ヴァルハラ学園も、夏休みに入った。

ライルにとっては三回目の夏休み。三年生にもなると、ある者は王立大学院の受験勉強、ある者はすでに決まった就職先での研修、またある者は今後の身の振り方を決めるため実家に帰省……と、それぞれに忙しい。

よって、今まで生徒の頭を悩ませていた宿題、というのはほとんど存在しない。

数少ない宿題を、夏休みに入る直前に済ませてしまったライルは一つの計画を立てていた。

それは、自分探しの旅、である。

漠然と冒険者になりたい、と考えていたが、現役冒険者であるカイナ達と共に依頼をこなして、色々と考えさせられたのだ。このまま冒険者になってもいいのか、と。そこで、一人旅をして自分を見つめなおそうと思い立ったわけである。

とりあえず、両親の墓参りをこなして、その後は全く当てのない旅をするつもりだ。

「……いいけどさぁ。他のみんなに、話さなくてもいいの?」

旅支度をしているライルを、頬杖をつきながら見ているシルフィは欠伸を噛み殺しながらそう尋ねる。

この場合の他のみんな、とは考えるまでもなく、ルナたちのことだ。

いつも一緒に行動していて、すでにライルとセットと言っても過言ではないメンバーだが、ライルは首を振った。

「いや、みんなには知らせない。ついてこられたら、引っ掻き回されるのは目に見えているし」

「ま、そりゃそうよねぇ……」

いつものメンバーで旅なんぞしようものなら、もうドタバタ四人組珍道中、みたいな感じになるのは目に見えている。シルフィに関しては、どうやっても隠しようがないので諦めている。

それでも、なにも告げずに旅立つのはそれはそれで恐ろしいので、ルナ宛の置手紙(彼女は、どうせご飯をたかりにこの部屋に来る)をしたため始めているライルを見て、シルフィはそっと思う。

(そんなうまくいくかなぁ……)

 

第112話「夏休みの逃避行」

 

翌朝。

まだ日が昇りかけているような早朝に、ライルは出発した。

ここから、以前に暮らしていたアーランド山まで馬車で五日。地図でみるとそこまで遠いわけではないのだが、山やら森が数多く存在した複雑な地形をしているお陰で、やたら時間を食ってしまう。

だが、そこは一人になって身軽なライルである。

山も川も森も、迂回するのは面倒だとばかりに突っ切って、昼過ぎにもなると、すでに全行程の三分の一ほどを消化していた。

「ちょっと、マスター。急ぎすぎじゃない?」

朝からずっと走り詰めで、さすがに肩で息をしているライルに、シルフィは心配そうに問いかけた。

いくら風精霊魔法で補助しているとは言っても、かなり早いペースだったのだ。

「う、ん。まぁ、少し休めばなんとか。さっさとルナたちから距離取りたかったしね」

手ごろな切り株に腰掛けて、水筒の水を染み込ませるように一口、二口と飲み下し、ふぅ、と息をつくライル。

夏休みに入った以上、まず有り得ないが、仮にルナが早起きして早くにライルの旅立ちに気付いたとしたら。『私を置いていくなんていい度胸ねぇ、ライル』ってな感じで追いかけてくるルナに追いつかれないとも限らない。

そうなったが最後、なにをされるかわかったもんじゃないので、とにかく走ったのだ。

シルフィとしては、そんなリスクを背負ってまで一人旅をすることに意義を見出せなかったのだが、それは若さの特権ってやつだろう。

見た目に反して、ライルのン十倍は生きているシルフィは、そう納得しておくことにした。

「まぁ、これだけ距離稼げば、そうそう追いつけやしないと思う」

「……ってか、ルナは移動系の魔法ほとんど覚えてないし、ここまで急がなくても大丈夫だと思うんだけど」

「甘い。あのルナだ。用心に越したことはない。例えばアレンを乗り物にして追いかけられたら、振り切る自信はあんまりない」

速度では勝っているライルだが、持久力で言えばアレンには及ばないのだ。

「……あの、マスター? 念のため聞いておくけど、行き先は手紙に書いてないよね」

なら、追いかけようがないと思うんだけど、と言外に問うシルフィに、ライルは首を振る。

「いや、そんなに気休めにもならない。ルナは、絶対に僕のいる場所くらい簡単に察知するよ。昔、かくれんぼで遊んだ時なんか、三分以上隠れられた覚えがない」

「ん〜、まぁ確かに、あのルナがそういうレーダーみたいなの持ってても、全然不思議とは思わないけど」

なに食わぬ顔で目の前に現れて、『勘で追いついた』なんて言われても、ルナならばありえそうだと納得できてしまう。

怒った時の彼女は、物理法則やらなんやらを軽く無視する傾向があるのだ。特に、ライルやアレンを相手にしていると。

でも、その理屈だと、アレンという強力な移動力を持つルナに、いつかは追いつかれることになるんじゃあ? とシルフィは思ったが、あえて口に出すことはしなかった。

どーせ、言ったところで解決しようのない問題だし。

「さて、と。とりあえず、腹ごしらえをしないとね。ほら、シルフィの分」

渡されたミニサイズの弁当をパクついているうちに、そんな(ライルにとって)不幸な未来図のことなど綺麗に忘れてしまうシルフィだった。

 

 

 

