セントルイスにモンスターが侵入するという、何十年かぶりの大事件の翌日。
ライルたちは森までの道を進んでいた。その歩は遅く、警戒しすぎている感はあるが、つい昨日この道であれだけ大量のモンスターに襲われたのだから、無理もない。
「……にしても、昨日のモンスターの生き残りすらいねぇな」
怪訝な表情で辺りを見渡しているカイナが言った。
「ですね。……ベルさん、どうです?」
メリッサの問いに、鷹のような目つきで周囲を警戒していたベルナルドが、緊張を解きつつ、
「とりあえず、森までの道にモンスターはいない。……中のことはわからんが」
ここからまだまだその森までは遠い。普通なら見えるはずもないのだが、ベルナルドは『ファーサイト』という魔法で、視力を跳ね上げているのだ。
このような補助系の魔法は、ルナはさっぱり覚えていなく、ここら辺が本職の冒険者との違いだろう。
「……やっぱ、昨日のアレって、今から行く森にいたモンスターなんですかね?」
「ぁあ? 多分、そうだと思うぜ。近くにあれだけの規模のモンスターの集団がいたっていう話は聞かねぇし。ま、なんで一斉に森から出てきやがったのかはわからんが。……それを調べに行くんだしな」
ライルの問いに、面倒くさそうにカイナが答える。
「はあ……」
「なんだ。なんか気になるのか?」
「いえ、ただちょっと……」
ライルは言い淀む。自分の中にあるものを、どう表現したらいいのかわからない、といった感じだ。
しばらく考え込んで、やっと口を開く。
「その、嫌な予感がするんですよ。ちなみに、今まで外れたことありません」
ちなみに、その予感は今回も的中することになる。
第108話「冒険者の哲学 その4」
そして、三十分ほど歩いて、彼らは森の前に着いた。
見る限りにおいては、普通の森だ。瘴気が立ち込めている、という事前情報があったが、注意すればなんとか感じ取れるか? という程度まで薄まっている。
「……さて、これは自然浄化したのか?」
ベルナルドが、うーんと唸る。
瘴気というのは、簡単に言うと濁った魔力のことだ。魔力とか気とかいうのは、大気中にも存在する。その密度は場所によって異なるが……とにかく、そういう“自然にある力”が上位魔族等の邪気に汚染された状態を、瘴気と呼ぶ。
これは自然に元に戻ることもあるが、それはあまりに遅い。だからあまりに強い瘴気は、大抵上位精霊などが浄化している。
(……けど、浄化担当の精霊が来たって話は聞いてないわよ、私)
うぬぅ、と唸りながら、シルフィがテレパシーでライルに伝える。
ライルの中の嫌な予感が加速していく。本音を言えば、このまま回れ右をしてセントルイスに逃げ帰りたいところだ。
実際、彼の足は、森に入る直前、一歩下がった。
「なにしてんのアンタ? さっさと行きなさいよ」
「わ、わかったよ」
どん、と後ろを歩いていたルナにぶつかり、その目論見も無残に打ち砕かれた。このまま逃げ帰るなどという考えがルナにばれれば、即死コースは間違いない。
その腐った根性私が叩きなおしてくれるわー、とか言いながら魔法をぶっ放す姿がリアルに想像できる。
ライルはブルッと身を震わせた。そんなことになったら、生き残る自信はさっぱりない。
ぐっ、と足を前に踏み出す。
そうだ。嫌な予感がするからって、所詮それは予感に過ぎない。自分の真後ろにいるデンジャラス魔法少女の方がよっぽど危険だ。なにせデンジャラスだし。
「よし。じゃあ、いっちょ、森に入るかぁ〜」
「……なに言ってんのあんた?」
ルナの冷たいツッコミも無視して、ライルは一歩森に足を踏み入れる。恐る恐る、木々の合間に目を走らせ、ふぅ、と息をつく。
ほら、なんてこないじゃないか。モンスターの気配すらない。所詮、予感は予感に過ぎなかったのサ。ふふふふふ……
ゴガアアアオオオオオォォォォォーーーーー!!
