シュッ、というお父さんからの攻撃をなんとかかわす。
「おっ、リオンもやるようになったな」
そんな軽口に答える余裕なんて、少しもなく、
「じゃあ、レベルアップだ」
そんな声が聞こえたと思ったら、それまでに倍するスピードで、僕の顔に“ハエたたき”が炸裂した。
第2話「そんなある日のこと」
軽く二、三十メートルは吹っ飛んで、やっと僕は止まることができた。どうやったら、ハエたたきでこんな威力を絞りだせるのか。なんとか腕を挟んだおかげで、顔面へのダメージはないけれど、一瞬遅かったら顔面陥没という憂き目にあっていたかも知れない。お父さんは、たまに気まぐれで妙な武器を使ってくるけれども、そのどれもがべらぼうな威力を持っていた。
なんでなんだろう、とお母さんに聞いてみると『ルーファスさんですからねえ』と、なんとも納得し難い答えが返ってきた。
「ほら、立てよ。リオン」
「……はい」
気配すら感じさせずに、いつのまにやら僕のお父さん――ルーファス・セイムリートが僕の前に立っていた。
聞くところによると、その昔、魔王を倒したと言う勇者らしい。今は紆余曲折を経て、精霊へと転生し、将来起こるかもしれない世界規模の危機に対応すべく待機中の身、との事だ。
「傷はないか?」
「ありませんよ。お父さん、手加減してくれたんでしょう?」
「まあ……な」
苦笑しながら僕を立ち上がらせる。
お父さんは子供のころから僕に稽古をつけてくれている。と言っても、基礎なんかを習った覚えはなく、こうやって実戦さながらの戦いをするだけだけれども。しかし、いつもいつも叩きのめされて、どうにも進歩がないのは困りものだ。まあ、これはこれで親子のコミュニケーションの一環と、最近では諦めている。どうも、才能がなかったらしい。
「さて、そろそろ終わりにするか。母さんが待ってるだろうしな」
「そうですね」
「今晩は、なにかな……」
すでに太陽は沈み始めている。ただ、お父さんに言わせると、あの太陽は火精霊の塊でそれらしく作った人工の太陽らしい。それどころか、この大地すらも人間界の土を持ってきたんだとか……いつもながら、お父さんのやることはスケールが違う。
この亜空間に住んでいるのは、僕たちの親子三人だけ。時々、お父さんやお母さんの友達という人や精霊が来ることはあるくらいで、僕が人間界に行ったのも数えるほどしかない。
寂しい、とは思わないが……外の世界に行ってみたいと思っているのも事実である。
「あ〜、おかえりなさい」
考え事をしていたら、家についていた。
「おう、ただいま」
「ただいま、お母さん」
「ちょっと待っててください。もう出来ていますから」
とことこと台所に歩いていくお母さん――リア・セイムリート。
僕の母親なのだけれど、不老ゆえかまだまだ若々しい。お父さんにも言えるのだが、聞いたところでは外見年齢は十七歳で止まっているとの事。僕が今十五歳だから、もうすぐ追い抜いてしまう。
僕は精霊の両親を持つにも関わらず、なぜか人間として生まれた。元が人間だったせいかな、とお父さんは言っていたが、こういうケースは初めてなので原因は不明だ。原因はどうあれ、間違いなく僕がお父さんたちより先に死んでしまうことに、少し申し訳なく思う。
「リア。俺も手伝おうか」
「じゃあ、食器出しててください。あ、リオンは座っててね」
することもなさそうなので、言われたとおりテーブルにつく。
お父さんたちは楽しそうに準備をして、たちまちのうちに美味しそうな夕食がテーブルに並んだ。
「じゃあ、頂くとするか」
「いただきます」
言いつつ、焼きたてのパンに手を伸ばす。
「あー、そういえば、リオン。宿題はしましたか?」
食事を続けていると、ふとお母さんが尋ねてきた。
「食べたらするつもりですけど」
「そうですか。ちゃんと明日までにやらないとお仕置きですよ?」
「わかってますよ」
