昼ごはんを食べた後、ゼータは『優雅な午睡を楽しんでくるぜ』と部屋に引きこもりに行ってしまった。
ゼータ宛の手紙を手に、フィーはため息をつく。
「まったく。休みだからってぐーたらしすぎです」
こちとら新年祭から生誕祭まで、年中無休だというのに。
ほぼ自由業の彼は、好きなときに休んで好きなときに働いている。
ルインハンターというのが、相応の危険と収入の不安定さがあるというのは重々承知しているフィーだが、それでもその好き勝手な生き様に理不尽なものを感じざるを得ない。
「大体、誰からなんですか」
不躾だとは思いながらも、フィーは手紙をひっくり返して差出人の名前を見る。
女の名前だった。
「ひきっ」
「どうしたの、フィー?」
厨房で仕込みをしていたオリヴィアが、娘の奇妙な声に顔を出す。
「な、なんでもありませんっ」
「そう?」
「と、ところでお母さん。ゼータさんご家族の人って知っています?」
「前聞いたことあるけど……。ご両親と弟さんの四人家族だそうよ」
それがなに? と視線で尋ねてくるオリヴィアに、なんでもないと手を振ってからフィーは内心の動揺を隠す。
「その、お母さんの名前はわかります?」
「えーと……ウーノさん、だったかしら」
……差出人の名前と違っていた。
「ふ、ふふふ」
「どうしたのフィー。なんか魔力が漏れているわよ?」
一応、フィーとて魔術師の端くれである。ちょっと修行サボってるけど。
とにかく、魔術師とは世界の理を解き明かし、魔力と術式でもってその世界にちょっとだけ干渉する者。
つまり、冷静さが求められる。そう、わたしは冷静、わたしは冷静、と自身に語りかけるフィーは、そんなことを言っている時点で冷静じゃないことに気がついていない。
「お母さん。ちょっと、わたしゼータさんと話すことあるから」
「え? 構わないけど、また襲われないように気をつけなさいよ。いざとなったら、魔術で黒焦げにしてあげなさい」
冗談なのかそうでないのか、いまいち判断のつきかねるアドバイスを神妙に受け、フィーは自分の怒りの出所たるボンクラの元に向かう。
なんだ。故郷に恋人がいるのではないか。わたしは現地妻か。いや、妻じゃないけど。
などと、フィーの思考は絶賛空回り中。普段、ゼータのことを馬鹿にしているくせに、この辺りは結構似ている。
「ゼータさんっ」
ばんっ、と部屋に入る。
中の住人は、宣言どおり昼寝中だが、さすがに耳元で怒鳴られると飛び起きた。
「ゼーーータさんっ」
「のわ!? 敵襲!?」
「なに寝ぼけているんですか」
「……なんだ、フィー。俺の優雅な午後を邪魔して」
「なんだ、って……」
さて、ここで自分はどう答えるべきなんだろう? とフィーはたっぷり十秒ほど黙考する。
「…………ゼータさん。手紙です」
「あ、ああ」
結局、ここで文句を言うとなんか負けを認めた気分になるので、普通に手紙を渡した。
フィーの剣幕に、ゼータは突っ込みを入れることも出来ない。
「恋人さんからですか? ゼータさんにも、そんな人がいるんですねー」
「……こ・い・び・と?」
まるで未知の単語を聞いたかのように、ゼータは首をかしげた。
「なんだそれは」
「別に、隠さなくてもいいです。差出人の方、女性ですよね」
「へ?」
ひっくり返して差出人の名前を見たゼータは非常に微妙な顔になった。
「……ああ。女の名前だな」
「お母さんから聞いたんですけど、それってゼータさんのお母さんじゃないですよね」
「こいつが母親だったら、俺は落ち込む」
「家族じゃない女性からの手紙……これは、ゼータさんにも、ありえないことに、なぜか、世界七不思議のひとつに数えてもいいくらいの天文学的確率で、恋人がいたのかと」
「お前、怒ってる?」
「怒ってませんっ!」
そんなにムキになれば、答えているも同然なのだが。
「……あー、まあ、とりあえず、それはお前の勘違い」
「勘違いですか。そうですか。別に隠さなくてもいいですよ」
「聞け。大体、恋人なんかがいたら俺はもっと幸せなはずだ」
切実な叫びだった。
誰か、俺に愛をくれよっ、と今にも叫びそうだった。
「そして、こいつはな……」
ゼータが“それ”を言おうとした瞬間、階下で派手に扉を開ける音がした。
『やっほーい、お兄ちゃーんっ! 来ちゃったー』
なにやら、大きな声。
「なんでしょうか、乱暴なお客さんですね……ゼータさん?」
突然、会話が寸断されて、フィーが文句を言っていると、ゼータの方はなにやら完璧硬直中。
「ど、どうしたんですか?」
「……あの、ヤロウ」
毟るようにしてゼータが手紙の封を破る。
その間にも、下ではやたら通る声で、先ほどきた客がしゃべっていた。
『ねーねー、お兄ちゃんどこー? ほら、ゼータ・エヴァーシン』
その声の内容に驚くフィーにも構わず、ゼータは手紙を読み進める。
それにはこうあった。
『ディアマイスイートブラザー
やっほい。コレットでっす。
とりあえず、ご先祖サマの兵器封印おめでとうー。
