「るーくーん。わたし、出かけるからー。ちょっと、子供たちの相手しててくれないー?」

教会の中から、シスター・エルの声が聞こえる。

「はーい」

この町唯一の教会を預かる彼女の声に、俺は洗濯ものをしている手を止め、ガキ共がきゃいきゃいと遊んでいる中庭に向かう。

そのガキ共は、俺を見つけるなり雪崩のごとく突っ込んできた。

「あ、ルーが来た!」

「よし、全員突撃! ぶっ殺せー」

「ルー兄! 覚悟ォ!」

まずそんな声を上げつつ男子が俺の元に到着。俺という敵を打ち滅ぼさんと殴りかかってくる。

まぁ、所詮、子供のすること、それらの攻撃も、じゃれているというレベルだ。俺は軽く受け止め、怪我をしないよう細心の注意を払いながら、そいつらの力を逸らし、地面に投げる。これは、ほぼ体に染み付いている行動だ。

ふわり、と男子連中が地面に着地する頃には女子が俺の元に。こっちは攻撃するでもなく、俺にしがみついてきた。

「ねー、ルーお兄ちゃん。ままごとしよう、ままごと!」

「あ、それよりお人形さん作ってよー」

「それより、お絵かき教えてー」

こっちはこっちで、俺に様々な要求を迫ってくる。俺の事をていのいい玩具とか便利屋とか思っているんじゃなかろうか。木彫りの人形や、ちょっとした絵ですぐはしゃいでくれるから、男子よりは扱いやすい。……まぁ、俺自身が男だから、プラスマイナスゼロだろうが。

起き上がって俺に再び攻撃を仕掛けてくる男子どもを片手で払いのけながら、俺はこいつらと遊んでやるべく、広場に向かった。洗濯物は……まあ九割がた終わってるから残りはあとでやればいいだろう。

あー、っと。エルさん、昼飯までには帰ってくるんだろうか? 下ごしらえくらいはしといた方がいいかなぁ……

などと悩む。

現在、ルーという名で呼ばれている、記憶喪失な俺の日常は、おおむねこんなところだった。

 

ゆうしゃくんとなかまたち 記憶喪失編

 

大体、一週間前の話だ。

俺の見た最初の光景は、見知らぬ天井。そして、初めて見た人は優しげな微笑を浮かべるシスター。

そのシスター……現在、俺が厄介になっている教会の責任者であるエルさんの話によると、俺は町外れの森の中で倒れていたらしい。

全くもって思い出せないのだが、エルさんはモンスターにでも襲われたのではないか、と話していた。

現在、この世界は魔王の脅威に襲われている。おかげで、人里近くにはあまり来ないモンスターらも凶暴化しているとの事。

もはや常識であると言う魔王のことすら、俺の記憶からは消えていた。ただ、全てを忘れているはずの俺も、それを聞くと心のどこかがざわめく感じがして、どうにも落ち着かない。

なんにせよ、身元もはっきりしない俺は、孤児院もやっている教会で一時厄介になる事になった。

ルー、と言う名前は意識も朦朧していた俺にエルさんが名前を尋ねたところ『ルー……なんちゃらとか言ってたよー』らしいので付けられた。

まぁ、こんなご時世。町の外で行き倒れになっているような俺が、ロクな記憶を持っていたとも思えないので、別に思い出せなくてもいいか、と感じている今日この頃だ。この教会で、ガキどもの相手をしているのもそれなりに楽しいし。

 

……ただ、時々『それでいいのか?』と問いかける声が心の奥から聞こえるのだけれど。

 

 

 

 

 

「ルー君、ごめんなさいね。任せっきりにしちゃって」

「いえ。別にたいしたことないし、気にすることないって」

なんでも寄付を集めに行っていたというエルさんが帰ってきたのは午後三時ごろ。ガキ共はすでに昼寝の時間だ。昼飯は俺が作ったが、極めて不評だった。……俺は、料理は苦手らしい。

