窓から差し込む光が、瞼を照らす。

プリムは、う〜ん、と唸りながら薄目を開けた。

「う……ん」

ごしごしと目を擦る。頭痛がするが、一体なんなのだろうと寝惚けた頭で考えながら上半身を起こす。

「あれ? 仕事着のままだ」

しわくちゃになった仕事着。父であるバロックが、夜なべして作ったメイド服。こんな風にしわになっているところを見られたら、父はきっと滂沱の涙を流すに違いない。

まいったなぁ、とため息をついて、そこでプリムは自分の足に重みがあるのに気が付いた。布団で隠れているが、彼女の足の辺りにこんもりとなにかが盛り上がっている。

寝惚けてぬいぐるみでも引っ張り込んだのかなぁ、などと平和な思考はしかし、

「…………へ?」

布団を引っぺがし、自分の足を枕にしてぐーすか眠っているアレンの姿を見て、木っ端微塵に砕け散った。

疑問がプリムの頭を走り抜ける。なんで一緒のベッドで寝ているんだろう? しかも、自分の服は着崩れていて、アレンはその……シャツとパンツしか着ていない。

ぐるぐると混乱する頭。ええい、この頭痛のせいで、よく考えられない。いや、しかし……

「きゃあああああぁぁ!!!」

とりあえず、プリムは悲鳴を上げることにした。

 

第127話「鬼ごっこ ―ある剣士の悩み―」

 

突然の悲鳴に、ライルは跳ね起きた。

「な、んだ?」

とりあえず、あまり良からぬことだろう。

なにがあったのかはわからないが、このまま放っておいて何事か起こっていたら後味が悪い。悲鳴のあった場所へ駆けつけようと、ライルは立ち上がり、あまりの頭痛にうめいた。

「……うっ、昨日、呑みすぎた」

胃からすっぱいものがこみ上げてくる。なんとかそれを抑えて、よろよろと歩き始めた。

「ライル、僕も、行くよ」

「ああ、私もついていきます」

見ると、クリスやバロックを初めとして、ぶっ倒れていた人たちが何人か起き上がっている。この酒場どころか、村中に響き渡るような悲鳴だったのだ。当然といえば当然である。

二日酔いの連中ばかりとはいえ、これだけの人数がいれば、大抵の事態には対応できるだろう。

ライルは、悲鳴の上がった場所――即ち、この酒場の二階へと向かった。

この酒場の二階は、部屋が五つある。二つはバロックとプリムの部屋。一つは倉庫。残りの二つが、たまに訪れる旅人を泊めるための部屋だ。

と、一つの部屋の扉が開いていた。ライルたちが泊まることになっていて、荷物を置いた部屋だ。

「……そういえば、アレンがいなかったね。さっきの声は、アレンのだった?」

「いや。よく聞こえなかったけど、女の子の声だったような……」

クリスの疑問に、ライルが答える。

まぁ、彼が悲鳴を上げる事態など考えにくい。多分、トイレとか風呂とか、もしくは外か――どっか珍妙な場所でぐっすり眠っているのだろう、と二人は思い、

「そう言えば、うちの娘も下にいませんでしたな。ま、部屋で寝ているのでしょうが」

バロックのその台詞に、あらぬ疑いを持った。

「ねぇ、なんか嫌な予感がしない?」

「……クリス。憶測でモノを言うのはよくない。口にしたら、事実になりそうで怖いじゃないか」

昨日交わした会話が思い出される。クリスがちょっとした冗談で『あまり他の女の子と仲良くしないほうがいいよ』などと言った、あの一連のやり取り。

口は災いの元とは言うが、まさか。

慌てて二人は部屋に突入する。今、脳裏をよぎった嫌な予感を払拭するため。

そして、

「ててて……なんだぁ? なにがあったんだ」

中で展開されていた光景は――目に涙をためながら、シーツで身体を隠しているプリムと、ベッドから転げ落ちて無様な姿をさらしているシャツとパンツしか着ていないアレンの姿だった。

