「お、おぉぉ!」

やった、と真希は確信した。

ジークの右肩、やや胸よりを光の矢が貫いている。その矢が消えると膝が崩れ、倒れこもうとする。が、真希によって壁に縫い付けられているため、倒れる事も出来ない。

向こうの校舎にいる葵が、残心の姿勢をといてガッツポーズをした。いくらなんでも、心臓の近くに風穴を空けられて立ちあがれるはずが無い。確実に仕留めたと、葵は確信した。

真希は少しだけ警戒を解き、左肩を貫いている刀を抜き、一振りして血を振り払う。……それが、この戦いで真希が初めて見せた隙らしい隙だった。

人間サイズの生物が、体に手の平ほどの穴を穿たれてまともに動けるはずもない。そう、それが“まともな生物”だったら。

ジークの瞳が怪しく光る。

それが一瞬見えたおかげか、刀を鞘に収めようとしていた真希は間一髪で直後の爪の一撃を鞘で受け止める事が出来た。

が、受け止めただけだ。正面からぶつかっては、力負けするしかない。

あっけなく吹き飛ばされ、椅子やら机やらの残骸を薙ぎ払いながら教室の入り口にぶつかって止まる。

「! ちぃ」

息をつく暇も無く、追撃が来る。どこにこんな力が残っているのか、というほどのスピードで詰めてきたジークが、真希を踏み潰そうと足を上げる。

横に転がりかわしつつ、無理のない体勢で起き上がる。

……左の肩に鋭い痛みが走った。

最初の一撃でだろうか。肩が裂かれている。けっこう重傷だ。左腕が上がらない。

奇しくも、真希がジークを突き刺した位置と同じ。が、向こうはもう再生し始めているのに対して、そんな大層な自己治癒力など持ち合わせていない真希の方がマイナスだ。

「美月流……!」

右手一本で刀を構え、霊力を込める。

それに警戒したのか、ジークの方は身構えている。

「蒼月波!」

だが、技を放つ方向は真横。教室と廊下を隔てる壁を吹き飛ばし、空いた穴に飛び込む。そのままの勢いで廊下の窓を破り、外に躍り出た。

霊力で強化した脚でもって着地。多少衝撃が体に走るが無視する。

それよりも問題は、左肩の傷だ。動かないのはこの際仕方ないが、出血だけでも押さえておかなければ、血の不足で意識が飛びかねない。

「癒しを……!」

真希の二つ使える術の一つ『霊癒』。応急処置程度の回復だが、一応血は止まった。下手に動かせば、また出血するだろうが、これで一応は戦える。

ここまで約十秒。できれば、このまま身を隠したいところだったが、さすがにそこまではさせてくれないらしい。

後ろで、ゆっくりとなにかが降り立つ。言うまでもなく、ジークだ。

さっきまでの狂気にまみれた瞳は、少し理性の色を灯している。真希がつけた傷は完全に塞がっており、葵の術によるダメージも三割方回復している。

なんていう出鱈目。霊力で無理矢理自己治癒力を上げているのだろうが、膨大な霊力にモノを言わせた力尽くの回復だ。術という形式すら使っていない。

……まあ、つまりは。真希と葵の技量は、吸血鬼ジークと言う生物の強さには遠く及ばなかった、ということか。

「終わりか?」

問いかけてくる。終わりか、などと。……当たり前の事を。

葵の霊力量から考えて、もう一度あの術を使え、というのは酷な話だろう。霊力不足で気絶している可能性もある。

(まずい)

そして、真希自身もかなりの力を使っている。一度足を止めたせいか、戦いの興奮で忘れていたダメージが一気に吹き出す。

(血を流しすぎた)

「まあ、お前はよくやった。尊敬に値する健闘だったが……ここらで剣を収めねば、命に関わるぞ。クリフのためにそこまでしてやる義理もあるまい」

クリフは……まだ薬の効果が続いているのか、蝙蝠姿のままぐったりしている。……使えねえ、と舌打ちするくらいは許されると思う。

(意識が……)

まだジークがなにかを言っている。聞こえない、聞こえない、キコエナイ。

流した血の代わりに、心臓が別の血液を全身に行き渡せる。

迸る力は、先ほどまでの比ではない。

(ダメだ……アレは危険……)

“人間”美月真希の意識が段々と薄れていく。その後、その体を支配するのは魔の気配。

「……で、どうするのだ? 人間よ。引くのも勇気だぞ」

ジークが問いかけてくる。……それに対する答えは決まっている。当たり前、そう当たり前のことだ。

「引くか、バカ。オレをここまでコケにして、そっちこそ覚悟はできてんだろうな、吸血鬼」

瞬間、人間ではありえない量の霊力が、真希の体から発せられた。

 

 

 

 

