「お兄ちゃん!? なんか、ラナ教からお兄ちゃんの邪魔をするために、シスターが派遣されたみたいだよっ!?」

 突然、昼下がりの風月亭にやってきて、そんなことを抜かす不肖の弟をはっ倒した。

「痛い! 愛が、愛が痛い!?」

「なにが愛だ」

「いや、だって、お兄ちゃん痛いの好きでしょ?」

 どこでこいつらはシンクロしているんだ、と俺に絶賛注目中のシスターに眼を向ける。

「……あれ?」

 そして、その視線を追ったコレットは、今まさに自分が言った人物らしきシスターを見て、首をかしげた。

 いちいち、可愛らしげな仕草をするやつだ。キャラ作りか?

「えーと、あの人」

「おめでとう、コレット。お前の情報は丸二日ほど古い。エヴァーシンの情報網もたいしたことないな」

 うー、と不満げに口を尖らせるな。そんなことしても、俺は慰めてやらんぞ。

「さすがはルインハンター。こんな健気な少女をいじめるとは」

 と、俺の敵たるシスタープリシラは、よしよしとコレットを慰めにかかる。うえーん、と泣いているそいつが男だと知ったら、こいつはどういう反応をするんだろうか?

 ……それはそれで喜びそうな気がするから、伏せておこう。

「しかし、この子が、貴方の妹とは……トンビが鷹を産んだようなものですね」

「いや、そのたとえは色々おかしいからな?」

 何がかなしゅうて、男の俺が、弟を産み落とさなくてはならんのか。

「いや違うよ、お姉ちゃん。むしろ、お兄ちゃんがみそっかすと言うか」

「お前、すげぇ辛辣な!?」

「それでも、ボクはそんな情けないお兄ちゃんのことが好きだよ」

 いけしゃあしゃあとこいつは。

「麗しい兄妹愛ですね。兄が、こうでなければ」

「あんたなぁ!?」

 どうして、会って間もない人間にこうまで言われなくてはいけないのか。

 ……そして、フィー。まったくです、とか言いながら頷くんじゃない。

「というか、俺を扱き下ろさないと会話もできないのか、貴様らは」

「やだなぁ。もちろんできるよ。でも、日々の会話にも、潤滑油が必要と言うか」

「俺が油かよ……」

「油ぎっていますし」

「油ぎってねぇ!!」

 ぼそっと呟いたフィーに、全力で突っ込む。

 なんだ、その微妙に本当っぽく聞こえる誹謗中傷は。

「あ、フィーさん。注文いい?」

「営業時間じゃないんですけどねー。まあ、いいですよ」

「じゃ、コーヒーとケーキっ!」

「コーヒーはありますけど、あいにくうちはカフェじゃないのでケーキはちょっと。パンケーキくらいなら作れますが」

「じゃ、それでいーや。蜂蜜たっぷりでね。ボクとお兄ちゃんの愛くらい、甘く」

「死ね」

 トンデモナイことを抜かすコレットのこめかみに拳を当て、ぐりぐりする。

 ぐりぐりぐりぐり。

「いたいいたいいたいっ」

「そういう冗談をほいほい言うな。信じる人がいたらどうする?」

「どうするって、他の人にも伝えてねー、って言う……あ、ごめんなさい。冗談です」

 すちゃ、と拳を構えた俺に、コレットは愛想笑いで手を振った。

 わかりゃいいんだ。わかりゃ。

「……ゼータ・エヴァーシン。貴方という人はなんてインモラルな……!」

 思い切り信じちゃってるよ、この人。

 誰か、この猪突猛進シスターをなんとかしてくれ。

「私が、教育しなおしてあげますっ!」

「待て。その鞭で、俺のナニをどう教育するつもりだお前は!?」

「決まっているじゃないですか」

 プリシラは顔を伏せる。

 前髪で表情が隠れて、どんな顔をしているのかわからないが、時折聞こえる『フフフ』とかいう笑いがなんだかとっても気味悪い。

「ふへっ」

 口が引きつるような笑い。

 ……こいつ、一体全体、どんな妄想をしているんだ。

「その教育なら、わたしがしますからプリシラさんは遠慮してください」

「えー」

「えーじゃありません」

「そしてお前にも教育される気はまったくないからな、俺は」

 オーダーをオリヴィアさんに伝えてきたフィーが、戻るなりそんなことを言う。

 というか、俺って大人気だな。ぜんぜんうれしくないけれど。

 そして、女三人寄れば姦しい(……女?)の格言どおり、俺がいるにもかかわらず女同士の会話(いや、だから一人違うだろう)で盛り上がる三人。

「ゼータさん。注文の品が出来たんで運んでください」

「……フィー。オリヴィアさんが呼んでいるぞ」

 厨房から顔を出して俺を呼ぶオリヴィアさんのことをフィーに伝える。なんか俺の名前が呼ばれた気がするが、気のせいに決まっている。俺はここの従業員ではないんだし。

