魔王の城の天井をぶち破って、この最上階までやってきた。

ドクン、ドクン、と俺の心臓が高鳴る。俺の目の前には、世界を恐怖のどん底に沈めている魔王がいた。

そして……

「久しぶりね、ルーファス」

「本当に……ね。姉さん」

俺と姉さん……魔王エルムの何年かぶりの再会でもあった。

 

ゆうしゃくんとなかまたち(大魔王決戦編)

 

「さて、と。何しにきたの、ルーファス?」

玉座に腰掛けて、悠然と俺を見る。

「何しに、って。姉さんを止めに来た」

「止める? 殺しに、の間違いでしょ。人間界で、勇者とか呼ばれているらしいじゃない」

「それはっ……」

なにがおかしいのか、姉さんは含み笑いを漏らす。

「いや。別にいいのよ? 私はそれでも。昔っからルーファスは正義感が強かったからね。私のやってることが、許せないのもわかるわ。私の因子が覚醒した日も、泣きながらつっかかってきたじゃない」

魔王の因子とは、他の魔族や魔物を従えることのできる才能の事を言う。これには、強烈な破壊衝動も内包されており……覚醒したとき、人格をも変えてしまうほどだ。

そして、その覚醒の条件は、生命の危機。

「あの時よりずいぶんたくましくなったわね」

「……まあね」

「でも、私を倒せるかしら?」

すっ、と姉さんが脇に置いてあった槍を手に取りながら立ち上がる。あれが、神界から盗んだ神槍グングニルに間違いないだろう。

「なんでわかってくれないんだ……! 俺は戦いたくない!」

「……もし、私が説得に応じて魔王から降りたとして、その後どうするつもり? どこに行こうが、神や精霊が報復に来るでしょうね」

少し呆れたような感じで姉さんが言う。だけど、そのくらいわかっているつもりだ。

「……精霊王たちにも内緒の亜空間が作ってある。あの村をイメージして作って、隠蔽するための結界も張ってある。姉さんと、一緒に暮らそうと思って」

初めて、姉さんの顔に驚きが走った。が、その感情もすぐに引っ込む。

「私は、すべてを滅ぼそうとしたのよ?」

「俺は気にしない。続けて欲しくはないけど、俺にとっては姉さんのほうが大切だ」

「……そう」

世界のことはどうでもいい、と言い切るのは、レインたちや精霊王たちの手前、口にはしなかったけど、俺の正直な感情だ。悪いが、俺は聖人君子でもなんでもない、ただの人間だから。

「でもね」

姉さんの体から殺気が溢れ出る。

「でも、それはやっぱり、夢でしかないのよ」

そして、姉さんが俺に飛び掛ってきた。

頭でなにかを考える前に、俺はレヴァンテインを取り出していた。いつの間にか目の前まで来ていた姉さんの一撃を、それで防ぐ。

「魔王の私が神槍で、勇者のあなたが魔剣、っていうのもおかしな話ね」

「やめてくれよ!」

レヴァンテインを振り切り、弾き飛ばした。

しかし、すぐに体勢を整えて、こちらを見据えてくる。その瞳には敵意しか写っていない。

「どうしても、ダメなの? 姉さん」

「悪いわね」

仕方ない、と割り切れるものでもない。だけれども、説得に応じてくれるとも思えない。

思えば、こうやって説得をするためだけに、今まで修行と戦いを重ねてきた。でも、俺では姉さんの持つ因子には勝てなかったらしい。

一瞬の逡巡の後、俺は戦闘態勢をとっていた。

「わかったよ。魔王……」

結局、俺は今までで最もやりたくない戦いに身を投じることになってしまった。

 

 

 

 

 

数合切り結んだ所で、よくわかった。

少なくとも、接近戦において俺と魔王の力関係はほぼ互角だ。スピードは俺が上、パワーは向こうが上。技は俺に分があるが、経験はあちらがわずかに上回っている。こんな微妙な力関係ではいくら戦ってもジリ貧だ。

しかし、一つだけ決定的な違いがある。あちらはハーフとはいえ魔族なのに比べ、俺はどこまで強くても結局は人間だ。つまり、種族の違いによる体力の差はどうやっても埋めることができない。