でも帰ってこないのは寂しいなー。ってことでそっち行くから
貴方の可愛い妹、コレットより』
短い文面。手紙の体裁は整っておらず、字も丸っこくて読み辛い。
「というか、馬鹿にしているだろう」
ゼータはその手紙を破り捨てた。
どたどたと階段を上る音がする。
その足音の主はゼータの部屋の前まで来ると、何の遠慮もなく扉を開け放った。
「お兄ちゃんっ、久しぶりー」
きゃっほーい、と叫びながらダイブしてくる金髪の美少女を、ゼータは華麗によけた。
「うわぷっ!?」
その少女は、見事ベッドに着地。
ゼータは間髪いれず少女を布団で包み、枕を頭に押し付けた。
「さて、フィー。俺はしばらく身を隠す。そいつになにか聞かれたら、俺は東の空に走っていったと伝えてくれ」
「え? え?」
あまりの超展開に脳みその処理がおっつかないフィーに言い含め、ゼータは立ち去ろうとし、
「待ってくださいっ」
そのフィーに、首根っこを掴まれた。
「ぐふっ!」
全力で走ろうとしていたため、思い切り首が締め付けられた。
「この人、誰ですか?」
「ごほっ……ええい、お兄ちゃんつってたろ。妹だよ、妹」
「嘘です。お母さん、ゼータさんには弟しかいないって言ってました」
ゼータは天井を見上げる。なにか、言葉を捜しているように見えた。
「……義理の妹だ。家にはこいつの他にも、あと十一人の美少女妹が俺の帰りを待っている」
「ゼータさん、わたしに嘘は通じませんよ」
他の人ならばともかく、フィーはゼータの嘘だけは見破る自信があった。
だって、単純だし。大体、今のは嘘をつくにしても言いすぎだろう。
「ぐっ……なにも聞くな」
「よもや、この娘にお金を握らせて、無理矢理言わせているんじゃないでしょうね」
「言わせるかっ! どうせそんな手を使うなら、もっと可愛い子に頼むわっ!」
「……冗談だったんですが、可愛い子になら呼ばれたいんですか」
「うわっ、フィー。お前なんか怖いっ。今のは言葉の綾だーー!」
ゼータとフィーがいつもの漫才を繰り広げている間、布団に包まれた少女は這い出ていた。
「う……ひどいよ、お兄ちゃん」
「……は?」
騒動が一段落し、準備中の食堂でお茶を飲みながら告げた俺の一言は、フィーは硬直させた。
「ゼータさん。今、なんて言いました?」
信じられないのはわかる。わかるがフィー、俺はいたってマジなんだよ。
「だから。こいつ、コレットは……俺の、弟なんだよ」
「体は弟、魂は妹だよ、お兄ちゃん」
「体も妹になってから出直して来い」
たわけたことを言い出したコレットにチョップを食らわせる。
「え? でも……可愛いですよ?」
「お姉ちゃん、ありがとう」
フィーのほめ言葉に、にっこり笑顔で返すコレット。……この笑顔に騙されたやつが、俺の実家の近所には何十人といる。
「腹立たしいことに、確かにフィーよりよっぽど可愛いんだが……」
ごきっ、といやな音がした。
「……なかなか痛いぞ」
「ゼータさん。わざわざわたしを引き合いに出す必要ありましたか?」
「なかった。なかったから、脛はやめて。痛いから」
テーブルの下で見えないことをいいことに、フィーが俺の脛を蹴りやがったのだ。
いかに俺が三国一の豪傑だとしても、脛はやばい。自然、態度が低姿勢になる。
「あまり身内の恥をさらしたくなかったんだが……こいつ、昔っからこうなんだよ」
物心ついたころから、男の遊びより女の遊びの方が好きなやつだった。
それでも、まだ小さいころはまともだったんだが……十歳ぐらいから髪を伸ばし始めて、それからは奈落に転げ落ちるがごとく、一端の美少女になってしまっていた。
大体あれだ。親父のやつが縁起のいい名前だからって女っぽい名前を付けたのがまず間違い。
「なんていうか……流石はゼータさんの肉親……」
「おい、それはどういう意味だ」
「いや、だって。ゼータさんも変人ですし」
「さらりと言いやがったな、この野郎……」
顔が引きつる。
前から思っていたのだが、フィーは俺のことを相当軽く見ているのではないだろうか。
「それで、そのコレットさんは、何故ハーヴェスタに来たんですか?」
「もっちろん、お兄ちゃんに会いにー」
抱きつこうとしてきたコレットを、頭を抑えて撃墜する。
「うう、いけずー」
「いけずで結構。男に抱きつかれる趣味はない」
「ま、そんなところも好きなんだけど」
「お前の『好き』はなんか兄弟の範囲を踏み出していそうだから嫌だ」
「あははは、失礼だなー。とっくに踏み出しているに決まっているじゃない、ねえ?」
初対面のフィーに振るな。困ってるだろうが。大体、踏み外しているという方が正しい。
「ええと……ゼータさん。いくらモテないからって、その、男色に走るのはどうかと。しかも近親相姦だなんて、なんてハードルの高い……」
「お前の耳は俺の話を反転させるフィルターでもかかってやがるのかっ!?」
今までの会話をまるで無視した結論を下すフィーの向こう脛を軽く蹴る。
あくまで、軽く。し、仕返しが怖いとかじゃないよ?