「あはは、化粧なんて、わたしには似合わないですよ」

「そんなことないと思うけどなぁ……フィーさん、きっと綺麗になると思うよ。うちの雑貨屋でいいの見繕ってこようか?」

「そうですねぇ。フェアリィさんには淡い色合いが似合うと思いますよ」

「えー?」

 無視。化粧品の話なんぞで盛り上がっている。

「おい、フィー」

「でも、コレットちゃんはしないの? 綺麗なのに」

「ありがと。でも、まだ若いから、素の方がいいんだよー」

「羨ましいですね……私も、あと二年若ければ」

「フィー。おいってば」

「えー? プリシラさん、ぜんぜん若いじゃないですか」

「そうは言ってもですねぇ。やっぱり、十代の頃とは違いますよ」

「ふぃ……」

 再度呼びかけようとすると、ぐい、と頬を押された。

 ……取りに行け、ということか?

「あのなぁ、お前はウェイトレスだろうが」

「そういえば、プリシラさんっていくつなんですか?」

「ふふ……あまり女性の年齢を詮索しないでください」

「えー聞きたーい」

 ぐいぐいぐい、と押される押される。

 ……どうあっても、ウェイトレスの本分を果たす気がないということだな?

 だが、俺とてそんな甘い男ではない。フィーが行かないと言うのならば、断固として俺も動かな……

「ゼータさんっ! 冷めるでしょう!?」

 オリヴィアさんの怒鳴り声と、きらりと光る包丁に、俺はあっさり陥落した。

 しぶしぶと、給仕のために厨房に向かう。

「……オリヴィアさん。言っちゃあなんですが、いくらなんでもですね」

「わかってますよ。今回だけ、大目に見てあげてください」

 フィーが仕事をサボっていることに間違いはない。いつものオリヴィアさんなら、いくら他の客がいないとはいえお咎めなしということはないはずだ。

「どういうことです?」

「ええ。フィーが友達とおしゃべりなんて、すごく久しぶりで」

 ……む。確かに、考えてみれば俺がここに来てからフィーが友達と遊んでいたり話していたりするのを見たことがない。

 そりゃあ、お客さんと色々話していたりはしたが、あれは営業トークだったし。

「こんな仕事ですし、休みがありませんからね。働けるようになってからはずっとうちの手伝いで、友達と遊ぶ暇もなくなったんですよ」

「……従業員の一人や二人、雇えばいいじゃないですか」

 それくらいの稼ぎはあるはずだ。この風月亭は、町でも人気の店だし。というか、毎日の客の数を考えるに、母娘二人だけで回すのは限界なんじゃないだろうか。

「私もそう思うんですけどね。でも、私たちは“こんな”ですし」

 そう言って、オリヴィアさんがぽっ、と指先に炎を灯す。……魔術だ。

「従業員ともなると、けっこう気を使うんですよ。あと、ゼータさんみたいな長期滞在者にも」

 ……毎日、とはいわないが、深夜に魔術師としての修行はしているらしい。どんな修行かは門外不出ということで聞かせてもらえなかったが、確かに従業員などを雇うとバレる可能性は低くないだろう。

 バレた場合、少なくとも今の平穏な生活はなくなる。国は戦力として魔術師を強く求めている。国に所属する魔術師は俺の知る限りわずか十数名。

 多分、魔術師としてのランクはオリヴィアさんに遠く及ばないが、それでも一人の魔術師が一個中隊以上の働きをするらしい。

 どんな方法を用いても、勧誘しようとするはずだ。

「つーことは、俺は一応、信用されたって思っていいんですかね」

 それは、ちょっとうれしい。

「……まあ、なんとかは盲目といいますし」

 なんとかとはなんなんだ。とりあえず、褒められている気はしない。

「ま、とにかく。そんなわけで、あの子が友達を作れたのがうれしくてですね。おしゃべりくらい、許してあげたいんですよ」

「はいはい」

 そこまで言われて、意地を張るほど俺も子供ではない。

「ま、営業時間外ですし、俺の弟が注文した奴だし」

 そんな言い訳らしきものをオリヴィアさんにして、俺はコーヒーとパンケーキを運ぶ。

 ……しかし、本当に蜂蜜たっぷりだな、このパンケーキ。俺とコレットの仲は、こんなに甘くないんだが。

「タバスコでも入れてやろうか」

 一見甘く見えつつも、すごく辛い。まさに、俺とコレットの関係だ。

「お兄ちゃん……」

「食べ物を粗末にしないでください」

「最低ですね。やはり所詮はハンター……」

 聞いてんなよ、お前ら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さすがに、女だけ(コレットはもう気にしない)の空間に居辛くなったので、俺は屋上に上がっていた。