長期戦は不利。

「『我が力の具現、永遠に消えることなき真紅の炎よ』」

そう判断すると同時に、詠唱に入る。魔法を織り交ぜていけば、突破口が開けるかもしれない。

魔王が振るう槍をかわし、全力で後ろに飛ぶ。

魔法を使う際、どうしても隙を隠すことはできない。詠唱のほうに思考を取られて、敵に対する注意がおろそかになるからだ。

こんな実力が拮抗していては、それは致命的だが、これくらい無茶をしないと魔王には勝てない。

「『……大いなる炎よ、その力を示せ!』」

無理矢理気味に詠唱を省略する。このレベルの魔法の詠唱の省略は、俺にもかなり難しい。剣を振るいながらだと、なおさらだ。

「『クリムゾン・フレア!!』」

それでも、なんとか魔法を完成させる。結界が魔王を包み、別の次元から聖なる炎の奔流が降臨してすべてを焼き尽くす。

だが、これで終わるとは思っていない。俺は次の攻撃に移る。

「ああぁっ!」

レヴァンテインに体中の気を送り込む。……本来なら燐光は白い光なのだが、魔剣故なのか、黒く輝く。

「奥義!」

と、言うほどの技でもないのだが。

「神空一刀両断!」

クリムゾン・フレアの結界ごと、魔王を横一文字に斬りつける。すべての力を集約した一撃。単純だが、それだけに強力だ。

しかし、振り抜こうとした剣が、結界を半ばほど切り裂いたところで止まっていた。

驚いて見てみると、魔王がグングニルを縦に構えていた。俺の剣はグングニルの柄によって止められている。

ちらり、と魔王がこちらを見る。

その瞳に不吉なものを感じ、とっさにそこから飛びのいた。

「絶技・閃槍一矢!」

名の通り、一瞬の光としか認識できない突きが俺に襲い掛かる。

身を捻るが、わき腹の辺りを掠ってしまった。多少体勢を崩すが、とりあえず、距離をとる。

ダメージはほとんどないが、多少出血。回復魔法も受け付けそうにないので、これでますます長期戦が不利になった。

「まさか、魔法を防御しないで、力を溜めるとはね」

愚痴るように呟く。まったく予想外だった。

魔王は、クリムゾン・フレアに対する防御を最小限にとどめ、技を出すための力を溜めていたらしい。ただ、服はぼろぼろだが、肝心のダメージはあまり多くない。おまけに、俺の攻撃によるダメージは、ちゃんとすぐ回復できる。

案の定、魔王の傷はすぐに塞がっていった。

「つか、反則だよな」

俺のわき腹の傷は、ぜんぜん回復しない。これが、魔族につけられた傷でなければ、すぐに自己治癒力によって治ってしまうのに。

「……わかったでしょ。ルーファス。私には勝てないわよ」

……向こうはある程度のダメージならすぐ回復するから、突っ込んでくることができる。対して、俺はダメージを回復できないから、あまり無茶はできない。

これが、人間が魔族に勝てない理由の一つではある。

だが、一撃で即死させるか、向こうの再生力を上回るダメージを与えればいいだけのこと。そのために、新しい魔法を開発してきたのだ。どんな状況でも大丈夫なように、六つも特性の違うやつを作った。

デッド・シャイニングスター。

デスフレア・ドラゴニック。

メテオ。

リヴァイアサン。

ライトニング・ジャッジメント。

デスピア。

全力で放てばという但し書きが付くが、この中のどれかを直撃させれば、魔王を倒せるだろう。ただ、オリジナルな上、呪文を煮詰める時間がなかったので、詠唱がクソ長くなっている。

残念だが、使うことはできない。せめて、十秒だけでも、時間が取れれば……

「って、無理な相談か」

もし、魔王と戦わざるを得ない時のためだったが、ぜんぜん役に立たない。もう少し改良しておけば、相打ち狙いにくらいは使えただろうが。

「やれやれ……世話のかかる姉を持ったもんだ」

場違いな言葉が勝手に飛び出してくる。

正直、勝ち目の薄い戦い。だけど、馬鹿な姉を止めるために逃げ出すわけにもいかなかった。

 

 

 

 

 

「はあっ、はあっ」

あれから20分ほど全力で戦い続けて、こっちは疲労困憊な上に、浅い傷が無数。向こうは平然としている。

まさか、これほど差があるとは思わなかった。

「もう終わり?」

「まさかっ……ね」

後ろに回りこんで来た魔王からの攻撃を何とか防ぐが、肩が浅く裂かれる。

そのまま押し合いの体勢になったところで、魔王……いや、姉さんが話しかけてきた。いつの間にか、目から敵意がなくなっている。

「もう、やめにしない? やっぱり、可愛い弟を傷つけたくないわ」

「な、なにを今更……」

「ここで剣を収めて、私と一緒に来なさい。8年前は、これから先、どうなるかわからなかったから仕方なく置いて行ったけど、もう私の軍は地盤が固まってるし、もうすぐ人間界も支配下に置けるわ」

