「フィー」
呼びかけると、フィーは顔を逸らした。
「フィー。お前、この辺に住んで何年になる?」
「さ、さぁ? 生まれたときからですけど」
白々しい笑顔。まるで『わたしには何の責任もありませんよー』と主張するかのよう。
しかし、この状況は間違いなくこやつのせいだ。ついさっきまで、先を走っていたのはフィーであるため。
「だったら――」
前に固定した視線は動かさず、視界の意識を外に広げて後ろの『壁』を見る。
「なんで! こんな袋小路に来たんだよ!?」
そう。俺たちは今、ゴーレムどもに半円上に囲まれていた。
後ろにはゴーレムはいない。いる必要がないため。
背後にあるのは崖だ。崖と入っても、ほんの五メートルくらいの小さなものだが、いかに魔術効果で身体能力が上がっているとはいえ、容易に飛び越えられるほどでもない。
行き止まりにぶち当たって、なんとか上ろうとしたところで追いつかれた、という状況。
「し、仕方ないじゃないですか。わたしは普段森になんて来ないんですから。それを言うなら、普段ここら辺を歩いているゼータさんが気付くべきだったんじゃないですか?」
「馬鹿。それでも、お前が自信満々に前を走っていたから付いていったんだ、俺は」
俺たちが不毛な責任の擦り付け合いをしている合間にも、機械であるゴーレムたちの動きはよどみがない。
お互いの顔を合わせるような仕草をし(おそらく通信でもって同期を取っている)、その中の三体が火砲を構える。
他の連中は、こちらを注意深く探ってくるだけで、隙を見せない。
「……げっ、流石古代文明の工場製。ロジックもしっかりしてんな」
人間二人を殺すのに、そんな大火力は必要ない。ゴーレムの携行用火器なら一発で十分オーバーキルだ。
囲んでいるゴーレム全てで撃つのは弾薬の無駄だし、弾の装填時に無用な隙ができる。
……案の定、撃鉄を引き起こしたのは、真ん中のゴーレム一体だけ。残りの二体は、粉塵にまぎれて逃げる俺たちの警戒というところか。
「やれやれ。火器が現行なのが唯一の救いか」
撃鉄を引き起こし、トリガーを引くシングルアクション。ゴーレムの粗雑な指間接では弾を撃つためにそれなりに時間がかかるのと、もう一つ。
「フィー。合図したら、すぐあの糞ゴーレムに向かって走れ」
「は? もしかしてわたしを囮に……」
「こんなときまで冗談を言ってる場合か。いいか、すぐ走れよ」
正直、うまく行くかどうかはもうほとんど神頼み。
でも、いくらゼロに近かろうが、生きる死ぬのこの状況では選択の余地もない。
「……さて」
ちゃらり、と懐から懐中時計型仕込銃を取り出す。
それにゴーレムたちは反応することはない。既に一発、連中に撃ったから、これが脅威にならないという情報が全員で共有されているのだろう。
確かにこいつの火力は貧弱だ。現在装填されているのはゴム弾のみ。実弾であっても、連中の装甲に蚊が刺した程度にしか効果がない。
「ゼータさん。あの、わたし前から一つ、言いたかったことがあるんですけどね」
ゴーレムが撃鉄を起こすのを見て、フィーがぽつりと言う。
「……帰ってから聞いてやる。今は、俺の合図を待て」
タイミングが命だ。
ゴーレムのぶっとい指がトリガーにかかり、ぐっ、と力を入れる、その一瞬。
「行けっ!」
俺は、フィーに呼びかけると同時、手の中の銃をぶっ放した。
惚れ惚れするような早業。
弾丸は、狙い違わず、ゴーレムの持つ火砲の撃鉄の位置に突き刺さり、
「ええ!?」
驚いてないで走れ、フィー。
まあ仕方がない。俺自身も走り始めて、ちらりと周囲のゴーレムを見渡すと、連中にも動揺の色が伺える。……まあ、ゴーレムの場合、動揺というか、これからの行動を決めかねているというのが正しいが。
砲を構えていたもう二体が慌てた様子(これも当然、動きから判断)で撃とうとするが……その頃にはもう、フィーは最初に撃とうとしたゴーレムに飛び蹴りを食らわせていた。
「……やっぱりお前、野蛮だ、なっ!」
実はもう弾切れの懐中時計型銃を投げつける。
それでなんとか一瞬のタイムラグを稼ぎ、俺もなんとか包囲網から突破できた。
ある程度近付けば、連中は同士討ちを恐れて火器は使わない。
「……あ、こらっ! なに止まってんだっ!? 走れ走れ走れっ!」
たわけたことに、呆然と突っ立ったままのフィーを急かすが、なにやら動かない。
……?
