さて、仕事だ。
昨日はフィーに付き合わされて、秘跡に行くことは出来なかった。久方ぶりの休日(?)だったのに、秘跡行くよりずっと疲れたのは気のせいとしておこう。
昨日、一昨日と連続で屋上から落ちたせいでズキズキと痛む体を抱え、俺はいつものルートを一歩一歩進んでいく。
「あン?」
突然、少し前にある草むらがガサガサと揺れたかと思うと、そこから一つの影が飛び出してきた。
狼だ。普通の狼より一回りデカイ。所謂、森狼というやつだ。
性質は獰猛、食性は肉食。同じ種族以外の動くものなら何でも食う悪食で、火も恐れない。森の中では会ってはいけない動物の上位に位置するやつだ。
その姿を確認した途端、俺の体は勝手に重心を落とし、いつでも武器を取り出せるよう構えていた。
「ルァアアア!」
威嚇するように低い唸り声を上ながら突進してくるそいつを、俺は油断なく観察する。ちょっとでも視線を逸らそうものなら、その瞬間に俺の死は決定だろう。
懐に入れた手が触れる固い感触を確かめ、一気に抜き放つ。
「グァッ!」
さらにスピードを上げる狼。だが、それより俺の武器はずっと早い。
黒光りする鉄の塊。未だ王都の軍でさえ一部でしか採用していない銃と言う武器。今はまだ普及していないが、人が持つ武器で、これほど手軽に威力を得られるものはないだろう。
撃鉄を起こし、軽く狙いを定めて、引き金を引く。
幼い頃から散々仕込まれてきているので、その動作はもう脊髄反射の領域である。
弾丸は正確に狼の胴体を穿ち、血を撒き散らす。
痛みに暴れまくるそいつに、念のためにもう一発叩き込む。完全に絶命したのを確認して、銃を懐に収めた。
「あ〜、また二発も使っちまったか」
だが、仕方がない。一発目で動きを止めて、二発目で仕留める。これが一番確実だ。俺程度の腕では、高速で動く動物の急所を一発で貫くなどできるはずもない。
弾丸一発作るだけで、俺の食費が一気に飛んでいくので、なるべく使いたくはないのだが……
「剣でも覚えようかなぁ……」
呟いて、即座に却下する。俺の運動神経はお世辞にも良いとは言えない。手慰み程度には使えるが、こんなケダモノ相手にだって遅れを取りそうな腕だ。
……まぁ、暇が出来たら少しずつ鍛えることにしよう。
とりあえず、そう結論付けて、これ以上弾を消費しないように、俺は足を早めようとする。
「……けど、その前に」
その場で首を後ろに回し、俺の右斜め後ろの方に視線を向ける。
慌てて気配を消そうとする雰囲気を感じ取る。が、一旦気付いたら、いくら俺でも見逃したりはしない。
「誰だ」
すぐに銃を抜けるようにしておいて声をかける。
多分、町からずっとつけられていたのだろう。ついさっきまで気付くことは出来なかったが、そいつが森狼に向けた殺気のおかげで、やっと存在を察することが出来た。
はっきり言って、俺個人には人に尾行されるような後ろ暗い過去なんてない。……ああ、いや。露店でおつり誤魔化したり、そこらにあるガラクタを秘跡から出た貴重なアイテムとして質屋に売ったり、風月亭のツケを溜めていたりはするが、その程度だ。
……その程度だって。
でも、俺の実家関係なら話は別だ。あの家なら、ヤバイ所の恨みを買ってたりしても不思議じゃない。一人息子の俺に方にとばっちりが来るのも……迷惑極まりないが、わからなくもない。
ほとほと、厄介な家系に生まれついたもんだ。
「いやはや。撃たないでくださいね?」
苦笑しながら、そう言って出てきたのは……昨日、俺が風月亭に案内してやったやつだった。
「アル?」
とりあえず警戒を解く。一瞬、コイツがどっかからの刺客だっていう仮説が浮かび上がるが、即却下。俺をどうにかするなら風月亭で俺の寝首をかく方がずっと確実だったはずだ。
「はい。いやぁ、見事な射撃でしたねゼータさん」
「別に。大したもんじゃねぇよ」
「それに、その銃もスゴイ。王国が正式採用している型の、二十年は先を行ってますね。さすがは、かのエヴァーシン家の嫡男だ」
「……驚いた。最近の吟遊詩人は、国の軍事事情にまで通じてんのか。俺の実家のことも、お見通しってか?」
警戒心が再燃する。
が、アルはあっさりと俺の傍にまで近付いていた。あまりにも自然な動作だから、抜く暇もなかった。
……待て。どう考えても素人に出来る動きじゃないぞ?
