どうしてだろう。あの時、ああなってしまったのは。

彼女を忌避した村の人達が悪かったのか、ああしてしまった彼女自身が悪かったのか、……それとも、彼女――姉を守りきれなかった俺が悪いのか。

もう割り切ったはずなのに、もう終わったはずなのに、どうして、今になっても夢に見てしまうのだろう?

 

その日、昼寝をしているルーファスはうなされていた。

 

ゆうしゃくんとなかまたち(すべての始まり編)

 

「ねーさん……どうして泣いているの?」

五歳年上の姉に話しかける少年。その姉はお世辞にも清潔とは言えない普段着を着て、机に突っ伏していた。

「ルーファス……」

涙を拭い、弟に向き合う姉。せめて、この弟の前では気丈に振る舞おうと、彼女は必死で涙をこらえていた。

「なんでもないの……。だから心配しなくても大丈夫」

「そう? そういえば、母さんは? いないみたいだけど」

ルーファスは、母親の死を知らない。つい一昨日、突然倒れて、そのまま逝ってしまった事を知らない。それは、別に彼が幼いから教えられなかった、というわけではない。

ただ、彼女とその母は忌むべき存在だから。だから父親や村の人達は教えなかったのだろう。多分、昨日本当に形だけの葬式をしている間、彼女の弟は家にわけもわからず閉じこめられていたに違いない。

「……母さんはね、ずっと遠くに行っちゃったの」

まだ8歳の彼に、人の死を理解しろと言う方が無茶だ。彼女はそう思い、月並みなごまかしの言葉を口にする。

「え?」

「……母さんとはもうあえないわ」

「なんで……?」

なんでなんでと問いかける弟に、もうこれ以上言うことはない。これ以上言うと、涙が押さえきれない。

「そういえばさ、なんか父さんがもうここには来ちゃいけないなんて言うんだ。どうして父さんって姉さんと母さんが嫌いなのかな?」

父。彼女とは血の繋がらない、ルーファスの父親。仮にも妻であった母の葬式に、涙一つ流さなかった男。

「きっとそのせいだよね。母さんがどっか行っちゃったのって。姉さんも付いていくんでしょ? 僕も行きたいな」

無邪気に笑いかけてくれる弟の存在が嬉しくて、彼女は押さえていた涙が再び流れ出した。

 

 

 

 

エルム・セイムリート、13歳。

ルーファスとは異父姉弟の関係にある彼女がすべての始まりだった。

 

 

 

 

次の日、ルーファスは朝早くから近くの森に入っていた。

なぜかはわからないけれど、彼の姉がとても落ち込んでいる。なにかおいしいものでも食べさせて、元気づけてあげようと、狩りに出かけたのだ。

若干八歳にして、彼の狩りの腕前は大人顔負けであった。

……そうだ、山菜と果物もとっておかなきゃ。

そう決心して森の散策を始めた。

……そして、彼はこの時、姉のそばにいてやらなかったことを後から心底後悔することになる。

 

 

 

 

 

 

母さんが死んで三日。もうそれなりに落ち着いてきた。

私も沈んでばかりはいられない。食料の備蓄もほとんどないし、そもそもほとんど寝ていない。

そう思って、まずは布団に入ろうとしたら、いきなりドアをノックする音がした。

「……誰かしら」

ルーファスではあり得ない。あの子はノックなんてしないですぐに扉を開ける。

母が死んだ今、この村で唯一、自分の味方をしてくれる弟を思い、微笑が漏れる。

その間もノックは続いていた。

「はいはい。今開けますよ」

ガチャ、とドアを開けた。

「……遅いぞ、エルム」

「……父さん」

ルーファスの父親、ヴォルグ・セイムリートがそこにいた。私とも、僅かの間だったが親子の関係にあった人。しかし、

「父と呼ぶな。寒気がする」

向けられる言葉は冷たい。

「……すみません。それで、どんなご用ですか?」

「とりあえず、上がらせてもらおう。少し話がある」

なにを今更私に話すことがあるのだろう。疑問に思いつつも、父さんに椅子をすすめる。

「実はな……」

そして、父さんの話は信じられない内容だった。

 