 最近、少し汗ばむ程度に暑くなってきたのだが、ここはいつも涼しい風が吹いているおかげで過ごしやすい。

「フィーのお気に入りなだけある」

 冬はゴメンだが、この季節はかなりいい場所だ。

 できれば昼寝でもしたいところだが、さすがに寝返りを打って落ちでもしたら洒落にならない。それはぐっと我慢。

 それに、俺には考えるべきことがある。

「……さて、どうしたもんかな、あのシスター」

 プリシラは、俺が秘跡に行こうとすると、止めようとする。

 それでも一度強引にでかけると、後をついてきて、例の秘跡の三階に行こうとした瞬間、本気で止めにかかってきた。

 もちろん、何の心得もない女がどれだけ体を張ろうと、俺を止めることなどできないが、強引に入って教会が本腰を入れられても困る。

 だからこそ、教会にはいくばくかの金さえ渡せば手を引く、と交渉を持ちかけたのだが。

「交渉の余地すらねぇんじゃなぁ。こちとら男の子ですよ」

 意地にもなる。

 一応、それなりに丁寧な文面で手紙を送りつけたのだが、先方は読むなり手紙を破り捨てたと、郵便屋代わりのプリシラは言っていた。

 大体、あの秘跡に何があるというんだ。

 あんな平凡な……

「うーむ」

 いや、待て俺。

 あの秘跡を見つけた経緯を思い出せ。

 ブロンテスが隠してあった、ハーヴェスタの秘跡の隠し区画。崩落したあそこを調査して、あの近辺に秘跡があるという情報を掴んだ。

 と、いうことはだ。

 あの秘跡は、ブロンテスとなんらかの関わりが、ある?

「おいおい」

 今まで思いつかなかったのが不思議なくらいだが、そう考える方が自然だ。

 と、すると……相当、危険なんじゃないか?

 ……気付かなきゃよかった。頭が痛い。

「ゼータさん?」

「……うーん」

「ゼータさん。無視しないでください」

 無視しているわけじゃないのだが、今はお前の相手をしている暇がないのだ、フィー。

「もういいのか?」

 だから、ほとんど考えず適当なことを尋ねる。

「はい。もうそろそろ夜の開店時間ですし」

「ならなんでここにきたんだよ」

「いえ、少しだけ時間が空いたのでゼータさんでもからかおうかと」

 暇な奴だ。

「わかったよ。付き合ってやる」

 ……ま、そもそもここで考えるだけで結論が出るわけでもないし。

「およ。いつもより素直ですね」

「なにか文句を言うだけ無駄だと悟っただけだ」

「遅いですね、悟るの」

「お前が自重してくれれば悟る必要もなかったんだがな」

 まあ、なんだかんだで、フィーとのテンポ良い会話は嫌いじゃない。俺への誹謗中傷が行き過ぎなければだが。

「まま、さっき気を使ってくれてどうもありがとうございます」

「なんだいきなり」

「いやまあ、一応です」

「……気を使ったっつーより、使わされたんだが」

「そこが減点一ですね。男だったら、進んで気を使わないと」

 悪いが、小娘相手に使う気はないんだ、とか言うと殴られそうなのでやめておく。あまり嘘をつくのもよくないし。

「へいへい。だけど、あんまり頼られても困る」

「わたしも、あまり頼りたくないから安心してください。ゼータさんに借りなんて作ると、どんな無茶な要求されるかわかりませんから」

「……そんな凄いことを言うつもりはないんだがなぁ」

 せいぜい、昼飯を奢らせたりくらいだ。

「そうやって、少しずつ借りを作ることへの抵抗を少なくしてから、一気に……って考えているんでしょう?」

「一気に……なにをするんだ、俺は」

「借金踏み倒したり?」

 ああ、それは魅力的な提案だ。そのとき、オリヴィアさんが包丁も魔術も使わず、大人しく逃がしてくれたらの話だが。

「それでですねー」

 ……そんななんでもない話をしつつ、この日は終了した。