「な〜んだ。もう一人の退魔士って美月くんだったのね」

準備のためにあてがわれた客間で、葵が真希に話しかけた。

「いや……まあ、一応」

釈然としない様子で除霊のための準備を進める真希。いきなりクラスメイトが退魔士だと言われてもピンとこない。ましてや、一年生からの付き合いだ。我ながら、気付かなかったとは情けない。

「いつもあんまり存在感ないからぜんぜんわからなかったよ」

「……あ、そう」

「でもあれよね。美月くん、新人の監督もしているってことは、この業界に入って長いんだ? ランクは? 私、一応今年の受験生の中では首席だから、いきなりDランクからなんだけど」

Dランクと言えば、すでにいっぱしの退魔士として認められるランクである。いくら実力があるからと言って、ほとんど経験のない新人に送るようなランクではない。

その事に真希が疑問を持っていると、

「ああ、私、師匠に連れられて、何度か実戦経験つんでいるからね」

と、真希が悩んでいるのを察したのか、葵が付け加える。

「で、美月くんのランクはいくつ? Cくらい?」

「……Aだよ」

「え?」

「だから、Aランク。……なに? その疑わしげな目は?」

真希がジト目で睨みつけると、葵は誤魔化すように笑った。

「だって……Aランクっていったら日本でもトップクラスじゃない? いくらなんでも高校生がそんな」

真希は、ふうとため息を一つつくと、無言でリュックの中から自分の免許を取りだし、葵に見せつける。

「……嘘」

葵は絶句する。数秒の沈黙の後、真希から免許をひったくり、食い入るように見つめた。さらに、免許と真希を交互に見比べ、一人苦悩しる。

真希は、それを無視して黙々と準備を進めた。

今回の依頼は、『障鬼』と呼ばれる下級妖魔の退治。一匹一匹はさほど強くないが、ほとんどの場合、数十匹くらい固まって現れるので、正攻法で退治するのはなかなか難しい。

まあ、真希とて素人でもあるまいし、そんな相手に正面から戦いを挑むつもりはない。だから、通常戦闘には必要不可欠な愛刀も持ってきていない。念のために、リュックの中には小太刀が一本あるが、それとて使う機会はないだろう。

有り体に言って、今回の仕事は簡単な部類に属するのだ。

現在五時だから、急げば夕飯にも間に合う。綾音の機嫌も損ねなくていい。なんせ、綾音は美月家の夕食を毎日作ってくれているのだ。それも真希のためだけに。それゆえ、真希が食卓に現れないととたんに不機嫌になる。

そんなことを考えていると、今回の依頼人である山城が真希たちの所にやってきた。彼は初老の恰幅のいい紳士である。すでに、それなりに年を食っているそうだが、それを感じさせない生気が体から感じられた。

「いや〜。退魔士というのには初めて会ったけど、こんな高校生だとはね」

「……皆さん、よくおっしゃいます」

事実である。この業界、年齢と実力は全然一致しないのだが、やはり凶暴な魔物や悪霊を相手にするのに、たかだか十代後半の若造が来たらみんな訝しげな目で見る。まあ、仕方のないことなのだが。

「でも、お金をもらうからには、仕事はきちんとしますよ」

「そうか。よろしく頼むよ。……それと、もう一人の人は今回が初仕事らしいね」

「はい。でも、ご心配なく。これでも、僕はそれなりに経験はあります」

「それは頼もしい。じゃあ、私は失礼するよ。君たちの準備の邪魔をしてはいけないしね」

そう言って、山城は去っていった。

その後ろ姿を見送って、真希は葵の様子を見た。

未だ準備が終わってないらしい。真希の方はすでに準備万端だというのに。

「神楽さん。早くしてくれないかな。そろそろ始めたいと思うんだけど」

「……美月くん。それを言うんだったら、ちょっと出ていってくれない?」

葵は、巫女服に似たひらひらした服(おそらく、彼女の霊衣だろう)を手に持ったまま、困ったような、少し怒ったような目で真希を睨みつける。

真希が、わけがわからずぼけっとしていると、葵は今度こそはっきりと怒りの炎を目に浮かべながら、びしっとドアを指さした。

「着替えるから! 早く外に出ていって!」

「……! は、はい!」

真希は、やっと葵の言いたいことがわかったらしい。慌てて部屋の外に出ていく。ちなみに、真希の霊衣は、見た目普通の服なので、家で着替えてきている。

「ったく。デリカシーってもんがないんだから。こりゃ、あの幼なじみの娘も苦労するだろうなあ……」

真希が出ていったドアを憎らしげに睨みつつ、着替えを始める葵。

下着姿になったところで、ふと気付いた。

「……まさか、覗いていたりしないでしょうね」

真希の性格からして、まずありえないと葵も思ったが、油断は出来ないとも思っていた。なんせ、男というの生き物は、外面はよくても、内心はなにを考えているのかさっぱりわからないのだ。