……さて、所変わって、ヴァルハラ学園男子寮。

通算十回ほど修理や補修を繰り返し、寮内では魔窟と恐れられるライルの部屋に、しっかりと昼過ぎまで睡眠をとったルナが空腹を訴えるお腹を鎮めようと訪れていた。

「ライル〜。ごはん食べさせて〜」

ノックすらせずにドアを開ける。

なにやら鍵がかかっていたが、そこはそれ、開錠(アンロック)の魔法による不法侵入だ。

仮にライルがいなくとも、適当に家捜しして食べるものを探すつもりなのだ。殆どやっていることは空き巣と変わらない。

「お」

テーブルの上にサンドイッチを発見する。この季節、半日も放っていたらすぐに傷んでしまうが、そういうときのために腐敗防止の魔法が存在するのだ。

まるまる食パン一斤分ほどもあるサンドイッチを平らげている途中で、ルナはサンドイッチが置いてあった皿の下に、手紙があるのを発見する。

「んぁ?」

もごもごと、口に詰め込んだサンドイッチを飲み下して、その手紙を広げる。

『ルナへ』

そんな言葉から始まる短い文章が書いてあった。

『突然だけど、僕はちょっと旅に出ようと思う。夏休みいっぱいは帰らないと思うから、僕に頼らなくても食事くらいなんとかして欲しい。

あ、みんなにも言っといて。心配はしなくてもいいから。そんじゃ、よろしく』

読み終わった途端、ルナはぐしゃりとその手紙を握りつぶした。

「ふふふ、私を置いていくなんて、ずいぶんといい度胸しているじゃない、ライル」

ルナは、ライルが想像したそのままの笑顔を浮かべて、残ったサンドイッチに見向きもせず、のっしのっしと部屋から出て行った。

さぁ、まずは同じ男子寮にいるクリスからだ。

「クリスぅ!」

バタン! とクリスの部屋のドアを開け放つ。

部屋で同居人(?)の幽霊フィオナと共に、優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいたクリスは、突然の来訪者に目を白黒させる。

「な、なに、ルナ? なにかお怒りのようですが」

「ライルを追いかけるわよ!」

自然と低姿勢になるクリスの態度などまるで無視して、ルナは自らの用件のみを口にする。

「へ? 何の話?」

「あいつ、私たちに内緒で旅行になんぞ行きやがったのよ! 追っかけてとっちめてやるんだから!」

「はぁ、そうですか」

「そうよ! これ見なさい!」

くしゃくしゃになった手紙を斜め読みして、クリスは事態を理解する。

しかし、ライルも心配かけたくないからってこんな手紙残さなくても……

「あ〜。うん。じゃあ、準備しとくから、ルナはアレン呼んできたら?」

手紙を返してそう言うと、すぐさまルナは駆け出した。どうやら、よほどライルのスタンドプレーがお気に召さないらしい。

クリスは大きくため息を吐きながら、呆然としているフィオナに告げる。

「あ〜、フィオナ。どうも、僕、夏休み中は帰ってこれないっぽいから、留守お願い」

「え……」

フィオナの顔がみるみるうちに沈む。

なにせ、彼女の話し相手はクリスくらいしかいないのだ。夏休み中――つまり一ヶ月以上もずっとそれでは寂しくて死んでしまう(もう死んでいるが)。

そんな、うさぎじゃあるまいし、と思われるが、彼女は精神がその存在の全てを支えている幽霊である。有り得ない話ではない。

「わ、わたしもついていきます!」

「……え?」

一方、アレンの道場に押しかけたルナは、子供の部の指導をしているアレンに飛び蹴りをかました。

「ぬぁ!? ル、ルナか? お前、なにしに……」

「うっさい! とにかく、今すぐ旅支度しなさい!」

「は、はぁ?」

怪訝そうにするアレンの顔に、例の手紙を叩きつける。

散々ルナに振り回されてきたアレンはそれを読むだけでおおよその事態を察して、

「あのなぁ、俺もそれなりに夏休みは忙しいんだよ。大体、ライルがこうして手紙残していくっつーことは、一人になりたいんだろ、放っといてやれよ」

そんな正論を吐く。

むぅ、と唸るルナだが、そこへ子供の相手をしていたフィレアが割って入ってきた。

「アレンちゃん、行きましょう!」

「な、なんだフィレア。ずいぶん乗り気だな?」

思わずたじろくアレンに、フィレアは顔を赤くして身をくねらせる。

「こんな形ですけど、こ、婚前旅行ってヤツじゃないですか」

「いや、絶対違うからな」

呆れたようにツッコむアレンも、諦めたようにぽりぽりと頭をかく。

そもそも、彼が断ったのは、フィレアがデートと称して夏休み中の彼の空き時間をすべて埋めてしまっていたからだ。そのフィレアが行きたいと言うのならば、別に断る理由はない。

「はぁ、わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」

かくして、なにやらわけのわからない面子を取り揃えたライル追跡部隊が組織された。

 

 

 

 

 

 

そして、ルナが手紙を握りつぶしたのとほぼ同時刻。

山を越えようとしていたライルは、ゾクリと背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「どしたの、マスター?」

人目がないことで、思う存分姿を現して飛び回っているシルフィが、いきなり立ち止まって周囲を警戒しまくるライルに尋ねる。

「いや、今ちょっと悪寒が。……どうやら、ルナが手紙読んだみたいだ」

セントルイスの方角に視線を移して、そんなことをぼそっと言うライル。その目は確信に満ち溢れていた。

「んなことわかるの?」

「当たり前だろ。基本だ」

何の基本だ。

「……私、思うんだけど。マスターもルナのことは言えないと思う」

「何の話だよ。それより、ちょっとペース上げるぞ。昼ごはんからこっち、のんびりしすぎたみたいだ」

自らの足に風の精霊を纏わりつかせ、ダッと走り始めるライル。

辺りの風景を楽しんだり、食べられそうな木の実を確保したり、そういうことをしている暇はないらしい。

……こんなことで、本当に自己を見つめなおす旅なんてできるんだろうか? ルナからの逃避行、と言ったほうがよりしっくりくるのだが。

そんなことを思いついても、口に出すことはないマスター思いのシルフィであった。

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