エイミの誘拐から連なる一連の事件が解決し、アランたちは自分の国へ帰っていった。

よしよし、これで動かすキャラが多すぎて割を食う心配もなくなったぞ、などとギリギリのことをライルが考えていると、寮の自分の部屋を乱暴にノックする音が響いた。

「ちょっと、ライル! いないの!?」

何かと思えば、ルナの声。

初夏のほどよい陽光に身を任せつつ、ゆっくりとまどろむような麗らかな日曜日……が、この瞬間から、急転直下! な休日になろうとは――まあ、ライルも半ば予想していた。

 

第101話「お料理パニック 前編」

 

「で、何の用だよ、ルナ。なんか最近いろいろあって疲れたから、僕はゆっくりしたいんだけど」

「んなもんどーだっていいわよ。ちょっと、相談したいことがあるんだけど」

ライルの一日の予定をどうでもいいと切って捨てたルナは、彼女にしてはいやに弱気な声でそんな事を言った。

「相談?」

ルナが誰かに相談を持ちかけるようなこと……魔法の研究やら宿題やら、その辺しか思いつかないが……前者はライルには答えられないし、後者は後者で面倒くさい。

だが、

「それって、魔法の研究とかの……じゃ、ないよね?」

「当たり前でしょ。あんたに聞くくらいなら自分で調べた方が早いし」

「宿題……も、今は出てないし、じゃあ、なんだよ?」

そのどちらでもないらしい。

さてはて、ならばこの少女がいかなる用件で自分などに相談を持ちかけるのか? ルナは、自立心の高い娘だ。才能もあるし、意外と抜け目もない。他人の助けが必要なことはあまりないはずなのだが。

と、ライルが思い悩んでいると、ルナは神妙な顔で、恐る恐る言った。

「聞きたいんだけど……もしかして、私、料理下手?」

ライルはかる〜くフリーズした。

今、ルナはなにを言った? 『もしかして、私、料理下手?』……いや、そんなことなにを今更。ライルに言わせて貰えば、あれを料理と呼称するのは、全ての人類に対して味覚の革命を起こすような行為だ。

だが、それをルナは自覚していなかったはず。彼女の味覚は、なんていうか普通の人間とは次元が違う所にある。そのくせ、他の人間が作った料理は普通に味わうことが出来るのだから、人体の神秘ここに極まれりとか、感慨深いものを覚えてしまっても無理はないだろう。

ああ、いやいや。問題はそこじゃない。

つまり、あのルナが、自分の料理が下手なんじゃないかと、疑念を抱いている?

「え〜っと、どうしてそう思ったの?」

確認のため、震える声でライルは尋ねてみた。

「昨日ね、ちょっと寮の友達と一緒に晩ゴハン作ったんだけどね。私の作った料理食べた娘がみんな病院に運ばれちゃったから……」

なるほど、とライルは納得した。

今までルナの料理の犠牲者となったのは、なんつーか殺しても死ななそうな人物ばかり。おかげでしばらく動けなくなるくらいで平気だったのだが、それを普通の人間に食わせてしまったら、そりゃ病院送りくらいにはなるだろう。いや、むしろ即死しなかったのが不思議なくらいだ。

そして、友達をそんな目に合わせてしまって、さすがのルナも自らの料理を省みざるを得なかったと言うわけか。

その友人とやらの冥福を祈りつつも、ライルはこれをチャンスだと感じた。

これを機に、自らの料理のまずさ――というより、危険性を十分に理解させれば、これからルナの料理に振りまわされることもなくなるのでは? よし、ならば言おう『ルナの料理は、料理と言うより劇物だよ。あんなもん、下手とかそういうもんじゃないって!』とか。

だがしかし、果たしてそれを言った自分は無事生き残れるだろうか? 逆上したルナに、消し炭にされる可能性は皆無ではない。むしろ、その可能性は高い。

ルナの料理と魔法。どっちも御免被りたいが、前者は一生付きまとうものなのに比べ、今回怒らせてもそれは一度吹っ飛ばされるに過ぎない。

今や、ライルの腹は決まった。さぁ、言うのだ。『うん、悪いけど、かなり下手だと思うよ』とか。なんか魔法に対する恐怖で台詞が弱くなっているような気もしないではないが、そこは気にしない方向で――!