「とりあえず、秘跡に行きませんか? ここだと、その獣の血の匂いをかぎつけて、他の動物が寄ってくるかもしれませんし」
「……ああ」
とりあえずはいきなりばっさりやられる心配はなさそうだし、断る理由もない。
俺たちは連れ立って、秘跡へと向かうのだった。
……しかし、この森、タダでさえ蒸し暑いのに、男二人だと不快指数が二百は上がるな。うん。
秘跡に着くと、まっさきに地下二階へ降りる。
付いて来るアルに、秘跡での注意事項を伝えようと思ったが、その必要もないくらい手馴れていた。
俺が調べものに入ると、『手伝います』と壁を触ったり床を調べたりしている。その動作も、秘跡の扱いを知っているもののそれだった。
「……アル。お前、実はルインハンターだったのか?」
「いえ、違います」
「でも、吟遊詩人でもないだろ」
沈黙。肯定の意味だろう。かすかに頷く仕草をして見せた。
「私は、国の諜報員――のようなものです。各町をこの格好で巡って、見聞し。中央政府に報告するのが仕事なんです」
「噂の“王の耳”か」
「はい。……これは、オフレコでお願いしますよ? 知られると、動きにくくなるので」
「構わんけどな。なんで、そんな御仁がハーヴェスタの町なんかに? はっきり言って、田舎だろ」
“王の耳”が、田舎に来ない、というわけではない。ただ、確かアルは風月亭に一週間分の宿賃を払っていた。普通、あんな小さな町、全部観察するのに三日とかからないはずなのだが。
「そうですね……あえて言うなら、ゼータさんと同じ目的かと」
ピシリ、と俺は完全に固まった。
「先日、国の研究所で、ある古文書が解読されたんです。詳しい内容は教えてもらえませんでしたが……なんでも、このハーヴェスタの秘跡に、トンデモナイ兵器が眠っている可能性があるそうで」
アルの説明も、右から左に突き抜けていく。
……この秘跡にあるものは、エヴァーシン家の秘密そのものだ。それを、一部とは言え、国がかぎつけた……多分、見つけたこと自体は偶然だろうが、ここにあるものをアルが報告すれば、国は血眼になって捜し求める事になるだろう。
「だけど、そんなものが発掘されたなんて記録はない。それで詳しく調べるため、私が派遣されたわけです。本来なら、一週間ほど調べて切り上げるつもりだったんですが……ゼータさんが気にしているってことは、まるっきり眉唾ってわけでもなさそうですね」
マズイ。
マズイマズイマズイマズイマズイ。
「ずっと謎にされてたんですよ。王国を遥かに超える技術を持つ、王都一の武器商人エヴァーシン家の長男が、必ず若い頃ハンターを経験しているって話。ゼータさんと初めて会った時は、名前は知っていたものの、不覚にも気付けませんでした。あまりにも……ごほん、いや失礼」
「コラ。あまりにも……なんだ? オイ」
ドスを利かせながらアルに詰め寄る。あわよくば、話題の転換が出来れば……と期待していたのだが、流石に諜報員さんはつわものだった。
「ゼータさん。一体なにを探しているのか、教えてくれませんかね? 悪いようにはしませんから」
「……企業秘密だ」
「これは私個人の推測ですが、そのなにかがエヴァーシン家のトンデモ技術の源なんじゃないですか?」
「それは違う。だから追求するな。お前には全く意味の無いものだって」
それは、世に出してよいモノではない。余りにも無意味、かつ物騒な代物なのだ。
「オヤ? これは……」
「――!! どけっ!」
なにかを見つけたような声を出すアルに、俺は敏感に反応する。一瞬で後ろの壁を調べていたアルの元に飛び、アルを引っこ抜いて壁に向かう。
……あれ?
