エイミに続けて、クリスとアランを首尾よく無力化した魔族は、ふと自らの領域に他の人間が入ってきたのを感じた。
「……ん? これは」
この森に張ってある結界は、あくまで中のものを外に出さないためのものである。外から入る分には全く問題がない。偶然通りかかった旅人か何か……と最初は思ったが、それにしては移動速度が速すぎる。しかも、一直線にこちらに向かっている。
魔族は、今気絶させたクリスの顔をまじまじと見た。
「……脱出直後に、助けを呼んでいたのか。なかなか、抜け目ない」
そう言って、感心したように口を笑みの形に歪ませる。
一応、アランも同時に脱出したはずなのだが、彼がそういった事をしたと言う考えは魔族の頭の中にはないらしい。本当に短い間しか接していないはずだが、その程度は見抜いているようだ。
「風の精霊王も来ている。……これはぼやぼやしていられんな。まだ儀式の準備は終わってないのだが……」
ため息をつきつつ、魔族はクリスとアランを抱え、その場から空間に溶けるようにして消えた。
第98話「へっぽこブラザーズ、自沈」
「……さん! エ……さん!」
(ああ……?)
混濁した意識の中で、エイミは自分の肩を揺さぶる人間を薄目で睨む。なんだ、あたしゃ疲れてんだ、寝かせろ。
「ちょっと! ぼけーっと寝てないで起きてください、傷は全然大したことないんだかぶぐぁ!?」
思わずその男の顎に拳を叩き込んでしまった。いけないいけないと思うが、すぐにどーでもいいかという気になる。いいや、このまま二度寝と洒落込もう。
と、思ったが、妙に体がズキズキと痛んで、寝付けない。寝惚けた状態でこれだけ痛いのだから、一体どんな怪我をしたんだろうとそこまで考えたところで、一気に意識が覚醒した。
「そうだ! あの魔族……ぎゃっ!?」
「ぐふっ!?」
体を持ち上げた瞬間、エイミの様子を見ていたライルの顔面に見事な頭突きが炸裂する。
「なにすんだこんボケ!」
全てをライルのせいにして、エイミはライルの脳天にチョップを喰らわせる。都合三発目の暴力に、ライルは思わず涙が出た。反射で。
そんなライルを脇にどけて、シルフィがぐい、と前に出た。
「で、クリスとアランは? それと、あんたらを捕まえてた魔族の特徴、言ってたこと、気付いたことなんでも言え」
いきなり喧嘩腰のシルフィに、一瞬怒りの沸点を越えそうになったエイミだが、とりあえずその怒りは脇にどけておいて、視界内にいたルナに尋ねた。
「……なに、このヘモい人形?」
「ああ、シルフィって言う羽虫」
「ふーん」
シルフィの紹介、これで終了。当然、本人はおかんむり。眉がくわっと急な角度を描き、額に青筋が浮かぶ。
「あんたらねええええ!?」
「ちょ、シルフィ落ち着け! はいお座り!」
「マスターも、私をペット扱いしてない!?」
必死に押し留めるライルの行為は見事なまでに逆効果。傍から見ているアレンは、こんなことやってるばあいじゃねえのになーと呑気に考えていた。
結局、そんなドタバタをしている時ではないと全員が気付いたのが一分後。よくよくシリアスの続かない連中である。
「……ふむ」
それでも、なんとかエイミから状況を聞きだしたシルフィは眉間に皺を寄せ、考え込む。
「まさかたぁ思ってたけど、やっぱザインが絡んでたか……。つーことは、アレね。このまま転進して逃げるのが吉なんだけど……さすがにそうもいかないかぁ」
「シルフィ、なんか知ってるのか?」
「ま、ね。その魔族、多分ザインってやつだと思う。ずっと昔、ある魔王の恋人だったヤツよ」
「それって……」
儀式の前準備中、ザインは下らない過去話を縛ってある生贄の二人に話してきかせていた。なんのことはない、気まぐれだ。多分、この二人で封印は解除できるだろう。感傷というヤツかもしれない。
「なんだ、魔族に恋愛感情があるとは思っていなかったか?」
二人は曖昧ながらも頷くような素振りを見せる。
まぁ、当然だろうな、とザインは思った。魔族に感情がないわけではないが、恋をする魔族など昔話の中でしか聞いた事がない。ザイン自身、そんな変わり者は自分以外に知らなかった。
「アイツは美しい女だった。……まぁ、俺の基準だから、お前らから見れば醜い化け物かもしれんがな。俺は愛していたが、アイツは俺の事などなんとも思っていなかったろう。ただ使えるヤツだから傍に置いてくれただけで」
千年近く昔のことだが、そいつの姿だけは色褪せずザインの心に刻み付けられていた。
「だけど、アイツは魔王で、要するに世界の敵だ。当時、代替わりしたばかりの精霊王たちに、封印されてしまった」
今、クリスたちのいる場所が、その封印された場所だ。彼らが閉じ込められていた洞窟は途中で二股に分かれていて、牢がない方の通路はずっと地下に繋がっており、その先にこの開けた空間がある。
広さはヴァルハラ学園の体育館ほどもあるだろうか。一面岩に囲まれてはいるが、地面は平らで、人工的に作られた空間だと言う事が一目でわかる。
中央に、六つの鉄柱が真ん中に置かれた岩を囲むように突き立ててあり、鉄柱を頂点にした図形が地面に描かれている。つまり、これが封印だった。
この地域の六大精霊全ての力を結集した、魔王クラスすら封じ込める封印結界。外側からの干渉も非常に困難な、最高の封印だ。