……やっぱり、百%の的中率は伊達ではなかった。
「な、なんだなんだ、今のこの世の終わりみたいな叫び声!?」
アレンが動物的本能で後退する。いつの間にやら、全員自らの武器に手をかけていた。
そのくらい、今の叫び声は常軌を逸している。こんな、魂までもが震え上がるような声帯を持つ生物など、少なくともライルたち学生組の知識には存在しなかった。
だが、冒険者として経験を積んでいるカイナたちは別だったらしい。その雄叫びの主を正確に看破し、ありえない、と首を振る。
「か、カイナ。今の声って……」
「わかってる! でも、んなの、いくらなんでも無茶苦茶だ! ベル!?」
カイナが、パーティー内で一番モンスターなどの知識に詳しいベルナルドに尋ねる。彼は力なく首を振り、そして自身の考えを口にした。
「こんな特徴的な声、聞き間違えるはずないだろ。……ドラゴンだな。種類はわからんが、人間界にいる以上、悪性だと考えて間違いないだろ」
ドラゴン……
物語などでは、魔王の次に敵役として描かれることの多い、強大な魔物である。
本来は“竜界”という人間界とは異なる世界に住む生物だが、まれに人間界に降りて魔物同然の振る舞いをするものがいる。これを、悪性の竜と呼ぶ。種によっては上位魔族と並ぶ強さを誇る、暴悪な魔物だ。モノによっては、たった一体倒すだけでも、国から莫大な報奨金を得ることが出来る。
「って、んなバケモノ、騎士団の管轄だろうが! 冗談じゃねぇ。ドラゴン相手どるなんざ、命がいくらあっても……」
足りない、とカイナが逃げようとした時、空から見上げるような巨体が降ってきた。
ドラゴンの割には細身で、両の手が翼になっている。所謂、ワイバーンと呼ばれるドラゴンだ。
獰猛な瞳で足元の人間を睨みつけ、閉じた口の隙間からちろちろと炎が漏れ出ている。明らかに、敵意満々。少しでも動けば、そのまま炎の吐息で消し炭にされそうなほどの殺意だ。
「翼竜……。それに、赤い鱗に、三本の角。トライホーン・ファイアドラゴンだな。トライホーンのワイバーンタイプは珍しい」
「冷静に分析してる場合かぁ!」
ベルナルドの台詞にカイナが突っ込みを入れ……それが戦闘の合図となった。
ワイバーンが口から火球を放ち、ライルたちは散開する。動きが鈍いルナとメリッサは、それぞれライルとカイナが抱えて後ろに飛んだ。
「ライル! お前の予感ってな、大したもんだな! できれば、もうちょっと自信持って言って欲しかったぞ!」
「カイナさん! んなこと言って、どーすんですか! 逃げる? 逃げますか!? つーか、逃げさせてください!」
「逃げれたら、な!」
腰に十字に差した双剣を抜き放ち、獣のような雄叫びを上げながらカイナが突っ込んでいく。それをみて、メリッサはすかさず彼女のパワー、スピードを上げる魔法を放つ。
魔法で強化された身体能力を持って、カイナの左右の剣がワイバーンの腹を割こうと唸る。
だが、ワイバーンは間一髪のタイミングでその翼を翻し、上空に逃れた。空に逃げられれば剣は届かない。ワイバーンは、上からゆっくりといたぶるだけでいい。
……だが、そんな戦法を許すほど、彼らは甘くはなかった。
「アレン! 飛べ! 『エクス……』」
「ま、待てルナ! おまっ、まさか……」
ルナの魔力の高まりに焦ったアレンが、必死で抗弁するが、そのような軟弱な抗議を聞き入れるルナではない。問答無用でエクスプロージョンの爆風でアレンを上にやるという作戦を決行した。頭の悪い作戦だという意見は却下である。
「俺は普通に飛んでも届く……ぎゃああああああ!?」
慌ててジャンプするアレンだが、爆風に煽られ体勢を整えるのに難儀する。それでも、ワイバーンの元に届く辺りで、思いっきり剣を振るうことが出来るのだから、いかに爆破慣れしているかわかるというものである。
アレンの一撃はしかし、空中という力の入らないポジション故に、ドラゴンの固い鱗を僅かに傷つけるに留まる。……が、アレンにワイバーンの注意が引き付けられた瞬間、ドラゴンの背中で冷気の爆発が起こる。
ベルナルドが放った、フリージン・バーストだ。彼はどちらかというと冷気系の魔法を得意としている。ファイアドラゴンには、有効な属性だ。
逆にルナはバリバリの火炎系なので、正直、火属性のドラゴン相手ではあまり役に立たない。さっきの爆風でアレンを押し上げる作戦も、そんな彼女がなにか役に立とうと必死で考えた末の行動なのだ。……ちなみに、むしろ邪魔になっているとか感じるのは気のせいである。
とにもかくにも、そんな冷気の爆発は、ワイバーンの姿勢を僅かに崩した。体表に薄い氷が張り付いて、邪魔そうに一度羽ばたく。
それだけで氷の破片は全て吹き飛んだが……その瞬間には、ライルとカイナが、それぞれ上下から突撃していた。
“彼”は困惑する。主にライルに対してだ。
空は、自分の領域のはずだ。なのに、この人間は、一瞬で自分の上を取った。気が付くと、いつもは風をしっかりと受け止めている翼には何の感触もない。いつの間にか、落下していた。
……自分が、風を繰ることで、目の前の人間に負けている?