「ちょっとハッタリかましてみただけなんですが……なるほど。この秘跡になにかがあることは確からしい。わざわざ正体を明かした甲斐がありました」
「……てんめぇ。虫も殺さないような顔して、随分性格悪いじゃねぇか」
「これでも腹芸は得意でして」
まったく悪びれもしねぇ……。紳士的な悪人って、一番タチ悪いような気がする。
「ゼータさん。秘跡に関しては貴方の方がプロですが……一応、私もそれなりに学んできています。ここは一つ、早い者勝ちと行きましょう。それで恨みっこなしということで」
「……もしお前が先に見つけたら、絶対に撃ってやる」
「おやおや。これは穏やかじゃない」
肩をすくめて見せるアル。
だが、問答無用でそうでもしなければ、俺がヤバイ。
多分、荒事となったら、こいつは俺なんか問題にしないだろう。……いや、むしろ寝込みを襲ったほうが確実か? なぁに。ちょいと足をコキャッ、とするだけだ。一ヶ月もすれば治るだろう。
「ああ、言っておきますが、ゼータさんがそういう手段に訴えるならば、私もそれ相応の対応をさせてもらうつもりなので……覚悟はして置いてくださいね?」
と、殺気を向けてくるアル。
「ハ、ッハッハッハ。ヤダナァ、アルヴィンクン。ボクガソンナコトスルワケナイジャナイカ」
俺は、秘跡の扱いならばプロだが、対人戦は素人に毛が生えた程度しかない。恐らく、戦闘訓練も相当積んでいるアルを相手にしては勝ち目が……ていうか、命がない。
「いえ、ゼータさんならやりかねません」
「ってコラ。会ったばっかなのに、なんでんなことが言えんだよ」
「いえ。昨日オリヴィアさんとフェアリィさんから、ゼータさんの言うことは九割嘘と食ってかかれ、と忠告されまして」
「……あんの母娘め」
いつか復讐してやる。具体的には、今晩の飯で、やつらの使うドレッシングにタバスコ仕込んでみたり――!
「そういえば、こうも言ってました。ゼータさんは子供っぽい悪戯をするから困るって」
「こ、子供っぽいだぁ!?」
ぬう、これは看過できん発言だ。ここは、更なる復讐の術を考えなくてはなるまい。
よぉし。ここはさり気なく俺の下着を廊下に置いてキャー言わせたる! フィーにはそれで言いとして、オリヴィアさんは……風呂でも覗いてやるかな。そして、あわよくば……
ククク見ておれよ。じゅるりと垂れる涎を拭きながら、俺は邪悪な笑みを浮かべた。
「あー。なにかよからぬことを考えてますね……」
そんな俺を、アルは呆れた視線で見ていた。……くそっ、同じ男として絶好の覗きスポットに案内してやろうかと思ったが、お前なんか連れてってやらんからな!
そして、何も収穫もなく帰還。
風月亭に帰るなり、オリヴィアさんは俺を突き飛ばしてアルに駆け寄った。
「アルヴィンさん、大丈夫ですか!? ゼータくんにカツアゲされたりしませんでしたか?」
いきなりそんなことを抜かすオリヴィアさん。……ねぇ、もはや文句を言う気力もないんですけど、俺の扱いに付いてトコトン言及したい今日この頃だなぁ。
「ゼータさん。まさか……いくらお金に困っているからって」
「ちょっと待てフィー。お前は俺のこと信じてくれるよな? 俺がそんなことするはずないだろう?」
無駄とは知りつつ、俺は目を潤ませて上目遣いにフィーを見た。よし、コレが萌えポイントだ!
「ああ……お金は持ってないって言うアルさんに、『じゃあ、ちょっとジャンプして見ろよ。……あァ? なんだ、そのチャラチャラって音は。どぉれどれ……なんだ金持ってんじゃねぇか。他には隠してないだろうなぁ? ドゴッ(腹に膝蹴り)』って言うゼータさんの姿が見える……」
「見んなンなもん!」
フィーは妄想力逞しすぎる!
ええい、味方は……おお、アル本人が否定すれば万事解決ジャン!