そんな自分に対する新たな発見をしつつ、エルさんが淹れてくれた茶を啜る。あまりいい茶葉ではないが、丁寧に淹れられていて、温まる。

「なにか思い出した?」

毎日のように繰り返される質問に、俺は首を振って答える。

そう、と曖昧な笑みを浮かべたエルさんは、もらってきたと言うクッキーを齧った。

こうしてそんな仕草を見ていると、つくづく思うが、エルさんは若い。荷が重い……という風には見えないが、俺とそういくつも変わらない年齢で、一つの教会を維持しているのは、すごいことなのではないだろうか。

なんでも、しばらく前、神父さんが逝去されて、元々ここの孤児院の世話になっていた彼女が継ぐことになったそうだが……

「でも、こんなこと言うとルー君には悪いけど、ルー君が来てくれてよかった。子供たちも、モンスターとかが町の近くに来るようになって脅えてたし、わたしも留守がちだし……やっぱり男の子がいると違うわね。みんな安心してるみたい」

「……男の子って。子を付けないでください、子を」

「あれ? 怒っちゃった?」

くすくすと笑うエルさんに、憮然とする。が、怒りが湧いてこようはずもない。

これは人柄だろう。今ふと脳裏に浮かんだニヤニヤ顔のエロ剣士や、エルフの魔法使いが言ったら、俺はまず殴っていたはずだ。

「……あれ?」

「どうしたの、ルー君」

「いや、なんか今思い出しそうになったような」

首を捻るが、夢のように曖昧なイメージは、すでに零れ落ちてしまっている。なにか思い出しそうになった、という感覚が僅かに残るだけだ。

だけど、やっと浮かんできた手がかりをそう簡単に捨てるわけには行かない。俺は必死で思い出そうと、ぐぐぐ、と唸る。

「る、ルー君? あんまり無理しなくても、ゆっくりでいいんじゃない? ほら、お茶のおかわり」

それが苦しそうに見えたのか、エルさんはティーポットからカップに茶を注いでくれる。

……確かに、無理して思い出せるものなら、思い出そうとあがきまくった最初の三日間ですでに思い出せているだろう。俺は諦めて、再びお茶を飲む。じわり、とその温かさが、俺の失われた記憶のどこかに浸透していく。

思うのだが、俺は少なくとも、こういう穏やかな生活をしていなかったのではないだろうか。どうにも、こういう空気に慣れなくて、そわそわしてしまう。

そんな俺に、エルさんはそういえば、と前置きして、

「朝、洗濯物頼んだけど、どうだった? ちゃんとできた? 庭に干してあったけど……」

「あ゛」

残り一割、余ってた、そういえば。

 

 

 

 

 

 

「ルー君は、もしかしてわたしに恨みでもあるのかな?」

「め、滅相もない……」

ジト目でこちらを睨んでくるエルさんの視線から、必死で逃げる。……が、回り込まれた。

残っていた一割の洗濯物。残っているのは、その、アレだ。エルさんの、えーと……所謂、下着。

……………し、仕方ないだろっ! 俺だって健全な男の子なんだ! こんなの、平気で洗濯なんぞできるかっ!! 後回しになっちゃったのは、断じて俺のせいではない!!

なんて俺の正当な言い訳は聞いてもらえなかった。

「もう日も傾いてきちゃってるし、このまま干しても乾かないよね」

「で、でしょうねぇ」

相槌を打つが、正直、顔面が引きつったかもしれない。

「ちなみに、わたしの下着、全部洗濯物に出しちゃってるんだけど」

「な、なるほどー。なら、新しいの買ってきましょうか? あ、それともそのまま明日まで我慢していただければ……」

「新しいの買えるほどうちの家計には余裕はないし、汗かいちゃったから代えないのは気持ち悪い」

むう〜、と睨んでくるエルさんに、俺は段々反抗心がむくむくと湧いてきた。

「ってか、アンタがこんなのを洗濯物に出すから悪いんだろ!? 俺もオトシゴロなんだから、それくらい察してくれよ!!」

「ぎゃ、逆ギレ!? わたしだって恥ずかしかったけど、別々にやるのは非効率的でしょ。わたしの下着に欲情してちょっと好奇心から手にとって見たり匂いをかいだりあまつさえはこうとしたりするのは……まぁ、仕方ないとしても、ちゃんと洗濯はしといてよ!」

