リーナのファン(?)による襲撃を日々受けながらも、それ以外は比較的平穏に、リオンの毎日は過ぎていった。
そんなある日。
いつものように、夕飯をたかりに来たリュウジは、甲斐甲斐しく料理をするリオンの背中を見ながら、ふとかねてからの疑問をぶつけてみた。
「なぁ、リオン」
「んー?」
小皿にとった味噌汁を啜りながら、リオンが首だけ後ろに向ける。
クマさんのアップリケの付いたエプロンを身に着けたその姿は、元々顔が童顔であることもあいまって、ともすればどっかの新妻と勘違いしそうだ。
「お前、リーナとどこまでいったん?」
「ぷっ!?」
思わず、味噌汁を吹くリオンであった。
りおんくんとりーなさん 〜二人の距離〜
「ケホッ……」
「おいおい、ばっちいなあ」
「リュウジのせいでしょ。……ああ、もう。布巾布巾」
僕は、いつも使っている布巾を手に取り、床を吹く。
「どこまで、って、どういうことさ」
顔が赤くなっているのを自覚しながらも尋ねてみる。
「どういうこともなにも、お前ら付き合い始めたんやろ? だから、こう、どんな嬉し恥ずかしイベントをこなしたかって、わいも興味あるし」
「別に……そんな、なんにもないよ」
いくつか、それらしいエピソードはあるけれど、そんなことを吐露するほど恥知らずではないし。
「ほーか。まぁ、そらそうやろな。普段のお前ら見とると、どーも友達の延長上って感じやしな」
「う……そんなこと、ないよ」
「休みとか放課後とか、相変わらずわいらと一緒におるし。二人っきりってほとんどないやろ?」
「まぁ、それはそうだけど……たまには、二人でいることもあるよ」
例えば、リーナさんの歌の練習に付き合うときとか。逆に言えば、それくらいしか思いつかないんだけど……考えてみれば、付き合いだしてからデートの一つもしたことないなぁ。
「一年のころから好きあっとったみたいやし、いざ付き合い始めたらいくとこまでいくと思っとったんやけどなぁ。ほんなら、そんときのこと聞いて、ドキドキしたかったのにっ」
「いや、いくとこまでって……?」
「いややなぁ、大将。や〜らしー。言わせんとって〜」
どうも、リュウジとの会話がズレているような。
「なんの話かわかんないんだけど」
「……誤魔化しとる、ってわけやないな。この分やと、ちゅうもまだか」
「ちゅ、ちゅう?!」
ちゅう言うな、と突っ込みたかったけれど、そんな暇がないほど僕は動揺した。
ちゅうっていうと、あの、唇と唇を合わせるあれですよね。接吻、キス、ちゅう、くちづけ。言い方はなんでもいいけど、その、所謂一つの愛情表現。
「し、してないよ……!」
「や、そんくらいで慌てられても」
落ち着け、とリュウジが肩を抑えてくる。
「ほかほか。やっぱり、リオンはそんなもんやろな」
「むぅ……」
言外にお子様だと侮られているようで、ちょっと悔しい。
「でもな。意外とリーナはそういうトコに不満を持っとると見た。気ぃつけたほうがええで? さしあたり、明日辺りデートでも誘ったらどうや? 休みやし」
「うーん」
こういう時、リーナさんも予定があるだろうしなぁ、なんて考えてしまうのが僕という人間だ。
「ま、まぁ。ご飯食べたら、聞きに行ってみるよ」
「そか。じゃ、とっとと……って、リオン? な〜んか、魚が焦げとるような気がすんやけど?」
「うっわ、しまった!?」
同じく、リーナの部屋では、部屋の主たるリーナと遊びに来たマナが膝を突き合わせて話をしていた。
「もー、もー! 聞いてください、マナ。リオンくんったら、ヘタレすぎるんですよぅ」
「あぁ、はいはい」
訂正、リーナが一方的に愚痴を言っている。
リーナは、グラスに氷を入れ、瓶に入った琥珀色の液体を注ぎ、ぐいっと煽る。
「ちょ、リーナ。飲みすぎだって」
「いーんれすっ。それより、ちゃんと聞いてますかー?」
「ああ、聞いてるから! ちょっとそれ寄越しなさい」
と、リーナが抱えている瓶をひったくる。
「……ったく。どうして、ジュースで酔っ払えんのよ」
色といい瓶の形といいウィスキーそっくりだが、これ、ただのジュースである。さっきからぐいぐい飲んでいるが、どれだけ飲んでも酔うはずがない。いいとこ、腹を壊す程度だ。
なのに、リーナは顔を赤らめ、酔っ払いとしか思えない言動をしている。
きっとあれだろう。ぷ、ぷ、プラシーボ効果?