いきなりの提案。本気かどうか確かめる術はない。が、圧倒的優位に立っている側が言っているのだから、案外本気かもしれない。

「私と一緒にいたいんでしょ? なら、迷うことはないと思うけど」

「……もし、8年前なら、のこのこ付いて行っただろうけどね」

精霊王たち、パーティーの仲間、今まで会った人たちの顔が脳裏を横切る。

「この8年で、色々大切なものもできちゃって」

世界のことはどうでもいい。が、知り合った人たちを裏切ることはできなかった。

「そう……」

その時、姉さんが悲しげにしたのは気のせいだったのか。次の瞬間、姉さんの目が元に戻っていた。

俺は、強烈に押され、吹っ飛ばされて、床に転がる。魔王は、俺の右肩を踏みつけ、槍の切っ先を頭に向けた。

「まあいいわ。……さよなら、ルーファス」

俺にとどめを刺すその一瞬。魔王に初めてわずかな隙が生まれた。あるいは、ためらいのようなものだったのかもしれない。

頭めがけて突き刺さろうとした槍を左手で防ぐ。掌を貫通した槍は、俺の目の前で止まった。

「おおっ!」

そのまま握りこみ、力任せに起き上がる。グングニルを魔王から取り上げ、遠くへ捨てる。

「はっ!」

やぶれかぶれに、魔王の心臓へレヴァンテインを突き立てた。

もちろん、かわされる。という予想に反して、レヴァンテインの刃はあっさりと心臓を貫いた。

「……えっ?」

その間抜けな声は、どちらが発したものだったのか。

気付いたら、魔王は倒れていた。

「どうし……て?」

魔王の反応速度なら、間違いなくあれはかわせていた。むしろ、自分から進んで剣に刺されたような気さえする。

「おめでとう……。これで、あなたは魔王を倒した正真正銘の英雄ね」

掠れた声で、姉さんが話し出す。心臓を貫かれても死んでいない。……しかし、それも時間の問題だ。

「なんでだ! なんで……」

「別に。油断しただけよ」

「嘘だ」

「嘘じゃないわ」

「だって……姉さんは……」

「まだ私を姉って呼ぶの? 呆れた勇者さまね」

自嘲気味に、姉さんが笑う。

「一緒に暮らそう、って言ってくれたとき、私、多分一生で一番うれしかったわ」

「なにを……」

「悪かったわね、ルーファス。いろいろ大変だったでしょ」

「しゃべっちゃだめだ。すぐに治療すれば、まだ助か……」

思い立って、回復魔法をかけようとする俺を、姉さんがやんわりと制した。

「無駄よ。第一、せっかく世界が平和になるのに、治してどうするの」

「だって」

「やめときなさい。せっかく魔王がいなくなるのよ」

ふう、と姉さんが重く息を吐く。同時に、じじじ、と体から魔力が溢れ始める。

「あちゃあ。魔力が暴走しかかってるわね」

これは予想していなかった、と姉さんが額を抑える。

「仕方ない。自爆魔法でケリをつけましょうか」

「じ、自爆?」

「そう。自分の全生命エネルギーを爆発させる魔法。人間界じゃ、もう失われているやつだけどね。これなら、タイミングを合わせられるから」

「タイミングって……」

「友達が下にいるんでしょ? 多分、魔界全部が巻き込まれるほどのエネルギーだし、逃げる時間もないだろうし」

ごほっ、と姉さんが血を吐く。……もう、本当に限界なんだろう。ここまで話せること自体、奇跡のようなものだ。

「わかった。俺が爆発を押さえ込めばいいんだね」

「そ。最後の最後まで世話をかけるわね」

ゆっくりと、姉さんが詠唱を始める。聞いたことのない呪文。確かに、人間界には伝わっていないもののようだ。

「いくわよ……」

「OK」

多分、爆発の規模を抑えることはできても、俺はお陀仏だろう。……まあ、それもいい。人間界に帰って、勇者だとか言われて、ちやほやされるのは、考えただけで、鳥肌が立つ。俺はそういうキャラじゃない。

「じゃあ、ね。ルーファス」

姉さんのその言葉とともに、俺の意識はブラックアウトした。

 

 

 

 

 

 

 

なんてことがあって、もう200年。

「なんで生きてんだろうなあ、俺って?」

「私たちが助けたからですよ」

独り言のつもりだったが、ソフィアが返事を返す。今日、サレナに呼ばれて、お茶会だったのだが、なぜか、俺の過去を洗いざらい吐かされた。……いや、いいんだけどな。

「そうだけどさ……」

「もう、一時は、マスターを精霊にしちゃおうかとか、話してたんですけど……」

「無茶な」

本人の意識がないときに、そんなことできるはずもない。魂の同意がなければ、その性質を無理に変えることなんて神様でも不可能だ。

「それにしても、魔王がそんなこと言ったなんて、私には信じられません」

「まあ、なあ」

俺にも、あの時の姉さんの心境はさっぱりわからない。

あの時、因子から開放されていたのか。それとも、単なる気まぐれとか。推測はいくらでもできるが、どれも、正解のようでどれも違うような気がする。

「でも、そのお姉さん、いい人ですね」

「……リア。忘れちゃいけないと思うんだが、あの人は一応、魔王だったんだが」

「だけど、きっといい人だったと思うんです。ちょっと、道を踏み外しただけで」

「おいおい……

だとしたら、すごい踏み外し方だと思う。

でも、姉さんのそんな評価を聞いたのは初めてだった。極悪非道、血も涙もない魔王ってのが世間一般のイメージだったから。

「……まあ、確かに、俺にとっては、一番大切な姉だったよ」