「あ、アル! お前からもこのボケ母娘に何か言ってやってくれ!」
困ったように頬をかくアルに嘆願する。『はぁ』と、頼りなさげな声で答えるアルだが、俺にとってはこの上ない味方だ。
「お二人とも。余り取り乱さないでください。私は、ゼータさんのお仕事を見学させてもらっただけです。特に暴力を受けた覚えはありません」
おお、完璧な解答! 自分の正体は巧妙に隠しつつ、俺の無実を証明してくれた。
「いけません。泣き寝入りしてもいいことなんてありませんよ? わたしならゼータくんが貴方に手を出さないようヤキ入れるくらい簡単ですから、本当の事を仰ってください」
「待て。いくらなんでも俺を悪者にしすぎ! もう少し人を信じる事を覚えよう!」
うん、いいこと言った。
だが、フィーはそんな名言を放った俺を、後ろから羽交い絞めにする。
「な、何の真似だ?」
「もう。ゼータさんがいたら、アルさんも怖がって本当のこと言えないじゃないですか。ちょっと席外してください」
「俺が何もしてないっていう選択肢はお前らの脳味噌にはないのか!?」
「ありませんそんなもん。さぁ、早く外に」
と、その細い体からは想像も出来ないほどの力で俺を引っ張っていくフィー。
むう……しかし、この体勢だとその貧相な胸の感触が背中に当たって……なんていうか泣けてくる。うーん、親はアレなのに、フィーのやつめ。少々発育不良気味だな。
「……ゼータさん、なに考え込んでるんですか?」
「いやぁ。フィーはあまり育ってないなぁ、って」
「なんのこと……!?」
俺の言わんとしたことがわかったのか、さあ、とフィーの顔が紅く染まる。
あれ? もしかして俺、地雷踏んだ?
「えい」
「ぐげっ!?」
フィーは一旦俺を開放し、しゃがみこむ。そして、俺の足首を掴んで、一気に持ち上げた。
当然、俺は床に倒れこんでしまう。顔面から。
「な、なにすんだフィー!?」
「さあて。ゴミはちゃんと捨てないといけませんね〜♪」
俺の抗議を聞く耳を持っていないのか、フィーは鼻歌まで歌いながらそのまま俺を引っ張っていく。
「ぎゃッ!? 頭、頭打ったぞ今! ええい、自分で外に出るから離……いででで!? フィー、ドア閉めんな、指挟んでる指ぃ!」
阿鼻叫喚。
そんな単語が、俺の頭の中を踊り狂っているのだった。
「うう〜入れてくれよぉ。フィ〜。謝るからさぁ」
どんどん、と力なく風月亭のドアを叩く俺。アルに対するカツアゲ疑惑は晴れたようだが、フィーはそれ以上に俺の発言を許せないらしく締め出しを喰らってしまった。
晩飯食ってないので、空腹感はそろそろ限界に達してきている。
そんな俺を押しのけるようにドアが開かれ中からフィーが顔を出し、
「ええと……塩、塩」
ぱっぱ、と清め塩が撒かれた。……そこまでするか。
「フィー、いじめカッコ悪い! いじめカッコ悪い!」
抗議の声ももはや届かない。
風月亭の中では、オリヴィアさんお手製の料理と酒に舌鼓を打つ客の声が響いている。……扉一枚隔てているだけなのに、向こうは天国こっちは地獄。
道行く人々の奇異の目も痛い。
兄ちゃんも災難だねぇ、と中で笑うオヤジの声。そう思うんだったら助けろよ!!
……無理か。怒った時のフィーの怖さは、常連さんだったら誰でも知っている。
ちょっとヤツにセクハラしたとある客が、次の日には燃えないゴミとして捨てられていたのは記憶に新しい。
でもさぁ、俺はちょっとコメントしただけじゃん。そんなに怒んなくたって……
「うおおおお〜〜〜! フィー、開けろ! 開けろ! 開けろ!」
そろそろ空腹のせいで理性が飛んできた。
俺は獣のような声を上げながら、いつまでも風月亭の入り口を叩き続けるのだった。そう、いつまでも、いつまでも。
……あ、なんか泣けてきた。