「で、リオンくんがどうしたの?」
「う〜」
涙目になる。
泣き上戸か? でも、酔ってないから、違うのか? などと、マナは空しい想像をする。
こんな下らないことに付き合う辺り、あたしって友達づきあいいいなぁ、とため息をつきながら、先を促した。
「折角付き合い始めたのに、リオンくんがなんにもしてくれないんですよぅ」
「な、なんにも、って……」
マナも、同じグループで毎日のように話しているのだ。当然のようにこの二人が付き合いだしたことは知っている。
一年生の頃から、やきもきしていたから、うまくいったことは素直に喜ばしいことだ。
ただし。この場合、リーナがやって欲しいこととは一体なんだろう? マナの脳裏に、めくるめく官能の世界が広がる。彼女、意外と耳年増なのだ。経験は皆無だが、やたらリアリティのある絵が思い浮かぶ。
「な、なんにも、って……?」
マナとて年頃の女の子だ。そういうことに全く興味がないわけではない。恥ずかしそうにしながらも、尋ねてみた。
「もぉ、救いようがないです。キスどころか、手を繋いだりもしてこないんですよ。こっちから繋ごうとすると、なんか照れて逃げるしっ」
「そ、そう」
がっくり、とマナは肩を落とした。どうも、彼女が想像していた次元より、かなり低いレベルの争いだったらしい。
「しかも、先週二人っきりになったのって、二回だけですよ二回だけ。しかも、それってただの練習だし! 同じ学校に通って、同じクラスにいて、寮生同士なのにっ!」
ええい、飲まないとやってられっかー、とばかりにリーナはマナから瓶を奪い返して、グラスに注ぐ。
「ぐすっ……デートくらい誘ってくれたっていいですよね?」
「ま、まぁそうかな」
「どーせリオンくんは、わたしのことなんてなんとも思ってないんです。リオンくんのばかーー」
男子寮の彼の部屋の方に向けて、リーナは叫ぶ。
ちなみに、その扉を今まさにノックしようとしたリオンは、その言葉を聞いて固まっていた。
「〜♪」
「き、機嫌いいですね、リーナさん」
「うん」
次の日。
特に交渉らしい交渉もなく、リーナは二つ返事にデートの誘いに了解を出した。いきなり馬鹿呼ばわりされて、もしかして嫌われたかも……なんて悲観的になっていたリオンは、喜ぶリーナを見てすぐに立ち直った。
そして、二人はヴァルハラ学園から歩いてこれるデートスポット、ということでフィンドリア国立公園に来たわけである。
いささかならず地味だが、そんなにお金があるわけでもないし、二人とも落ち着いた場所が好きだから特に問題はない。
「あ、リオンくん、ボート乗りましょうボート」
「いいよ」
公園の真ん中にある大きな湖の貸しボート屋を目敏く見つけたリーナは、走り出さんばかりの勢いでリオンを引っ張る。
ちなみに、リーナの激しい希望で、本日は手を繋いで行動することと相成った。周りの人からは、呆れ七割、羨望二割、微笑一割の視線を受けている。
恥ずかしいことは恥ずかしいが、これくらいで喜んでくれるのなら、あえて羞恥に耐えて見せよう、とリオンは悲壮な決意をする。
……で、
「か〜〜〜〜、初々しかーーー!」
「ちょっと、煩いわよ」
公園にある木の影に隠れ、、そんな二人を見守るリュウジとマナ。
絵に描いたようなデバガメっぷりである。
「だって、あれ見てみ? あんなもん見せられたら、体中がかゆうてしゃあないわ」
「……まぁ、否定はしないけど」
「お、ボート乗った。……なんや? リオン、目ぇ逸らしたけど」