「だが、精霊の力である以上、相性の良い人間を生贄に出せば、私程度の魔族でもこの封印を解ける。事実、すでに封印は半ば解けかけている」
「……生贄?」
アランは恐る恐る、その封印がある場所に目を凝らしてみる。よぉ〜っく見ると、血の跡があったりした。
背筋に冷たい汗が流れた。
「マジ?」
「精霊王たちに知られるわけにもいかなかったからな。相性の良い人間を絞りに絞って、生贄にしたのはせいぜい十人くらいだ」
そんなことを聞きたいわけではなかったが、どうやら大マジらしい。
テキパキと儀式とやらの準備をしていくザインの手には、なにやら禍々しい色合いのナイフが握られている。それが自分の首を掻っ切るところを想像して、アランの脳裏に走馬灯がフライング気味に流れ始めた。
ぼけーっと、自分の世界に逃避したアランに呆れつつ、クリスはなんとか時間を引き延ばそうと会話を試みる。
「でも、僕らを生贄にしても……精霊との相性なんて、大してよくないけど? そういうのは僕の友達のライルっていうのが専門で……」
「ああ、あの風の精霊王を従えているヤツか。確かに、あの少年一人いれば、この封印は楽に解けるだろうが……シルフィリアのマスターに手を出すほど、私は命知らずじゃない。彼に比べると確かに君たちは見劣りするが、人間にしては上等の部類だ。安心しろ。そもそも、精霊王と契約できる方が異常なのだからな」
なにを安心しろと? 思わずクリスはそう返しそうになったが、ぐっとこらえる。余計な事を言っている暇があれば、もう少し建設的な事を……!
「なに、心配することはない。献血のようなものだ。多少痛いかもしれないが、すぐに何も感じなくなる」
心配する箇所だらけです。命の危険に晒されて、さすがのクリスの聡明な頭脳もその回転数は下がる一方。なにか言って時間稼ぎをするべきなのに、何も思い浮かばない。
「ちょ、ちょっとすみません」
「なんだ?」
「少し、面白い話を考え付いたんですが」
「は?」
唐突なクリスの話に、ザインは呆けた声を出す。なのに、クリスはぐっと拳を握り『掴みはバッチリ』と内心小躍りした。
「ほら、僕たちって生贄なんでしょ?」
「……まぁ、そうだが」
「こんな前途ある若者を生贄にしちゃ、いっけにぇ〜(生贄)よ……ってことで、どうですか。ほら、生贄にしちゃ、いけねーって……ね?」
沈黙。
しばし見詰め合うクリスとザイン。
「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
「…………さて、準備はできた。シルフィリアたちが来ないうちに、済ませてしまうぞ」
あ、流しやがった。
淡々と自分たちのほうに近寄ってくるザインに、クリスは悔しそうに呟く。
「万策尽きた……か」
それで万策かよ。
問:この場合、走馬灯のアランと駄洒落のクリス、どっちがマシな対応でしょーか?
答:どっちもへっぽこ
「なーんか、今一瞬助けに行く気が失せたんだけど」
「はぁ? ルナ、一応友達でしょ」
「いや、行くわよ? ちゃんと助けに行ってやるけど……なんか、↑みたいなやつらって殺しても死にそうにないって言うか」
「はいはい、次元を飛び越えた発言しない」
さりげなく意味不明の会話をしながら、ライルたちは封印の洞窟へと走っていた。
実は、最初どこにあるかわからなかった。エイミは囚われていた洞窟の位置など綺麗さっぱり忘れていたし、封印かました張本人の一人であるシルフィも『昔のことだからねぇ』と覚えていない。
そこでアレンが『な〜んだ、エイミさん、馬鹿だなぁ。ちゃんと覚えとけよ。シルフィはまぁ仕方ないな。大昔の話だしぐっはぁ!?』なんていう微笑ましくも脱力しそうなエピソードがあってさらに遅れた。
とりあえず、覚えていなくても、普通に魔力に異常のある場所が感じられたので急行中というわけだ。
「まっずいわね。コレってもう殆ど封印解けてんじゃない」
声に焦りを混ぜ、シルフィが言う。それを聞いて、ライルはゴクリとつばを飲み込んだ。
「そ、それってさぁ。もしかしたら、僕たちが到着した時にはもうクリスたちが殺されてて、しかも僕たちは魔王とか呼ばれていたような魔族とご対面――とか、そういう」
「いや、それは……って、着いたわね」
洞窟の前。侵入者を拒む結界が張られていたが、シルフィが手を触れると見る見るうちに解呪されていく。
「ほへ〜」
ルナが感心したようにその様を見ている。
こと、単純な魔力で言えば、ライルの従者として人間界で活動しているシルフィはルナには及んでいない。だが、こういう繊細な技術や知識で言えば、やはりルナは全然敵わないのだ。
忌々しいが、やはり年の功は侮れない。
「ルナ、なんか失礼なこと考えてない?」
「なんでよ?」
「そういう顔してた」
「まぁ、考えてたけどね」
悪びれもせず、ルナはあっさり認める。そんな二人の様子を見て、ライルはぼそっと呟いた。
「……顔色だけでわかるって、絶対、二人仲いいでしょ?」
だったら、僕の部屋を巻き込んでの喧嘩をもう少し控えてくれても……と、ライルは喧嘩友達の二人に対して、無駄なことを願うのだった。
話が本筋から離れまくっているのは、多分気のせいではないのだろう。