「……はあ」

俺は、大きくため息をついた。

ふと視線を落とし、手の中の依頼書を見つめる。

「……マスター。こんな仕事しかないのか?」

「こんな平和な田舎で、冒険者の仕事なんてそうそうあるわけないだろう、ルーファスくん。これだって立派な依頼だ。キリキリ働いてくれ」

宿屋と兼業で冒険者ギルドの真似事をしているマスターの言葉は最もと言えば最も。……俺がたまたま訪れたこの村。名前もないような小さな村で、宿があるのが不思議なくらいだ。

……まぁ、ギルドもマスターの道楽みたいなもんらしいし、仕事があるだけ文句を言える立場じゃないんだが。

「ほれ、依頼人がお越しだ」

と、マスターが入り口の辺りを指す。

「え?」

「おにいちゃんがわたしのしごとしてくれるの?」

などと、可愛らしく首を傾げる推定年齢八歳ほどの依頼人がご登場された。……勘弁してくれ。

 

ゆうしゃくんとなかまたち(ある村で編)

 

「!? って、ね、姉さ……!」

トコトコとこちらに近付いてくる女の子に俺は驚愕する。

依頼人という少女が、俺の姉にして現役魔王エルム・セイムリートにそっくりだったからだ。

「……だからって」

落ち着け、俺。

あの子はたまたま顔が似てるだけの別人だ。大体、姉さんはもう十代後半。この子みたいに、明らかに年齢が一桁な子を重ねるんじゃない。

「あのね。ベスがね……」

「ぐぉ!?」

「……?」

ぐ、顔が似ると声まで似るのか!

古い記憶。まだ、俺が三歳くらいのときの姉さんはこんな感じだった……と思う。小さい頃の記憶だからものすごくあやふやだが。

……翻って言えば、そんな曖昧な記憶でも似ていると断言できるほど似ているのだ。

心がざわめく。封印していた記憶が、表面に出てくる。姉さんが魔王になったあの日の光景がフラッシュバックしてくる……

「どうしたの?」

「……いや、なんでもない」

なんとか表面上は取り繕えた。が、ふとすれば大声を上げて走り出してしまいそうな気分だ。

そんな俺を心配したのか、マスターがなんとも困ったような口調で言った。

 

「ルーファスくん。ニーナちゃんはまだ子供だぞ? 手を出すのはやめろよー?」

「……アンタはぜんっぜんする必要のない心配してんじゃねぇ!」

 

 

一喝して、ニーナちゃんとやらに向き直る。

……もう心はざわめかない。阿呆らしい言葉をかけられたおかげで、普段着の自分に戻れたようだ。

意図してのことではないとはいえ、マスターに感謝……

 

「ルーファスくーん。ニーナちゃんは村のアイドルだから、結婚したいなら村の男全員を通してから……」

「……ちょっとアンタは口を閉じてろ!」

 