 

 

エルムの父親は、魔族。

その事を村の人々が知ったのは、彼女の母親がヴォルグと結婚して二年後の話だった。

それまでは誰にも気付かれなかった。父は高位魔族。ある程度以上、上級の魔族は人間とほとんど見た目は変わらない。だからハーフである彼女も外見は普通の人間だった。……尋常ではない魔力と言う点を除いては。

もともと、エルムの母親は冒険者だった。

ある時、傷付いた魔族を見つけた彼女は、どうしても見捨てられなくてその魔族を介抱した。詳しいいきさつは省くが、色々あって彼女とその魔族は愛し合うようになり、そして、エルムが生まれた。

悲劇はここからだ。エルムが八歳、ルーファスと同じ年の時、どこかの国の騎士団が森の奥でひっそり暮らしていた母のことを嗅ぎつけた。

エルムの父は魔族。ただそれだけの理由で一家を皆殺しにしようとしたのだ。

そして、父は母と自分を守るために犠牲になった。……エルムはそのときのことをはっきり覚えている。

そのことを、母は再婚相手のヴォルグに話した。きっと、わかってくれると信じて。そして、あっけなく裏切られた。

即座に離婚。ヴォルグにもある程度の良心はあったのか、息子であるルーファスはそのまま引き取った。

……無理はなかったのかもしれない。小さな村だけに、ここの住人はみなモンスターや魔族といった存在に対する恐怖心が強い。頭ではそう理解した。だけど、割り切れるものでもなかった。

その頃には、だいぶ体も弱っていた母は、もう一度旅に出ることも出来ず、村の人達とうまくやっていけないのを承知で、村のはずれの空き家に住み始めた。

 

 

 

 

 

そんな、不幸の連続だった人生を思い返す。

でも、大人になって、一人でも生きていけるようになったら、どこか人の来ないような土地で暮らしていくつもりだった。それは、幸せ、とは言えないかもしれないが、穏やかな生活になっただろう。

「お前はどこまでいっても、魔族とのハーフなんだ。野放しにして置いたらどんな事をしでかすかわかったものじゃない。今のうちに殺しておくのがベストだと、村民会議、全員一致で決定した」

「えっ?」

予想外の話に、間抜けな声を出してしまう。

「村の総意だ。大人しく受け入れろ」

少しずつ、父の言っていることが頭に浸透していく。

「すでに、村の大人達が武装してこの家を取り囲んでいる。逃げ場はない。元父親のよしみで苦しまないようにしてやる」

なぜ……? どうしてこの人達は、蔑まれて生きてきた私の、ほんのささやかな願いも踏みにじるのだろう?

だれにも迷惑をかけるつもりはない。温かくしてくれとは言っていない。ただ、放っておいて欲しいだけ。その代わり、私も誰も傷つけるつもりはない。

なのに、なぜそんなにも恐れるんだろう?

「じゃあな。せめて、母親の隣に埋めてやろう。うれしいだろう?」

母さん。母さんのお墓は村の共同墓地からずっと離れた寂しい場所にある。私が置いた墓石も、その日のうちに蹴倒された。

その彼らが、今度は私を殺すと言っている。

なぜ、どうして。そんな思いはずっと抱いてきた。今更、答えなんてでないし、答えを欲しいとも思わない。

でも……。ナイフを片手に、ゆっくりと近付いてくる父さんに、あの人達にとって、私は存在するだけで『悪』なんだな、と……なんとなく、わかってしまった。

 

なら……

 

少しずつ、生まれたときから私の中にあって、今まで封じ込めていた力が表に出ていく。

それとともに、13年間生きてきた『エルム・セイムリート』の人格が壊れていく。

 

 

 

 

なら、私がこの人達を殺しても……いいよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルーファスが帰ってきたら、彼の愛する姉の家は血の海だった。

「……えっ?」

どさっ、とうさぎとか森に自生している果物とかが入った袋をおとす。

わけがわからない。血を流して倒れているのはどれも知った顔。隣のウェインさん。斜向かいのバーンズさん、いつも口やかましいバズルさん……なぜか、全員くわや包丁といったものを手にしている。