ありえない現象に、ワイバーンは怒りの咆哮を上げた。
同時に、その口内から火炎が吐き出され、剣を振り上げているライルを包む。
だが、その炎はライルの周囲に吹き荒ぶ竜巻に弾き飛ばされた。
そのドラゴンの霊的な視覚には、ライルの後ろで中指を突きたてている精霊の姿が映った。
「はン! 私の目の黒いうちは、ウチのマスターを傷つけさせやしないからね!」
なんだかんだで、今までいまいちライルの危機を助けられなかった感のあるシルフィが、今までの鬱憤を晴らすかのように、ノリノリで力を開放していた。今や、この周囲に吹く風の全てはライルの意志一つでその様子を一変させる。おかげで、ワイバーンの翼はその用を為さなくなっていた。
そんなワイバーンの眼球に、ライルは剣をつきたてる。カイナが片翼を十文字に切り裂く。
「やっ……」
倒した、と思って、地面に着地したアレンが歓声を上げようとする。
しかし、こと生命力において最強であるドラゴンが、この程度で終るはずもない。ワイバーンは、身を独楽のように捻って、自身を傷つけた狼藉者二人を弾き飛ばす。
ライルとカイナは為す術もなく地面に叩きつけられた。ただ、ライルは風のクッションがあったし、カイナはカイナで墜落寸前、足を地面に叩きつけて衝撃を逃したので、深刻なダメージはない。
ズズン、と軽い振動を伴って着地するワイバーンが、ライルたちを順に見渡す。
「ヤバイな。完全に油断がなくなった……」
カイナが口の中に溜まった血を吐き出しながら、そう愚痴る。
そんなカイナにメリッサは近付いて回復魔法を施す。ライルの方は、クリスが向かった。
「なぁ。みんな気付いているとは思うが、少々深刻な問題が一つあるんだが」
「……なんだよ、ベル」
この場に相応しくないあっけらかんとした物言いで、ベルナルドは言った。
「このワイバーンの咆哮な、一番初めに聞こえた声と違う。少なくとも、この森にドラゴンはあと一匹以上いるぞ? さて、どうするよ」
殆ど死刑宣言に等しいベルナルドの宣言に、しかしルナは不敵な笑みを浮かべる。この娘にかかっては、ドラゴンだろうが魔族だろうが、自分の敵の末路は決まっているらしい。
「当然、全部ぶっ潰す! 『フレイム…クレイ、モア!!』」
ルナの両手から、溢れんばかりの魔力が熱線の剣となり、本来熱に強いはずのファイアドラゴンの鱗を貫いた。アホみたいな魔力である。
そんなルナを見て、ひゅう、とベルナルドは口笛を吹き、自分の後ろで地面に叩きつけられたまま、クリスの回復魔法を黙って受けているライルに話しかけた。
「……君。もし冒険者になって、彼女と組むことになったら、苦労するぞ?」
「多分、そうなる気がしますが……今は考えたくありませんね」
ライルは、苦笑するしかなかった。