「ぜ、ゼータさん。あれ」
「あれ……って、ぬなっ!」
思わず変な声が漏れた。
それもそのはず、フィーが指差す方には、さらに二十体ほどのゴーレムが……
「……いや、コレット。あまりフィーをビビらすんじゃない」
「あれー? 気付くの早いねー」
ひょい、と先頭のゴーレムの影から、コレットが顔を見せた。
最初は敵の増援か、とも思ったが、ここで俺たち相手に増援を投入するなら、もっと早い段階でしていたはずだし……第一、ゴーレムの全てに角が付いている。これはコレットの趣味だ。
趣味悪いなぁ。
「いやぁ、とりあえず一体発掘して修理したらあとはとんとん拍子にね。さっすが古代文明の技術を流用してるだけあって、同属のゴーレムなら軽い修理は出来るみたい。……中身ばらしてロジック調べたいなぁ」
「下らんことを言ってないで……」
びしっ、と俺は後ろからおっとり刀で俺たちを追いかけてくるゴーレムを指差す。
「とっととやれっ!」
「りょ〜かい」
コレットは、自分の修理したゴーレムたちに指令を下した。
「蹂躙しろっ!」
……こいつ、実は結構危険なやつじゃね?
オリヴィアは、そっと息を吐いた。
足元には、ピクピクとまだ痙攣をするドルネ以下、彼の護衛たちが横たわっている。
……リーダーで司教のドルネが一番ビビっていたのは、まあ器が小さいと思わざるを得なかったが。
「あんなに怯えなくても、ねぇ? そんなにあたしが怖いのかしら」
ゼータの反応を鑑みるに、その可能性は大いにある。
あたしはこんなに美人なのに、と一児の母はほのかに間違った思考で悩む。そも、わざわざ怯えさせるような口上をしたのは当の本人だというのに。
「じゃ、これからはくれぐれも魔術師を敵に回さないように。あとはゼータさんに任せますから」
それだけ言って、オリヴィアは来た時と同じように、空間に溶けるようにしてその部屋から消えた。
直後、気絶したドルネたちは目が覚める。
まるで長い夢を見た後のようにボーっとした様子で周囲を見つめ、はたと我に返った。
「そ、そうだっ! 今すぐ、秘跡に人員を後れ! エヴァーシンの小僧どもに破壊などさせるな!」
必死になって指示を飛ばす。
既に、彼らの記憶からエルラント家が魔術師である、という情報は消えうせていた。
「うわぁ……すごいですね」
文字通り蹂躙だった。
コレットが連れてきたゴーレムたちは、圧倒的な連携で、ほとんど被害を出さずに俺たちを追ってきたゴーレムを殲滅した。
「……コレット。戦闘ロジックを弄ったな」
「うんー。ちょこちょこバグがあったから」
とりあえず、ニコニコ笑ってくるコレットの頭を殴った。
「い、ったー! なにすんのさ」
「そんなことしてたから遅れたんだろう」
「う……」
兄の大ピンチに、コイツは嬉々として趣味を優先させたのだ。許せるわけがない。帰ってからもこってり絞ってやる。
「さて……帰るかー」
「うん。あ、あのゴーレムはエヴァーシンの販売行きだね。ちゃんと適正な相手に売りつけるから大丈夫」
「……しっかりしてんな」
「ふふふ。まあ、ちょいと強奪してもラナ教はなにも言えないよ。なにせ、『一体どこから盗んできたのか』に答えられないんだもん」
それを道具にして、ラナ教と交渉するのもいいかもねー、などと外道なことを言う弟。
やはりコイツは俺とは違う。そういう政治事は、俺にはまったく向いていない。
「あ、でもそうするとフィーお姉ちゃんがマズイ?」
「え? わたしですか」
「そう。魔術師だってこと、バレてるんじゃないの?」
ヒキッ、とフィーが硬直した。
「……ゼータさん」
「おう。俺が話した」
無言で殴られた。
「なにをする」
「秘密だって言ったじゃないですかぁ!」
「大丈夫だ。コレットはこう見えて……こう見えて、口は固いほうだから」
「なんで『こう見えて』って二回言うの?」
コレットが口を尖らせるが、知ったことか。女装男に言う資格はねぇ。
「ちなみにコレット、フィー。そっちは大丈夫だ。オリヴィアさんに確認した」
「? なにを」