大好きな姉の姿を探す。それを考えて、家の外に散らかっている合計20近くの死体を無理矢理頭から追い出した。

家の中に入る。

さらに濃密な血の匂いが鼻をつく。

狭い家の中、ここにも5つほどの人間――元、であるが――が転がっている。

その中心に立っているのは、紛れもなく姉エルム。

「ね、姉さん……よかった。ちゃんといた……。ねえ、どうしてみんな転がって……」

そして、彼女は大柄の男の首をひねり上げていた。

「とう……さん?」

傷だらけの父は、うつろな目でルーファスを認めると、

「に……げろ……はや……く」

「あら、父さん。ルーファスには優しいのね。私と、母さんにはあんなに冷たかったのに」

ルーファスにも見せたことのない、ぞっとするような笑みを浮かべるエルム。

「るー……ふぁ…すは……お前らとはち…がう」

「ああそう。もういいわ。さよなら、父さん」

まったく感情のこもらない声。そのまま、彼女は父親の喉を握りつぶした。

血が、エルムに、ルーファスにかかる。

「姉さん……? なに? どうしたのさ。一体、なにがどうなって……」

「ルーファス、この人達は悪い人なの。だから死んで当然なのよ」

「なに言ってるんだよ?」

「うーん、わかんないかなあ? ま、しょうがないか、ルーファスはまだ小さいんだし」

ぶつぶつと言いながら手を一振り。

それだけで、家の中にあった死体や血は一掃され、元の平凡な家屋に変わった。

「と、父さんは? どこ行ったの……?」

「汚いから掃除しちゃった。うん、あとで外のやつも片付けなきゃね」

もう頭はパニック状態。

一体何で姉さんはなんでもないように笑っているのか? どうして、みんな血を流して倒れているのか? 父さんはどこに行ったのか? すべてがルーファスの理解の外の出来事だった。

追い打ちをかけるかのように、そとから恐ろしい雄叫びが聞こえた。

「な、なにっ!?」

「あ、本当に来たんだ。大丈夫よ。私が呼んだドラゴンとか魔族とかだから」

私が『呼んだ』。

その意味もまたわからないことだった。

「み、みんなに報せなきゃ! 逃げろって……」

「無駄よ。多分、もう全滅しちゃってるわ」

「どうしてそんなに落ち着いているのさ!?」

「だから言ったでしょ。私が呼んだって。なんかねー、この状態になってから色々わかるようになっちゃって。この近くに、どんな魔物がいるのかとか、そいつらは、私の命令には絶対服従するとか、色々」

まるで世間話をするかのように話すエルム。

そして、一際大きな爆発音。

「あっ、終わったみたい。外行ってみよっか」

 

 

 

 

 

 

 

外は、もはや廃墟、と言うしかない惨状だった。

徹底的に破壊された家。焼死体になった人々。そして、うろついている魔族やドラゴン、モンスター。

その中を平然とエルムは歩いていく。

そして、一際大きな黒いドラゴンに飛び乗った。

「あんたがこの中のボスよね? ちょっと聞きたいんだけど、私はまずなにをするべきなのかな?」

尋ねるエルム。そのウォー・ダークドラゴンは低い声で、

『貴方様の御心のままに』

「ふーん。ま、適当にやるつもりだけど、知識が足りないわ。とりあえず、どっかの王立図書館でも攻めましょか」

『ご随意に。道中、多くの仲間も貴方様に付き従うでしょう』

そんな会話を、ルーファスは近くで見ていた。

なぜか、ルーファスを襲ってこないモンスター達をこわごわと見ながら、おそるおそる姉に話しかける。

「ね、姉さん?」

「ん? どーしたのルーファス」

「なにがどうなっているの? 教えてよ。僕、ぜんぜんわかんないよ」

泣きわめいたり、そういう行動に出ないのは近くに姉がいるから。だから、みっともないところは見せない。

でも、その姉がなにかおかしい。

「ああ……。説明って言われてもねえ……。自分でもよくわからないんだけど……。あんた、説明してやって」

ウォー・ダークドラゴンをつつく。

そして、そのドラゴンは語りだした。

『小僧。この方はな、新たな魔王となる方なのだ』

「……え?」

ルーファスの理解が付いていかない間にも、ドラゴンは説明を続ける。

『魔王というのはな、ただ強い者がそう呼ばれるわけではない。圧倒的な力に加えて、他の魔族、魔物、すべての魔なる者達を従える能力を持った者を魔王というのだ。そもそも……』