「仲、いいねー」
「……コレット。お前、このやりとりを見てどうしてそういう感想を抱く?」
「いやはや、あのお兄ちゃんの傍にこんな可愛い人がいるなんて。どうも、今までこの駄目兄の面倒見てくれてありがとうございます」
「いえいえ。躾がいがありました」
「人の話を聞けっ! そして、俺に対する不当な評価について、そろそろ本気で是正を求めたいっ!」
……今思ったが、こいつらって俺のやっかいさんランキングトップワンとツーじゃねぇか。
どっちがどっちだかはあえて言わないが、厄介度が二倍増しだな、これは……
「あと、お兄ちゃん。お父さんたちから、伝言預かっているんだけど。というか、一応そっちがメインだから」
「ああ? 手紙で送ればよかっただろ。ていうか、お前、来るなら来るで、もっと後に来い。手紙が届いたその当日に来るってなぁ、どういう了見だ」
「だって、お兄ちゃん、事前に知っていたら逃げるでしょう?」
……さすがは、家族。俺の行動パターンをよく読んでいるというか、自分というのがわかっているというか。
確かに、事前に知っていたら、こいつと兄弟だと知れたくなくて逃げ出していたことは想像に難くない。
「……まあ、わかった。それで、伝言って? まさか、寂しくなったからこの俺様に帰ってきて欲しいとか……」
「むしろ帰ってくるなって。うちに、商売のいろはもわからない人間はいらないから」
「……おい」
家族が冷たい。
「うーん。ボクもねー、お兄ちゃんのことは大好きなんだけど、かといって商売人としてはあんまりうちにいて欲しくないって言うかー。いや、ほら、評判とか、ねえ?」
「そうですね。風月亭も、ゼータさんみたいな人が寄生していることが知れたらどうなるかわかりませんし」
「追い討ちかけるなコレットっ! あとフィー! 俺がここに住んでるのなんて常連さんならみんな知ってるだろうがぁ!」
これが厄介さ二倍増しの正体かっ! 二方向に突っ込みを入れるのは思った以上に疲れる!
「だからね、ハンターを続けること自体は止めるつもりはないんだけどー。ほら、お兄ちゃんが最近見つけた秘跡、あるじゃない?」
「ああ」
最近の主な収入源。
今は崩壊してしまったハーヴェスタの秘跡の隠し区画。
ブロンテスが封印されていたあそこで見つけた情報から当たりをつけて発見した新秘跡。
「それがどうかしたか?」
「なんでもさー。教会の方が、その秘跡関連で怪しい動きをしているって言うから、一応警告に」
「……教会、だぁ?」
教会、といえば一つしかない。
この大陸のほとんどの人間が、名目上信者となっている『ラナ教』の元締めだ。大体の町に、一つくらいは教会はある。
ちなみに、ハンターの天敵。
ラナ教は、基本的に秘術や魔術の類を一切認めていない。
『神の御業』っぽいものは、全てNG。それを発掘するルインハンターはつまり悪魔の下僕、なんてトンデモナイことを主張するやつもいる。
現在の世界は秘術を始めとした秘跡からの発掘品によって技術が維持されているって言うのに、そんな非現実的なことを言っているせいで、純粋な信者は全盛期の十分の一以下に減ってしまっているらしい。
それでも、昔からの権益によってそれなりの勢力を保っているのは、流石というかしぶといというか。
「なんだ。俺の見つけた秘跡、そんな特別なもんか?」
「そこまではわからないけど、気をつけてって」
「あっそ」
気をつけたからどうなるってわけでもないだろうが、一応気には留めておこう。
「よし、用事は終わったな。とっとと帰れコレット」
聞くことを聞いたら、もうこいつに用事はない。とっとと帰すのが正解だ。
「あ、まだ用事はあるんだよ」
「……言ってみろ」
「武器商人エヴァーシン家、今度は生活雑貨にまで手を広げましたっ! 第一号ハーヴェスタ支店、近日オープン予定。支店長、ボク」
「っっっざけんなぁ!!」
なんだ、それ。
俺の平穏な日常は、秘跡でがっぽりウハウハ計画は……俺の明日は! どっちなんだっ!?