「人の記憶をどうこうできるのか、ってな。すごい疲れるし高度で繊細だけど、不可能じゃないとさ」
もし駄目だったら、俺もマジにならざるを得なかったが、オリヴィアさんがいけると答えてくれたおかげでなんとかなった。
「ああ……確かに、そういう魔術はありますね。私は使えませんが」
難しいんですよ? とフィーは言うが、俺にわかるはずもない。
「ま、帰って飯でも食おうぜ。俺は腹減ったよ」
まあ、とりあえず一件落着、かね。
とりあえず、その後の経緯も話しておこうか。
「ゼータさぁんっ! そろそろ、宿代を払ってくださいっ!」
「ふっ、払えん!」
断言してやると、フィーは持っていたモップで俺の頭を叩いた。
「なんで払えないんですかっ!?」
「金がないからだ」
続けて、モップを回転させ、その遠心力でもって先ほどより強力な一撃を放ってくる。
「な・ん・で、お金がないのか聞いているんですっ!」
「今潜ってる秘跡は人の手が入りまくりだからなぁ……もっと深部に行かないと、どうにも」
ああ、今更だが、あのときのゴーレム、一体くらいパクってくればよかった。そうれば、ここの宿代、十年払ってもおつりが来るって言うのに。
「まったく。甲斐性なし。いい気味ね。ハンター」
「……そして、なんでテメエはいとも当然のようにここに居座っているのかなぁ、アアァン?」
全力で俺はしれっと紅茶を飲んでいるシスターにメンチを切る。
「失敬な。私は私で忙しいんです。ただここのお茶は美味しいので、少し休憩に来ているだけです」
「というか、いい加減俺に慰謝料を払えよ、コノヤロウ」
「慰謝料? なんのことだかわかりかねますね」
結局。
エヴァーシン家とラナ教の『高度に政治的な交渉』によって、俺に対する嫌がらせは収まった。
例のドルネとかいう司教は別の教区に左遷。
結局、このハーヴェスタの街の教会は、その規模に見合ったまとめ役として、人のいい神父が担うことになった。……いっぺん会ったけど、ありゃあ本当に善人だ。
頼むから、その徳でもって、この腐れシスターをなんとか教育して欲しい。
「おにいちゃーん! お弁当作ってきたよー」
「二番煎じはやめろ!」
飛び込んできた不肖の弟を一言で切って捨てる。
「え? でもお腹空いているんじゃない?」
「う……」
何を隠そう、昨日から水とフィーが好意でくれたパンを一つしか口にしていない。確かに空腹は限界だが……まだ多少は余裕がある。
みすみす弟のお手製弁当(ハートマーク付き)に手を出すべきか否か……。
「いや、まだプライドが勝つ」
「ちぇ、またの機会かぁ?」
いやにあっさり引き下がった。
多分、そろそろこの芸風にも飽きてきたんだろう。そういう奴だ、こいつは。
「ゼータさん? いいんですか、本当に」
「なぁに。まだまだ。水分があれば、まだ人間イケルイケル」
「もうわたしを当てにしないで下さいね」
フィーが口を尖らせて言う。
ふん……こっちもお前をあてにするつもりなんぞない。見ていろよ。そのうちほえ面かかしてやるからな。
「ん?」
ふと、思い出した。
別に何のことはない。やっとこの前の事件が落ち着いて、あのときのことを思い出しただけ。
「そう言えばフィー。前、ゴーレムに囲まれたとき、なんか言いたいことがあるとか言っていなかったけ?」
フィーが皿を落とした。割れた。
こらー! というオリヴィアさんの声が厨房から響く。
「な、なんのことでしょう?」
「なんだ。動揺しやがって」
「さあわかりませんわかりませんわかりません。さて、片付けないとー!」
やけに不自然な動きでフィーが箒を取りに行く。
本当になんなんだ?
「いやー、青春だねー」
「……またいきなりだな。コレット。お前のは青い春じゃなくてなんつーかドドメ色の春っぽいが」
「失敬な。お兄ちゃんに言われたくないよ。……ま、頑張ったら?」
なにを、と聞く前にコレットは再びシスターと談笑をし始めた。
フィーがトコトコと戻ってくる。
……はぁ。まあいい。
とりあえず、今日も、秘跡に行かないと、な。