……僕は朝、お母さんに勉強を教わっている。そして昼食をとってから午後三時くらいまでは『いまどき、男の子も家事の一つもできなくてはいけませんよ』というお母さんに従い、家事一般の修行。それからお父さんに夕食の時間まで訓練してもらう。そして、夜は自由時間。
これが僕の生活スタイルだ。休日もあるけれど、外出するところもないので、もっぱら家で読書している。
「そういえば、リア」
「なんです?」
「今日って何月何日だっけ?」
「えーと……」
こんな場所で代わり映えのない生活をしていたら、日にちの感覚がなくなるのはわかる。だけど、そもそも日にちの感覚がなくなってもどうと言うことはないと思うのだが。
「ああ、四月一日ですね」
「……ありゃ」
お父さんが頬をぽりぽりとかきながら、こちらをバツの悪そうな顔で見る。
「……なにか?」
「いや〜。そういえば、リオンには話してなかったような気がするなあ」
「まさか、ルーファスさん。忘れていたんですか。自分が話しておく、って言ってましたよね?」
「認めがたい事実だがな。どうにもリオンの反応を見る限り、そうらしい。いや、これはまいった」
「だから、何の話?」
なにか、嫌な予感がする。普段はなんでもそつなくこなすお父さんだが、たまにすごい失敗をするのだ。そして、そのときは大抵の場合、お母さんにお仕置きされている。
「ああ、うん。リオンももう十五だろう? で、俺たちの通っていた学園に通わせようと思ってな。お前は人間だから、やっぱり、将来は人間界で生きていくべきだと思って」
僕の思考が固まった。
「まあ、俺たちは中退だったんだがな。はっはっはっ」
お父さんの笑い声がやけに遠くに聞こえる。
そのとき、ハッと一つの希望に気がついた。
「今日はエイプリルフールだからって……」
「本当の話ですよ」
お母さんの言葉に、ピキッと動きが凍り付いてしまう。
しばらく待って、やっと言葉が出せるようになった。
「なんで、そんな重要な事を話し忘れるんですかぁ!?」
「すまないとは思っているぞ」
「思ってないようだったら、お母さんのお仕置きをフルコースで頼んでいますよ」
「リオン、心配しなくても、お仕置きはするつもりですよ」
とたんに、お父さんがガタガタと震え始める。……我が父ながら、ここまでお母さんに頭が上がらないのもどうかと思う。
「まったく……。で、入学式はいつですか?」
「八日」
「一週間後じゃないですか!」
「前日までに入寮しなきゃならないから、七日には出なきゃいけないぞ」
「さらに早まった!?」
じゃあ、荷造りとか、色々準備も急がなくちゃならない。慌てて自分の部屋に行こうとしたが、一つ疑問がわきあがった。
「そういえば、入試とかあるんじゃないですか?」
「ああ、そこら辺は、俺のコネでな」
それは裏口入学とか言うのではないだろうか。
「大丈夫だ。特別推薦枠が余っていたからな。そこで、サレナに頼んでな」
「……お父さん。心を読まないでもらえますか」
「ただの勘だ。いくら俺でも、そんな真似はできないって」
「どうだか」
この人なら、どんなことでもたやすくやってのけてしまいそうだから、どうにも信用できない。
「じゃあ、お話が終わったところで、ルーファスさん。ちょっと……」
「……なあ、リア。こうやってリオンも新しい門出を迎えることだし、そういうのはなしにしようじゃないか。なあ」
「ええ。その門出を伝え忘れた人がいなければ、私もこんな事をする必要はないんですけど」
「それを言うんだったら、お前が伝えときゃよかっただろうが」
あっ。
「………………………」
「………………………」
「………………(にこ)」
「お、俺が悪かった! リア、ちょっと待て。耳を引っ張るな! ……だからって頬をつねるんじゃない。無言の圧力を加えるのもやめろぉ!」
……お父さんたちはいつも仲がいいのです。うん。
夜。
僕の部屋はちょっとした“離れ”にある。母屋のほうは部屋数が少ないからだ。そこでため息を吐きながら、さっき受け取った入学案内書を読み解いていると、コンコンとノックの音がした。