手近にあったリンゴを投げつける。割と本気めに。

「ぐおっ!?」

当然、鍛えてもいない中年親父に避けられる筈もなく、頭にクリーンヒット。ひそかにガッツポーズなんかとってみたり。

「むぅ!」

パチン、となぜかニーナに頬を叩かれた。

「なんだよ?」

「たべものであそんだらだめでしょ!」

……マスターは無視か、ニーナよ。

それにしても、子供っぽさを表現するのにひらがなしか使わないと言う手法はどうなんだろう? 読み難いし、イマイチだと思うんだが。

「って、ひらがな?」

つい先ほどまでの自分の思考に突っ込みを入れる。……まぁいいか。

俺は居住まいを正した。

「……で? この依頼に間違いはないのか」

依頼書を見せる。ニーナは元気良く頷き、よろしくお願いします! とお辞儀する。

「しかし、報酬の件はどうにかならないか? ……50メルって、子供の小遣い並だろ」

「これじゃだめ?」

ポケットから硬貨を取り出し、俺に見せてくる。……そうか、子供の小遣い並じゃなくて、まんま子供の小遣いから報酬が出るのか。

「駄目だ。冒険者への依頼は、どれだけ程度が低くても相場は3000メルくらいから……」

「いやいやいや。まぁまぁ、ルーファスくん?」

「……もう復活したか、くそマスター」

「はっはっは。くそマスターとはご挨拶だなぁ」

馴れ馴れしく肩に回してくるマスターの手を、さり気なく撃ち落す。

「ルーファスくぅん? ここに、君の宿代の請求書があるんだけど」

「……それが?」

「君、払えないって言ってたよねぇ? こちらとしては、自警団に駆け込むことも出来るんだけど。……うちの村の自警団は怖いぞぉ。毎日の農作業で鍛えられた筋肉は、一人三千リットル!」

「……どーゆう単位だ」

しかし、そこまで言われるような人間に会いたくはない。

「ニーナちゃんの仕事引き受けてくれたら、この宿代チャラにするからさ」

「ちょっと待て、ここの宿泊費は確か500メル……」

「おまわりさーん!」

「……わかったよ! わかったから、もうやめてくれ!」

実際、踏み倒して逃げるのは何てことないのだが、そこらへんは俺の矜持が許さない。

「じゃあ、詳しい話をしてもらおうか」

とりあえず、マスターを拳で黙らせてから、俺はニーナへと再び向き直るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

……ミミズののたくった様な字で書いてある依頼書に再度目を通す。解読は困難を極めるが、要するに近くの森に迷い込んだ愛犬ベスちゃんとやらを探してきて欲しいらしい。

なんでも、散歩中に紐が外れて、森に入ってしまったらしい。

いやまあ、俺的倫理に外れない限り、仕事を選り好みするつもりはない。するつもりはないんだが、報酬が宿代タダってだけなのは文句を言ってもいいんじゃないかな、と思う。

路銀を切らした俺が悪いっちゃあ悪いんだが……

「まあ、いいか」

これで村人の皆さんの覚えを良くしておけば、畑仕事の手伝いとか日雇いでさせてもらえるかもしれないし!

「……いいんだ、うん」

嗚呼、先立つもののない寂しさよ。

ぴしゃり、と頬を打ち、森に目を向ける。

けっこうでかい森だ。だが、森全体が神性を帯びているらしく、モンスターの類は住み着いていないらしい。森の中心部に祭ってある神様の加護……とかなんとか。

おかげで犬が森の中で死んでしまっている可能性は低い。願わくば、他の動物に捕食されていませんように。

とりあえず、森全体を絨毯爆撃するか……

そんなことを考えながら、俺は森に入る。

「ふははははは! ベスとやら! 俺が助けに入ったからには観念して大人しくキャインと助けられろ!」

とりあえず、テンションを上げとかないとね。

だっ、と走り始める。

周囲の景色が高速で後ろに流れ、そんな中俺は生物の反応を確かめつつさらに加速をかける。

一度でもベスくんとやらを見たことがあればこんな手間をかけずとも森の中の生命反応をスキャンすればいいのだが……会った事がない以上、直接視認して確認する必要がある。

聞いているベス君の特徴は、茶色の毛並みをした比較的小型の犬。チーズが好物で、隣の家が飼っているレナちゃんにご執心だとか。名前を呼べば、見知らぬ人だろうが突っ込んで来る。

以下、役に立ちそうもない情報をずらずらと教えられた。

やはり子供。……子供は苦手だ。なにもできなかったあの頃を思い出してしまうから。

「……はっ!?」

ゴイン! となんとも鈍い音。

「つっ、つつつ……」

思いっきり枝に頭をぶつけてしまった。

この何倍も激しい痛みに耐えてきた身とは言え、この手の痛みには慣れることはない。

例えるならば、机の足に思いっきり小指をぶつけたかのごとく!