「えーと、ね。多分、ルナが思っているほどにはうまくないと思う」

……ヘタレめ。

 

 

 

 

 

 

 

『なら、練習ね』

と、ルナが言った時、ライルはその意味が一瞬理解できなかった。

練習……。できるなら、いつもどおり魔法の訓練であって欲しかったが、この会話の流れからその答えを導き出すのは少々困難だ。

やはりというかなんというか、いらんところで向上心を発揮するルナは、料理に関しては一歩譲る(と本人は主張)ライルに教えを請いに来た。

ライルとしては断りたい。すげぇ断りたい。もし、ウンコ味のカレーとカレー味のウンコどちらかを食べれば見逃してやる、とか言われたら、迷わず両方食べて土下座するほどに。

下品な例えで申し訳ないが、それほど切迫した状況だと理解してもらいたい。

だが、同時に逃げるわけにも行かない。

万が一。いや、億に一程度の可能性ではあるが、ここでルナの料理を改善できたら、この先のライルの人生の苦労の八割くらいはなくなる、ついでにこれからルナと関わる全ての人たちが少し幸福になる、と考えれば、例えその先が虎穴だとわかっていようとも、命がけで虎の子を取りに行くのが勇気というものだ。

人、それを蛮勇と言う。

「いやいやいやいやいや」

思い浮かんだフレーズを必死で否定しながら、ライルは料理の準備を整えていく。

念入りに台所周りを拭き、必要な調理器具を使いやすい場所に置いていく。

ライルは、今晩カレーを作るつもりだった。多めに作っておけばしばらく持つし、寝かせると美味しい。しかも、まとめて作れば一食あたりの単価は安い。腐らないようにさえ気をつければ、これ一つ作るだけで三日くらいはもつ。それ以上は飽きてしまうから、いつもアレンあたりに処理させている。

そんな一人暮らしの味方、カレーならば初心者にも作りやすい。先程ダッシュで買ってきたルーを使えば、いくらなんでも失敗はしない……はず。今まで、どんなに失敗しないような料理でもお約束に違わず失敗してきたルナの実績を思えば、ほとほと頼りないが、そこら辺は固く思考を閉ざして無視をする。

「じゃ、始めましょうか」

エプロンをつけたルナが宣言する。

むん、と腕まくりをするその姿は、まあ見た目だけなら頼もしい。

「じゃ、じゃあまず野菜を切ろうか。タマネギを微塵切りにして……わかる?」

「あんた、私を馬鹿にしてるの? カレーの作り方くらい知ってるわよ」

知っていることと、できることは全く別物だとライルは思うのだが、あえて突っ込みは入れない。ルナの問題はできる、できないではなくて、できるのに何故かまずくなってしまうことだ。

本当、なんでだろう? まるで運命とか宇宙意思みたいなものが、ルナの料理はマズイものであるべし、と定めているかのように思える。

いや、そんなことはありえない。不味くなるには、それ相応の理由があるはずだ。今回の料理練習の目的の一つに、ルナの料理が不味くなるプロセスを解明することもある。

ルナの一挙手一投足をつぶさに観察する。

タマネギの皮をむいて、真っ二つに切る。それから切れ目を入れて、トントンとルナが包丁を動かすと、たちまちのうちにタマネギは細かく刻まれていく。

意外に手馴れた様子のルナに、ここまでは問題ない、とライルは冷静に評価を下す。

その後、他の野菜を切る過程においても、まず問題はないはずだ。

だが、それはおかしい。ルナは野菜を切って並べるだけのサラダでも毒に仕立て上げてしまう生粋の料理下手だ。なにか、この行為の中に問題があるはず……と、ライルが切った料理をじっくりと観察していると、とんでもないことに気が付いた。