「な……んだと」

ジークは真希という人間に対する認識を改めた。

彼は優秀な退魔士などではない。……人間の皮を被った化け物だ。

「し、ね」

その言葉とほぼ同時に、真希の体が霞むように消えうせる。後ろに現れた気配に振り向く暇も無く、ジークは吹き飛ばされた。

信じられん。こいつ、拳で殴ってきた。

「貴、様ぁ! 何者……」

問いかけるジークの首を、人の姿をしたモノが鷲掴みにする。

「何者か……って、わかってるんだろ。お前さんの同類だよ、吸血鬼」

そのままぎりぎりと首を締め上げていく。

ありえない握力だ。霊力で強化したとしても、人間の筋力ではこんな真似ができるはずがない。……つまり、こいつは人間などと言うものではない。

「まあ、いきなりこれじゃあビビんのも無理ないがな。これが美月家の秘密ってわけだ」

そのままジークを投げ飛ばす。

先ほどまでの洗練された動きとは対極に位置する、野蛮な暴力。だが、純粋に強い。数ある吸血鬼の中でも最強クラスに位置するジークが翻弄されるほどに。

「よぉし。久々に表に出てこれたんだ。話してやろうじゃないか。全部聞くまで生きてたらな」

苛烈な攻撃を繰り返す真希は、ジークを蹴りながら話始めた。

……美月家も、神薙の家と同じく、古くから退魔を生業としてきた一族である。表向きは退魔剣術の家系。実際、美月の剣術は日本でも並ぶ家は少ない。

だが、その実質は違う。

妖怪の血を取り入れ、人を超えたモノとなる術が美月の奥義だ。美月の開祖は、かの酒呑童子の血を飲み干したとされており、その後も力ある大妖怪の血を吸収してきた。

副作用はある。妖魔としての力を発動したら、破壊衝動に支配されたもう一つの人格が出てくる。暴力的で、人間味というものが欠如した人格だが、その強さは折り紙つきだ。

特に、現当主、美月紗貴の息子、真希の血の濃さは尋常ではない。有り余る才能とたゆまぬ鍛錬により、人間の血が負ける事はそうそうない。しかし、彼は確実に、人間側最強の妖怪なのだ。

「故に、退魔士協会がつけたオレの二つ名。真の鬼……『真鬼』だってさ。芸が無いよな。聞くだけじゃ、オレの本名と変わらねぇし」

ぼろぼろになったジークをつまらなげにつま先で蹴りながら、真希は嘆息する。

「終わりか? 案外もろかったな」

半死半生か。それより死の方に寄っている。もう少し楽しめると思ったんだがな、と真希は小さく呟いた。

「美月くーん!」

「ん?」

見ると、葵が走ってきていた。

ジークをもう一度見る。……死んではいないが、いくらなんでも抵抗できるはずもない。

“真鬼”は大きくため息をついた。

表に出て来れるのはここまでか。葵とかにこの状態見られたら、“真希”の方の生活を乱す。

先ほど、美月家の業はもう一つの人格を生み出すと言った。そして、真希はその強さと共に、これもまた美月家の歴史の中で初めてと言われている事がある。

曰く、ここまで人間臭い人格は初めてだ、と。

 

 

 

伝承刀・桜月を一度引き抜き、納める。ピィィン、と甲高い音が響き、人間の方の真希の意識が揺さぶられる。

十分ほどすると、意識がゆっくりと覚醒していき、目を開けると、

「……てめえ、なにセクハラしてんだ、クリフ」

葵を口説いているクリフがいた。

「お前まだ“真鬼”の方の影響、受けてねーか?」

「そんな事は無い」

頭を振る。はっきりとした記憶は無いが、確かジークは倒したはずだ。

「あー、美月くん。こいつなんとかしてよ。ぼーっと突っ立ってた美月くんのポッケから取り出したら、いきなり元の姿に戻ってさぁ」

「……つまり、聖薬の効果、とっくに切れてたんだな?」

「んにゃ。戦いが終わった直後だよ。……ほんとだから、そんな怖い顔するな」

ちゃき、と刀の柄に手をかける真希をどうどうと押さえつつ、クリフはジークの方に近づいて行った。

「で、おっさん。生きてるかー?」

「う……ぐ」

「あー、生きてる生きてる。運いいなぁ。あの状態の真希の相手して」

「ねえねえ。クリフ。そいつ、さくっと殺っちゃったほうがよくない? また襲ってくるよ〜」

葵が言うと、クリフは微妙な顔で、

「ん〜。まあ、おっさんとも知らない仲じゃないし、そこまでしたくねーんだよなあ。そもそも、もう真希に逆らおうなんてバカな事考えんだろうし」

「って、そういえば美月くん。どうやって倒したの」

「……企業秘密」

ついっ、と視線をそらす。

「あっそう……。まあいいけど」

納得していない様子だ。また、あとから追求されるかもしれない。

密かに、真希が汗を流していると、葵がふっと呟いた。

「そーいやさー。この人、なんでクリフ追っかけてたの」

それは何気ない疑問のはずだ。しかし、当のクリフは、あからさまに明後日の方向を向き、慣れない口笛なんぞ吹いている。

……怪しい。

「どうなんだ、クリフ」

クリフの主人である真希も尋ねる。

「あ〜。まあ、いいじゃねえか。こうやって解決したん……」

「それは私から話そう」

起き上がったジークを見て、クリフは面白いくらいに固まっていた。