ジークがもう目を覚ました事に、真希は少なからず驚愕していた。

かなり痛めつけたはずなのだが、すでになんとか起き上がれる程度には回復している。真希は苦い顔をしながら葵とジークの間に立った。

幸い、クリフも回復している。もし襲い掛かられても、撃退は容易だろう。

「そう構えるな。私も、完璧に負けた相手にすぐさま挑むほど馬鹿ではない」

「ああそう。で、なんでクリフを追っているんだって? このまま説明無しじゃ、僕の方もすっきりしない」

真希の方も、ここで油断するほど馬鹿ではなかった。

「な、なあ。真希。んなこと、どうでもいいじゃねえか。こうやって、おっさんも引き下がるって言ってるんだし」

「クリフ。そんなわけにはいかないだろう。理由によっては、また来ないとも限らない」

なにを言っているんだ、と真希は呆れた顔をする。

もちろん、このやりとりの間もジークに対する警戒は解かない。

だが、

「もういいかね? クリフを我らが追っている理由はだ。……あ〜、この国の言葉ではなんと言ったらいいのかな。姦通罪、だったかな?」

この台詞を聞いて、間抜けにも茫然自失としたのは、仕方の無いところだろう。

「は?」

姦通罪:夫のある女性が姦通する罪。相手方も処罰される。男女平等の原則に反するので、1947年の刑法改正により削除。

「ちょっと違うか……。まあ、要するにだ。そやつが真祖の里の女性に手を出しまくったのが原因だ。そ、そして……あろう事か、私の妻にまで毒牙にかけよって……!」

「あー! おっさん、違うってそれ。シャルロットとは同意の上でだなあ」

「軽々しく呼び捨てにするんじゃない!」

ジークが叫ぶ。そして、真希はと言うとまだ正気に戻っていなかった。

「ちょ、美月君? しっかりして」

「……ああ、ごめん。神楽さん。あまりのことに、ちょっとボーっとしていた」

「ん、まあ、気持ちはわからなくもないけど……」

「うん。もう大丈夫だよ」

さて、と一言呟いて、真希は口論を続けている二人の元に一歩近付いた。刀の柄に手をかけつつ、怒りがたっぷりブレンドされた霊力を高めていく。

「あ……」

それに気付いたクリフが「やべ……」と青い顔になるが、ジークの方は気付かない。よほど妻を愛しているのか、さっきまでの冷静さはどこかに投げ捨ててクリフを罵倒している。

「美月流……」

呟く声からして恐ろしい響きが混じっている。

「ん?」

ジークがやっと気付いたようだが、もう遅い。

「空の散歩を楽しんでこい……」

桜月を抜き放ち、円を描くように下から切り上げる。

「蒼月波!」

蒼い、蒼い霊気が吸血鬼二人を連れて空へと舞い上がった。

 

 

 

 

 

「はあ……どっと疲れた」

葵を家に帰らせて、真希は一人家路を辿っていた。

……いや、もう一人。真希の背中に綾音が背負われている。その寝息は穏やかで、操られたことによる後遺症などがなさそうなのが唯一の救いだった。

もう日付が変わっている。こんな時間になると、この近所では人通りがほとんどなくなる。おかげで、刀を持った男が女の子を背負っていても見咎められる心配も無い。

「呑気に寝ちゃってまあ」

子供の頃から一緒にいる幼馴染。だが、意外と成長しているらしい。背中におぶったとき、体の柔らかさに不覚にもドキドキしてしまった。

思い出したせいか、真希の顔が赤くなる。

妄想を振り払うため、顔を振ろうとすると、頬に痛みが走った。

「んひゃ?」

「呑気とはなんですか」

綾音が起きて、真希の頬を抓っていた。

「お、起きてたのか」

「ずっと意識はありましたよ。さっきまで自分の意思で体が動かせなかっただけです」

「待て。てゆーことは……」

「はい。なんか真希さんも色々事情があるみたいですね」

ちょっとそこ、さらりと流していいのか?

あまりの順応のよさに、真希はたらりと汗を流す。大体、こっちの世界に関わって欲しくなかったのもそうだが、こういう話をすると気味悪がられるかもしれない、と思ったから退魔士とかそこら辺の事を伏せて置いたのだが、余計な心配だったらしい。

まあ、そうか。こいつ、けっこう変な奴だし。

そう結論付けると、頬がまた引っ張られた。

「いひゃい。ひゃめろ」

「なにか、また失礼なことを考えていませんでした?」

「推測だけでほっぺたを引っ張るんじゃない!」

あまりの鋭さに呆れながら頭を振って手を払う。

「というより、目が覚めたんだったら自分で歩けよ」

「いやです。ここのところ、真希さん私に構ってくれなかったし」

「……お前がわけわかんないことで腹を立ててたからだろが」

「神楽先輩と浮気してたからですよ」

葵とのことを言っているらしい。

「……神楽さんは、うちで修行していただけだって。第一、誰に対する浮気だ、それは」

「もちろん私に対してですが」

「お前と付き合ってるなんて事実は無かったと思うんだがな。まさかとは思うけど、母さんたちが話してたこと、まだ本気にしているのか?」

小さい頃、母たちが面白半分にきめた許婚同士。高校生になっても忘れていないのは知っていたが……内心、本当に本気にしているなんて思っていなかった。

「本気ですよ」

「……あっそう」

なるべくそっけなく返事して、顔が赤くなっている事を悟られないように目を背ける。

「あー、なんですか。そのやる気の無い返事は」

「えーい。あれは母さんたちの冗談だろ。そして、早く降りろ。重い」

「そんなこと言うのはこの口ですか〜!」

「ひゃ、ひゃめろって! ワンパターンなんだよ!」

ぶんぶんと頭を振る。

綾音はその反応に、不満そうに頬を膨らませながら、仕方ないとばかりに降りた。

「それにしてもですね。真希さんがあんなことできるなんて驚きでした。こう、びかびかーって光ってたし」

「……本当に驚いてたのか?」

あまりに反応が薄い。真希としては驚いて欲しいわけじゃないのだが、このリアクションはどうなんだ、普通の人として。

「いっぱい怪我もしていましたし。仕事ってあれのことですよね。いっつもあんなことしているんですか?」

「そうだな。今回は特別すごい相手だったけど、おおむねあんな感じだな……」

真希がそう言うと、綾音はなにかを考え込み始めた。

「おーい?」

話かけても反応無し。

それでも一応、足は動いているので、放っておくことにした。

「決めました!」

「はあ?」

「私も真希さんの手伝いをします!」

「はああああ!?」

「神楽先輩は、そうなんですよね?」

「い、いや。まあ、僕は彼女の監督役なんだけど……まあ似たようなものか」

綾音はぐぐっ、と拳を天に突き上げる。その瞳には、どこか間違った情熱の炎が灯っており、消える気配が無い。

「私はやりますよ! 真希さんを神楽先輩の魔手から救うために!」

「……いや、頼むから余計な真似はしないでくれよ」

真希の力の抜けたツッコミは、綾音の耳には届かないっぽい。

 

 

〜とりあえず、了〜