「ん……? よぉ。ライルもクリスも、おはよ。……って、おいおい。なに打ちひしがれてんだよ、お前ら」

がっくりと膝を屈したライルたちを見て、アレンは不思議そうに尋ねる。

「あの、ね。アレン。一応、聞いておくけれど……なんで、プリムと一緒に寝ていたのかな?」

「あン? ……ありゃ、なんでそんなトコにいるんだ」

さっきまで自分が寝ていたベッドを見て、アレンはそんなすっとぼけた事をプリムに聞いた。当のプリムは、思いっきり不審そうな目でアレンを睨んでいる。

「……覚えていません。確か、わたしはお酒を呑んじゃって、下で眠っちゃったはずなんですけど」

「ふーん。あー、そう言えば、冷えたらいけないって思って、運んでやったんだっけ」

ぽん、と今思い出し、アレンは納得の表情になる。対して、ライルたちの目はこれ以上ないほど冷ややかになった。部屋の入り口のところでぽかんと事態を見守っているバロックら大人陣も、なにやら怖い目になっている。

「アレン……君がロリコンなのは、フィレア姉さんの件でよ〜く知っていた。けれど、寝込みを襲うのはよくないよ」

「ちょっと待て、何の話だ。それとロリコン言うな!」

しかし、アレンの主張は受け入れられず、ひそひそ話す大人たち。

『ロリコンだってさ』『ロリコンかぁ』『くっ、俺らのアイドルが、あんな小僧に!』『いや、しかし。こういうことになったからにはやつにはきっちり責任を取ってもらわねば。ロリコンとは言え』『うう〜、プリムぅ〜。母さんが草葉の陰で泣いているぞ〜。そんなロリコン野郎に手篭にされるとは』

「だから、ロリコンって言うなぁああああああ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、襲ったわけじゃなかったんだ……」

会場を酒場に移し、余計な連中を帰らせて事情聴取を行ったライルは、呆れたように言った。

「あのなぁ。なにを勘違いしているのかは知らないけど、俺は強いやつとしか戦う気はないぞ?」

ライルの質問の意図はさっぱりわかっていないアレンの答えに、真実なにもなかったということをその場にいた人間は全員悟った。

「なるほど。つまり、彼はバカなのか」

「ええ。そういうことです。まぁ、本当に手を出しているとは思っていませんでしたけど」

バロックが納得したように呟くと、クリスが神妙に頷いて見せた。

「しかし、同衾していたのは事実です……」

まるでリンゴかなんかのように顔を真っ赤にしたプリムがぼそりと呟く。自分の勘違いが恥ずかしかったのか、それとも一緒のベッドで寝ていたということを今更自覚したのか、さっきからずっとこの調子だ。

「そうなんだよねぇ〜」

娘が傷物にされていないことに安心したのか、意外と楽観的な様子でバロックが首を捻る。

「あ〜、慰謝料かなにか払いましょうか?」

クリスがいたたまれなくなったように口を挟む。彼自身に関係はないが、連れが迷惑をかけたのは事実だ。

「いや、それはいいんだが……」

ふむぅ、と唸りつつ、バロックはしげしげとアレンを観察する。おもむろにその身体をぺたぺた触り、その筋肉を確かめ、プリムの様子を観察する。

「ふむ。アレンくん、と言ったね」

「はぁ……」

「どうだ、うちの婿に来ないかい?」

「はい?」

全員の思考が停止する。

「いやぁ。うちの村は、ほら。古い習慣が残ってたりしてねぇ。女子たるもの、その肌をさらした者を夫にしなければならないとか。肌どころか、同衾までしたんじゃねぇ」

「ちょ、ちょっと待ってください。一体全体、なんの話……」

「それを抜きにしても、うちのプリムはそろそろいい年頃なのに恋人の一つも作らないで……。まぁ、若い男が少ないから仕方ないんだけどね。そこの彼はいい体してるし、よく働いてくれそうだし。プリムもまんざらじゃなさそうだしねぇ」