「っんな゛!?」

「……なによ、ライル。変な声だして」

「いや、いやだってそれ。その切り口見てよ!」

ルナが切った野菜の悉くの断面から、黒い染みのようなものが広がっている。やけに不吉な黒が、ライルの第六感をビンビンに刺激する。

「? 普通じゃないの?」

「否! 断じて否! 普通、切っただけでこんなことにならない、なるはずない! ちょっとその包丁見せて」

錯乱気味に、ルナの持つ包丁を取り上げる。これはルナの私物で、いつも使っている道具でないとうまく扱えない、というから使っているものだのだが……

「……なんかこの包丁の表面に、なんか変な血の跡みたいなのがついてるんだけど」

「ああ、多分それ、前生贄捌いたときのやつね。鶏」

「い、生贄!?」

「っつっても、悪魔に生贄捧げるくらい基本よ? 今、悪魔系の召喚魔法覚えようとしてるところだし」

「……もういい。それなんかの呪いだよきっと。その包丁で切ったらなにが起こるかわかんないから、僕の包丁を使うように」

えー、と不満げな声を上げるルナだが、一応先生役のライルの言う事は聞くべきだと思ったのか、素直にライルの包丁を手に取る。

多めに買っておいた食材をルナに渡し、ライルの方は汚染された野菜の処理をすることにする。

古来、炎は穢れたものを浄化するという。

炎の精霊魔法で野菜類を燃やしまくる。……やけに燃えにくかったが、なんとか浄化に成功。その頃には、ライルの包丁でルナが野菜きりを終わっていた。

「ちょっとゴメン」

ルナの切ったじゃがいもやらにんじんやらタマネギやらを少しずつ摘んで、意を決して口に運ぶ。

火も通してない野菜の苦味が舌先に感じられるが、倒れるような不味さは浮かび上がってこない。味だけマシな時限式の毒もあったので、それを踏まえてしばらく待ってみたが、特に異常なし。

「やった! ちゃんと切れてるよ、ルナ! これは小さな一歩だけど、人類にとっては大きな一歩だよ!」

「んな大げさな。てか、なに言ってんのかわかんないわよ」

そろそろルナのライルを見る目が変な人を見る目になってきたが、そんなことに気が付かないほどライルは浮かれていた。

 

 

 

 

 

さて、次は切った野菜と、買ってある肉を炒めなくてはならない。

別にこのまま鍋にぶち込んで煮込んでも、まぁ、カレーはできるのだが、ちゃんと事前に炒めるのと炒めないのではけっこう味が違う。

ライルとしては、食べて無事なら感涙モノ、というところなので、炒めずそのまま鍋に入れる事を主張したのだが、ルナは『なに言ってんだか』と一蹴。フライパンを用意して、油を引いた。

にんじん、ジャガイモ、肉に火を通し、そしてタマネギをこれでもかと炒める。タマネギは、それこそ完全に黒くなるまでじっくり炒めるのが重要なのだ、とかどっかで聞いたことがあるという知識を披露して炒めるルナに、ライルは待ったをかけた。

「……あによ?」

いきなり中断されて、不機嫌そうにルナが返す。

「いや、さ。なんか、火が変な色じゃない?」

今の今まで気付かなかったのは不覚としか言いようがないほど、コンロの火が変な色に染まっている。普通、温度の高い青い炎が出るものなのだが、なんとそのコンロの色は紫。およそ、自然には現れるはずのない色だ。なにかしら、禍々しいものすら感じる。

「ん〜? 私、今までこの色しか見たことないけど?」

「……ちょっと待ってね」

ルナをどけて、ライルはコンロの下にある魔力タンクを抜く。

このコンロというマジックアイテムは、タンクに溜めてある火属性に染まった魔力を上のつまみでコントロールすることによって成り立っている装置だ。

こんな変な色になる以上、何か原因があるはず。

とりあえず、魔力タンクの中を調べてみると、本来、特殊な処理を受け、火属性に染まった以外は純粋なはずの魔力に、なにかマイナスの方向のベクトルが加えられている。

原因はすぐ思い当たった。

「……ルナ。魔力抑えて。ルナの魔力が強力だから、この手の装置全部に悪影響及ぼしてる」

ルナの魔力は強大だ。料理をする時、ルナは料理に集中している。普段は抑えている魔力が漏れ出て、調理用のマジックアイテムに悪影響を及ぼしていた。

魔の方向に歪んでしまった炎に熱せられた食材はもう駄目だ。このまま食べれば体調不良を起こすことは必至。廃棄処分にするしかない。

流石に、食材が足りなくなって、ライルはルナに命令されて買いに走った。

「僕……生きて明日を迎えられるかな?」

とりあえず、遺書を書くため、ついでとばかりに封筒と紙も買っておいたライルであった。

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