真希だって、あの人畜無害な顔の裏にどんなアブナイ欲望を秘めているかわかったものではない。

本人が聞いたら、速攻で「誤解だ!」と叫びそうな事を考えつつ、何気なくドアの方に近付いていく。もし、真希が覗きを働いているとしたら、ドアに張り付いている可能性が高い。この部屋には窓はないし、ドアの鍵穴から覗くしか方法はないのだ。……まあ、壁に穴でも開ければ別だが、依頼人の家でそんなことはしないだろう。

鍵穴の死角からドアの近くまで来る。これで、いきなりこちら側の鍵穴から覗き込んでやれば、覗きをしているかどうか、一発でわかるというものだ。

いざ、葵が確かめようとしたとき、それは起こった。

ガチャ

「神楽さん。着替え終わっ……た……かい」

「え?」

真希の名誉のために言っておくが、彼は決して覗こうとしたのではない。ただ、葵の動きが止まり、ドアに近付いてきたのを、気配から感じ取って、着替えがもう終わったと思っただけなのだ。

普通、自分から開けないだろうとか、せめて確認くらいしろとかの突っ込みは勘弁してやって欲しい。真希は本当に悪気はなかったのだから。

そうは言っても、下着姿をバッチリ目撃されてしまった当人からすれば、もちろん許せるはずもなく……

「いや! 僕はそんな気は全然……! た、ただもう終わったのかなって思って……。だから! 僕は邪な気持ちはこれっぽっちもなかったんだ! 本当だよ!」

「……し」

「し?」

「死んでこぉぉ――い!」

瞬間。葵の羞恥と怒りがたっぷりブレンドされたびんたが真希の顔面に炸裂した。

頭がちぎれ飛ぶかと思うほどの強烈なびんたを喰らって、真希が吹っ飛んでいく。

(……これは僕が悪いのか?)

世の中の不条理というものを存分に感じながら、真希は地面と接吻をかわした。

 

 

「な、なにがあったんですか?」

いざ仕事を始めようと、障鬼がいるという中庭の倉の前にきたとたん、山城が真希にそう聞いた。言うまでもないが、真希の頬にあるもみじについてである。

「……不幸なすれ違い。そう思っておいて下さい。まあ、相手が勝手にすれ違ってくれたのですが」

「……だからぁ〜。そのことについてはちゃんと謝ったでしょ? いつまでもねちねちするなんて、男らしくないゾ。美月くん」

「やった当人に言われたくないんだけど」

「……と、するとそれは神楽さんが?」

山城が不思議そうに尋ねる。彼は真希の頬のもみじと葵を交互に見つめ、

「そういうことですか(にやり)」

と、笑った。

「な、なにを想像しているんです?」

「いえいえ。ただ、退魔士という仕事をしていても、やはり若い男の子だなと思っただけですよ」

「なんか、もの凄い誤解をしていませんか?」

こめかみにでっかい汗をかきながら真希が聞く。山城は、そのまま真希に嫌な笑いを向ける。

「いやいやいや。恥ずかしがらなくてもいいのですよ。君くらいの年齢ならごくごく自然なことです」

「だからそれが誤解なんですって!」

真希がなんとか弁明しようとするが、まったく聞き入れてくれない。

「ねえ。早く仕事始めない? 山城さんも、あんまり美月くんをいじめないでください」

「おや? そうですか。じゃあ、美月さん。ちゃっちゃと始めて下さい」

山城はいきなり素に戻って、真希をせかす。

「……わかりましたよ」

仕事の前にどっと疲れてしまった真希。もうどうでもいいやとばかりに投げやりな返事をする。

だが、真希も一応プロである。やる気が萎えても、やるべきことはきっちりとやるつもりだ。手に持ったリュックから怪しげな道具を次々と取り出していく。

「……ねえ、美月くん。なに、それ?」

「……退魔士免許とったのに、どうして知らないのさ」

「学科試験って全部マーク式でしょ? だから私ほとんど勘で答えたの。実技でカバーすればいいやって思って、全然勉強しなかったし」

真希は頭が痛くなった。どちらかというと、単純な強さよりも、こういった知識の方が実際に役に立つことが多いというのに。

とりあえず、退魔士協会にマーク式はやめてくれと打診しておこう。

密かにそんな決心をして、真希は当面の問題に取りかかることにした。きちんと説明しないと、いつか彼女は痛い目に遭う。少しずつでも、いろいろ教えていかないといけない。

「これは簡易結界呪符。こいつを決められた位置に置いて、呪文を唱えると、簡単な結界ができるんだ。ま、今回みたいな強くはないけど、数だけ多いような魔物を相手にする時の必需品かな。まとめて動きを封じることが出来るし」

