストとあらば、断ることはできないわねぇ」

と、まぁ、どっかの悪魔が作ったとしか思えない運命、もしくは絶対不可避の予定調和的な展開によって、何時の間にやらルナが仁王立ちしていたのだから。

「ほら」

「……マスターが噂したから、沸いて出たんじゃないの?」

「こらこらそこー。手作りお菓子を振舞ってあげようという私に対して、沸いたとはなによ沸いたとは。虫じゃないんだから」

言うまでもないが、誰も頼んでなどいない。

「あ、ライルは気にせず、夕飯作っといて。私は、デザート作っとくから」

やけに嬉しげにエプロンを見に付けるルナ。なんだかんだで顔は良いので、そんなものを身に着けると家庭的な雰囲気をも醸し出し、まぁ可愛くないとは言い切れない部分もあるかもしれない。……まぁ、外見と料理の腕は別物だし。

そうして準備を完了したルナは、ガタガタブルブルと震えだしたシルフィなど一片も気にしていない。『さて、なぁに作ろっかなぁ〜』などと頭の中のレシピをめくっている。

「てか、ルナ。お菓子作りってしたことあるの?」

「ん? 基本は普通の料理とそう変わらないでしょ。楽勝楽勝」

その普通の料理すらおぼつかない人間がそんな事を言ってもなんの説得力もないが、ライルは既に好きにしたら良いという気になっていた。

男は、こういう場合、必殺の逃げ口上がある。

「ゴメン。僕、甘いものちょっと苦手だから、僕の分はいらないよ」

「ええ〜? もう、こういうのは、いろんな人に試食してもらった方が良いんだけど」

文句を言いつつも、納得した風のルナに、ライルは内心ガッツポーズ。

「ちょっと! マスターって、どっちかというと甘党じゃなかったっけ!?」

姑息なマスターに、シルフィは激昂した。

「そうなの?」

「いや、シルフィの勘違いだよ。そりゃ、食べられないことはないけどね。でも、ルナもより美味しく食べてもらえる方が良いでしょう?」

「それもそうね」

あっさり頷くルナ。何時になく聞き分けがいい。

「ってか、やめなさい! アンタの(ピーーーーー)なお菓子なんて願い下げよ!」

「遠慮しなくて良いわよ」

文字にすることすら躊躇われる暴言を吐くが、ルナはふんふふーんと鼻歌を歌いながら軽く流す。

料理が好きなのは本当なのだ。それに腕が伴わないだけで。

「よし、ホットケーキにするか。材料もあるし、フライパンだけあれば作れるし」

どうやら、種類は決定したようだ。

「ちょっと待ちなさい! アンタ、ホットケーキの作り方、知ってる!?」

「やぁねぇ。簡単じゃない。生地作って、焼くだけでしょ?」

その生地は、どうやって作る気なのか。もしやとは思うが、その手に持ったタバスコやら豚肉やらマンドラゴルァを入れるつもりか。

ええい、せめてある程度うまく作れるように調合したホットケーキ☆ミックスでも持ってこいと言うのだ。いや、その程度でルナの料理がうまくいくとは微塵も思っていないが、せめてもの気休めになる……なんてことを考える暇があったら体を張ってでも止めろ私―――――!!

「ん?」

飛び掛ったシルフィは、ルナがかき混ぜている生地の匂いをかいだ途端、ぱたりと気絶した。

「なによ、そんなトコで寝たら駄目じゃない。ったく……」

嬉々としてボウルの中身をかき混ぜるルナから微妙に視線を逸らして、ライルは嘆息した。

「シルフィ……分不相応な望みを描いたら、そうなるんだ。覚えておけ」

でも、とりあえず、少しずつ積み立てをして、そのうちケーキ買ってきてやるか、と考える、なんだかんだで甘いライルだった。

……まぁ、今日という日をシルフィが乗り切れたら、の話だが。

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