「……あほらし」

じんじんと痛む頭を無視して立ち上がった。

どうも、今日はテンションがおかしい。上がったり下がったり。かと思いきや横に逸れてみたり。

やっぱ、これはアレか。あの依頼人の女の子のせいか?

姉さんにそっくりな、女の子。無口な子だったが、よほど犬が心配らしく、必死で説明していた。……優しい子、なのだろう。

本当に、姉さんに似ている。

……姉さんを助けられなかったことに対する代償行為だとわかってはいるが、俺はこの依頼をなんとしてでもやり遂げたいと思い始めていた。

「っし! 待ってろよ、ベス! 仕事完遂率100%の必殺仕事人(違)の俺がすぐさまビシュンと向かってやるからな!」

結局、変なテンションのまま、俺は森中を駆けずり回ったのだった。

 

 

 

 

 

 

……で。

「……結局、こうかよ」

森の中心部辺りで、ベスを発見した。

見るも無残な姿。狼か何かに襲われたのだろうか。力なく横たわるその姿は、どうしようもなく死を感じさせた。

ニーナの……というよりも、姉さんの泣き顔が脳裏に浮かんでくる。

「ちっ」

死骸を抱き上げる。

あの子に、なんて言おうか。それだけを考えながら村に帰……

 

ズシン、と不吉な振動が大地を揺らした。

 

「!?」

無意識のうちに走り出していた。

まさか、と焦る。村の方向から、断続的に振動と爆音が届いてくる。

すぐにそれはなくなったが、それも当然。

あの程度の規模の村、滅ぼすのに時間などいらない……!

全力で駆けた。それこそ、最初の爆発から一分と経っていないはずだ。

しかし、その一分の間に、村の様子は一変していた。

小さいながらも、暖かみのあった家屋の数々は無残な廃墟に。畑には大小さまざまな穴が開いており、その中心には農作業していた人たちの黒焦げの死体が転がっている。

東の空には、すでに小粒ほどの大きさとなったいくつかの黒い影。……ここを攻撃したのは、やつらか。

心が冷えていくのを感じる。

さっき、子供の死体が目に入ったからだろうか。冷静な思考とは裏腹に、体はこれでもかと言うほど暴走していた。

「……『シルフィードウイング』」

飛行魔法。

先行する黒い影――魔族の群れに、追い付くべく、風を切りながら高速で飛行する。

……あれは、魔王軍の人間界侵略部隊の一角だろう。魔王と神界との戦いも収束に向かいだしたと聞く。余裕のある戦力を、こちらの制圧に回したという噂は、そこかしこで聞いていた。

空から奇襲を仕掛け、上空から雨あられと魔法を降り注がせる。そうやって、多くの町や村を襲っているらしい。

あちらとしては、まだ全滅させる必要などない。人間界の戦力を削ぐことが目的だから、一つの町に時間をかけないことが救いとなっているらしいが……

「……あんな村じゃ、ひとたまりもないよな」

魔族どもに追い付く。

腰に下げている剣を抜きながら、追い抜きざまに一体を両断した。

「なっ!?」

残った他の魔族たちが驚きで硬直する。ひい、ふうの、十三体か……。

「何者だ!」

魔族の一匹がそんな事を聞いてくる。特に答える必要も感じなかったので、その質問は無視して、一方的に宣言してやった。

「お前ら、全部殺す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と」

村の人たち全部の墓を作り終えて、俺は立ち上がる。

急すぎる展開に、俺の頭はまだ混乱しているが、今回、俺は一つの事を学んだ。

……もう、一刻の猶予もないってことだ。たったあれだけの時間、ほんの数時間前までは騒がしいほどだった村の日常が、今はこんなもの。今後、こういう目に遭う村は増えていくに違いない。

修行も、そろそろ潮時なのかもしれない。

最後に、姉さんに似ていた少女の墓に花を添えてから、俺は歩き始めた。