「ふ〜ん。それで、結界で閉じこめた後はどうするの?」

「それは魔物の種類によって変わるんだけど……。今回は『障鬼』だからね。結界に閉じこめた後、場を浄化してやれば自然と消滅するよ」

そう言うと、葵は怪訝な表情になる。

「……ちょっと待って。っていうことは、直接戦わないの?」

「もちろん。障鬼ってのは数は多いから、正面からなんて危険だし」

それを聞くと、葵はますます不機嫌な表情になった。

「どうしたの、神楽さん?」

「……だめよ」

「へ?」

「だめったらだめ。たとえ神さまが許しても私が許さないわ」

「許さないわって……。障鬼が現れたときはこう対処するのがセオリー……」

「セオリーだかセロリだか知らないけど、だめなものはだめなの」

葵は断固とした態度だ。真希がなにを言っても譲りそうにない。

「理由は?」

「だって、そんなの格好良くないじゃない」

「はい? それはどうゆう……」

「私、昔からヒーローに憧れていたのよ。それで『退魔士』って職業があることを知って、これしかないって思ったわ。一般の人々に迫る魔物の恐怖! それを颯爽と助ける退魔士! こんなシチュエーションをずっと待っていたの! ただ、そのためには美月くんが言うような地味〜な戦術じゃダメ。あくまで、自らの力で戦ってこそ、真の勝利と言えるんじゃない?」

無茶苦茶である。退魔士は葵がいうような正義の味方ってわけじゃない。あくまで、食っていくための仕事だ。別に、仕事に誇りを持つのは悪いことではないが、わざわざ危険な道を通るのは違う。君子危うきに近付かず。石橋を叩いて渡る。一寸の虫にも五分の魂。……これは違うか。

とにかく、仕事をするには慎重に越したことはない。なにせ、下手したら命を落とす可能性もある仕事なのだ。アニメのヒーローとは根本的に違う。自分たちは少し人より特殊な能力を持っているだけなのだから。

「だからね? 結界で閉じこめるのはいいけど、そのあと安易に浄化なんてしちゃいけないわ。やっぱりここは、結界の中に突っ込んでいって敵と交戦、殲滅っていうのがベターだと思うんだけど」

だが、目の前の新米退魔士はいまいちそこら辺を理解していないらしい。先輩として、ここは諫めておくべきか。……いや、待てよ。

(一度、痛い目にあった方がいいかも)

真希の頭にそんな考えが浮かんだ。葵がいくら口で言ってもわからないタイプだということは高一からの付き合いでわかっている。ならば、実際に戦わせてみて、わからせるしかないだろう。

「わかったよ。神楽さんの言うとおりにやってみよう」

「わお。わかってるじゃない美月く〜ん」

「……さっさと結界を作るよ。ああ、山城さん。そういうわけで、仕事を始めますので家の中に入っていてもらえませんか? 終わったら呼びますので」

すっかり蚊帳の外に置いてしまった依頼人に言う。葵の戦術をとると、多少派手なことになるからだ。

「ああ、わかったよ。邪魔をしても悪いしね。じゃ、健闘を祈っているよ」

山城は真希と葵のやりとりに苦笑しつつ、屋敷に入っていった。

その後、真希は倉を見上げる。なかなかに年季の入った倉で、所々にひび割れが入っていた。だが、年月を経てなにやら風格のようなものがある。それと同時に……今回の依頼の元凶である、障鬼の妖気もプンプン漂っている。

「じゃ、倉の中で戦闘するわけにはいかないから、障鬼を外に誘導するよ。僕の言うとおりに呪符を配置して」

「はぁ〜い」

簡易結界呪符の半分を葵に渡し、配置する場所を指示する。

数分後。

「配置。完了しましたぁ!」

「よし。じゃあ、結界を発動するぞ」

そう言って、真希は手で妙な印を組むと、聞き取りづらい呪文を唱え始めた。

「……! ……。……!」

聞いていた葵からすれば、異星人の言語としか思えない。

だが、その呪文に呼応して、確実に呪符は作動し、一つの大きな結界を形成する。そして、倉の小さな結界に押し出されるようにして、十数匹の障鬼が結界の道を通ってわらわらと出てきた。

障鬼は異様に長細い手足と、ずんぐりむっくりとした胴体と頭、そして申し訳程度の角を持っている。体長は五十センチくらい。肌は赤黒く、不気味にぎらついた目は、それだけで人外の者だとわかる。

「よし。通路になっている結界を遮断しちゃって」

「わかった」

葵が言われたように、通路の結界を遮断すると、障鬼は中庭の大きめの結界の中にすべて閉じこめられた。

真希が採った作戦はごくシンプルな物だ。まず、障鬼が潜んでいる倉に小さな結界を作る。それには通路のようになっている結界があり、その通路は中庭に造ったより大きな結界に繋がっている。小さな結界に押し出された障鬼は通路を通って中庭の結界に閉じこめられるという寸法だ。倉の結界は徐々に小さくなるようにしているので、障鬼はすべて中庭に誘導したはずだ。

わかりにくいが、要するに今までいるところを潰して、強制的に外に押しやったと考えてもらえればいい。

「よし。これでOK。少し大きめにしてあるから、戦闘も問題ないはずだよ」

「うん。じゃ……」

そして、葵は躊躇無く結界内に突っ込んでいった。