「はーい。どうぞ入ってください」
「お邪魔しますよ」
入ってきたのはお母さん。まあ、この部屋に訪れる人は二人しかいないんだけど。
「お母さん、何か用ですか?」
「うーん。そういうわけでもないんですが、お話でもしようかと」
「はあ」
呟きつつ椅子を勧める。
「まずは、ごめんなさい。お父さんに伝えておくように言っておいたんですけどね。まあちょっと灸を据えておきましたから、許してあげてください」
……なむ〜
「……まあ、驚きはしましたけど」
「不安とかありませんか?」
「なくはないですけどね」
苦笑する。
同年代の人と話した経験なぞないので、うまくやっていけるのか、とは思っているが、それ以上に新しい環境に対する期待とか憧れのほうが大きい。
「そうですか……」
お母さんは顔を伏せてなにかを考え込む。
思えば、僕の性格は、ほぼこのお母さんのものを引き継いでいるような気がする。いや、怒ったときのあの状態だけはどうにも理解できないけれど。
お父さんが放任主義気味だったのに対し、お母さんが少々過保護だったからだろうか。
「一応、これを渡しておきます。リリスちゃん、知ってるでしょ? 彼女、今セントルイスで大衆食堂をやってるんですけど、そこの住所です。なにかあったら頼ってください」
「はあ」
「私もルーファスさんも、そっちに行くと怪しまれたりするかもしれないですから」
ちょっと心配しすぎな気もするけれど、ありがたく受け取っておいた。リリスさんは、たまにここにも来るのでよく知っている。
「うん。でも、怪しまれるって……?」
「だって、以前、私たちあそこに通ってたんですよ? 私たちの顔を知っている人に会ったりしたら、どう言い訳するんですか」
……お母さんもお父さんも、このヴァルハラ学園とやらに通っていた当時の姿だから、そりゃ変に思われるだろう。
「そういうわけです。姿を消していけばいいんでしょうけど、それじゃ不都合があるかもしれないですから」
「そこまで心配しなくても、大丈夫だと思いますけど」
「甘い、甘いですよリオン!」
なにやら拳を握り締めて、お母さんが力説し始めた。
「お母さんが居たころはそりゃもう大変だったんですから! 二年のミッションではドラゴンに襲われ、精霊王とか王女様とかが転入してきたり、ルーファスさんが暴れまくったり、挙句の果てには魔王にお母さんは殺されちゃったんですから!」
「そうですか……」
それは全部、お父さんと一緒にいたからでは?
「とにかく、そーゆーわけですから。武器も持って行きなさい」
「えっ?」
「お父さんのコレクションからくすねてきました。どれでも好きなのを選んでください」
ずらっ、とお父さんに預けられた武器の山を渡してくる。封印指定の魔剣とか、所有権が曖昧な伝説の武器なんかをお父さんは精霊界とかから預かっているのだが、
「い、いいんですか?」
「いいんです。どーせ、責任はルーファスさんに行きますし」
そーゆーものなのだろうか?
「そーゆーものです」
また心を読まれたのか?
「で、でもいりませんよ。一応、自前のがありますから」
と、一五の誕生日にお父さんからもらった短剣を見せる。刀身に何箇所か溝が刻まれており、そこで刃を受け止めることが出来る代物。所謂、ソードブレイカーと言うやつだ。
「そんなのでいいんですか? ほら、これとかこれとかこれとか」
ぽんぽんとお母さんが渡してくるのは、童子切安綱やら魔剣レヴァンテインやら神槍グングニルやら……一番初めのはまだしも、後者二つは世界を滅ぼしかねない武器なのだが。そもそも、レヴァンテインはお父さんの武器じゃなかっただろうか。
「い、いいですって」
「えー?」
なんで残念そうにするんだろう。
その後、お母さんを追い出すのにものすごく苦労した。
追記:翌朝、家の前の木に逆さ吊りにされているお父さんを発見、保護した。