「……んー、そこまで。なんかややこしそうだから。ま、大筋は理解できたでしょ? つまり、私が魔王だって。笑っちゃうよね。世界を征服したり、滅ぼしたりするのが役割の魔王だよ?」

首を振る。

そんなことはありえない。そんなはずはない。だって、この人は優しい、誰よりも大切な、自分の姉なのだから。

「で、でも……そんなこと……姉さんはしないよね?」

「あんた、この村の現状をもう一回見てからそのセリフ、言える?」

言えない。言えるわけがない。

「ま、そーゆーこと」

「駄目だよ! 姉さん! そんなことは駄目だ……」

「うーん。まいったなあ。私はルーファスも連れて行くつもりなんだけどなあ」

ひどく、眩暈がした。

ありえない。こんな事はあり得ない。

今はひどい状況でも、いつかこんな村からは姉を連れ出すつもりだった。頭の固い父さんなんて放っておいて、二人で、どこか人の来ないところで、楽しく暮らしたいと思っていた。

そんな、以前のエルムが泣いて喜びそうな夢が、ガラガラと崩れていく。

「ま、無理強いはできないね。私は行くけど、ルーファス、体には気をつけて。あと、私っていう王様が出来たことで、モンスターとかが活発化するから気をつけるんだよ。じゃ、あんた飛んで」

ウォー・ダークドラゴンが翼をはためかせる。

「ま、待って姉さん! 話を聞いて……!」

それを無視して、エルムはドラゴンの背にのって飛び去っていく。

他のモンスターも姿を消した。残されたのは廃墟と化した村と、ルーファスのみ。

彼は決心した。姉を、どこまでも追いかけていってやると。そして、必ず目を覚まさせてやると。

 

 

 

……そして、そこで目が覚めた。

「………」

無言で天井を見上げる。

知らないうちに流れていた涙を拭い、体を起こす。

日曜日、リアの家に遊びに来ていて、昼食までご馳走になって、そのままソファーで眠ってしまったというところまで思い出す。

「……で、なんでこいつが俺の隣で寝てるんだ? こら、起きろ」

世にも幸せそうな顔で寝ているリアの頭をこづく。

むにゃ、と寝ぼけ眼でリアが体を起こす。周囲をぐるぐる見渡して、

「あ、ルーファスさん、おはようございます」

「……おはようはいいんだが、なんでお前まで寝てるんだ。それも俺の隣で」

「ええっと……なんとなく気持ちよさそうだったんで……」

「……あっそう」

やれやれと立ち上がった。

「あれ? どうしたんですか、目が赤いですよ」

慌てて視線を逸らす。

「どうしたんですかー? ねーねー?」

「うるさい! なんでもいいだろ!」

「よくありません。教えてください」

必死で顔を背けるが、リアは追っかけてくる。勘弁して欲しいが、許してくれそうにない。

いつも、この夢を見た後はしばらく気が沈んでしまうのに、いつのまにか笑っている自分がいた。

姉は魔王として、自分は勇者として、戦い、自分が勝った。

もう少し別の終わらせ方もあったんじゃないかと思う。でも、あの時の自分にはそれ以外に方法はなかった。

そして、何の因果か自分は生き残った。

最初、その事はそんなに嬉しくなかった。姉と一緒に死んでいればよかったとも思った。……でも、ここでの生活はそんな思いを吹き飛ばした。

今では、なんか異様な苦労を背負いながらも、楽しく生活している。

 

 

……姉さん。俺は、元気でやってます。

心の中で、そう呟いた。