最近はそうでもないが、一昔前はプリム程度の年で結婚するのが当たり前だった。都市部ではそういうことはほとんどなくなってきたが、農村などではまだまだ十代前半で結婚するものも多い。

いや、しかし。それにしても、あまりにも唐突だった。

「まぁ、若者が少ないって言うか。独身の男って一人もいないんだけどね」

「って、そこまで深刻なんですか!?」

ライルは悲鳴を上げる。そんな状態では、いずれこの村、自然消滅してしまうのではなかろうか。

「まぁねぇ。ほら、若い子って、外に憧れるもんじゃない? 特に男の子にその傾向が強くて、若い衆は一斉に都市部にね。……あ、そうだ。女の子ならもう何人かいるから、君もうちの村に永住する?」

「結構です!」

しかし、これでライルにも納得がいった。なにせ、こういう村にとって、人口は命綱だ。人が少なくなると、それだけ取れる食料も少なくなる。村の存亡がかかっているとなればこその、この態度だろう。

「おいおい。当人同士を無視するんじゃねぇよ。大体、プリムが嫌がってんだろ」

「それは、プリムさえ良ければ、君は構わない、とそういうことだね?」

「ちょっと待てコラ」

アレンの抗議を無視して、バロックはプリムに問いかける。

「で、プリム。聞いての通りだが、お前はどう思っている?」

「え、っと」

「悩むな。頼むから」

本来ならばすぐさま断る質問だ。しかし、なにを思ったのか、プリムは即答を避け、う〜ん、と考え込んでいる。

「あの、わたしはまだ、アレンさんの事をよく知りませんし。お友達から、ということでどうでしょう」

「いや、どうでしょうってあのな……」

ぐしゃぐしゃとアレンは髪の毛をかき回す。

「その、俺らは、すぐに出立するんだよ。悪いが、あまりここに滞在するわけにはいかねぇんだ」

「そ、そうなんですか」

うゆー、となにやら沈み込むプリム。

どうしたもんかと、アレンは困ったようにライルたちに視線を向ける。

「あ〜、いいんじゃない? 考えてみたら、ルナたちの足じゃ、ここに来るまで少し時間あるし。大体、本気でルナに追っかけられてんのは、僕だけだろうし」

「そうだねぇ。まぁ、弟としては、フィレア姉さんが気の毒だと思わないでもないけど……アレンも、それに輪をかけて気の毒だし、いいんじゃない? その娘に鞍替えしても」

「お前ら……」

頭を抱えるアレン。この手の問題は彼の管轄外だ。しかし、女の子を悲しませるのは、良くないことだ。

「二、三日だけ……だぞ」

観念したかのように言ったアレンに、プリムは顔をほころばせた。

 

 

 

 

 

 

「むっ!」

ピクリ、とフィレアが反応する。

「どしたの?」

「なにか、嫌な予感がするの。ルナちゃん、ごめん。わたし、先に行くよ」

ルナの足に合わせてゆっくりと歩いていたフィレアは走り出した。体力的にはライルたちに劣るとは言え、彼女もいっぱしの武道家だ。本気で走れば、かなり早く着く。

「なんだっつーのよ、もう」

ルナはぼりぼりと頭をかき、懐からフィオナが眠っているミニ棺桶を取り出す。

「おーい、起きろ。一人でぼーっと歩くの、つまんないんだから、話し相手くらいにはなんなさい」

一方、走り出したフィレアは、わけのわからない焦燥に胸を焦がしていた。

「むう〜〜〜。アレンちゃん、もしかしてと思うけど……」

ぎゅっ、と拳を握る。

そんなことない、と否定はしてみるものの、どうしてもある種の疑念が抑えられない。これが取り越し苦労ならば良いが、もしこの不安が的中していたら、

「お仕置き、だよ。アレンちゃん」

見た目は可愛らしいのだが……見るものが見れば、失禁しかけないほどに、その怒りのオーラはとんでもなかった。

---

前の話へ 戻る 次の話へ