「一切してねぇっ!?」

「んなっ、わたしには女としての魅力がないってゆーの!?」

「どっちなんだアンタは!?」

そんな風にぎゃいぎゃい言い合っていたせいか、気が付くと子供たちが起きてきて、興味津々に俺とエルさんの言い合いを見物していた。

はた、と冷静になる。

「あれー、もう終わりー?」

「なーんだ。取っ組み合いになるかと思ったのにー」

「うまくいけば、ルーの晩飯抜きになって、俺らのおかずが増えると思ったのに」

「ルーがボコボコにされるとこ見たかったのに」

「馬鹿ねぇ、男子は。あれはちわげんかってゆーのよ」

男もそうだが、最期に喋った女子ちょっと待て。どこをどうみたらこれが痴話喧嘩になる? 言葉はちゃんと使えてめぇら。

「わー、ルーがこっち睨んでるー」

「こえー」

「きゃー、痴漢よー」

俺の怒りに反応したのか、脱兎のごとく駆け出すガキ共。ってか、誰が痴漢だ、誰が。

とりあえず、そんな子供のせいで強制的に熱が冷めた俺は、同じような表情をしているエルさんと見つめあい、はぁ、と同時にため息をついた。

「とりあえず、火でも熾して乾かしておきます。エルさんは、ガキ共の洗濯物を取り込んでてください」

「……はーい」

返事をして、エルさんは洗濯物の取り込みにかかる。俺はほとんど反射で手のひらから火を放ち、新たに干された下着類をじりじりと乾かす。

それを見たエルさんは、感心したように、

「あれ? ルー君、魔法上手なのね」

「……ああ、本当だ」

言われて気付いた。俺の作った火球は、洗濯物を燃やさない距離で停滞したまま、周囲を熱しているが、本来魔法はこのようには使えない。

生活の便利な道具としても使われる魔法だが、そのもともとの出自は戦闘用だ。ちょっとした種火を熾したり涼をとることくらいは造作もないが、このように大きな火を一箇所に持続させることは、それなりに難しい。火属性は、特に攻撃色の強い属性だし。

「なんか、無意識に出来た。もしかしたら、魔法関係の仕事でもやってたのかも」

そんな言葉を返して、再び火球の制御に集中する。普通、魔法なんていうものは本人の意識の外に出ると、消えたり暴発したりするものなのだ。なんとなく、離れても大丈夫な気がするが、万一暴発でもして、エルさんの下着が消し炭と化したら今度こそ俺は死ねる。

ぼー、と炎の揺らぎを見つめる視界の端に、ちょこまかと洗濯物を取り込んでいるエルさんがよぎる。

平和な風景。こんな日がいつまでも続くとい……

 

『本当に?』

 

「う、く」

ノイズのような声が、思考の端に出現する。

『本当に、平和なのか?』

それは……世の中は平和とは言えない。魔王がいる時代と言うのは、いつでも恐怖と混沌にまみれている。魔王がいる、というのはエルさんに聞いた知識だが、町の様子を見るとそれが間違いではないとわかる。

だが、そんなのを解決するのは勇者や賢者の仕事だ。俺がどうこうできることでもないし、どうこうする義理もない。

……はずなのに、今代の魔王を止めるのは自分だ、とわけもなく思った。

「いかん、かなり疲れているのかな」

背筋を伸ばす。西の空を見ると、もう日がかなり傾いている。あと一時間ほどで、山の向こうに落ちてしまうだろう。

「……あれ?」

そのはずなのに、太陽の光が翳っている。よく目を凝らすと、五つほどの黒い点が太陽に重なっている。

あれはよくないものだと、俺でない俺が全力で警告を発していた。

 