「お互い正面に座ってるから、あの体勢だとスカートの中が見えるんでしょ。ほら、リーナが気付いて慌てて直してる。……ったく、短いの穿いてくるから」
と言うマナはしっかりとズボンだ。毎日スカートなんて、面倒くさくてやってらんないのである。
「ほほ〜。リオン、運ええなぁ」
「やっぱ、彼も男ってことね。……リーナも、見られたんならひっぱたいてやればいいのに」
「ブッソウやなぁ。んなやから、面は悪ぅないのに、クラスの男子どもに怖がられ……いたぁっ!?」
マナは、リュウジの背中の皮を思いっきりつねる。
「……ま、マナマナ。気付かれるやないかっ!」
「ふん」
監視に戻る二人。
この調子でデバガメを続けたら、すぐに気づかれることは、多分間違いない。
それで、お昼時。
リオンとリーナは、公園の中にある広場でレジャーシートを広げ、持参してきた弁当を広げていた。
「でも、リュウジくんとマナもデートだったなんて、偶然だね」
デバガメしていた二人とともに。
あれから、ボートを降りて十分と経たないうちに発見され、成り行き上、一緒に行動することになったのだ。
最初は二人きりの邪魔をされて顔を引きつらせていたリーナだが、元々仲のいい面子である。すぐに、まぁいいかと納得して、普通に楽しんでいた。
「ま、まぁ大目に作ってきたから大丈夫……かな? 一応、そこらに屋台とかもあるし……」
苦笑いしながら、リオンは弁等を広げる。三段の重箱。中身は、和風の料理。
毎日リュウジにご飯を作ってきたので、和食に慣れてしまったのだ。
「おおおお〜〜〜。うまそうやな」
「うん、今日は結構うまくいったかな」
一番下はおにぎり。俵型に結ばれたお結びが、見事に陳列し、隅にはたくあんが何気なく添えてある。二段目はおかず。定番の唐揚げや肉じゃがや玉子焼き、ほうれん草のおひたしに煮豆など、栄養バランスもよく考えられたおかずが並べられている。
そして一番上はなんでここにあるんだと聞きたくなる小さいモンブランが四つ。
「あ〜、そういや、リーナはモンブラン好きやったな。リオン、なかなかやるやないか。かな〜り場違いやけど」
「あはは……。果物にしようかと思ったんだけど、最近お菓子も作り出しているから。ちょっと試してみた」
「って、栗はどっから手に入れたねん、栗は」
楽しそうにする男二人に比べ、リオンが弁当を広げ始めた辺りから女二人の表情が芳しくない。
「リーナさん? どうかしました?」
「う、ううん。とってもおいしそうだね」
「なんで目を逸らすの?」
とても、食欲が沸いているように見えない。
もしかして、自分はなにか致命的なミスをしちゃったのか、とリオンは作った料理を再度見る。
特に色も匂いも問題はない。となると、嫌いな食べ物をいれちゃった? でも、リーナさんは好き嫌いないしなぁ、とリオンは思考のループに陥る。
「あのね。リオンくん。あたしたちも、一応料理の修行はしているわけよ」
「うん。知っていますけど……マナさん? なんか怖いですよ?」
「で、そこでね。男の子にいきなりこんな完璧な弁当見せられたら、あたしたちの立つ瀬がないじゃない。なんでリーナが作ってこなかったのよ?」
「……すっかり忘れてたの」
しゅんとなるリーナ。
リオンは慌ててフォローに走った。
「だ、大丈夫ですよリーナさん。こんなの、ただ単に僕が昔からお母さんに家事全般叩き込まれていたからですし……」
「うう〜」
恨めしげに見てくるリーナ。
そして、気が付くと、リオンは自分の分のモンブランをリーナに献上する羽目になっていた。
「あれ?」