 

 

 

 

 

「エルさん! 子供たちよろしく!」

「う、うん!」

あれが飛行している魔族の影だと、気付いたのはほんの数分後。俺は急いでエルさんにそれを伝えた。

近所を通りがかった町人にもついでに伝えて、町は騒然となる。

そして、今、俺たちは町の中心にあるこの教会を避難所にして子供たちを押し込めた。

女子供老人はそうして避難させて、村の男たちは総がかりで魔族を迎え撃つ、らしい。

だけど、俺に言わせればナンセンスだ。モンスターなら、多少強くてもなんとかなるだろう。が、こんな小さな町(というより、町と村の間くらいの人口)の戦力で魔族五人をどうこうしようなんて無謀にもほどがある。

そもそも、数がそろえば勝てると言うものではない。せめて、この町の冒険者ギルドに、熟練の……せめて、村人を指揮できる戦闘経験を持った冒険者が来ていれば話は別だが、生憎とこの町のギルドはいつでも閑古鳥が鳴いている有様だ。

農具を持たされた俺は、熱くなっている村人たちとは裏腹に、冷えていた。

……このままじゃ、間違いなく全滅するな。

珍しいことじゃない。魔王が台頭してからこっち、滅ぼされた村や町なんぞ三桁以上に及ぶ。その不幸な数字をこの町が一つ増やすだけだ。

『また?』

……頭痛がする。

「来たぞー!」

そんな声が遠くに聞こえる。

魔族は遊んでいるらしく、傷を負う人は続出するが、死人はなく、また町ごと攻撃魔法でぶっ飛ばされることもない。

不意に、昔似たような光景を見たことがあるような、そんな既視感を感じた。

やがて、魔族は俺たちが教会を守っていることに気付いたのか、教会に攻撃。

壁が崩れ、中から……

「あ……」

今にも魔族の爪に引き裂かれそうな位置に、エルさんがいて

 

また、見殺しにするのか(・・・・・・・・・・・)?』

 

稲妻のように、幾人かの死に顔がフラッシュバックし、

気が付けば、俺はエルさんを引き裂こうとした魔族の首を瞬間的に召喚したレヴァンテインで刈り取っていた。

「……え?」

エルさんは驚愕の表情をこちらに向けている。まぁ、驚くのもわかる。

それにひとまず背を向けて、残りの魔族らと向き合う。

「さて、と。人がちょっと忘れていると思って好き勝手してくれたな、てめぇら」

俺――ルーファス・セイムリートはそんな八つ当たり以外の何者でもない怒りとともに、残り四匹の魔族を瞬殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、行方不明になっていたのか」

ヴァイスさんの呆れた声。

「てゆーか、なんで記憶喪失なんぞになってたんだよ、お前」

今度はレインだ。睨んでいるのは、しばらく記憶喪失のせいで行方知れずになっている俺を心配していたからだろう。

「いやな。ちょっと耐久力を上げようって、森で修行してたんだが。どうも、当たり所が悪かったらしい」

正直に答えると殴られた。

……結局。

あのあと、俺は教会のみんなにお別れを言って、今行動の基点としている王都に戻ってきた。ここなら、情報も手に入るし、もっとも魔族が攻めてくる場所でもあるし、実戦経験を積むにも最適なのだ。

だが、

「今回ので、王都から遠い町へのフォローが課題だってことがよくわかった。しばらく、冒険者も行かないような町で警戒に当たろうかと思うんだけど、どうだろう」

「……お前、それは」

「いいだろ。どうせ、魔界に行くための準備が整うのはもう少し後なんだ」

そう言って納得させ、俺はあの町のあの教会で、決戦までのしばしの時を過ごすことになった。